Quantcast
Channel: Freeman 雑記帳・広島
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1093

『有働由美子・王貞治 大いに語る③ 』

$
0
0



















今日の画像は、新元号『令和』を発表する菅官房長官、米次期大統領選で民主党候補者として新星急浮上している『ベト・クオールさん』、広島平和公園の昨日の『サクラ』です。まだ8分咲きと言ったところでしょうが、すでに昼間から花見をする人達がちらほらと。明日くらいが満開でしょうか。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★<有働さんと、王さんという異色の対談を見つけた>
<有働>就任当時のチームはどんな雰囲気でしたか。
<王>当時ホークスはパ・リーグで17年連続Bクラスに低迷していました。僕はジャイアンツで野球を覚えた人間です。チームが優勝するために野球をするのが当たり前という環境で育ってきました。ところがホークスはシーズン終盤には自力優勝の目もなくなり消化試合ばかり。選手達の目標も、個人成績を少しでも上げたいとかそんなものでした。負けて悔しいとは思っても、では自分達が勝つために何をすべきか、というところまでは繋がっていなかった。それはもうカルチャーショックにも似た驚きでしたよ。
<有働>そこからチームをどう変えていったんですか。
<王>まず徹底して『勝つ意識』を植え付けることにしました。とにかくミーティングでも何でも機会があるごとに『俺達は勝つために野球をやっているんだ』と言い続けました。一度言っただけで分かる人はいないし、憎まれ役になっても構わないから『優勝を目標にみんな野球をやるんだ』ということを毎日のように話しましたね。最初は選手も『何言ってんだ』と思ったでしょうが、そうやって言い続け、色々工夫しているうちに少しずつ成績も良くなってきてね。


<有働>就任4年目の98年にはリーグ3位。20年ぶりにBクラスから脱出しました。
<王>あの年は勝率5割でシーズンを終わることが出来たんですね。そのすると段々勝つことの喜びと負ける『悔しさ』がチームの中に浸透してきて、選手の目の色が変わってきたんです。そして就任5年目。開幕からいいスタートも切れ、選手達も頑張ってくれたお陰で優勝することが出来ました。これで選手達も『優勝ってこんなに気分のいいものなのか』と勝利に貪欲になっていきましたね。
<有働>王さんが今の強いホークスの『礎』を築き上げた。
<王>僕だけの力ではなくGMとして福岡に多くのスター選手を連れてきてくれた根本睦夫さん、オーナーの中内功さん、球団スタッフ、そして選手達の頑張りが一番だったと思いますけどね。


★★<新元号は令和(れいわ)>新元号は令和と。 出典は万葉集。政府は1日午前の臨時閣議で『平成』に代わる新しい元号を『令和』に決めた。菅義偉官房長官が記者会見で公表した。この後、安倍晋三首相は記者会見を開いて談話を発表し、令和について『人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ、という意味が込められている』と説明した。出典とした万葉集に関しては『我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書だ』と述べた。

天皇陛下の退位に伴い5月1日午前0時から新元号『令和』に切り替わる。平成は1989年1月8日からの30年4カ月で幕を閉じる。これまで天皇の即位前に新元号を公表したことはない。憲政史上初の天皇退位に伴う対応だ。

新元号に関する政令は天皇陛下が署名し、1日中に公布する。同日付の官報号外に政令とともに新元号の読み方を定めた内閣告示を掲載する。元号に用いる漢字はこれまで中国古典(漢籍)を出典としてきた。政府は今回、漢文学や東洋史学だけでなく、国文学や日本史学を専門とする学者にも考案を委嘱したことを明らかにしている。


関係者によると、平成への改元時に委嘱した考案者にも国文学者が含まれていたが、日本古典を出典とする案は『平成』を含む3つの最終案には残らなかった。元号は1979年施行の元号法に基づき、内閣の責任で定める。新元号は日本最初の元号『大化』から数えて248番目にあたる。『平成』までに使われた漢字は72種類で最多は29回の『永』。2番目に多いのは『天』と『元』の27回。

