今日の画像は、プロ入り初勝利を挙げた『史上最年少囲碁棋士・仲邑菫初段(10)』と、心を癒してくれる『アネモネ』『デージー』です。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
仲村初段は、28日、日本棋院関西総本部に所属する若手棋士16人による非公式戦『第2回若竹杯』でプロ入り2戦目の対局に臨みました。対戦相手の同じ女性棋士の種村小百合二段(37)を破り、仲邑初段はプロ棋戦で初勝利を挙げ、ベスト8に進出。お見事ですねえ菫ちゃん。
■■中学、高校、大学で、勉学の結果が思わしくなくいわゆる『劣等生意識』を持っているキミ、心配するな、あなた以上の劣等生が世の中に出れば大成功した例もあるのだ。その筆頭に『ニトリの創業者似鳥昭雄さん(76)』がいるのだ。本当、似鳥さんは劣等生で高校大学と卒業さえ危ぶまれた人物。が、今や年間1兆円の売上を目指す大家具チェーンの親分になっている。
話題をばらまく老舗『大塚家具』の対角線上にあり、大塚の年間売上はたったの300億円、ニトリの20分の1にしか値しない。諸君の人生の参考のため、そのニトリをここまで成長させた『破天荒な似鳥昭雄』の実像を追う。
★★★バス広告会社の共栄興業を解雇された後、履歴書を持って6~7社ぐらい回ったが、住所不定で保証人もいない。折角北海学園大学を卒業しても職はみつからない。金がないどころか、食べるにも困る状況に追い込まれた。友人宅を転々としてもさすがに迷惑がられる。
1ヵ月ぐらい帯広市や旭川市など北海道内を放浪した。再び共栄興業の所長の元へ駈け込み。『何でもするから、会社に入れてほしい』と懇願した。集金やバスの鉄板のデザイン、ステッカー貼りなどを担当した。
相変わらず営業はさっぱり。やることもないので、映画館に行ったり、パチンコ屋に入り浸ったり、時間を潰すのが大変だった。結局、『君は成長しないな』と言われ、6ヵ月で再びお祓い箱になった。
それで札幌市内をふらふらしていると、父の弟で似鳥コンクリート工業の専務にばったり会った。『だらしない生活をいつまでしてるんだ。仕事がないなら、手伝え』と言われ、そのまま会社に戻った。叔父は水道工事を手掛ける部門の責任者で、旭川での水道工事現場の監督の助手をすることになった。
仕事をするのはいいが、家に帰るのはおっくうだ。1年ぶりに自宅へ戻ると父は珍しく酒を飲んでいる。『家出して申し訳ない。これから旭川で仕事に行きます』と伝えると、父は『何しに帰って来たんだ』と一升瓶を投げつけた。ベランダのガラスは粉々に砕け、慌てて叔父と共に逃げ出した。本当は嬉しかったのかも知れないが、相変わらずだ。母はなぜか占い師に聞いて、『札幌で元気にしている』というお告げを来ていたそうだ。そのせいか、怒られることはなかった。
旭川で監督の助手を務め、測量などの仕事を覚えた。2ヵ月後、滝川市で10人ぐらいの水道工事の現場監督をするようになった。主に上水道と家庭を結ぶのが仕事だ。監督になったのはいいが、現場作業員をまとめるのが大変だった。昔から似鳥コンクリートで働く社員もいるが、半分は東北から集まる季節労働者だ。そのリーダー格は体中に入れ墨を彫り、100キロある巨漢だった。昼間から酒を飲み、面倒な仕事は避ける。昔からいる作業員は当然不満も生まれる。
ちょっと不満があると季節工達はストライキに入る。そこでリーダーに『みんなと同じように仕事をしてくれないか』と頼んだ。すると『文句があるなら部下達を引き上げるぞ』と脅す。『どうしたら言うことを聞いてくれるのか』と聞くと、『力比べ、相撲、花札、酒で全部勝ったらな』と言う。
