今日の画像は、びっくり仰天の金融商品取引法違反容疑で逮捕された日産の『カルロス・ゴーン会長』と『鈴木誠也』。そして『ヒナギキョウ』『ストケシア』です。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
不祥事続きの日産、一体この会社のコンプライアンスはどうなっているのかねえ。全く、日産の常識は世界の非常識と言えるのだろう。しかも、事件の発覚は内部告発と言うから、事件を見逃していた関係部署の役職者はみんな降格だね。
『ヒナギキョウ』とは、ちょっとシベの形が違うかな、と疑わしいのですが、図鑑を隅から隅まで調べましたが、完全マッチがありませんでした。どなたか正確な名前を知っておられたら、カキコしてくださいませ。よろしくお願いします。
★★★『バットを人一倍振っておかないと、プロにはついていけない』。誠也は、毎晩、誰よりも遅くまで大野練習場に残って素振りを続けた。プロ初キャンプに向け、不安を少しでも解消しておくためである。『新人ながら根性のありそうな選手がいる』。そういう小さな情報が、巡り巡って首脳陣の耳に入る。
2013年2月1日。プロ初のキャンプは、日南市の2軍の東光寺球場だった。その翌日、2日のことだった。その時たまたまインフルエンザで離脱した新外国人ルイスに代わって、午前中限定ながら、誠也が新人1番乗りで1軍の天福球場に呼ばれた。
『どんな選手なのだろうか』。野村監督、新井打撃コーチをはじめ首脳陣が見守った。そんな張り詰めた空気の中で誠也がフリー打席に入る。『軸をぶらさないよう、右方向へ強い打球を飛ばそう』。その時誠也は、並の打者の並の心構えではなかった。しっかりと自分をアピールしておかないと、その先はない。誠也は、右方向へ安打性の当たりを連発した。おそらくこの時多くの人がこう思った。『この選手は必ず出てくる』。
多くの選手の中に、キラリと光選手がいる。しかし、今は原石。磨かなければ光らない。こうして誠也のプロ野球人生は、まだ誰も予測していない未来に向かって静かにスタートを切った。
プロに入ってわずかに3ヵ月。早くも地元スポーツ誌のインタビューにこう答えている。『1軍の投手が投げる球は高校生とは全然違う、というのが実感だ。1軍の練習に参加させてもらって、また1軍で練習したいと強く思うようになった』。
3月6日、社会人とカープ若手の連取試合。彼はスタメンに起用され、第1打席で2塁打を放った。さらに7日の教育リーグ・ソフトバンク戦でもヒットを放つ。それについては、『いや、たまたまだ。内田(2軍)監督からは、どんどん振って行けと言われている。振らないで三振するよりも、振った方がいいから』。
このインタビューで最後に語られた言葉がある。『僕と同じくプロに入ってから野手になった堂林さんを目標にして、将来は一緒に三遊間を守りたいと思っている』。この言葉は妙に印象に残る。その時目標にされた堂林は、今誠也を目標にしているのだから。それはプロ野球選手の、いやあまねく人間の浮き沈みの妙を表している。(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)
★<誠也背番号『1』に>広島は19日、来季の背番号を発表した。鈴木誠也外野手(24)は背番号「51」から前田智徳以来、6年ぶりに伝統の背番号『1』を継承する。鈴木は『うれしいです。カープのなかでは伝統のある数字だと思います』と意気込んだ。
赤ヘルの背番号『1』は前田(1994-2013年)、古葉竹識(1959-69年)、大下剛史(1975-78年)、山崎隆造氏(1983-99年)らそうそうたる顔ぶれ。鈴木球団本部長は『重みのある番号。背負えるのは誠也しかいない』と期待を込めた。
また、今年取得した国内フリーエージェント権を行使せず、残留を決めた松山竜平外野手(33)は背番号『44』から『55』、曽根海成内野手(23)は『59』から『00』に変更することも発表された。
いいねえ、誠也の『1』。バッターボックスで映えるなあ。来季の誠也がとても楽しみだ、ね。