天皇陛下は4月30日に退位し、翌5月1日に皇太子さまが新天皇に即位される。憲政史上初の『退位礼正殿の儀』は4月30日午後5時からで、三権の長や地方自治体の代表ら338人が参列する。新天皇に即位する皇太子さまは5月1日午前10時半から歴代天皇に伝わる神器などを引き継ぐ『剣璽等承継の儀』、同午前11時10分から即位後初めて国民代表の前でお言葉を述べる『即位後朝見の儀』に臨まれる。剣璽等承継の儀の出席者は前例を踏襲し、皇族は成年男性に限り女性皇族や秋篠宮家の長男悠仁さまは参加されない。

天皇陛下は2016年8月8日、国民向けのビデオメッセージで象徴天皇としての務めに関する考え方についてお言葉を述べ、退位の意向を示唆した。政府はこれを踏まえ、天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議を設置。現天皇一代限りで退位を認める特例法を成立させた。

昭和は本当に、遠くなったなあ。とっても懐かしい。


★★<米民主、新星『オルークさん』が急浮上 大統領選>来年の米大統領選で政権交代を狙う民主党の新星、『ベト・オルーク元下院議員(46)』は30日、メキシコ国境にある地元の南部テキサス州エルパソで集会を開き、正式に選挙運動を始動した。トランプ大統領が推進する『国境の壁』など移民政策を厳しく批判し、米社会の分断ではなく結束を促す姿勢をアピールすると熱い歓声がわき起こった。
 
『オバマ前大統領の再来』としてメディア各社が注目するオルーク氏は最近、支持率を伸ばし民主党候補で3位に急浮上。10人以上が名乗りを上げる民主党の候補指名争いは激しくなってきた。

品位と知性を感じるクオールさんだねえ。破落戸まがいの現大統領とは大違いだ。しっかり頑張って、アメリカの品位と知性、そして世界からの評価を正しておくれな。トランプとの討論会が楽しみだなあ。どう屈服させるか、技がいる。


★★<女性看護師、起業で『新境地』>病棟や看護現場で勤務した看護師の女性が起業して存在感を強めている。柔軟な働き方で潜在看護師の受け皿となる訪問介護の会社を立ち上げたり、障害を持つ子のケア拠点を開設したり事業は様々。地域のニーズに応え活動の場を広げている。

非常勤ヘルパーは、1日2時間の勤務で直帰出来る―。訪問看護・介護の『リリフル』(東京)は出来高払いによるフレックス勤務のシフトを組み、子供を持つ看護師や介護士などの女性ヘルパーを受け入れる。常勤6人、非常勤30人のうちママは10人。2歳の子を育てる社長の玉木明子さん(35)も、午後4時に保育園の迎えで退社する。

リリフルは、在宅ケアで、医療・介護の保険内と保険外のサービスを提供する。保険内では主治医の指示に基づく看護と入浴介助などの介護業務を行う。保険外では介護プランにない調理、掃除など生活支援を手掛ける。個人のニーズに合わせたきめ細かいケアが売りだ。それでもサービスエリアは広げない。『ヘルパーに無理をさせない就労環境が大事』と言う。

玉木さんは、慶応大学看護医療部卒。7年人材派遣会社で働いた時、労務管理の面白さに気付いた。その後、訪問介護の会社に転職。改めて看護の現場を見ると女性が生き生きと働けるような環境が乏しいように感じた。そこで、経験を生かし『リリフル』を設立。『ママから選ばれる会社でありたい』と指針を語る。


潜在看護師だった3人が11年に設立した熊本市の『プラバナース』は、障害のある子供が放課後や休日に利用出来る放課後等デイサービスを営む。松尾ふみ社長(38)は子供におにぎりを食べさせながら、『子供からいつもパワーをもらう』と笑う。

放課後デイでは、子供がお菓子を作ったり、みんなで歌ったりして生活能力の向上に繋げる。松尾さんらは看護師資格を生かし、たんの吸引やチューブを使い鼻などから栄養を注入することもある。医療行為が必要な子供をケアする放課後デイは全国的に看護師スタッフが足りない。