花札、酒なら勝てるかも知れない。相撲は得意だが、相手は大きい。まず花札は勝った。力比べは70~80キロの石を持ち、何歩歩けるかという競争だ。石を運ぶのは仕事で慣れており、勝利。そして相撲だ。体重は65キロしかないが、奇跡的に勝てた。次は酒飲み競争。こちらは勝負がつかず、引き分けた。すると親分は『大学出の割にやるじゃないか。言うことは聞いてやる』と言い、和解が出来た。
これには生え抜き社員も感心してくれた。道内のどこの現場よりチームはまとまり、仕事のスピードはどこより速く、利益率も群を抜いていた。(参考:似鳥昭雄筆『私の履歴書』)
■■日本代表監督『森保一』、U-17日本代表監督『森山佳郎』、J1名古屋監督『風間八宏』、J1大分監督『片野坂知宏』、J2大宮監督『高木琢』、昇格請負人J3北九州監督『小林伸二』、FC今治監督『小野剛』、福岡などの監督をした『松田浩』・・・・・。この人達は全員サンフレッチェの出身である。前身のマツダサッカークラブの時代からの人達もいる。この人材を見出した人こそマツダサッカークラブ総監督、サンフレチェGMを務めた『今西和男さん(77)』。
集英社が、今西さんの足跡、育成した人材を追った『育将』を2016年に発刊している。ただ、今西さんは最後の時期に『FC岐阜』の社長に就任された。まさに泥にまみれた時代だった。なぜこんなクラブを引き受けたのか、詳細はつまびらかになっていない。心配は過去からの累損を個人で引き受けた総額3億円の負債。この処理がどうなったか、不明である。その『育将』の実像の証言を綴る。いずれも肩書は2016年の『育将』発刊当時のもの。
★★★『育将・今西和男 廿日市FC 久保竜彦(1)』
逸材・久保竜彦のために早婚を薦め、酒を控えさせた。
門徒たちが語る師の教え 廿日市FC 久保竜彦(1)
久保竜彦は心に決めた。『俺はもう絶対にここではしゃべらんとこ』。福岡県筑前町から出て来た18歳の少年にとって、広島は大都会だった。自分の口から出る九州の訛りが恥ずかしくて仕方がなかったのである。極度の人見知りであったから、プロ入りを意識したのは筑陽学園高校の1年先輩である久藤清一がジュビロ磐田への入団を決めてからで、漠然と自分も行きたいと思ったに過ぎなかった。3年生になると、校長室に同級生の大場啓(1996年~2006年 大塚製薬/徳島ヴォルティス)と一緒に呼ばれた。部屋の中ではサンフレッチェ広島の強化担当という人が精悍な顔つきで待っていて、いくつか質問を受けた。久保の当時の記憶では『なんか偉い人の部屋で今西さんと会ったのは覚えています。印象は…、何もないですね。怖そうな顔でした。「怖いわ、これ多分」って思ってました』。
一方、今西は筑陽の吉浦茂和監督から見てもらいたい選手が2人いるという連絡を受けて、現場に河内勝幸コーチを飛ばしていたが、サンフレッチェの予算からすれば、取れるのは1人だけと思っていた。河内の報告では久保が面白いということだった。しかし、学校で会ってみると、キャプテンでもある大場はハキハキと話すのに対し、久保はボソボソと単語を発するだけで、なかなか会話にならなかった。
『困ったのう。うちはチームとして勝とうとしとんじゃが、これでは会話にならん』。それでも類まれなポテンシャルの高さは感じることが出来た。インターハイにも選手権にも出場はしておらず、全国的には全く無名の選手であったが、今西は野育ちゆえの久保の素材の確かさを認めていた。後に『日本人離れした』と必ず形容される身体能力の高さはすでに備わっていたのである。
