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『国民的タレント「タモリ」奇譚② 「山下洋輔トリオに招かれる」』

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今日の画像は、世界遺産長崎県平戸市の春日集落の『棚田のライトアップ』と、オランダで発見された『日本人妻・たきがシーボルトに当てた分厚い手紙』。そして、雨に濡れる『キンシバイ』、『ドクダミソウ』です。ドクダミは本当に生命力の強い草花ですねえ。どんなところでも進出します。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★★タモリは、小学校に入学して集団生活を送るようになってからも、マイペースな性格は変わらなかった。中学時代には学級委員に選ばれたが、何も職務を果たさず、教師には『君は無責任だ』と責められた。

高校3年の時、タモリはジャズに出会った。そこからのめり込んで行き、ブラスバンド部でトランペットを吹き始めた。高校卒業後、1年の浪人生活を経験。受験勉強をしながらラジオに耳を傾けていた彼が、特に興味を持ったのが外国語放送だった。

福岡は大陸に近いため、韓国や台湾のラジオの電波が飛んできていた。後にタモリの代表作となる『インチキ外国語』のネタの土台はこの時に作られた。タモリは早稲田大学第二文学部哲学科に入学。モダンジャズ研究会では演奏時にしゃべってその場を仕切る司会者の役割が重要だった。タモリは司会者に抜擢され、そこで卓越した話術が評判になった。

大学2年の時、仕送りで親から送られてきた授業料を友人との旅行代に充ててしまい、授業料が払えず大学を除籍になった。その後もジャスの活動は続けていた。しかし、モダンジャズ研究会には入部から4年経つと辞めなければならないという不文律があった。研究会を離れたタモリはそこで福岡に戻った。祖母が亡くなり、取り残された祖父の面倒を見るためだった。


タモリは福岡で保険外交員として働き始めた。さらに、ホテルマン、ボウリング場の支配人、喫茶店のマスターなど、職を転々とした。しかし、どの仕事にも真剣に打ち込むことは出来ず、『何かが違う』と感じていた。そんなタモリの運命を変える出来事が起こった。

ある日、フリージャズの山下洋輔トリオが博多でライブを終えて、ホテルの一室で打ち上げを行っていた。彼らはミュージシャンでありながら笑いにも造詣が深く、ライブ後にはどんちゃん騒ぎをして、バカバカしい宴会芸を披露し合うのが通例となっていた。そこに突然、踊りながら乱入して来た一人の男がいた。それがタモリだった。山下トリオのメンバーは突然現れた彼を面白がり、すぐに受け入れた。その場でタモリはインチキな外国語などの持ちネタを次々に披露。場は大いに盛り上がった。

山下洋輔(76)は、この一夜の出来事に衝撃を受け、東京でも友人達にタモリのことを触れ回った。そして、タモリを東京に呼び出し、文化人が集まる新宿の飲み屋でネタを披露させた。(参考:サンデー毎日)


★<ベートーベンに挑み続ける、前橋汀子>小沢征爾さんがサンフランシスコ交響楽団の音楽監督をされていた頃、演奏を聴いてもらったことがある。まだ私は20代だった。『ソリストでやって行きたいのかもしれないけど、室内楽の勉強が大切だよ。音楽の原点だからね』と小澤さんは言った。

室内楽の中でも原点と言えるのが弦楽四重奏だ。当時の私はせっかくジュリアード音楽院で弦楽四重奏を学んだのに、その重要性に気付かなかった。小澤さんの言葉は核心を突いていた。実はジュリアードで学んでいた頃、その弦楽四重奏で苦い経験をしている。アルバイト募集の掲示板で『カルテットを求む』の紙を見て、気軽に出かけた時のことだ。依頼主はマンハッタンの豪邸に住む老紳士だった。趣味でバイオリンを弾き、名器ストラディヴァリウスを持っている。

『これを弾いて』と渡された楽譜はベートーベンの弦楽四重奏『ラズモフスキー』の第1番。いきなり弾けるほど簡単な曲ではなく、私は弾いたことも聴いたこともなかった。老紳士は私に第1バイオリンを任せ、自分は第2バイオリンを弾いてディナーのゲストに聴かせるつもりだった。あれほど冷や汗をと恥をかいた経験はない。

時は過ぎ、弦楽四重奏団『東京クヮルテット』のチェリストで桐朋の同級生でもある原田禎夫さんがグループを離れたと聞いた。室内楽の大切さに目覚めていた私は彼を訪ね、一緒に弦楽四重奏を弾いてくれないかと頼んだ。最初はあまり乗り気ではなかった原田さんを口説き落とし、第2バイオリンは久保田巧さん、ビオラは川本嘉子さんにお願いして『前橋汀子カルテット』が誕生した。最初のコンサートは2014年。ベートーベンの弦楽四重奏から3曲を演奏した。


私はベートーベンの後期、特に亡くなる前の数年に作られた曲に心引かれている。耳が不自由になりながら作曲を続けた楽聖の思い、人生の答えと言うべきものを感じるからだ。バイオリンで実際に演奏出来る後期の作品は弦楽四重奏の6曲だけ。ソロの演奏とは全く異なるし、技術的にも難しいから、私は常に楽譜を持ち歩いて勉強している。カルテットは来年1月に東京で公演し、ベートーベンの後期とラズモフスキーの弦楽四重奏曲を演奏する予定だ。

近年の私は前向きな姿勢で演奏に臨めていると思う。それは15年前から浸かっているバイオリン、1736年製の『デル・ジェス・ガルネリウス』に助けられている面が大きい。楽器だけで演奏の良しあしが決まる訳ではないが、バイオリニストにとって楽器とはそれほど重要な存在なのだ。ロンドンの楽器商で試奏した瞬間、衝撃を受けた。当時の私は2台のバイオリンを所有し、十分満足していた。『デル・ジェス・ガルネリウス』はその2台を足した値段だった。

私は還暦を迎え、今後どうするべきか悩んでいた時だ。1台は老後の資金にでもと考えていた。迷いに迷った末、2台を手放し、この1736年製の『デル・ジェス・ガルネリウス』を手に入れた。これを弾けば、さらに階段を一つ上がれると確信したからだ。新しい楽器はすっかり私になじみ、常にインスピレーションを与えてくれる。あの時の決断が、今の私の演奏を支えている。(参考:『私の履歴書』)

このような音楽名人、域に達した人にも、人生の岐路、分かれ目があったんだねえ。素晴らしい選択眼の、前橋汀子さんではある。


★<穂積さん悲しい逝去>累計で300万部以上を売り上げ、映画やテレビドラマにもなった『積木くずし』の著者でもある俳優『穂積隆信さん(享年87)』が10月19日に胆嚢癌で亡くなった。その晩年、『僕は自殺しようと思っているんだよ』。2月下旬、愛妻に先立たれて1年になる穂積さんは、JR渋谷駅近くの喫茶店でこう切り出した。

『来月分の生活費と家賃はなんとかなる。でも4月以降、収入がなくて、二進も三進も行かないんだ』。『積木くずし』の印税は3億円を超えたと言われ、俳優業はもとより教育評論家としての収入は億単位。しかも所得税の滞納税を700万円以上抱え、預金は10万円に満たないと打ち明けられた。『延滞税は確定申告の還付金で少しづつ支払っているんだけど、収入は先細り。昨年は舞台と経営者向け情報誌の仕事で300万円ほどの収入があったが、今は何も決まっていない』。年金は未納で全くゼロだと。

意を決して生活保護の受給を勧めると、穂積さんは渋った。それでも説得し、ようやく頷いてくれた。3月に入り区役所へ向かい、申請。生活扶助と住宅扶助を含めた総額は12万8千円余りだった。穂積さんの表情は、少しずつ明るくなっていた。ほどなく、来年5月の名古屋・御園座の1ヵ月公演が決まった。時代劇の舞台。穂積さんは家老役だ。体を鍛えなければ、と言い、『遺言』として、これまでの俳優人生、そして『積木くずし』以降の家族のことを一冊にまとめたいと相談された。

だが、今夏胆嚢癌が発覚。付き人が見舞いに訪れる度に手を取り、『由香里』と愛娘の名前をつぶやいたと言う。見取ったのは、唯一の肉親である姪と最後の付き人、元付き人。遺体は2年前に申請しと言う都内の大学病院に献体された。ご冥福をお祈りします。  合掌(参考:『週刊朝日』)


★<ボンネットに人のせ逃走 中学校講師を逮捕>大阪府高槻市で、車上荒らしを見つかった男が、被害者の男性を車のボンネットにのせたまま逃走した事件で、中学校の講師が逮捕された。強盗殺人未遂の疑いで逮捕されたのは、寝屋川市立の中学校講師・近野鎮憲容疑者。
警察によると、近野容疑者は、先月29日、高槻市内の路上に止めてあった車の中から、現金3万円の入った財布を盗んだ上に、被害に気づき制止しようとした持ち主の男性を車のボンネットにのせたまま400メートル近く走行し、殺害しようとした疑いが持たれている。防犯カメラの映像などから近野容疑者が浮上したもので、調べに対し『車を物色したが、金目のものを見つけられなかった。車を前後に動かしたりしたが、殺そうとしたわけではない』と容疑を一部否認しているという。

もう都市圏での犯罪は、周囲の防犯カメラで犯行や犯人が特定されるケースが増えたねえ。公共設置の防犯カメラに加えて、多くの店舗、民家などが防犯カメラの設置しているから、逃れられないいんだねえ。犯人逮捕もさることながら、これが犯罪の抑止力になるとまだいいねえ。


★<川崎駅のロッカーに拳銃など保管、2人逮捕>神奈川・JR川崎駅のコインロッカーに拳銃などを隠し持っていたとして、暴力団組員の男と交際相手の女が逮捕された。銃刀法違反の疑いで逮捕されたのは、稲川会系暴力団組員の上野晃司容疑者と交際相手の高木麻衣容疑者。警察によると、2人は今年6月、JR川崎駅のコインロッカーに、拳銃2丁と実弾21個を保管し、所持した疑いが持たれている。

2人は預けた4日後に受け取りに来たが、1日分の料金しか入れていなかったため、ロッカーを管理する業者が回収し、警察に押収されていた。上野容疑者は調べに対し『弁護士と相談する』と話し、高木容疑者は容疑を否認しているという。

なんとトンチキで間抜けな『暴力団員』だろうか。小銭がなかったのかねえ。それとももともと本当の間抜けなのかしら。


★<『復興城主』、2年で19億円 熊本城復旧で寄付>熊本地震で被災した熊本城の復旧費用を募るため、熊本市がつくった『復興城主』制度がスタートして2年。県内外から寄せられた善意の総額は19億円を超えた。西南戦争で焼失した熊本城の建造物復元のため、市が1998年に設けた『一口城主』制度は17年間で約18億2,740万円。これを既に1億円以上も上回っている。

復興城主は2016年11月1日に始まった。市によると10月末までに個人や団体など9万6,936件、19億3,839万円の寄付があった。内訳は県内4割、県外6割で、首都圏からの寄付が多かった。市熊本城総合事務所は『温かい支援に支えられながら、少しずつ復旧への歩みを進めることができた。あらためて感謝したい。県内からも生活再建を抱えながらの寄付。その気持ちに応えたい』と話している。復興城主による寄付は1万円以上で城主証がもらえたり、観光施設の入場料が無料になったりする特典がある。寄付は中央区の城彩苑や熊本城総合事務所、インターネットでも受け付けている。

すごいことだねえ。日本人の善意、好意はまだ生きているんだねえ。


★<32年五輪、南北朝鮮が共同開催>2032年の五輪に、南北朝鮮が共同で開催したい旨、IOCに申請したそうだ。チャンス到来。拉致問題、竹島問題、慰安婦問題、徴用工問題がこの時点で解決していなければ、日本はこの五輪をボイコットすべし。国際社会に訴える良いチャンスだ。理不尽な朝鮮民族の思考を世界が理解するだろう。まあ、拙者はこの時には墓の下かもしれないが。見届けたいねえ、32年の五輪騒ぎを。


★<アイリスオーヤマ、テレビ参入『4K』55型で10万円> PBや中韓メーカーと最安値競う 生活用品を手がけるアイリスオーヤマがテレビ販売に参入する。11月末に国内で7機種を発売する。高画質の『4K』に対応した55型で価格を10万円前後に抑えた。2020年の東京五輪前の買い替え需要を狙い、家電量販店のノジマやドン・キホーテなどもプライベートブランド(PB)で参入しており、異業種を含めた競争が本格化する。

アイリスオーヤマは『4K』に対応した55型で価格を10万円前後に抑え、東京五輪前の需要を取り込む考えだ。調査会社のGfKジャパンによると、18年上期の薄型テレビ販売は前年同期比7%増の260万台。東京五輪に向け、11年の地上波デジタル化の際に購入したテレビの買い替え需要が活発になっている。

アイリスは11月末に液晶テレビの自社ブランド『LUCA』を立ち上げる。32~65型の7機種で店頭価格は4万~14万円を見込む。大手電機の価格より3割程度安く、家電量販店のPBや中韓メーカーと最安値を競う。アイリスは09年に家電事業に参入した。LED照明やエアコン、炊飯器などの生活家電が中心で、AV機器の販売は初めてとなる。大阪市の開発拠点で大手電機メーカーからの転職技術者を採用しており、11月に東京でも同様の拠点を開設する。


今後、冷蔵庫や洗濯機も本格販売を始め、テレビを中核にインターネットで家電を制御する開発を進める。テレビの仕様設計やデザインをアイリスが手掛け、中国メーカーに製造を委託する。インターネット通販のほか、取引のある全国約4,000店のホームセンターなどに順次、販路を広げる。初年度に3万台、19年度以降に年間数10万台の販売を目指す。

電機大手は事業縮小が続く。17年に東芝がテレビ事業を中国電機大手の海信集団(ハイセンス)グループに売却。18年9月には日立製作所が国内で販売するテレビをソニーからの調達に切り替えた。アイリスは生活家電では高度な機能をつけずに価格を抑えて大手電機メーカーと差異化を図ってきた。布団乾燥機や送風機では国内トップシェアを持つ。アイリスの全社売上高は18年に約5,000億円で、うち家電事業は前年比1.5倍増の約1,000億円に引き上げる計画だ。22年には18年の2倍となる全社売上高1兆円を目標に掲げている。果敢なる『アイリスオーヤマ』だ。パ・リーグ楽天、ベガルタ仙台のスポンサーとしても活躍している。ガンバレ、アイリスオーヤマ、だ。


★<時速280キロのスピード違反>東大阪市内の自動車専用道路を時速約280キロで暴走したとして、大阪府警は、乗用車を運転していた府内の30代の男を道路交通法違反(速度超過)容疑で書類送検する。スピード違反の検挙としては、全国で過去最高速度とみられる。

捜査関係者によると、男は今年1月、同市内の自動車専用道路『第2阪奈道路』で、法定速度(時速60キロ)を約220キロ上回る時速約280キロで運転した疑いが持たれている。府警が走行中の画像を解析するなどして速度を割り出した。事故はなかった。時速280キロは、東海道新幹線の最高速度(285キロ)とほぼ同じ。

スピード違反を巡っては、警視庁が3同容疑で逮捕。千葉県警も同月、東京湾アクアラインで時速239キロで大型バイクを運転したとして、県内の会社員の男を書類送検した。男は、スピードを制限する『スピードリミッターを自分で解除して走った』と言っている。自動車の写真が一部見れ、左ハンドルだから、やっぱ外車だな。

280キロとは並みの車ではないなあ。ボルシェかな。まあ、英雄気取りだろうねえ、この男は。ひょっとして日本版ギネスに登録したどうだい。

『国民的タレント「タモリ」奇譚③ 「赤塚不二夫に見出される」』

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今日の画像は、大河ドラ『西郷どん』で大久保利通を演じた『瑛太』と、美しき『ユリの花』です。『西郷どん』の低視聴率は、一体何が、誰が原因なのかなあ。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★★タモリは新宿の飲み屋で次々に芸を見せるだけでなく、その場でリクエストに応えて当意即妙のアドリブも連発した。その圧巻のパフォーマンスは見る人の度肝を抜き、店内は爆笑に包まれた。この時、タモリを見初めた文化人の一人に漫画家の『赤塚不二夫(故人)』がいた。赤塚はタモリを気に入り、居候のような形で自宅に住まわせた。

赤塚のタモリへの入れ込みようはすごかった。愛車ベンツを自由に乗り回していいという許可まで与えたほどだ。さらに、自分が出る番組にタモリを出演させた。それが記念すべきタモリのテレビ初出演となった。

タモリの芸のベースとなっているのは、音感の良さと即興の技術である。それはいずれもジャズでやってきた経験から培われて来たものだ。タモリは耳がいいので一度聴いたものをすぐに再現出来る。また、その場その場の状況に応じてアドリブを繰り出すのもお手のものだ。


代表作の『四カ国語麻雀』では、中国人、韓国人など別々の言語を話す外国人が麻雀で対決する。彼らがケンカになって、最後に仲裁に入るのが昭和天皇だ。さらに、寺山修司(故人)、竹村健一(88)など、アクの強い文化人のものまねも得意としていた。しゃべり方を真似るだけでなく、いかにもその人が言いそうなことを即興で話すのが画期的だった。そんなタモリの芸は身内の間だけで披露される『密室芸』だった。

赤塚の後押しもあって、メディア関係者の間でタモリの名は徐々に知れ渡った。そして、テレビやラジオの仕事が次々に舞い込むようになった。深夜番組を中心に飄々とした調子で毒を含んだ知的な笑いを提供するタモリは、怪しげな魅力を放っていた。

そんなタモリのイメージをガラリと変える出来事が起こった。82年に超大型番組となる『笑っていいとも!』が始まったのだ。(参考:サンデー毎日)


★<掘り起こせ潜在保育士7万人>順番待ちで保育施設に入っていない児童を減らそうと、政府は『2020年度までに待機児童ゼロ』とする目標を掲げている。ただ達成には保育士の数を7万人以上増やす必要がある。人手不足が深刻な中、簡単ではないが、問題解決の救世主は資格や経験を持ちながら働いていない『潜在保育士』だ。保育業界では人手不足が深刻だ。全国の待機児童の数は公表分だけで5.5万人いる。調査によると、1/4の施設で保育士が足りず、うち2割が児童の受け入れを制限している。

潜在保育士とは、保育士として登録されている人は全国で140万人から誘い出そうとする策。そのうち保育所や児童養護施設に勤務する人は86万人。差引54万人が『潜在保育士』と言える。千葉県では16年度に、県内の登録保育士に調査を実施し、回答者の38%に当たる7千人が潜在保育士であると突き止めた。このうち働く意思がある6割の人に対し、県が造った保育士専用の人材バンクへの登録を促した。施設と働き手をマッチングする仕組みだ。


広島県も3月、保育士登録者3万人を調査した。回答者の37%に当たる2,531人が潜在保育士だと判明。このうち職についていない人が54%おり、復職を提案して行く予定だ。広島県の調査結果で試算すると、全国には最大50万人の潜在保育士がいる計算になる。この人材の厚みを生かすには、働きたいと思わせる環境作りも欠かせない。

保育士に対する最大の欲求不満は賃金水準だ。17年の民間保育士の平均給与は23万円。全国平均より10万円ほど低い。給料が安く、なかなか上がらないイメージは新卒採用にも影を落とす。養成校を卒業後に保育士になる人は全体の半分程度に止まる。一旦保育士を辞めた人も復職に向かわない。他産業に比べて遜色ない賃金水準に引き上げる努力を官民あげてやる必要がある。

が、これって今頃話題にする問題かねえ。まったく『お役所仕事』だ。日本の人口減の問題が指摘され始めたのは30年以上も前から。なのに、児童を育てる環境にやっとメスを入れているだと。『親方日の丸』の公務員の仕事はこんなもんだろうなあ。民間だったら、あの大塚家具になってしまうのに。


★<瑛太、大久保利通を語る>鈴木亮平主演のNHK大河ドラマ『西郷(せご)どん』で、主人公の西郷隆盛(鈴木さん)の盟友・大久保利通を演じてきた『瑛太』が、このほどクランクアップを迎え、コメントを発表した。

『日々の生活の中にずっと大久保が入っていたので、達成感をすごく大きく感じています』と感慨深げで、『大久保の一生涯を演じるのは、やはり大変なこと。大久保は濃密な人生を送られた方だなと、史実からも台本からも受け取ることができました。大久保はとにかく突っ走り、いろいろな困難に向かって全力投球をした方じゃないかなと。すごくカッコいい人だと思います』と思いを寄せた。

また、『西郷と大久保の2人の関係性がすごく大きかったので、暗殺されるシーンは“吉之助さあ”のことを思い出して、胸が熱くなるところがありました』という瑛太は、『ラストシーンを撮る前に、鹿児島にいる祖父と電話で話したのですが「西郷どん、毎週楽しみに見てるよ」と言ってくれて、おじいちゃん孝行ができたかな』とも語る。さらに『大河ドラマの1年を乗り越えただけの底力みたいなものが絶対につく気がするんです』と考えを明かすと、『大河ドラマは2度目ですが、これで2度目のクリアをしたので、少しは底力がついたかなと感じています』と手応えも語る。


最後に瑛太は『次に誰が大久保をやるのか。いつになるのか全然分からないですけど、とても楽しみですね』と話し、『僕は昔から言っていますが、原始時代を大河ドラマでやりたいんですよね。第15話くらいでマンモスを倒すんです。ないかな(笑い)』と冗談交じりに“3度目の大河”を夢見ていた。

大久保利通は、維新の嫌われ者で、西郷隆盛が人気を一手に引き受けているが、ある意味冷徹にならないと維新は成功しなかっただろう。が、庶民、農民が大圧政に会って辛酸をなめ、苦しんだ実態もどこかで明らかにして欲しいねえ、NHKさんは。公共の放送局というのがNHKなんだが、何やら政府の肩ばかり持つ雰囲気があり、あの総務相の顔色、阿倍晋三の顔色ばかり伺っている理事達ばかりという声も聞こえてくる、がなあ。視聴者が視聴料を払っているんだから、正々堂々と政府の悪い部分は批判をしてもらいたいねえ。あの、『モリトモ』の報道の内容はとても公共放送とは言えない内容だった。財務次官のセクハラしかり、だ。


★<眼科ナイフ、世界で勝負>地方にも世界の競争に伍して、先端を行く中小企業はある。宇都宮市郊外の工業団地の一角に、世界の医師が愛用するブランド『MANIマニー』の看板を掲げた工場がたたずむ。米J&Jやスイスのノバルティスと世界で真っ向勝負する『マニー』の本社工場だ。白内障手術の眼科ナイフ、歯の神経を除去する精密ドリル、外科手術用の縫合針など主要商品がそろって『世界NO1、2位』を握るというグローバルニッチトップの代表企業だ。

マニーの株式を保有するレオス・キャピタルワールドは『世界的な長寿化傾向で、目と歯をメンテナンスする需要は確実に拡大する』と投資の理由を説明する。新興国では所得の向上が進み、医療ニーズが拡大する。投資家の期待は大きく、予想PERは40倍超。株価は直近10年で4倍に上昇した。

資本力を誇る世界の巨人達と互角以上に戦える理由は、徹底した品質へのこだわりがある。マニーは研究開発で『世界一の品質以外は目指さない』と定める。マニーは1961年、それまで鉄製でさびやすかった縫合針ホウゴウバリのステンレス化に世界で初めて成功した。それ以来、原料である硬質ステンレス線材の加工技術を磨き続け、どこにも負けない鋭い切れ味や刺しやすさを実現して来た。


手術の結果を左右する切れ味は手術機器の生命線だ。1万2千種類もある縫合針など多品種の製品を人の目で全数検査し、品質を保つ。針はナイフの性能が低ければ、医師による手術のしにくさだけでなく、手術後の患者の回復度合いにも影響する。『道具へのこだわりが非常に強い日本の医師に認められる製品しか売らない』。高井社長はこう言い切る。

マニーは材料に独自の加工を加え、粘り強さと硬さを両立したステンレスを自社開発した。それでもこれの売上高に占める材料費は6%にすぎない。これを独自のノウハウで縫合針やナイフに加工し、6割の粗利率を実現する。

反面、地道に生産効率を高めるカイゼン活動は手薄だった。針やナイフの生産には人手が必要だ。90年半ばにベトナムに生産を移したが、ベトナム工場は7期にわたり増設を繰り返して来たため、工場内は乱雑だった。昨年秋、3万5千屬梁2工場を建設し、生産工程の整理に乗り出した。ここではベトナム人従業員が、日本語で生産効率化を議論する。生産技術の確立まで現地に権限委譲し、現場発のカイゼン活動を促すために報償や表彰の制度も設けた。

一方、宇都宮工場は研究開発に特化する。『ベトナムの人件費は製造原価に、日本人の人件費は販管費にと明確に切り分ける』と。地道なカイゼンと新製品の組み合わせで利益率を高める。前期の売上高営業利益率は25%。中期的には『35%への回復が見えてきた』と高井社長は話す。


新興国での販売戦略も見直しの最中だ。現地の販売代理店任せだった歯科器具は、マニー・ブランドのコピー商品がはびこっていた。コピー商品対策のため、ホログラムを箱に貼り付けた。ベトナム、中国、インドでは販売子会社を設立し、マニーの従業員が有力な医師を訪ね歩いてコピー商品の危険性を説いて回った。モグラ叩きの状態は今も続いているが、コピー商品の流通量は確実に減っている。

こうした取り組みは短期的にはコストはかさむ。が、長期的に見ればブランド力の向上につながる。投資家はマニーについて『目先の成長ではなく長い時間軸で経営しており、持続的な成長が期待出来る』と話す。地方発、世界一、まっこと素晴らしことではある。


★<韓国徴用工判決 事実上の国交断絶を突きつけたに等しい>『韓国徴用工判決』は、『嫌韓』だの『反日』だのといった好き嫌いの話ではない。日韓関係を根底から覆す国際常識外れの歴史修正というしかない。

『国交正常化の前提となっていた合意を反故にするのですから、事実上の“国交断絶”を突きつけたに等しい』。朝日新聞元ソウル特派員でジャーナリストの前川惠司さんは、韓国の大法院(最高裁)が10月30日に下した判決について、そう呆れた。

韓国人の元徴用工4人が、日本による朝鮮半島統治時代に『強制労働させられた』として、新日鉄住金に損害賠償を求めていた裁判の差し戻し上告審で、大法院は被告側の上告を棄却し、原告の元徴用工に対して1人あたり1億ウォン(約1,000万円)の賠償を命じた。

『徴用工』とは、戦時中に日本政府が軍需工場などに動員した労働者のことで、日本統治下の朝鮮半島でも動員がかけられた。まず、はっきりさせておかなければならないのは、元徴用工に対する補償については、すでに日韓両政府の合意のもと解決済みであるということだ。


日韓国交正常化が実現した1965年に、『日韓請求権協定』が結ばれた。協定によって、日本政府は韓国に対して『3億ドルの無償経済支援』を行ない、その代わりに韓国は『「個人・法人の請求権を放棄』すると決まった。協定には請求権に関する問題が『完全かつ最終的に解決された』と明記されているのだ。

日韓問題に詳しい麗澤大学客員教授の西岡力氏が解説する。『日韓国交正常化交渉の際に、日本政府は韓国人の元徴用工に対して、個人に直接支払うかたちでの補償を提案していました。しかし、韓国側はそれを拒否。政府に一括して支払うことを求めたため、日本がそれに応じた経緯がある』と。つまり、元徴用工に補償しなければいけないのは、日本政府でも新日鉄住金などの日本企業でもなく、補償金を“預かっている”韓国政府なのだ。

だが、韓国政府は日本からの経済支援金を元徴用工たちに渡さなかった。1965年当時の韓国の国家予算は約3億5000万ドルであり、それに匹敵する額の日本からの経済支援は、インフラ整備などに充てられた。その結果として、韓国は『漢江の奇跡』と呼ばれる経済成長を遂げたわけである。そうした経緯を踏まえれば、『日本企業が元徴用工に補償しろ』という判決が、国際法はもちろん、物事の筋を大きく違えたものであることがよくわかる。(参考:週刊ポスト)

まあ、あったり前の話だが、あえて念のため再度アップした。


★<『まんぷく』好調を維持>女優の安藤サクラさんが主演を務めるNHKの朝ドラ『まんぷく』の第5週『信じるんです!』(10月29日~11月3日)の週間平均視聴率が21.9%だった。ドラマのスタートから5週連続20%の大台をキープし、依然、好調が続いている。

『まんぷく』は、99作目の朝ドラで、大阪放送局制作としては42作目。インスタントラーメンをこの世に生み出した実業家、安藤百福さんとその妻、仁子(まさこ)さんの半生がモデルのドラマ。第5週『信じるんです!』では、昭和20年、終戦を迎え、福子(安藤さん)と萬平(長谷川博己さん)、鈴(松坂慶子さん)は、疎開先から大阪に戻るが、そこは大空襲を受けて焦土と化していた。空襲を免れた次女の克子(松下奈緒さん)の家に身を寄せるが、生活の糧に困ることに。そんな中、萬平の提案で、ハンコを家族総出で作ることになり……という展開だった。

まあ、あの安藤サクラの笑顔がいいねえ。にっこり笑うと、本当にほていさんか、観音さんが笑った笑みのようにほっこりすもんねえ。いい朝ドラだ。


★<いなくなったら困る『丸君』>広島・松田元オーナー(67)は、今季国内FA権を取得した丸佳浩外野手(29)を複数年契約で慰留していることを明かした。『誠意を込めて。主力選手だし、人格がしっかりしている。いなくなったら困る』と説明。球団では異例となる宣言残留も認める方針を示した。

同じく国内FA権を取得した松山については『キャラクターとして好き。いるだけで心が和む』と評価。来季も必要な戦力として、こちらも複数年契約で慰留しているとみられる。

また、34年ぶりの日本一を逃した日本シリーズを振り返り、『あれだけ守備力が高いとは夢にも思わなかった。隙がなかった』とソフトバンクの戦いぶりを称賛した。日本一の夢こそ破れたが、『新しい目標ができた。ソフトバンクは育成から育ててきたチーム。うちも育てていかないと』と語っていた。

本当に困るねえ、今カープから丸がいなくなるなんて。想像はしたくないなあ。


★<半年で日本撤退のシェア自転車ofoに破産準備報道>『中国新四大発明』の倒産ラッシュ。2018年11月、北京の地下鉄駅近くに置かれたofoの自転車。近くの会社に勤める男性は『シェア自転車は1年前に比べて明らかに数が減っており、見かけてもモバイクばかりだ』と話した。 2018年春、和歌山市と北九州市で事業を始めた中国シェア自転車大手のofoが10月末、わずか半年余りで日本から撤退した。
1年前には高速鉄道、モバイル決済、ネットショッピングと並び『中国新四大発明』ともてはやされたシェア自転車スタートアップ。その代表格である摩拝単車(モバイク)とofoは鳴り物入りで世界各地に進出したが、モバイクはメガベンチャーの完全子会社となり、ofoは母国で破産報道が信憑性をもって受け止められるなど、袋小路に陥っている。

〇『北京のシェア自転車はかなり減っている』
11月4日、中国経済メディア『財経』が、『ofoの従業員が、北京本社から大きな荷物を運び出している』と報じた。ofoは2016年12月に本社を現在のビルに移転、4フロアを借り切っている。ofoは『引っ越しは事実だが、賃貸契約の満了に伴い別のビルに移るだけだ』とコメントしている。引っ越しのようなささいなことも含め、ofoの一挙手一投足が連日報じられているのは、経営破たんへのカウントダウンが始まっているとの見方が広がっているからにほかならない。

10月31日には中国メディアの『界面』が、ofoが破産もしくは支援企業の力を借りた経営再建準備に入ったと報じた。界面は、同社がユーザーから集めた保証金36億5000万元(約600億円)など、計64億9600万元(約1100億円)の負債を抱えているとも指摘。ofoは報道を事実無根と否定したものの、北京在住の会社員(22)は、『北京に9月に引っ越してきたけど、家の周りではofoの自転車はほとんど見かけない。モバイクも含めて、シェア自転車の数が大きく減っているように感じる』と話した。ネット上では利用者から『退会後も保証金がなかなか返ってこない』との声も増えている。


〇海外進出時には国内で倒産ラッシュ始まる
北京大学発スタートアップのofoは、2015年に北京でシェア自転車サービスを開始。モバイクなど後発企業が続々と参入し、2016年後半に入ると、中国都市部が黄色い車体のofo、オレンジのモバイクを筆頭に赤、緑、青、紫など色とりどりのシェア自転車で埋め尽くされた。破竹の快進撃を続けるofoとモバイクはさらに2016年末、それぞれ世界200都市に進出する目標を打ち出した。シンガポール、イギリスと競うように進出し、モバイクが2017年8月に札幌で事業を始めると、ofoも2018年3月、和歌山に進出した。だが日本で中国シェア自転車への注目がピークに達していた頃、足元の中国では、放置自転車問題や競争の激化で、業界はすでに下り坂に入っていた。

2017年6月、重慶発の悟空単車と地方都市を地盤にしていた3Vbikeが倒産。シェア自転車がバズワードとなった2016年末から2017年初めにかけて参入した企業の倒産ラッシュが始まった。同年末には大手の一角を形成していた小鳴単車も巨額の負債を抱えて経営破たん。大量の自転車を投下し、シェア拡大のために採算度外視でサービスを提供する利益なき消耗戦の限界が浮き彫りとなり、2018年に入るとofo、モバイクも資金難がささやかれるようになった。

〇モバイクはテンセント系美団の完全子会社に
中国スタートアップのビジネスは、『赤字を垂れ流しながらライバルを潰し合い、最後に残った1社ないし2社が市場を独占した後に利益モデルを構築していく』パターンが定番化している。つまり、競争力の高い企業がアリババ、騰訊(テンセント)のいずれかの傘に入り、それ以外の企業が死にゆくという淘汰の過程を経て、多くの業界が2大陣営に色分けされていくのだ。モバイクは2018年4月、テンセント陣営の出前アプリ最大手、美団点評の完全子会社になる道を選んだ。美団点評は9月に上場して市場から325億香港ドル(約4700億円)を調達、モバイクの危機は薄らいだ。

一方、ofoは難しい立場に立たされることになった。同社はアリババやアリババグループの金融サービス会社、螞蟻金服(アント・フィナンシャル)から出資を受けており、一応アリババ系に属する。だが2018年5月、アント・フィナンシャルが小規模な都市でシェアを伸ばしている業界3位の哈羅単車(Hellobike)の筆頭株主となり、モバイル決済や信用評価システムの活用などで提携を深めたことで、ofoの立場は宙ぶらりになってしまった。今年に入ってからは、早い時期からofoに出資し、事業の親和性も高い配車サービス最大手の滴滴出行(Didi Chuxing)がofoを合併するという観測が強まっていたが、滴滴は自社サービスで殺人事件が連発し、事業停止や安全への投資で収益が悪化、ofoの面倒を見る余裕がなくなった。


〇黒字化の道見えず近づく「死」
今は当事者だけでなく大株主も、巨額の負債を抱えたシェア自転車スタートアップの扱いに頭を悩ませている。9月には、美団点評が香港証券取引所に提出した上場目論見書から、モバイク事業の損失額が1日あたり1500万元(約2億5000万円)、年間57億元(約950億円)にのぼることが判明し、衝撃が広がった。美団点評はモバイクを155億6400万元(約2600億円)で買収したが、正味資産を27億4300万元(約450億円)と計上しており、現段階ではモバイクからの収益を期待していないことが読み取れる。モバイクは最近、アプリ内にECサイトを開設し、サイクル用品を中心に、生活用品、電子製品、スキンケア用品など販売しているが、焼け石に水との指摘が多い。

ofoは3月にアリババなどから8億6600万ドル(960億円)を調達したにもかかわらず、夏場には『あと1カ月で資金がショートする』と報道され始め、9月にも滴滴とアント・フィナンシャルから資金調達して死を免れた。自転車操業は誰の目にも明らかだ。ofoは買収観測が出るたびにそれを否定し、資金ショートがささやかれると、ぎりぎりのタイミングで運転資金を調達してきた。だが独立運営の道は依然として見えず、残された時間は多くない。

鳴りもの入りの中国のバイクビジネスだったが、砂上の楼閣に終わった様子だねえ。まあ、ありうることだねえ、急成長、玉石混合のスタートアップだから。


★<トランプのイラン制裁は選挙目当て>米トランプ大統領がイランとの『核廃止合意協定』に反旗を立てて、離脱し、イランの石油輸入禁止の措置をとった。協定が15年の限定のものだという理由で。政権が変われば、ちゃぶ台返しで、条約も協定も覆す米国。もう何も信じられない。

要は、イランはサウジ、イスラエルと敵対関係にある。米国内の親イスラエル派の票が500万票あると言われている。その票を目当てに、イラン制裁を発動したのだ、トランプは。以前書いたが、もうアメリカの民主主義、議会制度は破綻しているねえ。これでは近いうちに、世界は混迷の時代に入るだろうなあ。『パックスアメリカーナ』の終焉が、今現実になりつつある。

