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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『プラットフォーマー「アマゾン』は現代の「東インド会社」か』

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★今日の画像は、まず、師匠に恩返し、公式戦で師匠の杉本昌隆7段を破った藤井聡太6段(15)と、(東京駅『茨木県稲田石が敷き詰められた丸の内広場と稲田石採石場』、そして『冬の風景ベスト20、その供戮任后なんとも見事なり、藤井6段であり、稲田石の綺麗で見事なことでしょうか。

赤レンガの東京駅舎から皇居に向かって延びる石畳の遊歩道は白く輝き、日本の首都の玄関口にふさわしい高貴さを演出しています。『白い貴婦人』とも称されるその美しい石の産地は、茨木県笠間市の稲田地域で、『稲田石』という市の特産品。昨年末完成しました。この広場の整備計画が明らかになった平成26年、稲田石協同組合と市が売り込みをかけたが、国産材は難しいと難色を示されました。がそれに負けず稲田石が持つ美しさや品質の高さ、豊富な埋蔵量をアピールし、受注に成功。国産材の半分という価格で墓石などを中心に中国産が圧倒している今時の石の市場で、この成功は絶好のアピールになった様子。稲田石の採掘現場は通称『石切山脈』と呼ばれ、東西8キロ、南北6キロの絶景のスポットとして人気も集めています。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★★グローバル化とインターネットの普及が重なった平成は、独自の経済圏を形成し、産業再編の促し続ける『プラットフォーマー』と呼ばれる企業群が幅を利かせるようになった。『アマゾン・ドット・コム』がその典型である。

『とにかく西へ』。平成になって6年目の1994年、一人の若者がヘッジファンドを辞め、米西海岸のシアトルに向かった。『車中でまとめた』という事業計画は、消費者と投資家の関心を強く引き付け、若者は4年で1兆円に近い個人資産を得た。昨年秋にはそれが10兆円を超え、ビル・ゲイツを抜いて世界一の資産家に上り詰める。若者の名前は『ジェフ・ベゾス』。インターネットで書籍などを売るアマゾンの創始者で、CEOだ。

アマゾンの売上高は16年に15兆円に達した。『書店』で始まった同社だが、家電、日用品、高級車、映像、音楽、結婚式場、クラウドと矢継ぎ早にあらゆるモノ、サービスの販売を飲み込んでいった。ネット上の商品数は同社を介して世界中を行き交う荷物も年間40億個に達し、アマゾンを最も利用する国の一つ、英国ではネット上での買い物比率が13%を超えた。

米国では大手書店チェーンや家電流通大手の経営破綻が相次いだ。15年には小売り最王手『ウォールマート』の株式時価総額がアマゾンに抜かれる現象も起きた。そしてアマゾンは、株主への配分よりR&Dや設備投資に資金を回す企業であり、投資家に一銭も渡さずとも株価は上がる、ということを証明した。日本では、アマゾンの進出は00年。16年の同社発の宅配貨物は4.5億個に増え、日本郵便1社の宅配事業に匹敵する規模になった。

東京大田区にヤマト運輸が13年に建てた『羽田クロノゲート』と言う仕分け施設がある。延べ面積は東京ドーム4個分。中部、関西にも同様の施設を建設し、費用2千億円を投じた。だが、同社の成長速度は運び手の予想を上回った。アマゾンの16年での売上高は1.2兆円と5年前の2倍以上。物量に加え、不在客への再配達の急激な増加に耐えきれなくなったヤマトは悲鳴をあげ、昨年は当日配送の見直しや料金値上げなどを巡る議論が両者間で進んだ。