プラバナースは、もともとは訪問介護が主力事業だったが、16年4月の熊本地震が転機となった。避難所に駈け込んだ松尾さんは、障害を持つ子が夜通しで脅えている場面に遭遇。『地域で看護師のケアを求めているのはお年寄りだけではないと気付いた』。

その後福岡市の施設で放課後デイを学び、施設運営の資格を取得。地震から2ヵ月後、市の認可を受け放課後デイを開設した。『成長していく人のケアも大事。もっと磨きたい』と希望を語る。

障害の子供を持つ家庭の厳しさは想像を絶する。時折、母親に付き添われた障害児を街中で見ることがあるが、はたして、この子が人生を真っ当するには両親の寿命から考えて万全ではないなあ、と思う。公的施設はもっと充実させるべきだ。出生児のいくばくかは、必ず障害を持つ。これは社会的責任である。こんな考え、頭の隅にもないだろうなあ、阿倍晋三君には。


★★<神戸市、北神急行を市営に>神戸市は、市の北部と中心部を結ぶ私鉄『北神急行電鉄』を2020年度に市営化する。高額な運賃を引き下げ、北部の人口減に歯止めをかけるのが狙い。公共交通機関の民営化が各地で進む中、こうした理由による私鉄の市営化は全国でも異例。

神戸市は北神急行の筆頭株主阪急電鉄と協議を進めており、関連する資産を198億円で買い取ることで合意した。650億円の債務は引き継がず、阪急などが背負う形となった。

北神急行は1988年、ニュータウン開発の進む神戸市北区の谷上駅と中央区の新神戸駅の2駅をトンネルで結ぶ路線として開通。7.5キロのほぼ全域が六甲山を貫くトンネルだ。700億円にのぼる建設費負担から当時430円だった運賃の値下げを目的に、兵庫県と市は99年度から全国で初めて私鉄への財政支援に踏み切った。ただ、現在と料金は360円と高止まりし、『日本一高い』とも言われている。


神戸市は遅くとも2020年10月までに、市営地下鉄西神・山手線との一体運行の開始を目指す。これまでと同規模の財政支援に加え、業務の効率化などで市営地下鉄三ノ宮駅-北神谷上駅の運賃540円を280円程度にまで引き下げる方針だ。これで、初年度に1日当たり6千人程度、32年度に8千人程度の乗客増を見込む。

神戸市が異例の公営化に踏み込んだ背景には、北部の人口減がある。北神急行が開通した翌年の89年、神戸市北区から人口の転入が転出を5,748人上回っていた。しかし、2011年からは8年連続で転出が上回り、昨年は市内9区のうちで最多の1,200人のマイナスを記録した。市長は、この逆スパイラルを断ち切りたいと、公営に踏み切ったと。

まあ、新神戸駅からトンネルで一つ駅までだけを単純運転すれば、開発費が全部運賃にかかってきて高くなるわなあ。市営地下鉄とドッキングさせれば、最少費用の上乗せで消却出来るという計算になるわなあ。まあ、痛手は阪急グループがかぶることになるが、見通しの甘さがあっただから仕方ないなあ。


★★<廃炉進まぬのに、無責任に原発増設進める安倍政権>東電の原発事故の後、『原発ゼロ』を訴える声が大きくなり、現在では国民の半分以上が原発はなくすべきだと求めていて、小泉元首相は、さまざまなメディアで『原発ゼロ』を強調している。

実は小泉さんは、首相時代は原発推進論者であった。その小泉さんが『原発ゼロ』に転じたのは、2013年にフィンランドに原発の実情を視察に行った時からである。フィンランドでは原発が稼働していて、使用済みの核燃料を処理するために、オンカロという施設が設けられている。オンカロとは、安定している地盤を500m掘って、そこに使用済みの核燃料を運び込むことが出来る施設だ。ただし、まだ実際には使用されていない。