『国民的タレント「タモリ」奇譚④ 「笑っていいとも!」大爆発』

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今日の画像は、黒田博樹さんが広島の地元紙中国新聞に掲載した2ページの全面広告『結局、新井は凄かった』。そしてスペイン『トレド』の街並みです。先日、NHK・BSの『世界の街歩き』でトレドの放映がありました。なつかしく、4年前に『サンチャゴ巡礼』を歩いた後に訪れた際のトレドの画像をアップします。訪れた日は、何かお祭りのようで、中央広場をかこむ建物の窓には、それぞれの家の紋章が掲げられて、とてもカラフルでした。また、歴史のある邸宅が解放され、中庭などにタペストや美術品が展示され、解放見学に供されていました。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

まあ、面白い黒田さんだなあ、と思うねえ。しかも、新井の新聞レビューでは、マイナーな記事見出しが踊る。ファンはこれで結構楽しめる。費用は、月曜日掲載で、中国新聞の黒田への好意もあり、地方紙ということで、まあ1千万円は超えていないと推測するがねえ。本当に、面白い。ネットで調べたら、中国新聞の1面広告は381万円。まあ、中国新聞のサービスもあるだろうから、2面で500万円というところが妥当かなと。新聞発行部数の低下と、広告媒体としての効用の目減りで、新聞の広告料金は相当に下がっているねえ。


★★★吉本興業の漫才番組『THE MANZAI』が大ヒットして、空前の『漫才ブーム』が起こった。フジテレのプロデューサー『横澤彪タケシ(故人)さん』はそこで活躍した若手漫才師達を起用して昼の帯番組『笑ってる場合ですよ!』を立ち上げた。だた、東大文学部出身のインテリだった横澤は、漫才師達が楽屋で金と女の話しかしないことに失望を感じていた。

そして次の番組では色の違う芸人に番組を任せたい、と考えた。そこで白羽の矢が立ったのがタモリだった。タモリは出演依頼を受けて戸惑いを感じた。平日の昼に毎日生放送の仕事が入れば、ほかの仕事やプライベートにも制限が出てくる。だが、アングラ芸人として出て来た自分が、主婦層の視聴者が多い昼の時間帯に馴染むとは思えなかった。どうせすぐに終わるだろうと思い、タモリは軽い気持で引き受けることにした。

ところが、そんなタモリの意に反して『笑っていいとも!』は人気番組となった。前回のゲストに紹介されたゲストがタモリとトークをする名物コーナー『テレフォンショッキング』は、第1回から行われていた。その場で次のゲスト候補に電話をかけて出演依頼をするという演出も斬新だった。

『世界に広げよう友達の輪』『いいとも!』を初めとして、この番組からは多くの流行語が生まれた。密室芸を得意とするアングラ芸人のイメージがあったタモリは、この番組で完全に生まれ変わった。もともとすでに型が決まっているバラエティ番組などに異物として割って入って暴れるのがタモリ流儀だったのが、いざ自分が中心に置かれると、場を仕切る強引さが全くなかった。むしろ、自分を出すより相手の良さを引き出すことに専念していた。


共演する相手の面白さを引き出すということにかけて、タモリほどの逸材はいなかった。『いいとも』という日の当たる場所に引っ張り出されたことで、タモリの新しい一面が出て来たのだ。80年代にはフジのバラエティ番組が圧倒的な支持を獲得して黄金期を迎えていた。タモリの『いいとも』と、ビートたけし(71)、明石家さんま(63)らが出演した『オレたちひょうきん族』がその中心となっていた。

90年代に入ると、タモリの人気もやや落ち着いてきた。年齢を重ねて余裕が出て来たタモリにはガツガツしたところがなくなり、下の世代の芸人も台頭してきた。ウッチャンナンチャン、ダウンタウンと言った若い世代が出て来る中で、タモリ、たけし、さんまの『お笑いBIG3』の勢いにも陰りが見えてきたのである。

そこからタモリが持ち直したのは、下の世代に『尊敬の対象』として評価され始めたからだ。その象徴が『タモさん』という呼び名である。仲居正広(46)やナインティナインの岡村隆史(48)がタモリのことを『タモさん』と親しみを込めて呼び始めたのだ。この時期に、タモリは下の世代からやたらと持ち上げられるようになった。(参考:サンデー毎日)

私は、このプロデューサー『横澤彪さん』に会っている。講演講師として、『なぜ笑っていいとも、を立ち上げたか』、などを話してもらった。浜松の浜名湖に立つロイヤルホテルで。依頼に直接フジテレに行ったことを思い出す。確か、『いいとも』をスタートさせて半年たった頃、西新宿を歩いていて、上司と部下の4人の男性が肩を組みながら、部下らしい人が『課長、もう一軒行きましょう』と言ったら、課長が『いいとも!』と声高に答えたのを見たそうだ。それを聞いて、『いいとも』は上げ潮に乗ったものと感じたと語っておられた。今やタモリさんは、単なる芸人ではなく、マルチタレントとして活躍中だねえ。歳もとても70歳を超えたようには見えない若々しさだ。


★<嫌韓、朝鮮半島に残した日本人の財産5兆円を請求したら>【加藤達也の虎穴に入らずんば】民間研究機関が発見した資料に基づいて産経新聞が2003年に伝えているが、終戦時に日本人が朝鮮半島に残した個人財産は、報道当時の価格にして4兆9千億円になるという。韓国で1965(昭40)年の日韓請求権協定を覆す『元徴用工問題』への司法判断が出たことで、思い出した。韓国最高裁が新日鉄住金に対し、『元徴用工』4人に総額4億ウォン(約4千万円)の賠償を支払えとの判決を確定させた。『日韓の法的基盤が根底から損なわれた』(河野太郎外相)のだから、韓国側はこれを修復しなければならない。しかし、むしろ日本企業の賠償支払い基金への参加など、日本側の歩み寄りを模索しているという。この問題は、両国関係泥沼化の“鉄板”のサイクルに、ぴたりとはまっているから、長期化する。

両国がもめるネタが韓国国民に浸透する過程では、“親療攵蹐貌榲時代の“記憶”が目覚め、共感・同調圧力が作用し、『人権』やプライドの問題とすり替えられて活動が組織化し、せ碧 行政府が世論を忖度した判断や方針を示して公認し、テ椶冒噂茲鰺弋瓩垢襦櫃箸いξれが繰り返されてきた。慰安婦問題、かつて筆者が当事者となった朴槿恵前大統領との法廷闘争、さらに『旭日旗』問題もそうだ。今回の判断を受け韓国政府は李首相名で、司法判断を尊重▽対応策を準備▽日韓関係を未来志向的に発展させることを希望―と表明した。これは定石パターンい涼奮に来たから、次はイ砲覆辰討いので、よろしく-と読み替えると理解しやすい。


あまり言及されていないが、今回の訴訟は今後、世界展開し『日本は人道犯罪を認めず、謝罪も賠償もしない』という認識を広めるために利用される恐れがある。“第2の慰安婦問題”化である。『元徴用工』の個人請求権が日韓請求権協定で消滅したとする従来の判断を韓国最高裁が否定した2012年から、日本企業が敗訴した13年の差し戻し審にかけ、ソウルで関係弁護士の説明会や支援者の集会を取材したことがある。そこで必ず出たのが『日本が植民地化したこと自体が違法だ。人権を踏みにじられたお年寄りを救済しないでいることに日本人として心が痛まないのか』という論法だった。朝鮮半島統治という歴史に、人権を絡めるのは当時から一貫していたのだが、一方で今回の勝訴を受け、代理人弁護士が韓国SBSのインタビューで明かした言葉は興味深い。『日本政府が賠償も和解もするなという指針を示したことは重大な人権侵害』だと。

『外国に新日鉄住金の財産があり、その国が韓国の判決を承認すれば、その財産を強制執行できる』。人権問題を絡めたうえで、日本での民事訴訟や欧米、東南アジアなど第三国での強制執行手続きも視野に入れているというのだ。強制執行が認められなくとも、第三国での争いには現地で対応しなければならない可能性がある。日本政府や企業の労力は決して小さくないし、日本企業を誤解する向きも現れよう。韓国政府が認定した『元徴用工』(故人含む)は約22万人とされ、韓国側が“数と広がり”で攻めた場合、日本に対抗策はあるのだろうか。

日本政府は現在、国際司法裁判所(ICJ)への提訴も辞さない構えだ。韓国側が裁判に同意しなければ無意味との見方もあるが、『不同意の説明義務が生じる。韓国の司法判断には国際的に通用しない部分があり、弁明はかなり苦痛になる。現に韓国側は竹島問題などで提訴しないよう懇願してきたことがある』(外務省幹部)。それでも韓国が事態収拾に動かないならば、朝鮮半島に残した個人財産の半額ほどを、韓国に請求してみるのはどうだろうか。(元産経新聞ソウル支局長加藤達也筆)


★<プリクラの落日>スマホ時代で『プリクラ』の落日、シール機大手が倒産、残る1社の生き残り戦略。総じて“プリクラ”と呼ばれるプリントシール機。元祖の『プリント倶楽部』が登場したのは1995年7月のこと。ブームを経て、すっかり定着したかに思えたが、ここへ来て業界大手のメイクソフトウェアが倒産。プリクラの最新事情を探る。

コンピューターソフト開発のアトラス社が『プリント倶楽部』を誕生させたのは95年だが、当初からプリクラがヒットしたわけではなかったという。『ブームのきっかけはSMAPでした。96年、彼らがテレ東でレギュラーを務めていた「愛ラブSMAP!」で、番組プレゼントとしてメンバーのプリクラをプレゼントしたことから、認知度が上がり、各社が参入。ちょうどコギャルブームと相まって火がついたんです。マイクロミニにルーズソックスのコギャルたちは、友人、知人の数を競い、何百枚ものプリクラを貼りつけたプリクラ帳を持ち歩きました』(業界関係者)。現在のSNSで“いいね!”やフォロワーの数を競うのと同様だろう。

◇プリクラ業界の栄枯盛衰
誕生から2年後の97年には、市場規模は早くも1,000億円に達している。しかし、その翌年(98年)には、設置台数が約3,500台減っただけにもかかわらず、市場規模は半分以下の417億円にまで落ち込み、さらに99年には400億円も割った。

『2000年代となって競われたのが、写真の綺麗さでした。日立ソフトウェアエンジニアリングの“美写シリーズ”、ナムコの“花鳥風月”などの機種です。特にナムコは顔認識機能を用いて、デジタル処理によって目をハッキリと写し出すことに成功しました。また合成技術により、空を飛んでいるように見せるシールも製作できるようにもなりました』(日本アミューズメント産業協会)。

ゲームセンターがコスプレ衣装を貸し出し、それで撮影する“コスプリ”なども現れ、02年には市場は600億円を超えるまでに回復する。が、ここまでが隆盛期といっていい。


◇スマホとの共存を選んだプリクラ
『各社とも“美しく写る”ことアピールし始め、それが極端になったのがいわゆる“デカ目”でした』。目を大きく修正すること、別人のように“盛った”プリクラが流行った。なかには、ほっそりさせた輪郭からはみ出すほどのデカい目も……もはや人類ではない。

そして07年、iPhoneが登場。スマホ時代の到来である。プリクラ市場は08年には250億円、09年には230億円にまで縮小し、この年、最初のプリントシール機『プリント倶楽部』を作ったアトラス社が業界から撤退する。

『2010年頃からは、行き過ぎた修正からの揺り戻しで、各社、ナチュラル志向へと移ります。もちろん、“盛る”ことは外せないので、いかに加工感を少なく美しく写せるか、美肌や透明感などを工夫することで、11年には300億円規模へと回復します。最盛期には松下や日立なども参入したプリクラ業界ですが、この頃にはすでに4社となっていました。そのうち辰巳電子工業が2年ほど前に事業を縮小、アイ・エム・エスもゲームセンターへの定期的な販売はなくなっており、それに続く形でメイクソフトウェアも10月24日に破産手続き開始決定を受けたわけです。これで“プリクラ”機メーカーは事実上、最大手のフリュー社1社といっていいかもしれません』(同)。

メイクソフトウェアは、今年春には、NTTドコモと提携したご当地プリクラや、夏には人気の竹内涼真(25)の主演映画「『センセイ君主』とコラボ。竹内と2ショットのプリクラが撮れる機種も出たが、力及ばず……。やはり今の中高生には人気はないのか? 


数十社が参入したといわれるプリクラ業界だが、今や1社とは……。写真加工ならスマホでも十分に可能な時代ともなっている。市場規模はもちろんのこと、台数も1万台を切りそうだ。もはや消えゆく業界なのだろうか。
『売上規模は縮小していますが、台数が減ってきているのには、ライティングや広角撮影などのためにスタジオ化し、シール機がどんどん巨大化しているために、店舗に数が入らなくなったためという影響もあると思います』(同)。

◇東京・原宿で『プリクラLAND NOA』を運営する『ノア社』に聞くと、
『原宿店は賑わっているので、衰退とは考えていません。もちろん、地方ではお店がなくなっているところもあるようですが……。中高生の女子というユーザー層は昔から変わりませんから、若い子がいれば利用してもらえると思います。最新機種は、インスタ映えを考え、ブース内にスマホを置くスペースがついており、スマホのムービーで撮影風景を撮りSNSに上げるというものですね。店舗として気を使っているのは、パウダー室やレンタル衣装、フィッティングルームの充実でしょうか』。たかがプリクラと言うなかれ、だ。

まあ、『盛者必衰のことわりを表す』だな。平家物語だ。


★<文科局長、全国立大に寄付依頼 病死した職員の遺族向け>文部科学省の高等教育局長らが今年8月、外部に出向中に病死した職員の遺族向けの寄付金をとりまとめるよう、全86カ所の国立大学に文書で依頼していた。同省は交付金などに影響力があり、国立大側からは『あってはならない』との声が上がっている。寄付を依頼したのは、大学教育を所管する高等教育局の義本博司局長や、常盤豊・生涯学習政策局長(当時)、大学生向けの奨学金を取り扱う日本学生支援機構の理事長代理ら上級幹部やOBら20人。

過去に複数の国立大に出向後、放送大学学園に出向中の今春、病気で死去した50代の男性職員の子どもの『教育資金』として、1口千円で募っていた。文書は『各国立大学法人総務担当課長殿』宛てで、『貴機関内に周知いただくとともに、お取りまとめをされる際は機関用申込書を御記入の上、送付願います』と求めていた。事務局を務めた同学園担当者によると、国立大のほか、男性が過去に在籍した複数の独立行政法人にも送った。これまでに200万円以上が集まったという。

申込書は『個人用』と『機関用』があり、個人用には振り込み用のゆうちょ銀行口座や現金書留の送り先が記され、機関用には所属と氏名、口数、とりまとめた合計金額を記入する欄がある。官公庁や教育界では、在職中に死亡した同僚の遺児向けに『育英資金』を内輪で集める慣習が100年ほど前からあるとみられる。だが今回は、学部設置の認可や交付金などを握る部署の上級幹部らが、連名で外部組織に依頼していた。


ある国立大の教員は『監督者からのこうした依頼は問題だ』と指摘。国立大学協会会長を務める山極寿一・京都大総長は『文科省から公的なルートで寄付を依頼されれば、何かしらの権力関係が反映していると考えるのが普通。あってはならない』と批判している。義本局長は取材に、『高等教育局長という立場だから、大学に関係するので寄付の依頼を「手伝ってほしい」という話があった』とし、詳細は『全然知らない』と話した。

国立大は2004年の法人化で文科省から『独立』したが、人事交流の制度は残っている。政策や交付金などの情報を得るため、文科省の職員を受け入れることは大学側にメリットがある一方、『文科省にお伺いを立てる仕組みを生んだ』との指摘もある。
まあ、全くの『職権乱用』だな。恐れ入り屋の、文科省だねえ。不祥事の連続マンだ。


★<丸がFA宣言「他球団の評価を聞いてみたい」 >
広島の丸佳浩外野手(29)が、FA権を行使する意向を表明した。マツダスタジアムで報道陣の取材に応じ、『プロ野球選手である以上、他球団の評価を聞いてみたい思いがある』と胸中を明かした。

丸は『昨日決断しました』と明かし、『プロ野球選手である以上、他球団の評価を聞いてみたいという思いがある。そういう機会はなかなかない』とFA宣言した理由を説明。『球団には高く評価していただいていて、ありがたく思っています』と広島への感謝も口にした。

今季は打率.306、39本塁打、97打点の成績を残し、打線をけん引。リーグ3連覇の原動力となった中心選手に広島は球団は4年契約で出来高払いを含めて総額17億円を打診している様子。宣言残留も認めている。他球団も調査を進め、巨人が25億円超、丸の地元・千葉に本拠を置くロッテも20億円規模の資金を用意していると見られ、リーグ屈指のスラッガーの争奪戦に発展しそうだ。


カープOBの北別府学さんは、丸のFA表明について『権利ですから仕方ない』とし、『巨人が大変な高評価をしているとの事実は、我々も関係者とは最近この話題が多く上がります』と明かした。その上で『速報に上がるほどの選手を育てあげたのは広島東洋カープだ!!』と誇った。

まあ、FAはプロ野球の選手に与えられた権利だし、FAを宣言出来る選手だから、止むをえないね。最終、やっぱ、カープ、と言ってくれるのを期待するのみだ。全国のカープファンの期待に沿ってほしいねえ、丸君には。が、拙者は、4:6で移籍すると見るな。移籍先は、ロッテ。井口監督の弁にかかって千葉県に里帰りだろう。巨人には行かないと思うね。単なる勘だがね。

北別府さんについては、私も衝撃的な記憶がある。若き時代、高校生のリクルート活動で、南九州を回っていた。そして、都城農業高校を訪問した。と、就職担当の先生が『君、北別府学を知っているかい』と。いいえ、知りません、と答えると、『今年、我が校は九州の野球大会で優勝したが、その優勝投手が北別府だよ。そして、来年はカープに入団するんだ』と。当時あまり熱心なカープファンでなかった私は、北別府さんのカープ入団を初めてここで聞いたという次第。

さらに、都城市に一泊したが、翌日、駐車していた車の屋根に桜島の噴火灰がうっすらと積もっていた。夜中に桜島が噴火したのだろう。面白く、長く記憶に残る都城の思い出である。


★<少しの知性と正義感が残っていたアメリカ中間選挙>アメリカ国民にも、少しの『知性』と、ちょっぴりの『正義感』が残っていたんだねえ。下院選挙で、共和党をひっくり返して民主党が逆転に。ちゃぶ台返しのトランプ大統領の言い回しで、一番気に入らないのは『移民阻止』。何言ってんだい、全米国人、ネイチャーを除く、はみな、大西洋を渡ってきた移民か、黒人奴隷の子孫ではないか。威張れた器ではない。拙者は、トランプが勝てばまさに『パックスアメリカーナ』が、ゴロゴロと音をたてて転げ落ちると思っていた。少し様相が変わったな。まあ、2年後の大統領選で、本物のアメリカ人の知性と正義感を見せてほしいな。とりあえず、トランプにはブレーキがかかるだろう。

『国民的タレント「タモリ」奇譚⑤ 「タモリは不滅」』

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今日の画像は、秋空に色とりどりの熱気球舞う『佐賀バルーンフェスタ』、プロ野球Gグラブ賞を3人揃って受賞したカープの『タナキクマル』。そして、昨日トレドをアップし、スペイン周遊を思い出した中で、一番は『セビーリアのグアダルキビル川』。次から次へとカヌーやらエイトやらが進んできます。セビーリアはまさにボートの世界のようで。最後の画像はかつてコロンブスの時代、最初の画像は、この川の往来するのを見張った『黄金の塔』。昔は金ぴかだったそうです。そして最後の画像は、大聖堂に祭られ、エスパニアの4王に担がれる『コロンブスの棺』です。新大陸発見は、このセビーリアからスタートしたのですねえ。当時は大変な利益を得、街は栄え、その姿が今にも続いているように感じました。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★★いつも淡々としているタモリは、若いお笑いファンには退屈だと思われがちだったのだが、『実はそこがすごいんだよ』と言うふうに深読みされるようになった。そうやって、若い世代の共演者がタモリの偉大さを口々に話すようになり、タモリの権威が高まった。

そして、タモリのすごさを改めて見せつけたのが、2008年に赤塚不二夫の葬儀で弔辞を読んだことだ。タモリは白紙の紙を広げて弔辞を読むという歌舞伎の『勧進帳』になぞらえた悪ふざけをしながら、自分を芸能界に送り出してくれた恩人である赤塚に惜別の言葉を捧げた。その中で締めの言葉である『私もあなたの数多くの作品の一つです』は、歴史的名言として語り継がれている。

そして、ついに『いいとも』が終わる日が来た。この前後の時期に丁度空前のタモリ本ブームが起こっていた。13年に出版された『タモリ論』(新潮新書)がベストセラーになり、タモリに対する評論本や研究書が相次いで刊行されたのだ。それは『いいとも』が終わるタイミングとも重なっていた。伝説的な番組の終了に当たって、改めてタモリという巨人の実像を知りたいという世間のニーズを反映した現象だった。

『いいとも』が終わっても、タモリは不滅だった。『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)、『ミュージックステーション』(同)などのレギュラー番組はそのまま継続している上にNHKの『ブラタモリ』も好調である。『大物だから裏では怖いのかと思っていたんですけど、全然そんなことはなくて本当に優しい人です。どんな企画にも「まずやってみようか」と言うような感じなので、ありがたいですね』と放送作家は話す。

豊富な知識があってもそれを決してひけらかさず、ニコニコ笑っているタモリは、今や国民全員が慕う『おじいちゃん』のような存在だ。何でも知っている村の長老を尊敬するような目で誰もがタモリのことを仰ぎ見ている。とても74歳には見えないな。(参考:サンデー毎日)


★<徴用工問題で日本政府、国際司法裁に提訴へ>日本政府は、韓国の元徴用工をめぐる訴訟で韓国最高裁が日本企業に賠償を命じる確定判決を出した問題で、韓国政府が賠償金の肩代わりを行う立法措置などを取らない限り、国際司法裁判所(ICJ)に提訴する方針を固めた。また、裁判手続きに関する韓国側との交渉、折衝などが必要なため、長嶺安政駐韓大使の召還は行わない。


ICJで裁判を開くには原則として紛争当事国の同意が必要で、手続きには(1)相手国の同意を経て共同付託する(2)単独で提訴した上で相手国の同意を得る-という2つの方法がある。政府は韓国から事前に同意を得るのは難しいことから単独提訴に踏み切る。

その場合も韓国の同意は得られないとみられ、裁判自体は成立しない可能性が高い。だが、韓国に同意しない理由を説明する義務が発生するため、政府は『韓国の異常性を世界に知らしめることができる』と判断した。河野太郎外相は既に、徴用工問題が1965(昭40)年の日韓請求権協定で『完全かつ最終的に解決』としていることや、判決が国際法に照らしていかに不当かを英文にまとめ、在外公館を通じて各国政府やマスコミに周知させるよう指示している。


政府は今回の判決だけでなく、2015年の慰安婦問題の『最終的かつ不可逆的な解決』を確認した日韓合意に対する韓国側の不履行など、度重なる韓国の不誠実な対応についてもアピールする機会とする考えだ。政府は今回の判決は日韓基本条約の基盤を崩壊させかねない問題だと重視しており、政府高官は『今回は徹底的にやる』と語る。韓国側が現在、『韓国政府内でいろいろと判決への対応を検討している』と釈明しているため当面は対応を見守るが、外務省幹部は『おそらく韓国は有効な措置は取れないだろう』とみている。

この問題をめぐり、安倍晋三首相は1日の衆院予算委員会で、『国際裁判も含めあらゆる選択肢を視野に入れて毅然として対応していく』と強い口調で述べた。

この問題では、安倍首相を支持するねえ。理不尽な韓国の言い分に沿う形は絶対にとれないから。朝鮮半島の併合は、当時の先進国18カ国に認められた正当な国際行為なのである。時代の基軸が違うため、今の常識で韓国の人間は判断しているんだろうが、インド、マレーシア、インドネシア、そしてアフリカの諸国を列強が植民地にしたことは、当時の国際法では認められた行為なんだねえ。先進国が途上国の生活の面倒を見るという見地で。朝鮮は途上国だったんだよな。徹底的にやってほしい。そして『竹島問題』も遡上に乗せ、韓国をこってんぱにやっつけてほしいなあ。


★<マッチングアプリで交際・結婚を決めた私への偏見>『マッチングアプリ』と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。現代の若者たちにとっては、もはや“普通”の出会い方。交際につながり、結婚する人も増えてきた。とはいえ、30代以上にとっては、出会い系、不倫の温床などと考える人も多いかもしれない。そんな世代間の感覚差から、たとえ真剣に付き合っていても社内や家族に相手を紹介する際、嫌な思いをしてしまうこともある。

◇マッチングアプリで彼女と知り合い結婚を決めたが…
都内在住の会社員男性・鈴木潤一郎さん(20代・仮名)は、社内の同期が次々と結婚していく中、唯一の独身だったが、この秋ついに結婚を決めることができた。『うちは小さな会社ですので結婚披露宴には社長や専務も呼ぶことになります。まず先輩や上司に報告しました。すると、式の前に盛大に祝ってやると言われ。そこまではよかったのですが……』

お祝いの飲み会で、鈴木さんの上司が言い放った言葉に、それまでの和やかな雰囲気は一気に吹き飛んだ。『婚約者とは、マッチングアプリで知り合いました。30代以上の方に言うとけっこう驚かれるのですが、僕のまわりではマッチングアプリがきっかけで付き合ったり結婚したりするのは、そんなに珍しいことじゃないんです。なのに……』。鈴木さんと婚約者の馴れ初めを聞いた上司は『なんだそりゃ? 出会い系で結婚したのか?』とすっとんきょうな声を上げると、大笑いした。それに釣られるように、30代後半以上の上司たちからは失笑が漏れだしたのである。

『出会い系の女と結婚したのか?と言われて、悲しいというか腹立つというか、そんなにダメなことなのかと悲しい気持ちになりました。30代の上司からは「ナンパのほうが健全」と言われ、50代の上司などは「やはりお見合いを復活させるべき」などと言い出す。もう僕を祝ってくれるような感じじゃなくなりました。結婚式にこういう人たちを呼びたくない、と思いました』と。結局、鈴木さんは予定していた披露宴は取りやめにし、飲食店を貸し切って仲間内だけでパーティーをやることにしたそうだ。


◇中高年に根強く残る負の“出会い系”イメージ
都内在住の派遣社員女性・美麗さん(20代・仮名)も、結婚を考えている彼氏を親に紹介しようとした際、出会いが『マッチングアプリ』だと話したところ、両親から猛反対を受けたという。『親に「アプリで知り合った」と言ってもピンとこないようだったので「ネットで知り合った」と説明すると、父親は怒りだし、母親は泣きだしました。「そんな出会い方があるか!」と怒鳴られ、親族にまで話が伝わり「あの子は気の毒」とか」ネット中毒」なんて言われて。年配世代と私たちの感覚がここまで違うのかと驚きました』。

たしかに、30代の筆者からしても『マッチングアプリ』と聞けば、思い起こすのは『出会い系サイト』」だ。援助交際や不倫の温床と呼ばれ、女性にメッセージを送る場合には一通につき何百円もかかり、その女性がサクラの可能性も大いにある。そんなインチキで怪しい場所で知り合える異性など、まともであるはずがない……。こう思う中高年はいるだろうし、理解してもらうのは難しいのかもしれない。美麗さんは、現在も彼氏と交際こそ続けているが、両親や親族の反応から『結婚は無理なのではないか……』と悩んでいる最中とのことだ。


◇若者たちにとっては“普通”の出会いツール
現代の10代、20代にとってマッチングアプリの存在とは。何も男女の仲となるべき異性との出会いを求めるだけのツールではないらしい。現役の慶應義塾大2年生・優里亜さん(仮名・20代)がこう話す。『自分がいるエリアに近い人を探せるマッチングアプリの機能を使って、大学内で知り合いになった異性の友達、同性の友達は少なくないですよ。ぜんぜん普通のことです。慶應だけじゃなく、青学や上智の友達も、同じようにしてマッチングアプリを使って友達を探してます。いやらしい気持ち? そんなのあるわけないです(笑)。むしろ、初対面の時に相手の趣味などを知っていれば、会話も弾むじゃないですか。ナンパやお見合いのほうがよっぽどムリ!』と。

若者の間にマッチングアプリが浸透し、今では中高年の利用者も年々増えているというが、やはり目立つのは『不倫』など、秘めた感情を発散させたいという人々だ。この件についても、優里亜さんは辛らつに分析する。『マッチングアプリがいやらしい、って思うほうがいやらしくないですか(笑)。うちらはそういう使い方はしていないのに。そういう使い方しか思い浮かばないということは、あなたたちがそういう使い方をしようとしていることの裏返し。実際に、最近はヘンなおじさんから“ライク”つけられることが多くて、前より使い心地が悪くなったりしてるんですよ。中には「非日常的な恋をしたい」とか書いてる痛いおばさんもいる』。


ともあれ、こうしたマッチングアプリに対する世代間ギャップが、真面目に交際している男女にも悲劇を生み出しつつあることは事実のようだ。(参考:SPA)

まあ、時代だし、当たり前の話だねえ。それよっか、男女の交際の機会が少ない若者達にとっては救いの神になるのではなかろうかなあ。本当、時代は進む。


★<第2回「早稲田川柳」優秀作発表 『ワセジョが酔った男子を送る』『青春はえんじ色』など>早稲田大学の同窓会組織『早稲田大学校友会』はこのほど、同大への思い入れなどを詠んだ第2回『早稲田川柳』を読んだ670作品が寄せられた。同校友会が選定した『優秀賞』に輝いたのは、『酔っぱらい 送り届ける ワセジョかな』『本当は 群れてみたいと 思ってた』の2句。

最初の句に登場する『ワセジョ』とは早稲田大学に在学する女子学生を指し、『一般的な女子大生らしい振る舞いに興味がない』といったイメージがある。同校友会は『ワセジョは決して送られるのではなく、酔っぱらっただらしない早稲田オトコを送り届けるのです』と評している。

2番目の句は『早稲田大学の学生は群れない』という昔ながらのイメージを体現しようとした結果、あまり友人ができなかったという寂しさを詠んだ句。同校友会は『ちょっとは群れて楽しくやりたかった……という、羨望(せんぼう)の念があふれる珠玉の一句だ』としている。


◇ゲスト審査員は“えんじ色の青春”など評価
ゲスト審査員が選定した『特別賞』に輝いたのは、『青じゃない 我が青春は えんじ色』『オレモテル? 入学式後 ビラの山』『肩を組み 歌えば仲間 紺碧の空』の3句。最初の句は、同大OBで歌人の伊波真人さんが選定。えんじ色は同大のスクールカラーであることから、「『えんじ』が早稲田でのさまざまな思い出を象徴しているようです。青春の『青』と対比させたのも、お見事」と評価した。

2番目の句は、OGでお笑い芸人の箕輪はるかさんが選定。新入生の時に、異性の先輩からサークルに勧誘された喜びを詠んだ句であり、『もらったビラを眺めてはうれしくてニヤついた記憶がよみがえりました。モテていると勘違いするお調子者っぽさにもくすぐられます』としている。

3番目の句は、文学部で学ぶ現役学生が選定。『紺碧の空』とは同大の応援歌であり、運動部の試合中や大学祭などで歌われる。『一体感や母校愛を感じることのできる「紺碧の空」が僕は大好きです!』としている。このほか、佳作には、『女子力だ? そんなん知らん ワセジョだもん』『スッピンで 今日は徹夜の ハイクあり』など、OGが学生時代の思い出を面白おかしく詠んだ句が入選していた。


★<タナキクマルがそろってGグラブ賞>第47回三井ゴールデン・グラブ賞が8日に発表され、リーグ3連覇を果たした広島からは二塁手の菊地、遊撃手の田中、外野手の丸の3人が選出された。菊地と丸は6年連続6回目、田中は初受賞となった。 初受賞の田中は『目標にしている賞でしたし、この賞を取るために毎日全力で頑張ってきたので素直にうれしいです』と喜びもひとしお。『これからも一つ一つのプレーを大事にしてまた受賞出来るように日々精進していきたいです』とさらなる活躍を誓った。

菊池は6年連続の受賞。『選んでいただき大変光栄です。広輔と共に受賞することができて、何よりうれしいです』と二遊間を組む田中とともに受賞したことを喜び、コンビ愛をにじませた。

丸も同じく6年連続6回目のゴールデン・グラブ。『選んでいただき光栄です。1年でも長くこの賞を取り続けられるように来季も頑張ります』と意気込んだ。丸は、FAに箔がついたねえ。田中が巨人の坂本を抑えて受賞は嬉しいねえ。


★<ロスで乱射、12人死亡>またもやアメリカで乱射事件。今度はロスで。黒の洋服に身を包み、布で顔を隠した男が数百人がいるダンスホールのような店に殴り込んだそうだ。ほかに15人程度が負傷したと。未だ、大統領のメッセージは出てない。が、またもや何も手を打たないのだろうな、トランプは。銃製造関係団体からたっぷり献金を受けているからな。国民がよく黙っているなあ。アメリカ人って羊のようにおとなしいのかねえ。それとも半分ぼけているのか。

『巨人の星・星飛雄馬のごとき鈴木誠也伝説① 「誠也現る」』

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今日の画像は、星飛雄馬のごとき成長を遂げたカープの『鈴木誠也』と、広島アステールプラザに張り出されていた『イベントポスター』。主に音楽関係ですが、舞台劇や広島をテーマにした映画のポスター、サッカーなどもあって、見るだけで結構楽しかったです。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

『諏訪内晶子さん』のポスターがあった。広島交響楽団の演奏ソリストである。確か、今諏訪内さんはNY在住だと思うが、日本国内の演奏旅行中なのか。その諏訪内晶子さんが、あの『チャイコフスキーコンクール』で優勝した朝のことを今でもはっきりと覚えている。もう何十年前になるだろうか。朝7時のトップニュースだった。しかも、諏訪内さんは数日高熱を出し、とてもステージに立てるコンディションではなかったと。気力で演奏したチャイコであった。調べたら、あれから28年、年齢も46歳と円熟している。いい演奏が聴けるステージになるだろうなあ。諏訪内さんを呼べるようになった広響の進歩に喝采です。


★★★人に言わせると、前田智徳をも上回る逸物と。カープ3連覇への寄与もさることながら、『神ってる』『最高で~す!』など流行語も生んだ『鈴木誠也』。誠也誕生までの、逸話を紹介する。その 

1989年、夏の高校野球大会。熊本工業高校には、この年の県大会で実に6割を超える高打率をマークしていた4番打者『前田智徳』。初戦の日大三島高校戦は、その前田の先制タイムリーを含む2安打3打点の活躍もあって、13-4で熊本工業が圧勝した。ところが、にわかに信じられない伝説が生まれたのは、その試合で凡打に倒れた後の前田の行動だった。

悔しさのあまりベンチに座り込んだ前田が、チェンジになってもセンターの守備につかなかったのである。ベンチに座り込んだ前田を、周囲のみんなでなだめすかし、ようやくセンターの守備につかせた。これが前田智徳という男である。のちに数々の伝説を生むことになる彼の打撃に対する執念は、フツーの人の常識をはるかに超えていた。


それから四半世紀を超えた月日が過ぎた。驚くことに、目の前に、あの前田に勝るとも劣らない打者が現れたのである。とてつもない才能を持ったと思われる選手の名は、2012年にドラフト2位でカープに入った『鈴木誠也』である。彼の名がそぞろ騙られ始めたのは、奇しくも、あの前田がカープのユニフォームを脱いだ翌年のことである。

誠也は2016年に『神ってる男』と呼ばれた。当時まだ21歳だった若者に対し、恐れ多くも『神』の名が使われたのは驚きだった。彼はある意味で、前田より早く華やかな脚光を浴びることになった。

その誠也が、本格的に野球を始めたのは、小学校2年の時。父・宗人さんが監督を務める東京・荒川リトルに入ってからのことである。その宗人さんの話。『誠也にはショートを守らせていた。あるときノックをした球が外野に抜けてしまったが、誠也はその球を外野手よりも早く取りに行った。あの子には1球に対する執着心のようなものがある』。大成する者は、子供の時からそういう雰囲気を持っている。『香木は、発芽の時から香気を放つ』。鈴木誠也は、ひょっとしたら長嶋茂雄、榎本喜八、張本勲、前田智徳、イチロー・・・・・。その系譜に名を連ねるような打者なのではないだろうか。

前田が惜しまれて、現役を引退した2013年のことだった。初めてカープのユニフォームを着た誠也が、テレビのインタビューを受けた。その時、ポロリとこぼした彼の言葉がある。彼は、子供のような木訥とした話し方でこう言った。『いつも打てるための工夫をしている。そのため時々バットを抱いて寝ることもある。もうバットは自分の体の一部になっているので、バットと仲良くしなければいけないので・・・・・』。その言葉は、まさにソクラテスかプラトン並の金言だった。『この選手はタダモノではない』と、視聴者は感じた。(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)


★<不正融資はスルガだけかな>第二次世界大戦直後、彗星のように登場したフランスの天才画家『ベルナール・ビュフェ』。力強い描線で、『風景』を捉えた画風が人気。このフュフェに魅せられた日本人がいた。そして私財を投げ打って、ビュフェの作品を買い集め、静岡県長泉町に『ベルナール・ビュフェ美術館』を造ってしまった。この人物こそ、話題の『スルガ銀行』の3代目頭取(1964~81)を努めた『岡野喜一郎』である。