久保はサンフレッチェ入団と同時に、マツダの社員寮でもあった小磯寮に入る。冒頭の『無口たる』決意は、そのときになされたものである。今西は選手に対しての人間教育を重視し、特に若い選手に対してはサッカー馬鹿にならないようにとことあるごとに説き、さまざまな研修を施していた。新人には講師を派遣しての話し方教室を行ない、コミュニケーション能力を磨くことを義務付けた。しかし、久保はこれが嫌で嫌で仕方がなかった。『先生が来て何か言われるんですけど、俺は福岡の南の田舎で訛ってるし、もうしゃべるのはやめておこうと。そんときも寝てるか、行かないか、どっちかでした。話し方の授業に行かないと叱られるんですけど、やっぱり行かなかった』。純朴な久保は孤独だった。寮では一切、誰とも口を利かなかったし、加えて食堂で供給される食事が合わなかった。自他ともに認める偏食家でもある男は、コンビニの弁当や惣菜パンばかり食べていた。これから身体を作るアスリートの食生活がこれではお話にならない。
現状を知った今西は寮の横にある旧知の居酒屋『うみ』のおばちゃんに頼み込んだ。『うみ』は今西が現役を引退した直後から馴染みにしていた海鮮料理の料理屋であったが、店主が亡くなっていたこともあり、すでに店を閉めていた。そこを何とかして欲しいと頭を下げて、久保のために特別な食事を作ってくれるように取り計らった。『うみ』は元々日本代表にも選出された東洋工業のDF川野淳次が『すごく旨い魚を食わせる店がある』と言って、サッカー部に広めた店である。賄い料理も新鮮な海の幸がふんだんに使われており、久保は口にしてすぐに気に入った。『これ、九州の味に似とる。めちゃくちゃ旨い』。『うみ』の明かりが点いているので、勘違いした一般客が『復活したん?』と店に入ってくることもあったが、おばちゃんは『いや、久保くんは身内やからよ』と断り、特別に扱ってくれた。
食生活が安定するとプレーにも余裕が出た。最初は若手選手のためのサテライトリーグでセンターバックやサイドバックをやらされていたが、コーチからFWにコンバートされると一気に才能が開花した。久保はものが違う!とトップの高木琢也や森保一も一目置くようになった。『外国人ストライカーもよく見てきましたが、タツは見劣りしないどころか、それよりもすごいと思わせるものがありました』(高木)。
サンフレッチェを背負って立つことは疑いのないところで、今西はこれを機会に久保の私生活を安定させようと決意した。相変わらずチームメイトと口は利かなかったが、九州の男らしく酒が好きで、街で飲み歩くうちに酒場で友達が出来ていた。泥酔して帰って来て寮の前の電柱に寄りかかってチームの名前の入ったジャージを着たまま寝てしまっていることもあった。今西は秘密裏に高校の恩師に連絡を取り、彼女の存在がいることを知ると単身、福岡の両親のところに向かった。
『どうぞ、竜彦くんを早く結婚させてあげて下さい。彼はまだ若いけれど、私も23歳で結婚しました。サッカー選手として一番重要な時期です。責任を持たせて、生活も安定させてプレーに集中させてやって下さい』と丁寧に早婚の薦めを語ったのである。広島に帰ると返す刀で久保の飲み友達のところへ回って、これからはタツを飲みに誘わないでくれと訴えた。入団3年目21歳で久保は挙式する。
『最初に見た今西さんは怖かったけど、怒鳴られたこととかは全然なくて、自然にいろんなことを気づかせてもらいました。僕は若い頃は勉強もせんと、好きなことしかせえへんかった。プロやしカネがあったから毎日飲み歩いてました。僕は普段しゃべらんけど、酒を飲むとすぐに友達ができるんです。でも、それじゃあダメやと分からせてくれたし、結婚も無理やりじゃなくて、自然に決めたもらった感じでうまくいきました。今西さんはカッコいいんです。それから、あの人の人への接し方とか、じっと見ていて真似しようとかしていました』。