★松田耕平追想◆ 悒ーナーの遺訓―浜口哲夫』
カープの立派なるリーグ3連覇。巨人以外成し遂げていないこの記録を一番喜んでおられるのは、天上の『松田耕平前オーナー』ではなかろうか。各界から寄せられたオーナー追想の記から、故人の在りし日を偲びたい。
◇広島東洋カープの球団事務所のオーナー室。オーナーのデスクの背後に書が掲げられている。15年間、私がこの部屋にうかがう度に見つめた書である。
わらわれて わらわれて えらくなるのだよ
しかられて しかられて かしこくなるのだよ
たたかれて たたかれて つよくなるのだよ
よのなかの えらいと いわれたひとが
みんな いちどはとうた みちなんだよ
失礼ながら作者や由緒については存じ上げない。オーナーから詳しい説明を聞いたこともない。最初の一度だけ、『気に入った?ええじゃろう。あんたも頑張りんさい』。オーナーが声をかけてくださった。それ以来、私は、勝手ながら、この書はオーナーの激励だと思うようになった。そして今は、オーナーの遺訓だと思っている。
15年前、スポーツ局に転籍して間もない私は、上司に随行して広島球団へ着任の挨拶にうかがい、初めて松田耕平オーナーにお目にかかった。かっぷくがよく、色白のお顔と銀髪に、紺の背広、ブルーのワイシャツ、えんじ色のネクタイがマッチして『かっこいい!』、貫禄というか存在感というか、若輩の私は圧倒されてほとんどお話しも出来なかったが、その帰りがけ、前出の書に見入っている私に声をかけてくださった。それがとてもうれしくて、私は父に対するような親近感を覚えたのである。
球団にうかがう度にオーナー室でお話しを聞く。仕事の話から始まるが話題はどこに飛ぶかわからない。色々なことをよくご存じで、テレビもテレビ屋の私が驚くほどよくご覧になっておられる。そして、飾らない軽妙な話ぶりで聞く者の緊張をほぐしてくださる。大声でお笑いになる。私もいつのまにか引き込まれて、聞くだけではなく恐る恐る会話をさせていただくようになり、それと共に、私はますますオーナーに親しみを感じ、オーナーにお会いするのが楽しみになった。そして1年もたった頃私はすっかりオーナーのファンになっていた。
15年間、色々教えていただいた。ずいぶんと笑わせていただいた。良いことばかりではなく、時には仕事上のミスでお叱りを受けたり、無理なお願いをしなければならなかったり、厳しい状況でオーナーに向き合うことも多かったが、叱る時も、クレームをおっしゃる時も、私には穏やかに諭すように話してくださり、最後には『あんたも大変じゃねぇ』と救ってくださる。嫌な思いをさせられたことは一度もなかった。
多分オーナーは、人を引き付け人を育てる達人であったと思う。それがまたオーナーの大きなエネルギーになっていたのではないか。人と出会い、人を育て、育った人と心を合わせ力を合わせる、『協力りく力』を実践されて大きな力を生み、その力で広島東洋カープの経営をはじめ、多くの事業に活躍され実績を残されたのだと思う。
私の脳裏には、オーナーの表情や姿がたくさん張り付けられたアルバムがある。愛犬やカメラのことを話される時の嬉しそうな笑顔。仕事の話の時の柔和な表情の奥の厳しい目。キャンプ地での」野球帽とグランドコートの姿。湯布院では奥様とのほのぼののツーショット。ご子息と語り合われる父親の顔。どのオーナーもかっこよくて、懐かしい。天上に還られたオーナーには親しくお目にかかれなくなったが、私のオーナーへの敬愛の念が薄れることはない。松田耕平オーナー、ありがとうございました。ご遺訓を忘れず、わらわれても、しかられても、たたかれても、めげずに精進いたします。天上でご安息をお祈りしております。(浜口哲夫 フジテレビ・スポーツ局長(当時))
★<年収7,000万円を捨てた元金融マンが『トマト作り』でアジアを魅了するまで>
◇地元で完売する『おいしいトマト』農業法人の意外な生い立ちとは
