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『プレミアブランド小話⑲ BMW、ついにメルセデスを超える』

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今日の画像は、またもやお粗末な事故『横浜地下鉄脱線事故』と、いろいろな色がある美人花『フリージア』です。横浜市の交通機関はもう信頼度ゼロに落ちてしまいましたねえ。残念ですが。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★BMWは一般的な大衆車よりも高価とはいえ、1980年代初頭まではまだメルセデス・ベンツとの差が明確だった。当時はメルセデス・ベンツEクラスとBMW5シリーズも、ボディサイズ、価格、製品としての完成度に明確な差があった。それが縮まるきっかけは、1982年にメルセデス・ベンツが小型車190でBMW3シリーズの市場に参入したことだった。

メルセデス・ベンツは小型車とはいえその品質は高く、1985年の日本導入時の価格は533万円と、418万円のBMW3シリーズより100万円以上高かった。190の日本発売から10年経った1995年には、BMW3シリーズのベースモデルが370万円、190の後を継いだメルセデス・ベンツCクラスが430万円となってその差が縮まった。

それが紆余曲折を経て、2005年になると3シリーズとCクラスとも399万円と同価格になった。さらに2015年には、3シリーズの466万円に対し、Cクラスはなんと419万円と、BMWの方が高くなってしまったのである。5シリーズとEクラスの関係も同様で、5シリーズの633万円に対しEクラスは599万円と、5シリーズの方が高くなった。

BMWは、モデルチェンジ毎に着実に品質、性能、機能を向上させ、ついにはメルセデス・ベンツと同じ価格で勝負出来るブランドまでに成長したのである。そしてグローバルでは2005年から2015年まで連続してメルセデス・ベンツを超える販売台数を達成。名実ともにメルセデス・ベンツと並ぶ、いや超える高級車の雄となったのである。

BMWは、強力なブランドパワーを持つライバル、メルセデス・ベンツに対抗出来る地位を獲得するために、メルセデス・ベンツとは異なるターゲットを絞り込んでその対象に相応しい製品を徹底的に作り込んだ。

その上で、『メルセデス・ベンツでなくBMWを選ぶ』という明確なファン層(信者)を作ることからスタートした。50年もの長きにわたり、プロダクトそのものは勿論、全てのマーケティング要素を『運転の歓び』というスローガンに相応しいものに統一。ブレない一貫した戦略の下、ブランドイメージの維持・強化し続けた。昔からのファンを裏切ることなく、BMWの支持層を少しずつ広げて行き、現在の地位を得ることに成功したのである。(参考: 山崎明著『マツダがBMWを超える日』)


■■昔、昔、その昔、人気テレビ番組ロッテ歌のアルバムの司会者』として一世を風靡し、日本歌謡界の発展に尽くした『司会者・玉置宏』。その玉置さんが、遺作として自分の辿った歌謡界を綴っている。昭和の昔が懐かしい。川崎市生まれ、1934年1月5日 - 2010年2月11日、享年75歳。


★★★『玉置宏の「昔の話で、ございます」魁.侫薀鵐永井も不機嫌になるほどの橋幸夫の人気』代々木の山野ホールの『ロッテ歌のアルバム』第108回に登場した橋君。メインのフランクさんが到着して、客席前列4列にびっしり並んだ若い女の子達の多さを見て、これは俺の客じゃないと、まず眉をひそめた。これはビクターが用意したサクラであったのだが。そして、リハーサルが始まり、順調に進んでいた最中、突然外が、キャーキャー、ワーワーとやかましくなった。

フランクさんも何事かと、オケの音を止めて、確認すると、ゲストの橋君が学校を早退して、今会場に着いたところで、その橋君を囲んでファンが『幸ユキちゃ~ん』『幸ちゃ~ん』と大騒ぎしていると言う。もちろんこれもビクターが仕組んだヤラセなのだが、呼ばれていたマスコミ各誌も一斉にフラッシュを浴びせ、収拾がつかないほどの騒動になった。

何も聞かされていなかったフランクさんは激怒した。第1回レコード大賞で歌唱賞を受けるなど、人気も実力もあったフランクさんはプライドも人一倍高かったのだ。『おれは帰る!』というフランクさんを、ディレクターと共に私も手伝って何とか引き留めた。フランクさんが歌っている時は静かにするという条件がついて。

橋君の出番は中CMの前、ショートカットで『潮来刈り』の名前もついた新しいヘアスタイルで、この時は目の覚めるようスカイブルーのブレザー姿。学生服でやってきた時とは別人のような眩しさで、少し鼻にかかった甘い声で歌う舞台姿を見ているうちに、最初はヤラセで来た女の子達もすっかり虜になってしまい、その場でファンクラブに入会する子も大勢いた。

