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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『破天荒、奇跡の成功ニトリビジネス⑥ 家業がいやで大学進学』

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今日の画像は、アストンマーチンが発売する世界で24台ばかりの『DBSスーパーレッジェーラ』の限定車と、昨夜中日戦で完封完投したカープ『大瀬良大地』、23日に好投しカープの連勝に火をつけた先発20歳の『アドゥア』。そして、美人花である『クリスマスローズ品評展供戮任后1Σ爾鬟リックすると、大きな画が見られます。

『DBSスーパーレッジェーラ』。お代はいくらなんだろうねえ。まあ1億円程度は覚悟する必要があろうなあ。アストンマーチンファン、007ファンにはねえ。全く、高嶺の花とはこういうのを言うんだろうねえ。アドゥアは、父がアルジェリア人、母が日本人で日本国籍を持っています。20歳の右腕、カープのエース候補の筆頭ですねえ。


そのカープは、シーズン開始後の不調が重なり、『借金を8』も抱えていたのに、投手陣の再起から昨夜は大瀬良の完投完封で中日に3タテ、都合7連勝して借金を1にまで減らしました。明日からの12連戦どうなるか。問題は巨人戦だですねえ。巨人戦でもしも3タテ食らわせば、カープの浮上は本物になるでしょうが。ケセラセラです。

一方、巨人菅野。これで巨人7連勝かと思われた昨夜のヤクルト戦。よもやの4回途中降板。自責点7。特に3回、青木、山田、バランティンの3者に連続ホームランを浴び呆然としました。これが巨人凋落の分岐点になるか、な。


■■中学、高校、大学で、勉学の結果が思わしくなくいわゆる『劣等生意識』を持っているキミ、心配するな、あなた以上の劣等生が世の中に出れば大成功した例もあるのだ。その筆頭に『ニトリの創業者似鳥昭雄さん(76)』がいるのだ。本当、似鳥さんは劣等生で高校大学と卒業さえ危ぶまれた人物。が、今や年間1兆円の売上を目指す大家具チェーンの親分になっている。

話題をばらまく老舗『大塚家具』の対角線上にあり、大塚の年間売上はたったの300億円、ニトリの20分の1にしか値しない。諸君の人生の参考のため、そのニトリをここまで成長させた『破天荒な似鳥昭雄』の実像を追う。


★★★高校時代も終わりを迎え、問題は卒業。条件は珠算3級と簿記3級の取得だ。算盤だけでは高校で有数の腕前で問題はない。だが簿記が苦手。先生に呼び出され、『このままでは卒業出来ない』と言われた。そのことを母に話すと、さめざめと泣かれる始末。仕方ないので、必死で周囲の友人の力を借りながら、何とか卒業した。

この頃、父はこんなことを言っていた。『お前はのろまで、だらしない。成功するには人の2倍の努力をするか、人のやらないことをやるしかない』。そしてこんな話もしていた。『頭が悪いのだから、国立大学や有名私立大学を卒業した優秀な人材を使えばいいんだ』。この言葉は私の心にずっと残り、実践するように心がけた。

父は自分がやっていたコンクリート会社を私に継がせるつもりだった。ヤミ米の販売と共にコンクリート会社も手伝っていたので、技能は身についていた。だが土日も休みもなく、工事用の棒を担うとトゲが肩にささるなど仕事はきつい。まだ社会には出たくない。

そこで両親に『俺は勉強をしたいんだ。大学に行かせて欲しい』と訴えた。『勉強がまるで出来ないくせに、何が勉強したいんだ』と両親にこちらの魂胆は見抜かれている。何とか粘って、大学進学を認めてもらった。入学金や授業料だけでなく、自立することも条件で、生活費まで自分で稼ぐことになった。


1962年、何とか札幌短期大学に滑り込んだ。もっとも、親の仕事から逃げるためだから、大学はろくに行かない。空手部に入ったぐらいで、勉強はしない。授業料は自分で払う約束だから、年中アルバイトばかりしていた。

夏は父の仕事を手伝うが、雪が多い冬に仕事はない。お歳暮の配達や札幌市にある狸小路商店街の屋根の雪下ろしなどだが、トラブルばかり起こしていた。商店街では精肉店の娘と仲良くなり、部屋で遊んでいたら、店主にばれてぶん殴られた。お歳暮の配達では猛吹雪の中、車で子供を引っかけてしまい、親からお金を借りて賠償金を払った。あるときは電車とぶつかり、やはり損害賠償。稼いでも稼いでも生活は楽にならなかった。

