市長になってから、時々『政治家になりたい』と相談されることがあります。私は最初から政治家になりたい、と志していたわけではありません。2年2カ月夕張にいて、やりたいことの延長線に『政治家』という仕事があった、ということが一番近いのかもしれません。
■出馬を決断した理由■ 私は2010年11月末、夕張市長選挙に立候補するため東京都職員を退職しました。夕張市の市長の月給は25万9千円。手取りにすると20万円に満たない。東京都職員の年収より200万円近く減ってしまいます。東京都職員として夕張市に派遣された私に、市長選への出馬を働きかけてきたのは仕事やボランティア活動で知り合った仲間たちでした。それ以降、人生で初めて夜も眠れないほど悩みました。 当時、私は婚約者との結婚を控え、埼玉県内にローンを組んで家を買ったばかり。そもそも、選挙に勝てるのだろうか。落選したら無職。仮に当選したとしても年収は大きく減る。生活への不安は次から次へとあふれてきました。
これだけ多くの不安があるのに、なぜ断ることを迷っているのだろう――。思えば私は夕張に派遣されてからの2年2カ月間、仕事やボランティア活動を通して、少しでも夕張をよくしたいという強い思いを抱いてきました。ともに過ごした仲間たちの姿も常に頭にありました。そんなことを振り返るうちに、私でも夕張でやれることがあるのではないか、と思えるようになったのです。自分が市長になることで、夕張にプラスを生み出せるかもしれない、それなのに私は何を小さなことで悩んでいるんだ、と。
東日本大震災などもあり、世間の目は破綻した夕張から離れていました。選挙を通して『夕張問題が忘れられることが怖い』との声も聞くなかで、もし私が当選すれば、最年少市長の誕生として世間がまた、一瞬でも夕張に目を向けてくれるかもしれない、とも考えました。学生時代から、工事現場、宅配、酒屋など、飲食店以外のアルバイトはほとんど経験していました。幸い、親が健康な体に生んでくれたので、もし選挙がうまくいかなくても仕事を選ばなければ自分と妻一人を養うくらいなんとかなるかとも思いました。
なぜ安定した仕事を捨てて出馬を決めたのですか、とよく聞かれます。私もどこにでもいる普通の29歳の若造で、不安だらけでしたが、『やりたいか』『やりたくないか』を、夜も眠れないほど悩み自問自答した結果、『やりたい』自分がいるからこそ、多くの不安があるのに断ることのできない自分がいるという答えに行きついたのです。人生は一度きり、バカと言われてもかまわない。ぜひ挑戦をしたいと心に決めた瞬間でした。
■ネガティブな人を説得する力が必要■ 『29歳・無職・金なし・政党推薦なし』の私が、なぜ投票用紙に『鈴木直道』と名前を書いてもらえたのか。今振り返ると、『とにかく夕張のみんなに会って話したこと』。それに尽きると思います。6000の全世帯のうち延べ5700世帯以上の方々と会うことができました。雨の日も雪の日も吹雪の日も、1日も休まず朝から晩まで約4カ月間、ずっと続けました。2年間しか住んだことがなく、知名度もなかったので『私はこういう人間です』と、知ってもらうことが必要でした。
事務所に貼ったカレンダーと地図にどこを回ったか、何人と会って話をしたのか、マーカーと鉛筆で一日一日記録を付けていきました。これ以外にやれることがなかったし、候補者のなかで一番若い、体力で負けるようならダメだと自分に言い聞かせて歩き続けました。私は誰にも相談しませんでした。
■両親の離婚、大学進学断念■ 私が東京都職員になったのは、決して高い目標があったからではありません。高校卒業当時、私は経済的な事情から大学に行くことを諦めざるをえませんでした。両親が離婚し、姉も当時通っていた大学をやめて、酒屋でレジを打っていました。もともと割と頭のよかった姉は、レジを打ちながら勉強して公務員試験に挑み、地元の市役所に1回で合格しました。それを見た私は、公務員ってそんなに勉強しなくてもなれるのかぁと単純に思いました。
高校を卒業したら働かなければいけないことはわかっていたので、進路志望に『公務員』と書きました。ところが、模試を受けてみると、三千何百人か受けて三千何番。当然、判定結果は最悪なもの。先生からは『民間企業へ切り替えるのなら早い方がいい』とやんわり諦めろと言われました。私は無理だと言われると火が付くタイプなのかもしれません。絶対大丈夫です、必ず合格します、と根拠のない自信をみせておいて、翌日から『根拠ある自信』をつくるべく猛勉強をしました。その甲斐あって無事合格。なんと受験者中3番目の成績での合格というおまけつきでした。
■東京都職員に、そして大学へ■ 東京都を目指したのは、高卒で就職するなかで一番条件がよかったからです。国家公務員だとキャリア制度があって、大学を卒業して入った人と高校を卒業して入った人で出世が全然違ってくる。一方で東京都は学歴によって区別されることのない人事システムを取っていて、一定の年齢になったら昇進試験を受けることができる。また、東京都は国に先駆けて多くの事業を行っていたことにも魅力を感じました。