スルガ銀行は数少なくなった『同族経営』の金融機関である。喜一郎の息子、『岡野光喜』は創立90周年の1985年、新本店落成を機に『岡野家本家の御曹司』として、40歳の若さで5代目頭取に就任した。彼もまたユニークだった。スルガ銀行は、東に横浜銀行、西に静岡銀行という巨大地銀に挟まれている。当時は『法人貸付』が」主流の時代だったが、生き残るために、個人融資に特化するというビジネスモデルに転換した。『コンシェルジュバンク』と命名し、結婚資金、子供の入学資金、マイホームの建築資金・・・・、『何でも手配する銀行』を目指した。それが地域の支持を得、高収益を上げていることも合わせて、金融庁長官まで高く評価した。


スルガ銀行の不正融資は1兆円規模に上るとされる。『金融庁のドン』までが評価したビジネスモデルがなぜ破綻したのか。はっきり言って、原因は日本銀行にある。異次元金融緩和とやらで、長いことマイナス金利。金融機関は『マトモな金利』では稼げない。業績を伸ばすなんて至難の技。仕方なく、ヤミ金並の高利に設定した『銀行ローン』ビジネスに走る。多重債務で自殺者が出ていると言うのに・・・・。

某信用金庫の社員は『今年の暮れ、年末はめっぽう忙しくなる』と話す。カネを借りている中小企業が『返済のために』新たな融資を要求してくる。今年の年末は『借り換え』倍増の気配だ。しかし、このスルガ銀行騒動以来、地方銀行の中には『リスケ=リスケジュール=借金の繰り延べ』に追うぜず、借金返済を迫っているところもある。そうなれば倒産ラッシュ?『スルガ銀行の罪』と言うより、『日本銀行の罪』ではなかろうか。(参考:牧太郎筆『青い空 白い雲』)


★<バッハ『無伴奏』探求続く、前橋汀子>私鉄沿線の改札口で人を待っていたある日の夕方、電車からはき出されて来る人の波を見てふと思ったことがある。『この中にクラッシックコンサートに足を運んだことのある人が何人いるのだろう』。一人でも多くの方に生の演奏を聴いて欲しい。休日の午後、低料金で聴いていただく『アフタヌーン・コンサート』を2005年から始めた背景にはそんな思いがあった。

もっと親しみやすいクラッシック公演が出来ないかと考えた私は、13年から東武鉄道の協力を得て『デイライト・コンサート』も、東京・池袋の東京芸術劇場で始めた。平日の午前11時半から1時間、料金は2,500円。これならランチや買い物の前にちょっと足を運んでもらえるのではないか。こうしたコンサートに加え、ベートーベンの弦楽四重奏を弾く『前橋汀子カルテット』が現在の活動の柱になっている。

好きな作曲家はたくさんいるが、最後はベートーベンとバッハに行き着いた。近年、私はバッハの『無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ』に再び挑戦している。ソナタ3曲とパルティータ3曲の計6曲を通して演奏すると休憩をはさんで3時間かかる。1人で弾くこの曲はバイオリニストにとってバイブルのような作品で、バイオリンのあらゆる技巧が網羅されている。どこまでも探究したくなる曲だ。


最初の挑戦は、1988年に録音したアルバム『無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集』。これは89年度の文化庁芸術作品賞をいただいた。あれから30年。私も年齢を重ね、同じ曲を弾いても当時とはテンポや間の撮り方などはかなり違う。音符には書かれていない行間の部分に深遠な背景があるということだ。このバッハの無伴奏は演奏家のその時のすべてが表れる作品なのだ。私は14~15年に国内各地で全曲演奏会を開いた。来年も夏以降に東京、大阪、横浜で全曲演奏会に挑むことが決まっている。この公演をバッハの集大成にしたいと思う。

これまで私はシゲティを初め国内外の多くの巨匠達から教えを受けてきた。彼らから学んだこと、さらに自分の様々な体験を通して私なりの演奏スタイルを作り上げてきた。だから何らかの形でそれを若い人達に伝える機会を持てたらいい。そんな思いが強くなっている。

この『私の履歴書』の連載を通じて、自分がどれだけ多くの人に支えられ、健康にも恵まれて今日があるのか、改めて痛感した。色々なことを思い出しながらの毎日で、とても楽しく過ごせた1ヵ月になりました。心から感謝しています。

今は心身共に充実しているが、自分に残された時間には限りがある。これが最後になるかもしれないとの思いで一回一回のステージに全力を尽くし、一日でも長くソリストとして現役を続けていきたい。(参考:『私の履歴書』)


★<女性風呂に乱入したNHK佐賀放送局長のセクハラ、パワハラ余罪>NHK佐賀放送局の湧川高史局長(59)に『職員の服務規定に反する不適切な行為』があったとして、局長職を解任し、出勤停止14日間の懲戒処分にしたと発表したNHK。湧川は籾井勝人前会長の在任時に秘書室長を務めた幹部だが、一体、何があったのか。関係者によれば、解任理由は湧川の信じがたい、セクハラだという。

『佐賀放送局のスタッフらと、会合で出かけ、その打ちあげで、宴席があった。それが終わって、みんなが部屋に戻った。その後、女性スタッフたちが温泉に入っていた時、そこに泥酔して足どりもふらふらした湧川氏が入ってきたのです。温泉に悲鳴が響き、パニックになったそうです』(NHK関係者)。女性スタッフたちが訴え、とんでもない局長の行状をさすがに看過できないと、処分となったという。

だが、別のNHK関係者が余罪はまだあると訴える。『セクハラは有名で、権力を振りかざすパワハラもすごい。広島局時代に、酔っ払って女性アナウンサーに男はいるのか? どんなセックスがいいんだと絡んで彼女を泣かせるほどだった。いずれ、セクハラで刺されると思っていた。今回、処分を聞いた時も、どのセクハラなんだというほど、すさまじいものだった』と。

東大出身で、NHKに入り、経済系の記者で、花形の財務省担当の『財研』キャップも経験している湧川。籾井会長時代には、秘書室長となり、国会答弁で立ち往生する籾井氏に背後から紙を渡し回答の指示役をしていた。『二人羽織』と失笑を買ったが、黒子役に徹した。その後、籾井会長がゴルフ場に行くために、NHKの車を使っていた問題が浮上して、失脚。佐賀放送局長となっていた。


『とにかく酒が好きで、とことん酔っ払うまで飲む。飲みに行っても、局長と呼ばせて殿様気分を味わっていた。局長と呼ばないと、真っ赤な顔で怒鳴りたてる。女好きで入ったばかりの事務方の若い女性スタッフに執拗にLINE交換を迫り、2人で夜を楽しもうなどのセクハラメッセージを何度も送信。佐賀では、本当に秘書室長までやった人ですか?と呆れられていた。いずれ何かやらかすと思っていたら、この有り様。いま、詳細な調査が進められていますが、すごい数のセクハラの訴えが出てくると思いますよ』(前出のNHK関係者)。
NHK広報は取材に対し、言葉を濁し、こう答えるのみだった。『湧川局長がどういうことをしたかという具体的なことに関しては、申し上げておりません。関係者のプライバシーに関することで、お答えは控えさせていただいております。本人に不適切な行動があり、局長としてふさわしくないと判断しております。余罪については具体的なことについてはお答えしていません。何度も同じ答えになってしまいますが、すみません』。(参考:AERA電子版)

しっかりしておくれ、NHK理事・理事長殿。公共放送なんだろう。公序良俗違反の職員は排除すべきだ。手ぬるい。


★<ANA機長は飲酒退職>全日本空輸グループのANAウイングス所属の40代男性機長が10月、乗務前日に飲酒して体調不良で搭乗できなくなり、遅延が発生した問題で、全日空が機長を今月6日付で諭旨退職処分にした。

全日空グループでは乗務12時間前以降の飲酒を禁じているが、機長はその時間を超えて飲酒していたという。全日空によると、機長は10月24日夜、沖縄県石垣市内の飲食店でビールやハイボールなどを飲んだ。25日朝、体調不良で乗務できないと所属部署に連絡。この影響で県内を運航する5便で遅れが発生した。 

最近どこかの副機長も酒飲み、よっぱらいで処分されたなあ。それほど酒好きが多いのかな、パイロットには。人命を預かる職業にしては、不思議だ。

『星飛雄馬のごとき鈴木誠也伝説② 初ヒットのお立ち台、「最高でーす!」』

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今日の画像は『鈴木誠也』と、連ドラ『カーネーション』で末娘を演じた『安田美沙子』です。かつて大阪で1年暮らした時、彼女が通っていた『摂南大学』の近くをうろうろした記憶があります。なかなか個性豊かな女優ではあります。笑顔がとってもいい女優ですね。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★★誠也が入団した年の9月16日。対巨人戦のことだった。0-0の4回、2死1、2塁の場面で、プロ3打席目となる誠也が代打で起用された。巨人の今村信貴が投げた2ボールからの3球目は、鋭く曲がるスライダーだった。誠也はこの球をレフト前にはじき返した。

これが誠也のプロ初安打、初打点になった。そして生まれて初めてのマツダスタジアムのお立ち台に立った。その時誠也は、ぎこちない表情で照れくさそうに、のちに名セリフとなるあの言葉を発している。『最高でーす!』。しかし、まだその時のトーンは抑え気味。球場の誰もが、その言葉が3年後に広島、いや全国で流行語になることなどは想像していなかった。誠也は1軍と2軍を往復しながら、次第に頭角を現して行く。そしていつの間にか1軍にいなくてはならない存在になった。

2017年4月11日の東京ドームでの巨人戦。あのプロ初安打から4年後のことだった。その時まだ22歳だった誠也が、色々な巡り合わせが重なって、初めてカープの4番打者としてスタメン起用された。それは、球団史上68人目となる4番打者の誕生だった。


衣笠祥雄、山本浩二、小早川毅彦、江藤智、金本知憲、新井貴浩・・・・。カープの4番は、どこかカープ特有の雰囲気が漂う。その打球は、時代を背負い、熱いファンの思いを乗せて飛んでいくのだ。

1994年、東京の荒川自然公園に近い住宅地の一角に『巨人の星の星龍馬』ならぬ、一人の野球男児が誕生した。荒川区は、あの『巨人の星』のマンガの舞台でもある。父方の祖父・羽島義一は、1960~70年代に大人気のスポーツだったボウリングで生計を立てるプロボーラーだった。羽島は、1966年に日本で初めて公式戦でパーフェクト・300点をマークした選手として知られている。その祖父の影響を受けた父も、またスポーツが大好きで、小さな喫茶店を経営する傍ら、地元の少年野球チームの監督を務めていた。つまり、世間で言う『スポーツ一家』だったのである。

誠也は昔をこのように語る。『3歳の頃から、祖父に買ってもらったおもちゃのバットやグラブを使って、野球の真似事をしていた』と。三つ子の魂、百までも、である『鈴木誠也』だ。(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)


★<吉野家カフェの成功>吉野家が女性客を増やすため、カフェ機能を備えた『吉野家カフェ』の展開を進めている。従来吉野家の女性客は2割。男性ばかりで入りづらいなど抵抗感が強いからだ。そこで実験店では、席についてから注文を聞くスタイルを廃止、カフェのように入店直後にレジで注文を聞き、客が自ら料理を運ぶ『キャッシュ&キャリー』に転換した。コーヒーメニューを加え、店内もテーブル席を増やすなど雰囲気を一新。

試みは見事に成功。恵比寿の店舗の女性比率は3割で、女性になじみやすいカフェ方式は成果を上げた。かつて吉野家が始めた『女子牛』と呼ぶ、女性客拡大のためのキャンペーンは不発。その後試行錯誤を繰り返し、このカフェ方式にたどり着いた。


消費を促すには習慣や先入観、罪悪感など購入を妨げる壁の破壊が必要だ。靴の通販で成長している『ロコンド』の田中社長は、『自宅で楽しみながら買ってもらいたい。だから返品時に罪悪感を与えてはいけない』と話す。ロコンドは返品無料だけでなく、返品期間も発注から21日と、同業の2~3倍に設定している。最近では配達を少し遅くする代わりに、安くなる『急ぎません。便』を追加した。物流業界は極度の人手不足。顧客の罪悪感をさらに薄める効果もあって、想像以上の利用率だ。マイナス要素を見事にプラスに変えた。

勿論、壁を壊すのは簡単ではない。一時話題になった『オフィスでのノンアルコールビールはOKか』論争。サントリーは6月にペットボトル入り透明ノンアルコールビールを出し、『仕事中にビールを飲む』という罪悪感の払拭に挑んだ。発想は面白い。だが、出足は今一つ。販売政策の問題に加え、壊せない壁が立ちはだかった。それは色。ビールと称して売っているが、やはり黄金色でないとビール感が出ない。気分転換だけなら、普通の炭酸水で済む。透明ビールはどっちつかずの飲料になってしまった。先入観の壁はそれ以上に強い。まさに消費者の心理は不透明、か。


★<超小型ロータリーエンジン、東大阪市で作る>お結び型のローターを回して動力を生む『ロータリーエンジンRE』は、コンパクトさと高出力を両立させたエンジンだ。自動車用のREは、世界で唯一量産していたマツダが2012年に排ガス問題で生産を停止したが、東大阪市の『日東工作所』では、更谷雄三社長(55)と、弟の玄三さん(49)が2人でREを作り続けている。

手のひらに載る小型のREで、排気量は12~20cc。ガソリンなどを燃料にし、無線操縦玩具の飛行機やヘリコプターに使われる。ピストンを動かして動力を得る一般的な『レシプロエンジン』よりも振動が少なく飛行が安定するため、愛好家にはよく知られた存在だ。

REの発明者であるドイツのバンケル博士が考案した構造を一切省略せず精密な部品を自作して組み立てる。小型REを生産出来るのはここだけとされ、マツダの技術者もその完成度に驚嘆したと言う。

生産を可能にしているのが、1965年以来、磨き続けてきた金属加工技術だ。創業者の父、勇さん(故人)と共に、部品の精密加工などを兄弟で手掛けてきた。培った技術を元に94年にREの開発に着手し、97年に初の自社製品として発売した。


REの売り上げは全体の1/3ほどだが、雄三さんは『REは会社の「顔」。技術力が知られるようになり、誰でも知っている大企業などから、部品加工の発注や相談を受けている』と言う。

小型REの用途拡大に向けて発電装置としてロボットなどに搭載出来るように改良を進めている。雄三さんは『もの作りは積み重ねが大事。技術を磨き、世界にないモノを作っていく』と高い目標を掲げる。

東大阪市にこんな会社があったんだねえ。素晴らしいことだ。東大阪市若江東町5-2-33か。ヤフー地図で調べると、布施の東で、生駒に向けて中央環状性と外環状線の間にある町だね。なつかしいなあ。


★<植村元朝日記者の訴訟棄却>元朝日新聞記者の植村隆(60)が、従軍慰安婦について書いた記事を『捏造』とされ名誉を傷つけられたとして、ジャーナリストの桜井よしこさん(73)と出版社3社に謝罪広告の掲載と損害賠償などを求めた訴訟の判決で、札幌地裁は、植村の請求を棄却した。

訴状によると、植村が朝日新聞記者時代の1991年に韓国の元慰安婦の証言を取り上げた記事を『捏造』『意図的な虚偽報道』などとする桜井氏の記事が、週刊新潮など3誌や桜井氏のオフィシャルサイトに掲載された。植村氏は文芸春秋などに対しても同様の訴訟を起こし、東京地裁で係争中。

まあ植村が負けるのは当然だよな。ウソの情報を根拠に、記事を書き、韓国に生存している元慰安婦を刺激して目を覚まし、全世界に『慰安婦像』が建ち並ぶ時代にしたのだから。ウソを書き、それを報道した朝日新聞も卑劣。ウソの報道だったことを、全世界、とりわけ国連筋などへきちっと伝えていない。その結果『性奴隷』などというありたくない言葉まで造語された。植村の卑怯さと、朝日新聞の卑怯さは、日本国民が意識して排撃しなければならない事項なのだ。『国民的大犯罪』と言ってもいいくらいだ。


★<安田美沙子>朝ドラ『カーネーション』の再放送の録画を見ていて、なんとなくロンドンに渡った3女が気になっていた。昨日、NHKの『あさイチ』を見ていたら、どこかで見たような顔が。あのカーネーションの末娘である。『安田美沙子』。なんとなく可愛さがあって。次第を調べると以下。


◇生い立ち
1982年、母親の実家がある北海道札幌市で、双子として生まれた。その後は京都府で育ち、京都府北部の大宮町の大宮第一小学校に一年生まで在籍、小学校二年生から宇治に引越し、宇治市立岡屋小学校、宇治市立東宇治中学校を経て京都府立東宇治高等学校卒業、摂南大学国際言語学部中退。

◇経歴
摂南大学国際言語文化学部に在学中だった2001年4月[3]、京都市のジェイアール京都伊勢丹の靴売り場でスカウトされて芸能界デビュー。同年12月放送の番組 『美少女図鑑』がテレビ初出演となった。 2002年、少年雑誌主催のコンテスト『ミスマガジン2002』において『ミスヤングマガジン』に選出されたことで広く知られるようになった。芸能事務所はカノックスフィルムに所属し、当時は同事務所に所属し同郷でもあった女優の田畑智子を憧れの人として挙げていた。この頃から多忙になり、大学は中退した。この年から、安田の地元である京都を本拠とする消費者金融会社アイフルのCMに出演し、話題となった。

2003年、e-niceレーベル(徳間プロモーション)から歌手デビューを果たし、2004年には、サントリービールキャンペーンガールに選出された。2005年にはテレビドラマ 『熟年離婚』に出演し、連続ドラマにおける女優デビューとなった。同年暮れに公開された映画 『ルナハイツ』では、初の映画主演女優を務めている。 2014年3月14日、2012年春より交際していたデザイナーの下鳥直之と婚姻届を提出、入籍した。2015年4月5日、東京・港区の八芳園にて挙式・披露宴。 2016年11月20日、生出演した『アッコにおまかせ!』の番組内で、第1子妊娠を報告。2017年5月6日、第1子男児の出産を発表。


◇受賞歴
• 2002年(平成14年) 『ミスマガジン2002』コンテストに於いて、『ミスヤングマガジン』受賞。
• 2003年(平成15年) 『週刊プレイボーイ』の第6回トレカ大賞で新人賞受賞。
• 2004年(平成16年) 『サントリービールキャンペーンガール』。
• 2006年(平成18年) 第43回ゴールデン・アロー賞“グラフ賞”を受賞 (3月)。
• 2008年(平成20年) 第2回ブライダルジュエリープリンセス賞を受賞 (1月)。
• 2008年(平成20年) ジュエリーメーカー『Crossfor』イメージガール 2008年8月-2009年8月
• 2010年(平成22年) アメトーーク大賞グランプリ。
• 2012年(平成24年) 日本スイミングクラブ協会主催の第13回ベストスイマー賞を受賞。

◇エピソード
一人称は、『うち』。テレビ番組のトークでは、『うちは』や『めっちゃ』など、普段から京言葉と思わせるような言葉を多用し、おっとりとしたキャラクターを印象づけている。 中学校と高校では、バスケットボール部に所属し、ポジションはセンターだった。テレビ番組 『堂本剛の正直しんどい』では、堂本剛や山里亮太(南海キャンディーズ)らとともに、ママさん最強バスケットボールチームと対戦したが、経験者らしい良い動きで堂本らをフォローした。地元でプロバスケットボールチーム『京都ハンナリーズ』が発足した際、開幕戦のイベントに登場した。

犬を飼っており、犬種はビション・フリーゼで、名前は『はんな』である。 沖縄が好きで、『将来沖縄に住んでお菓子屋さんをしたい』としている。 2009年1月、かねてから噂のあった俳優、城田優との交際を自身のブログで公表したが、2010年9月に破局した。
• 『ミスマガジン』出身ながら、『週刊少年マガジン』のグラビアページへの単独初出演は2005年と遅かった。
• 安田は、『週刊ヤングマガジン』、『週刊ヤングサンデー』、『ビッグコミックスピリッツ』、『週刊ヤングジャンプ』という週刊青年漫画4誌全ての表紙を飾った数少ない1人である。
• 『クイズ!ヘキサゴンII』では、最下位・下位・中位・上位を経験し、最上位以外の全てを経験している出演者となっている。


◇マラソン・トライアスロン大会への参加
フルマラソンの完走実績も多く、メジャー大会にも出場することがある。
• 2008年12月、『JALホノルルマラソン2008』を完走した。参加したきっかけは、自分にとりえがなかったことにコンプレックスを感じており、プロフィールに記載して自信を持ちたかったからとしており、トレーナーやスタッフと柔軟体操や、公園でジョギングをするなど半年間練習してから本番に挑んだ。2009年にも出場したものの、目標とした4時間切りは達成できなかった。
• 2009年3月22日、『東京マラソン2009』を完走した。中学の先輩に千葉真子がおり、千葉とは『オールスター感謝祭』の『赤坂5丁目ミニ駅伝』で谷川真理も加えてチームを組んでいた。
• 2011年1月23日、『第5回湘南国際マラソン』に参加し目標であった4時間切りを達成。3時間49分10秒で無事に完走した。
その後、マラソンを生かしてトライアスロンに挑戦すべく、水泳や自転車を習っているが、これは『行列のできる法律相談所』の番組企画の一環として始めたものである。
• 2011年5月15日、鹿児島県の指宿で開催された『第25回指宿トライアスロン大会』に出場。51.5km(スイム1.5km・バイク40km・ラン10km)のコースを3時間35分53秒で完走した。これも上記の番組企画の一環であり、東野幸治・菊地幸夫弁護士・ノッチとともに出場した。
• 2011年9月4日、新潟県の佐渡で開催された『2011佐渡国際トライアスロン大会』のAタイプに、上記『行列〜』の企画で、東野幸治・菊地幸夫弁護士・ノッチとともに出場。236km(スイム3.8km、バイク190km、ラン42.2km)のコースを、制限時間15時間30分で完走するレースで[15]、最後のラン32.3km地点のチェックポイントに制限時間の30秒遅れで入り、完走にはならなかった。
• 2012年3月11日、『名古屋ウィメンズマラソン2012』に出場。3時間44分56秒で完走した。


◇テレビドラマ
• 塩カルビ(2002年10月、テレビ神奈川)ベッピン 役
• 乱歩R(2004年3月、読売テレビ)
• 金曜エンタテイメント・あゝ離婚式(2004年4月、フジテレビ)
• いちばん暗いのは夜明け前(2005年7月 - 9月、テレビ東京)ナオコ 役
• 熟年離婚(2005年10月 - 12月、テレビ朝日)土田友紀 役
• 一週間の恋(2006年1月、TBSテレビ)斉藤愛 役
• ロケットボーイズ(2006年1月 - 3月、テレビ東京)立花彩子 役
• 松本清張 けものみち(2006年1月 - 3月、テレビ朝日)小笠原愛 役
• 都立水商!(2006年3月、日本テレビ)丸山真由子 役
• CAとお呼びっ!(2006年7月 - 9月、日本テレビ)星菜々美 役
• ザ・コテージ(2006年7月、WOWOW)主演・高村志保 役
• 氷点(2006年11月、テレビ朝日) 加納由美 役
• 女子アナ一直線!(2007年7月 - 9月、テレビ東京)中武由衣 役
• 今日は渋谷で6時(2008年1月5日、フジテレビ)水内加奈 役
• ロス:タイム:ライフ(2008年3月、フジテレビ)涼宮みどり 役
• ハチワンダイバー(2008年5月 - 7月、フジテレビ)六車里花 役
• 任侠ヘルパー(2009年7月 - 9月、フジテレビ)堀井皐月 役
o 任侠ヘルパー スペシャル(2011年1月9日)
• ホンボシ〜心理特捜事件簿〜(2011年1月 - 3月、テレビ朝日)六条舞 役
• カーネーション(2012年2月 - 3月、NHK)小原聡子 役
• 金曜プレステージ・Dr.検事モロハシ(2012年3月23日、フジテレビ)仁科恭子 役
• たべるダケ(2013年7月 - 9月、テレビ東京)相田美和 役
• 私の嫌いな探偵(2014年1月 - 3月、テレビ朝日)三木刑事 役
• 鉄子の育て方(2014年4月 - 6月、メ〜テレ)井川さくら 役

◇映画
• ルナハイツ(2005年12月24日)主演・大月まどり 役
• ザ・コテージ(2006年9月9日)主演・高村志保 役
• ルナハイツ2(2006年12月23日)主演・大月まどり 役
• 荒くれKNIGHT(2007年4月28日)三井雛子 役
• 余命1ヶ月の花嫁(2009年5月)花子 役
• ベイブルース 〜25歳と364日〜(2014年10月) - 高山美貴子 役


★<京大パーキンソン病iPS細胞移植成功>かねてから開発にトライしていた京大のiPS移植。京都大病院は9日、様々な細胞に変化する人のiPS細胞(人工多能性幹細胞)から神経細胞を作り、パーキンソン病にかかった50歳代の男性患者の脳に移植したと、記者会見で発表した。保険適用を目指した臨床試験(治験)計画の一環で、iPS細胞から作った神経細胞をパーキンソン病患者に移植した手術は、世界初となる。
京大の高橋淳教授らは、京大iPS細胞研究所が備蓄する健康な人のiPS細胞から、脳内の情報伝達物質ドーパミンを分泌する神経細胞を作製した。京大病院で10月、患者の脳の左側に約240万個の細胞を、特殊な注射針で移植した。約半年後に右側にも移植を行う。
京大病院によると、深刻な健康被害は出ていないという。他人の細胞を脳に移植するため、患者には今後、拒絶反応を抑える免疫抑制剤を1年間、投与する。陽電子放射断層撮影(PET)などで患者の脳の状態を確認し、2年かけて安全性と有効性を検証する。万が一、がんが発生した場合は、放射線治療や手術で除去するという。京大病院では2020年までに、50~60歳の患者計7人に移植する計画だ。

見事、素晴らしい成果だねえ。が、心配なのは費用。とりあえず1治療に何千万円とかかるだろうな。その場合、健康保険の適用に入ると、受診者の負担は大幅に減るが、健保の財務は衝撃的な打撃を受け、赤字が増大する。このバランス、難しいねえ。健保の適用外だと、金持ちしか治療を受けられず、普通の人でも難しい状態になる。何かいい知恵はないものかなあ。

『カープの星飛雄馬「鈴木誠也伝説③」 「小学2年でプロ志願」』

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今日の画像は、ダイヤモンドをちりばめた、お代200万ドル=2億2千万円の『ヘネシー検.疋薀乾鵝戞△修靴謄ープの星飛雄馬『鈴木誠也』。負傷した姿が痛々しいです。そして、私のホームコース、秋の牛田山縦走路『どんぐりがいっぱいの巻』です。来夏、アルプストレッキングのため、毎週歩いています。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★★誠也少年にとって、父・宗人さんが監督を務める『荒川リトル』というのは、全国のあちこちにあるまさに、リトルリーグの中の一つのチーム、クラブであった。小学2年生の時だったと言う。野球をやりたいと言い始めたのは、誠也の方だった。宗人さんは言う。『途中で投げ出さないで、毎日練習するという約束なら、やらせてもいいと思った』と。

練習を始めて間もなくのことだった。まだ小学2年生の誠也が、突然口にし始めた言葉があった。『プロ野球の選手になりたい』。その時宗人さんが返した言葉がある。『ならば一生、野球でメシを食っていけ。ダメならダメで男は何とかなる』。誠也の挑戦は、厳しい態度で息子を導いた父・宗人さんの言葉に背中を押され、こうして静かに始まった。それは、彼がカープで『神ってる』と呼ばれるようになる、わずか14年前のことだった。

2006年のことだった。厳しく指導する父親と才能ある野球少年の話は、巷でも有名になった。そして同年3月18日、テレビ東京の番組で『平成の星親子』として紹介されるに至った。その映像には、小学5年生だった誠也が、父親から厳しい指導を受けるシーンが映っていた。派手な親子げんかは日常茶飯事だった。しかし宗人はこう言って笑う。『星一徹みたいな厳しい父親ではない』。

日本には『瓜の蔓に、茄子はならぬ』と言う言葉がある。誠也は、祖父と父親譲りのズバ抜けた身体能力によって、やがて荒川リトルでエースと4番になって行く。


『ずっと背が低かったが、高学年になってから急激に身長が伸び始めた。成長痛でひざが痛くなって・・・・・。一時、野球が出来なくなったこともあった』。まだ小学6年生なのに、他の子供を見下ろすような身長になった。彼は野球チームの中で、一際目立つ存在になったのである。

誠也が所属した少年野球チームの正式名称は、『荒川リトルシニア野球協会』である。仮にも、彼の名が周囲に知れ渡るようになったのは、中学生になってから所属した『荒川シニア』時代のことである。『荒川シニアにすごい球を投げる投手がいる』と。

荒川シニアは、彼の豪腕を軸にして、ついに全国大会に出場することになった。その関東地区予選大会の時のこと、誠也にとって、忘れられない出来事があった。対戦相手は、神奈川県の『鶴見シニア』という名門チームだった。9回、2塁ランナーだった誠也は、味方チームの逆転を信じ、必死に戦っていた。しかし次打者の凡打で、荒川シニアの敗戦が決まった。

その直後、彼は悔しさのあまり、かぶっていたヘルメットをグラウンドに叩き付けたのである。もちろん好ましい行為ではないが、本気で戦っている選手なら、よくある光景でもある。ところが、これを見ていた父・宗人さんがグラウンドに飛び出してきた。そして誠也を、我が息子を、思い切り殴った。『お前、その態度は何だ!』。


この一件は、誠也にとってとてつもなく大きな出来事だった。誠也はプロに入ってから、いまだにグラウンド内・人前でそういう態度をとったことはない。

ヘルメットを投げつけ、父親に殴られた後の帰り道。2人はクルマの中で仲直りした。最初に口を開いたのは、息子の方だった。『腹が減ったよう』。誠也にとって、ホンネをぶつけ合うことが出来る父親の存在は、どんな宝物よりも大きなものだった。

この時の関東地区予選大会の敗戦の話には、オチがついている。実はこの時、誠也は鶴見シニアに負けることによって、荒川シニアの全国大会への出場が絶たれたと思っていた。ところが大会規定では、まだ敗者復活戦があった。荒川シニアは、その敗者復活戦でコールド勝ちを収め、京セラドームの全国大会へとコマを進めたのである。(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)


★<世界一高価な酒は>スーパーカーよりも高額な世界一高い酒たち 1本4億円以上、6500個のダイヤ付きも。世の中にはすさまじく高価なお酒がある。もう普通に飲むためのものというよりは、美術品や投機対象になっている。まあ、酒好きとしては酒のつまみとして楽しめるネタでもあるので、今回は高嶺の花どころではない超絶高額なお酒を紹介。

◇世界一高価なジンは?
まず、ジンはあまり高額商品の話は聞かない。そんな中世界で最も高価なジンと謳って販売されているのが、『Silent Pool Gin』のスペシャルボトルだ。9リットル入りの瓶に24種類のボタニカルの絵が描かれており、価格は7,000ドルだ。ちなみに、通常の『Silent Pool Gin』は6,000円程度で購入出来る。

◇世界一高価なウォッカは「億万長者のウォッカ」
ウォッカではなんと言っても、『Billionaire Vodka』だろう。その名も『億万長者のウォッカ』で、価格は375万ドル(4億3000万円)。なんと濾過の最終工程で、ダイヤモンドと宝石の粒を使うのだ。瓶にも3,000個のダイヤモンドをあしらっている。


◇4100個のダイヤモンドが散りばめられた世界一高価なテキーラ
テキーラも負けていない。2010年に発売された『Ley Diamante』の価格は350万ドル=4億円弱。テキーラはブルーアガベの7年熟成だが、ボトルはメキシコのアーティストがデザインしたプラチナ製で4,100個ものダイヤモンドをあしらっている。

◇世界一高価なブランデーのダイヤモンドは6,500個!
ブランデーにもすごいボトルがある。『Henri IV Dudognon Heritage Cognac Grande Champagne』の価格は200万ドル=2億2千万円。100年以上樽熟成した原酒を詰めたボトルは、24金のイエローゴールドとスターリングプラチナ、そして6,500個のブリリアントカットダイヤモンドで飾られている。

ウォッカ、テキーラ、ブランデーは、すごい価格だが、装飾品としての価値がメインを占めていそうだ。では、宝石を使っていない高級ウイスキーの価格をチェックしてみよう。


◇ジャパニーズウイスキーの最高額は?
2017年4月、オークションにジャパニーズウイスキー『軽井沢』が出品され、合計落札価格が77万ポンド=1億780万円という金額になり、ニュースになった。そのなかの『軽井沢1960 シングルカスク #5627 / The Archer』は、52年熟成で価格は10万100ポンド=1,400万円となり、ジャパニーズウイスキーの新記録。この記録は、2018年1月、サザビーズのオークションで『山崎50年』が破った。なんと3,250万円だ。販売価格は100万円で、2015年のオークションでは490万円だったので、急激に高騰しているのがわかる。これは何度か飲んだことがありるが、ちょっとウイスキー観が変わるほどの衝撃だった。安い時に飲んだのはいい経験だった。

◇シングルモルトの最高額はギネス記録に認定
シングルモルトでは、『The Macallan 64 Year Old in Lalique: Cire Perdue』が46万ドル=5,000万円だ。ラリックによるクリスタルグラスのデキャンタに、64年熟成のマッカランが1.5リットル入っている。2012年には最も高価なウイスキーとして、ギネスにも登録された。これも2015年にマッカラン自身が超える。6リットル入りとなるが、高さ70cmのデキャンタに入った『M』という名前のマッカラン。熟成年数は25~75年で、20万樽から厳選されたシェリー樽7つを使っている。オークションの落札価格は1本、62万8205ドル。ぜひ飲んでいるところ、Youtubeでもいいので配信して欲しいところだ。
いかがでしたでしょうか。手が届かない高嶺の花だが、そのボトルを見てウイスキーを飲んでいると、いつもより美味しく感じるかも知しれないな。


★<マツダ第3世代エンジン着手>マツダは、今月末に開催される『ロスモーターショー』に『新型アクセラ』を出品する。この新型車には、『スカイアクティブX』と呼ばれる、無点火、超希薄燃焼エンジンが搭載され、自然吸気エンジンとしては世界一の性能を誇ると言う。燃費、出力とも現在より最大30%程度向上と。

マツダはその『スカイアクティブX』を、順次次世代商品として新型車に搭載するが、さらにその性能を上回るエンジンの開発に着手していることを明らかにした。状況に適した加速など走行性能を高めながら一層の低燃費を実現し、強まる各国の環境規制に対応する。

新らたなエンジンは第3世代を意味する『G3』と呼び、『技術研究所や先行部隊ですでに開発している』そうだ。『燃費のために走りを妥協しない。ちゃんと走る、それが第一。そして燃費がついてくるという考え』だ。

マツダは11年以降、独自技術で走行や燃費の性能を高めたGEとDEを相次ぎ投入した。これらを第1世代、スカイアクティブXなどを第2世代、新型を第3世代と位置付ける。GEとDEの両方で開発を進める、国内ではとてもユニークなメーカーだ。


DEはVWの不正などで消費者離れが起き、開発から撤退するメーカーも出ている。しかしマツダは一定の大きさを超える車にはDEに優位性があるとし、『他社の撤退はチャンス』との見方を示している。世界各地の環境規制に対応し、20年には中国向けの電気自動車を発売する方針も改めて表明している。

そして、この第3世代の新商品群の第1弾を『アクセラ・マツダ3』と正式に発表した。スカイアクティブXを採用。高速走行時の加速性能などを高め、少ない燃料で燃焼を可能にして、現行のGEより最大30%の燃費改善を見込む。


世の中はEV一辺倒の雰囲気だが、一気にそうはならないというのがマツダのポリシー。価格が高く、インフラが整っていないEVが全世界に100%普及するまでには相当の時間がかかると見る。その間には、EVと、現在のGE、DEが混在した市場、世界になると読む。秀でた燃焼技術で世界の先端に立てば、年間たかが160万台のメーカーは存在感を示せると読んでいる。はたしてどうなるか、な。

それにしても、マツダのある広島は、自動車産業に支えられ過ぎている。次世代の産業は一体何だ、と聞きたい。何の準備もしていないのだろう。すでに広島県も広島市も、福岡市が人口増に支えられてるのに対し、人口減の世界に入り込んでいる。知事も市長も確たるビジョンが示せていない、寂しい広島である。


★<いよいよ間近か、トランプ失墜>トランプ氏、不倫口止め主導か 米紙報道、違法の疑い。

トランプ米大統領の不倫もみ消し疑惑で、ウォールストリート・ジャーナル紙電子版は、トランプが自身の仲介者と女性側の口止め料を巡る交渉で中心的な役割を果たし、選挙資金に関する法律に違反した疑いがあると報じた。裁判資料や事情を知る関係者30人以上への取材に基づく情報としている。

検察当局は、口止め料支払いにトランプ氏自身が関与した証拠を入手したという。交渉を担っていたとされるトランプ氏の元顧問弁護士のコーエン被告らが検察当局に協力しており、捜査が進展しているとみられる。

