今日の画像は、黒田博樹さんが広島の地元紙中国新聞に掲載した2ページの全面広告『結局、新井は凄かった』。そしてスペイン『トレド』の街並みです。先日、NHK・BSの『世界の街歩き』でトレドの放映がありました。なつかしく、4年前に『サンチャゴ巡礼』を歩いた後に訪れた際のトレドの画像をアップします。訪れた日は、何かお祭りのようで、中央広場をかこむ建物の窓には、それぞれの家の紋章が掲げられて、とてもカラフルでした。また、歴史のある邸宅が解放され、中庭などにタペストや美術品が展示され、解放見学に供されていました。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
まあ、面白い黒田さんだなあ、と思うねえ。しかも、新井の新聞レビューでは、マイナーな記事見出しが踊る。ファンはこれで結構楽しめる。費用は、月曜日掲載で、中国新聞の黒田への好意もあり、地方紙ということで、まあ1千万円は超えていないと推測するがねえ。本当に、面白い。ネットで調べたら、中国新聞の1面広告は381万円。まあ、中国新聞のサービスもあるだろうから、2面で500万円というところが妥当かなと。新聞発行部数の低下と、広告媒体としての効用の目減りで、新聞の広告料金は相当に下がっているねえ。
★★★吉本興業の漫才番組『THE MANZAI』が大ヒットして、空前の『漫才ブーム』が起こった。フジテレのプロデューサー『横澤彪タケシ(故人)さん』はそこで活躍した若手漫才師達を起用して昼の帯番組『笑ってる場合ですよ!』を立ち上げた。だた、東大文学部出身のインテリだった横澤は、漫才師達が楽屋で金と女の話しかしないことに失望を感じていた。
そして次の番組では色の違う芸人に番組を任せたい、と考えた。そこで白羽の矢が立ったのがタモリだった。タモリは出演依頼を受けて戸惑いを感じた。平日の昼に毎日生放送の仕事が入れば、ほかの仕事やプライベートにも制限が出てくる。だが、アングラ芸人として出て来た自分が、主婦層の視聴者が多い昼の時間帯に馴染むとは思えなかった。どうせすぐに終わるだろうと思い、タモリは軽い気持で引き受けることにした。
ところが、そんなタモリの意に反して『笑っていいとも!』は人気番組となった。前回のゲストに紹介されたゲストがタモリとトークをする名物コーナー『テレフォンショッキング』は、第1回から行われていた。その場で次のゲスト候補に電話をかけて出演依頼をするという演出も斬新だった。
『世界に広げよう友達の輪』『いいとも!』を初めとして、この番組からは多くの流行語が生まれた。密室芸を得意とするアングラ芸人のイメージがあったタモリは、この番組で完全に生まれ変わった。もともとすでに型が決まっているバラエティ番組などに異物として割って入って暴れるのがタモリ流儀だったのが、いざ自分が中心に置かれると、場を仕切る強引さが全くなかった。むしろ、自分を出すより相手の良さを引き出すことに専念していた。
共演する相手の面白さを引き出すということにかけて、タモリほどの逸材はいなかった。『いいとも』という日の当たる場所に引っ張り出されたことで、タモリの新しい一面が出て来たのだ。80年代にはフジのバラエティ番組が圧倒的な支持を獲得して黄金期を迎えていた。タモリの『いいとも』と、ビートたけし(71)、明石家さんま(63)らが出演した『オレたちひょうきん族』がその中心となっていた。
90年代に入ると、タモリの人気もやや落ち着いてきた。年齢を重ねて余裕が出て来たタモリにはガツガツしたところがなくなり、下の世代の芸人も台頭してきた。ウッチャンナンチャン、ダウンタウンと言った若い世代が出て来る中で、タモリ、たけし、さんまの『お笑いBIG3』の勢いにも陰りが見えてきたのである。
そこからタモリが持ち直したのは、下の世代に『尊敬の対象』として評価され始めたからだ。その象徴が『タモさん』という呼び名である。仲居正広(46)やナインティナインの岡村隆史(48)がタモリのことを『タモさん』と親しみを込めて呼び始めたのだ。この時期に、タモリは下の世代からやたらと持ち上げられるようになった。(参考:サンデー毎日)