この橋君がデビューした昭和35年は、大洋ホエールズファンにとっては一生忘れることの出来ない年でもある。5年連続最下位のどん底から一転、三原監督のもと、奇跡の初優勝を果たしたからだ。一方、橋君も同年、第2回の日本レコード大賞で、その年から誕生した第1回新人賞を受賞した。


ところでビクターは橋君が新人賞を受賞したことに勢いづき、興業部門のスタッフが浅草国際劇場を1週間押さえて『新人賞受賞記念橋幸夫ショー』を決定した。ゲストにはロカビリーから歌謡曲に転向して人気のあった佐川ミツオを入れて、前宣伝を始めた。

これに慌てたのが、レコード制作と宣伝部門のスタッフで、いくらゲストを加えても、1時間半のショーを構成するには橋君の持ち歌が少なすぎたのだ。そこで、デビュー候補として用意していた作品を急遽レコディングし、緊急発売してレパートリーを増やす作戦に出た。『あれが岬の灯だ』『南海の美少年』などがそれだった。

こうして国際劇場公演は大成功し、以来、橋幸夫の舞台は長期にわたって、正月第1週浅草国際劇場、第2週大阪劇場、ゴールデンウイーク日本劇場というローテーションが組まれた。(参考: 玉置宏著『昔の話で、ございます』)


★★<父親になってほしい著名人、所さん1位返り咲き>日本生命保険が7日発表した『父の日』(6月第3日曜日)にちなんだアンケートで、『父親になってほしい著名人』の1位にタレントの所ジョージさんが2年ぶりに返り咲いた。2位は昨年首位だったジャーナリストの池上彰さんだった。上位10人のうち8人は昨年と同じ顔ぶれだった。

父親の育児参加への関心の高まりを反映して、今年は『イクメン』タレントとして知られる、つるの剛士さんが初めて10位以内にランクインした。アンケートは5月にインターネットで行い、保険契約者の男女計8,977人が回答した。
  1位 所ジョージ     2位 池上彰     3位 三浦友和
  4位 明石家さんま   5位 高橋英樹    6位 関根勤
  7位 阿部寛      8位つるの剛士     9位 タモリ
  10位 イチロー


★★<コンサル集団に変われない銀行は捨てられる>地方銀行の2019年3月期決算は、全体の約7割が純利益で減益か赤字となり、2020年3月期も同様の見通しだ。これまでの銀行決算ですっかり珍しくもなくなった有価証券取引の益出しや不良債権処理費用の圧縮という苦し紛れの『利益捻出策』を除く、正味の収益力の悪化はいよいよ深刻といっていい。

原因は、構造全体にある。預金などの短期で資金を調達して長期で運用することによる『長短金利差』で稼ぐという伝統的な銀行のビジネスモデルが崩壊したからだ。既成概念にとらわれず、ビジネスモデルの終焉が示すこの意味を真剣に考えねばならない。

直言すれば、『再編統合で規模拡大すれば銀行は生き残れる』という認識はもはや古い。旧来発想の銀行同士が一緒になっても事態は打開できていないのが現状だ。
これからの銀行経営が直面する改革の難しさを鑑みるに、むしろ安易な再編統合は、社内政治をはびこらせるリスクばかりを増大させる恐れがあると考えられる。何かを変え、管理するには、規模は小さいほどいい。優先すべきは規模ではなく、ビジネスモデルの抜本的転換だ。

◇構造不況に追い打ちをかけるデジタライゼーションの波
銀行は、長らく『資金需要があれば、審査をして、格付けに基づいて貸します』を続けてきた。しかし、企業は長期にわたり生産拠点の海外移転を加速し、財務戦略も見直してきた。M&Aすら金融機関には頼らない企業もあるくらいの時代だ。

いくら低金利でも有利子負債の拡大には慎重な企業が少なくない。銀行は、もはや日銀のゼロ金利政策を悪玉論と呪うだけでは済まない状況なのである。さらに、押し寄せているデジタライゼーションの波が旧型銀行にとって、決定的追い打ちとなるからだ。 


できるだけ店舗には行かず、対人接点を持たずにスマートフォンで諸事万端、手続きを済ませたい10~20代の『Z世代』を中心とした消費行動(筆者は『行かない革命』と呼んでいる)は、銀行のみならず百貨店、スーパーなどの流通はもちろん、働き方、生き方にまで革命的変化を起こしている。