仕事にも少し慣れ、入学金などの準備も整った2年目、19歳のとき、大学の夜学に通うことにしました。職場の上司も勤めながら夜学に通っていたこともあり、理解してくれました。職場に迷惑をかけないこと、4年間でしっかりと卒業することを条件に法政大学法学部を受験し、地方自治を専攻しました。
大学で21時30分まで講義を受け、23時まで開いている会館で部活動。これに仕事の繁忙期と大学での試験時期が重なると心身ともに厳しい状況になります。本当に過酷なキャンパスライフでした。よく『市長は激務で大変ですよね』と言われますが、肉体的には大学時代の方がきつかったかもしれません。
■政治家は「愛さえも得られる仕事」■ 政治家は人気のない仕事だとよく言われます。人気投票で選ばれる仕事なのに人気がないなんて矛盾していると思いませんか。なんと『なりたくない職業ランキング』の上位になってしまう仕事でもあります。政治家は住民にとって耳ざわりのいいことばかりを言うわけではありません。特に夕張は、市民の皆さんに厳しいお願いをすることが多い地域です。『鈴木がいうならきっと理由があるんだろう』と言ってもらえるためにはちゃんと説明を続け、関係を構築していくことを積み重ね、繰り返していくしかない。
積極的に障害者雇用を行っていることで有名な日本理化学工業の創業者である大山泰弘さんがかつて、禅宗の導師に学んだ『働くことで愛以外のすべては得られる』という言葉を踏まえて、『その愛も一生懸命働くことによって得られるものだと思う』といったそうです。政治家は本当なら、愛さえも得られる可能性のある仕事ではないかなと思っています。少なくとも私は『愛も得られるような、必要とされる』という政治家を目指していきたいと思っています。
鈴木直道(すずき・なおみち)1981年埼玉県生まれ。1999年東京都入庁。2004年、都庁に勤めながら4年で法政大学法学部法律学科を卒業。2008年夕張市へ派遣。2010年11月、夕張市市長選の出馬を決意し東京都庁を退職。2011年4月、夕張市長に就任(写真 編集委員 嵐田啓明)
(参考: 日本経済新聞『鈴木夕張市長インタビュー』より)
私も鈴木さんが夕張市長に立候補した報道を見て、驚きました。まさに、地獄の渕に自らが飛び込んでいう様相に見えたからです。が、その行動は杞憂に終わりました。心底夕張を立て直したいという純粋な気持ちがくみ取れたからです。まだ健全化には時間がかかるようです。私は、この夕張市の崩壊の状況を他の自治体は自分達のレールにも起こりうるものとして考えてもらいたいことです。『親方日の丸』の公務員の世界にこんなことをいっても馬耳東風でしょうが、せめて自分が努めている間に、経営破綻の状態になることだけは避けてくださいね、給与水準がとても高い広島市役所の方々。
★ソチ五輪で、日本勢がふるわない中で、やりました15歳と18歳が。ハーフパイプで銀の平野歩夢と銅の平岡卓。なんと名人米シェーンは4位と意表をつく結果。『歴史に最少メダリストとして記録に残るのが嬉しい』と平野。4歳の頃からスノーボードに親しんで。日に100回も滑っていた、とはお父さんの弁。平岡は奈良から長野まで毎週片道5時間、往復10時間をお父さんが車で送迎して。いずれも一家でメダルを取った努力とも言えます。
残念なのは、ジャンプの高梨。距離が伸びず4位と。直前の練習では調子を取り戻していたのに、ヒルの特徴がつかめなかったのですねえ。長野オリンピックで金メダルの原田さんによると、高梨のジャンプの時に追い風が吹き、プレーを妨げた不運があると。誠に残念至極です。
その五輪開会式で、5つの輪のイルミが4つしか点灯しなかったことについて、ロシア責任者は『誰も死んだわけではない。問題ない』との放言。こんなのってまさに『ロシア風』なのでしょうねえ。ソ連時代の共産党一党独裁の匂いが消えていません。
★鈴木宗男裁判で、検察が贈賄側の証人に『想定問答集』を作っていたと。『こう質問するから、こう応えろ』と検察が。証人はほぼその内容で証言。鈴木宗男は有罪判決で議員を失職。今までも検察の想定問答集が問題視されてはいましたが、現物が提示されたのは初めて。鈴木宗男は2012年誘導尋問され、偽証が行われた新証拠として再審の申し立てをしています。改めて、検察権力の横暴が無罪の国民を有罪におとしめる罠をしかけている事実が国民を裁判恐怖に陥れます。
★韓国の慰安婦問題、どんどん増幅し、ついに国が『慰安婦の日』を制定すると。ここまでくると、日韓関係の健全化は夢のまた夢。もう抜き差しならぬ関係になりますねえ。なら、日本よりソ連の植民地化が正しかったとはっきり発言すべきでしょう、韓国大統領は。バカな国民ではあります。日本の統合は歴的事実として歴然としてありますが、その結果朝鮮社会が近代化された事実はどう解釈するのか。法体系、農業問題、鉄道、電力、すべて日本の施政によるもの。自力では何も出来ない国だったのですねえ、李王朝・朝鮮国は。
■今日の画像は、『笑顔で競技に臨む平野歩夢』『銀メダルの平野歩夢(左)と銅メダルの平岡卓』と、『鈴木夕張市長』です。頑張って欲しいですね、鈴木市長には。(^.^) (昨日のアップからのアクセス件数は、328件でした)