私は、このプロデューサー『横澤彪さん』に会っている。講演講師として、『なぜ笑っていいとも、を立ち上げたか』、などを話してもらった。浜松の浜名湖に立つロイヤルホテルで。依頼に直接フジテレに行ったことを思い出す。確か、『いいとも』をスタートさせて半年たった頃、西新宿を歩いていて、上司と部下の4人の男性が肩を組みながら、部下らしい人が『課長、もう一軒行きましょう』と言ったら、課長が『いいとも!』と声高に答えたのを見たそうだ。それを聞いて、『いいとも』は上げ潮に乗ったものと感じたと語っておられた。今やタモリさんは、単なる芸人ではなく、マルチタレントとして活躍中だねえ。歳もとても70歳を超えたようには見えない若々しさだ。
★<嫌韓、朝鮮半島に残した日本人の財産5兆円を請求したら>【加藤達也の虎穴に入らずんば】民間研究機関が発見した資料に基づいて産経新聞が2003年に伝えているが、終戦時に日本人が朝鮮半島に残した個人財産は、報道当時の価格にして4兆9千億円になるという。韓国で1965(昭40)年の日韓請求権協定を覆す『元徴用工問題』への司法判断が出たことで、思い出した。韓国最高裁が新日鉄住金に対し、『元徴用工』4人に総額4億ウォン(約4千万円)の賠償を支払えとの判決を確定させた。『日韓の法的基盤が根底から損なわれた』(河野太郎外相)のだから、韓国側はこれを修復しなければならない。しかし、むしろ日本企業の賠償支払い基金への参加など、日本側の歩み寄りを模索しているという。この問題は、両国関係泥沼化の“鉄板”のサイクルに、ぴたりとはまっているから、長期化する。
両国がもめるネタが韓国国民に浸透する過程では、“親療攵蹐貌榲時代の“記憶”が目覚め、共感・同調圧力が作用し、『人権』やプライドの問題とすり替えられて活動が組織化し、せ碧 行政府が世論を忖度した判断や方針を示して公認し、テ椶冒噂茲鰺弋瓩垢襦櫃箸いξれが繰り返されてきた。慰安婦問題、かつて筆者が当事者となった朴槿恵前大統領との法廷闘争、さらに『旭日旗』問題もそうだ。今回の判断を受け韓国政府は李首相名で、司法判断を尊重▽対応策を準備▽日韓関係を未来志向的に発展させることを希望―と表明した。これは定石パターンい涼奮に来たから、次はイ砲覆辰討いので、よろしく-と読み替えると理解しやすい。
あまり言及されていないが、今回の訴訟は今後、世界展開し『日本は人道犯罪を認めず、謝罪も賠償もしない』という認識を広めるために利用される恐れがある。“第2の慰安婦問題”化である。『元徴用工』の個人請求権が日韓請求権協定で消滅したとする従来の判断を韓国最高裁が否定した2012年から、日本企業が敗訴した13年の差し戻し審にかけ、ソウルで関係弁護士の説明会や支援者の集会を取材したことがある。そこで必ず出たのが『日本が植民地化したこと自体が違法だ。人権を踏みにじられたお年寄りを救済しないでいることに日本人として心が痛まないのか』という論法だった。朝鮮半島統治という歴史に、人権を絡めるのは当時から一貫していたのだが、一方で今回の勝訴を受け、代理人弁護士が韓国SBSのインタビューで明かした言葉は興味深い。『日本政府が賠償も和解もするなという指針を示したことは重大な人権侵害』だと。
『外国に新日鉄住金の財産があり、その国が韓国の判決を承認すれば、その財産を強制執行できる』。人権問題を絡めたうえで、日本での民事訴訟や欧米、東南アジアなど第三国での強制執行手続きも視野に入れているというのだ。強制執行が認められなくとも、第三国での争いには現地で対応しなければならない可能性がある。日本政府や企業の労力は決して小さくないし、日本企業を誤解する向きも現れよう。韓国政府が認定した『元徴用工』(故人含む)は約22万人とされ、韓国側が“数と広がり”で攻めた場合、日本に対抗策はあるのだろうか。