そんな短大生活も終わりを迎えた。やはりもう少し大学生活を満喫したい。そこで編入試験を受けたのが北海学園大学だ。当時から道内の私立大学ではトップクラスで、憧れていた。勿論、自分の実力ではとうてい入れない。試験科目は英語と経済学。そこでカンニングを思いついた。英語は編入試験を受ける同じ短大の友人にまかせ、経済学は『俺がやる』と決めた。

ところが英語を担当する友人が問題を解くのに必死で、見せてくれない。一方、経済学の試験内容は『マルクスレーニン主義について知っていることを書け』。私も必死で書いたが、教える余裕などなかった。お陰で英語はさっぱりだった。

結果は私が合格し、友人は落ちた。飛び上がって喜んだ。私の経済学が70点で、英語は5点。両方で70点が合格ラインだった。友人は『何でお前が受かるんだ』と愚痴る。それまでとにかくいじめられ、バカにされてきたため、周囲を見返すつもりで北海学園大学には入りたかった。
(参考:似鳥昭雄筆『私の履歴書』)


■■日本代表監督『森保一』、U-17日本代表監督『森山佳郎』、J1名古屋監督『風間八宏』、J1大分監督『片野坂知宏』、J2大宮監督『高木琢』、昇格請負人J3北九州監督『小林伸二』、FC今治監督『小野剛』、福岡などの監督をした『松田浩』・・・・・。この人達は全員サンフレッチェの出身である。前身のマツダサッカークラブの時代からの人達もいる。この人材を見出した人こそマツダサッカークラブ総監督、サンフレチェGMを務めた『今西和男さん(77)』。

集英社が、今西さんの足跡、育成した人材を追った『育将』を2016年に発刊している。ただ、今西さんは最後の時期に『FC岐阜』の社長に就任された。まさに泥にまみれた時代だった。なぜこんなクラブを引き受けたのか、詳細はつまびらかになっていない。心配は過去からの累損を個人で引き受けた総額3億円の負債。この処理がどうなったか、不明である。その『育将』の実像の証言を綴る。いずれも肩書は2016年の『育将』発刊当時のもの。


★★★『育将・今西和男Α“鑁慮絨箴評茲蟇曚日本代表に 特別編機戞 
70年前の8月6日午前8時15分、今西は広島市二葉の里の借家の二階にいた。元々実家は繁華街・薬研堀の隣、東平塚町にあったのだが、東京や大阪も大空襲にやられたために、そろそろ広島も危ないということで、4月になると半ば強制的に疎開させられていたのである。

当時、今西は4歳。好奇心が旺盛で、二階の窓から顔を出して向かいの家の女の子と無邪気な口喧嘩をしていた。B29エノラ・ゲイ号から落とされたウラニウム爆弾コードネーム『リトルボーイ』が、たった2キロ先の中区細工町上空580メートルで爆発したのは、次の瞬間だった。『ほいで、ピカーっと光ったんです。私は半袖でしたからね。左側から腕の内側、これ全部熱で焼けました。それでも運が良かったのは、家の中にいたら下敷きになったんでしょうけど、窓にいたんで、はじき出されて、たまたま一階の縁側の畳を掃除していたお袋に引っ張りだされた』。

母親は今西を背負って山に向かって逃げた。近所には赤ん坊の頃から可愛がってくれたおじさんがいた。機関車のオモチャをくれたその人は、病気で臥せっていたために逃げられない。『そこの方の奥さんがね。うちの母親に「どうか、助けてやって下さい」って道端で頼んでいたのを今でも覚えとります。4歳のときの他のことは覚えていないけど、原爆のことだけはしっかり、記憶にあるね。「ごめんねー、子どもがおるから助けられん」て。もう母親にしてみれば私が背中にいるから、お世話になった人やのに助けることができなかった。私はまだ幼いから、何が起こったのか全然分からないわけです。それで逃げ惑う人たちが見えてきたら、みんな血まみれです。そのときに自分の身体をパッと見たら、やっぱり真っ赤に染まっていて、初めて怖くなってワーッと泣き出しました。それから死臭。髪や肉が焼ける臭い。あのすごく嫌な臭いは未だに覚えていますね』。

幼い子どもにとって、先行したのは痛みではなく恐怖だった。母の背中から見た光景は一生忘れることができない。ガラスの破片が身体中に刺さり、逃げ惑い水を欲しがって、うめいている人々の群れ。自分自身も血まみれで、気がつけば足が酷く焼けただれていた。以来、今西の左足の指は突っ張ったままで自在に動かせなくなった。医薬品は底をついたために救護所で施された治療は、ただ赤チンを塗るだけ。患部にハエが卵を産み、ウジが這い回り、それをピンセットで取られるのが痛かった。左腕、左足全体に残ったケロイドも大きなコンプレックスとなった。