久保には強烈な記憶がある。『海が目の前にある鯛尾のグラウンドで練習したときなんですけど、ぼうっとしていたら、いきなり海の中から今西さんがブクブクって現れたんです。「よーし、これ捕ったから練習終わったら、皆で腹一杯食え」と言ってサザエやアワビをくれたんです。何しとったんですかって聞いたら「いろんな海に潜るのが好きなんじゃ。タツは外国に行っても何も食わんけど、市場に行ってみい。市場に行ったら、美味しいもんがいっぱいあるで」って。漁業権とかあるかもしれんですけど、その態度に惹かれました』。無骨でぶっきらぼうだが、選手のために何か食わせてやりたいという、その振る舞いに驚き、この人について行きたいと思った。
今西はまた純朴で口下手な久保のために試合後のヒーローインタビューの際にはレポーターに『事前に何を聞くか教えてやっておいてくれ、質問も3つ以内で』と頼んでいた。それでもキャスターの長嶋三奈が父親ゆずりの無邪気さで、いきなり5つも6つも速射砲のように聞き出したときは目が回ったという。
・久保竜彦(くぼ・たつひこ)
1976年6月18日、福岡県生まれ。筑陽学園高から、1995年サンフレッチェ広島に入団。高い身体能力を買われ、1998年レギュラーに定着し、2ケタゴールを記録。同年には日本代表にも選出された。トルシエ、ジーコ監督の下、国際試合でも活躍したが、ワールドカップには縁がなかった。2003年横浜F・マリノスに移籍。17ゴールを記録し、年間優勝に貢献。その後はケガに泣くことも多く、2007年横浜FCに、2008年サンフレッチェ広島に、2010年ツエーゲン金沢に移籍。2011年、現役引退を発表した。2013年、広島県社会人サッカーリーグ1部に所属する廿日市FCで現役復帰。廿日市スポーツクラブのストライカー養成コーチ、およびアンバサダーも務めている。(参考: 集英社刊『育将』)
★★<アルバイトから老舗社長に就任>氷菓『あずきバー』や肉まんなどで知られる津市の井村屋グループ。2000年に入社した北友紀さん(37)はかつて総務・人事部で仕事をしていたころ、モヤモヤしていた。『この違いは何だろう・・・』。当時、井村屋の社員は『一般職』『エリア総合職』『総合職』と3つの職位に分けられていた。給与体系や昇進のスピード、さらには『出世の限界』まで職位によって異なっていた。
高卒の北さんは当時、一般職で、給与に関する仕事を担当していた。職位による転勤や、転勤拒否など矛盾が生じていた。そんな時、職位の区分を無くそうと音頭を取った女性がいた。『一般職にもエリア職にも総合職にも力がある人は多い。昇進の道がないのはおかしい』。当時常務だった『中島伸子さん(66)』だ。中島さんは福井県で井村屋のアルバイトとして働き、25歳で社員になった。
3人の子供を育てつつ、営業で力を発揮した。支店長、常務と異例の出世を遂げていた。そんな中島さんのもとで、全社員1千人の給与・評価体形の一体化を進めるための計画が12年に立ち上がった。その後、全員が研修を通じてこの問題をディスカスした。職位の一本化は15年春に実現した。管理職への昇進やスキルアップを目指すための通信教育の受講者数は、新制度のスタートを境に年300人超から600人超へ倍増した。
管理職への女性比率は13年に3.4%だったが、18年には6.5%に。『20年に15%』の目標は達成出来る見込みだと言う。一般職で採用され、元々は管理職への道が閉ざされていた北さんは、15年に管理職の一歩手前である『主任』になった。3歳と8歳の2人の子供を育てながら、出張したり、社内プロジェクトに参加したりもしている。
中島さんは目を細める。『小豆炊きを極めたいという大卒の女性もいるし、測量士として工場に入りたい女性もいる。いろんなキャリアがあっていいんです』。
中島さん自身の井村屋でのキャリアには、常に『女性初』がついて回った。男性に負けないようにと気負いすぎ、部下を厳しく叱責したことも。そんな中島さんに、浅田会長は『肝っ玉母さんでいいんや。父さんにならんでええ』と声を掛けたと言う。中島さんはこの春、副社長から社長に昇格した。