山梨県北杜市、南アルプスの麓に栽培面積3ヘクタールもの広大なトマト農園がある。温度、湿度、日射しなどによって自動的に天窓やカーテンが制御され、最適な栽培環境を生み出す大規模なグリーンハウスの中で、おいしいトマトがすくすくと育つ。『農業の新しいカタチを創る』という志の下、農業法人『サラダボウル』を立ち上げた社長の田中進さん(46)が自信を持ってつくり上げたグループ会社『アグリビジョン』の農園だ。
『サラダボウル』は露地物野菜など年間約30品目を栽培するサラダボウルを中心として、傘下にアグリビジョン、兵庫ネクストファーム(兵庫県)、アグリサイト(山梨県)、いわて銀河農園(岩手県)、東北アグリヒト(宮城県)という5社の子会社を持つ。サラダボウル以外は全てトマトに特化した大規模なハウス栽培で、アグリサイト、いわて銀河農園、東北アグリヒトは現在、稼働に向けて準備中だ。主力商品は『天然水トマト』を筆頭に、『スプラッシュ』という糖度の高いミニトマト、グルタミン酸とリコピンを豊富に含み料理に合う『ごちそうトマト』などを栽培、スーパーや一部外食産業に供給している。
『現在、4品種を扱い、生産したトマトは全て完売する人気になっています。リピートしてくれる消費者も多いですね。単価は決して高いわけではなく、お客様が買い続けたいものをつくるために生産・品質管理に力を入れています』と、田中さんは語る。国内売上げが現在12億円ほどだが、準備中の3社が稼働すると、来年度には25億円ほどに達する見込みだ。
田中さんは国内で培ってきた生産・管理技術と経営手法を活かして、2016年からベトナムのラムドン省ダラット高原にグリーンハウスを建設し、花卉カキや野菜の栽培を開始した。日本の農業をアジアから世界に広げる第一歩だ。ダラットはベトナム中南部に位置し、高原のため年間を通じて涼しく、避暑地として開発されて、現在は観光地になりつつある。栽培面積は7ヘクタールで、カーネーションやキク科のスプレーマムを栽培してきたが、野菜類もつくり始めた。
『働き方の文化が違うので、日本のようにはスムーズにいきませんが、少しずつ慣れてきました。日本流を押しつけてもいけないし、現地流を認めすぎてもいけない。ベストミックスで、新しい文化をつくらなければなりません。経済発展で、これからベトナムでも日本品質の野菜が求められるはずなので、数年後は楽しみです』と語る。進出に当たって、食品を扱っているパン(PAN)グループと合弁を組み、『パン・サラダボウル社』を設立した。2018年5月にパングループと半々で11億2000万円の増資を行った。日本側の株式保有比率が49%で、パン社にマジョリティを持たせている。
時間をかけ、人材育成を含めて農業のインフラ整備が必要になるので、パートナー企業との連携は不可欠だ。将来的には栽培面積を200~300ヘクタールに拡大する予定だ。これだけの規模になると、ベトナムの農業にとっても重要なプレーヤーになるはずだ。
◇実家の農業が恥ずかしくて上京してサラリーマンに
田中さんの出身地はサラダボウルが本社を置く山梨県中央市だ。両親は農業を営んでいた。『小さい頃は、家が農家なのが恥ずかしかった。小学校の授業参観では母が軽トラに乗って畑からやってきました。友達を前に恥ずかしくて仕方ありませんでした。高校に行っても親の職業については話したくなかった。早くこの田舎を脱出して、東京でサラリーマンになることが夢でした。両親も「農業なんてする時代じゃない。役場にでも勤めた方がいい」と言っていましたし、農業が仕事だなんて考えもしませんでした』と。その考え通り、横浜国立大学に進学し、東海銀行に就職した。金融の仕事を通じて、田中は企業や社会について学び、企業経営や産業に関する考え方が少しずつ変化した。
『斜陽産業の中でもキラリと光る会社があれば、時代の流れのIT業界でも倒産する会社がある。経営者の情熱と手腕で結果が変わることを知ったのです』。その後、経営をより深く知りたいとプルデンシャル生命保険に転職し、経営者の悩みを聞き、アドバイスすることに徹した。その結果、保険契約数が増え、年収は7000万円にも達した。一方で経営者との付き合いが深まるにつれて、ますます農業への思いが募っていった。『農業が儲からないのは経営が不在だったからだ。規制で守られ、普通の産業としてやるべきことをやってこなかったからだと気づきました。自動車部品の小さな下請け工場でも5S活動や改善をやり続けている。同じことを農業現場で実践したら、どんな結果が出るだろうかと考えると、いても立ってもいられなくなりました』と語る。