アマゾンの姿を『現代の東インド会社』と呼ぶのは、京都産業大学の玉木教授。東インド会社は17世紀以降のグローバル経済を主導、大英帝国の繁栄を支えた。その強さの裏付けは『世界中の物流を握ったこと。ヒト、カネ、物流を押さえ、巨大経済圏を創り出した世界初の『プラットフォーマー」だった』と言う。東インド会社は19世紀に発明された電信・電話の普及で衰えた。ヘゲモニー覇権国家だった英国は影響力を失い、同世紀以降はベル電話会社(現AT&T)やエジソン・ゼネラル・エレクトリック(現GE)などを擁する米国に覇権が移る。だが、21世紀の東インド会社は『情報データ』も手中にしている。アマゾンはこの先どこまで膨張し、産業や資本主義のあり方を変えて行くのだろうか。

注目すべきは、グーグルやアップル、アリババ集団、テンセントなどアマゾンに似た『巨大プラットフォーマー』が米国、中国で勃興していることだ。地球規模で時間と距離を縮めた情報革命は今後も工業化社会のヒト、モノ、カネを再配分し続け、それをやめることはない。『資本主義の大リストラ』はむしろ、これから本番だろう。(参考:日本経済新聞)


★<戦略なき西郷の決起>明治10年2月6日の『寄合』を終え、決起が決議された翌日、2月7日。午後、厩ウマヤあとの『薩軍本営』で幹部達による作戦会議が開かれた。『熊本城を押しつぶしてゆこう』と言うのが、西郷の参謀格の桐野利明や篠原国幹の腹づもりであり、策も何もなかった。と言うより、西郷という巨人がついていると言うことに無限大と言っていい戦略価値を見出している桐野・篠原の気分の反映であり、特に篠原は本来の好戦家である割には戦場において正攻法以外に用いたことのない人物であった。一座の中で、少なくとも2人が、作戦らしい発言をした。

一人は西郷の弟小兵衛である。彼は汽船で行こうと言った。鹿児島にある3隻と長崎で政府の船を奪い使おうと。この戦は拙速で功を成す方がいい、陸路を取ってぐずぐずしていると政府軍の用意が整ってしまうと言うのである。しかし、この小兵衛の案は西郷の陸軍輸送船が政府海軍に襲われた場合の顧慮は少しも入っておらず、いわば机上の空論であった。

野村忍介の案は、小兵衛の案を現実的にした『三道分進論』であった。一つは小兵衛と同じ海路だが、ただし軍の3分し、その1軍だけをこれに当てる。他の1軍は日向から豊後、豊前に出て、そこで汽船を奪い、四国に渡り、土佐の同志を合流させて、大阪を突く。第3番目の軍は陸路、熊本城を攻撃し、佐賀や福岡の同志を引き入れつつ、東上すると言うものであった。が、これも技巧が多すぎて薩人好みでないために取り上げられなかった。


作戦会議は結局、大挙、熊本城に押しかける、ということになった。熊本城は天下周知のように加藤清正が薩摩島津氏を仮想敵として築いた城で、その防御構造の巧緻さは世評以上のものである。薩摩士族であれば、熊本城がどれほどの要塞であるかを誰もが知っていなければならないはずであった。が、最も重要なこの作戦会議でそういう話題すら出ず、桐野利秋が『なあーに』と、一笑に付しただけで終わってしまった。

桐野は、熊本城内に置かれている熊本鎮台の初代司令長官だった。城内を知る桐野が一笑に付している限りは大丈夫だろうというのが一同の作戦感覚であり、それだけであった。この奇妙な非厳密さは、西郷と桐野、それに篠原といった一種異様な3人の楽天家が醸し出している精神感作であるとしか言いようがなかった。そして、西郷が熊本城に近づけば城内にいる薩摩系の幹部達は脱走して当方に投ずるはずだと見ていたし、残された鎮台兵はみな百姓上がりで臆病者ぞろいであり、泣きわめいて逃げ出すであろうと見ていた。敵についての観測の甘さは、前代未聞と言うべきであった。まさに『戦略なき西郷の決起』なり、だ。(参考:司馬遼太郎著『翔ぶが如く』)