小泉さんはオンカロの関係者に、『オンカロに使用済みの核燃料を入れて、それが無害化するのにどれくらいかかるのか』と問うた。すると、無害化するのに10万年、という答が返ってきた。それを聞いて、小泉さんは原発をなくすべきだ、と決断したのである。

ところが、日本にはそのオンカロもなく、オンカロを作る計画も展望もないのである。私は歴代経産相に確かめたのだが、いずれもその点では返事に窮した。そして、使用済み核燃料はすでに1万8千トンもたまっているのだ。それでいて、政府は原発を重要なエネルギーとして再稼働を進めている。しかも、18年7月に政府が閣議決定したエネルギー基本計画によれば、何と30年に原発が30基ほど稼働することになっている。


例え、現在停止している原発を全て再稼働させたとしても、20基程度にしかならないはずである。ということは、原発を10基近く新設するつもりなのか。東芝、三菱、日立の3社は、国内で新設の見込みがない、とあきらめて海外での建設を計画してきたのである。その海外計画も、東芝は米国、三菱はトルコ、日立が英国と、望みを懸けていたが、可能性がすべて頓挫して、建設展望もなくなってしまったのだ。

実は自民党の少なくない幹部達に、原発新設の可能性はあるのか、と問うた。誰もが、そんな可能性はない、と答えた。それなのに、なぜ、30年に30基稼働となるのか。言ってみれば、無責任な計画なのである。

それに加え、現在進められている、事故を起こした東電原発の廃炉作業が、実は大問題なのである。東電は廃炉行程を進めて、溶融核燃料=デブリを取り出すことにしている。だが、取り出して、どうしようとしているのか。

東電はデブリを取り出して、福島から撤去する、と地元の人々に約束しているのである。だが、東電はデブリを取り出して、一体どこに持って行くつもりなのか。危険極まりないデブリなど、受け入れる地域は、少なくとも国内には全くないはずである。そんなことは、東電は百も分かっているはずなのだが。(参考: 田原総一朗筆『ギロン堂』)


全く無責任な東電だ。福島原発の避難被害者への補償も逃げまどい、すでに毎月の補償金10万円は打ち切られたそうだ。しかし、避難した人達が地元へ帰り、元の生活が出来る環境は全然できていないし、一部では未だ避難指示地域になっている。この矛盾を政府、復興相は目をつむり、耳をふさいで、しらんふりをしている。被害者の身にもなってみろ、と言いたい。10年近く避難生活をさせられ、未だ生活の展望が開けない。誰だ、原発安全、安全と叫んだのは!

小泉さんの原発反対論議に出てくる話。『首相当時、関係者、担当者から聞いていた原発の情報がほとんどウソだった。それから私は反原発の旗を振っている』と話している。一体、政府、自民党は原発のウソにどう責任とるのか。南海トラフ地震が来れば、いずれかの原発に支障は来すことは間違いない。『亡国の原発』ではある。


★★<なぜ『小僧寿し』は危機に陥ったのか 犯人は“昭和のビジネスモデル”>『小僧寿し』が債務超過に陥った。2018年12月期の決算で10億5700万円の債務超過に転落したことで、上場廃止の可能性も強まっている。 というニュースが世間を騒がす中で、非常に引っかかる報道があった。小僧寿しの苦境は、『持ち帰り寿司業態の限界』だというのである。

ご存じのように今、スシローなど大手回転寿司チェーンが大にぎわいである。週末はファミリーなどが押しかけるため、アプリで予約をしても1時間半待ちなどザラだ。かっぱ寿司、くら寿司などとともにし烈な争いを繰り広げている。一方、宅配寿司『銀のさら』も好調で、今年2月にはWeb会員が200万人を突破している。デパ地下やスーパーの鮮魚売り場では、中トロやウニなど豪華ネタ満載の『寿司パック』が売られている。