★★<公立病院、膨らむ『隠れ赤字』 税で穴埋め増える懸念>地方自治体が運営する公立病院の赤字拡大が止まらない。自治体の補填を除いた本業の赤字総額は2017年度に4782億円となり、12年度比で5割増えた。最終的な損失も膨らんでおり、公的負担が急増する恐れがある。公費投入が増えると、過剰病床の縮小・集約など医療の効率化が遅れる懸念が強まる。
◇本業の赤字は5年で5割増
公立病院は都道府県や市町村がつくり、国立や大学の病院と異なる。民間病院が手がけたがらない救急や小児など不採算の医療を提供したり、過疎地の医療水準を維持したりする役割があり、公費投入に意義はある。ただ赤字を公費で埋め続けると自治体財政は悪化し、保育や介護などの公的サービスにしわ寄せがいく。さらに非効率な医療が温存され、入院や治療を増やそうとしてムダに医療費が膨らむ恐れがある。
総務省が集計する公立病院決算は医業収入にも自治体の補助を含み、本業の実態が見えにくい。日経新聞は本業の力を見るため、公費を除く『純医業収支』を独自に算出した。対象は都道府県や市町村が持つ783病院のうち、12~17年度に比較できる671病院。その結果、損益悪化が止まらない状況が判明した。純医業収支が黒字の病院数は12年度の45から17年度は19に減り、全体に占める割合は7%から3%に下がった。合計赤字額は5割増えたのに対し、公費投入額は5%増にとどまり、15年度以降は借入金に頼っている。
◇経営のプロ育たず
環境が厳しいのは民間病院も同じだが、公立病院は非効率な業務構造が温存されている。全国公私病院連盟によると、民間は医業の費用が収入と均衡するが、公立は費用が1割多い。公務員の看護師は人員配置や給与体系を柔軟に変えられない。事務職は短期で異動するため経営のプロが育たず、無駄遣いが生まれやすい。建設費単価は公的な日赤病院などよりも1割ほど高い。厚生労働省の調べでも、17年度の一般病院の経常利益率は民間が2.3%、公立はマイナス1.5%との結果が出た。
埼玉県立がんセンター(伊奈町)は典型例だ。13年に建て替えて病床を増やしたものの、患者数は想定を下回り赤字が急増。18年度予算は同センターを含む県立4病院への一般会計からの繰入額が建て替え前の1.8倍に膨らんだ。県病院局は『見通しが甘かった』と認める。
◇首都圏で目立つ公費投入
過大な公費投入は民間との競合が激しい首都圏で目立つ。17年度の1ベッドあたり公費投入額の首位は東京都の617万円で、全国平均の約2倍。総額で見ると都立8病院だけで400億円と、全国の1割近い公費を使った。都病院経営本部は『都立しかできない機能がある』と訴えるが、広尾病院(渋谷区)と大塚病院(豊島区)は空きベッドが増え、外来患者数は全国平均を下回る。
日本総合研究所の河村小百合上席主任研究員は『都は財政規模が大きいため、巨額の公費投入が見過ごされている』と指摘する。千葉県も病院に過大投資し、損失の穴埋め額が膨らんだ。国内の病床は過剰感が強く、公立は全国の病床の15%弱に達する。病床を埋めるために入院患者を増やそうとすれば、ムダに医療費が膨らむ。総務省は07年に公立病院改革の指針を作り、全国の公立病院に施設・診療機能の再編を促した。すでに60を超す再編例があるが、多くの地域では再編の取り組みが様々な壁に阻まれている。
◇病院再編、年収減に強い抵抗感
4月1日、兵庫県川西市の市立川西病院の運営者が医療法人・協和会に変わった。赤字脱却を目指すための民間委託だ。3年後に別の場所に新病院を建て、協和会の別病院と統合する。2病院の医師を新病院に集めて救急体制を充実させる。現在の病院跡地には診療所と介護施設を整える。