住む家が破壊されたので、家族は矢賀町に引っ越した。物資もなくて社会的な混迷は続いていたが、母親がミシンを使った裁縫の内職で家計を支えてくれた。1947年には米国によって被爆者の調査研究機関ABCC(原爆障害調査委員会)が広島に設置された。ABCCは被爆者に対する治療は一切施さず、『アメリカにとって重要な放射線の医学的生物学的な影響を調査する」』(米国海軍省よりトルーマン大統領に送られた書簡)機関として採血や触診を行なった。子どもたちは小学校で定期的に裸にされて、レントゲン写真を撮られた。

今西は足が速く、運動神経も良かったので中学入学時には運動部に入ることを楽しみにしていた。しかし、ツベルクリン検査で陽性反応が出てしまったことで、激しい運動を断念せざるを得なくなった。進学した舟入高校では柔道部に入部した。中学生時代に近所の国泰寺高校で観戦したサッカーは好きであったが、サッカー部が授業を妨害するようなガラの悪い上級生の巣窟になっていたことと、短パンになってケロイドの痕を見られることが、どうしても恥ずかしかったこと。また左足の不具合が気になり、入部を躊躇させた。

それでも2年生になると、この競技の魅力には抗えなかった。試合があると必ず観戦に来る今西に対して、1年先輩の野村六彦(後のJSL得点王)が勧誘し、転向した。とは言え、ほとんど初心者だった。『ボールテクニックが上手くなる“ゴールデンエイジ”と呼ばれる時期に、自分はボールを触っていませんからね。技術はない。それに左足が突っ張って、思い通りにならないことに対する苛立たしさがありました。左サイドバックを任されたんですが、スペースがあって上がって行っても、その先の仕事ができないんです。ウイングとしてクロスを上げられない』。

左足をまっすぐ振ったつもりでも、ボールに触れていない。先輩が言った。『お前、キックが悪いから、これを蹴って右足の練習せい』。ゴールポストに藁を巻きつけて、素足で蹴る練習を課せられた。皮が破れて血がにじんだ。しかし、道理もあった。足の甲で正確にヒットすれば痛みはない。繰り返すことによってミートするポイントが固まっていくのだ。この練習を続けていくうちに今西は右のインステップが上手いと評価されるようになった。母校での初めての公式戦に出場したときは、在校生がたくさん応援に来てくれたが、それがまた恥ずかしかった。『観客全員がずっと私のケロイドを見ているように思われて仕方がなかったんです』。

観客が自分だけを注目するとは、ありえない話であるが、それほどに被爆したことで受けたコンプレックスが根強く残っていた。中学生時代は激しい運動ができず、神経が優しすぎるほど繊細なうえ、左足は火傷の後遺症で蹴れない、そんな選手が気の遠くなるような努力を重ねて、やがて日本代表にまで上り詰めていった。

『だから、私はサッカーに感謝して恩返しをしたいのです』。サンフレッチェ広島で今西と共に人材育成教育にあたり、数多くの選手を育ててきた人材育成会社ヒューマックスの木村孝代表は今西の生き方を見て言う。『今西さんは本当に選手や後輩のために献身的に尽力されてきた。いろいろな人材担当の方と仕事をして来ましたが、無私の精神の度合いが違うんです。生きる目的がすごくしっかりしているのは、被爆体験をされているからではないか。常に死と生を考えて向き合ってきた原体験が大きいと思うのです』。(参考: 集英社刊『育将』)


★★<10代男性がアップル提訴、誤認逮捕、1,120億円の賠償請求> 米アップルの顔認証ソフトウエアが原因で、同社店舗での一連の窃盗事件への関与が疑われたとして、ニューヨーク在住の学生がアップルをマンハッタンの米連邦地裁に提訴した。10億ドル(約1120億円)の賠償金支払いを求めている。
  
ウスマン・バーさん(18)は昨年11月、アップル店舗で窃盗を働いた容疑でニューヨークの自宅で逮捕・訴追請求された。バーさんは訴状で、逮捕令状に自分と似ていない人物の写真が添付されていたと説明。疑いがかけられた窃盗事件の一つはボストンで6月に起きたとされるが、その日はマンハッタンでパーティーに参加していたと主張している。

