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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『巨人の星・星飛雄馬のごとき鈴木誠也伝説① 「誠也現る」』

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今日の画像は、星飛雄馬のごとき成長を遂げたカープの『鈴木誠也』と、広島アステールプラザに張り出されていた『イベントポスター』。主に音楽関係ですが、舞台劇や広島をテーマにした映画のポスター、サッカーなどもあって、見るだけで結構楽しかったです。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

『諏訪内晶子さん』のポスターがあった。広島交響楽団の演奏ソリストである。確か、今諏訪内さんはNY在住だと思うが、日本国内の演奏旅行中なのか。その諏訪内晶子さんが、あの『チャイコフスキーコンクール』で優勝した朝のことを今でもはっきりと覚えている。もう何十年前になるだろうか。朝7時のトップニュースだった。しかも、諏訪内さんは数日高熱を出し、とてもステージに立てるコンディションではなかったと。気力で演奏したチャイコであった。調べたら、あれから28年、年齢も46歳と円熟している。いい演奏が聴けるステージになるだろうなあ。諏訪内さんを呼べるようになった広響の進歩に喝采です。


★★★人に言わせると、前田智徳をも上回る逸物と。カープ3連覇への寄与もさることながら、『神ってる』『最高で~す!』など流行語も生んだ『鈴木誠也』。誠也誕生までの、逸話を紹介する。その 

1989年、夏の高校野球大会。熊本工業高校には、この年の県大会で実に6割を超える高打率をマークしていた4番打者『前田智徳』。初戦の日大三島高校戦は、その前田の先制タイムリーを含む2安打3打点の活躍もあって、13-4で熊本工業が圧勝した。ところが、にわかに信じられない伝説が生まれたのは、その試合で凡打に倒れた後の前田の行動だった。

悔しさのあまりベンチに座り込んだ前田が、チェンジになってもセンターの守備につかなかったのである。ベンチに座り込んだ前田を、周囲のみんなでなだめすかし、ようやくセンターの守備につかせた。これが前田智徳という男である。のちに数々の伝説を生むことになる彼の打撃に対する執念は、フツーの人の常識をはるかに超えていた。


それから四半世紀を超えた月日が過ぎた。驚くことに、目の前に、あの前田に勝るとも劣らない打者が現れたのである。とてつもない才能を持ったと思われる選手の名は、2012年にドラフト2位でカープに入った『鈴木誠也』である。彼の名がそぞろ騙られ始めたのは、奇しくも、あの前田がカープのユニフォームを脱いだ翌年のことである。

誠也は2016年に『神ってる男』と呼ばれた。当時まだ21歳だった若者に対し、恐れ多くも『神』の名が使われたのは驚きだった。彼はある意味で、前田より早く華やかな脚光を浴びることになった。

その誠也が、本格的に野球を始めたのは、小学校2年の時。父・宗人さんが監督を務める東京・荒川リトルに入ってからのことである。その宗人さんの話。『誠也にはショートを守らせていた。あるときノックをした球が外野に抜けてしまったが、誠也はその球を外野手よりも早く取りに行った。あの子には1球に対する執着心のようなものがある』。大成する者は、子供の時からそういう雰囲気を持っている。『香木は、発芽の時から香気を放つ』。鈴木誠也は、ひょっとしたら長嶋茂雄、榎本喜八、張本勲、前田智徳、イチロー・・・・・。その系譜に名を連ねるような打者なのではないだろうか。

前田が惜しまれて、現役を引退した2013年のことだった。初めてカープのユニフォームを着た誠也が、テレビのインタビューを受けた。その時、ポロリとこぼした彼の言葉がある。彼は、子供のような木訥とした話し方でこう言った。『いつも打てるための工夫をしている。そのため時々バットを抱いて寝ることもある。もうバットは自分の体の一部になっているので、バットと仲良くしなければいけないので・・・・・』。その言葉は、まさにソクラテスかプラトン並の金言だった。『この選手はタダモノではない』と、視聴者は感じた。(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)


★<不正融資はスルガだけかな>第二次世界大戦直後、彗星のように登場したフランスの天才画家『ベルナール・ビュフェ』。力強い描線で、『風景』を捉えた画風が人気。このフュフェに魅せられた日本人がいた。そして私財を投げ打って、ビュフェの作品を買い集め、静岡県長泉町に『ベルナール・ビュフェ美術館』を造ってしまった。この人物こそ、話題の『スルガ銀行』の3代目頭取(1964~81)を努めた『岡野喜一郎』である。