いよいよ結論が出るな。早く出して、世界を平和にしてほしいねえ、米検察当局殿。大統領の圧力に屈するなよ。


★<サウジ記者殺害録音あり>トルコのエルドアン大統領は、記者団に対し、サウジアラビア人記者ジャマル・カショギさんがイスタンブールのサウジ総領事館で殺害された際の録音を『サウジや米国、ドイツ、フランス、英国と共有した』と明らかにした。録音の存在については、これまでメディアがトルコ当局からの情報を基に報じてきたが、大統領が公の場で認めたのは初めてとみられる。共有の事実に言及することで、容疑者18人を拘束したサウジに事件の解明を急ぐよう改めて圧力をかけた形だ。

大統領は、録音を聞いたサウジや米国などは『容疑者の中で誰が実行したのか、確実に知っている』と強調。内容は明らかにしなかったが、犯行時の具体的なやりとりを示す情報が含まれていることを示唆した。窮地に立ったサウジだねえ。イエメン紛争への加担も問題になっている。中東の盟主をかけた動きが仇になっている様子だ。 


★<侍ジャパン敗因は岡本>昨日の日米野球。アメリカが勝って1勝2敗とした。が、この敗因。『岡本』の2エラーにつきるだろう。記録はどうなったか知らないが、2本も送球を後ろに逃すとは。難しい球ではなかったように見えた。これで多和田が打ち込まれて敗戦に。次の試合は岡本欠場だね。打てもしない、守ればトンネルとは。可哀想だが、止むをえまい。

『カープの星飛雄馬「鈴木誠也伝説④」 鉄パイプの素振り』

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今日の画像は、奈良県上北山村の『ナメゴ谷付近の紅葉』と『鈴木誠也』。そして広島の映画館『八丁座』のロビーに掛けられた、予告映画のポスターです。映画の世界は衰退したとはいえ、今安定期に入っていますねえ。佳作も次々現れて。やっぱりあの大画面で、ゆったりとした席で美しいシーンが見られるのは、テレビでは無理ですからねえ。まあ、時々ではありますが通っています。そして最後には、この映画『ファントム・スレッド』の中で出てきて、私が今夏歩いたアイガーのクライネ・シャーディックです。ユングフラウ鉄道の出発点で、標高は2,000mの地。あの美しいスイスアルプスがとてもきれいに映されていました。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★★この頃、コーチとして誠也を指導していたのは、地元で鉄工所を営む石墳イシズカ成良さんだった。石墳さんは、父・宗人さんに頼まれて、誠也のために直径22mmの鉄パイプの特製バットを作った。それはグリップの部分だけが普通のバットと同じで、他は均一に細長い鉄パイプであった。誠也はこの鉄パイプで素振りをしていた。さらにこれで小さなゴルフボールを打った。もちろんゴルフボールをしっかり見ていないと、鉄パイプには当たらない。

石墳さんは、自分が経営する鉄工所内にティー打撃用のネットまで作った。誠也はここで毎日のように練習した。石墳さんによると、誠也はカープに入団した後でも練習に訪れていたと言う。

イチローもこれに似たはなしがある。イチローの場合は、父親とバッティングセンターで朝から晩まで繰り返し練習することによって、反射的にバットに当てる能力をつけたと言う。誠也のあのバットスイングの速さは、この鉄パイプによる練習が大きく寄与していると思われる。実は、カープの日南での春季キャンプ。球団はこれによく似た2m近い黒い鉄のパイプを用意している。重い鉄のパイプを振ることで、木製バットでの軽量感を増すのであろう。


ひょっとして、もしこの鉄パイプがなかったら、今の誠也は存在しなかったかも知れない。誠也の少年時代に、このバットを作って指導した石墳さんは、そう言う意味で名指導者、名伯楽だったと言える。あるときテレビ取材を受けた石墳さんが、こう言って笑った。『そんなことより、今でも誠也がもみじ饅頭をぶら下げて、私を訪ねてくれるのが嬉しい』と。

偶然のことだろうが、彼が見せてくれた当時のままの鉄パイプには、多少の色あせがあるものの、カープの赤い色の塗装が施されていた。(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)


★<老練な政治家、マハティール首相>『私は年の取り方のスピードが遅い』。医師出身で、15年ぶりに政権復帰したマレーシアの『マハティール首相』。ユーモアだが、半分はそう信じているのだろう。でなければ、政権返り咲きを目指したりはすまい。

実際の政権運営でも年を感じさせない。8月に訪問した中国では老練、したたかさという言葉を超えた『すごみ』を見せた。中国のシルクロード経済圏構想『一帯一路』関連のプロジェクトにノーを突き付けながら、歓待されたのだ。東海岸鉄道建設などの大型インフラ事業の中止を申し入れつつ、一帯一路構想自体は評価し、支持を表明して中国側のメンツを立てた。

中国からの巨額の融資は返済が困難だ。中国のデベロッパーが開発している高級住宅地は中国の富裕層など外国人にしか買えないもの。マハティール首相の批判は理にかなったものだが、中国側にこうした主張を受け入れさせた手腕が見事だ。


首相は北京での会談の前、浙江省に本拠を置くIT大手の『アリババ』と自動車大手の『吉利控股コウコ』の本社を訪れ、中国の高速鉄道にも乗車している。首相に親中、反中とレッテルを貼るのは短絡的だ。発展に役立つならどの国のものでも活用しようと言うのが一貫した考え方だ。

1980年代に日本をモデルにルックイースト政策を打ち出した際もこう説明している。『援助を期待している訳でも、好意を持っている訳でもない。発展に役立つ哲学や倫理を知りたいのだ』と。中国の支援を受け、返済金が滞り、権益や施設を中国に移管・奪取されるケースが目立つ昨今、マハティール首相の果敢なる行動には世界から注目が集まる。


★<映画『ファントム・スレッド』を観る>『デンゼル・ワシントン』が主演する映画『イコライザー2』が10月公開されたと聞き、広島での公演をチェックしていた。東京の封切から広島までは数カ月かかることも珍しくなくって。が、年内の公開はなさそうだ。と、目に入ったのが『ファントム・スレッド』。予告編をUtubeで見ると、魅力的。ついつい見に行った。驚いたのは、100席前後の福屋百貨店内にある『八丁座』だったが、客席は満席。満席の映画館に入ったのは本当50年ぶりではなかろうか。

映画は、映像がとても美しく。舞台は1950年代のロンドン、オートクチュールの仕立て屋レイノルズ・ウッドコックは、ある日、若きウェイトレスのアルマと恋に落ちる。二人の関係は幸せに見えたが、やがてアルマは、数々の女性のドレスを仕立て、数々の女性の心や体に触れてきたレイノルズがいまだに結婚していないことに疑問を抱き始める。これまで順風満帆だったレイノルズの生活は、若く攻撃的なアルマによってだんだんと狂い始め、レイノルズやウッドコック家が隠していた過去や秘密が明らかになる。

最後は、アルマの意向通り、ウッドコックが習慣や嗜好を変えることでハッピーエンド。映画でははっきりしないが、アルマが裏山でキノコを採って、それを食事に混ぜるシーンが2度出て来る。その結果、ウッドコックはひどい嘔吐を伴う病に倒れ、アルマが献身的な看病をするという筋書き。ひょっとしたらアルマは悪女ではなかろうか。オートクチュールの場面はとても華やかで、きれいだった。


★<『リアップ』の後発品、ロート発売>ロート製薬は、発毛成分『ミノキシジル』を含む男性用発毛剤を発売する。大正製薬の市販品『リアップ』の後発品となる。専用の健康アプリを使えるようにして利用者に生活面のアドバイスをするなどして先売品との差別化を図る。30~40代の比較的若い世代に対してアピールする。

発売するのは『リグロEX5』(60mm 7,000円)で、薬局や通販で発売する。ミノキシジルを5%配合し、頭皮に直接塗布することで発毛や抜け毛予防などが見込める。アップの後発品としては、日用品の『アンファー』に次ぐ2品目。発売1年間で20億円の売上高を目指す、と。

『リアップ』は、大正製薬が発売する『リポビタン』『パブロン』につぐ同社の大衆薬の柱。年165億円の売上を上げている。後発品はその医薬品の特許が切れたものを、他社が製造発売するもの。大正製薬は、相当規模の希望退職を発表したばかり。北風が吹くねえ。


しかし、この『ミノキシジル』は大正製薬だけの特許かしら.実は昔私もこの『リアップ』を使っていたが、7,000円は高いと感じていた。そこに、ネットで『ミノキシジル』配合のアメリカ製発毛剤を発見した。ネットの説明では『カークランド製 ロゲイン ミノキシジル 5% 4個セット(4ヶ月分) 専用スポイト・日本語説明書付、\ 4,290』とある。1本1,000円余り、しかもちゃんと『ミノキシジル』を含んでいる。現在はもう乗り換えて相当の年月が経つが、普通に使って、効果の面は両方使って比べてはいないが、『リアップ』時代とそれほど変わらないと思う。

他にも、医薬附属品など、アメリカのパテントで日本国内で製造販売しているものに、海外から同じ仕様のもので、全く同じ性能のものが激安商品が出回っている。『e-Bay』で検索すると、インドやドイツなどから直送されるという仕組み。少し英文の理解が必要だが、価格のバカ安さには代えられない。


★<快挙錦織圭、ディデラー破る>年間成績上位8人で争う男子テニスの最終戦、ATPファイナル(ロンドン)は11日開幕し、B組2試合が行われ、世界ランキング9位の錦織圭(日清食品)が元世界ランク1位のロジャー・フェデラー(スイス)を7-6、6-3で降した。錦織がフェデラーに勝利したのは2014年3月のマイアミオープン以来で、フェデラー相手の連敗を6で止めた。試合時間は1時間27分。
第1セットは互いにサービスキープし、錦織がタイブレークを7-4で制した。第2セットは第1、第2ゲームをブレークする展開となったが、錦織が第6ゲームでブレークに成功、そのまま押し切った。
錦織は、昨夏の右手首故障から復活し、2年ぶり4度目の出場。次はウィンブルドン準優勝のケビン・アンダーソン(南アフリカ)と対戦する。1次リーグは4人ずつA、B組に分かれ、各組上位2人が準決勝に進む。

快挙だねえ、圭君。本当、フィデラーにやられるたびに、圭ファンは悔しい思いをしていた。これで今年の暮れは楽しい話題が増えたねえ。いいことだ。


★<広岡達朗、阿部に『3000万円でも高い』>『のびのび野球で立て直す』と就任会見で語った巨人・原辰徳監督だが、『ブレブレ野球』の間違いではないか。これまでの若手育成方針をひっくり返す大ベテラン阿部慎之助(39)の捕手復帰。しかもFAで西武の炭谷銀仁朗(31)まで狙うという。

『打ちたがり病』『欲しい欲しい病』再発中の原監督に、巨人の名ショートとしてV9時代を支え、引退後は万年Bクラスだったヤクルトと西武を率いて3度の日本一に導いて優勝請負人になった球界のご意見番、広岡達朗さん(86)が巨人に対し、このように諫言する。

『原巨人?思った通りじゃよ、報道を見ても原だけが出ている。原、原、原……。他のコーチはどうしたの? 元木(内野守備兼打撃コーチ)が何本ノックしたと書いていたけど、ノックだけなら誰でもできますよ。

阿部が捕手に復帰するというのはいいと思いますよ。ただし、できなければクビを宣告しないといけない。使う方にも使われる方にもその覚悟がありますか。


今の監督は情けないことに「辞めろ」と言えないんだから。阿部も生え抜きのベテランというだけで代打の切り札が2億円ももらっちゃだめですよ。3,000万円でも高い。やっぱり捕手がダメでもう一度一塁でというのだけはやっちゃいけない。

阿部がダメなら、巨人は「第2の阿部」を作ればいい。若い選手を育てれば、その選手は意気に感じてやるんですよ。コーチも現役時代にそう育てられた経験がないから、育てようとしない。今の巨人のコーチ陣は、医師が「風邪が流行っているからお大事に」と言って帰すのと同じで、若い選手は何をしていいのかわからない。選手の調子がいいから使い、ダメになると二軍に落とす。この繰り返しじゃいつまで経ってもチームは変わらない』。

相変わらず、辛辣、闊達な『広岡達朗さん』ではありますねえ。


ドジャースの前田健太投手が、MLB選抜に合流。今日の第4戦、マツダスタジアムに先発することが発表された。侍ジャパンの先発はカープの大瀬良大地投手。カープの新旧エース対決となる。

前田は大瀬良について『僕のことは追い抜いた。胸を借りるつもり』と謙遜。ただ、後輩の成長は頼もしく感じているようで『慕ってくれた後輩。マツダで投げ合う日がくると思わなかった。負けないように、胸を借りるつもりでなげたい』とうなずいた。

マツダスタジアムでの凱旋登板にも感慨深げ。『日米野球を広島でやるのが決断のひとつ。マツダで投げられるのはうれしい。アメリカで3年目が終わった。成長した姿を見せて投げたい』と語っている。


迷走リクシル、「2度目の社長更迭」の深刻度 創業家がCEOに復帰、プロ経営者をまた更迭。

3年前と同じ、突然の退場劇だった。10月31日、LIXILグループは2019年4月までに瀬戸欣哉社長が退任し、山梨広一社外取締役が社長に就任する人事を発表した。同時に創業家2代目の潮田洋一郎・取締役会議長の会長兼CEO復帰も明らかにした。LIXILが社長の“解任”に踏み切るのは、中国子会社の不正会計を機に2015年に退任した藤森義明前社長に次いで2度目となる。

なぜ瀬戸氏は解任されたのか。潮田氏が会見で公言したのは、瀬戸氏に対して就任当初から抱いていた違和感だった。

すれ違う創業家と瀬戸氏
『LIXILは純粋持ち株会社でなくてもいいのでは』。2016年6月の社長就任を機に、瀬戸氏が放った一言に潮田氏は驚いたという。『先を見据えて価値のある事業を見極める純粋持ち株会社と、目の前の問題に対処する事業会社とは違う。瀬戸さんとの認識の違いが最後まで埋まらなかった』(潮田氏)。創業家と瀬戸氏との距離は徐々に広がっていった。


瀬戸氏の解任がこのタイミングになったのにも事情がある。人事発表の9日前、LIXILは2019年3月期の業績予想を下方修正した。事業利益(営業利益に相当)は450億円と当初の見通しより400億円低い。この業績不振の要因は天候不順による工事の遅延に加え、瀬戸氏が今年4月から導入した『新取引制度』にある。この制度は取引額の規模に応じて、取引先への納入単価を自動的に決めるもの。2017年10月から半年かけて工務店などに説明し、準備をしてきた。

だが導入後の4月以降、実質値上げとなる取引事例が相次ぎ、顧客がYKK APや三協立山といったライバルへ大量に流出。その結果、住宅サッシなどを扱う主力事業のハウジングテクノロジー部門は、今期の事業利益が130億円と前期実績の275億円から半減する見通しだ。

瀬戸氏は『合理的な価格決定をする新取引制度は必要なもの』と主張する。だが、LIXILの営業担当者からは『顧客との取引現場のことを何もわかっていない素人の発想。導入前から100%失敗するとわかっており、今の厳しい経営状況は事前に予測できた』との声が上がっており、瀬戸氏肝いりの制度に社員からは手厳しい評価が下る。


新社長も前途多難
瀬戸氏に代わり同社の経営を担うのは、来年4月に社長就任予定の山梨社外取締役だ。富士フイルム、経営コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニー、イオンの電子マネー事業責任者を経て、2016年からLIXILの社外取締役を務めている。同氏に対しても内部からは、『瀬戸社長と同じで、業界のことも現場のこともわかっていない人。打ち出す施策も的外れなものだろう』(中堅社員)と、期待よりはあきらめムードが漂う。

会見では一言も話さなかった山梨新社長。失敗が続く海外案件や新取引制度への対応など、混乱する現場社員や取引先に対して、今後どんなメッセージを発していくのか。藤森、瀬戸、山梨と現場から遠いプロ経営者が3代続くLIXILの経営は、迷走が続いている。
LIXILは、確か中国かどこかの海外の会社を買収したら、なんと600億円の粉飾赤字負債があったと、大騒ぎになった会社だな。元々は、『東洋サッシ』、これが『トステム』と名を変え、伊那製陶・イナックスなどを統合し、LIXILが生まれた。私はこのLIXILが誕生した時、『なんて読むんだ』と、『どういう意味だ』と感じた。未だこの会社の名前をしっかり呼べない。卓上の経営計画でズサンな経営を続けているのだろうなあ。東洋サッシ、トステムは業界一の企業で、営業利益などダントツの会社だった。それが、流れ流れて社長の交替が続く斜陽企業になりさがっている様は、まさに『経営者の責任』というのがはっきりしているねえ、創業家の『浅田家』の全面責任だろう。


私見だが、この『LIXIL』。出現した時、何て読むのか分からなかった。未だになじまない。目線が内向きだよね。消費者ファーストになっていない。少し前になるが、東銀座あたりから、京橋方面のこの会社のビルにネオンがあった。そのネオンが一部電灯切れで消灯状態になって。まあ醜いだろうから、と、この会社へメールでご親切に教えてあげた。が、なしのつぶて。普通、こんなメールを受けた会社は、短くても礼状、お礼のメールを出すのが常識。この会社は常識のない会社だなな、と感じたのを覚えている。今まさに、常識はずれの会社に成り下がっている。


★<ジャパンライフの経営破綻>昨日、経営破綻した『ジャパンライフ』の債権者集会が開かれた。時折ニュースで破綻が報じられていたが、また『詐欺商法の成れの果て』と関心がなかった。が、なんとその負債額は『2,400億円』にも上り、4度にわたる消費者庁の是正勧告、営業中止指示にも反して営業を続けていたそうだ。

ジャパンライフのビジネスは、健康機器のオーナーを募り、このリース料で年6%以上の配当をすると言うもの。『たこ足営業』だな。この創業者は生まれつきの詐欺師のような男で、1,000万円もだまされた女性は『とても口がうまく、本当のように聞こえた』と述懐している。多くの消費者を相手に2,400億円とは、あの『金の延べ棒詐欺商法の豊田商事事件』も顔負けだろうなあ。まあ、うまい話には落とし穴があると思って、石橋をたたいても渡らない覚悟が必要だな。

その債権者集会。破産管財人は、回収出来た資産は4億円にすぎず、7千人の顧客らへの配当は『難しい』と明らかにした。そして『オーナーへの支払いが、新規契約者の入金で行われており、自転車操業の状態が続いてた。遅くとも2008年から粉飾決算をしていた』と明らかにした。まあ、オーナーの方々、丸損ですねえ。もう仕方ないでしょう。張本人には、壁の向こうで臭い飯を生涯食ってもらいましょう。それしかないですね。

『カープの星飛雄馬「鈴木誠也伝説⑤」 「投手力より打力を買ったカープ」』

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今日の画像は、暫定開通した『東京臨海部の幹線道路・環状2号線』、そして『鈴木誠也』。と、『ムクゲ』、『ビヨウヤナギ』です。待ちに待った環状2号線が開通し、豊洲市場へのアクセスが格段に良くなったでしょうねえ。いいことです。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★★高校進学の時も、誠也の性格が顔を出す。誠也は当時を回顧してこう語っている。『当時は帝京高校が強かった。しかし僕は、どうしても甲子園常連校には行きたくなかった。強い高校を倒して甲子園に行く。そして、そのことが出来る二松學舎大付属高校を選んだ』と。

誠也はこの高校でも、一人の指導者に会った。その人は小学校、中学校、高校ともに誠也の先輩に当たる『市原勝人監督』だった。市川さんは、春の選抜でエースとして準優勝した経験を持つ。市原さんの言。『誠也はやっぱり打撃の方が得意なタイプかな、と思った。しかし高校野球レベルでいうと、肩の強さもバネもあったので、投手として十分に通用すると見ていた』。だが当時は、投手を目指すのか、打者を目指すのか、誠也自身にも分からなかった。

誠也は二松學舎大付属高校では、エースで4番。どちらかと言うと、148キロのストレートを投げる本格派として注目を浴びるようになる。しかし、投手としては落ち着いているのに、打者としては少々『前のめり』になる性格があった。しかし、それでも誠也に対する評価は揺るがなかった。『あの頃は、勝つも負けるも誠也次第、のチームでしいたから・・・・・』。


その頃、一人のスカウトマンが彼が投げる試合を見に来るようになった。『球速は140キロ台後半。すごい球を投げていた。そして1年生の秋から、私はピッチャーとして追いかけていた』。このスカウトこそ、自身が2003年ドラフト4巡目でカープに入団し、その後ケガに泣かされ続けた尾形佳紀である。

尾形は言う。『50m走りが5秒台。バッティングではボールを遠くへ飛ばす。だんだんと野手として面白いなと思い始めた』。誠也は高校では、甲子園に出場することは出来なかった。3年生の時、予選の準決勝まで行ったが、誠也自身が打ち込まれて敗退した。

その頃、カープ球団が評価したのは『速球派のエース』としてではなかった。その時球団は、高校通算43本の本塁打をかっ飛ばしていた誠也の『非凡な打力』に目をつけていたのである。誠也を観察し続け、入団交渉を担当した尾形スカウトは、誠也の入団直後から周囲の人々にこう洩らしている。『誠也を見ていて下さい。将来、すごい選手になるから・・・・・』と。(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)


★<中国、産児制限の撤廃検討 少子化歯止め見通せず>中国が『一人っ子政策』に代表される産児制限を撤廃する検討を始めた。2016年から始めたすべての夫婦に2人目の子供を認める『二人っ子政策』への緩和でも17年の出生数が減少となり、次の一手を迫られたためだ。将来の社会保障負担の拡大もにらんで人口急減を防ぐ狙いだが、産児制限撤廃でも出生急減に歯止めがかかるかは見通せない。


中国最南部の海南省の人民代表大会(省議会に相当)は9月末、産児制限条例の改正案をまとめ、条例に違反した場合の罰則の一部を削除した。中国は大きな政策転換をする時に地方から始める。産児制限の廃止に向けた布石の可能性がある。共産党機関紙「人民日報」によると、全国人民代表大会(国会に相当)で審議中の民法改正案でも『計画出産を実行』などの表現を削除。同法案は最短で20年3月にも成立する。産児制限を担う『国家衛生計画生育委員会』も『国家衛生健康委員会』に改称した。

政府の政策決定に関わる有力な人口学者は『次の一手は「三人っ子」政策ではなく、産児制限の撤廃だろう』と話す。まず産児制限の適用を停止し、様子をみて制度を廃止するとの見方もある。中国が夫婦の子供を1人に限る『一人っ子政策』を始めたのは80年。10年の全国人口調査から推計すると、出生数は90年の2800万人から99年の1400万人に減った。1人の女性が生涯に何人の子供を産むかを示す合計特殊出生率は79年の2.75から、10年は1.18まで下がった。

中国指導部は13年に夫婦どちらかが一人っ子であれば子供を2人まで認めた。15年にはすべての夫婦に2人までの子供を認める「二人っ子政策」の導入を決めた。当時の計画委は「出生数は最低でも2千万人を回復する」とみていた。初年度の16年は1786万人と前年より131万人増えたが、翌17年は1723万人と一転して減少した。2人目は増えたが、それ以上に1人目が減った。出産適齢期の女性が減ったからだ。


22~31歳の出産適齢期の女性は15~25年の10年間で4割弱も減る。出生数が急減した90~00年代生まれが適齢期を迎えるうえ、一人っ子政策に伴う『産み分け』で女性が男性より1~2割少ない。18年も各地の地方政府が発表する上半期の出生数は大幅に減少した。急速な少子化で中国指導部が警戒するのは公的年金への財政支出の膨張だ。保険料で給付を賄えず、財政負担は16年に約6400億元(約10兆円)で5年前の2.4倍。中国は公的年金を省ごとに運営するが、少子高齢化が進んだ黒竜江省は積立金が底をついた。

中国人民銀行(中央銀行)の馬駿貨幣政策委員らが12年に発表した試算では、出産奨励、給付抑制などの対策がなければ年金の財政負担は50年に年60兆元(約1千兆円)。財政支出全体に占める比率は16年の3%から2割超に急上昇する。少子化が進んだ90年代生まれが働き始め、15~64歳の生産年齢人口は13年をピークに4年連続で減少した。日本でも1995年ごろを境に生産年齢人口が減少に転じ、1%台の低成長期に突入した。中国では急速な高学歴化ですでに工場や飲食店の働き手が足りず、生産年齢人口の減少が成長の足かせになりつつある。


ただ産児制限を撤廃しても出生増加には力不足だ。旅行大手、携程旅行網(シートリップ)創業者で人口問題を研究する梁建章氏は『中国は不動産が高いし、託児所も入りづらい』と少子化の要因を話す。梁氏は『中国もいずれ他国と同じように出産奨励に転じる。GDP比5%の支出が必要』とし、保育園整備や子供がいる家庭の社会保険料の軽減を提案する。出生率低下が明らかになっても政策転換が遅れたのは、当時の計画委が『罰金を恐れて親が届け出ない子供がたくさんいる』と主張したからだ。そうした子供を含めても中国の実際の出生率は『1.3程度にすぎない』(梁氏)との見方が多く、人口を維持できる2.1には遠く及ばない。

仮に出生率が1.3程度で推移すると、2100年の中国の人口は約6億人になる。20年代に14億人強でピークを迎え、80年弱で半分以下になる計算。中国市場拡大を前提にしてきた多国籍企業も揺さぶる。国連の中位推計によると、米国はいまの3億2千万人から今世紀末に4億5千万人まで増える。米中のGDPは30年前後に逆転して中国が世界一になるとの見方が有力だが、米中の1人当たりGDPの差を考えると、今世紀後半に再逆転する可能性がある。


★<中国の違法操業の漁船対応で日米初連携 太平洋島しょ国と共同研修>日米両政府が、パラオなど太平洋の島しょ国に対し、それぞれの国の排他的経済水域内で違法に操業する中国など外国漁船の取り締まりを強化するため、初の共同研修に乗り出す。各国の担当者を日本に招き、今月下旬に研修を開始する。日本政府関係者が明らかにした。日米が目指す『自由で開かれたインド太平洋』の実現に向け、協力を深める狙いがある。関係者によると、研修は国際協力機構が中心となり、日本で今月25日から約3週間実施。パラオやマーシャル諸島、ミクロネシア連邦など12カ国から海上警備当局の職員1人ずつが参加し、米国からも専門家数人が訪れる。

いいことだねえ。中国はけん制しないと、なんでも独りよがりでやってしまう。国際取り決めなどなんのそのだ。東シナ海のガス田開発でもそうだ。我田引水、破落戸国家中国には世界の目で監視する必要がある。


★<マクロン大統領『悪魔が再び』>ナショナリズムに懸念 第1次世界大戦終結100年の11日午前、フランスのマクロン大統領は記念式典で『古い悪魔が再度目覚めつつある』と述べた。世界で高まるナショナリズムの兆候に強い懸念を示したものだ。ドイツのメルケル首相や国連のグテレス事務総長も同日、世界は多国間主義に立ち返るべきだと呼びかけ、孤立主義に逆戻りしかけている世界に警鐘を鳴らした。

式典はマクロン大統領が呼びかけ、パリ中心部の凱旋門で開かれた。中間選挙を終え初の外遊となるトランプ米大統領、ロシアのプーチン大統領、日本の麻生太郎副総理兼財務相など各国の首脳級70人以上が参加した。


マクロン大統領は第1次大戦の悲惨な被害に触れた後、『大戦後に誰もが平和を誓ったが、ナショナリズムや全体主義の高まりが2度目の大戦を生んでしまった』などと振り返った。『歴史は繰り返す時がある。愛国主義はナショナリズムとは正反対の位置にあるものだ』とし、欧州など一部でナショナリズムが高まる兆候があることに危機感の共有を呼びかけた。

各国首脳は11日午後、引き続き開かれた『パリ平和フォーラム』にも参加した。メルケル大統領は『国際的な協力が疑問視されるようになり、国家主義的な視野の狭い考え方が再び広がっている』と危機感を表明した。グテレス事務総長は『貧困や不平等を解決するのは、全ての人を巻き込んだ多国間主義だ』と応じた。


今回の記念式典やフォーラムはトランプ米政権が自国第一主義を主張し、米欧の結束が揺らぐなかで実施された。マクロン氏とメルケル氏は10日、第1次大戦で休戦協定を結んだ仏北部コンピエーニュの森で会合し、和解と欧州の統合強化を確認した。


ただトランプ大統領が『欧州軍』構想を唱えたマクロン大統領を『非常に侮辱的だ』と9日に批判するなど、米欧のきしみは隠せない。各国首脳が並んで式典会場となった凱旋門まで歩いた列にも加わらず、平和フォーラムにも欠席した。

トランプ大統領とプーチン大統領との首脳会談も注目されたが、ごく短時間の接触にとどまった。米国による中距離核戦力(INF)廃棄条約の破棄表明などで関係がぎくしゃくする両首脳の協議は、11月末にブエノスアイレスで開かれる20カ国・地域(G20)首脳会議に持ち越された。

第1次世界大戦は1918年に終戦となったが、ドイツへの重い戦後賠償や米国の孤立主義への傾斜などを背景に、世界は再び世界大戦への道を歩んだ。現在のナショナリズムの広がりや米国第一主義が、当時の状況と重なると懸念する声が広がっている。

まあ、きちがいトランプが世界を揺るがすの図だな。アメリカの理性と正義感が残っていることを祈るばかりだ。アメリカは自分の国が戦場になったことがないから、まあ大戦の印象も薄いのだろうがなあ。


★<せこいリンゴ泥棒>青森県でリンゴ泥棒が出没しているそうだ。果樹園から直接リンゴを刈り盗むもの。直近では青森市で4千個のリンゴが盗まれたと。ちょっと計算してみた。卸値で仮に1個100円とすると、盗んだリンゴの代金はたったの40万円。4千個のリンゴを刈り取るには相当の時間と人手が必要なはず。しかも盗むのだから、深夜作業。一体誰が、と思うが。恐らくは同業のリンゴ農家ではなかろうか。このリンゴ農家が契約した販売数量が生産確保できないため、盗んで転売したのだろう。手間暇かけて、4千個ものリンゴを盗んでもたかが40万円。その労力には値しない。まったく、困ったリンゴ泥棒なり、だ。


★<国内ビジネスは頭打ち、大阪ガス海外へ>大阪ガスが海外事業への投資を加速させている。特にシェールガスの生産量が増加し、発電所の建設ラッシュとなっている米国を重点地域に位置づけており、今年に入ってから天然ガス火力発電所に立て続けに出資したほか、6年ぶりにシェールガスの開発事業への参画も果たした。エネルギー自由化の影響で日本国内が厳しい競争環境となるなか、海外事業の強化を急いでいる。

米国発電所を買収
米ミシガン州で1995年に運転を開始した『ミシガンパワー発電所』。天然ガスを燃料とし、12.5万キロワットの発電能力を持つ。同州の電力事業者や工場に対して長期の電力供給契約を結んでおり、安定的な収益確保が期待できるという。大ガスは今年6月、この発電所に百数十億円を出資し、運営会社の株式を100%取得した。これまで米国本土の事業には20~30%程度を出資するケースが多く、全額出資したのは初めて。運営を主導することでノウハウを蓄積し、今後の新規案件への参画に役立てる狙いだ。これに先立つ5月には、コネティカット州の天然ガス火力発電所事業に双日などと共同で参画。大ガスは約100億円を出資した。

米国では近年、シェールガスの生産量が増加し、石炭から天然ガスへの燃料転換が進む。特に北東部ではシェールガスを燃料とする火力発電所の新設が続いており、日本の事業者も相次いで進出している。大ガスは昨年も、米北東部で2件の天然ガス火力発電事業に出資。米国事業は「海外事業の拡大のカギを握る重点地域」(大ガス担当者)という位置づけだ。


収益の多角化目指す
大ガスが米国を中心に海外事業で攻勢を強める背景には、日本国内における電力、都市ガスの事業環境の厳しさがある。特に主力のガス事業は、昨年4月のガス小売り全面自由化以降に関西電力への顧客流出が進むなど苦境が続く。平成31年3月期の家庭向けと企業向けを合わせたガス販売量は、前期比10%減となることが見込まれており、大ガス幹部は「国内事業だけでは頭打ちだ」と危機感をあらわにする。収益源の多角化を急ぐ大ガスは昨年3月、2030年度までの中・長期の経営計画を発表し、同年度までに利益の1/3を海外事業で稼ぐ体質への変革を進めている。今年10月にはインドネシア進出を発表。東南アジアではタイ、シンガポールに続いて天然ガスを利用したエネルギー事業を始める予定だ。
さらに、海外の発電規模についても、現在の約210万キロワットから2030年度までに350万キロワットまで拡大する計画にしている。今年10月末時点では18件の海外の発電所を保有しており、うち約8割を北米が占めている。

課題はリスクヘッジ
大ガスが近年、海外事業で発電所の運営以外に力を入れているのが、ガス田・油田の開発など『上流』の領域だ。今年6月には米テキサス州でシェールガス開発にも参画した。しかし、大型投資が必要な開発、生産といった上流案件はリスクが付きものだ。投資回収が遅れれば収益に直結するだけに、判断には慎重さが求められる。実は大ガスは24年にも同州でシェールガス開発に参画したが、採掘が進まず、26年3月期に300億円規模の特別損失を計上した。このため、今回はリスクヘッジを厳格化。すでにガスの生産を開始し、事業ノウハウの向上が見込まれる案件に絞って出資することを決めたという。


大ガスが発表した30年9月中間連結決算では、海外のエネルギー事業の売上高が前年同期比69.9%増の182億円と大幅に伸びた。本荘武宏社長も『海外への成長投資が将来につながる』と積極姿勢を強めており、今後の事業展開が注目される。

大阪ガス、東京ガスのようなメガは海外進出出来る体力があるが、広島ガスのように、広島市中心のビジネスに限っているような地方の中小ガス会社はどのような形で生き延びるのだろうか。心配だなあ。


★<小泉元首相、軽減税率に反対>小泉純一郎元首相は12日、東京都町田市で講演し、来年10月の消費税率10%への引き上げに伴い、政府が食料品などの税率を8%に据え置く軽減税率を導入することについて『私は反対だ』と述べた。

小泉さんは『今の時代、どれがぜいたく品か、必需品かは人によって違う。ややこしいことはやめて、一切、軽減税率を考えずにやった方がいい』と語った。 

もっとも、もっとも。拙者も何故新聞が軽減税率を適用されるのか分からない。自分達は『公器』で『社会に絶対必要なものだ』と主張しているが、果たしてそうか。新聞が無くなったって、今はネットの時代。だ~れも困らないんだかがあ。まあ、困るのは新聞記者達だろうが。


★<侍ジャパン、4戦目を制す>日米野球第4戦 侍ジャパン5-3NLB選抜 ( 2018年11月13日 マツダスタジアム)

侍ジャパンは13日、MLB選抜に5-3で逆転勝ちした。2点を追う9回に同点に追いつき、菊池涼介内野手(28)が決勝のセーフティースクイズを決めた。土壇場で小技を絡めた攻撃がつながって、通算成績を3勝1敗とした。

秘策は“逆提案”だった。『セーフティースクイズあるよ』と9回の猛攻の中、ベンチで稲葉監督が菊池にささやくと『2球目ぐらいにどうですか?』と菊池。同点に追いつき、なお1死一、三塁で打席へ。1ボールからの2球目。信頼のサインに一塁線へ転がし、三塁走者・田中広が決勝ホームを滑り抜けた。

『最後まで諦めないみんなの気持ちがつながっていい形で出た』と稲葉監督。2点を追う9回は指揮官の求める攻撃が凝縮されていた。先頭・田中和は四球で出塁し、『120%成功するなら行ってもいい』との指示に自らの判断で二盗に成功。続く上林はファウルで粘り、9球目を中前適時打した。会沢はファーストストライクをしっかり送りバント。基本の小技を徹底した。


勝ち越し後は1死二、三塁で『ゴロゴー』のサインに柳田が叩きつける遊ゴロで追加点を奪った。『日本らしい、続けていかなくちゃいけない攻撃』と指揮官。手応えを深め、3勝1敗と勝ち越しに王手をかけた。

《スクイズVS全米67年ぶり》日本は9回菊池のスクイズ(記録は一塁犠打野選)で決勝点を挙げた。日米野球で日本チームがスクイズで決勝点は74年11月16日メッツ戦で太平洋・巨人連合の高橋二三男(太平洋)が8回に記録して以来44年ぶり。全米相手では51年11月13日に全パの木塚忠助(南海)が2回に決めたのに次ぎ67年ぶり2度目。

『カープの星飛雄馬「鈴木誠也伝説⑥」 ライバルは大谷翔平、藤浪晋太郎、北條史也』

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今日の画像は、三浦雄一郎さんがアタックするする南米最高峰『アコンカグア(6,960m)』、『カープの星・鈴木誠也』と、『ミニダリア』『ベラルゴニューム』です。ミニダリアは可愛いけど、花季を過ぎていて今一歩でした。

