<日本の食料自給率はカロリーベースで38%、生産額ベースで68%とされる。今後の農業従事者の高齢化が急速に進み、離農者が増え、農業生産量は劇的に下がる。日本の農業を救う手立てはないのか。改めて日本の農業を考える>
★今日の画像は、W杯、コロンビアに勝利し歓び『渋谷スクランブルで歓喜するファン』と、ガラパゴス島で特異な進化をした『ウミイグアナ』、台湾、沖縄から日本列島を2,000kmも雄飛する『アサギマダラ』です。初めは広島県北で『私が撮ったアサギマダラ』、次は国東半島沖の『姫島に飛来するアサギマダラ』。姫島には毎年2万羽ものアサギマダラが飛来すると。この島に生息する『スナビキソウ』の蜜に惹かれての様子です。
このアサギマダラの画像は、広島県北聖湖そばの『高岳1060m』で撮りました。頂上にはアサギマダラの好物である、『ヨツバヒヨドリ』が群生していて。しかし不思議なのは、2,000kmも雄飛する蝶が、毎年この場所を忘れずに飛来する秘訣。電波やレーダーなどは持っていないのに。動物のDNAってのは人間界では計りしれない部分がるんですねえ。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
★★★日本は過去に幾多の輝かしい構造改革をやり遂げた経験を持っている。中でも最大のものは、幕末の開国の時行われた改革だろう。日本では開国するまで綿花を完全に自給自足していたが、開国後のわずか10年間で、日本で消費される綿花はすべて輸入に切り変わった。綿花を育てていた農家は失職し、あるいは他の品目に転換するか、都市に出て行くしかなかった。それでも改革を断行したことで、明治以降の際だった成長が実現した。紡績業者達が安い輸入綿糸を使って、これまでに培った技術を生かして優れた織物を作り、市場を拡大することが出来たからだ。綿織物業を初めとする軽工業は、明治の産業発展を支える原動力だった。
当時、明治政府に対しては自国の綿花産業を保護して欲しいという要望が寄せられたし、政府にも綿花を守るため輸入綿花に関税をかける選択肢もあった。だが当時は諸外国との間に不平等条約があり、5%以上の関税を課すことは不可能だった。思い切って輸入に道を開いたことが、結局は日本全体の成長に幸いしたと言える。
1960年代の石油の輸入自由化も歴史に残る構造改革であった。第二次世界大戦後、日本は全てが破壊しつくされた状況から再出発したが、いくつかの産業は国が手厚く保護して復興させた。その一つが石炭産業だ。1950年代末には、コークスを除き、石炭は100%自給自足出来るまでに復活していた。ところが1960年前後から中東から石油が輸入されるようになり、巨大なタンカーを建造すれば、価格の安い石油が続々と入ってこれるようになった。当初は政府も石炭産業保護策を採っていた。しかし結局、通産省は膨大な炭鉱労働者が職を失うのもやむなしとして石油輸入の自由化に踏み切り、石炭から石油へとエネルギー転換を図った。この大きな痛みを伴った石油の輸入自由化がなければ、日本はいつまでも石炭依存の体制から脱却出来ず、高度経済成長も実現しなかっただろう。
経済が成長していく過程で、新たに誕生し、成長していく産業があれば、その陰で衰退していく産業がある。衰退していく産業に同情し、保護しようとすると経済全体の成長が止まってしまう。長い目で見て国全体が豊になろうとすれば、一時的に誰かが犠牲を払わなければならない。それは、綿花や石油の事例からも明白である。ところが、近年の日本のように安泰な時代が長く続くと、過去に成功した産業や企業は強力な既得権集団となってしまう。農産物の輸入自由化を進めようとすると『食料安全保障が出来なくなる』などと言うもっともらしい理由をつけて輸入を抑制するような規制を作り上げる。そのため、経済の新陳代謝が起こらず、成長が止まってしまう。残念ながらこれが現在の日本の現状だ。