◇年収7000万円を捨てて農業へ飛び込んだものの……
2004年、保険会社を辞職して、たった1人で農業法人としてサラダボウルを設立した。新たに社員を2名採用し、自己資金でスタートを切った。『7,000万円を捨てるのは大きな決断だったねと言われるのですが、そんなことは全然思っていませんでした。たとえれば、小学生の男の子がどうしてもサッカー選手になりたくて勝手にクラブチームに入ってしまったようなものでした』。実家とは関係なく、耕作放棄地を開墾して畑にすることから始まった。当初は失敗ばかり。雑草ばかりで生え、まともな野菜が収穫できなかった。人手が足りず、どれほど働いても成果が上がらなかった。従業員を採用してもすぐに辞めていく。
悩んだ田中さんは拡大路線を止め、人材育成と5S活動に取り組んだ。マニュアルも整備し、栽培品目ごとに作業を整理、改善を繰り返した。その結果、無駄な作業が減って生産効率が上がった。計画的に生産・納品するための生産管理を徹底し、従業員間で情報を共有した。こうして作物の品質も向上し、販売ルートも安定した。現在、サラダボウルは山梨県中心に展開するスーパーのオギノと、会員制宅配サービスのらでぃっしゅぼーやが主な取引先だ。創業時から黒字経営が続いている。
農業経営を担う人材育成も田中さんの目標の1つで、オンラインアグリビジネススクールをサラダボウルで展開している。本業が急拡大しているため、現在は主に社内人材の育成に力を入れ、外部向けは協力会社と提携してコンテンツを提供している。毎年7人ほど新卒採用しているが、大卒や大学院卒ばかりで、中には京都大学大学院卒業者もいる。新入社員たちが農業の新しいカタチをつくりたいという田中の信念に共感しているのはもちろんだが、待遇面も一般の企業並みで、トマト農園は週休2日制でボーナス4ヵ月分支給、管理職には家族を養える額の収入がある。
◇トマトに特化した戦略経営ベトナムへの進出を決めた理由
サラダボウルで農業経営の土台を築いた田中は、トマトに特化した戦略経営を展開する。その第1号がアグリビジョンだ。以降、各地域への展開はそれぞれの地元に求められて広げてきた。『栽培環境のいい場所とか、我々にとって都合のいい場所という観点はまったくありません。農業は地域に根ざした産業で、地域に期待され、請われる場所に進出してきました。農業で幸せに生きることが重要で、働き手も自信と誇りを持って働き、つくり出されたものが喜ばれる。これは地域づくりそのものです。農業はそれほど可能性のある仕事です』。いわて銀河農園では、岩手県大船渡市の市長以下市役所と岩手県が『岩手の次の時代を担う人材を育てたい』とサラダボウルに要請があり、県内の生産法人と合弁で設立した。既存の農業関係者の活性化にも役立つ。
実際に地域経済への影響も大きく、アグリビジョンではパートを含めた従業員の雇用はもちろん、地元金融機関、包装資材、段ボール、物流会社などに収入をもたらしている。トマトの出荷のために運送会社では新規にトラックを2台買ったほどだ。『農業は地域経済のハブになれる』という田中さんの言葉にも納得する。こうした農業の可能性を海外にも広げようと考えたのが海外進出のきっかけだ。狙いとしては、『日本の農業を守る』『日本の農業をアジアから広める』という2つがあった。海外で人材を育成し、人手不足が明らかな日本の農業現場に入ってもらって、多様な働き方を確保する。さらに日本で学んだ人材が母国に戻り、そこで農業を発展させる。結果として日本品質の農業が世界に広がる。