すごいことですねえ、86歳、三浦雄一郎さんのトライ。たっぷり元気がもらえます。私も来夏のアルプストレッキングを目刺し、毎週のホームコース牛田山歩きを続けます。今週は、久しぶりに宮島トレッキングにトライするかも。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★★誠也のライバル。普通ライバルとは、身近にいる対抗者、競争者を指す。が誠也のライバルは違った。彼が高校3年の時、世間を騒がせていたのは『超高校生スーパースター』達である。『大谷翔平』『藤浪晋太郎』『北條史也』『田村龍弘』達。いずれも当時、150キロ台のストレートを連発し、甲子園を沸かせていた。これを見ていた誠也はこう思った。『いつかは追い越して見せる』。

これら高卒同期の選手の中で一番になること。そのためには、とりあえず大谷と藤浪に近づくことである。ただ投手と打者の二刀流を目指すことになった大谷に対しては、どうしても一目置かざるを得ない。それは自分に出来ないことであったからだ。

誠也がプロに入った後、セ・パ交流戦の時も、オールスター戦の時も、誠也は大谷の打撃を間近でじっと見ていた。当時、誠也はこう語っている。『大谷は雲の上の人。少しでも学びたい』。

遡って、大谷が投手と打者を両立させようとしていた頃、誠也は大谷を意識した意味深な発言をしている。誠也はあるスポーツ誌のインタビューでこう応えている。『正直言って、打つことよりも投手として打者と対戦する方が好きだった。打撃は投げるおまけとして楽しんでいたから・・・・・』。

誠也は投手なのか、打者なのか。この点については、荒川シニアの石墳さんや高校時代の市原監督の見方と、本人の発言は全く異なる方向にあった。チームのエース像についても、誠也はこう語っている。『自分が投げて勝つ。そういう強い思いが大切だと思う。いつも真っ直ぐで押して三振を取りたいと思って投げていた』。

しかし周囲の人達の思いは、誠也のものとは違っていた。誠也はカープに入団と同時に、投手としての道を絶たれることになる。カープ球団は、誠也が入団する前から、2009年のドラフト2巡目指名の中京大・中高高校の堂林翔太と同じように、打者として育成する方針を固めていた。こうして、まるで鉄道レールのポイントが切り替えられるように、誠也の前に1本の道が創られていった。(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)


★<三浦雄一郎、90歳でエベレストに挑む>人間の肉体はどんな可能性を秘めているのか。冒険家でプロスキーヤーの三浦雄一郎さんが86歳で標高約7千メートルの頂、南米最高峰『アコンカグア(6,960m)』をめざす。平均寿命を超え、心臓に持病を抱えたなかでの挑戦は、超高齢化社会への勇気と希望になる。

『人類で前例のないことにトライ』を続けてきた三浦さんの人生は、幾多の冒険の歴史を刻んできた。1966年に富士山でスキー直滑降を果たすと、70年にはエベレストの標高8千メートルから『大滑降』を実現。85年の南米大陸最高峰アコンカグア(標高6,962m)を滑り、7大陸最高峰での滑降を達成した。

だが、その後に『燃え尽き』の状態から不摂生な生活を送り、標高500m程度の山で挫折するほどになった。そこで65歳のときに『5年後にエベレストへ』と一念発起。体を鍛え直すと、80歳までに3回も登頂して世界を驚かせた。

その後、当初は85歳でヒマラヤのチョー・オユー(8,201m)の滑降を計画したが、現地の年齢制限で断念。新たな目標にアンデス南米最高峰『アコンカグア(6,960m)』を据えた。『90歳でエベレスト』という夢があり、今回をその足がかりにするつもりだそうだ。すごいねえ、感嘆だ。

すごい、精神的なエネルギーだ。感嘆する。私は、少し前にNHKの『百名山』で北海道・羊蹄山に、パーキンソン病を患う91歳の男性が登られるのを見て、この人を生涯の目標にしようと思った。則ち、91歳まで山歩きが出来る体に保つという意志である。難関が待ちかまえているとは思うが、人に出来て、自分に出来ないことはない、と今思っている。


★<14TBのHDD>東芝から、容量14TBのNAS向けSerial ATA対応の3.5インチHDD『MN07ACA14T』が発売された。ヘリウム充填技術を採用する。

24時間×7日間の駆動をサポートし、中小規模サイズの商用/個人用NASやRAIDにオススメというNAS向けSerial ATA対応の3.5インチHDD。先日発売された12TB『MN07ACA12T』の上位モデルとなる製品だ。

業界最大の9枚ディスクを採用するほか、ヘリウム充填技術によりヘッド位置決め精度が上がり、ディスク回転も安定。故障率が低減、消費電力も低下した。そのほか、回転数7200rpm、キャッシュ容量は256MiB、データ転送レート248MiB/sec、消費電力4.54W。価格は4万6481円。パソコンショップアーク、パソコン工房 秋葉原 BUY MORE店、TSUKUMO eXで販売中だ。


NASとは、ネットワーク(LAN)上に接続することができるハードディスク。ハードディスクというと、一般的にはパソコンに内蔵するタイプや、USBで接続するタイプのハードディスクが多く知られている。これらは基本的に、パソコンと1対1で直接接続して使用する。たとえば、USB接続のハードディスクに保存したExcelファイルを、2台以上のパソコンで編集したい場合、編集するたびにつなぎ換えが必要だ。その手間を考えると、USB接続のハードディスクは、2台以上のパソコン間でのデータ共有には向いていない。これに対して、NASはネットワーク、つまりLANに接続する。そのため、1対多の接続が可能となり、複数のパソコンから同時に接続することが出来る優れものなのだ。

NASがあれば、ネットワークを経由してパソコンの他、スマートフォンやタブレットのデータも簡単に共有することが出来る。スマートフォンで撮影した写真をパソコンで加工したり、パソコンで作成した資料をタブレットで表示するなど、使い方も自由自在。ホームネットワークはもちろんのこと、外出先からデータ共有できるのも大きな魅力なのだ、そうだ。東芝は死んではいないねえ。見事だ。


★<来たぞ、韓国徴用工ガセが>韓国最高裁が新日鉄住金に賠償を命じた元徴用工訴訟の確定判決を受け、来日した原告の弁護士や日韓両国の支援団体が12日午前、賠償命令に応じるよう申し入れるため、東京都千代田区の新日鉄住金本社を訪れた。

原告側は新日鉄住金に面会を要求したが、同社は拒否。受付で警備員が『日韓請求権協定や日本政府の見解に反するもので遺憾だ』との言葉を伝えた。原告側は準備していた要請書の手渡しをやめ、面会を再度要求して立ち去った。日本政府は賠償請求に応じないよう促しており、新日鉄住金はこれまで態度を明らかにしていない。

韓国では、『徴用工』の定義を、『強制徴用』、そして『官が支援補助した徴用』と、『民間企業が募集し、自主的に応募した韓国人』をぜ~んぶひっくるめている。今回の新日鉄の徴用工4人は、安倍首相が国会でも言明しているように『自主応募した徴用工』であり、なんら募集に瑕疵はなく、補償の必要もない輩である。まったく、韓国の常識は世界の非常識なり、だ。


★<マツダ、米で第3位>米『コンシューマー・リポート』の信頼性調査で広島の自動車メーカー『マツダ』が評価を上げた。マツダが躍進し、ボルボやビュイックが下げた理由とは?

米国の有力消費者情報誌『コンシューマー・リポート(CR)』による最新の信頼性調査では、テスラが6ランク・ダウンの27位、ビュイックに至っては11も順位を落とし19位、さらにシボレーも5つ、クライスラーも7つ順位を下げ、それぞれ23位と24位になるなど米国ブランドの苦戦ぶりが目立った。しかし、この結果で我々の興味を引いたのは別のことだった。

小さな会社であるマツダが最も大きな上昇を果たし、大幅に9ランクも繰り上げて3位に入ったのだ。これと対照的なのがボルボだ。しばしば品質と信頼性が称賛されるこのメーカーは順位を6ランク下げ、最下位の29位に転落してしまった。これは一体、どういうことなのだろうか?


まず、マツダとボルボ、そしてシボレーの3メーカーが評価されたあるいは評価を下げた要因は、比較的小規模な製品ラインアップで大きな影響を占めたということだ。ある特定の1モデルに称賛や不満が向けられた時(実際そのようなケースが多かった)、ブランド全体にその結果が重くのしかかる。それが相対的に生産台数が多く、人気の高いモデルであれば尚更だ。

マツダは2016年後半、『CX-3』の"コンデンサと冷却ユニットからの液漏れ"を含む空調システムの問題で『サービス・ブリテン(作業指示書)』の発行に至ったことから、影響力の大きいCRの『推奨』評価を逃したにも関わらず、今回の結果では順位を大きく上げている。この消費者情報誌の自動車部門で副編集長を務めるジョン・リンコヴさんは、その時の"かすり傷"が、ブランド全体を大きく傷つけることはなかったと述べている。『CX-9』や『MX-5 ミアータ』(日本名:ロードスター)の両車が、CRの『新たに推奨するクルマのランキング』で飛躍したことによって相殺されたからだ。両モデルのオーナーから指摘されていた問題を、マツダが迅速に修正した努力の結果と言えるだろう。

一方のビュイックは、モデルチェンジして注目を集めたSUVの『アンクレイブ』が『平均以下』の評価を受けた。シボレー『トラバース』と共有する新型9速オートマチック・トランスミッションの変速時に感じる荒さ、トルクコンバーターに対する不満をオーナー達が訴え、シボレーはコンピューターの修正やシステムの交換を余儀なくされた。空調システムなど他にもいくつか問題が見つかった。


リンコヴさんによれば、新型車やモデルチェンジ直後の車種は、CRの信頼性調査で評価が良くないことが多いという。多数のユーザーが日常的に使用する前なので十分なデータが集まらず、問題を検証することが難しいからだ。ビュイックで最も人気が高い『アンコール』や『エンビジョン』は良い評価を獲得したが、アンクレイブのトランスミッションの問題はそれらの好印象を上回った。アンクレイブはビュイックで2番目に多く売れているモデルで、今年9月までに3万5,227台が販売されている。

そしてボルボについては、今回の苦境の原因を一言で言えば、それは『インフォテインメント』だろう。新型『XC60』『XC90』『S90』に採用された新しいインフォテインメント・システムだ。空調の温度調整からナビゲーション、オーディオなど全ての操作をタッチパネルで行うこのシステムが不具合を起こし、ユーザーから"使えない"という声が多く寄せられたのだ。例えば冬の寒い日に、思うように暖房の温度が上げられなかったらと考えてみて欲しい。また、XC90のオーナーには、エンジン・コンピューターの問題やエキゾーストの排気漏れ、トランスミッションの変速ショックなどを訴える声もあった。リンコヴ氏は『多くの新しいシステムが採用されていますが、まだまだ改善が必要ということです』と述べている。


『コンシューマー・リポート』最新の信頼性調査によるブランド・ランキングは以下の通り
1. レクサス 2. トヨタ
3. マツダ 4. スバル
5. 起亜 6. インフィニティ
7. アウディ 8. BMW
9. MINI 10. ヒュンダイ
11. ポルシェ 12. ジェネシス
13. アキュラ 14. 日産
15. ホンダ 16. フォルクスワーゲン
17. メルセデス・ベンツ 18. フォード
19. ビュイック 20. リンカーン
21. ダッジ 22. ジープ
23. シボレー 24. クライスラー
25. GMC 26. ラム
27. テスラ 28. キャデラック
29. ボルボ


★<大陸棚、中国の主張に対抗…海保が詳細調査>海上保安庁が、経済水域(EEZ)まで自国の大陸棚が延びているとの中国の主張に対抗するため、EEZで詳細な地質調査を始めたことがわかった。中国はEEZで無許可の海底調査を繰り返しており、日本の海洋権益を守るため、同庁は今後、新型船も投入して調査をさらに強化する。何をいまさら、の感がないでもない。遅きに失しているからだ。

中国は2012年、日中両国のEEZの境界に当たる中間線を大きく越え、日本側の沖縄トラフ(海底の溝)までの大陸棚延長を『国連大陸棚限界委員会』に申請。日本の異議で審査対象にならなかったが、昨年までの6年間にEEZで日本の許可なく海洋調査を計71回行った。

また、14年には、政府系研究機関の職員らが、黄河や長江から流れ出た土砂が東シナ海の広範囲に堆積しているとの論文を国際的な学術誌に発表した。

しっかし何だねえ、何を今頃、ってかんじだねえ、日本国は。外交関係を配慮したのかどうか知らないが、あまりに遅すぎる。お役所仕事とはこんなことをいうのだろうねえ。尖閣列島を巡るトラブルはもう飽き飽きするほど聞いている。それなのにやっと地質調査だと。ムダ金ばかりつかい、時期を失する行動をするふがいなき、安倍首相の率いる日本政府だなあ。


★<移民法、拙速に過ぎる>準備不足だねえ、『移民法=入管難民支援法』。法が成立した場合、何人くらいの外国人が日本に入国するのか。この質問を受けた法務省、『今、精査するから待って』と、2日も3日も。出た結果が『19年度は最大4万7千人の受け入れを見込む』だと。法案を出しておきながら、その法律の効果の推定数値も発表出来ないような法律、拙速に過ぎる。穴だらけのこんな法律、もっとじっくりやるべきだ。生煮えとのメディアの批判は正しい。

自民は今国会で憲法改正を旗印にしているが、今日本で一番大きな問題が憲法問題か。何か問題点をそらし、論点を差し替えている自民、安倍政権だな。移民法、もっとしっかり骨格を組み立て、出直し審議だな。

そしてやっと出た。受け入れ人数の推定値が。外国人労働者の受け入れ拡大に向けて新しい在留資格を設ける入管法改正案を巡り、政府は14日の衆院法務委員会理事懇談会で、受け入れ対象として検討している介護や建設など14業種それぞれの受け入れ見込み人数を示したそうだ。一体『人口減』の政治的責任はどうなってるんだえ。

政府は2019年4月の新資格導入を目指しており、14業種の合計は、初年度の19年度で3万2,800~4万7,550人、19年度からの5年間の累計で26万2,700~34万5,150人とした。業種別では介護や外食などに重点的に配分された。政府が受け入れ見込み人数を正式に公表するのは初めて。


政府は受け入れ見込み人数とともに、人材不足の見込み人数も提示。現時点では対象14業種で58万6,400人が不足し、5年後には145万5,000人に拡大すると想定した。受け入れ見込み人数を巡っては、改正案の趣旨説明があった13日の衆院本会議でも野党から質問が相次ぎ、安倍晋三首相は『近日中に業種別の初年度と5年後の人数を示す』と説明。雇用情勢に大きな変化が生じない場合は、その人数を上限として運用する考えも示していた。

なんだよねえ、法務省は。厚労省との連携がまったく取れていない。法案を提出するなら、見込み数は当然質問なり、公表のポイントとなるもの。こんなのを泥縄で作るあたり、まさに『親方日の丸』の官僚、公務員達だ。私が、かつて広報部門の仕事をしたときには、記者の立場に立った想定問答を作った。関係部署から、こんな質問でるのか、や、こんな質問には答えられない、というのをなだめすかし、ある時は『社長が質問されたら、担当部門が答えるなと言っている、と返答するのか』と脅して作成した。官僚達は、国会で首相が質問を受ける内容の吟味が足らない、というか、おざなりの仕事しかしていないと思う。しかし、給料だけは高いからなあ。どうしようもない。


★<カープの外人選手契約>カープは、エルドレッド、ジャクソン、カンポスの3外人選手と来季契約を結ばないと発表した。エルは、調子がいいときに優勝に貢献してくれた恩人。ジャクソンも手薄なリリーフ陣では貴重な存在だった。が、今季は両人ともキレ味が薄れ、契約更改は難しいとみられていた。残念だが仕方ない。ジョンソン、ヘルウェグ、フランスア、バティスタ、メヒアの5選手は残留する。

今季大活躍した、フランスアは、年俸8万ドル=910万円、から36万ドル=4,120万円の4.5倍増となった。まあ、当たっり前のことではあるが、な。来季も今季並みの働きをすれば、1億円プレーヤーは間違いないだろう。プロ野球は実力の世界だからな。今村などは今季の状況をみていると、消える運命にあるよな。大瀬良と同期・同年なのにえらい違いだ。今村の唯我独尊スタイルが仇となっているな。是非、ドミニカン・ドリームを実現してほしい。

ちなみに、ジョンソンは3億4,200万円、ヘルウェグは1億260万円、バティスタは3,970万円、メヒアは1,370万円だ。バティスタがシュアーな打撃をするようになれば、これも1億円超えだな。いいことだ、ドミニカンが活躍し、年俸が上がることは。

『カープの星飛雄馬「鈴木誠也伝説⑦」 野村監督の堂林起用』

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今日の画像は、FA宣言をし、15日から交渉が始まったカープの屋台骨『丸』と、『鈴木誠也』。高校時代の誠也がまぶしいです。そして『アブチロン=チロリアンアンプ』『クレマチス』です。このクレマチスは普通見る大輪種ではなく、『インテブリフォア』という品種で、小柄で可愛い花です。この『インテブリフォア』にはブルーもあって、なかなか可愛い花ではあります。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★★北海道農学校の教頭として、日本教育界に功績を残したクラーク博士。博士がアメリカに帰国する際少年達に言った言葉、『少年よ大志を抱け Boys be ambitious!』。この言葉ほど、シンプルにして示唆に富んだ言葉はない。人間というのは、少年時代に『大志』を抱くことが大切なのである。

2017年に19年ぶりに日本人力士として横綱になった『稀勢の里』は、中学時代の卒業アルバムにこう記している。『天才は生まれつきです。もう天才にはなれません。努力です。努力で天才に勝ちます』。その強い意志があったからこそ、ちょっと疲れてはいるが、今の稀勢の里がある。

それでも、人間、心で思うだけなら容易いことである。しかしこれを日夜、実践して行くということになると、並大抵のことではない。誠也は、少年時代に発芽した夢を、素直に育てて行くという希有な才能を持った男だった。そしてすべては、桁違いに大きな夢を持つことから始まった。

誠也がカープに入団する1年前の2月。その前年に5位に終わっていた3年目のカープ野村監督は、背水の陣で春季キャンプを迎えた。その時あるメンバー振り分けが、カープファンを驚かせた。入団3年目の、堂林翔太が若手組ではなく、主力組に入ったからである。そして開幕前、1軍メンバーが発表された。その中に堂林の名前が入っていた。一番驚いたのは堂林本人だった。こうしてカープのシンデレラボーイ物語はそのページを開くことになった。


更には、開幕戦、ナゴヤドームのスコアボードを見て、誰しも目を疑った。そこにはまさかと思われる『7番 サード・堂林』の名が張り出されていたのである。よく『覚悟に勝る決断なし』と言われるが、それは若手を積極的に起用する野村謙二郎の覚悟の表明でもあった。

野村は当初、堂林をスタメン起用するつもりはなかった。たまたまオープン戦で、王貞治と話す機会があった時のことである。野村が王に聞いた。『実績ゼロの高卒3年目の選手を使ってみようと思っているが、王さんにはそういう経験はありますか?』。王は答えた。『もちろんあるよ。もしキミに何か感じるものがあったら、使わなきゃだめだよ。責任を取るのはキミなんだから』。こうして堂林のスタメン起用が決まった。

このシーズン、堂林は一時打率3割を超え、セ・リーグの首位打者に躍り出た。こうなると、『7番堂林』は、他球団から徹底的にマークされることになる。そして申し合わせたように、厳しい内角攻めが増えてきたのだ。(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)


★<日韓の特許庁会合中止>今月2日に予定されていた日韓特許庁長官会合が見送られたことがわかった。10月30日に韓国大法院(最高裁)が日本企業に対し、元徴用工への損害賠償を命じた判決を受け、日本側が延期を申し入れた。判決が出てから日韓関係は悪化しており、今後も両政府で予定されている様々な協議に影響を与えそうだ。

日韓関係筋によると、韓国大法院の判決が出た翌日の10月31日、日本の特許庁側が韓国側に『今は両国間の雰囲気が悪いので、延期した方がいい』と申し入れた。韓国特許庁の朴原住長官は翌11月1日から訪日予定だったが、急きょ取りやめたという。日本の特許庁は『中止になったかどうかも含めてコメントできない』とした。

特許庁長官会合は毎年1回開かれており、今年は京都市内のホテルで開催を予定していた。両国の特許、商標などの分野での関係強化を目指して協議するほか、長官を含む両庁の交流も目的で、今年で30回目だった。両国は日程を再調整しているが、見通しは立っていない。韓国政府関係者は『徴用工の問題とはまったく関係ない会合が中止になったのは非常に残念だ』と話した。

国と国との約束も守れず、国際法も順守できないような国とは付き合う必要はない。韓国はそのような国だ。日本国民全員が知っていることだな、嘘つき、ずる賢い破落戸国家の韓国だということを。


★<『NHK杯』、なぜ名乗る>いつも不思議に思う、あの『NHK杯スケート』。NHKはスポーツ、芸能を企業がスポンサーになって開催する『冠大会』の名称は報道しない。典型的なのが、ゴルフ。企業名を掲げ『サントリー●●シリーズ』なんてなのは言わない。『今週の男子プロゴルフは・・・・』となる。

スケート大会にNHKが冠を出したとしてもやはり『冠大会』。民間企業の名称は報道しないなら、NHKの冠も報道すべきではない。不偏不党の公平さが求められる『公共放送』所以だ。視聴者から視聴料を取りながら、政府に忖度そる報道姿勢。職員の度重なる不祥事。NHKのコンプライアンスは一体どうなっていのか、と不思議に思う。そういえば『西郷どん』も、史実に異なることがしばしば出て来る。歴史ものは、史実に忠実でないと、子供達が間違った歴史観を抱く。しっかりせよ、とNHKだ。それが低視聴率の言いか、な。


★<京都市、京都刑務所跡地活用案決める>京都市は、国に要望している山科区にある京都刑務所の移転が実現した場合の跡地活用について、大学などの教育施設や企業集積地など五つの機能・施設から複数を選択する方針を固めた。敷地面積が10万7千平方メートルと広大なことから、単一の機能・施設だけに使っては区全体の振興につながらないと判断した。所管する法務省に近く提案する。

五つの機能は、▽多世代が住みやすい住環境、▽世界最先端の研究開発を行う企業・機関、▽区民との交流につながる大学などの教育施設、▽伝統産業などの資源を生かした文化やものづくりの体験・交流・発信施設、▽先進的な防災機能を備えたオープンスペース。

市は民間企業の協力を得て複数の機能を導入することで区全体を活性化させる起爆剤としたい考えだ。京都刑務所跡地周辺だけでなく、山科駅前や山科団地、2019年度からの無料化で交通量の増加が予測される京都高速道路新十条通の沿道など、他のエリアとの連携も重視する。

京都刑務所は1927年に上京区から現在の場所に移転した。市は2013年から国に移転を求めているが、巨額の移転費や場所の確保といった課題があり、実現へのハードルは高い。市が策定作業を進めている『京都刑務所敷地の活用を核とする未来の山科のまちづくり戦略』の素案に方針を盛り込んだ。戦略には、市民の声を反映させ、本年度中に策定する。意見は12月10日まで募集している。

えらい、京都市だ。広島市にも吉島というまあ街の真ん中に刑務所がある。今は住宅地が囲み、行政区は京都の山科区に勝る中心地『中区』。もうこんな街の真ん中に刑務所なんて、時代錯誤だといつも感じている。刑務所に勤務する人達には悪いが、県北の廃校になった土地や校舎利用などで移転することが考えられる。法務省は真剣に考えてほしい。が、本当に真剣に考えてほしいのは広島市長の松井一實君だな。しっかりしておくれ、京都市に負けないようにね、市長殿。


★<福岡市、都市型ロープ構想>18日に投開票の『福岡市長選』で、JR博多駅と博多港ウオーターフロント(WF)地区を結ぶロープウエー構想が争点に浮上している。3選を目指す現職の高島宗一郎さん(44)が『都心部の渋滞緩和策』として公約に実現を盛り込めば、共産市議団事務局長の新人、神谷貴行さん(48)=共産推薦=は『中止して暮らしにお金を回す』と主張する。実現すれば国内初の都市型ロープウエーとあって市民の関心も高く、最終盤に向けて論戦はさらにヒートアップしそうだ。

『ロープウエーが無駄だって言い方もあるが、地下鉄にしたらもっとお金がかかる』。福岡市中央区の公民館で開かれた個人演説会で、高島さんは集まった聴衆を前に、ロープウエーの必要性を力説した。構想は、クルーズ船の寄港などでにぎわうWF地区と九州の玄関口であるJR博多駅の約2キロを大博通り沿いにロープウエーで結ぶもの。渋滞緩和とアクセス向上が狙いで、海外の整備費は1キロ当たり13億~64億円のため単純計算すると26億~128億円はかかる。都市型ロープウエーとしては英ロンドンや米ニューヨークに先行事例があるが、国内では実現していないという。


もともとは市がWF地区の再開発に向けた民間アイデアを募集した2015年にJR九州が提案した。高島さんは昨年12月の政治資金パーティーで『私の夢』として検討を開始することを公表。今年1月にはWF地区と博多駅を結ぶ新たな交通システムについての研究会を設置し、モノレールや地下鉄などとともに導入を検討している。

高島さんは『景観、輸送力、コストの面からも圧倒的にロープウエーが優れているのは明らかだ』とその優位性を説明するが、コスト負担や運営を誰がするかなど具体的なことは決まっていない。一方、神谷さんは出馬表明した当初からロープウエーの是非を争点に掲げる。選挙戦では連日、街頭演説などで『いろんな人に話を聞いたが一人もやってほしい、ここにぜひ造ってほしいという方はいない。中止して皆さんの暮らしや福祉に回す』と主張。天神ビッグバンなど大型再開発を進める高島市政の象徴として批判を強める。

構想を提案したJR九州の広報部は『都市型ロープウエーは日本初で話題にもなり、WF地区の発展や観光資源として魅力向上に寄与できる』と提案理由を説明。青柳俊彦社長は昨年12月のインタビューで事業参入に意欲を示した。大博通りで路線バスを運行する西日本鉄道の倉富純男社長も『すみ分けと連携が大事だが、ロープウエーは都市観光の材料になる』と前向きだ。


しかし、市民の間では賛否が分かれる。大博通り沿いの洋品店の店長は『実現すれば外国人客が増えるのではないか。途中下車できる駅も造ってほしい』と期待するが、別の店舗従業員は『整備費がかかりすぎる。バス路線を充実させた方がいい』と反対する。前回選で高島さんに投票したという福岡市博多区の主婦は『物珍しさはあるけど観光客がいつまでも続くわけではなく、子育て支援などもっと税金を回すべきことがあるのでは』と話した。

さあ、博多っ子の皆さん、東京のスカイツリーをどう評価しますかねえ。あれって無駄かな。しかし面白い発想だ。シンガポールに半島と島を結ぶ、半分都市型のロープがあるが、なかなか便利だし、良かった印象があるねえ。博多は前進するよねえ、どんどん離されるなあ広島は、広島松井市長殿。


★<トランプ強気外交、ほころび示す>トランプ大統領がNATOについて、欧州はもっと費用負担すべきと、強気の姿勢。なら、欧州は米国軍抜きの『欧州軍』を仕立てようと、仏マクロン大統領と独メルケル首相が合意、各国へ呼びかける。

メルケル首相は、欧州軍は北大西洋条約機構(NATO)を補完するものになるとの考えを表明。『相互に依存できる時代は終わった。このことは、欧州は自身の運命に完全に責任を持つ必要があることを意味している』とし、『真の欧州軍の将来的な創設に向けビジョンを取りまとめる必要がある』と述べた。

また『欧州に自国優先主義や利己主義はもはや存在すべきでない』とし、寛容さと結束の重要性を訴えた。イタリアの財政を巡る懸念が高まる中、『通貨ユーロは全加盟国が持続可能な財政の責任を果たして初めて機能する』とも強調。『イタリアに手を差し伸べたい』としながら、『しかし、イタリアは様々なルールを受け入れる必要がある。ルールを簡単に破ることはできない』と述べた。

通貨同盟の深化に関する構想には具体的に踏み込まず、『金融政策の立案を改善する必要がある。われわれは銀行同盟に取り組んでいる』とした上で、『まず責任や管理、銀行同盟に目を向け、それから欧州の保険制度を検討する必要がある』と述べている。

ちゃぶ台がえし、狂犬トランプはついに欧州の信頼・信用を失ったねえ。いいことだ。覆水盆に返らず、だな。もう遅いぞ、トランプ!


★<後藤田正純衆院議員が結婚詐欺で訴えられた>後藤田正晴元官房長官を大叔父に持つ自民党の後藤田正純衆院議員(49)が、『結婚詐欺』によって心身を傷つけられたと主張する女性・Aさんから、損害賠償金1,100万円を求める民事訴訟を提起されたことがわかった。東京地裁民事部に提出された訴状は11月8日付。

今回『週刊文春』が入手した訴状によれば、Aさんが後藤田議員と知り合ったのは、フェイスブック上でのことだった。訴状にはこうある。〈2017年8月1日、フェイスブックを通じて「友達」となり、被告の誘いで翌日ホテルで会って、男女の関係を結んだ〉

Aさんの代理人を務める阿部浩基弁護士は『その気のない結婚約束(詐欺)をして肉体関係を結び、女性の貞操、人格権を侵害した卑劣極まりない行為と考え、その旨を訴状でも詳述しています』と語る。一方、後藤田議員の代理人弁護士は、書面でこう回答した。『後藤田議員を被告とする損害賠償請求事件の訴状が提出されたことをまだ認識しておりませんが、仮に実際に当該訴訟が提起されたことが確認されれば、毅然とした対応を行う所存です』と。


Aさんの主張については、『虚偽の又は歪曲された言説に基づくものと認めざるを得ず、大変遺憾に考えております』。後藤田議員がAさんとやり取りしたメッセージやプレゼントの写真、後藤田議員に直撃した様子などの詳細は、11月15日(木)発売の「週刊文春」で報じる、と。

後藤田正純は、妻は女優の水野真紀。大叔父は警察庁長官、内閣官房長官、法務大臣を歴任した徳島県全県区の衆議院議員であった後藤田正晴。水野真紀と結婚したのが2004年とあるから、この事件は一体いつ起きたことなのだろうか。Aさんが後藤田議員の結婚を知っていれば、詐欺は成立しがたいな。一体この問題どうなっているのか、文春を立ち読みするしかない。


★<戦国乱セ”にするには…丸の巨人入りが必須 >FA宣言選手の各球団との交渉が、いよいよ15日に解禁された。広島からFAの丸佳浩外野手(29)が巨人入りを選択するのかどうかが、最大の焦点になる。球団史上初のリーグ3連覇を果たした“セ1強”の広島の来季独走リーグ4連覇を阻止し“戦国乱セ”にするには、丸が巨人に入るしかないからだ。とは、スポーツジャーナリストの『江尻良文さん』のご託。

ソフトバンクとの日本シリーズではMVPを受賞した捕手・甲斐のケタ外れの強肩に機動力を封じられ、悲願の34年ぶりの日本一を達成できなかった広島。しかし、セ・リーグには走攻守三拍子揃った赤ヘル野球を上回る球団はないだろう。リーグ優勝7回、日本一3回の常勝・原監督を3度目の招へい、5年ぶりのV奪回を至上命令とする巨人も例外ではない。広島のリーグ4連覇を阻止するには、FA丸の獲得が絶対必要条件になってくる。


2年連続セ・リーグMVP獲得が当確視されている丸は攻撃の核だけではない。守りでも最重要視されるセンターラインの要になっている。攻守の主役・丸を獲得すれば、巨人の大きな戦力アップにとどまらず、同時に広島の計り知れない戦力ダウンを招く二重の効果がある。巨人とともに伝統ある老舗御三家を自負していた阪神も最下位になって矢野新監督、万年Bクラスに成り下がった中日も与田新監督を迎え、巨人同様に来季一からの再スタート。丸に広島に残留されるよりも、巨人入りしてもらった方がありがたいだろう。丸が入っても巨人が独走する可能性は低いからだ。そうなってこそ、広島以外の5球団のファンにとって面白いペナントレースになるというものだ、そうだ。いろいろ世間には噂とご託が流れるねえ、丸のFAには。

カープの秋季キャンプでは、丸が万一流出したらということで、西川が外野手のトレーニングに入っているそうだ。半分はもう流出だね、残念ながら。

『カープの星飛雄馬「鈴木誠也伝説⑧」 ドラフト、想定外の2位指名を受ける』

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今日の画像は、稲盛和夫さんが創設した『京都賞』の晩餐会と、『鈴木誠也』。そして、広島市内『元安川の風情』『街中で見つけた、かっこいいハーレーのカスタムカー』『ホタルブクロ』『キク、SPピンポン』『吠球のユニTシャツを着た若者たち』です。『吠球』って、バレーかと聞いたら、そうだと答えたのですが、本当かどうかわかりません。『京都賞』は、今や『ノーベル賞』並みのステイタスになりつつあるそうだ。稲盛さんの私財を原資に運営されているが、見事なり、です。稲盛さんは、大阪大学医学部を受験し失敗、地元鹿児島大学の工学部に入り、セラミックの世界に。IBMのIC基盤を受注したことから、業容を拡大し、KDDIなどを起こし現在に。赤字垂れ流しのJALを復活させた経営手腕も高く評価されています。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

そして最後の画は、私が昨日行った広島市中区の情報プラザ交差点、歩道の雑草の刈り取り跡です。ここには背の高い雑草がもうもうと生い茂っていました。月1、2回、4人くらいの掃除の人がプラザの周囲を清掃、草抜きしています。この部分の雑草を刈り取らないので、どうして、と聞くとなんと。『この歩道のプラザ寄り半分は県の土地、車道寄りの半分は市の土地。で、プラザの人からは市の部分は掃除するなと指示されている』と。

なんと、広島市と広島県の土地が、歩道を二分しており、その雑草抜きは、県の部分だけで少し手を伸ばせば足りる市の土地には手を付けるなと。これが広島県の職員の意識、行動です。広島県と広島市はこんなつまらない末端で軋轢、摩擦をおこしているんですねえ。一事が万事。湯浅県知事、松井市長はこんなことは知らないだろうが、こんなことの積み重ねが地域の進歩を妨げているのだ。しっかりしろよ、知事も市長も、と言いたい。


★★★野村に起用された、『7番堂林』は、一躍シンデレラボーイになった。カープファンだけでなく、全国の野球ファンの話題を集めた。

このシンデレラ物語を高校の宿舎のテレビで見ていたのが、当時高校3年生だった誠也である。『堂林さんのような選手になりたい』。それはカープからドラフト2位の指名を受けるわずか3ヵ月前のことだった。誠也が憧れを抱いた堂林は、このシーズンにカープの女子ブームの火付け役となり、その活躍が社会現象にまでなった。

その頃、ストイックに取り組む姿勢で注目を集めるようになっていた誠也は、ドラフト候補としても名前が挙がった。誠也をマークしていた球団は、巨人、楽天、西武、それにカープの4球団だった。ただ、もし指名を受けたとしても、甲子園の経験のない誠也は下位指名が予想されていた。周囲の人達も本人も、そう信じて疑わなかった。

ドラフト会議当日(2012年10月25日)。誠也は、高校の地下ホールでネットを更新しながら、状況をチェックしてた。高校の関係者が、誠也のもとに走ってきた。『広島が2位指名!』。まさか。誠也は一瞬自分の耳を疑った。この瞬間から、もう一つのシンデレラボーイ物語が始まることなど、まだどこの誰も知らなかった。


このドラフトでカープは、当時『高校ナンバーワン左腕』と呼ばれていた、『森雄大(東福岡高校)』を1位指名した。しかし、今から考えると、幸だったのか不幸だったのか分からない。その時は、楽天と競合し抽選で敗れた。その直後、外れ1位で指名した『増田達至(NTT西日本)』もまた、抽選の結果、西武に奪われた。そして、ようやく外れ外れ1位で指名したのが『高橋大樹(平安高校)』だった。高橋は、2年生の夏に4番として甲子園に出場。翌年夏にも同じ舞台に立ち、甲子園通算14打数7安打、1本塁打。大会後のU18世界選手権でも、22打数10安打、0.455と好成績を残していた。

この指名から、カープのドラフトの模様は一転した。例年、カープは上位指名を投手で固める。ところがこのシーズンは、1位候補を2人とも外したことで、その方針を変更せざるを得なくなった。『徹底的に素質のありそうな打者を獲りに行こう』。その結果、全国的にあまり注目度が高くなかった誠也の指名順位が上がった。この2位指名の発表に一番驚いたのは、誠也本人だった。『一瞬、頭の中が真っ白になった』。

断っておくが、カープでは江藤智でも5位、前田智徳でも4位、緒方孝市でも3位指名だった。つまり誠也は、彼らよりも高い評価を受けることになったのである。この時の状況について、尾形スカウトはこう語っている。『巨人が執拗に追い続けていたので、指名を3位まで遅らせると、巨人に獲られてしまうという懸念があった・・・・』と。

さらに続いたドラフト会議。カープは、打者を指名する方針を貫いた。3位指名は上本崇司(明治大)、4位は下水流昴(ホンダ)、5位は美間優槻(鳴門渦潮高校)である。ちなみに、カープ球団史上、ドラフト会議で一人も投手を指名しなかったのは、あとにも先にもこの時だけである。松田オーナーはこう言った。『森は逃がしたが、狙っていた野手はすべて獲得出来た。90点だと思う』と。(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)


