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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『カープを蘇らせた男―松田元⑯ 常に最悪を想定し、健全経営に取り組む』

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今日の画像は、金色色にライトアップされた金沢『兼六園』と、宮島『獅子岩展望台』のスナップです。観光客はもう8割以上が外国人、って感じですねえ。すごいです。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★いよいよ『2019プロ野球ペナントレース』が始まる。我が『広島東洋カープ』は、リーグ4連覇の偉業がなせるか。この強力軍団を作り上げた要はやっぱり『オーナー松田元』だろう。これほどの強力なカープを育てた、様々なエピソードを綴る。

大瀬良は、フリー打撃で打者4人に37球投げ、安打性はわずか3本に抑えた。長野には3球続けてファウルさすなど、9球で安打性ゼロと完璧な『長野斬り』を披露した。仕上がりがいいねえ、大瀬良君。今季も期待大であるなあ。


★★★カープは創成期からしばらくの間、赤字と黒字を重ねながら、綱渡りのような経営を続けていた。しかし、1975年のリーグ初優勝以降、今日まで赤字を計上したことがない。この点について松田元オーナはこう言う。『どんな時でも、楽観的に見たことはない。いつも悲観的に見ているから、疲れる。本当にいつも最悪の状態を想定しているから、何か起きた時に慌てることがない』。こういう姿勢で運営されることを、世の中では『健全経営』と呼んでいる。

実は、2004年危機の時に、カープのピンチに拍車をかけたのはテレビ放映権料が、毎年、億円単位で減少していった。松田元オーナーは、こう言う。『コスト不要の安定収入が毎年減っていった。当時は危機感しかなかった』。この危機を乗り越えるため必死で取り組んだのが、ゝ緇譴瞭貅圓鯀笋垢海函↓▲罐法璽なグッズ開発による売上増だった。

その結果、売上全体の10%程度に落ち込んだテレビ放映権料に代わって、入場料収入とグッズ収入が、カープを支える2本柱になった。そして17年の決算数字は以下のようであった。
  売上高  188億円=過去最高  当期利益  12.9億円
  1975年から43年間黒字を計上
  主催試合の観客動員数 217万人超  
  グッズ収入  54億円超


おそらく今春に発表される2018年決算は、球団初のリーグ3連覇もあり、これらすべての数字を更新するのではないかと思われる。(参考:迫勝則著『カープを蘇らせた男』)


2004年の事だったか。私はそれまで勤めていた大企業を早期退職し、市内の求人誌発行会社に再就職した。その時、カープはどん底の雰囲気で、試合にも負け、動員数も底であったのだろう。あの真っ赤なリリーフカーのスポンサーだった薬局チェーン店が下りたのだ。年間確か600万円の宣伝料金だった。その後釜に、私が勤めていた会社に、どうか、と打診があった。社長は乗り気で、費用も400万円に抑え、合意した。ところが、この会社の商品は黄色でラッピングされている。赤のリリーフカーの色を黄色に変えてくれるよう、代理店を通じて申し入れた。

難しい時代で、球団内部も厳しい雰囲気が漂っていたのであろう。カープの窓口責任者が、オーナーに赤から黄色に変えることの決裁をしぶった。言いにくいのであろう。そこで、代理店の副社長が、直にオーナーに談判、OKが出た。松田元オーナーも、世が世なら、リリーフカーを赤から黄色に還るなんて却下のはず。が、状況が厳しかったんだねえ、了解を取り付けた。こんなやり取りがあった2004年頃の、どん底のカープを思い出した。


★★<マツダのブランド戦略>広島の自動車メーカー、マツダのデザイン部門リーダー『前田育男さん』。マツダブランドのデザインポリシーについて一般ユーザーにいくつかのプロトタイプを見てもらい、意見をヒアリングして商品に反映させるという過程に強い不満を抱いていた。前田さんは『市場調査の廃止』を決断、こう述べている。

『数年後に発売されるモデルに何が求められるのか、はたして一般ユーザーに分かるのだろうか。そもそもユーザーの言う通りにデザインや中身を変更すると言うことは、メーカー側の意思やポリシーはゼロと言うことにならないか。そんな受動的な姿勢でいる限り、マツダ独自のブランド価値はいつまで経っても確立出来ないと思っていた。

マーケティングに携わる人達はブランディングと呼ばれるイメージ戦略によってブランド価値を上げられると考えているようだが、私に言わせればそんな魔法の杖など存在しない。錬金術のようなやり方で誰もが憧れる理想の商標を手に入れることなど逆立ちしても出来はしない。ブランドにとって一番大事なもの―それはまず作品である。