こうしたデジタライゼーションの猛烈な普及は銀行に、預金・送金・決済といったトランザクションバンキングサービスの自動化を迫る。そうした変化は、今後数年間で劇的に進むだろう。すでにメガバンクでも業務削減の動きが顕著だ。かといって、トランザクションサービスに従事していた人材を営業に配置転換すればいいという単純な話では済まない。金融庁は、資産運用の活性化を重要政策として掲げ、顧客本位の取り引きを求めているためだ。投資信託の回転売買、手数料の高い外貨建て保険商品や複雑な仕組み債の販売、資産形成につながらないアパートローン、カードローンなどにも監視の目を光らせている。

苛烈なノルマで営業を推進して荒稼ぎする伝統的な手法も長続きしない。結局、営業に人手を回しても、現実的には経費に見合う収益につながらず、人手がコストを圧迫するのは目に見えているというわけだ。もはや銀行が社会に提供する価値に照らし、その給与が高すぎるという現実を直視せざるをえない。当然、経営が考えるのは人員削減だ。しかし、生き残りのために規模拡大や再編統合に邁進し、肥大化した組織で社内政治に忙しい多くの銀行員にとって、まさかの『人切り』には相当の抵抗があることは想像に難くない。

◇『課題解決型のコンサル集団』に生まれ変われるか
では、『未来の金融』とは一体どのようなものか。それは『銀行が銀行であることをやめ、未来創造業として生まれ変わること』だ。かつて人力車を引いたり、馬車の御者をしていた人間がドライバーになったように、銀行員の仕事もいずれ変わる。

未来に必要になるのは、取引企業がグーグル検索だけではたどり着けない課題解決策を提供する『銀行員の総コンサルタント化』だ。銀行によるビジネスマッチングなどの押しつけ型(プロダクトアウト)コンサルではない。融資機能も持ち合わせているが、顧客が真に悩んでいる課題の解決まで伴走型で取り組むコンサルティング集団だ。顧客企業の生産性向上、ITインフラの導入、人材育成など、事業者の悩みは実に深く、幅広い。


また、銀行がこうしたコンサルサービスを展開するには自行の組織改革も不可欠だ。銀行本部からコンサル営業に人員を送り出すにしても、本部の決裁承認手続き、報告、経営会議の議事録、本部申請書、社内稟議などを簡素化、効率化しなければならない。顧客の悩み事をせっかく受け取ってきたのに『やりっ放し』では元も子もない。顧客の課題情報の管理や解決のレスポンスの早さも含めた、銀行の本部と営業店の生産性向上は不可欠だ。皮肉を言えば、自分の組織内でさえできない生産性向上の改革を銀行が顧客企業に導入できるはずもない。

さらに言えばペーパレスなどの目に見える変化はもちろん、社内政治を持ち込まない組織文化づくり、真の意見交換ができる会議の運営など、旧型銀行の常識を捨て去るスピード感と実行力が求められる。これらを同時に行うにはシステム戦略、店舗統廃合などのコスト戦略、人事・業績評価を「総取っ換え」しなくてはならない。基本ソフト(OS)を交換するくらいの改革の覚悟が必要だ。実は、このような改革は一部の銀行ではすでに始まっている。

◇持続可能な未来を描くために『原点回帰』せよ
地銀グループの子会社や、地銀が中心となって設立している地域商社にも銀行の未来を変える1つの可能性がうかがえる。

山口銀行を傘下に持つ山口フィナンシャルグループの地方創生コンサル専門子会社『YMFG ZONEプラニング』(下関市)は、地域全体の課題をコンサルし、解決に取り組む会社だ。日本マイクロソフトと組んで、自社のペーパレス化・職場を選ばないフリーアドレス化に取り組むだけでなく、企業・自治体の導入提案、支援を通じた地域全体の生産性向上を目指している。ほかにも副業・兼業を含めた首都圏からの人材還流でベンチャー企業と協業し、長門湯本温泉のまちづくりファンドも組成した。下関市のまちづくり事業の受託業務では、デザイナーのナガオカケンメイ氏が創設したD&DEPARTMENTなどと連携し、ワークショップや観光ガイドの作成にも取り組む。これまでの『お堅い銀行』のイメージとは、かけ離れたセンスが光る。