バーさんによると、写真付きでない仮免許証を過去に紛失したことがあり、それを盗んだか見つけた本物の窃盗犯がアップル店舗で身分証明に利用した可能性がある。その結果、アップルが店舗で窃盗犯追跡に用いる顔認証システムが捉えた犯人の顔に自分の名前が誤ってリンクされたとみられると主張した。複数の疑いをかけられ、『深刻なストレスと苦痛』に見舞われたと訴えている。
 
アップルのほか、この訴訟で被告に名を連ねた警備会社のセキュリティー・インダストリー・スペシャリスツもコメントを控えた。それにしても、10億ドルの賠償とはすごい金額を請求したものだ。アメリカって、非常識が常識の国なんだねえ。トランプを見ていればよく分かるなあ。


★★<カープ、アドゥワ 誠投手>23日のカープ-中日戦で、プロ初の先発で7回2失点と好投した『アドゥワ 誠』。ナイジェリア出身の父と日本人の母を持ち、母は元バレーボール選手である。兄も高校、大学と投手でプレーしている野球選手であり、高校時代には誠と同じく全国高等学校野球選手権大会に進出している。ただし、1回戦で敗退し、兄自身に登板機会はなかった。満20歳。

小学校から熊本中央リトルで野球を始め、熊本市立出水中学校時代は熊本中央リトルに所属。松山聖陵高等学校では、1・2年の時は全国的には無名だったものの、3年夏の第98回全国高等学校野球選手権大会にエースとして出場した。同大会では準優勝した北海高等学校と初戦で対戦し、サヨナラ負けで敗退した。2016年10月20日に行われたドラフト会議で広島東洋カープから5位指名を受け、11月17日に仮契約を結んだ。

2018年(2年目)は開幕を一軍で迎え、その後一度も二軍に落ちることなく中継ぎとして活躍した。4月26日の横浜DeNAベイスターズ戦でプロ初ホールドを記録し、19歳6ヶ月でのホールドは球団最年少記録となった。

この23日は岡田、九里など先発陣不調の中、抜擢されてプロ初の先発に。投球成績は7回105球投球、6被安打、2本塁打、3三振、3四球、失点2と先発として見事な投球。新しい先発投手の出現だ。両手、両足が長く、それがピッチングにも独特の球筋になっているとの評がある。

ちなみに、2016年のカープドラフト指名選手は以下。5位アドゥアが、1位、2位を食っている。ドラフト順位は選手生活の順位を保証したものではないということがよく分かる。イチローだってドラフト4位だからなあ。年俸は18年480万円、19年2,200万円。この調子でいくと、今季の契約では6,000万円は堅いだろうなあ。ガンバレ、アドゥア。
  1位 加藤(投手)  2位 高橋(投手)  3位 床田(投手)  4位 坂倉(捕手)  5位 アドゥア


★★<凋落の『サマンサ・・』>サマンサタバサ、創業社長が「突如交代」の理由 5月には保有株の半分をコナカ社長に売却へ。

サマンサタバサジャパンリミテッドが展開するブランド『サマンサベガ』の都内の店舗。近年は業績不振で店舗数も減少傾向にあった。ヒルトン姉妹にミランダ・カー、ビヨンセ――。数々の海外セレブや国内トップモデルを広告宣伝に起用し、一世を風靡した女性向けブランド『サマンサタバサ』。同ブランドを展開するサマンサタバサジャパンリミテッドの創業者・寺田和正氏が4月25日付で、同社の社長を退いた。

1994年の創業時から社長を務めてきた寺田氏は、いったん代表権を持たない取締役に退き、5月23日の株主総会後に取締役も退任する見通し。社内にはとどまり、海外事業の子会社の運営などを担う方向で検討している。後任社長には、同社専務取締役の藤田雅章氏が就任する。

◇交代発表後に株価が急落
ブランドの『顔』として牽引してきた寺田氏退任の衝撃は大きかった。4月12日の16時に出された社長交代に関するリリースでは、交代の理由について『新たな経営体制により企業価値向上を図るため』とだけあっさりと書かれていた。それがさまざまな臆測を呼び、週明け15日の株価は前営業日比24円(7.8%)安の終値284円に急落し、年初来安値を更新。その後『異動の理由の補足説明』として追加のリリースを出す事態となり、『新経営体制で「社員の自立・自走」を実現させることができると判断した』などと説明した。

『ネット上では「赤字が続いているので辞めたのでは」と書かれているが、そうではない。組織をグッと変えて社員が自立できるかたちが出来上がったので、社員一人ひとりの能力を引き出す組織の運営を新しい体制に託した』。4月23日に都内で開かれた決算説明会の場で、寺田氏は退任の理由についてそう強調した。