最高のブランドを作ろうと思ったら、まず最高の作品を作るしかない。作品自体が個性的で世界のトップを張れるようなものであれば、おのずとブランド価値は付いてくる―』と。

世界的に評価されるマツダの『魂動デザイン』誕生までに、経営戦略にまで切り込むデザイナーの矜持があり、その挑戦は個性的だが、さまざまな企業経営に通底するアピールに満ちている。


電通に長く勤め、レクサスなど自動車の戦略プランナーとして活躍し、現在『ブランディングコンサルタント』を務める『山崎明さん(48)』はこう語る。

『BMWはもちろんお客を大切にするが、お客に媚びることは基本的にしない。お客の言うことに耳を傾けることはあるが、それに素直に従うことはあまりしない。BMWユーザーに意見を聞くような調査は最低限しか行っておらず、調査好きのトヨタとは対照的である。

この理由は、BMWの価値を作っているのはMBWでありお客ではない、という信念からである。BMW自らが信ずるものを作るということが基本にあって、お客はそれに共感し、自分の価値観と重ねてそのブランドのファンになるのである。あくまでブランドがお客をリードして行くという形だ。

これはBMWに限らず、強いプレミアブランド共通の特徴である。なぜなら、さまざまなお客の意見を聞くとどうしても最大公約数的になってしまい、結果的に個性の乏しい製品となり、ブランドの個性を失うことになりかねないからだ。ブランドの個性が失われれば、そのブランドを選ぶ理由も失われる。

そうではなく、ブランドがお客をリードする。だからこそ、お客はそのブランドの『シンパ(信者)』となり得るし、信者とbなったお客は簡単に浮気をしないのである』。

けだし、名言だなあ。なら、いつマツダはBMWを超えられるのか、前田育男さんに聞いてみたいなあ。


★★『サラリーマン川柳』 81~100/100選>
51 組織人 英語で言えば YESMAN!
52 削減だ 改革起こすと 仕事増え
53 そだね~と 妻の返事は スルーパス
54 ストレスで モグモグタイムが エンドレス
55 インスタで 妻のランチを 二度見する
56 詰め込まれ 社に着くまでが 一仕事
57 上司から 友達申請 見ないふり
58 終業後 家に帰れば 家事始業
59 効率化 他部署に負担が 移動した
60 ちょっといい? ちょっとで終わった 試しなし
61 部下休み 理由知ったの SNS
62 マラソンは 靴とウエアーで 勝負する
63 おまえは犬 いまはスマホに 話しかけ
64 オレ正論 妻へりくつで なぜ勝てぬ
65 ためている 俺はストレス 妻は金
66 会議終え 本音を言いに 喫煙所
67 意見出せ 出したとたんに 担当者
68 効率化 提案会議で 残業か
69 U・S・A 流行りにのれない まあいっさ
70 参観日 こっそり祖父母も ひょこりはん
    サラリーマン川柳HP: https://event.dai-ichi-life.co.jp/company/senryu/


★★<カープ、巨人は眼中になし>今オフの主役は派手な大型補強を行った巨人だった。3度目の監督に就任した原辰徳監督は編成権も握り、丸佳浩、中島宏之、炭谷銀仁朗、岩隈久志とビッグネームの獲得に成功。5年ぶりのリーグ優勝に向けて投打共に戦力が厚みを増した。一方、リーグ3連覇のカープは攻守の軸だった丸が巨人にFA移籍。人的補償で長野久義を獲得して『因縁の対決』とメディアは盛り上がるが、カープが巨人に特別な意識があるかというと、実はそうでもない。先月セ・リーグの球団の監督が顔合わせした際に、カープ・緒方孝市監督は『巨人だけが相手ではない』と特定球団への意識を否定。『足元を見つめて、自分たちの野球をするだけ』と報道陣に語った。

カープの球団関係者は『緒方監督は巨人に対して本当に特別な意識がないと思います。もちろん丸が加わって警戒はしますがライバルという意識はないでしょう』ときっぱり。『リーグ3連覇しましたが、日本一には一度もなっていない。選手も今年こそパリーグのチームに勝って日本一という思いの方が強い』と続けた。