北海道銀行が中心となってつくった地域商社『北海道総合商事』も地銀業界で話題だ。ロシアやベトナムなどでの商機拡大を後押しするユニークな商社だ。企業進出支援はもちろん、寒冷地技術を活用したホテル建設プロジェクトの参画やゴミ処理施設の輸出をも手がける。農業法人と共同で植物工場への野菜の生産指導、ベトナムでの高糖度のトマト栽培、野菜の買い取りと道内外への販売、牛丼チェーン『松屋』のロシア進出支援など農業や食の販路拡大、生産性向上にも本気だ。

今、地銀では未来に絶望し若手が大量に早期退職をしている。金融庁も地銀の持続可能性を点検するために導入する『早期警戒制度』で、ヒューマンアセットの頑強さを確認する方針だ。地滑り型で若手が大量退職する銀行の持続可能性が警告信号であることに議論の余地はない。一方、ここで紹介した地域商社などで主人公となっているのは同じ銀行員であることを忘れてはならない。『理想論だ』と耳をふさいでいる場合ではない。取引企業の持続可能な発展、個人顧客の着実な資産形成を通じて『地域の役に立つ』という原点回帰をせずに、一体、どのような未来を描けるのかに目を向けるべきだ。


★★<横浜市営地下鉄で脱線=けが人なし、工事用装置乗り上げ>6日午前5時20分ごろ、横浜市営地下鉄「ブルーライン」の始発列車が、同市泉区の下飯田駅を出発した直後に脱線した。乗客約130人にけがはなかった。運輸安全委員会は、原因を調べるため鉄道事故調査官3人を現地に派遣した。

市交通局によると、湘南台発の始発列車が隣の下飯田駅を出た直後、6両編成のうち先頭から5両目までが、進行方向の左側に脱線した。5日夜、工事用車両を移動させるため分岐部分にかぶせた金属製の『可動式横取り装置』がそのまま放置され、乗り上げたとみられる。
本来は、装置を撤去した後に点検中を知らせる警告灯を止めるが、作業員が撤去前に止めており、撤去を失念した可能性があるという。列車は脱線時、時速約35キロのスピードだったとみられ、乗務員が衝撃を感じてから約40メートル走行した。事故後、乗客は係員の誘導で、線路上を歩いて下飯田駅まで移動した。

記者会見した城博俊交通局長は『人的ミスの可能性が高いと考えており、再発防止に取り組む』と陳謝した。 

困った横浜市だなあ。連続して、列車事故とは。ケアレス、不注意の連続だ。交通機関にあるまじき行為だねえ。


★★<LED大手日亜化学がユーチューブを提訴>徳島県阿南市の発光ダイオード(LED)製造大手、日亜化学工業が、動画投稿サイト『ユーチューブ』に製品や職場環境をおとしめる動画を掲載され、社会的信用を損なう恐れがあるとして、米国のサイト運営会社を相手取り動画の削除を求める訴訟を徳島地裁に起こした。

提訴は昨年10月9日付。訴状によると、昨年4月、元従業員を名乗る何者かが『工場内に鳥や犬が紛れ込んだりする状態』『上司がむちゃくちゃな仕事を押しつけ、できなければかなりの圧をかけてくる』といったテロップとナレーション付きで同社製品や職場環境を中傷する2種類の動画を日本語と英語で計4本投稿した。従業員の私的活動や住所をさらす場面もあった。

同社は従業員からの連絡で覚知し、昨年6月下旬に削除を依頼したが、同社によると、ユーチューブ側は『審査したが、名誉毀損(きそん)に当たるかどうか判断できなかったので削除対象とならなかった』と応じなかったという。日亜化学は『動画は事実に基づかない。会社と従業員の名誉、社会的評価を低下させる行為で公益目的は一切存在しない』としている。

まあ、日亜化学時代が薄暗い会社だからなあ。あの『青色ダイオード特許訴訟』で、発見者の中村教授の人格を貶め、世間からひんしゅくをかった。今の社長は入り婿で銀行出身。中村教授は創業社長の支援を受け、研究に没頭した。が、新社長はその功績は会社に帰属するものとして、中村さんの功績を一切認めなかった。こんな企業はやっぱり『ブラック』だよねえ。本当にそう思う。


★★<正徳からの教訓、令和へ> 今や懐かしいが『昭和元禄』なる言葉があった。言い出したのは後に首相となった『福田赳夫さん』らしい。前の東京五輪の頃。高度成長の結果、物資至上主義が国を覆い、江戸期の元禄年間の世相に似ていることを指摘した。平和を享受し社会も成熟しつつあったのだろう。