★<『ママ活』補導相次ぐ バイト感覚>『援助してくれるママを募集してます』。会員制交流サイト(SNS)などに書き込んで知り合った年上女性とデートした見返りに金銭をもらう援助交際が、若い男性の間で広がりを見せている。女子中学生や高校生が年上の男性に援助を求める『パパ活』が2年前から横行。ママ活は、その“男性版”としてここ1年半で増え始めたと専門家は指摘する。福岡県でも男子高校生や大学生が相次いで補導されている。

『学費が足りず、ママ活中』『顔に自信あり』。男子大学生(20)は今夏、ツイッターにこんな投稿をした。パパ活中の友人女性から「体の関係なしでお金をくれる」と言われ、バイト感覚で始めた。40代女性の食事や買い物に付き合って1万円もらった。服も買ってもらったが、会う回数が増えるうちに待ち伏せされたり、求婚されたりした。大学生は『軽い気持ちで始めたが、ストーカーのようになり怖くなった』と振り返った。

福岡県では男子高校生(17)が9月、ツイッターで『ママ活したい』と投稿。身分を隠して連絡を取った警察官に『2時間カフェで会うのに7千円』と返信し、補導された。『バイトをやめたので、お金がほしかった』と話したという。県警は、金銭目的の交際呼び掛けが深夜徘徊や喫煙と同様の『不良行為』に当たると判断。他にも『ママ活募集』などと書き込んだ男子大学生と男子高校生を補導した。3人は他人のツイッターをまねて、初めて書き込んだという。


警察庁によると、ネット上の書き込みを監視し、警察官が身分を伏せて接触する『サイバー補導』により、昨年は全国で1,187人を補導。前年比で325人増えた。福岡県では204人が補導されている。

ネット上のトラブル相談に応じる『全国webカウンセリング協議会』によると、ここ1年半はパパ活に加えてママ活の相談が増え始めた。性行為目当ての『パパ』が多いのに対し、『ママ』になる女性は『寂しさを解消したい』という動機が大半という。今年に入りママ活専用の出会い系アプリも目立ち始め、SNS上では『姉活』や『兄活』という投稿もある。
『パパ活の社会学』の著書がある坂爪真吾氏は『パパ活やママ活は自分の都合で日時を決めることができ、報酬も相場で2、3万円と一般的なバイトより高額。小遣い稼ぎが多いが、中には親の借金や奨学金返済のためといった切実な子もいる』と話す。『パパ活』『ママ活』と呼べば言葉は軽いが、相手から脅されて性行為を強要されたり、逆に金銭を要求されたりする被害とも紙一重だ。同協議会の安川雅史理事長は『犯罪に巻き込まれる危険性が高い行為。安易な気持ちでやらないでほしい』と強調する。


◇モラル教育に注力 福岡県警
中高生らがパパ活やママ活に手を出さないよう、福岡県警はサイバー補導とともに教育にも力を注ぐ。福岡県内のサイバー補導人数は、県警本部のみで担当していた2013年は2人、14年は5人。県内15署と少年サポートセンター5カ所に拡充した16年は163人、17年は204人に増加した。補導した少年の7割は非行歴がなく、8割は「小遣い稼ぎ」で援助交際をしていた。約3割は相手からわいせつ行為を受けたり、裸の画像を撮影されたりしていた。

県警は中学校や高校などに警察官を派遣する『非行防止教室』を毎年1,000回以上実施し、援助交際をしないよう呼び掛けている。16年からは児童養護施設や児童自立支援施設にも出向く。今年は、援助交際で暴力団と知り合い、売春行為に至った女子高校生を題材にした教材用DVDも製作。県内の計約570校に配布した。少年課の中村宗雄次席は「非行に至らないよう、監視と啓発の両輪で少年を守りたい」と話した。

まあ、ネット、スマホの時代で、何かにつけて手軽さが受けている。ママ活、パパ活もその一つ、時代を表しているねえ。


★<京都賞に見る稲盛和夫流『最高に格好いい金の使い方』>使い切れないほどの金を持ったらどうするか――。 

筆者(大西 康之)を含め大半の人間には関係のない悩みだが、起業家が後世において尊敬されるかどうかは、この一点にかかっている。ダイナマイトの発明者、アルフレッド・ノーベルは『人の命を奪う兵器メーカーの創業者』ではなく、ノーベル賞の創設者として名を残した。鉄鋼王アンドリュー・カーネギーや石油王ジョン・ロックフェラーも大学や財団の名前が残る。資本主義の歴史が浅い日本にはそうした資本家が少ないが、存命の経営者の中でそこに最も近いのが京セラ名誉会長の稲盛和夫氏だろう。稲盛氏は京セラの創業者利得の大半を稲盛財団に投じ、社会に還元している。稲盛ファンが多い理由の一つである。

もはや『日本のノーベル賞』と言っていいだろう。2018年11月10日、第34回「京都賞」の授賞式が国立京都国際会館で開かれた。


◇山中伸弥教授を救った京都賞
京都賞は京セラ創業者の稲盛和夫氏が1984年、私財200億円を出して設立した懸賞だが、それが俄然、注目を集めているのは、この賞の受賞者が数年後にノーベル賞を受賞する確率が極めて高いからだ。今年、ノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑京都大学特別教授も2016年に京都賞を受賞している。世界の知性が集まる授賞式を現場からレポートする。天気は快晴。京都国際会館に正装した人々が続々と集まってくる。エントランスでは開場を待つ来場者のために裏千家の呈茶がある。京都らしい気配りだ。開場と同時に1,000人を収容する大ホールはすぐ満杯になった。舞台には京都市交響楽団のオーケストラが陣取り、着飾った人々とともに華やかな空気を醸し出している。

壇上には今年の受賞者を祝福すべく、歴代の受賞者がずらりと並ぶ。今年ノーベル賞を受賞した本庶博士と、2010年に京都賞を受賞し2012年にノーベル賞を受賞した山中伸弥博士が隣り合わせで座る姿は壮観だ。山中氏はノーベル賞を受賞し『世界のヤマナカ』になった後も毎年、欠かさず京都賞の授賞式に参加している。『京都賞がなかったら現在の自分はない』という思いがあるからだ。厳密に言えば山中氏を救ったのは『京都賞』というより、稲盛財団が実施している『研究助成』である。同財団は京都賞と並行し、毎年50人の若手研究者を選んで100万円の助成金を出しているのだ。

山中博士も2010年に京都賞を受賞する数年前に、iPS細胞研究で稲盛財団から助成金を受けている。山中氏はこの時のことを『予算が続かず研究を諦めるかどうかという時期だったので、非常にありがたかった』と振り返る。義理堅い山中氏は、それゆえ超多忙のスケジュールを縫って京都賞の授賞式に参加しているのだ。


◇『ノーベル賞の先行指標』となった京都賞
本庶、山中両博士のほかにも、2014年にノーベル賞を受賞した赤崎勇博士は2009年、2016年にノーベル賞を受賞した大隅良典博士は2012年にそれぞれ京都賞を受賞している。日本人以外でもLSIの基盤になったモノリシック半導体集積回路の概念を生み出したジャック・キルビー博士など5人が、ノーベル賞の前に京都賞を受賞している。京都賞が『ノーベル賞の先行指標』と言われる所以である。

なぜ京都賞の受賞者がこれほどの確率でノーベル賞を受賞するのか。それは京都賞の選考プロセスが、ノーベル賞並みに厳しいからだ。京都賞審査機関は三審制になっており、国内外の推薦者が挙げた候補者を『専門委員会』『審査委員会』『京都賞委員会』という三つの委員会で絞り込む。

先端技術部門は国際電気通信基礎技術研究所の川人光男脳情報通信総合研究所長、基礎科学部門は京都大学高等研究院の森重文院長、思想・芸術部門は武蔵野美術大学の柏木博名誉教授が審査委員長を務め、専門委員会には京大、阪大、東大の現役バリバリの教授陣が顔を揃える。これらのメンバーが一年がかりで議論を戦わせ、稲盛氏が言う『人のため、世のために役立つこと』を成し遂げた人物を選ぶのだから、ノーベル賞が「後追い」になるのも頷ける。


◇定刻の午後3時、ファンファーレが鳴り、開会が告げられる。
ファンファーレが鳴り終わると、会場の全員が起立し、京都賞を主催する稲盛財団の名誉総裁、高円宮妃久子殿下を拍手で迎える。続いて稲盛氏に先導され、3人の今年の受賞者が現れた。先端技術部門は光遺伝学を創成した神経科学者のカール・ダイセロス博士、基礎科学部門はD加群の理論を構築した数学者の柏原正樹博士、思想・芸術部門はビデオアートとパフォーマンスを融合した新しい芸術表現を確立した美術家のジョーン・ジョナス氏が選ばれた。ダイセロス氏は46歳で、最年少の受賞である。京都賞の賞金は今年から各部門1億円に倍増された。ノーベル賞の賞金が900万スウェーデンクローナ(約1億1600万円)だから、こちらも『ノーベル賞級』だ。


◇私財200億円を投じて財団を設立した稲盛さん
入場が終わると舞台が暗転し『いよー、ポン!』と鼓の音が響き渡る。観世流・片山九郎右衛門によ『嵐山』の奉祝能である。稲盛財団の井村裕夫稲盛財団会長の挨拶に続いて高円宮妃のお言葉があり、いよいよ授賞式だ。

受賞者の業績を紹介するビデオが流れ、各部門の審査委員長が贈賞理由を説明する。光遺伝学とD加群理論はかなり難解だったが、ダイセロス博士と柏原博士はいつかノーベル賞を取るかもしれないから、名前と顔だけでも覚えておこうと思った。振袖姿の女性がメダルとディプロマを運び、舞台が華やぐ。授賞式が終わると、安倍晋三首相とドナルド・トランプ大統領からのメッセージが、それぞれ経済産業省政務官と在大阪・神戸アメリカ合衆国総領事によって代読され、着物を着た京都聖母学院小学校合唱団の女の子たちによる『青い地球は誰のもの』の合唱で幕を閉じた。

午後6時15分からは隣のグランドプリンスホテル京都『プリンスホール』に場所を移し、1,000人の大晩餐会である。ここで初めて稲盛氏が登場する。『今年も高円宮妃久子殿下、各国大使、各界を代表する皆さまをお迎えし……。あっ、通訳ですね。すいません』。この辺りが朴訥な稲盛さんらしい。『この34年の間に、受賞をされた108名と1団体の方々は皆高潔な方々ばかりであり、京都賞は私の思いをはるかに超え、真の国際賞として輝いていると思います』と。


34年前、設立から25年の京セラは売上高2,300億円、税引き前利益530億円の会社だった。ゼロから立ち上げたことを考えれば立派な業績だが、会社の規模で言えば中堅といったところ。稲盛氏も日本の常識で言えばトップとして『若手』と言われる52歳だった。しかし『京セラが大きく発展し、自分も思いがけないほどの私財を持つようになったのは、多くの人の支援のおかげ』と考えた稲盛氏は、200億円を拠出して稲盛財団を設立し京都賞の顕彰を始めた。

同じ1984年、稲盛氏は第二電電企画(現在のKDDI=au)を設立して通信事業に参入している。この時も『動機善なりや私心なかりしか』と自らに問い、『日本の電話料金を引き下げるための起業である』と言う理由から、第二電電の株式を持たなかった。KDDIが今日6兆2500億円に達していることを考えれば、何千億円規模の富を放棄したわけである。

86歳の稲盛氏はまだまだ元気だが、稲盛氏がこの世を去った後も京都賞は日本を代表する国際賞として残り続けるだろうし、山中博士、本庶博士のような人類の進歩に貢献する偉大な研究者を育むことになるだろう。これほどカッコいいお金の使い方はない。


★<ズムスタでマエケン登板>日米野球の第3戦、マツダスタジアムの試合にマエケンが全米代表の先発として登板、2回を無失点で抑える貫禄を見せた。一方侍ジャパンはカープの大瀬良が先発。カープ時代の先輩、後輩という珍しい組み合わせの試合となった。

ドジャースのユニフォームを着て、かつての本拠地のマウンドに立つことは『一生に一度あるかないか』とマエケン。その得難い機会で、メジャーリーガーの名に恥じぬ投球を見せた。秋山、柳田をいとも簡単に内野ゴロに。『今年から握りを変えてすごく有効になった』と言うチェンジアップで森を空振り三振に仕留めた場面に、渡米後3年間の成長が見て取れた。

3回の先頭打者はカープ時代にバッテリーを組んだ会沢。マエケンは首脳陣に対戦を志願したが、予定のイニング数をきっちり守るメジャースタイルの前で私情が通るはずもなく、2回22球で凱旋登板は終わった。

それでも『久し振りにこの球場で投げることが出来て、僕にとっては幸せな時間だった』。9回に田中が同点打、菊池が勝ち越しセーフティースクイズとカープ勢が躍動したのも『マエケン効果』と言えようか。

ドジャースのチーム事情で、8月半ばから救援に回ったマエケンだが、来季は再び先発に戻る予定。懐かしのマウンドでスターターの役目を果たした貫禄の登板は、メジャー4年目に向けて貴い財産になったはずだ。


★<弁護士は因果な商売>弁護士とはつくづく因果な商売だと思うねえ。あの、3年前、寝屋川で男女中学生を殺し、死体を遺棄した犯人。裁判では殺していないだと。手をクビに添えていたら、グッタリしたと。女の子は病気で死んだのだろうと主張。首には手で締めたという証拠ののうっ血があった。ウソと分かっていてもこの被告の言葉を抗弁に、弁護をしなければならない弁護士の心境やいかに。

冤罪や同情が出来る犯罪の弁護ならいざ知らず、真っ黒気の大犯罪人を弁護するのは本当に大変だろう。この犯人の如く、ウソ八百を並べ立て、裁判所では土下座して裁判長に謝罪するなど。この男を知る人は、アイツならやりかねない、と指指して肯定している。

物的証拠がないのが検察の一番の弱点。状況証拠の積み上げで、果たして殺人罪の適用になるか。『疑わしきは被告人の利益に』が裁判の鉄則だからなあ。困ったもんだ。


★<改正出入国管理法案、またもやチョンボ>国会に提出されている、『改正出入国管理法案』の資料に誤りがあり、またもや新ストップ。間違いは、失踪外国人の聞き取り緒差結果の数値。原因は法務省担当者のエクセルの間違いだとか。高い給料をもらいながら、簡単なエクセルさえ間違うのだねえ。さらには国会に提出する資料であれば、ダブルチェックの体制にないのが不思議。どちらにしろ、この法案、拙速に過ぎるねえ。国民をバカにし、国会は自民党の独占だと錯覚している。次の選挙では絶対にお灸を据えなければならないな。

さらには、法案の策定の基礎となった資料を、政府は秘匿し、公開しないそうだ。そんな法案審議があるか。首相の発言と法務相の発言の食い違いなど、生煮えのまま出した法案に違いない。

『カープの星飛雄馬「鈴木誠也伝説⑨」 野村監督のメモ「努力・前進・努力」』

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今日の画像は、スクープされた、今月末ロス自動車ショーで発表される予定のマツダの『新型アクセラ・MAZDA3』と西郷輝彦の娘『今川宇宙』、そして『鈴木誠也』。さらには広島の夏を迎える祭り『とうかさん』、別名『ゆかた祭』。子供から大人まで浴衣姿で参拝しますが、昨今は浴衣姿が少なくなっているようにも。でも女子中学生らしきグループが、浴衣姿ではしゃいでいるのを見ると、この娘達の将来に幸せあれ、と願うばかりです。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★ドラフト会議が終わってから、1時間後。野村謙二郎監督が二松學舎大付属高校を訪れた。その時、野村が誠也に渡したメモがある。それはドラフト会議の入場パスに書かれたものだった。『努力・前進・努力』。メモには、たった3つの単語が書かれただけだったのに、『努力』の文字が2つも入っていた。

誠也は、高まる興奮を抑えながら、記者団にこう語った。『練習が厳しい環境は、自分に合っていると思う。1度も広島に行ったことはないが、不安よりワクワク感の方が大きい』。その後、短い交渉期間を経て、誠也のカープ入団が決まった。契約金は6千万円、年俸は600万円だった。今季、2018年の誠也の年俸は9千万円である。今季の活躍ぶりからすると、来季は1億5千万円は確実に突破するだろう。

こうして誠也は、そのシーズンオフ、東京・荒川を巣立ち、大きな夢をカバンに詰めて、初めて広島の地を踏んだ。

背番号には不思議なメッセージ性がある。そのため入団した選手に対する球団の思いというのは、彼らが背中につけた番号を見れば大体分かる。ドラフト1位の高橋大樹は、2007年までカープの4番バッターだった新井貴浩がつけていた『25』。2位の誠也は、あの江藤智、前田智徳が入団時つけていた『51』。そして3位の上本崇司は、攻守・俊足の象徴を示す『0』。さらに下水流昴には『35』。美間優槻には『59』が付けられた。


正直言って、この頃、カープでの誠也に対する注目度は、あまり高いものではなかった。なぜかと言えば、ドカベンのような体つきで高校通算43本塁打を放ち、50m走でも5秒9の俊足の持ち主だった高橋大樹に、多くのメディアとファンの注目が集まっていたからである。

ただ、一部のプロの見方は少し違っていた。当時、苑田聡彦スカウト統括部長は、こう語っている。『誠也がいい。間の取り方が柔らかく、こういう打者は大成する。足も肩も一級品。彼は投手よりも野手の方が向いている』。実のところ、ドラフト順位と言うのは、1軍へ登場する順位とは全く関係がない。さらに言えば、プロ野球選手のみ、その指名順位がレッテルのように貼られる現状を不思議に思える。一般サラリーマン、公務員など、退職しても入社試験の順位など分かりはしないのである。
(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)


★<中国、産児制限の撤廃か 少子化歯止め見通せず>中国が『一人っ子政策』に代表される産児制限を撤廃する検討を始めた。2016年から始めたすべての夫婦に2人目の子供を認める『二人っ子政策』への緩和でも17年の出生数が減少となり、次の一手を迫られたためだ。将来の社会保障負担の拡大もにらんで人口急減を防ぐ狙いだが、産児制限撤廃でも出生急減に歯止めがかかるかは見通せない。


中国最南部の海南省の人民代表大会(省議会に相当)は9月末、産児制限条例の改正案をまとめ、条例に違反した場合の罰則の一部を削除した。中国は大きな政策転換をする時に地方から始める。産児制限の廃止に向けた布石の可能性がある。

共産党機関紙『人民日報』によると、全国人民代表大会(国会に相当)で審議中の民法改正案でも『計画出産を実行』などの表現を削除。同法案は最短で20年3月にも成立する。産児制限を担う「国家衛生計画生育委員会」も『国家衛生健康委員会』に改称した。政府の政策決定に関わる有力な人口学者は『次の一手は「三人っ子」政策ではなく、産児制限の撤廃だろう』と話す。まず産児制限の適用を停止し、様子をみて制度を廃止するとの見方もある。

中国が夫婦の子供を1人に限る『一人っ子政策』を始めたのは80年。10年の全国人口調査から推計すると、出生数は90年の2800万人から99年の1400万人に減った。1人の女性が生涯に何人の子供を産むかを示す合計特殊出生率は79年の2.75から、10年は1.18まで下がった。中国指導部は13年に夫婦どちらかが一人っ子であれば子供を2人まで認めた。15年にはすべての夫婦に2人までの子供を認める『二人っ子政策』の導入を決めた。当時の計画委は『出生数は最低でも2千万人を回復する』とみていた。


初年度の16年は1786万人と前年より131万人増えたが、翌17年は1723万人と一転して減少した。2人目は増えたが、それ以上に1人目が減った。出産適齢期の女性が減ったからだ。22~31歳の出産適齢期の女性は15~25年の10年間で4割弱も減る。出生数が急減した90~00年代生まれが適齢期を迎えるうえ、一人っ子政策に伴う『産み分け』で女性が男性より1~2割少ない。18年も各地の地方政府が発表する上半期の出生数は大幅に減少した。

急速な少子化で中国指導部が警戒するのは公的年金への財政支出の膨張だ。保険料で給付を賄えず、財政負担は16年に約6400億元(約10兆円)で5年前の2.4倍。中国は公的年金を省ごとに運営するが、少子高齢化が進んだ黒竜江省は積立金が底をついた。中国人民銀行(中央銀行)の馬駿貨幣政策委員らが12年に発表した試算では、出産奨励、給付抑制などの対策がなければ年金の財政負担は50年に年60兆元(約1千兆円)。財政支出全体に占める比率は16年の3%から2割超に急上昇する。日本の国家総予算が100兆円なのを見ても、まさに天文学的数字である。

少子化が進んだ90年代生まれが働き始め、15~64歳の生産年齢人口は13年をピークに4年連続で減少した。日本でも1995年ごろを境に生産年齢人口が減少に転じ、1%台の低成長期に突入した。中国では急速な高学歴化ですでに工場や飲食店の働き手が足りず、生産年齢人口の減少が成長の足かせになりつつある。ただ産児制限を撤廃しても出生増加には力不足だ。旅行大手、『携程旅行網(シートリップ)』創業者で人口問題を研究する梁建章氏は『中国は不動産が高いし、託児所も入りづらい』と少子化の要因を話す。梁氏は『中国もいずれ他国と同じように出産奨励に転じる。GDP比5%の支出が必要』とし、保育園整備や子供がいる家庭の社会保険料の軽減を提案する。


出生率低下が明らかになっても政策転換が遅れたのは、当時の計画委が『罰金を恐れて親が届け出ない子供がたくさんいる』と主張したからだ。そうした子供を含めても中国の実際の出生率は『1.3程度にすぎない』との見方が多く、人口を維持できる2.1には遠く及ばない。仮に出生率が1.3程度で推移すると、2100年の中国の人口は約6億人になる。20年代に14億人強でピークを迎え、80年弱で半分以下になる計算。中国市場拡大を前提にしてきた多国籍企業も揺さぶる。

国連の中位推計によると、米国はいまの3億2千万人から今世紀末に4億5千万人まで増える。米中のGDPは30年前後に逆転して中国が世界一になるとの見方が有力だが、米中の1人当たりGDPの差を考えると、今世紀後半に再逆転する可能性がある。まあ、中国は歴史の実験をあれこれやってるが、うまくいくかな、というのが実感だねえ。共産党一党独裁もいずれ経済の破綻でソ連と同じ道をたどるとみられ、安閑としてはおられない習政権ではあるな。


★<DEが売れていないメディアの誤認 by 国沢光宏>ビジネスジャーナルというメディアに『マツダは欧州ディーゼル車から撤退すべきだ』という記事が出たと聞いた。案外多くの人から見られているという。どれどれ、と読んでみたら、なるほど~。書いたの、クルマ業界の人じゃないようだし、ヨーロッパに行ってクルマを運転しているという感じでもありません。ということで少し欧州ディーゼル市場について。

まず欧州市場でディーゼルの販売減が始まっている件、確かに統計上で見るとそうなる。ただ実情を見ると全く違う。クルマ業界に詳しい人なら御存知の通り、現在欧州はディーゼルに対し『ユーロ6』という日本と同等の厳しい排気ガス基準を定めている。この基準をクリアしようとすれば、化学プラント並の排気ガス浄化システムを装備しなければならない。

浄化システムは高価な価格を付けられる大きなクルマであっても、安くないと売れないコンパクトカーであっても同じコストが掛かる。1500cc用で30万円掛かるとして、3000cc用でも40万円までしない。ここまで書けば理解出来ることだろう。500万円のクルマの40万円と120万円のクルマの30万円じゃ全く状況違う。安い価格帯だと車両価格に大きな負荷を掛ける。


そんなことから各社、コンパクトカーのディーゼルを止める方向。当然ながらディーゼルの販売台数は減っていく。ただ高額車のディーゼル比率は変わらない。ヨーロッパに行ってハンドル握れば解るけれど、燃費の良さから来るディーゼル車の後続距離の長さはステキだ。私も欧州に住んでおり、500万円以上のクルマを買える収入あれば迷わずディーゼルだ。

日本勢がディーゼルから撤退しているということも大々的に書かれている。これまたクルマ業界を知っていれば簡単。日本の自動車メーカーは少なからぬ開発投資をしなければならないユーロ6を作らなかったからだ。トヨタは最初から見切りを付けBMWからエンジンを調達した。日産の場合、ルノーから調達。ホンダだけ孤軍奮闘したがあまり売れず店じまい方向だ。

スバルとスズキも開発断念。唯一マツダのみコストパフォーマンス高いユーロ6対応ディーゼルを上手に開発出来た。凄い技術だと思う。マツダの開発責任者の人見さんに対し超辛口の私も脱帽します。そして欧州市場に於けるユーロ6のディーゼルは当面残るし人気になること間違いない。一部で進入禁止措置が始まっている報道されるディーゼルは古い時代のユーロ4以前を対象にしている。

文頭に戻る。なぜ撤退しなくちゃならないのか私には理解出来なかった。むしろディーゼルをストロングポイントして攻めるべきだと思う。マツダの売れ行きが伸び悩む理由はそんなことじゃありません。夢や楽しさを持っていないからだ。このあたり、経済関係の人には全く理解出来ないこと。クルマを買う時って楽しい。イヤイヤ買う人なんかいないんですよ。


マツダの記事を見るためビジネスジャーナル見たら『トヨタは今こそスズキを見習うべきだ』という記事も出ていた。『ぷっ!』と笑った。ミスリードを誘うパワーも無い。

そして、国沢さんは続けてこうも書いている。
先日、丸本新社長と話をする機会があった。副社長時代はサイフの紐を締める役で今もそうかと思っていたら違いましたね。ブランドイメージや社員の活力を高めるため『使うべき場所に使うべきだ』と言う。また、豊田章男社長に対するリスペクトも深い。今まで考えていた印象とけっこう違った次第。そんな丸本体制になったのに、全く外側に動きが出ておらず。

考えてみたらトヨタもそうだった。インタビューした時も『社長の言うことを聞いてくれないんですよ』と言ってましたね。小飼前社長は素晴らしい人物だったけれど、やはり生粋の生産畑。ゴルフ好きながら、使っているクラブはヤマハという少数派。一方、丸本さんは広い視野を持っていると思う。もっともっと丸本色を出し、マツダのイメージを変えないと株価は上がらない。

今のマツダで『お祭りやりましょう!』となったら、社長は止めないと思う。現場の人達も楽しいことをやりたい。されどその間が「『明確にお祭りする理由無いとダメだ!』と考える人ばかり。もしありがとうございました。『変わり始めましたね!』と思ったら、すぐマツダ株を買った方がいい。マツダがその気になってお祭りを始めたら、けっこう楽しい。遠からず1500円にはなると予想しておく。(参考:国沢光宏がお届けする自動車業界の最新情報)


★<今川宇宙>NHKの『ごごナマ』を観ていたら、なんと西郷輝彦と『今川宇宙』なる若き女性が登場。宇宙は西郷の娘だと。辺見エミリとは異腹姉妹に当たるそうだ。西郷は辺見と離婚した後、独身をとおしていたとばかり思っていたので、びっくりした。宇宙はイラスト描き創作好きから芸能界に入った由で、親譲りのなかなかの美形。

それよっか、西郷の落ち着いた年寄りの父親ぶりがよかった。前立癌を患って、頭の毛がほとんどなくなっていたが、全快し、現在は健康人の姿。

人間って、死ぬまで分からないものだねえ、いろんなことが。今川宇宙、の来歴。
2013年より『宇宙戦士ちゃん』としてインターネット上にてイラストやモデルの活動を開始。
2014年に講談社主催の女性アイドルオーディション『ミスiD2015』にて選考委員の岸田メルによる個人賞『岸田メル賞』を受賞する。
2015年まで天川宇宙として活動していた。2016年に改名し、現在の『今川宇宙』として活動する。
もともとは絵を書くことが好きで、独特の世界観を持つ作品を作り上げるなど、その才能を発揮していた。
2016年に父・西郷輝彦の初代マネージャーだった相澤秀禎が創業したサンミュージックに所属する。
2017年2月にアニメソングを手掛けるアーティスト『黒魔』とユニット『よるごはん探検隊』を結成し音楽分野へ進出。デビュー曲『夜明けの声を探して』。2017年10月8日に東京・外神田の3331ArtsChiyodaで初ライブを開催。『DJモーモーミルク』名義でDJ活動をしている。月刊今川宇宙という主催トークイベントも開催。
その他、舞台・CM・MVといった様々なジャンルで活躍している。

なかなかの西郷輝彦さんの娘さんではあるな。


★<やればやるほど黒星続きのトランプ>まさに、やればやるほど黒星がどんどん積み重なるトランプ。NATOに費用の負担増を言及すると、ならば米軍抜きの『欧州軍創設』で独仏が合意。はたまたCNN記者との問答では地裁から執行停止の処分を受けて。もう長くないトランプではあろうな。米国の正義と知性がどう動くかだな。

記者会見での振る舞いを理由に米ホワイトハウスが『出入り禁止』処分を科したのは不当だとして、CNNテレビと同局のジム・アコスタ記者が提訴した裁判で、首都ワシントンの連邦地裁は16日、処分の効力を停止する暫定命令を出した。サンダース大統領報道官は命令を受け、没収したアコスタ記者の取材用入館証の返却を発表した。

地裁命令は判決までの措置で、裁判自体は決着に数カ月を要する可能性がある。アコスタ記者は法廷前で報道陣に『さあ、仕事に戻ろう』と語った。トランプ大統領は同日、記者団に『報道の自由を望むが、ホワイトハウスでメディアは敬意を持って行動しなければならない』と指摘。取材時の振る舞いに関する規則を作成中だと述べた。サンダース氏も声明で『公正で秩序だった記者会見にするため、規則と手続きの策定作業を進めている』と明らかにした。

アコスタ記者は7日の記者会見で、ロシア疑惑に関する質問に不快感を示したトランプ氏から『マイクを置け』などと言われ、マイクを取り上げようとした女性スタッフを手で制した。その態度を問題視したホワイトハウスが、取材用入館証を没収したもの。記者が自分に気に入らない質問をしたと言って、入館証を取り上げるとは、心と懐の狭いトランプだ。大統領の資格はないねえ。 


★<中国、5つ星ホテルの惨状>トイレふいた布で食器まで 中国五つ星ホテルの実態暴露。

世界的な五つ星ホテルの清掃員が、客が使ったタオルでコップもトイレも拭いていた――。中国の著名なネットユーザーが高級ホテルの清掃の実態を動画付きでSNS上に暴き、衝撃が広がっている。ホテル側は事実関係
をおおむね認めて謝罪し、衛生当局も検査に乗り出した。

問題の動画は14日夜、中国版ツイッター微博に『コップの秘密』と題して投稿された。投稿主は、かつて政府高官が身につけている高級腕時計の値段を暴き、反腐敗運動の一助になったことで知られるネットユーザーだった。

投稿主は、自らがこの1年に宿泊した14の高級ホテルで、国の基準を無視した不衛生でずさんな清掃が行われていたと指摘。清掃員が客の使ったタオルで風呂やトイレを掃除し、客室のコップまで拭いている様子などを撮影した動画を投稿した。名指しされたホテルは、シャングリラやシェラトン、コンラッド、リッツ・カールトン、フォーシーズンズなど国際的な五つ星高級ホテルばかりだった。

まあ、中国ならばこそ、の事件だねえ。まだまだ中国は途上国。一人前の顔をしている人々の背中には入れ墨がいっぱいだろうなあ。


★<命のビザ受けた男性が岐阜訪問、『杉原千畝は恩人』と訴え>第2次世界大戦中に多くのユダヤ人を救った外交官杉原千畝が発給した『命のビザ』で日本に渡ったイスラエル人の男性が、岐阜県八百津町を訪れた。小学生との交流会で『杉原は命の恩人。多くの人に彼のことを知ってもらいたい』と訴え掛けた。

八百津町は杉原の出身地とされる。訪れたのはベルティ・フランケルさん(80)や家族ら計7人。フランケルさんはポーランド生まれで、ナチス・ドイツから逃れるため、リトアニアの日本大使館でビザ発給を受け、日本を経由しニュージーランドに向かった。同町では金子政則町長を表敬訪問後、杉原をテーマに制作され地元の小学生が演じる劇を見学した。

しっかしだな、外務省は杉原千畝が本省の指示に従わなかったとして、外務省職員人名録から抹殺、削除したんだね。遺族が訴え、イスラエル政府からも復活の働きかけがあってやっと復旧した。政府、官僚、公務員はこんな後ろ暗いことを平気でやる人種なのだ、とつくづく思ったねえ。詳しくは妻杉原幸子さん著『六千人の命のビザ』(大正出版)に詳しく記述されている。喝なり、外務省だ。


★<北朝鮮、原子炉修復作業>人工衛星からの写真で、北朝鮮が原子炉の冷却装置の修復をしていることが判明した。核を放棄、とトランプは喜んだが、とんでもハップンだ。やっぱ、嘘つき、破落戸の北朝鮮に違いない。トランプはどうでるかな、はてさて、だ。

中国との関税戦争の効果は2年後に出る。丁度大統領選の時だ。中国からの輸入が途絶えたら、アメリカの労働者の賃金は上がり、原材料も値上がりし、消費財、素材とも高騰して産業界、国民から避難の声がどーんと上がるだろうなあ。トランプ滅亡の時だ。


★<J2、松本、大分が昇格>サッカーの話はしたくない。サンフレのここの体たらくを見ると、気分が悪くなる。監督は必然的に辞任だろうが。折角の優勝のチャンスを自ら消した罪は重い。青山、佐々木にも言える、何が全日本だ。自分のチームでのプレーをしっかりやってから言ってほしいなあ。

J2松本が首位、大分が2位を確保し、来季J1に昇格を決めた。しかし上位の成績は僅差で、この2チームは運が良かったとも言える。松本の勝点は77、大分は76、3位横浜も76、4位町田も76、という厳しい内容。2位から4位まで順位を決めたのは、得失点差。大分が25、横浜が19、町田が18だった。

そして、プレーオフは、3位の横浜、5位の大宮、6位の東京Vで争われる。4位町田は、J1クラブのライセンスを持っていないので、昇格の資格がない。残念だろうねえ、町田は。

そう言えば、大分の片野坂監督は、元サンフレの選手だったねえ。サンフレ出身の監督が活躍しているねえ、森保一以下。今西門下の監督だ、とても嬉しいことだ。

『カープの星飛雄馬「鈴木誠也伝説⑩」 誠也会見で「トリプルスリーを狙う」と大胆発言』

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今日の画像は、カープの3連覇を天国で喜んでおられる『松田耕平前オーナー』、『鈴木誠也』。そして今更ですが、『アジサイ』を。いろんなアジサイがそれは見事でした。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
★★★2012年12月13日。広島市内のホテルで、5人新人入団選手と2人の育成選手の会見が行われた。計7人の中で唯一、出身校の学生服を着て登場した選手が誠也だった。学生服に5分刈りの頭。実際に一番若い選手だったが、他のネクタイ選手に比べて、特に初々しく感じられた。

ただ会見での発言は、その姿に似合わない大胆なものだった。彼はマイクを手にし、こう言い切った。『トリプルスリーを達成したいと思う。野村監督は目標とする記録を達成した選手だし、憧れだ』。この発言をすぐ隣で聞いていた野村監督が、照れくさそうに笑った。ハッキリしていることは、この記録は並の選手ではそうやすやすとは達成出来ないのである。この時点で、右打者でトリプルスリー=打率3割、30本塁打、30盗塁以上、を達成したことがあったのは、中西太(西鉄)、蓑田浩二(阪急)、秋山幸二(西武)の3人しかいなかったのである。

つまり、あの長嶋茂雄も、山本浩二も、落合博満も、原辰徳も達成したことのない大記録だったのである。そういう意味では、その後これを2年連続達成した、ヤクルトの山田哲人は、それだけで球史に残るような偉大な打者と言うことになる。


2013年1月9人。7人の新入団選手達が、カープの大野寮に入った。その時もまた、誠也だけ一人だけ学生服だった。翌10日、早くも大野練習場で、新人選手達の合同練習が始まった。ストレッチ、ランニング、キャッチボールなど軽めのメニューで、早くプロの雰囲気に慣れてもらいたいというのが主旨だった。

報道陣の興味は、どうしてもドラフト1位の高橋大樹に向かう。そしてもう一人が、社会人から即戦力として期待された下水流昴だった。その時順番として回ってきた誠也へのインタビュー。『いよいよ始まるんだな、と思った。体もよく動くし、あまり緊張しないで練習に取り組めた。プロの練習について行けるよう、しっかりと体づくりをしていきたいと思う』。その前年に、ヤクルトとCS争いをしたカープには、ひょっとしたら上位に食い込めるのではないか、というほのかな期待感があった。(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)


★カープがセ・リーグ3連覇した偉業は、巨人以外に記録はない。この偉業を一番喜んでいる人は、そう『松田耕平前オーナー』であろう。その人柄と、カープに入れ込んだ熱意が、各界からよせられた追悼『松田耕平追想録』に収録されている。一部を紹介する。(筆者には物故になられた方々もあります)