こういうところに客をガッツリと取られて、『持ち帰り寿司』そのものの存在意義がなくなりつつあるというのだ。そう聞くと、『確かに昔は、子どもの誕生会とか親戚の集まりとかで利用したけど、今はどこでも寿司が食べれるもんな』」と納得する方も多いかもしれない。が、個人的にはどうにもしっくりこない。小僧寿し以外の『持ち帰り寿司』はさまざまな企業努力をされながら、しっかりと存続をして、立派な業績を上げているからだ。例えば、ライバルの京樽は『持ち帰り寿司』とともに、回転すし『海鮮三崎港』、低価格江戸前ずし『すし三崎丸』などを展開し、年商は267億円。今期の既存店売上高は前年比1.9%増を見込むという。

また、首都圏の方に馴染みのある『ちよだ鮨』も同様で、回転すしの『築地 銀一丁』と『築地 銀一貫』、立食いずし『築地 すし兆』などとともに、年商は138億円(2018年3月期)となっている。ともに、回転寿司などの多角経営を展開しつつも、主力事業の『持ち帰り寿司』はちゃんと継続しているのだ。


◇小僧寿しは何が問題だったのか
そういうライバルたちの状況を踏まえると、今回の現象は、『持ち帰り寿司業態の限界』などではなく、『小僧寿しという業態の限界』と捉えるべきなのだ。では、小僧寿しは何が問題だったのか。『麺や小僧』なんてラーメン事業や宅配寿司事業など手当たり次第で参入したのが悪いという専門家もいらっしゃるが、先ほど紹介したように、ライバルは多角経営で成功を収めている。そこまで奇策に打って出たわけではないのに、小僧寿しだけがここまでひどい結果になったのはなぜか。

いろいろなご意見があるだろうが、個人的には、人口右肩上がりで、需要も右肩上がりということを前提とした『昭和のビジネスモデル』から脱却できなかったことが大きいと思っている。つまり、明日は今日よりもプラスになる、来年は今年よりももっと成長をしている、という『右肩上がり幻想』にとらわれた経営判断を下し続けてきたことのツケが回ってきたのだ。平成生まれの方たちには、あまりピンとこないかもしれないが、1972年に設立された小僧寿しほど『昭和』を体現した外食チェーンはない。

高度経済成長の波に乗って拡大路線をひた走り、昭和54年(1979年)には売上高531億円をあげ外食産業日本一の規模に輝くと、昭和62年(1987年)には、なんと全国で2300店舗を展開した。この数字がいかにすごいかは、平成日本の寿司チェーンの規模を見ていただければ分かる。回転寿司業界店舗数1位のスシローは全国で518店舗(2019年4月現在)、京樽もホームページで店舗数を検索したら168店舗。当の小僧寿しでさえも、ホームページで店舗検索をすると、201店舗だ。


◇信じられない『拡大路線』
なぜ2300店舗という現在では信じられない『拡大路線』が取れたのか。寿司を売る場所がそんなになかったのか。30年前の日本人は寿司を今よりもっとバカバカ食べたのか。そうではない。全国を小僧寿しで塗りつぶすくらいの勢いで展開をするのが、昭和のビジネスモデルとしては当たり前だったのだ。分かりやすいのが、持ち帰り寿司とほぼ同じ時期に全国展開がスタートしたコンビニと宅急便である。

小僧寿しが100店舗を達成した翌年の1974年、セブン-イレブンが東京・江東区に一号店を出した。その後、急速に全国へ広がっていくのはご存じの通りだ。1976年には大和運輸が『宅急便』のサービスをスタートする。関東の企業向け輸送をしていた同社が始めたこの画期的サービスは瞬く間に広がり、日本全国に配送網が張り巡らされていった。このような昭和のビジネスモデルによって、小僧寿しは成功を収めた。そのため、時代が平成となり人口減少社会となってからも、『右肩上がり幻想』を引きずっていた可能性があるのだ。