★<九十歳。何がめでたい・佐藤愛子>25歳で小説なるものを書き始めてから今年(2016年)で67年になる。最後の小説『晩鐘』は88歳の春で、その時はもう頭も身体もスッカラカンになっていて、もうこれで何もかもお仕舞いという気持だった。しかし、いよいよ『のんびり生活』に入ると、気力が籠もらない日々となった。そうしてだんだん、気が滅入ってきて、ウツウツとして『老人性ウツ病』と言うのはこれだな、と思いながら、ムッと坐っていた。

『女性セブン』のKさんが訪ねて来たのはそんな時だった。用件はエッセイ連載の依頼。毎週の連載は無理だと思った。しかし老人性ウツ病が頭の隅を駆けめぐり、隔週なら、という条件で書くことになった。タイトルの『九十歳。何がめでたい。』はその時閃いたものだ。


そうして隔週連載が始まり、気がついたら、錆び付いた私の脳細胞はいくらか動き始め、老人性ウツ病から抜け出していた。私はよく読者から『佐藤さんの書いたものを読むと勇気が出ます』というお便りをいただく。しかしこの秋(2016年当時)93歳になる私には、もう人に勇気を与える力はなくなった。

なくなった力をふるい起こすために、しばしば私はヤケクソにならなければならなかった。ヤケクソの力で連載は続き、そのお陰で脳細胞のいうらか削れてなくなりかけていた力が戻ってきたと思う。人間は『のんびりしよう』なんて考えてはダメだということが、90歳を過ぎてようやく分かった。女性セブンさま、有難うございました。読者の皆様、有難う。ここで休ませていただくのは、闘うべき矢玉が尽きたからだ。決してのんびりしたいからではありませんよ。  
     2016年初夏    佐藤愛子


★<上下水道事業アラカルト>浜松市が下水道の運営をアウトソーシングしたと思ったら、上水道の運営も人口減で危機的状況になってるんだね。島根県浜田市は05年に旧浜田市と4町村が合併したが水道料金体系は別々のまま。人口減で水需要は50年にはピークだった00年の3分の2に落ちるとされ、料金統合を機に、10月から20年10月まで、2年かけて水道料金を25%引き上げる。

広域化も一つの選択だ。秋田県は20年をメドに2つの下水処理場を1つに集約し広域化、50年で120億円のコストを削減する計画だ。香川県も18年度、これまで別の企業が運営していた用水供給と給水を垂直統合する。


人口減時代で『立派な施設』を無理に作り替える必要はない。佐賀県が重視するのは『最適化』。16年に汚水処理システムを見直す方針を打ち出し、下水処理場の浄化槽への転換を加速させた。

山形県新庄市では周辺町村の処理場と新庄市の浄化センターを光りファイバーで結び、維持管理を協同化する。先端技術を使えば、コンパクトな設備での処理が可能だ。総務省は水道と下水道の維持可能性に関する有識者会議を年明けに立ち上げており、優良事例の横展開を広げたい考えだ。『スマートシティのように効率的な街作りを進め、そこに住めば水道料金が安くなるなどの仕掛けも必要』との声もある。時代は変わるな。


★<朝鮮南北会談>平昌オリンピックを機に、朝鮮南北会談がもたれ、4月に首脳会談がと。しかも、核放棄に向けた、北・米会談への準備だと。が、どう考えても客観的情勢は厳しいね。前回、同様に北は核放棄を宣言し、米から石油をもらう『おねだり外交』をしたが、最後国際原子力機関IAEAの査察を北は拒み、頓挫したいきさつがある。『ウソつき、破落戸国家』の面目躍如であった。

『国体の保障があれば核放棄』は詭弁であろうし、ましてや南北朝鮮統一を目指す韓国からすると北朝鮮が未来永劫国体である限り統一はできない。さらに北は前回と同じような『おねだり外交』をするだろうが、どこかで頓挫し、文大統領はピエロとなり世界の笑い者になる線が濃いね。まあ、成功すればノーベル平和賞ものだが、な。


★<無印・品質下落>『今月も余裕で予算達成です』。そんな声が社内からよく聞こえてきた。1994年(平6)から96年にかけて良品計画の売上高は好調に推移した。世の中はバブル崩壊、価格破壊などで消費活動が萎縮していたが『無印良品』はそうした流れとは全く異なる販売動向だった。数年前は赤字すれすれだった会社が独り立ちし、95年8月に店頭公開を果たした。