ハードルは市立病院の看護師らの処遇だった。民間運営になると年収が平均153万円、率で3割近く下がる。当初4年は市が差額を補うが、半数の職員は退職か市役所事務職に異動した。『公務員でなくなることに抵抗感は強い』(同病院経営企画部)。川西市はなんとか乗り越えたが、往々にして労務問題は公立病院改革にブレーキをかける。
『都立病院は独立行政法人化すべきだ』。2018年1月、東京都は有識者委員会から提言された。実現すれば人事や予算を柔軟に決められる。7千人超が非公務員になるが、都立病院労働組合は『労働条件を悪化させる』と反対を表明。都は『23年度までに検討を進める』(病院経営本部)と、結論を出すかどうかも不透明だ。
◇自治体間の責任分担、調整が難航
複数の自治体が絡むと、運営責任や資金分担を巡り綱引きが生じる。千葉県香取市にある県立病院と国保小見川総合病院(市と東庄町で開設)。数年前に2病院の建て替えとセットの再編案が浮上した。県は市主導で赤字額が大きい県立病院を小見川病院に統合する案を推した。市は責任を押しつけられると警戒し、逆に県主導の建て替えを求め、小見川病院を市単独で建て替えた。これで再編案は消え、県立病院の赤字は膨らんだ。
公立病院再編は縦割り意識を脱した発想が要る。08年に地方独立行政法人として発足した日本海総合病院(山形県酒田市)の前身は近接する市立と県立の2病院。県立の赤字が膨らみ、建て替えを控えていた市立病院が統合を提案した。原動力は『このままでは共倒れになる』との危機感だった。県と市、病院間で厳しい調整を重ね、県立は規模を拡大し重症者向け拠点病院、市立は縮小してリハビリ病院とする役割分担を決定。職員には業績手当てを入れた。中小病院との連携も進め、開業以来、黒字を続ける。
栗谷義樹理事長は『個々の病院ではなく地域全体の医療を効率的に提供する経営が必要だ』と説く。サービス水準を落とさずに効率化するには、自治体や職員が既得権益にしがみつくのをやめる必要がある。
◇民間との連携がカギ
そのためには民間病院をまじえた医療体制の見直しもカギを握る。神奈川県は16年度に、総合病院の汐見台病院(横浜市)を医療法人に譲渡した。知事が『県立は小児科などに特化すべきだ』と判断した。従来の医療を続けることを条件に譲渡先を公募し、毎年7億円超あった公費繰入額はゼロになった。医療情報を分析するケアレビューの加藤良平代表は「都市部は公立病院が民間との役割分担を徹底し、規模を縮小すれば公費に依存する問題は改善する」と指摘する。
とかく、官営の事業は硬直的になる。民間の柔軟性に比べ、そこに働く人達の意識が権利確保へ向かいがちだからだ。民間経営では、経営者も従業員も『赤字を垂れ流したら、倒産する』ということを強く意識する。ソ連の崩壊は『倒産がない社会から倒産のある社会への転換が進んだから』とも言われる。今、中国はそれゆけどんどんで、経済は膨張過程にあるものの、国営企業、地方自治体事業費の赤字は伏せられたままだ。この赤字累積が、日本で言えば1990年代のバブルの崩壊につながる可能性もあり、中国経済はいつか大きな壁にぶち当たるだろう。計画経済、官営経済がはびこる社会はやがて崩壊するのが道筋だ。とは言っても、コンビニ経営のように人格、人間性を否定するまで突き進むと今度は事業自体が社会的に破綻の道を歩むことになる。すべからく『経営力』『洞察力』が必要になるんだなあ。
★★<『旭日旗を拒否せぬ中国』に韓国メディアが大慌て>4月23日から山東省・青島港で開かれた『中国人民解放軍海軍創設70周年記念国際観艦式』のニュースは韓国でも少なからず話題になっている。特に、旭日旗を掲揚したまま中国に入港した日本の海上自衛隊の護衛艦『すずつき』の姿は、『日中の急接近』の象徴として、厳重に受け止められている。