◇松田耕平追想  慷蠅爐任筺代表幹事―相澤弌保』
松田耕平さんとの出会いは、私が中国電力を退きテレビ新広島に入ってからのことなので、十年に満たない。だがその間は、カープ球団とテレビ局との相互依存関係もあって、かなり濃密なものだったと思う。数ある思い出の中で、今なお記憶に新しい出来事を記し、ご仏前に供したい。

なんと言っても忘れられないのは平成7年の暮れ、ドミニカのカープ・アカデミーへ同行し、10日ばかりの間、起居を共にした時のことである。ドミニカなど滅多に行けるところではないと思っていたので、多少無理してお供したが、オーナーもその辺りはお察しだったとみえ、何かと懇切丁寧なお心遣いをいただいた。向こうに着いてまず驚いたのは、オーナーへの待遇が国賓並みだったことである。最近でこそ大リーク各球団が、あの辺りに同種の施設を持つようになり、珍しくもなくなったが、その草分けがカープ球団だったので、先方もいまだに特別な親近感を抱いているようだった。外務大臣夫妻と会食した時、オーナー夫婦どころか、我々陪席者に対する彼らの態度がいかにも謙虚で丁寧だったことが、大臣夫人のソフィア・ローレンばりの容姿と共に強く印象に残っている。

アカデミーでは将来の大リーガー、とりあえずはカープの選手を目指す若者や監督・コーチなどと居合わせたが、彼らのオーナーに対する言動と、それに応えるオーナーの、まるで父親のようなやさしい眼差しが忘れられない。


次に驚いたのは、オーナーの健啖ぶりである。私も昔は人後に落ちない大食漢だったらしいが、どちらかと言えば和食党で、海外旅行などの場合、3日もすれば茶漬けと漬物が恋しくなる方である。オーナーはステーキが好物で、今日はアルゼンチン風、明日はアメリカ風と毎晩のように食されていたが、少しも飽きがこないようだった。私が先に降参すると、若いのにだらしない、と言って胃薬を下さったことも思い出深い。もっとも、同行した連れの中には、オーナーを上回る豪の者もいた事も付け加えておく必要がある。

もう一つはオーナーのギャンブル好きである。パチンコがお好きらしいことは、日南キャンプを激励に行った時、市内のパチンコ屋へお供したことがあり、承知していた。『広島ではできんからのう・・』と言って一球入魂、楽しそうに遊んでおられたことを思い出す。ドミニカのホテルにはパチンコはなかったがカジノがあり、懇切・丁寧に教えていただいた。翌朝、顔を合わすと、前夜の成績が顔に出ているので、正直な親爺さんだと思ったものである。

松田さんは私よりちょうど一回り上の戌年で、父親というには近すぎ、兄貴というには遠い関係だったが、この旅行を機にいっぺんに親しみが増し、どちらかと言えば親爺という感じを持つようになった。4年ばかり前、私が広島経済同友会の代表幹事に推され、挨拶に行った時、帰り際に突然、大きな声で『頼むでや、代表幹事!』と言って握手を求められた。その時は、とっさのことで訳がわからぬまま握り返し、そのまま別れてしまった。後になって気が付いたのだが、折しも市民球場の建て替え問題が浮上し、貨物ヤード跡地への移転を前提に議論され始めた頃であった。球団は天然芝のオープン球場を希望していたが、ドームを期待する声も各界に根強く、成り行きが注目されていた。


オーナーが頼むと言われたのは、これに違いなかった。かねてから私は、市の財政事情が厳しく、税金の投入が思うに任せない以上、昔と違って今の広島の実力ではドームなどは夢のまた夢であり、オープン球場案に応募者が現れたことでさえ、幸運としなければならないと思っていた。球団の意向はよく理解できたので、その後私は公的にも私的にも、一貫して球団よりのスタンスを取り続けることになり、結果としてオーナーの期待に沿うことになった。

この問題は、故オーナーも最後まで気がかりだったに違いない。もちろん私一人の力ではないが、最後の最後と思われるタイミングで、故オーナーへの手向けの花を手にすることが出来たことが、せめてもの慰めである。オーナーとしての松田さんの思い出に偏ってしまったが、カープと東洋工業は広島の戦後復興とその後の発展のシンボルである。松田さんはそれぞれに大きな足跡を残して逝かれた。謹んでご冥福をお祈り申し上げる。 (テレビ新広島社長・相澤弌保(当時))


★<トランプ君の大勘違い>アメリカが中国や日本に対し、大きな貿易赤字を出していることに関し、中国、日本がもっとアメリカ製品を買わないから、またアメリカで製造しないから、と難癖をつけている。

見てみろよ、トランプ君。日本にGMやフォードの販売店があるのかえ。みんな撤退してしまったよ。欧州のメーカーは、特にフランスの、粘り強く日本市場を開拓し、今や黄金期を迎えようとしている。アメリカのビジネスマンは、大きな壁を打ち破るエネルギーに欠けているな。日本の自動車メーカーだって、最初からこんな状態ではなかった。

あの、日産のダットサンでも、冬エンジンが掛からないからと、お湯を持ってユーザーの家に駆けつけたりした。トヨタのクラウンもとてもアメリカの自動車には勝てなかった。が、彼らは諦めなかった。ガソリンスタンドや中古車店などの店頭に車をおいてもらい、少しずつ前進し、車の性能、品質の向上に力を入れたのだ。

韓国の自動車メーカーは、国内市場が小さいから当然輸出を視野にいれた企業戦略をとる。アメリカのメーカーは、国内販売だけで十分利益が出るから、輸出努力への力の入れようが小さい。そんなことを棚に上げ、売れないのは非関税障壁があるのだとかなんとか難癖をつける。日本からアメリカへ輸出される車には関税がかかっているが、日本に輸入される車には関税はかかっていないんだよね。知ってるかい、トランプ君。


さらに言わせてもらえば、アメリカ企業はホワイトカラーとブルーカラーが階層分離しており、ホワイトカラー、とりわけ経営陣には大判振る舞いをしている。反対に日本は、経営トップとブルーカラーが一緒になって会社のことを考える。この差、何十年の月日と、膨大な従業員の知恵が積み重なると、アメリカの製品を追い越すようになったんだねえ。

小さな努力も積み重ねると、膨大な力を発揮する。単に関税をかけたり、ボイコットをしただけでアメリカの斜陽産業が立ち直るとは思えないねえ。

それに、大判振る舞いの大減税。恐らく税収の伸びは減税分を超えないだろうから、2年後にはアメリカは財政大赤字。ギリシャの二の舞になるのではないかえ、トランプ君。フランスでも嫌みを言われたねえ。NATOは欧州自力でやっていこうと。もうアメリカの紐付きは卒業だな。

悔しかったら、アップルやマイクロソフトのようなディフェクト・スタンダードが作れる企業をどんどん育てたらどうだえ。そうすれば、黙っていても貿易赤字は減るがねえ。努力が足りない米国の大統領、トランプ殿。


★<平野歩夢、スケボーにお挑戦>19歳。『スケボー』への挑戦は、一人で決めた。『人に言われて始めるのは、恥ずかしいこと。自分のために、自分できめました』。今年2月の平昌五輪スノーボード男子ハーフパイプで2大会連続の銀メダル。帰国後、東京五輪に思いを馳せた。『スケートボードが五輪の正式種目になった以上、スルーする訳にはいかない』と。

4歳の時、2つの競技を同時に始め、父・英功さん(46)が地元の新潟県村上市に造った施設で練習してきた。スノボの遠征には今も、スケボーの板を持参している。ただ、二つは似て非なるスポーツ。日本勢では初の試みで、リスクもある。『両方が中途半端になることも覚悟しながらやっていかないといけない』と。

それでも『誰も挑戦していいないことにこだわり続けたい』と言う。スノボでは昨季、ダブルコーク1440(縦2回転、横4回転)を世界で初めて連続で成功させた。『自分にしか出来ないこと』を形にしてきた自負がある。けがで滑れない時は映像研究に没頭するほど、自分に厳しい。だが、弟の海祝さん(16)は『クールに見えて、普段は面白い話もたくさんするんですよ』と明かす。

本番まで2年弱。『常識をひっくり返す最初の人間が一番大変だし、勇気もいる。大きい壁を前にした時、どこまでやれるか』。胸を高鳴らせ、挑戦を始める。

私の住んでいる前の公園で、若い子らが『スケボー』で遊んでいた。と言うより、トレーニングをしていた。とても試合に出れる技量ではなかったが、それでも何度も何度もトライしていた。これがまさに青春なだんろうなあ、と感じた。無鉄砲、よし、粗削りよし、だな。


★<ドローン、安い>昨日、広島市の駅裏にある尾長山~牛田山をピストンした。帰路、尾長山の中腹でドローンを飛ばしている人が。見ていると、ドローンを飛ばすと近くに巣造っているカラスが20羽ばかし飛んできて物珍しそうにドローンの回りを周回していた。ドローンで撮った空中写真をみせてもらったが、これは素晴らしいデキであった。地上からではみられない風景が見事に。

帰宅して、アマゾンでチェックすると、同じドローンがあった。なんと1万円以下で買えるんだねえ。高いものもあるが、取りあえず練習用だとこれで十分。すごい時代になったものだ。パワーは電池だそうだから安心だね。


★<堂林翔太、最後のシーズンが始まる! by ファンの構想と妄想・ブログ>
堂林翔太が契約を更改。
年俸1500万円→1600万円(推定)
私の予想通り微増でした。
守備固めと送りバントが評価されました。

そんな堂林。
来季でもう10年目。
あの夏の甲子園。
河合-堂林-磯村の中京打線も10年前かあ・・・

ほんとなら今頃1000本安打以上しているはずのスラッガーでした。堂林。
なにがどこでどう間違えたのかな・・・
結婚が早すぎたのか・・・
いやヤクルト戦のデッドボールかな・・・


とにかく過ぎた時間を取り戻すことはできません。前進あるのみ。
今年は送りバントを7回企画して7回成功。
パワプロ2018で堂林に「バント職人」が付きました。苦笑
堂林は全然バント職人じゃありません。
ツーストライクを取られて空振り三振しているだけ。
記録上の犠打失敗にはなりませんが、ランナーを進められないケースは多々ありました。
菊池涼介は正真正銘のバント職人ですが、それと同じ能力を堂林に与えのたは失笑モノです。コナミさん。
菊池の送りバントは30個。失敗ゼロ。
まさにバント職人の名にふさわしいプロの技。
日本シリーズ第6戦が今季初のバント失敗でした。

さて堂林。
秋季キャンプでは二塁も守ってるみたいですが、果たしてどこまで本気なのやら。
カープは今季、大功労者のジャクソンとエルドレッドを解雇しましたね。
来季のドラフトは投手が豊作と言われており、堂林、岩本、福井、かつてのホープたちも来季はリストラ候補。
カープ球団はFAラッシュに備えるため、中堅の堂林をトレードに出せずにいましたが、今年丸が残留、来季菊池が残留となれば、チーム内での「堂林の需要」も低くなります。


堂林翔太、いよいよカープでのラストシーズンが始まります。
いや、もう始まってる。
送りバントとか、始めたばかりの二塁守備とか・・・
堂林には必要ないと思うなあ・・・

走れ!タカハシ風に言うと

打て!ドウバヤシ
キャンプは打って打って打ちまくれよ。
それでだめなら自由契約とトライアウト。
送りバントと守備固めであと5~6年生きながらえて楽しいか、堂林?
坂倉より打たんといかんでしょ。

甲子園でのスラッガーぶりは怖いくらいに凄まじかった。
清原以上のロマンを感じました。
どこのチームに行くんやろ? えっカープ!? マジか!?

あれから9年。
これが野球人生で最後のキャンプになるかもしれない。
そこで送りバントやセカンドの守備なんかやってる場合か?

打て打て堂林。
打ちまくって生き残れ。

おしまい
(参考:カープファンの構想と妄想)


本当、堂林には頑張ってもらいたいねえ。東京でアナウンサーをしていた女性をかみさんに連れてきた。『1億円プレーヤーになるから、結婚してくれ』、くらいは言っているでしょうに。後がない堂林。腹をくくってガンバレ。岩本君には悪いが、決して岩本2世だけにはなるなよ!

『カープの星飛雄馬「鈴木誠也伝説⑪」 堂林さんと一緒に三遊間を守りたい』

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今日の画像は、びっくり仰天の金融商品取引法違反容疑で逮捕された日産の『カルロス・ゴーン会長』と『鈴木誠也』。そして『ヒナギキョウ』『ストケシア』です。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

不祥事続きの日産、一体この会社のコンプライアンスはどうなっているのかねえ。全く、日産の常識は世界の非常識と言えるのだろう。しかも、事件の発覚は内部告発と言うから、事件を見逃していた関係部署の役職者はみんな降格だね。

『ヒナギキョウ』とは、ちょっとシベの形が違うかな、と疑わしいのですが、図鑑を隅から隅まで調べましたが、完全マッチがありませんでした。どなたか正確な名前を知っておられたら、カキコしてくださいませ。よろしくお願いします。


★★★『バットを人一倍振っておかないと、プロにはついていけない』。誠也は、毎晩、誰よりも遅くまで大野練習場に残って素振りを続けた。プロ初キャンプに向け、不安を少しでも解消しておくためである。『新人ながら根性のありそうな選手がいる』。そういう小さな情報が、巡り巡って首脳陣の耳に入る。

2013年2月1日。プロ初のキャンプは、日南市の2軍の東光寺球場だった。その翌日、2日のことだった。その時たまたまインフルエンザで離脱した新外国人ルイスに代わって、午前中限定ながら、誠也が新人1番乗りで1軍の天福球場に呼ばれた。

『どんな選手なのだろうか』。野村監督、新井打撃コーチをはじめ首脳陣が見守った。そんな張り詰めた空気の中で誠也がフリー打席に入る。『軸をぶらさないよう、右方向へ強い打球を飛ばそう』。その時誠也は、並の打者の並の心構えではなかった。しっかりと自分をアピールしておかないと、その先はない。誠也は、右方向へ安打性の当たりを連発した。おそらくこの時多くの人がこう思った。『この選手は必ず出てくる』。

多くの選手の中に、キラリと光選手がいる。しかし、今は原石。磨かなければ光らない。こうして誠也のプロ野球人生は、まだ誰も予測していない未来に向かって静かにスタートを切った。


プロに入ってわずかに3ヵ月。早くも地元スポーツ誌のインタビューにこう答えている。『1軍の投手が投げる球は高校生とは全然違う、というのが実感だ。1軍の練習に参加させてもらって、また1軍で練習したいと強く思うようになった』。

3月6日、社会人とカープ若手の連取試合。彼はスタメンに起用され、第1打席で2塁打を放った。さらに7日の教育リーグ・ソフトバンク戦でもヒットを放つ。それについては、『いや、たまたまだ。内田(2軍)監督からは、どんどん振って行けと言われている。振らないで三振するよりも、振った方がいいから』。

このインタビューで最後に語られた言葉がある。『僕と同じくプロに入ってから野手になった堂林さんを目標にして、将来は一緒に三遊間を守りたいと思っている』。この言葉は妙に印象に残る。その時目標にされた堂林は、今誠也を目標にしているのだから。それはプロ野球選手の、いやあまねく人間の浮き沈みの妙を表している。(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)


★<誠也背番号『1』に>広島は19日、来季の背番号を発表した。鈴木誠也外野手(24)は背番号「51」から前田智徳以来、6年ぶりに伝統の背番号『1』を継承する。鈴木は『うれしいです。カープのなかでは伝統のある数字だと思います』と意気込んだ。 

赤ヘルの背番号『1』は前田(1994-2013年)、古葉竹識(1959-69年)、大下剛史(1975-78年)、山崎隆造氏(1983-99年)らそうそうたる顔ぶれ。鈴木球団本部長は『重みのある番号。背負えるのは誠也しかいない』と期待を込めた。

また、今年取得した国内フリーエージェント権を行使せず、残留を決めた松山竜平外野手(33)は背番号『44』から『55』、曽根海成内野手(23)は『59』から『00』に変更することも発表された。

いいねえ、誠也の『1』。バッターボックスで映えるなあ。来季の誠也がとても楽しみだ、ね。


★松田耕平追想◆ 悒ーナーの遺訓―浜口哲夫』
カープの立派なるリーグ3連覇。巨人以外成し遂げていないこの記録を一番喜んでおられるのは、天上の『松田耕平前オーナー』ではなかろうか。各界から寄せられたオーナー追想の記から、故人の在りし日を偲びたい。


◇広島東洋カープの球団事務所のオーナー室。オーナーのデスクの背後に書が掲げられている。15年間、私がこの部屋にうかがう度に見つめた書である。
  わらわれて わらわれて えらくなるのだよ
  しかられて しかられて かしこくなるのだよ
  たたかれて たたかれて つよくなるのだよ
  よのなかの えらいと いわれたひとが
  みんな いちどはとうた みちなんだよ

失礼ながら作者や由緒については存じ上げない。オーナーから詳しい説明を聞いたこともない。最初の一度だけ、『気に入った?ええじゃろう。あんたも頑張りんさい』。オーナーが声をかけてくださった。それ以来、私は、勝手ながら、この書はオーナーの激励だと思うようになった。そして今は、オーナーの遺訓だと思っている。

15年前、スポーツ局に転籍して間もない私は、上司に随行して広島球団へ着任の挨拶にうかがい、初めて松田耕平オーナーにお目にかかった。かっぷくがよく、色白のお顔と銀髪に、紺の背広、ブルーのワイシャツ、えんじ色のネクタイがマッチして『かっこいい!』、貫禄というか存在感というか、若輩の私は圧倒されてほとんどお話しも出来なかったが、その帰りがけ、前出の書に見入っている私に声をかけてくださった。それがとてもうれしくて、私は父に対するような親近感を覚えたのである。


球団にうかがう度にオーナー室でお話しを聞く。仕事の話から始まるが話題はどこに飛ぶかわからない。色々なことをよくご存じで、テレビもテレビ屋の私が驚くほどよくご覧になっておられる。そして、飾らない軽妙な話ぶりで聞く者の緊張をほぐしてくださる。大声でお笑いになる。私もいつのまにか引き込まれて、聞くだけではなく恐る恐る会話をさせていただくようになり、それと共に、私はますますオーナーに親しみを感じ、オーナーにお会いするのが楽しみになった。そして1年もたった頃私はすっかりオーナーのファンになっていた。

15年間、色々教えていただいた。ずいぶんと笑わせていただいた。良いことばかりではなく、時には仕事上のミスでお叱りを受けたり、無理なお願いをしなければならなかったり、厳しい状況でオーナーに向き合うことも多かったが、叱る時も、クレームをおっしゃる時も、私には穏やかに諭すように話してくださり、最後には『あんたも大変じゃねぇ』と救ってくださる。嫌な思いをさせられたことは一度もなかった。

多分オーナーは、人を引き付け人を育てる達人であったと思う。それがまたオーナーの大きなエネルギーになっていたのではないか。人と出会い、人を育て、育った人と心を合わせ力を合わせる、『協力りく力』を実践されて大きな力を生み、その力で広島東洋カープの経営をはじめ、多くの事業に活躍され実績を残されたのだと思う。


私の脳裏には、オーナーの表情や姿がたくさん張り付けられたアルバムがある。愛犬やカメラのことを話される時の嬉しそうな笑顔。仕事の話の時の柔和な表情の奥の厳しい目。キャンプ地での」野球帽とグランドコートの姿。湯布院では奥様とのほのぼののツーショット。ご子息と語り合われる父親の顔。どのオーナーもかっこよくて、懐かしい。天上に還られたオーナーには親しくお目にかかれなくなったが、私のオーナーへの敬愛の念が薄れることはない。松田耕平オーナー、ありがとうございました。ご遺訓を忘れず、わらわれても、しかられても、たたかれても、めげずに精進いたします。天上でご安息をお祈りしております。(浜口哲夫 フジテレビ・スポーツ局長(当時))


★<年収7,000万円を捨てた元金融マンが『トマト作り』でアジアを魅了するまで>
◇地元で完売する『おいしいトマト』農業法人の意外な生い立ちとは
山梨県北杜市、南アルプスの麓に栽培面積3ヘクタールもの広大なトマト農園がある。温度、湿度、日射しなどによって自動的に天窓やカーテンが制御され、最適な栽培環境を生み出す大規模なグリーンハウスの中で、おいしいトマトがすくすくと育つ。『農業の新しいカタチを創る』という志の下、農業法人『サラダボウル』を立ち上げた社長の田中進さん(46)が自信を持ってつくり上げたグループ会社『アグリビジョン』の農園だ。

『サラダボウル』は露地物野菜など年間約30品目を栽培するサラダボウルを中心として、傘下にアグリビジョン、兵庫ネクストファーム(兵庫県)、アグリサイト(山梨県)、いわて銀河農園(岩手県)、東北アグリヒト(宮城県)という5社の子会社を持つ。サラダボウル以外は全てトマトに特化した大規模なハウス栽培で、アグリサイト、いわて銀河農園、東北アグリヒトは現在、稼働に向けて準備中だ。主力商品は『天然水トマト』を筆頭に、『スプラッシュ』という糖度の高いミニトマト、グルタミン酸とリコピンを豊富に含み料理に合う『ごちそうトマト』などを栽培、スーパーや一部外食産業に供給している。

『現在、4品種を扱い、生産したトマトは全て完売する人気になっています。リピートしてくれる消費者も多いですね。単価は決して高いわけではなく、お客様が買い続けたいものをつくるために生産・品質管理に力を入れています』と、田中さんは語る。国内売上げが現在12億円ほどだが、準備中の3社が稼働すると、来年度には25億円ほどに達する見込みだ。


田中さんは国内で培ってきた生産・管理技術と経営手法を活かして、2016年からベトナムのラムドン省ダラット高原にグリーンハウスを建設し、花卉カキや野菜の栽培を開始した。日本の農業をアジアから世界に広げる第一歩だ。ダラットはベトナム中南部に位置し、高原のため年間を通じて涼しく、避暑地として開発されて、現在は観光地になりつつある。栽培面積は7ヘクタールで、カーネーションやキク科のスプレーマムを栽培してきたが、野菜類もつくり始めた。

『働き方の文化が違うので、日本のようにはスムーズにいきませんが、少しずつ慣れてきました。日本流を押しつけてもいけないし、現地流を認めすぎてもいけない。ベストミックスで、新しい文化をつくらなければなりません。経済発展で、これからベトナムでも日本品質の野菜が求められるはずなので、数年後は楽しみです』と語る。進出に当たって、食品を扱っているパン(PAN)グループと合弁を組み、『パン・サラダボウル社』を設立した。2018年5月にパングループと半々で11億2000万円の増資を行った。日本側の株式保有比率が49%で、パン社にマジョリティを持たせている。

時間をかけ、人材育成を含めて農業のインフラ整備が必要になるので、パートナー企業との連携は不可欠だ。将来的には栽培面積を200~300ヘクタールに拡大する予定だ。これだけの規模になると、ベトナムの農業にとっても重要なプレーヤーになるはずだ。


◇実家の農業が恥ずかしくて上京してサラリーマンに
田中さんの出身地はサラダボウルが本社を置く山梨県中央市だ。両親は農業を営んでいた。『小さい頃は、家が農家なのが恥ずかしかった。小学校の授業参観では母が軽トラに乗って畑からやってきました。友達を前に恥ずかしくて仕方ありませんでした。高校に行っても親の職業については話したくなかった。早くこの田舎を脱出して、東京でサラリーマンになることが夢でした。両親も「農業なんてする時代じゃない。役場にでも勤めた方がいい」と言っていましたし、農業が仕事だなんて考えもしませんでした』と。その考え通り、横浜国立大学に進学し、東海銀行に就職した。金融の仕事を通じて、田中は企業や社会について学び、企業経営や産業に関する考え方が少しずつ変化した。

『斜陽産業の中でもキラリと光る会社があれば、時代の流れのIT業界でも倒産する会社がある。経営者の情熱と手腕で結果が変わることを知ったのです』。その後、経営をより深く知りたいとプルデンシャル生命保険に転職し、経営者の悩みを聞き、アドバイスすることに徹した。その結果、保険契約数が増え、年収は7000万円にも達した。一方で経営者との付き合いが深まるにつれて、ますます農業への思いが募っていった。『農業が儲からないのは経営が不在だったからだ。規制で守られ、普通の産業としてやるべきことをやってこなかったからだと気づきました。自動車部品の小さな下請け工場でも5S活動や改善をやり続けている。同じことを農業現場で実践したら、どんな結果が出るだろうかと考えると、いても立ってもいられなくなりました』と語る。


◇年収7000万円を捨てて農業へ飛び込んだものの……
2004年、保険会社を辞職して、たった1人で農業法人としてサラダボウルを設立した。新たに社員を2名採用し、自己資金でスタートを切った。『7,000万円を捨てるのは大きな決断だったねと言われるのですが、そんなことは全然思っていませんでした。たとえれば、小学生の男の子がどうしてもサッカー選手になりたくて勝手にクラブチームに入ってしまったようなものでした』。実家とは関係なく、耕作放棄地を開墾して畑にすることから始まった。当初は失敗ばかり。雑草ばかりで生え、まともな野菜が収穫できなかった。人手が足りず、どれほど働いても成果が上がらなかった。従業員を採用してもすぐに辞めていく。

悩んだ田中さんは拡大路線を止め、人材育成と5S活動に取り組んだ。マニュアルも整備し、栽培品目ごとに作業を整理、改善を繰り返した。その結果、無駄な作業が減って生産効率が上がった。計画的に生産・納品するための生産管理を徹底し、従業員間で情報を共有した。こうして作物の品質も向上し、販売ルートも安定した。現在、サラダボウルは山梨県中心に展開するスーパーのオギノと、会員制宅配サービスのらでぃっしゅぼーやが主な取引先だ。創業時から黒字経営が続いている。

農業経営を担う人材育成も田中さんの目標の1つで、オンラインアグリビジネススクールをサラダボウルで展開している。本業が急拡大しているため、現在は主に社内人材の育成に力を入れ、外部向けは協力会社と提携してコンテンツを提供している。毎年7人ほど新卒採用しているが、大卒や大学院卒ばかりで、中には京都大学大学院卒業者もいる。新入社員たちが農業の新しいカタチをつくりたいという田中の信念に共感しているのはもちろんだが、待遇面も一般の企業並みで、トマト農園は週休2日制でボーナス4ヵ月分支給、管理職には家族を養える額の収入がある。


◇トマトに特化した戦略経営ベトナムへの進出を決めた理由
サラダボウルで農業経営の土台を築いた田中は、トマトに特化した戦略経営を展開する。その第1号がアグリビジョンだ。以降、各地域への展開はそれぞれの地元に求められて広げてきた。『栽培環境のいい場所とか、我々にとって都合のいい場所という観点はまったくありません。農業は地域に根ざした産業で、地域に期待され、請われる場所に進出してきました。農業で幸せに生きることが重要で、働き手も自信と誇りを持って働き、つくり出されたものが喜ばれる。これは地域づくりそのものです。農業はそれほど可能性のある仕事です』。いわて銀河農園では、岩手県大船渡市の市長以下市役所と岩手県が『岩手の次の時代を担う人材を育てたい』とサラダボウルに要請があり、県内の生産法人と合弁で設立した。既存の農業関係者の活性化にも役立つ。

実際に地域経済への影響も大きく、アグリビジョンではパートを含めた従業員の雇用はもちろん、地元金融機関、包装資材、段ボール、物流会社などに収入をもたらしている。トマトの出荷のために運送会社では新規にトラックを2台買ったほどだ。『農業は地域経済のハブになれる』という田中さんの言葉にも納得する。こうした農業の可能性を海外にも広げようと考えたのが海外進出のきっかけだ。狙いとしては、『日本の農業を守る』『日本の農業をアジアから広める』という2つがあった。海外で人材を育成し、人手不足が明らかな日本の農業現場に入ってもらって、多様な働き方を確保する。さらに日本で学んだ人材が母国に戻り、そこで農業を発展させる。結果として日本品質の農業が世界に広がる。


2013年頃から場所探しが始まり、田中さんがその中でベトナムを選んだのは以下のような理由だった。日照時間が長く、暑すぎず寒すぎない地域であること。同時に親日的で、勤勉な国民であること。加えて、味覚が日本と似ていることなどを勘案した。農業は地域に根ざした産業であるため、現地のパートナー企業との合弁は必須で、田中は何度もベトナムに通い、パングループのオーナーと出会った。フン会長は証券会社で成功したベトナムで指折りの資産家だという。気候、風土、文化、労働意識が違い、なおかつ設備資材なども手に入りにくく、立ち上げには苦労したが、2016年から栽培を始めることができた。

『頼んだ肥料がいつになっても届かないので、取引先に文句を言うと、発注もされていなかったりとか、現地スタッフは「やるやる」と言うわりにはやらないんですね(笑)。苦労もしますが、現在のベトナムの野菜は品質も悪いし、収量も少ない。現在、日本にいるベトナム人が日本品質に触れて母国に帰ると色々な基準が変わるでしょう。経済も発展し、日本品質の野菜が求められるはずです』。


◇やっと気がついた自分のDNAの中には農業がある
かつて、農業が恥ずかしかった田中が、最も農業の可能性を信じる1人になった。いざ、農業に携わってみると、自分のDNAの中に両親が畑で働く姿が埋め込まれていたことに気づいた。『農業は食料供給から社会的課題を解決する手段になります。高齢化、福祉介護、健康、人手不足、食のあり方から心の問題まで農業が真正面から向き合える産業になる。私たちがそんな価値を創り出す一助になれればと思っています』。

サラダボウルグループは3つのトマト農園が稼働すると従業員700人の大所帯になる。さらに新たな3ヵ所も計画中だ。田中の思いは確実に日本で広がり、いま海を渡ろうとしている。

こんな話が出て来る時代になった。農業は確実に変わりつつある。その大きな要因は、かつての農業を支えていた人達が老齢化し、しかも農業中心地では若者の流出で地域は人口減にさらされている。もう農業改革は待ったなしになった。そしてITの進化がある。センサーや統計処理、記録、出荷などの手間暇を一気に解決してくれる魔法のIT手法なりだ。

今まで、農地取得に厳しい姿勢を出していた各地の農業委員会も、政府も本腰を入れ、改革にとりくんでいる。今、中国地方の山間部では、自宅菜園程度の小規模な土地でも個人で所有可能になった。企業が農地を持つ道も広くなった。とにかく、田舎の農業を主体とした自治体は人口減、放棄地増大で『消滅』の崖っぷちに立たされているのだ。山田さんのような新進気鋭の人達が農業に参入し、まさに『儲かる農業』を確立してもらいたい。そのことが、若者たちが農業への参入の大きなインパクトになるはずだから。


★<中国の5つ星ホテルの仰天実態>トイレふいた布で食器まで 中国五つ星ホテルの実態暴露
世界的な五つ星ホテルの清掃員は、客が使ったタオルでコップもトイレも拭いていた――。中国の著名なネットユーザーが高級ホテルの清掃の実態を動画付きでSNS上に暴き、衝撃が広がっている。ホテル側は事実関係をおおむね認めて謝罪し、衛生当局も検査に乗り出した。問題の動画は144日夜、中国版ツイッター微博に「コップの秘密」と題して投稿された。

投稿主は、かつて政府高官が身につけている高級腕時計の値段を暴き、反腐敗運動の一助になったことで知られるネットユーザーだった。投稿主は、自らがこの1年に宿泊した14の高級ホテルで、国の基準を無視した不衛生でずさんな清掃が行われていたと指摘。清掃員が客の使ったタオルで風呂やトイレを掃除し、客室のコップまで拭いている様子などを撮影した動画を投稿した。名指しされたホテルは、シャングリラやシェラトン、コンラッド、リッツ・カールトン、フォーシーズンズなど国際的な五つ星高級ホテルばかりだった。

まあ、中国ではありうる話ではなるなあ。が、これらのホテルは対応がまた大変だねえ。ご苦労様だ。


★<ファーレン長崎・高田社長声明>J1『ファーレン長崎』は、J1を一期で降格になった。今一歩がたくさんあったが、悔しさと挽回のメッセージを高田社長が寄せた。

田社長は冒頭で『本日、11月17日に開催された2018明治安田生命J2リーグ最終節の結果により、V・ファーレン長崎は、J2降格が決定しましたことをご報告します』と記し、『初めてのJ1の舞台となった今年、多くのファン、県民、関係者の皆さまに応援をいただいた中でのJ2降格に、悔しい思いでいっぱいです』と率直な気持ちを述べた。

『今季のこれまでを振り返れば、「あそこで!」といった思いは多々あります』と悔しさを滲ませ、『タラレバにはなりますが、それがJ1の厳しさであるとも感じています。今季はこれまで、たくさんの方々から叱咤も激励もいただきました』と振り返り、『今季のJ1でのあらゆる経験、価値は限りなく大きなものです。これを生かすのはチームの使命」と1年で得た経験を生かしていくことがチームの進むべき道だ』と続けた。


そのうえで『V・ファーレン長崎が、長崎で、日本で、アジアで、世界で躍動するために、ファンの皆さんのお力とともに、新たなスタートを切ります』と決意表明。『まだまだ、長い道のりです。しかし、今回の涙を笑顔に変えられるよう頑張ります。そして、頑張りましょう。2018明治安田生命J1リーグ残り2試合。V・ファーレン長崎は最後まで全力で戦います。皆さんのさらなる応援をよろしくお願いします。サッカーには夢がある」と、試合が終わる最後の1秒まで、声援を』と呼びかけた。

いいメッセージだねえ。松井広島市長も、これくらいサンフレの将来を期待する、そして元気づけるメッセージを発信してもらいたいものだ。単に、市の行政を卒なくこなすことが市長の役割ではない。福岡市長を見てみろ、常に福岡市を前進させようとする姿勢が市民にはっきり伝わっている。見習うべし、だな、松井君は。

ただ、長崎を6年間率いて来た『高木琢也監督』は、責任を取る形で、契約満了で退任する。おしかった、高木監督ではある。あの、大分をJ1に引き上げた、片野坂監督と、同じ時期にサンフレで躍動してくれた。これからの活躍を祈りたい。


★<日産ゴーン会長逮捕される>大激震だねえ、日産、ルノー、三菱自動車にとっては。カルロス・ゴーン会長が逮捕されたと。東京地検特捜部は昨日夕刻、金融商品取引法違反容疑=有価証券報告書の虚偽容疑、でゴーン会長を任意同行。事情聴取後、逮捕した。また特捜部は、日産本社など関係先に家宅捜査に入った。

日産自動車は19日、仏ルノー・日産自動車・三菱自動車の会長を兼務するカルロス・ゴーン(64)について、日産の会長と代表取締役の解職を取締役会に提案すると発表した。金融商品取引法違反の疑いで東京地検特捜部が事情聴取を始めたことを受けて発表した。

ゴーン容疑者は自らの報酬を約50億円少なく申告していた。特捜部によると、ゴーン容疑者と共に2人は共謀のうえ、2011年3月期~15年3月期までの5年度分の有価証券報告書に、実際は計約99億9,800万円だったゴーン容疑者の報酬を、計約49億8,700万円と過少に記載し、関東財務局長に提出した疑いがあるという。


声明では、内部通報を受け、同社は内部通報を受け、数カ月間かけてゴーン容疑者の不正を調査。長年にわたり、ゴーン容疑者の役員報酬について、実際よりも減額した金額を有価証券報告書に記載していたことが判明した。さらに同社の資金を私的に支出するなど、複数の重大な不正行為もあったとした。日産は『不正行為について、数カ月にわたり内部調査を行ってきた』と説明。『内部調査によって判明した重大な不正行為は、明らかに取締役としての善管注意義務に違反するものである』と指摘した。日産は『これまで検察当局に情報を提供するとともに、当局の捜査に全面的に協力してきた。今後も協力していく』としている。

発表によると、不正行為の対象はゴーン会長とグレッグ・ケリー代表取締役としている。ケリー代表取締役はゴーン容疑者の不正に深く関与しているとして、日産は解職を提案するとしている。

関係者によると、ゴーン容疑者に対する捜査をめぐっては、捜査に協力する見返りに刑事処分を軽減する司法取引制度が適用された。同社の社員がゴーン容疑者の不正について捜査に協力したとみられる。同制度は今年6月に始まり、適用は2例目になるとみられる。

『カープの星飛雄馬「鈴木誠也伝説⑫」 女子ファンの的、2軍の星、誠也』

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郵便局が発行している『タウンプラスのタグ』、『鈴木誠也』と、美しき『アストロメリア』『シロタエギク』です。アストロメリア、好きですねえ。

『タウンプラスのタグ』は、要は郵便受けに投げ込みのチラシ。宛先はなしの、ばらまきチラシ。この分野にまで郵便局が出て来たのかと、驚いた。広島では五日市に大手の業者がるのを知っていたが、まさか、と思いました。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★★カープの2軍練習場がある岩国市由宇に、若い女子ファンがたくさん押しかけるようになった。そのお目当ての一人は、誠也だった。当時、2軍には他にも一岡竜司、庄司隼人、土生翔平など、いわゆるイケメン選手がそろっていた。誠也はいつしかそういう女子達の間で『2軍の星』と呼ばれるようになった。それは、勿論容姿のせいだけではなかった。彼の猛練習ぶりは、カープ女子の間でも話題になった。