農業には、穴が開けられない『岩盤規制』がある。’清抜慙∋楡澆稜醒詫僂寮限、農業委員会による閉鎖的・排他的農業、3式会社の農地所有禁止、で醒禄衢適格法人に求められる厳しい条件、デ清┐僕燭┐蕕譴審銅鑞ザ魴錙△覆匹覆匹任△襦これらはいずれも、戦後農地解放に伴って設立された諸制度である。戦後70年、農地解放の時代から『農業後継者不足』による農業衰退が目前に迫っている。制度、慣行見直しの絶好のタイミングといえる。経済特区の制度を利用し、地域限定から改革を進める方が現状打破に見合っているだろう。都市部選出の国会議員が過半となった現在、国民、国家全体をみた農業改革が必須といえる。若きリーダー、小泉進次郎の発言や行動が目につくのは、それだけ誰も何もしていない証拠なのだ。
イヤー、本当に昨今の安倍政権を見ていると、衰え行く日本の先行きが心配でならない。ノー天気と言うか、ポピュリズムの極と言うか、支持率ばかり気にして政治が社会を、産業を変えるという気概が欠けていると思う。何より証拠はコノ30年の『少子高齢化』を止められなかったこと。そしてGDPが横ばいを続ける中、歳出だけは膨らみ、ギリシャをも上回る大借金国に成り下がったこと。国債を国内で消化しているからまだ痛みを感じないが、国債がが海外金利の影響を受け、利払いがかさみだすと痛みを直接国民に与える。アベノミクス程度では、1,000兆円の累積赤字は消せない。改革、革新を怒涛のごとく打ち出し、日本全体を変えるしかないのに、安倍晋三は目先の事案に汲々としている。哀れかな、日本国の行方、と感じる。(参考:21世紀政策研究所編『2025年 日本の農業ビジネス』)
★<達川光男の面影◆簔川と木庭の再会は、達川が東洋大学の4年生、春のシーズン開幕戦であった。試合で何があったかということについて、両者の証言は一致している。この試合、神宮のネット裏にはかなりのスカウトが詰めかけていた。東洋大の3年に、後に西武に入って活躍する『松沼雅之(弟)』が在籍していて、この試合までに50数イニング無失点の記録を続けていた。松沼とバッテリーを組んでいたのが達川である。スカウト達の視線は勿論、松沼に向いていた。この試合で達川は2度、3度とパスボールを繰り返した。不思議に思った木庭は、試合が終わってからダッグアウトに達川を訪ねた。『どうしたんだい』と訊くと、達川は屈託のない顔でこう答えた。『今日はさっぱりです。コンタクトレンズの片方を洗面所に落として出てこんのです。片目じゃボールは見えませんわ』、木庭は思わず笑った。達川はそれまで、目が悪いということを隠して来たのだが、バレてしまえば仕方ない。白状してしまえと思ったのである。
木庭は、再三と言うほどではなかったが、それ以降も達川を見るために神宮などに足を運んでいる。一つには、カープの正捕手として水沼四郎がいたが、『ポスト水沼』を考えなければいけない時期を迎えていた。そしてもう一つは、達川は目にハンディがあるとは言え、スローイングはいいし、実にいいリードをするキャッチャーだったからである。ひょうきんで明るい性格が気に入ったこともあった。達川の実家のことも調べていた。実家は広島市内でタクシー会社を営んでいる。達川には5人兄弟がいるが、広島大学を出て高校の教員をしている兄もいた。木庭がひっかかったのは、打撃力が極端にもオソマツだったことである。とにかく試合で、達川のバットからまともな当たりの打球を見たことがなかった。ただし、キャッチャーはあくまで守りである。ドラフトを前にして、木庭は達川を取ろうという気持になっていた。ひょっとして、水沼の控えくらいにはなってくれるかも知れん―と思ったのである。
1997年昭52秋、達川光男はドラフト4位でカープに指名され、入団している。捕手にも豊作年があるようで、この年、ドラフト1位で入団したキャッチャーが3人いる。早大-巨人の山倉和博、法大-ロッテの袴田英利、新日鉄-南海の中出謙二である。入団前、とりわけ評判の高かったのは山倉と袴田で、木庭の評価も達川よりこの2人を上に置いていた。2人の指名に動かなかったのは、『予算の問題』である。
ドラフト当日、達川は、大学の寮の近くにあるパチンコ屋で玉を弾いていた。野球部の後輩にはこう言い残していた。『―どうせドラフトなんぞに指名されることはないと思うが、万一名前が出たら教えに来てくれや。それも1位や2位は絶対ない。ワシの名はその他大勢になってからしか出てこんから安心してくれ』と。パチンコ屋に後輩が息せき切って駈け込んで来た。『先輩、広島です。4位です』『そうか、そんなもんじゃろう』『電話がかかっていますが』『今玉が出だしておるところなんじゃ。電話などほっといたらええ。明日には広島に帰るけぇ、相手さんにはそう言っといてくれ』。