それを象徴するエピソードが、小僧寿しの創業者、山木益次氏が2004年に出版した『強さと弱さ 小僧寿しチェーンの秘密』の中にある。本の中で山本氏は近年、小僧寿しの売り上げが落ちているのは、商圏が縮小しているからだと分析している。調査をしたところ、1991年のユーザーの33%は、徒歩や自転車で3分以内から来店していた。しかし、2003年になるとこの層が72%に増加。さらに、自動車で5分以上かけてくる客も激減していた。

近場の客が増えているにもかかわらず、売り上げに現れていないということは、店の数が少なくて客を取りこぼしているからだ。ならば、同じ商圏内に集中的に出店して、ロイヤリティーを高めていけばいい――。そんな考えから、セブン-イレブンのようなドミナント戦略をすべきだというのである。


◇小僧寿しも青色吐息
2004年といえば、前年に少子化社会対策基本法ができて本格的な『人口減少社会』の到来が叫ばれ始めたタイミングだ。商圏内の人間が減少して急激に高齢化していくというのに、商圏内を店舗で塗り潰そうとしていたのである。現在の店舗数からも分かるように、この戦略が実行されることはなかったが、小僧寿しという会社が平成になってもなお、昭和の右肩上がり幻想を引きずっていたことがうかがえよう。

そしてこのような傾向はつい最近まで見られた。2013年、小僧寿しの営業赤字が過去最悪を記録した。原因は、当時の社長が就任以来進めてきた、『宣伝広告費大量投入』と『安売り路線』である、と当時の経済メディアは報道している。要するに、競合よりも安い寿司を提供して、テレビCMをバンバン放映すれば、客がガンガンやって来るだろう、という戦略が大ハズレしてしまったというのだ。

人口が急速に減少していく中で、寿司の国内需要さえも減っている中で、どうにかして店に訪れてもらいたいということで、回転ずしチェーンはさまざまなユニークな商品や施策を編み出している。そういう『人口減少』を前提として、独自の付加価値を提供をするという考え方が、小僧寿しからあまり感じられないのは、筆者だけではないはずだ。このように書くと、小僧寿しをディスっているように聞こえるかもしれないが、そんなことはなく、日本人の食習慣を変えた偉大な外食チェーンだと思っている。それまで高価な寿司が、小僧寿しが登場したおかげで、安く家庭で食べられるようになったのだ。

小僧寿しが成し得た『寿司の庶民化』は、セブン-イレブンの『コンビニ』、ヤマトの『宅急便』と並び評されるほどの功績であることは疑いようがない。しかし、その一方で、人口増加の波に乗って、日本に新しい文化を定着させた企業が相次いで苦境に立たされているのも事実だ。ヤマトは残業代未払いや過重労働の問題が噴出し、ドライバー不足などによる「宅配クライシス」が大きな問題となった。セブンは、重労働の割には低賃金ということで慢性的なバイト不足でFCオーナーが疲弊して、『24時間営業』という根幹が崩壊しつつある。そして、『寿司の庶民化』のパイオニアである小僧寿しも青色吐息である。


◇昭和のビジネスモデルは限界
小僧寿し、ヤマト、セブンといった企業の苦境は、昭和のビジネスモデルがいよいよ制度疲労をきたして、限界だということを示しているのではないか。世の中は新しい年号で浮かれているが、人口が減っていくこれからの日本は、昭和の『右肩あがり幻想』は根底から崩壊する。これまで売れていたものが売れなくなる。長蛇の列ができていた店が閑古鳥が鳴くようになる。そこはロボットだ、AIだ、アップデートだなんだと格好いいことをいうが、ロボットやAIは寿司も食べないし、コンビニでおにぎりも買わない。ガッツリと移民を受け入れない限り、国内需要は減っていくのだ。

小僧寿しの危機は、これから我々が本格的な「人口激減時代」に向きわなくてはいけないことを教えてくれているのではないか。(参考: 窪田順生筆)

まあ、『小僧寿し』自体の店を見なくなったねえ。確かに、『小僧寿し』に行かなくても、スーパー、コンビニで寿しは帰る時代だ。業態変化を起ったのが敗因だろうねええ。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1093

Trending Articles