日本政府は現在、国際司法裁判所(ICJ)への提訴も辞さない構えだ。韓国側が裁判に同意しなければ無意味との見方もあるが、『不同意の説明義務が生じる。韓国の司法判断には国際的に通用しない部分があり、弁明はかなり苦痛になる。現に韓国側は竹島問題などで提訴しないよう懇願してきたことがある』(外務省幹部)。それでも韓国が事態収拾に動かないならば、朝鮮半島に残した個人財産の半額ほどを、韓国に請求してみるのはどうだろうか。(元産経新聞ソウル支局長加藤達也筆)
★<プリクラの落日>スマホ時代で『プリクラ』の落日、シール機大手が倒産、残る1社の生き残り戦略。総じて“プリクラ”と呼ばれるプリントシール機。元祖の『プリント倶楽部』が登場したのは1995年7月のこと。ブームを経て、すっかり定着したかに思えたが、ここへ来て業界大手のメイクソフトウェアが倒産。プリクラの最新事情を探る。
コンピューターソフト開発のアトラス社が『プリント倶楽部』を誕生させたのは95年だが、当初からプリクラがヒットしたわけではなかったという。『ブームのきっかけはSMAPでした。96年、彼らがテレ東でレギュラーを務めていた「愛ラブSMAP!」で、番組プレゼントとしてメンバーのプリクラをプレゼントしたことから、認知度が上がり、各社が参入。ちょうどコギャルブームと相まって火がついたんです。マイクロミニにルーズソックスのコギャルたちは、友人、知人の数を競い、何百枚ものプリクラを貼りつけたプリクラ帳を持ち歩きました』(業界関係者)。現在のSNSで“いいね!”やフォロワーの数を競うのと同様だろう。
◇プリクラ業界の栄枯盛衰
誕生から2年後の97年には、市場規模は早くも1,000億円に達している。しかし、その翌年(98年)には、設置台数が約3,500台減っただけにもかかわらず、市場規模は半分以下の417億円にまで落ち込み、さらに99年には400億円も割った。
『2000年代となって競われたのが、写真の綺麗さでした。日立ソフトウェアエンジニアリングの“美写シリーズ”、ナムコの“花鳥風月”などの機種です。特にナムコは顔認識機能を用いて、デジタル処理によって目をハッキリと写し出すことに成功しました。また合成技術により、空を飛んでいるように見せるシールも製作できるようにもなりました』(日本アミューズメント産業協会)。
ゲームセンターがコスプレ衣装を貸し出し、それで撮影する“コスプリ”なども現れ、02年には市場は600億円を超えるまでに回復する。が、ここまでが隆盛期といっていい。
◇スマホとの共存を選んだプリクラ
『各社とも“美しく写る”ことアピールし始め、それが極端になったのがいわゆる“デカ目”でした』。目を大きく修正すること、別人のように“盛った”プリクラが流行った。なかには、ほっそりさせた輪郭からはみ出すほどのデカい目も……もはや人類ではない。
そして07年、iPhoneが登場。スマホ時代の到来である。プリクラ市場は08年には250億円、09年には230億円にまで縮小し、この年、最初のプリントシール機『プリント倶楽部』を作ったアトラス社が業界から撤退する。
『2010年頃からは、行き過ぎた修正からの揺り戻しで、各社、ナチュラル志向へと移ります。もちろん、“盛る”ことは外せないので、いかに加工感を少なく美しく写せるか、美肌や透明感などを工夫することで、11年には300億円規模へと回復します。最盛期には松下や日立なども参入したプリクラ業界ですが、この頃にはすでに4社となっていました。そのうち辰巳電子工業が2年ほど前に事業を縮小、アイ・エム・エスもゲームセンターへの定期的な販売はなくなっており、それに続く形でメイクソフトウェアも10月24日に破産手続き開始決定を受けたわけです。これで“プリクラ”機メーカーは事実上、最大手のフリュー社1社といっていいかもしれません』(同)。
メイクソフトウェアは、今年春には、NTTドコモと提携したご当地プリクラや、夏には人気の竹内涼真(25)の主演映画「『センセイ君主』とコラボ。竹内と2ショットのプリクラが撮れる機種も出たが、力及ばず……。やはり今の中高生には人気はないのか?