スルガ銀行は数少なくなった『同族経営』の金融機関である。喜一郎の息子、『岡野光喜』は創立90周年の1985年、新本店落成を機に『岡野家本家の御曹司』として、40歳の若さで5代目頭取に就任した。彼もまたユニークだった。スルガ銀行は、東に横浜銀行、西に静岡銀行という巨大地銀に挟まれている。当時は『法人貸付』が」主流の時代だったが、生き残るために、個人融資に特化するというビジネスモデルに転換した。『コンシェルジュバンク』と命名し、結婚資金、子供の入学資金、マイホームの建築資金・・・・、『何でも手配する銀行』を目指した。それが地域の支持を得、高収益を上げていることも合わせて、金融庁長官まで高く評価した。


スルガ銀行の不正融資は1兆円規模に上るとされる。『金融庁のドン』までが評価したビジネスモデルがなぜ破綻したのか。はっきり言って、原因は日本銀行にある。異次元金融緩和とやらで、長いことマイナス金利。金融機関は『マトモな金利』では稼げない。業績を伸ばすなんて至難の技。仕方なく、ヤミ金並の高利に設定した『銀行ローン』ビジネスに走る。多重債務で自殺者が出ていると言うのに・・・・。

某信用金庫の社員は『今年の暮れ、年末はめっぽう忙しくなる』と話す。カネを借りている中小企業が『返済のために』新たな融資を要求してくる。今年の年末は『借り換え』倍増の気配だ。しかし、このスルガ銀行騒動以来、地方銀行の中には『リスケ=リスケジュール=借金の繰り延べ』に追うぜず、借金返済を迫っているところもある。そうなれば倒産ラッシュ?『スルガ銀行の罪』と言うより、『日本銀行の罪』ではなかろうか。(参考:牧太郎筆『青い空 白い雲』)


★<バッハ『無伴奏』探求続く、前橋汀子>私鉄沿線の改札口で人を待っていたある日の夕方、電車からはき出されて来る人の波を見てふと思ったことがある。『この中にクラッシックコンサートに足を運んだことのある人が何人いるのだろう』。一人でも多くの方に生の演奏を聴いて欲しい。休日の午後、低料金で聴いていただく『アフタヌーン・コンサート』を2005年から始めた背景にはそんな思いがあった。

もっと親しみやすいクラッシック公演が出来ないかと考えた私は、13年から東武鉄道の協力を得て『デイライト・コンサート』も、東京・池袋の東京芸術劇場で始めた。平日の午前11時半から1時間、料金は2,500円。これならランチや買い物の前にちょっと足を運んでもらえるのではないか。こうしたコンサートに加え、ベートーベンの弦楽四重奏を弾く『前橋汀子カルテット』が現在の活動の柱になっている。

好きな作曲家はたくさんいるが、最後はベートーベンとバッハに行き着いた。近年、私はバッハの『無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ』に再び挑戦している。ソナタ3曲とパルティータ3曲の計6曲を通して演奏すると休憩をはさんで3時間かかる。1人で弾くこの曲はバイオリニストにとってバイブルのような作品で、バイオリンのあらゆる技巧が網羅されている。どこまでも探究したくなる曲だ。


最初の挑戦は、1988年に録音したアルバム『無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集』。これは89年度の文化庁芸術作品賞をいただいた。あれから30年。私も年齢を重ね、同じ曲を弾いても当時とはテンポや間の撮り方などはかなり違う。音符には書かれていない行間の部分に深遠な背景があるということだ。このバッハの無伴奏は演奏家のその時のすべてが表れる作品なのだ。私は14~15年に国内各地で全曲演奏会を開いた。来年も夏以降に東京、大阪、横浜で全曲演奏会に挑むことが決まっている。この公演をバッハの集大成にしたいと思う。

これまで私はシゲティを初め国内外の多くの巨匠達から教えを受けてきた。彼らから学んだこと、さらに自分の様々な体験を通して私なりの演奏スタイルを作り上げてきた。だから何らかの形でそれを若い人達に伝える機会を持てたらいい。そんな思いが強くなっている。