2000年代に10~20代の女性から熱狂的な支持を集めて急成長した同社は、2015年度に売上高434億円とピークを記録した。だが、その後は主力とするバッグの売れ行き不振や不採算店舗の大量閉鎖が響き、3期連続で減収に。直近3年間で売上高は4割弱、グループ店舗数は2割強それぞれ減少した。売り上げが減る中で広告宣伝費や人件費などのコストが収益を圧迫し、2017年度は上場以来初の営業赤字に転落した。そこで同社は大規模な組織改革を断行。カンパニー制を導入し、ブランドごとに生産管理やPR(広告宣伝)を担う人員を配置する体制に変更した。さらにCMからWeb広告への転換や人員削減、業務の内製化など複数の合理化策を徹底し、2018年度は営業黒字に転換。ただ、繰延税金資産の取り崩しにより最終損益は3期連続の赤字となった。


寺田氏によれば、カンパニー制への移行により各ブランドが現場起点で業務に取り組む体制が構築できたものの、創業者に依存した社風が改革の足かせになっていたという。業務改革を一段と進めるため、昨年には外資系金融機関などでの職務経験を持つ渡邊貴美氏とアドバイザリー契約を結んだが、『僕がオペレーションもマネジメントもやるのが組織に染み渡り、スタッフがなかなか渡邊氏の言うことを聞いてくれないなどの問題があった』(寺田氏)。

◇退任のタイミングに疑問
サマンサの最大の特徴とも言える海外セレブらを起用したプロモーション施策の多くは、経済界から芸能界まで幅広い人脈を持つ寺田氏の手腕で成り立ってきた。今後は藤田新社長やCOOに就く渡邊氏らが経営の指揮を執り、改革を進める。

もっとも、寺田氏退任のタイミングには疑問が残る。コスト削減で営業赤字を脱したとはいえ、抜本的な業績回復に向けた道筋はまだ見えてこない。ここ最近、同社の主要顧客層である若年女性の間ではカジュアル色の強いスタイルが浸透。サマンサが得意とする高単価でかっちりとしたハンドバッグは以前と比べ需要が薄れ、スポーティーなリュックサックやショルダーバッグが好まれる傾向にある。

粗利益率が7割近くと高い一方で、ブランドイメージを浸透させるためのプロモーションに金をかけるビジネスモデルに首をかしげる向きも多い。アパレル大手の幹部は『今の若い世代には、CMにトップモデルを起用しても「自分には縁がない」と感じられて宣伝効果が薄い』と語る。インスタグラムなどで個人がコーディネートを発信する機会も増え、従来のような著名人を起用した仕掛けでファンを増やすサマンサの手法には限界もある。こうした時代の変化への対応については、課題として残されたままだ。『さらなる改革を新体制に託した』と言えば聞こえはよいが、業界関係者の間では『このタイミングでの退任だと、まるで経営を投げ出したかのようにも映る』との声もある。


◇寺田氏とコナカ社長が筆頭株主に
さらに不可思議なのが、社長交代と同時に発表された寺田氏が保有する株式の売却だ。寺田氏は現在、サマンサタバサの6割超の株式を持つ筆頭株主だが、その半分を紳士服大手のコナカの湖中謙介社長に5月中旬に売却する。『湖中さんとは10年来の付き合い。サマンサが世界ブランドを作ることに尊敬・共感し、今回、資本参加をしていただいた』(寺田氏)。

売却後は、寺田氏と湖中氏の両者がそれぞれ約3割の株を持つ筆頭株主となる。株の売却はあくまで『法人としてではなく、代表が個人で購入した』(コナカ担当者)ため、会社間での資本提携などは現時点で決まっていない。だが、5月の株主総会後に、湖中氏はサマンサタバサの社外取締役となる。『大きな会社(=コナカ)のトップとしてマネジメントに長けている湖中氏からさまざまなアドバイスをいただきたいと判断した』と、サマンサタバサの菅原隆司常務取締役は語る。

フーム、『サマンサ』は特異なブランド育成力にたけて、日本初世界向けの有力ブランドになると見ていたが、間違いだったのだねえ。それにこの『大きな会社(=コナカ)のトップとしてマネジメントに長けている湖中氏からさまざまなアドバイスをいただきたいと判断した』の発言には驚きだ。コナカ、Who?だ。ネットで調べて青山、青木に次ぐ第3位と知ったが、一位の青山に比べ、売上高は4分の1と、見劣りする。たかがこれほどの企業を『大きな会社のトップ』と表現するには常識的におかしいなあ。広島地方では見たことがないから。まだ4位の『はるやま』の方が知名度が高いと思っている。悲しき『サマンサ』だねえ。残念なり、だ。

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