数十社が参入したといわれるプリクラ業界だが、今や1社とは……。写真加工ならスマホでも十分に可能な時代ともなっている。市場規模はもちろんのこと、台数も1万台を切りそうだ。もはや消えゆく業界なのだろうか。
『売上規模は縮小していますが、台数が減ってきているのには、ライティングや広角撮影などのためにスタジオ化し、シール機がどんどん巨大化しているために、店舗に数が入らなくなったためという影響もあると思います』(同)。
◇東京・原宿で『プリクラLAND NOA』を運営する『ノア社』に聞くと、
『原宿店は賑わっているので、衰退とは考えていません。もちろん、地方ではお店がなくなっているところもあるようですが……。中高生の女子というユーザー層は昔から変わりませんから、若い子がいれば利用してもらえると思います。最新機種は、インスタ映えを考え、ブース内にスマホを置くスペースがついており、スマホのムービーで撮影風景を撮りSNSに上げるというものですね。店舗として気を使っているのは、パウダー室やレンタル衣装、フィッティングルームの充実でしょうか』。たかがプリクラと言うなかれ、だ。
まあ、『盛者必衰のことわりを表す』だな。平家物語だ。
★<文科局長、全国立大に寄付依頼 病死した職員の遺族向け>文部科学省の高等教育局長らが今年8月、外部に出向中に病死した職員の遺族向けの寄付金をとりまとめるよう、全86カ所の国立大学に文書で依頼していた。同省は交付金などに影響力があり、国立大側からは『あってはならない』との声が上がっている。寄付を依頼したのは、大学教育を所管する高等教育局の義本博司局長や、常盤豊・生涯学習政策局長(当時)、大学生向けの奨学金を取り扱う日本学生支援機構の理事長代理ら上級幹部やOBら20人。
過去に複数の国立大に出向後、放送大学学園に出向中の今春、病気で死去した50代の男性職員の子どもの『教育資金』として、1口千円で募っていた。文書は『各国立大学法人総務担当課長殿』宛てで、『貴機関内に周知いただくとともに、お取りまとめをされる際は機関用申込書を御記入の上、送付願います』と求めていた。事務局を務めた同学園担当者によると、国立大のほか、男性が過去に在籍した複数の独立行政法人にも送った。これまでに200万円以上が集まったという。
申込書は『個人用』と『機関用』があり、個人用には振り込み用のゆうちょ銀行口座や現金書留の送り先が記され、機関用には所属と氏名、口数、とりまとめた合計金額を記入する欄がある。官公庁や教育界では、在職中に死亡した同僚の遺児向けに『育英資金』を内輪で集める慣習が100年ほど前からあるとみられる。だが今回は、学部設置の認可や交付金などを握る部署の上級幹部らが、連名で外部組織に依頼していた。
ある国立大の教員は『監督者からのこうした依頼は問題だ』と指摘。国立大学協会会長を務める山極寿一・京都大総長は『文科省から公的なルートで寄付を依頼されれば、何かしらの権力関係が反映していると考えるのが普通。あってはならない』と批判している。義本局長は取材に、『高等教育局長という立場だから、大学に関係するので寄付の依頼を「手伝ってほしい」という話があった』とし、詳細は『全然知らない』と話した。
国立大は2004年の法人化で文科省から『独立』したが、人事交流の制度は残っている。政策や交付金などの情報を得るため、文科省の職員を受け入れることは大学側にメリットがある一方、『文科省にお伺いを立てる仕組みを生んだ』との指摘もある。