一方の韓国では、昨年の10月、済州島で開かれた国際観艦式で、文在寅韓国政府が日本の海上自衛隊の旭日旗掲揚問題をめぐってもめにもめた末、日本側から参加をボイコットされるという前歴がある。それなのに、歴史問題において『味方』だと思い込んでいた中国の習近平政府が、自国の国際観艦に旭日旗を容認したのだ。これは文在寅政権にとって衝撃だった。今、韓国マスコミでは『日中密着』に対する警戒心とともに、『韓国だけがアジアで孤立するのではないか』と憂慮の声が高まっている。
◇『文在寅政権に対して日米が不信を表わすのも無理はない』
保守系中央日刊紙『中央日報』は、『日中、北露の活発な接近は、果たして他人事なのか』という社説で、急変している北東アジア情勢において、韓国だけが外交的に孤立する恐れがあるとこう警告した
『中国は23日、青島で開かれる海軍創設70周年記念観艦式に旭日旗を掲揚した日本自衛隊の護衛艦を受け入れるという。「米国が意に介さないのに、同じ戦勝国の中国がなぜ旭日旗に敏感なのか」という反応が出るほど、中国内の対日感情が好転されたおかげだ。しかし、韓国政府は昨年10月、済州国際観艦式の時、旭日旗掲揚を許さず、結局日本艦艇は参加を見送った。韓国が過去に縛られていたのに対して、中国はこれ過去を克服する姿を見せたわけだ。このような状況が繰り返される限り、日本が中国ではなく韓国と未来をともに考えるわけがない』
『最近、目まぐるしく動いている朝鮮半島周辺情勢下で、韓国が決して見逃してはならないことがある。昨年、安倍晋三総理の中国訪問で象徴される日中間の驚くべき和解の速度だ』
『新たに近づくのは日中だけではない。24・25日に決まった北朝鮮の金正恩国務委員長とプーチン・ロシア大統領間の首脳会談を通じて、ギクシャクしていた北露関係を新しく構築するに違いない』
『韓国はどうなのか。韓国は友好国との関係を改善するどころか、伝統的な韓日米のトライアングル安保体制からも切り離されている。文在寅政権に対して日米が不信を表わすのも無理はない。だから韓米同盟が崩れつつある中、日米間の軍事協力は日増しに強固にならざるを得ない』
懸念を表明するのは『中央日報』だけではない。やはり保守系日刊紙『文化日報』も、4月24日の紙面に『旭日旗を揚げた日本艦艇の入港を許可した中国・・・文政権は何も感じないのか』という社説を掲載した。同紙は、『旭日旗を揚げた日本艦艇の中国入港は、国益と未来を重んじる外交とはどういうものか象徴的に示す』とし、中国政府と日本政府の実利外交が両国の歴史を克服した、と分析している。
◇日中接近に不安隠せぬ韓国メディア
また、『「旭日旗観艦式」を許容した習近平中国主席を、プライドがない人物と思っているのか。韓国の安保と経済、未来の発展のためにも文政権は、対日外交をどうするべきかを熟慮しなければいけない』と、文在寅政権の対日外交の姿勢を辛らつに非難した。
ほかにも、『なぜ、文政権には中日のような実利外交が見えないか』(4月22日付の『ソウル経済新聞』社説)、『中日蜜月が加速・・・旭日旗を揚げた自衛隊護衛艦が中国の観艦式へ参加』(4月22日付の『朝鮮日報記事』)、『中国の国際観艦式に旭日旗をつけて出席した日本護衛艦・・・中国は旭日旗も知らないのか?』(4月22日付の『トップスターニュース』記事)、『日本艦艇、中国の観艦式に旭日旗つけて参加、「韓国に圧力? それとも中国の日本無視?」』(4月22日付けの『ヘラルド経済新聞』記事)、『中国、観艦式に旭日旗許容・・・「戦犯旗の通用を懸念」』(4月22日の『OBSニュース』)、『「中国夢」のため?・・・「日本の旭日旗」まで我慢するのか』(4月23日の『MBCニュース』)などなど、韓国マスコミは、日中の急接近に対する不安を隠せなかった。