カープにとってリーグ制覇が頂上ではない。16年は日本シリーズで日本ハムに敗れ、17年はCSファイナルシリーズでDeNAに敗退。18年も日本シリーズでソフトバンクに敗れた。球団初のリーグ3連覇の偉業も満足感がないのは、短期決戦で悔しい思いを3度も味わったからだろう。目指すのはパリーグに勝てる日本一のチーム作り――交流戦でカープと対戦したパ・リーグの選手たちに話を聞くと、『セ・リーグの中でダントツに強いですね』、『打者のスイングも力強いし救援陣も球が速い投手がそろっている。パリーグのチームと戦っている感覚に近い』と警戒する声が多い。


カープの選手たちは『勝ち癖』がついているのも強さの要因だ。昨年もシーズン中盤から首位を独走。丸が『右太腿裏筋挫傷』で4月下旬から1か月近く戦線離脱した際も、野間峻祥が中堅の位置に入って活躍するなど強さに陰りはなかった。最終的に2位・ヤクルトに7ゲーム差、3位・巨人には13.5ゲーム差と他球団を寄せつけない戦いぶりでリーグ制覇。巨人との対戦成績も15年から4年連続勝ち越している。17年は18勝7敗、18年は17勝7敗1分と近年は圧倒。特別な意識どころか。『眼中になし』が正直な心中かもしれない。

今年のカープの開幕カードは本拠地・マツダスタジアムで巨人を迎え撃つ。最も注目される対戦カードだが、カープナインは泰然自若の精神で臨むだろう。戦いは長い。目指すのは『4度目の正直』で日本一だ。(参考:AERA)


★★<ゴーン前会長のベルサイユ結婚式、ルノーの資産乱用か>仏紙フィガロは、日産自動車やルノーの会長を務めていたカルロス・ゴーン被告(64)が2016年にパリ郊外のベルサイユ宮殿で開いた結婚式をめぐり、ゴーン被告による会場使用がルノーの会社資産の乱用に当たる可能性があると報じた。また、レバノンでも会社の金を友人に不正融資したことも発覚。オマーンでも偽造出金が発見されている。いずれも30億円を越える巨額だ。ゴーンショックはまだまだ止まる気配はなし、だな。

◇カルロス・ゴーン もたらした光と影
フィガロによると、ゴーン被告は16年10月、ベルサイユ宮殿敷地内の城館『グラン・トリアノン』を借りてキャロル夫人との結婚式を挙げた。式に先立ち、ルノーは同年6月、企業が文化芸術を支援する『メセナ』契約をベルサイユ宮殿と結んだ。ルノーが宮殿の改修費用の一部を負担する代わりに、城館を借りられる取り決めがあったという。

ルノーは社内調査でこうした経緯を把握。結婚式は『完全な私的行事で、メセナと無関係』として、会社の資産乱用に当たる可能性があり、仏検察に情報提供することを検討しているという。

一方、仏誌レクスプレスは、ゴーン被告が税逃れを目的に税法上の居住地をスイスへ移そうとしていたと報じた。同誌によると、ゴーン被告は12年、税法上の居住地をフランスからオランダへ移転。仏で課されていた富裕税の負担を逃れるためだったとされる。だが、オランダで受けていた税制優遇措置が19年1月に切れることから、今度はスイスへの移転を計画した。

数カ月前に、多様性や障害者雇用の推進などを目的とする基金をスイスのジュネーブに設立。自身が代表に就き、居住の根拠に使おうとしたという。同基金には、オランダにある日産、ルノー、三菱自の3社連合の統括会社『ルノー・日産B・V』から3千万ユーロ(約37億5千万円)の予算を充てる予定だったが、凍結されているという。


どんどん出て来るねええ。日産は黒い歴史が続くのだ。かつて労組のドン『塩路一郎』が日産グループに権勢を誇り、人事までも手中にして傍若無人の行動をとっていた。これをはね返すべく、当時8人の侍がゲリラ、そして会社対塩路労組の戦いに勝ち、石原社長のもと、『普通の会社』に帰った。

その中心人物、川勝宣昭当時広報室渉外課長が、昨年12月に『日産自動車 極秘ファイル2,300枚』を上梓した。内容の大半は、対塩路活動に終始するが、その最後の部分。

『石原社長の後を継いだ久米社長は、日本だけでなく、海外投資を積極的に行い、借入金は兆の大台をはるかに超えた。そして、塙社長時代には、2兆円の有利子負債を抱えて倒産寸前の経営危機に陥り、外資に救済を求めることになった。その結果ルノーが6,430億円を出資し、日産自動車の筆頭株主になった。