2013年頃から場所探しが始まり、田中さんがその中でベトナムを選んだのは以下のような理由だった。日照時間が長く、暑すぎず寒すぎない地域であること。同時に親日的で、勤勉な国民であること。加えて、味覚が日本と似ていることなどを勘案した。農業は地域に根ざした産業であるため、現地のパートナー企業との合弁は必須で、田中は何度もベトナムに通い、パングループのオーナーと出会った。フン会長は証券会社で成功したベトナムで指折りの資産家だという。気候、風土、文化、労働意識が違い、なおかつ設備資材なども手に入りにくく、立ち上げには苦労したが、2016年から栽培を始めることができた。
『頼んだ肥料がいつになっても届かないので、取引先に文句を言うと、発注もされていなかったりとか、現地スタッフは「やるやる」と言うわりにはやらないんですね(笑)。苦労もしますが、現在のベトナムの野菜は品質も悪いし、収量も少ない。現在、日本にいるベトナム人が日本品質に触れて母国に帰ると色々な基準が変わるでしょう。経済も発展し、日本品質の野菜が求められるはずです』。
◇やっと気がついた自分のDNAの中には農業がある
かつて、農業が恥ずかしかった田中が、最も農業の可能性を信じる1人になった。いざ、農業に携わってみると、自分のDNAの中に両親が畑で働く姿が埋め込まれていたことに気づいた。『農業は食料供給から社会的課題を解決する手段になります。高齢化、福祉介護、健康、人手不足、食のあり方から心の問題まで農業が真正面から向き合える産業になる。私たちがそんな価値を創り出す一助になれればと思っています』。
サラダボウルグループは3つのトマト農園が稼働すると従業員700人の大所帯になる。さらに新たな3ヵ所も計画中だ。田中の思いは確実に日本で広がり、いま海を渡ろうとしている。
こんな話が出て来る時代になった。農業は確実に変わりつつある。その大きな要因は、かつての農業を支えていた人達が老齢化し、しかも農業中心地では若者の流出で地域は人口減にさらされている。もう農業改革は待ったなしになった。そしてITの進化がある。センサーや統計処理、記録、出荷などの手間暇を一気に解決してくれる魔法のIT手法なりだ。
今まで、農地取得に厳しい姿勢を出していた各地の農業委員会も、政府も本腰を入れ、改革にとりくんでいる。今、中国地方の山間部では、自宅菜園程度の小規模な土地でも個人で所有可能になった。企業が農地を持つ道も広くなった。とにかく、田舎の農業を主体とした自治体は人口減、放棄地増大で『消滅』の崖っぷちに立たされているのだ。山田さんのような新進気鋭の人達が農業に参入し、まさに『儲かる農業』を確立してもらいたい。そのことが、若者たちが農業への参入の大きなインパクトになるはずだから。
★<中国の5つ星ホテルの仰天実態>トイレふいた布で食器まで 中国五つ星ホテルの実態暴露
世界的な五つ星ホテルの清掃員は、客が使ったタオルでコップもトイレも拭いていた――。中国の著名なネットユーザーが高級ホテルの清掃の実態を動画付きでSNS上に暴き、衝撃が広がっている。ホテル側は事実関係をおおむね認めて謝罪し、衛生当局も検査に乗り出した。問題の動画は144日夜、中国版ツイッター微博に「コップの秘密」と題して投稿された。
投稿主は、かつて政府高官が身につけている高級腕時計の値段を暴き、反腐敗運動の一助になったことで知られるネットユーザーだった。投稿主は、自らがこの1年に宿泊した14の高級ホテルで、国の基準を無視した不衛生でずさんな清掃が行われていたと指摘。清掃員が客の使ったタオルで風呂やトイレを掃除し、客室のコップまで拭いている様子などを撮影した動画を投稿した。名指しされたホテルは、シャングリラやシェラトン、コンラッド、リッツ・カールトン、フォーシーズンズなど国際的な五つ星高級ホテルばかりだった。
まあ、中国ではありうる話ではなるなあ。が、これらのホテルは対応がまた大変だねえ。ご苦労様だ。
★<ファーレン長崎・高田社長声明>J1『ファーレン長崎』は、J1を一期で降格になった。今一歩がたくさんあったが、悔しさと挽回のメッセージを高田社長が寄せた。