この『私の履歴書』の連載を通じて、自分がどれだけ多くの人に支えられ、健康にも恵まれて今日があるのか、改めて痛感した。色々なことを思い出しながらの毎日で、とても楽しく過ごせた1ヵ月になりました。心から感謝しています。

今は心身共に充実しているが、自分に残された時間には限りがある。これが最後になるかもしれないとの思いで一回一回のステージに全力を尽くし、一日でも長くソリストとして現役を続けていきたい。(参考:『私の履歴書』)


★<女性風呂に乱入したNHK佐賀放送局長のセクハラ、パワハラ余罪>NHK佐賀放送局の湧川高史局長(59)に『職員の服務規定に反する不適切な行為』があったとして、局長職を解任し、出勤停止14日間の懲戒処分にしたと発表したNHK。湧川は籾井勝人前会長の在任時に秘書室長を務めた幹部だが、一体、何があったのか。関係者によれば、解任理由は湧川の信じがたい、セクハラだという。

『佐賀放送局のスタッフらと、会合で出かけ、その打ちあげで、宴席があった。それが終わって、みんなが部屋に戻った。その後、女性スタッフたちが温泉に入っていた時、そこに泥酔して足どりもふらふらした湧川氏が入ってきたのです。温泉に悲鳴が響き、パニックになったそうです』(NHK関係者)。女性スタッフたちが訴え、とんでもない局長の行状をさすがに看過できないと、処分となったという。

だが、別のNHK関係者が余罪はまだあると訴える。『セクハラは有名で、権力を振りかざすパワハラもすごい。広島局時代に、酔っ払って女性アナウンサーに男はいるのか? どんなセックスがいいんだと絡んで彼女を泣かせるほどだった。いずれ、セクハラで刺されると思っていた。今回、処分を聞いた時も、どのセクハラなんだというほど、すさまじいものだった』と。

東大出身で、NHKに入り、経済系の記者で、花形の財務省担当の『財研』キャップも経験している湧川。籾井会長時代には、秘書室長となり、国会答弁で立ち往生する籾井氏に背後から紙を渡し回答の指示役をしていた。『二人羽織』と失笑を買ったが、黒子役に徹した。その後、籾井会長がゴルフ場に行くために、NHKの車を使っていた問題が浮上して、失脚。佐賀放送局長となっていた。


『とにかく酒が好きで、とことん酔っ払うまで飲む。飲みに行っても、局長と呼ばせて殿様気分を味わっていた。局長と呼ばないと、真っ赤な顔で怒鳴りたてる。女好きで入ったばかりの事務方の若い女性スタッフに執拗にLINE交換を迫り、2人で夜を楽しもうなどのセクハラメッセージを何度も送信。佐賀では、本当に秘書室長までやった人ですか?と呆れられていた。いずれ何かやらかすと思っていたら、この有り様。いま、詳細な調査が進められていますが、すごい数のセクハラの訴えが出てくると思いますよ』(前出のNHK関係者)。
NHK広報は取材に対し、言葉を濁し、こう答えるのみだった。『湧川局長がどういうことをしたかという具体的なことに関しては、申し上げておりません。関係者のプライバシーに関することで、お答えは控えさせていただいております。本人に不適切な行動があり、局長としてふさわしくないと判断しております。余罪については具体的なことについてはお答えしていません。何度も同じ答えになってしまいますが、すみません』。(参考:AERA電子版)

しっかりしておくれ、NHK理事・理事長殿。公共放送なんだろう。公序良俗違反の職員は排除すべきだ。手ぬるい。


★<ANA機長は飲酒退職>全日本空輸グループのANAウイングス所属の40代男性機長が10月、乗務前日に飲酒して体調不良で搭乗できなくなり、遅延が発生した問題で、全日空が機長を今月6日付で諭旨退職処分にした。

全日空グループでは乗務12時間前以降の飲酒を禁じているが、機長はその時間を超えて飲酒していたという。全日空によると、機長は10月24日夜、沖縄県石垣市内の飲食店でビールやハイボールなどを飲んだ。25日朝、体調不良で乗務できないと所属部署に連絡。この影響で県内を運航する5便で遅れが発生した。 

最近どこかの副機長も酒飲み、よっぱらいで処分されたなあ。それほど酒好きが多いのかな、パイロットには。人命を預かる職業にしては、不思議だ。

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