一方、韓国社会では相変わらず旭日旗をめぐる尖がった反応が続いている。4月26日、ネット媒体の『アイ・ニュース24』は、『趙源泰韓進グループ会長、デビュー写真で旭日旗論議・・・「航空機エンジン」と反論』という記事を掲載した。
◇ファン・ブレードで『旭日旗を連想』
今年4月8日に死亡した趙亮鎬大韓航空会長の後任となった趙源泰会長側がマスコミに配布したプロフィール写真に『旭日旗を思わせる背景がある』との議論が提起されている、という内容だ。ところが、議論になっている写真をみると、単なる飛行機エンジンのファン・ブレードを背景にした趙会場の正面バストショットだ。飛行機エンジンのファン・ブレードで旭日旗を連想するというのは、どう考えても無理やりな気がする。
『平和ニュース』というフェブ新聞は3月18日、『慶州・普門団地に旭日旗登場で相次ぐ抗議・・・ドラマ撮影用のハプニング』という記事を掲載した。その記事によると、有名観光スポットである慶尚北道慶州市にある普門団地に旭日旗と日本帝国主義を称賛する垂れ幕が掲げられている写真がSNS上で拡散、騒ぎが起きたという。ところが、所管地域の観光庁が調査した結果、垂れ幕はドラマ撮影用の小道具だった。しかし市民からは、『案内文もなしに旭日旗を掲げたのは不適切だ』『気持ち悪い』との非難が続き、観光公社側が『市民を驚かせて申し訳ない』と謝罪したという。
日本のNHKにあたる韓国の国営放送『KBS』では、旭日旗が消されることもあった。毎週土曜日に放送される『映画が好き』という映画情報番組は、2月23日、映画に登場した旭日旗を消して放送した。この日紹介された映画『自転車王オム・ボクトン』は、日本帝国主義時代に日本が主催した自転車大会で日本選手を破って優勝したオム・ボクトンという実存の人物を描いた映画だ。映画のハイライトにあたる自転車でのレースシーンに登場する競技場にはいくつもの旭日旗が飾られていたが、KBSは視聴者の感情に考慮して、映画の中の旭日旗をすべて消して放送したのだ。
去年の10月、済州島観艦式直後、韓国国会ではいわゆる『旭日旗掲揚禁止法』という法案が発議されたこともある。国会副議長も歴任した『共に民衆党』の李錫玄議員が発議した『旭日旗など日本帝国主義シンボルの使用を禁止する法案』は、『旭日旗を掲揚した船舶の韓国領海通過禁止、旭日旗を付着した航空機の運航禁止、そして旭日旗などの日本帝国主義のシンボルを所持したり、流布したりした者に対して2年以下の懲役と3000万ウォン以上の罰金の賦課」』などの内容が含まれている。
ただ、韓国マスコミによると、この法案は韓国外交部が『韓日関係に悪影響を及ぼしかねない』と反対しているため、6カ月間も国会で漂流中だという。旭日旗をめぐるドンチャン騒ぎ、韓国ではまだまだ続きそうだ。
まあ、勝手にやってこくれな。日本国民はもうすでに韓国を見捨てているからなあ。
★★<北アルプス相次ぎ2人遭難、県警ヘリ救助も死亡 >北アルプスで27日から28日にかけて男性2人が遭難し、いずれも死亡が確認された。
27日午後3時半頃、富山、岐阜県境の北ノ俣岳(2662m)の尾根で、兵庫県西宮市、会社員土居浩行さん(50)から遭難したとの連絡があった。28日午前5時40分頃に富山県警ヘリで救助されたが、死亡が確認された。
28日午前5時頃、富山県立山町の雷鳥沢付近(約2560m)で、埼玉県越谷市、無職小川誠さん(79)が雪に埋もれているのを登山者が発見し、110番した。小川さんは県警ヘリで救助されたが、死亡が確認された。
雷鳥沢とは、あの立山の雷鳥沢だろうか。槍ヶ岳かな。私は立山の雷鳥沢を真夏に訪れたが、まだ1m以上の残雪が見られた。4月の時期、ここに入る方って相当の熟達者だろうが、それでも遭難する。山は怖い。まあ、私のように里山を歩く程度では遭難なんて何の心配もいらないがねえ。