ところが気になる数字があった。売上高の伸び率よりお客様からの苦情の増加率が上回っていた。急成長に品質が追いつかない。店舗運営マニュアル『MUJIグラム』で店舗運営レベルが上がっているのに商品が不良だったら元も子もない。製造現場を見に行き、愕然とした。整然と機械が動いて作られていると思っていたがそうではなかった。手作業も多く、『これはミスが起きるはずだ』と肩を落とす。この時『TTP』という言葉を頻繁に使った。『徹T、底T、的にパPクレ』。MUJIグラム作成時でもそうだったが『良い取り組みは参考にする』と、なりふり構わずマネをした。


96年に物流担当の流通推進部長となった時も問題は山積していた。47歳。省力化した物流センターの建設が急務で、『しまむら』のセンターを見せてもらい目から鱗が落ちたのを覚えている。コンベヤーが微妙に傾斜していて衣料品の入った段ボールが自重でゆっくり移動する。電力や人手がなくても物が動く工夫を知った。

97年4月の消費増税時は、売り場も物流センター、本社も大混乱の極みとなる。3月31日までの増税前に家具など値の張る商品が売れまくった。4月第1週にお届けが集中してトラックが足りなくなる。苦情は700件近くになり、鳴りやまない電話に」受話器を取るのを怖がった社員もいた。

取引先の集荷場は他社製品と混在していて瞬時に見分けることが出来なかった。簡単なことではあったが、取引先に『無印良品』と書いたシールを貼ってもらい納品をお願いした。それだけで一目瞭然となり作業が捗った。(良品計画松井忠三元会長)

良品計画の発展も一本道、一直線ではなかったと言うことだね。


★<サンフレッチェ・ガンバ戦>サンフレッチェの7日の『ルヴァン杯』、対ガンバ戦。メンバーはJ1浦和戦から全員入れ替え。福城監督が口にする『ムービングフットボール』とは、こんなサッカーを言うのだろう。リーグ戦から先発を総入れ替えしたサンフレッチェが、ほぼベストメンバーのガンバ大阪に、4ゴール、無失点で快勝。パスが回り、多くの選手がボールに絡む攻撃は、目指す理想を体現したような内容だった。

ゴールの奪い方が美しい。象徴的なのが1点目だ。DFラインからのパスを中盤で柴崎がスルー。右サイドの馬渡が持ち上がり、中央で渡がシュート。こぼれる球を工藤が押し込んだ。自陣から何回もパスをつなげ、決定機を量産。2得点の柴崎は『全員が前への意識が強かった』と楽しそうに振り返った。

開幕から公式戦3連勝。森島は『ガンバの主力に対し全てがうまくいった。リーグ戦も勝っているので、負ける訳にはいかなかった』。チーム内競争の激化を告げる控え組の躍動による白星であった。


★<藤井6段、師匠を破る>中学3年の最年少棋士、藤井聡太6段(15)と師匠の杉本昌隆7段(49)が対局した、王将戦一次予選2回戦で、藤井6段が千日手手指し直しの末師匠に勝利した。この勝利で藤井6段は14連勝。自身が持つ29連勝に次いで今年度の連勝数単独2位も達成した。藤井6段がどこまで伸ばすかも注目を集める。3回戦では井上慶太9段(54)と対戦する。軽トラックを盗んで死亡事故を起こす中学生もいれば、藤井6段のように、中学生ながら堂々と大人の棋士を破る成績を上げる若者もいる。出来うることなら、わかもの達よ、藤井6段を見習え!

師匠の杉本7段は、棋士として人生で一番注目を浴びた対戦。ここまで成長した藤井6段を嬉しくおもうし、これからも真っ直ぐに棋士の道を歩んでほしいと、エールを送った。爽やかなり、杉餅・藤井師弟ではある。

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