まあ、全くの『職権乱用』だな。恐れ入り屋の、文科省だねえ。不祥事の連続マンだ。
★<丸がFA宣言「他球団の評価を聞いてみたい」 >
広島の丸佳浩外野手(29)が、FA権を行使する意向を表明した。マツダスタジアムで報道陣の取材に応じ、『プロ野球選手である以上、他球団の評価を聞いてみたい思いがある』と胸中を明かした。
丸は『昨日決断しました』と明かし、『プロ野球選手である以上、他球団の評価を聞いてみたいという思いがある。そういう機会はなかなかない』とFA宣言した理由を説明。『球団には高く評価していただいていて、ありがたく思っています』と広島への感謝も口にした。
今季は打率.306、39本塁打、97打点の成績を残し、打線をけん引。リーグ3連覇の原動力となった中心選手に広島は球団は4年契約で出来高払いを含めて総額17億円を打診している様子。宣言残留も認めている。他球団も調査を進め、巨人が25億円超、丸の地元・千葉に本拠を置くロッテも20億円規模の資金を用意していると見られ、リーグ屈指のスラッガーの争奪戦に発展しそうだ。
カープOBの北別府学さんは、丸のFA表明について『権利ですから仕方ない』とし、『巨人が大変な高評価をしているとの事実は、我々も関係者とは最近この話題が多く上がります』と明かした。その上で『速報に上がるほどの選手を育てあげたのは広島東洋カープだ!!』と誇った。
まあ、FAはプロ野球の選手に与えられた権利だし、FAを宣言出来る選手だから、止むをえないね。最終、やっぱ、カープ、と言ってくれるのを期待するのみだ。全国のカープファンの期待に沿ってほしいねえ、丸君には。が、拙者は、4:6で移籍すると見るな。移籍先は、ロッテ。井口監督の弁にかかって千葉県に里帰りだろう。巨人には行かないと思うね。単なる勘だがね。
北別府さんについては、私も衝撃的な記憶がある。若き時代、高校生のリクルート活動で、南九州を回っていた。そして、都城農業高校を訪問した。と、就職担当の先生が『君、北別府学を知っているかい』と。いいえ、知りません、と答えると、『今年、我が校は九州の野球大会で優勝したが、その優勝投手が北別府だよ。そして、来年はカープに入団するんだ』と。当時あまり熱心なカープファンでなかった私は、北別府さんのカープ入団を初めてここで聞いたという次第。
さらに、都城市に一泊したが、翌日、駐車していた車の屋根に桜島の噴火灰がうっすらと積もっていた。夜中に桜島が噴火したのだろう。面白く、長く記憶に残る都城の思い出である。
★<少しの知性と正義感が残っていたアメリカ中間選挙>アメリカ国民にも、少しの『知性』と、ちょっぴりの『正義感』が残っていたんだねえ。下院選挙で、共和党をひっくり返して民主党が逆転に。ちゃぶ台返しのトランプ大統領の言い回しで、一番気に入らないのは『移民阻止』。何言ってんだい、全米国人、ネイチャーを除く、はみな、大西洋を渡ってきた移民か、黒人奴隷の子孫ではないか。威張れた器ではない。拙者は、トランプが勝てばまさに『パックスアメリカーナ』が、ゴロゴロと音をたてて転げ落ちると思っていた。少し様相が変わったな。まあ、2年後の大統領選で、本物のアメリカ人の知性と正義感を見せてほしいな。とりあえず、トランプにはブレーキがかかるだろう。