この古いフレーズを手掛かりに、歴史家の磯田道史さんが、こんなエッセーを雑誌『三田評論』に寄せていた。『平成は宝永にあたる』。元禄の次の元号だ。当時は大地震が列島を襲って、その後、富士山まで噴火した。新田の開発は低地への津波などで勢いが鈍り、それまで増えていた人口も頭打ちになりだしたと言う。

相次ぐ天災と人口減。着眼の妙に思わず膝を打った。新しい元号も決まって、その先も何やら気になる。ちなみに宝永の次は正徳だった。ものの本には、儒学者の新井白石が幕府の実権を握り、儀礼を重んじ賄賂を禁止するなど刷新を図った、とある。そして、もっと重要なのが経済の再建への取り組みらいしい。

元禄から宝永の時代、幕府は金の量を大胆に減らした小判を鋳造し、莫大な通貨発行益を得た。この江戸のリフレ策はインフレを呼び、庶民を苦しめたと伝わる。白石は金の量を元に戻し、沈静化を図ったが、逆にデフレを招いたようだ。通貨や財政の政策の転換は難路を慎重に進むべし。正徳から令和への教訓だろうか。


★★<『ロヒンギャ、ミャンマーに帰りたくない』>バングラデシュに逃れているミャンマーの少数派イスラム教徒『ロヒンギャー』の帰還が始まらない。ミャンマー当局への不信感があるためだ。70万人が逃れて1年半、難民生活は長期化している。

バングラデシュ南東部、コックスバザール郊外。竹の骨組みをシートで覆った無数に並ぶ簡易住宅の一つを訪ねた。電気のない難民キャンプはどの家も薄暗い。『連れ戻され、殺されるなら自分で死ぬ方がいいと思った』。ハモンドさん(60)が声を絞り出した。ここでの生活が1年半を超えた。

昨年11月、殺虫剤を水に混ぜ一気に飲んだ。1週間後に始まる予定だった難民帰還の第1陣リストに自分の名前があった。『知らないところで準備が進んでいた』。気を失い、キャンプの医療施設で一命を取り留めた。

帰還を拒むのは、ミャンマー側から逃れる時の光景が目に焼き付いているからだ。『村が焼かれ、遺体がころがっていた。ミャンマー軍の仕業だ』。

70万人が難民になる発端は、2017年8月のロヒンギャ武装組織『アラカン・トヒンギャ救済軍ARSA』による警察襲撃事件だった。こにれ対し軍や警察が掃討作戦を実施。ミャンマー側は否定するが、国連などによると多数のロヒンギャが殺され、家を焼かれたとされる。

ミャンマー、バングラ両政府は昨年11月、難民2千人の帰還を始めるとしていた。だが『用意された10台ほどのバスに乗る人はいなかった』と。帰還は先延ばしになった。『今の状態で帰りたい日とはいない』と語る。難民の多くが帰還の条件とするのは、ミャンマー国籍の付与、掃討作戦をした治安部隊の訴追、そして期間後の安全保障だ。

ミャンマー政府は、国内住歴が確認出来た難民には国籍申請資格がある身分証を渡すとしている。だが、帰還リストにあった人は『信用出来ない』と言う。ロヒンギャの澄んでいたラカイン州では、仏教徒らが帰還に反対。200人が死亡した12年の仏教徒との衝突で国内難民になった10万人超のロヒンギャですら、州内の難民キャンプから戻れないでいる。

『ましてや国外に逃れた我々が戻って、安心して暮らせるはずがない』と、難民達は声を揃える。

厄介な問題だねえ、ロヒンギャ問題は。一般的に仏教徒は平和的とのイメージがあるが、ミャンマーの仏教徒は違うらしい。それにイスラム対峙の宗教戦争だから、少々のことでは収まりがつかないだろうなあ。まったく、困ったもんだ。


★★<9歳女児待ち伏せ『好きだった』 ストーカー容疑で逮捕>福岡県警は、福岡県築上郡の無職の男(19)をストーカー規制法違反の疑いで逮捕し、発表した。9歳の女児を繰り返し待ち伏せた疑いがある。男は容疑を認め、『女の子のことが好きだった」』と話しているという。

県警によると、男は5日午後5時ごろ、築上郡にある団地の駐輪場で、小学生の女児(9)を待ち伏せて声をかけたほか、6日午後0時35分ごろにも団地の階段で女児を待ち伏せた疑いがある。2人は知り合いではないという。

5日に女児が母親に相談して発覚。この2回以外につきまとっていたとの情報はないが、県警は女児が幼く、連れ去りなど重大な事件に発展する恐れもあると判断して、逮捕に踏み切ったとしている。

世の中様々、危険がいっぱい、ということだなあ。

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