翌日、広島市東区の高台にある自宅で木庭に会った達川は、スカウトが口にした台詞を今もよく覚えている。『寮のメシはいいぞ。寮のメシだけは12球団で1番だ』と言うものである。もう一つは『プロというものは、成績次第で給料はいくらでも上がる』と言うことである。言外に、契約金は高くないぞという意が込められていた。2度目の交渉で『すんなり丸め込まれて安い契約金に判を押してしもうた』とのことである。契約金の提示額からして、『まあ、壁にでもなればと言うことだったんだろう』と達川は言うのであるが、このことは木庭はきっぱり否定する。
後、山倉は名捕手になった。達川もまた名捕手になった。山倉は13年、達川は15年、現役生活を送り、共にチームの守りの要となり、優勝に貢献した。この間、山倉は8度、達川は7度オールスターに出場し、ベストナインには共に3度ずつ選ばれている。現役時代の実績は甲乙つけがたいが、入団時に球団が投下した『費用便益』としては達川に軍配を上げるべきだろう。
木庭が飛行機の中で達川に会ったという日からしばらくして、私はダイエーの大阪遠征の際の宿舎で達川に会った。入団後、寮生活に入った達川に、木庭が例によって洋服屋や靴屋を紹介してくれた。『頑張っとるか』『辛抱してやっとりゃ花咲く季節もやってくる』。短い言葉であったが、顔を合わすたびに声をかけてくれたものだった。若き日の思い出を懐かしそうに語った後、達川はこう付け加えた。『振り返って言えば、安い給料で入れられた分、こっちは頑張らにゃ仕方ない。安く仕入れ、目の前にニンジンぶら下げて働かす。現役時代は木庭さんの掌の上で踊っていたようなもんです。カッカッと笑っておられることでしょう。いつか文句言ってやろうと思っとりますよ。そう言っといて下さい。ありがとうございました』。いかにも達川らしい、清々しいメッセージであった。(参考:後藤正治著『スカウト』)
★<ウミイグアナ>ダーウインがガラパゴス諸島を訪れ、そこに棲息する『ゾウガメ』の姿に動物の進化の影を嗅ぎ取り、進化論の礎とした。サボテンや低木しか生えていない島では、ゾウガメの首は長くなっており、草原がある島のゾウガメの首は短く太く。つまり動物は生きていく環境に合わせて、身体機能を進化させていると。
この島に『ウミイグアナ』がいる。岩だけの島で、食料がない。そこでここに棲息していたイグアナは、海の海藻を主食とし生き延びた。そのため海の中を泳ぐ機能が発達し、水深30mまで一直線に潜れる。陸に上がると、海水で冷えた身体、血液を温めるためひがな日光浴を。じっとして動かない様は、まさに日光浴に浸っている姿なんだねえ、知らなかった。人間を含め、動植物の進化って、まさに適者生存の道を探る歴史なんだ。
★<ソニー平井前社長報酬20億円>ソニーは前期の有価証券報告書で、4月に社長を退任した平井会長の役員報酬が20億7,200万円だったと開示した。退職金11億8,200万円や好業績が報酬を押し上げた。開示制度が始まった10年3月期以降、ソニーで最高額となった。まあ、このソニー、平井さんはV字型回復を見せた立役者故、ゴーン並みの報酬があっても不思議ではない。拙宅のテレビは、現在東芝だが、その前はソニーだった。拙者のこだわりとして、2画面がマスト。一時ソニーは2画面テレビを出さなくなったから、東芝に乗り換えたが、次は50型のソニーにしようと思っている、DVDレコーダーと一緒に。まあ、2000年、東京五輪が終わって、テレビ価格が暴落する時を狙っているが。
★<大阪地震、JR・地下鉄の回復超遅れ>大阪地震では、府内の交通機関が全面ストップし、利用者に大変な迷惑をかけた。取り分け、JRの在来線復旧には手間取り、回復したのは当日23時以降だった。西日本JRの社長は、復旧に素早く対応できる手立てを考える、とアナウンスしているが、もう遅いな。JRも今や縦割り、公務員体質になっているのだろう。何か、点検で移動するための自動車が渋滞に巻き込まれたと言う。地震時の危機管理に手落ちがあったと言うことだ。困ったことだ。それと地下鉄。特に御堂筋線の復旧が遅れた。梅田から新大阪まで歩いた人もいる。交通機関に携わる諸君、非常時こそ諸君の腕の見せ所だ。しっかりやりたまえ!