田社長は冒頭で『本日、11月17日に開催された2018明治安田生命J2リーグ最終節の結果により、V・ファーレン長崎は、J2降格が決定しましたことをご報告します』と記し、『初めてのJ1の舞台となった今年、多くのファン、県民、関係者の皆さまに応援をいただいた中でのJ2降格に、悔しい思いでいっぱいです』と率直な気持ちを述べた。
『今季のこれまでを振り返れば、「あそこで!」といった思いは多々あります』と悔しさを滲ませ、『タラレバにはなりますが、それがJ1の厳しさであるとも感じています。今季はこれまで、たくさんの方々から叱咤も激励もいただきました』と振り返り、『今季のJ1でのあらゆる経験、価値は限りなく大きなものです。これを生かすのはチームの使命」と1年で得た経験を生かしていくことがチームの進むべき道だ』と続けた。
そのうえで『V・ファーレン長崎が、長崎で、日本で、アジアで、世界で躍動するために、ファンの皆さんのお力とともに、新たなスタートを切ります』と決意表明。『まだまだ、長い道のりです。しかし、今回の涙を笑顔に変えられるよう頑張ります。そして、頑張りましょう。2018明治安田生命J1リーグ残り2試合。V・ファーレン長崎は最後まで全力で戦います。皆さんのさらなる応援をよろしくお願いします。サッカーには夢がある」と、試合が終わる最後の1秒まで、声援を』と呼びかけた。
いいメッセージだねえ。松井広島市長も、これくらいサンフレの将来を期待する、そして元気づけるメッセージを発信してもらいたいものだ。単に、市の行政を卒なくこなすことが市長の役割ではない。福岡市長を見てみろ、常に福岡市を前進させようとする姿勢が市民にはっきり伝わっている。見習うべし、だな、松井君は。
ただ、長崎を6年間率いて来た『高木琢也監督』は、責任を取る形で、契約満了で退任する。おしかった、高木監督ではある。あの、大分をJ1に引き上げた、片野坂監督と、同じ時期にサンフレで躍動してくれた。これからの活躍を祈りたい。
★<日産ゴーン会長逮捕される>大激震だねえ、日産、ルノー、三菱自動車にとっては。カルロス・ゴーン会長が逮捕されたと。東京地検特捜部は昨日夕刻、金融商品取引法違反容疑=有価証券報告書の虚偽容疑、でゴーン会長を任意同行。事情聴取後、逮捕した。また特捜部は、日産本社など関係先に家宅捜査に入った。
日産自動車は19日、仏ルノー・日産自動車・三菱自動車の会長を兼務するカルロス・ゴーン(64)について、日産の会長と代表取締役の解職を取締役会に提案すると発表した。金融商品取引法違反の疑いで東京地検特捜部が事情聴取を始めたことを受けて発表した。
ゴーン容疑者は自らの報酬を約50億円少なく申告していた。特捜部によると、ゴーン容疑者と共に2人は共謀のうえ、2011年3月期~15年3月期までの5年度分の有価証券報告書に、実際は計約99億9,800万円だったゴーン容疑者の報酬を、計約49億8,700万円と過少に記載し、関東財務局長に提出した疑いがあるという。
声明では、内部通報を受け、同社は内部通報を受け、数カ月間かけてゴーン容疑者の不正を調査。長年にわたり、ゴーン容疑者の役員報酬について、実際よりも減額した金額を有価証券報告書に記載していたことが判明した。さらに同社の資金を私的に支出するなど、複数の重大な不正行為もあったとした。日産は『不正行為について、数カ月にわたり内部調査を行ってきた』と説明。『内部調査によって判明した重大な不正行為は、明らかに取締役としての善管注意義務に違反するものである』と指摘した。日産は『これまで検察当局に情報を提供するとともに、当局の捜査に全面的に協力してきた。今後も協力していく』としている。
発表によると、不正行為の対象はゴーン会長とグレッグ・ケリー代表取締役としている。ケリー代表取締役はゴーン容疑者の不正に深く関与しているとして、日産は解職を提案するとしている。
関係者によると、ゴーン容疑者に対する捜査をめぐっては、捜査に協力する見返りに刑事処分を軽減する司法取引制度が適用された。同社の社員がゴーン容疑者の不正について捜査に協力したとみられる。同制度は今年6月に始まり、適用は2例目になるとみられる。