我々は論功報償を求めなかった。その後メンバーはそれぞれの道を歩んだ。その一人、石渡さんは、企画室から関連会社の『日産不動産』へ52歳で転籍となった。着任後のカルロス・ゴーンの打ち出したリバイバル・プランの利益改善策は、多くの部分がグループの所有する不動産の中の総額8,000億円にも上る遊休物件の売却に依存していた。石渡さんの胸に去来し疑問は「なぜ、前の経営者達は遊休不動産の売却をやろうとしなかったのか。もし、売却を決断していれば、6,430億円のルノーからの援助に頼らずに済んだのではないか」と。

石渡さんは、例え話として「領地をたくさん持っているが、ひどく困窮している貴族がいた。領地から上がってくる利益はわずかにも関わらず、貴族が故に領地を手放すことが出来ず、持ち続けた。そして、最後は餓死してしまった。餓死した貴族が日産であった」と。


久米社長に遠ざけられた私は、その後社内異動の後、1959年、53歳で南アフリカの事務所長になり、家族と共に2年半現地に赴任した。私は参事にはならなかった。それを不可解に思った同志の一人が当時の塙取締役企画室長に、私の昇進について詰め寄ったようだが、論功報償を求めないのが我々の誓いだった。

役員達は「塩路ヒットマン」と言うイメージのついた私を煙たがった。最後に京都にある整備専門学校の副校長のポストを示された。それは本社の課長クラスのポストだった。

そんな時、知人に紹介されたのが「日本電産」だった。ヨハネスブルグから京都に出て来て、永守重信社長の面接を受けた。2時間ぐらい、永守さんがしゃべっておられたが、最後に私が「日本電産がここまで成長している理由は何ですか」と尋ねると、パンフレットを取り出し「うちはこれや。これしかないんや」と指さした。そこには「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」、とわずか15文字の言葉が書かれていた。

日産に一番欠けていて、探し求めていたものがここにある。頭の中にピピッと来た。この会社に第二の人生を託そうと決断した瞬間だった。

我々の戦いはもう30年以上前の話だ。しかし、今も日本の企業社会では、形こそ違え、不正義が絶えない。我々の7年に及ぶ戦いの軌跡は、それらの人々に勇気と闘志の火を灯すことが出来るかも知れない。一介の一課長でも立てる。確信を持って言える。


日産を退社して、日本電産に入社し、買収先の企業の再建のため、福井県小浜市に赴任した時のことだ。私は一枚のネームプレートを持ってきていた。そこには「塩路一郎」の名前が刻まれていた。塩路一郎が日産を離れた時、残務整理を行った人事の担当者から渡されたもので、佐島マリーナのロビーの壁のオーナー名掲示板にかけられていた小さな名札だった。

捨てる訳にはいかない。塩路一郎にとって、ヨットは自分の手で掴んだステータスの象徴であり、ネームプレートには、魂のようなものがこもっているように思えた。ならば、塩路一郎がこよなく愛した海に帰してやってはどうだろう。小浜は若狭湾に面している。海辺には、笹が生えていた。私は笹舟を作り、小さなろうそくに火を灯して立てて、名札を乗せて、波間に送り出した』。

(注)塩路一郎さんは、6年前、2013年に86歳で亡くなられた。亡くなられる前に、自伝(ゴーストライターの手のものと思われるが)『日産自動車の盛衰―自動車労連会長の証言』を2012年8月に上梓された。内容は自分の軌跡を美辞麗句で飾ったもので、関係者からは『自分の都合のいいことばかり書いて』という批判の声が聞こえた。(参考: 川勝宣昭著『日産自動車 極秘ファイル2300枚』)


★★<豚コレラ、愛知と岐阜で同じ消毒不足のトラック出入りか>愛知県豊田市の養豚場などに感染が広まった家畜伝染病『豚(とん)コレラ』について、農林水産省は、この養豚場と岐阜県内で1月に感染が確認されていた養豚場との間で、同じ飼料トラックが出入りしていたことを明らかにした。トラックの消毒が不十分だった可能性があるという。自民党の会合で説明した。

豚コレラは昨年9月以降、岐阜県内での発生が相次いでいたが、豊田市の養豚場は同県から30キロほど離れており、感染経路が焦点になっている。農水省は疫学調査チームを現地に派遣し、衛生管理について関係者に話を聞くなどして慎重に調べを進めている。

関係者によると、豊田市の養豚場との関わりがみられるのは、1月に発生がわかった岐阜県各務原市の養豚場と、その出荷先の同県本巣市の養豚場。豊田市を含めて、三つの養豚場には、同じトラックを使って飼料が搬入されていた。

イノシシが伝染の媒体だと報道されていたが、どうやら人間様の仕業だったのかねえ。うかつ、ミステイクだ。

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