★<W杯視聴率瞬間55.4%>サッカーW杯、コロンビア戦のNHK平均視聴率が48.7%だった。瞬間最高は午後10時52分、53分の2分間で、歴史的勝利に55.4%という驚異的な数字をたたき出した。プロ野球の視聴率も徐々に回復基調にあるらしいが、それでも野球の中継でこんな数字をはじき出すのは難しい。ベースボールW杯でもこうはいかないだろう。なにせ、野球はまだまだ世界のローカルスポーツなんだから。
それなのに、ああそれなのに、広島市ではサッカー専用スタジアムが俎上に上って早7年。何の進展もない。せめて2020年までに建設し、オリンピックの試合を誘致すればいいのに。困った松井市長ではある。スポーツ、サッカーも文化なんだよな。音楽、絵画だけが文化ではないのだ。そこんところが分かってない、政治家ではない実直な官僚である松井君に湯崎県知事だ。
★<ブレーキ役も出来ぬか 公明党>公明党の果たすべきは、自民党と与党を構成し、政権内で健全なチェック機能を果たすことだと思ってきた。だが先日の公明党参議院議員総会の山口那津男代表の挨拶には落胆した。
曰く、加計学園問題を追及する野党に対し、『どんな国政上の意味があるのか』と。ある時は『下駄の雪』と揶揄され、与党でいることに批判を浴びた公明党。自民党の暴走を止める唯一のブレーキとしての役割を果たすとした党方針に、私は一定の評価をしていた。
しかし今回の森友・加計問題を巡っての野党へのコメントがこれではあまりに情けない。問題の本質は、安倍晋三首相がお友達やお仲間に、平等性や中立性と言う行政の原則を無視して利益を誘導し権力の私物化に手を染めたことである。
4年前、集団自衛権行使容認を黙殺した公明党に私は失望した。今やブレーキ役すらやせ馬には重荷だったのかと、悔しくてならない。首相やその関係者の失策は、首相やその関係者が責任を取る。この原則も分からぬか。怒りの矛先が公明党に向かうことが残念である。『平和の党』は幻か?(参考:朝日新聞・投書欄)
まったく、近時の公明党はその存在すら忘れられるような状態になっている。自民党に丸飲みされているのだろう。モリカケ問題で、ブレーキ役になるには、その正体、真偽も精査する必要があり、公明党には重荷だったのだろう。結局、『それだけのもんだ、公明党』を証明したようなものだ。次の選挙は厳しいぞ、山口那津男殿。
★<賃貸仲介ペーパーレス・セイルボード>『紙とファクスが大好き』な賃貸業者。これを無くしたのが広島の『セイルボード』が開発した『キマRoom!』。西野社長はリクルートで不動産広告を担当していたが、業界の『紙好き』に不思議さを感じていた。そこで2011年に『キマRoom!』をリリース。不動産賃貸の業者間情報流通を電子化するシステムの販売に乗り出した。
『不動産売買分野では普及している仕組みなのに、賃貸ではどこも手掛けていない。攻めるならここだ』。広島市のシェアオフィスを拠点にたった1人で営業に走り回った。そこには心配した落とし穴などなく、巨大な真空空間が待っていた。『キマRoom!』は一定エリア内で導入業者が増えるほど物件情報も増え、価値も高まるツール。広島市内では300店が利用しており賃貸営業に欠かせないものに育った。導入に伴い料金は徐々に上げていったが解約率は年間1%程度だ。業界のよそ者だったらこそ浸透したと言える。
次に向かった視線は東京。14年に進出し今では月の半分以上は新宿のオフィスを拠点に駆け回る。しかし競合のシステムも多く、『いいものは必ず売れる』とはなかなかいかない。そこでこの状況を打開するため昨年投入したのが『キマRoom!Sign』。店頭で紙に頼る一連の業務を大幅に簡素化する。
『不動産業界のプラットフォームを作る』。西野社長の夢は遠大だ。まだ2合目付近だとも。ひとりで立ち上げた会社も今では社員12人。売上も数億円の規模に成長した。今後は業務の電子化に加え、さらに一歩進んで定型作業を自動化する『ロボティック・プロセス・オートメーションRPO』分野への進出を考えている。未来の大地を耕すプランが頭に詰まっている。広島発、スタートアップ、ガンバレ、西野さん。
★<内田が大迫&昌子のプレーを絶賛>元日本代表の内田篤人(30)が、W杯での後輩である大迫と昌子の活躍を絶賛した。『俺の中では源(昌子)がすごかった。吉田が引っ張るのは当然だけど、相方の源が落ち着いてた。Jリーグにいるので海外の選手と戦っていないのに、しっかプレーした源を評価すべき。左がガンガン行けたのはあいつがパススピードを気にして出していたから』と話した。
また大迫に関しては『鹿島に入った時から見ているけど、彼がいないと日本の前線は機能しない。しっかりスライディングなどでもピンチも救っていた』。第2戦について『ドイツ時代、カメルーン人が「アフリカの最強国はセネガル」と言っていた。勝って兜の緒を締めよと言われるけれど、締めなくて言い。このまま行くべき』とエールを送った。
アジア勢で、W杯南米チームに初勝利という歴史を切り開いた西野ジャパン。もうテレビ・新聞はお祭り騒ぎ。まあ、これもまたありでしょうな。素晴らしきジャパンではある。こっちの西野さんもガンバレ!