その頃、誠也は地元新聞のインタビューにこう答えている。『自然に、自分のレプリカユニフォームを着てくれている女子を目で追いながら探している自分がいた。やっぱり、ありがたい』。誠也はほぼ毎試合、試合に出て快打を飛ばした。そしてウエスタンリーグで93試合に出場し、2本塁打を含む94安打を放った。そしてウエスタンリーグ優秀選手に選ばれた。

9月14日、誠也はついに、右の代打要員として1軍に呼ばれた。しかしプロの世界というのは、無名だった高卒ルーキーに安打を量産させるほど甘いものではない。

9月16日の巨人戦で、誠也はプロ初安打・初打点となる左前打を放ったものの、なかなかその後安打が出なかった。誠也は、結局、そのシーズンは計14打席に立った。しかし安打はその1本だけだった。しかし、覚えておかなければならない。高卒ルーキー野手が1軍に登録され、プロ初安打・初打点を放ったのは、カープでは、あの東出輝裕以来14年ぶりのことだった。

当時、まだ選手だった東出は、誠也のスイング音に驚いた。『夜遅くまで一人でバットを振っている誠也の姿をよく見かけた。そのバットのスイング音が、他の選手とまったく違っていた』と。

東出はこうも付け加える。『誠也の負けず嫌いは、ハンパなものではなかった』。その後東出は指導者としての道を歩むことになった。2人のわずかな時間軸の違いは、やがて1本の細い糸を生むことになった。2人はその後、1軍の選手と打撃コーチをして立場を変え、同じグラウンドで共に戦うことになった。(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)


★松田耕平追想 『「もっと強くなれ」が今も―山本浩二』
カープの立派なるリーグ3連覇。巨人以外成し遂げていないこの記録を一番喜んでおられるのは、天上の『松田耕平前オーナー』ではなかろうか。各界から寄せられたオーナー追想の記から、故人の在りし日を偲びたい

◇入団以来、厳しくも優しい愛情を注いでいただき、お世話になりっぱなしだった。選手としてOBとして、私に限らず、カープのユニフォームに袖を通した全員がオヤジのように慕っていたと思う。そんなオーナーが心から喜んでくれたのが、1975年(昭50)の初優勝だった。東京の宿舎での優勝パーティーで見た、あの笑顔は今も忘れられない。厳しさも苦言も、すべてあの瞬間のためにあったのだと思っている。プロ野球選手として、一人の社会人として、糧となり、花開いた、と感謝している。

個人的なことを言わせてもらえば、2002年沖縄キャンプの思い出も忘れることが出来ない。雨のため、室内練習場となった日だった。キャンプ視察に来られていたオーナーは『風邪を引いている』と話されていたが、わざわざ足を運んでもらった。いつも声をかけて励ましてもらったオーナーに、私が入団して33年目で初めて、励ますような言動をとった。『元気を出してください』。」不思議なほど自然に、両手をオーナーの肩に添え、やわらかな肩をもんだ。どうしてあれほど自然に出来たのか、分からない。体が勝手に動いた。


今思えば、失礼だったかもしれないが、その時の写真は今も広島市民球場の監督室に飾り、毎日、見守ってもらっている。現役時代から球場のオーナー室でカメラやビデオを手に、試合を観戦されて、見守ってもらったのは今も変わらない。オーナーの好意や言葉は重く、節目でかけてもらった一言は自分の人生でも大きく影響したようにも思う。

初めて40本の本塁打を打った年にはこんなこともあった。その年は各球場でホームラン賞としてライターがもらえた。確か、20本ホームランを超えた頃だったと思う。『これからは全部、わしのところへもってこい』と言われ、ホームランを打つ度に持って行った。その年は44本の本塁打を打てたから、20個以上のライターを届けたと思う。シーズン終了後、慰労してもらった時、一つ一つのライターに44本までの刻印を入れて飾ってくれていたライターを見せてもらった。びっくりしたのと同時に言葉では言い表せない喜びを感じた。

現役を引退してから、監督を任せてもらえた時期も思い出深い言葉をいただいた。1988年の秋、就任発表記者会見の席だった。オーナーは第一声で『浩二が帰ってきてくました』と。2年間、現場を離れて勉強させてもらった私にそう言葉をかけて、迎え入れてくれた。選手が育っていく過程を一番の楽しみにされていたが、優勝の喜びをもう一度と言われ、気持ちが高ぶったことを強く記憶している。


昨年まで期待に応えられなかったことが申訳なく、今は寂しさでいっぱいだ。カープの原点はオーナー在任期間を含めた40年間に出来上がったと思っている。入団間もない頃だった。日南や沖縄のキャンプ施設も年々改善してもらった。練習環境の充実やチームの強化法はすべて先駆的で、物事を大局的に見られていた。

その当時には分からないこともあったが、年を重ねるごとに、感謝の思いが募った。大リーグの練習法を目の当たりにして、その後の野球人生にいただいた財産は計り知れない。目的意識を持った練習方法などは、カルチャーショックを受けたアメリカの環境下で育てられた。20年以上も、勝つ味を知らなかったチームの改革は、早急にはいかなかっただろうが、数々の取り組みが、6度の優勝に繋げられたに」違いない。

それは何よりもチームを愛されていたからだ。厳しさんは常に愛情の裏返し。厳しさの中にある優しさを知ったのは私だけではないだろう。入団まもなかった頃には、後にも^先にもプロ野球人生で初めての試合後のナイター練習を命じられた。不甲斐ない試合で全員の居残りだった。『もっと強くなれ』というメッセージだったように思う。選手を思い、カープをこよなく愛されていたと、私は強く思っている。(山本浩二 広島東洋カープ監督(当時))


★<さくらさんは大の酒豪だった―和田アキ子>今年8月15日に乳がんのため亡くなった漫画家のさくらももこさんの『ありがとうの会』が16日、都内で行われた。参列した歌手の和田アキ子は、『私の人脈の中でもトップクラスの酒豪だった』と、さくらさんとのお酒の思い出を懐かしそうに語った。

和田とさくらさんは、14年の和田の楽曲『すばらしき人よ』の作詞をさくらさんが手掛けたことから交流が始まった。『お互い、お酒が非常に好きで、よく飲んだ』と振り返り、『あんな感じだけど、私の芸能界人脈の中でもトップクラスの酒豪』と、芸能界屈指の酒豪・和田を超えるさくらさんの飲みっぷりも明かした。

『一緒に飲みに行くと、私の方が「そろそろ帰ってくれませんか?」ということがあるぐらい』と懐かしみ、『本当に楽しい人で、お酒を飲みながら、世の中楽しくしていかないといけないね、という話もしていた』とさくらさんとの思い出を披露していた。

人はみかけによらぬものだ、ねえ。さくらさん、ご冥福をお祈りします。


★<カープと暮らす新語『Cターン』生まれる>ソフトバンクの日本一でシーズンが終了した。最近は、各球団の地域密着型の経営姿勢で、入場者数は今季も引き続き伸びた。

『カープ女子』という流行語まで生んだカープになると、地方球団の枠を超えている。広島県はその波に乗り、『カープのある暮らし』を前面に出すUターンならぬ『Cターン』という移住生活を促すキャンペーンに乗り出した。県の地域力創造課によると『昨年からカープを求めて移住する人が目立ってきたので、キャンペーンに踏み切った。問い合わせは多い』と言う。カープ愛が高じて、居住地まで移す現象だ。コアの力は地域経済にも貢献する。

テレビの視聴率を見ても地域志向が強まっている印象だ。地元を舞台とした番組はその地方で跳ね上がったり、地域限定の街歩き番組の人気が高まったりしている。ヤフーニュースによると、マツコ・デラックスさんが出演する番組で北海道物産展をテーマにすると、地元では視聴率が20%近くまで上がったとか。地域愛がすさまじい。グローバリゼーションとデジタル化の波で、生活者は『アイデンティティ』を失っているからだろうか。多様化と共に、自分を取り巻く世界をこよなく愛するファン経済は広がる。

消費関連の企業でファン作りで有名なのが『カゴメ』。株主の99%に当たる18万人がファンで、購入額は一般客の10倍に達する。そもそもトマトジュースが他の飲料より嗜好性が強いことが背景におある。実はトマトジュース、『人口の4%で国内消費量の75%を占めている』(カゴメ)。通販でも成功しているが、こだわりの客が多いことがプラスに働く。カゴメは来春に野菜のテーマパーク、長野県の『カゴメ野菜生活ファーム冨士見』をオープンする。野菜の収穫や料理教室などの体験を提供し、ファン作りが狙いだ。


化粧品でもここ20年で店舗数をあえて半分にした『アルビオン』の成長は著しい。個客への接客を重視したためで、『インバウンドだけの成長に頼らない売り上げ増は欠かせない』と言う。

人口が減少し、市場拡大が期待出来ない今、コアファンをしかりと繋ぎ留めることは企業の大きな宿題だ。ファン作りに詳しいコミュニケーション・ディレクターの佐藤尚之さんは『新規顧客を掴むキャンペーン効果は年々弱まっている。既存のファンの土台を固めた経営が必要』と指摘する。

佐藤さんは『顧客全体の20%が売上高の80%を、さらに愛着度が高いコアファンの4%が30~40%を占める。この法則は変わらない』と強調。釣った魚にこそ、しっかりとエサをあげることが大切だと説く。目移りはほどほどに、だ。

それにしても、カープファンが広島に『Cターン』する現象って、すごいねえ。ひょっとして、全国区では巨人に次ぐ人気球団にのしあがっている可能性があるねえ。あの、首都圏や札幌、福岡での試合を見て、赤いユニフォームファンが半数近くを占めているのだから。仙台でも多かったねえ。甲子園も勿論多いいが、まだ甲子園での阪神ファンは強い。


★<小池知事、ゴーン容疑者との対談中止>小池都知事、ゴーン容疑者との対談中止『いきなりの逮捕、驚いた』と。まあ、だれもが驚いた事件ではあるが。


日産自動車代表取締役会長のカルロス・ゴーン容疑者が金融商品取引法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕されたことを受けて、東京都は20日、21日に都内で予定していた小池百合子知事とゴーン容疑者の対談を中止すると発表した。小池知事は20日、報道陣に『衝撃ですね。国際的な企業3つのトップを務めて超人的な働きを続けてこられた。いきなりの逮捕、驚いた』と述べた上で、『日本の自動車産業がしっかり進むよう願っている。日本経済全体にどういう影響を及ぼすのか、大きな話だ』と懸念を表明した。

問題となっているゴーン容疑者の報酬については、『世界的自動車メーカーのトップはある意味、高額報酬は当たり前とされている。一方でフランス国内で高すぎると批判があったことを覚えている」と指摘した。小池知事は衆院議員時代、ルノーの社外取締役を務めていた。


★<モルディブ新政権、中国とのFTA撤回へ>モルディブの新連立政権を率いるモルディブ人民主党のナシード党首はロイターのインタビューで、新政権が中国と合意した自由貿易協定(FTA)を撤回する方針を明らかにした。モルディブはヤミーン前大統領の政権下で昨年12月に中国とのFTAに調印し、議会が同月、野党の反対を押し切って批准していた。

元大統領のナシード党首は、9月の選挙で勝利し17日に就任したソリ大統領の参謀役。ナシード党首はある1件の裁判で有罪判決を受けており、大統領候補死角を失っていたため、ソリ氏が身代わり候補になっている背景がある。影の実力者ナシード党首は『中国とモルディブの貿易不均衡は巨大で、両国間のFTAなどだれも想定しない。中国はわが国から何も買っておらず、一方的な協定だ』と批判した。

ナシード党首は、FTAを発効するのに必要な法改正が残っており、議会はそれを可決しない見通しだと述べた。モルディブは、中国の現代版シルクロード経済圏構想『一帯一路』を通じたインフラ投資により多額の債務を背負っており、FTAは状況を悪化させるだけだとの批判が出ている。

モルディブの通関データによると、今年1~8月に同国は中国から食肉、農産物、生花、電子製品など3億4,200万ドル相当を輸入したが、同期間の対中輸出はわずか26万5,270ドルだった。

ソリ新大統領は17日の就任式典で、モルディブは中国指導者に対する債務を抱え込み、財政難に陥ったと訴えた。モルディブの中国大使館からコメント要請に対する返答は得られていない。

『カープの星飛雄馬「鈴木誠也伝説⑬」 誠也に味方した、野村監督の続投』

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今日の画像は、スタート前に黄色い手袋をはめ、手を振る『神戸マラソンの参加者』と『鈴木誠也』。そして美しき園芸種の『キクの花』です。ピンの薄いマクロで撮っていますので、普通の画像とはまた趣が異なり面白い画になっています。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★★2013年の野村カープは、ついに1998年以来続いていた万年Bクラスの流れを止めた。おそらくその要因の一つになったのは、シーズン途中に加入したキラが、チームに攻める雰囲気を作ってくれたからだろう。

7月9日のDeNA戦。来日したばかりのキラが初ホームランを放ち、そこから3試合連続でホームランを放った。彼の登場を境にして、チーム内が明るくなった。それは『キラ効果』と呼ばれ、この雰囲気がシーズン終盤まで続くことになったのだ。こうした伸び伸びとした環境の中で、キク・マルコンビが台頭した。そして投手陣では、前田健太、バリントン、大竹寛、野村祐輔の4本柱が、そろって10勝以上をマークした。その結果、カープはCS制度が始まってから初めて3位に入り、CSのファーストステージに進出した。

そのファーストステージ。カープは2位阪神の甲子園球場に乗り込んだ。その時の光景は、昭和生まれのファンの目を疑うようなものだった。甲子園球場の40%近くが『真っ赤』に染まったからである。当時のことを、野村謙二郎は、自著でこう綴っている。『選手交代を告げる時、グラウンドを振り返って見ると、僕は全身がブルブル震えた。血が騒ぐような感じだった。敵地・甲子園で目の前が全て真っ赤だったからである』。

カープは、ファンの大声援を受けて、阪神に2連勝し、CSファイナルへとコマを進めた。しかし、ファイナルでは手ぐすねを引いて待っていた巨人に屈した。すでにこのシーズンを自らの幕引きと考えていた野村監督は、予定通り球団に辞表を書いた。

しかし、球団は慰留。そしてファンの後押しもあって、彼は5年目も指揮を執ることになった。この監督人事は、誠也にとっても幸いだった。

『2軍の誠也を使ってみたい』。この思いを一番強く持っていたのは、誰よりも野村謙二郎だったのである。(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)


★松田耕平追想ぁ 悵篁屬魴僂い如住核楴O』
カープの立派なるリーグ3連覇。巨人以外成し遂げていないこの記録を一番喜んでおられるのは、天上の『松田耕平前オーナー』ではなかろうか。各界から寄せられたオーナー追想の記から、故人の在りし日を偲びたい。

松田耕平さんの死去から半年余りが過ぎ、月日のたつ速さを実感すると同時に、諸行無常を感じる昨今である。松田家とは祖父の時代から三代にわたり親交をいただいているが、特に父朗がいつも『耕ちゃんが、こう言いよった。耕ちゃんが・・』という調子で何かにつけて耕平さんの話をしていたのが、ついこの間のように思い出される。父は耕平さんの人格がことのほか好きだったらしく、何かにつけてよく話をしていた。中身は仕事に限らず何でも良かったようで、子供心から観察するに耕平さんとの会話そのものを楽しんでいるふうでもあった。

父朗が亡くなって今年1月で満5年になった。亡くなる直前まで広島ロータリークラブの例会に出席していた。その時でも大抵隣の席は松田さんだった。病気療養中で少し元気のない父に、松田さんは必ず声を掛けてくれた。『どうかいの。元気だせや』。父は決まって『まあまあよ。ちょっと待ってくれ。また飲みに行こうや』こんな短いやり取りの中、底流にじんと心温まるものをかんじていた。そんな二人がもうこの世にいないと思うと、人生の無常さを痛切に感じる。


松田さんの思い出で特に印象深いのは、当時即妙のスピーチのうまさであろう。経済団体であれ、ロータリークラブであれ、広島慶応倶楽部であれ、ポイントのところで当然松田さんの出番となる。独特の間合の取り方、よく通る声、その場の雰囲気をピタリと飲み込んでまるめる締めくくり。ユーモアたっぷりの話し方で、その会はぐっと盛り上がる。私も数多くの会合に出席するが、松田さんを上回る挨拶にそう出くわすものではない。

松田さんが広島を代表する経済人であったことは言うまでもないが、数ある事業の中で広島東洋カープのことは特に印象深い。市民球団として芽生えたカープが茨の道を歩んで経営不振に陥り、先代松田恒次さんが面倒を見られることになったが、松田耕平さんの代になってようやくカープ大輪の花が咲いた。昭和50年のことである。いつも成績不振にあえぐカープが、セ・リーグ初優勝を成し遂げるドラマの中心に松田耕平オーナーがおられた。カープの選手を子供のように可愛がられ、細かいところまで気配りされ手作りで育てていくカープ魂だった。

今日広島では、市民球場の移設が大きな問題となっているが、この問題の原点として広島東洋カープの苦難の歴史をお座なりにしてはいけない。これからの日本経済がどうなっていくのか世界情勢とも絡み合っているので予測がつかないが、広島市民・県民あげてカープを後押し出来る態勢をまず大事にしなければならない。カープは言うまでもなく広島市民共有の財産である。原理原則、理想論も必要だが、まずはカープ球団と市民のこれまでの絆を大切にして、さらに大きな輪へと拡がっていく方策を大事に考えなくてはいけない。その延長線上に新球場問題があるという認識だ。


現松田元オーナーのお声掛けで中国新聞の販売所で入場チケットを扱うようにしたら、初年度だけで1万2千枚もの実績が上がった。今年はさらに力を入れていこうと思っているが、思いがけないところでカープを応援する方策もまだあるものだと感じている。松田元オーナーの若さと将来性に大いに期待するところであるが、私としては永年お世話になった松田耕平さんへの恩返しという意味からも、積極的にバックアップして中国地方に誇れる新球場の誕生を夢見ているところである。それが何よりお世話になった松田耕平さんへの最大の供養であると考えている。(山本治朗 中国新聞社 社主・会長(当時))


★<厚労省、企業にパワハラ防止義務 来年法改正へ、具体策指針で明記>厚生労働省が、職場のパワーハラスメント対策として、企業に防止措置を義務付ける方針を固めたことが分かった。具体的な対応策として社内への周知、啓発や相談窓口の設置などを検討しており、指針で明記する。セクハラ対策の強化や、中小企業の女性活躍促進などと併せて関連法案を取りまとめ、来年の通常国会への提出を目指す。

全国の労働局には、職場の『「いじめ・嫌がらせ』に関する相談が年間7万件以上寄せられている。すでにセクハラや、妊娠や出産を理由に不利な扱いをするマタハラの防止措置は義務付けられているが、現状でパワハラを規制する法律はない。

VDはセクハラ同様、いやそれ以上に問題のある事項である。男性上司が男性部下を叱る時、地位を傘に着て必要以上に暴利力的な発言をしたり、時には暴力をふるうこともある。精神論、やる気、など抽象的な部分で押して、部下の精神や人間性を委縮させる。私もかつて務めた会社で随所にこの問題を側聞した。あの人がVDをと思うような人もたくさんいた。遅きに失した感はあるが、やらないよりはましである。しっかりせよ、厚労省諸君。高い給料を取っているんだから。


★<ゴルフ不人気、広島カンツリー2年連続赤字>昨今のゴルフ不人気は、男子プロ大会が年20数回と全盛期に比べ半減したことが最大の現象である。女子プロはそれでも開催経費が安くつくことなどから、30数回行われている。

と、なんと、広島の名門コース『広島カンツリー倶楽部』が赤字決算だと。前期の赤字は『八本松のグリーン損傷による一時的な変則営業』が原因とある。が、その前の期も赤字であり、グリーン損傷だけが赤字の原因とも思えない。根本的には、やっぱりゴルフ人気離散の波が押し寄せているのであろうなあ。広島財界が創設したゴルフ場故、倒産などはなかろうが、厳しいゴルフ界ではある。
 2018.3期  赤字6,383万円    2017.3期  赤字4,784万円


★<日産はゴーンの刺殺で、ルノーとの合併を回避する>まさに奇妙な事件でははる。何を今になって、ゴーンの脱税騒ぎか。しかも日産の西川社長の記者会見は、いかにも悪者ゴーン退治とのニュアンスが浮き出ていた。民族派代表である西川社長は、フランス政府が画策、希望する日産のルノーへの統合・合併を回避するため、逆噴射してゴーンを刺したのであろう、という、説が巷に急浮上。

西川社長の記者会見を見ていても、ゴーン追放第一、との感触を受けた。会見冒頭で頭を下げる訳でもなし、社内で起った不祥事なのに国民に対して定型的な謝罪だけで、ゴーンを犯罪人として決めつける、突き放した言い方。『残念という言葉を超えて、強い憤りと落胆を覚えている』と。普通は『世間をお騒がせし、申し訳ありません』から始まるのが常套句。やはり、日産の民族派が合併反対を旗印に逆噴射した、の図が正解だろうか。まさにクーデターだ。西川社長もゴーンに取り入り、気に入れられて社長になったはずなのに。以下。


◇日産の「ゴーンショック」 その余波はどこまで広がるのか
カリスマ経営者から一転、『容疑者』に堕ちた日産自動車のカルロス・ゴーン会長──。“コストカッター”の異名をとり、瀕死の状態だった日産を見事V字回復させた剛腕ぶりは企業再建の手本とまで称賛されたが、その輝かしい功績も台無しにしてしまった。『一人に権力が集中し、長年実力者として君臨してきた弊害は大きい』『残念という言葉を超えて、強い憤りと落胆を覚えている』。ゴーン容疑者逮捕の報を受け、11月19日の深夜に記者会見した西川社長は、こう淡々と話した。

長らくゴーン氏の腹心として日産の経営改革を支え、社長の後継指名を受けた西川社長だけに、ゴーン会長の逮捕容疑となっている報酬額の過少申告ほか、噂されている子会社を通じた高級住宅の購入や、その他、経費の私的流用といった『複数の重大な不正行為』も知り得る立場にあったはず。会見では西川社長の経営責任を問う声も出たが、『猛省すべきところもあるが、事態を安定化させることが私の責任』と語るにとどめた。

ジャーナリストの福田俊之氏は、今回のゴーン追放劇の内幕をこう見る。『もちろん、西川社長もゴーン会長のワンマン経営や公私混同ぶりを黙認してきた一人だと思いますが、社員では到底手に負えないから、司法取引などをしながら東京地検特捜部に任せてつまみ出してもらったということでしょう。このまま不正を見過ごしたままゴーン氏が自ら退任したら、退職金だって何百億円だったでしょうからね。


確かにリーマン・ショック前のゴーン流改革は持て囃されましたが、2005年以降は経営計画のコミットメントは未達続き。とっくにカリスマ経営者の“賞味期限”は切れていたのに、社内では誰も抗うことができず、トップに君臨し続けていたのです。そこで、ゴーン会長のことを一番よく知っている西川社長が、最後に社員・株主・取引先のため、ひと肌脱いだというシナリオです』。

だが、いくら“裸の王様”を追い出すことに成功しても、世界第2位の販売台数を誇るルノー・日産・三菱自動車連合という巨大グローバル企業のトップが逮捕されるという異常事態のインパクト、そして今後の影響は計り知れない。まずは、3社連合のパートナーシップの今後を懸念するのは、『経済界』の関編集局長だ。

『日産の株式の43%を保有するルノーの株式にはフランス政府も15%出資しており、経営の重要な意思決定には日産トップとルノーだけでなく、フランス政府との交渉も欠かせない。果たしてゴーン会長が去った後の日産でその役目を果たせる人がいるのか疑問です。また、傘下入りした三菱自動車もゴーン会長がいたから従ってきた面が大きい。三菱はもともとプライドも高いメーカーなので、今後、いくら日産が協業を持ちかけても「冗談じゃない」と反発を強める恐れもあります』。

次に株主の動向だ。これまで日産はメーカー随一の配当を出してきたため、株価も安定していたが、事件後に株価は急落。今後も極めて不安定な状況になることが予想される。『投資家の中には、ゴーン氏がいるから経営は安心して任せられると株を持っていた人も多かった。だから、会長や社長の高額報酬についても株主総会で批判が出なかった。しかし、今回の件で今後の経営体制や業績に厳しい見方が出るのは必至だ』(経済誌記者)。


もちろん、日産社員や取引先、販売店などから噴出する不安や不満も早急に払拭させなければ、経営の屋台骨は崩れてしまう。『ゴーン会長が高い業績のパフォーマンスをあげていた2000年代に入ってきた日産社員や関係先の従業員は、他企業からヘッドハンティングされてやる気に満ちた優秀な人材も多い。こういう人たちが今後、どれだけ日産を見捨てず、奮起して会社を生まれ変わらせることができるかがカギでしょう』(前出・福田氏)。

そして、もっともゴーン氏逮捕の影響が見えにくいのが、消費者だろう。西川社長も会見で『日産ファンには申し訳ない』と謝罪したが、今回の事件が新車販売にまでブレーキをかけてしまうのか。『日産ユーザーの中には、ゴーン会長がいなくなっても良いクルマさえ出してくれればという人もいるでしょうが、自分が購入したクルマの利益が不正に流用されていたと聞けば、いい気分はしませんよね』(前出・関氏)。

こうして多方面に及びかねない『ゴーンショック』の余波。事態が大きすぎるがゆえに、“通常運転”に戻すだけでも、相当な時間がかかりそうだ。特に3社連合を誰がどう運営するか、まったく五里霧中と言えるな。元ハト言えば、フランス政府のルノーと日産の経営統合にある。しかし今や業績も技術も日産がルノーを凌駕している。この現実と、持ち合い株式の不均衡などをどう是正するか。また、ゴーン亡き後両者の要となる人物は誰が座るのか。どちらにしても、3社連合にきしみが生じるのは間違いないな。


★<セブンが7万食分のレタス工場を>セブン-イレブンは東京都と神奈川県の店舗で販売するサラダやサンドイッチ向けに、大規模な植物工場を設ける。発光ダイオードを使って1日でサラダ7万食分に相当するレタスを生産する能力を持ち、天候で仕入れ価格や品質が変動するリスクを抑える。

セブン-イレブン専用の植物工場は、セブン-イレブン向けに弁当などを製造するプリマハム傘下の『プライムデリカ』が、敷地内に60億円かけて建設。2019年1月の稼働を見込む。今後はホウレンソウなどの生産も検討し、全国の取引工場でも植物工場の併設を進める考え。

セブン-イレブン向けの食品工場は契約農家などから野菜を仕入れているが、天候不順で価格が2倍に急騰することもある。植物工場の生産コストは通常の仕入れより割高だが、天候に関係なく価格や品質が安定する。

植物工場を巡っては今月、農地に植物工場を建設した場合、税制上の優遇を受けられることになった。ただ工場などを転用した場合、土地にかかる固定資産税の負担が重いままといった課題がある。セブン-イレブンは野菜の生産から商品の販売までを一貫して手掛け、規模の効果や価格などが安定するメリットを確保する。

いよいよ、植物工場の時代到来だね。まだまだ緒についたばかりだから、これから生産性を上げるいろいな工夫が施され、既存の生産形態を凌駕する時代はすぐ来るような気がするねえ。期待大だ。

『カープの星飛雄馬「鈴木誠也伝説10月⑭」 誠也と堂林の居残り練習』

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今日の画像は、『赤ちゃん命名、人気ランク』と『鈴木誠也』。そして、美しき『ビヨウヤナギ』と再び『アジサイ』です。赤ちゃん命名、時代を反映してどんどん進化・変化していますねえ。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★★2013年の秋キャンプ前。宮崎で若手を中心にしたフェニックス教育リーグが行われていた。ある試合のことだった。カープのキャンプ地である天福球場の屋内ブルペンで2人の若者が火花を散らしていた。と言っても、一人が打撃投手を務め、もう一人が打撃練習をするというものだった。

その2人とは、このシーズンの8月20日に左手に死球を受けて戦線を離脱した堂林翔太と、9月14日に初めて1軍に昇格した誠也だった。どちらかが声をかけたという訳でもない。試合を終えて居残り練習をしていたら、自然にそういう関係になったと言う。誠也はこう言った。『僕と堂林さんは似ている。監督から言われたことも一緒だし、右手が強いところも一緒だ』。

一方の堂林はこう言った。『こう言ってはいけないのかも知れないが、ケガをしてよかったと思っている。3軍で前田智徳さんや東出さんの野球観を聞かせてもらったし、色々な人に出会えたから・・・・・』。

この種のライバル関係は、間違いなくチームを強くする。例えば、山本浩二と衣笠祥雄。金本知憲と新井貴浩。2人には、しばらくそういう関係であってほしい。

ここから、比較的長い上りエスカレーターに乗ることになる誠也に比べ、堂林は短い下りと上りのエスカレーターを繰り返すことになった。

当時すでに1軍の経験を積み、自力でもうひと伸びが期待されていた堂林翔太。1軍を経験したものの、まだ主力選手との実力差を感じさせた誠也。野球の神様は、以降の2人の物語をどのように描くのだろうか。(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)


★松田耕平追想ァ 慷イ譴神荼性と慈父のようなチーム愛―川島廣守』
カープの立派なるリーグ3連覇。巨人以外成し遂げていないこの記録を一番喜んでおられるのは、天上の『松田耕平前オーナー』ではなかろうか。各界から寄せられたオーナー追想の記から、故人の在りし日を偲びたい。

オーナー『松田耕平さん』と言えば、何より優れた先見性と慈父のようなチーム愛である。特筆すべきは、1990年11月ドミニカ共和国に『広島東洋カープ・アカデミー・オブ・ベースボール』を開校された卓越した先見性である。その勇断には日米両国のオーナーの多くがどう目した。現在でもそうだが、わが国で一人の大リーガーに投資する巨額な金とその選手の働きぶりは、必ずしも見合うとは限らない。そこに着目され、脂質に恵まれた外国人を自分の手で選手に育てることを決断された。

若くして自動車ディーラーとして多くを学び、次いでマツダをはじめ様々な企業の社長を務められたかけがえのない人生体験から身につけられた『物事はすべて事前の周到なる準備にある』という確信は変わることがなかった。それは他人の追随を許さないものがあった。一眼は常に自己の将来に、他の一眼は刻々変化する世界の動きに向けられていた。決断されるや在日の中南米諸国の大使館を軒並み歴訪されて事情を聴き、外務省の理解を得て5度にわたりドミニカ共和国に調査団を派遣した。そして同国政府首脳や野球関係者と熱心に話し合い協力をとりつけ、アカデミーの建設に踏み切られた。国際人としての面目躍如たり、と申し上げたい。


何よりその場所の選定が素晴らしい。首都サント・ドミンゴの東方80キロにあるサンペドロ・デ・マリコス市の郊外に適地を選んだ。当時までにドミニカからの大リーガーはシカゴ・カブスのサミー・ソーサーなど馴染みの選手をはじめ800人を数え、ドミニカの選手なくしては大リーグが成り立たないほどである。それらの多くがこの地域から輩出されている。まさにプロ野球選手としてのダイヤモンドの原石が埋まっている宝庫であり、世界野球のメッカと言える土地柄である。彼らには中南米人特有の足腰の強さとバネがあり、強肩で足が速い。そしてハンド・ワークの良さを先天的に備えている。生活環境が貧しく、ハングリー精神に富む地元の少年達には『プロ野球選手』が何よりも憧れで、最大の人生目標なのである。当然のこと、アメリカのドジャーズ球団をはじめ大リーグがアカデミーを開校するか、あるいは強力なスカウト陣を駐在させている。

そのアカデミー・オブ・ベースボールの開校式に招かれ、出席した。バラゲール大統領がヘリコプターで式典開始10分前に到着するなど、スポーツ大臣、国防大臣、文化大臣の主要閣僚が揃って臨席する盛大なる式典となった。ドミニカ共和国がこの開校を国にとってこれまでにない大きな教育投資として大歓迎した証左である。このアカデミーの設立は、以来今日までアメリカ大リーグで活躍するNYヤンキースのソリアーノなど有名選手の育成を含め、世界野球の発展に大きな貢献を果たしてきた。松田耕平オーナーの先見性が生んだ何よりの歴史的遺産である。

もう一つオーナーの高い志は『市民球団』広島東洋カープの存在感として実っている。12球団のいずれもがフランチャイズのファンを中心に全国的なファンに支えられているが、市民と共に地から生まれて、強い愛郷心を絆に固く結びついている球団は、まさに広島の赤ヘル軍団であることに異と唱える者はいない。他の球団には見られない地元広島との一体感は見事というほどに揺るぎがない。


球団創設26年目の昭和50年に悲願の優勝を成し遂げ、市民と共に喜んで泣いた。以来リーグ優勝6度、日本一に3度輝く偉業は素晴らしい。また、国民栄誉賞に輝く衣笠祥雄選手をはじめ、球史に残る不出世の選手を多く輩出し、まさに『赤ヘル黄金時代』を築かれたのである。

日南市の天福球場キャンプは、いっときも体を動かしていない選手が一人もいないなど、自らを鍛える猛烈なキャンプとして名が高い。その喜々として楽しみ励む選手の姿を慈父のようなまなざしで見守っておられた温容あふれるヒューマンな紳士、松田耕平さんの風貌姿勢がいかにも懐かしく瞼から離れない。

プロ野球に尽くされた偉大なる功績の故に、平成15年晴れの野球殿堂入りを果たされた。野球人として最高の栄誉を心からお喜び申し上げ、ご冥福をお祈りして思い出の筆をおきたい。(川島廣守 日本プロフェッショナル野球組織 コミッショナー(当時))


★<“銀座の不動産王”に判決 10億円脱税> 昭和55年頃であっただろうか。北九州のビルの屋上から1万円札を何枚もばらまいた男がいた。その名は『川本源太郎』。折からのスナックブームに目をつけて、スナック店舗のリースに乗り出した。客席、調度品、キッチンなどを備え、ママが一人でもすぐに開業できる仕組み。これで当てた川本源太郎は、北九州の繁華街にビルを建て、屋上に『マル源』のマークをそびやかせた。これが川本源太郎の出自である。その後博多にも進出してきたが、それより前に銀座、六本木に進出し、何軒のモビルオーナーとなった。そこから、川本源太郎の人生は『金の亡者』になりさがった姿が浮き上がる。

10億円を超える巨額脱税の罪に問われていた『銀座の不動産王・川本源太郎』。初公判から5年、実刑判決が言い渡された。『丸源ビル』オーナー・川本源司郎被告(86)は『(やっと判決になったが?)やっとじゃなくて、弁護士さんがダラダラしてた』と話した。『銀座の不動産王』と呼ばれた人物に、ついにその時が。

川本源司郎被告は『(今まで無罪を主張していたが今は?)うん、一緒です。脱税じゃない』と話した。逮捕から、およそ5年半。判決が下された。実刑判決を言い渡されたのは、『丸源ビルオーナー・川本源司郎被告』。2009年からの3年間で、35億4,000万円の所得を隠し、およそ10億6,000万円を脱税した、法人税法違反の罪に問われてきた。銀座を歩けば、現在も『丸源』のマークの入ったビルが目につき、一時は、総資産が1,300億円を超えるなどしてついた名前が『銀座の不動産王』。


日本に限らず、海外でも多くの不動産を手がけてきた。ハワイ・オアフ島の中で最も高級な住宅街・カハラ地区の20カ所以上に、土地や建物を所有。2013年当時、フジテレビの取材に対して川本被告は、『(ハワイに来ている理由は?)そんなことはあなたに言うわけない』、『(税務上の...?)そんなこと今は関係ない。(指摘を受けたりしてない?)何を言ってるの、ハハハ』などと、脱税について否定していたが、2013年に逮捕・起訴された。

その後、5億円もの保釈金を支払い、保釈された川本被告。無実の主張は変わらなかった。川本被告は2013年3月、『脱税する必要ないでしょ、これだけ持った者が。ずっと言ってるのは、節税はいいけど脱税はするもんじゃない』と話し、2013年6月、『全部でたらめの作り話です。(税額が...?)税額って、脱税してないんですよ!』、『意気込みはもう、「無罪です」って言うだけです』などと話していた。

しかし、その主張はほとんど認められず、20日に言い渡されたのは、懲役4年と罰金2億4,000万円という、執行猶予もない実刑判決だった。それにしても一体なぜ、判決までおよそ5年半もの時間がかかってしまったのか。

フジテレビ報道局・平松社会部デスクは『事件化され、起訴されたあと裁判が始まるんですが、裁判が始まったあとも、何度も何度も弁護団を交代してる。弁護団を変える、また1から始まる、また弁護団を変える、1から始まるの繰り返しで、裁判が進まず、5年以上たってしまった』と話した。


判決の中で東京地裁は、川本被告に対し、『したい放題に売り上げなどを操作して、納税義務をないがしろにした』と、決算書上の利益を不正に減少させたなどと、手口の悪質性を指摘した。判決前には、余裕の笑みを見せていた川本被告。

今後に向けては、フジテレビ報道局・平松社会部デスクは『元々無罪主張ですから、控訴して、今度は裁判の舞台を東京高裁に移して、検察側との戦いが続くという感じになると思う。また高裁に行って弁護団を入れ替えたりすると、さらに時間がかかる可能性がある』と話した。判決後、川本被告は、新たに保釈保証金7億5,000万円を払い、保釈が認められた。

まあ、あれこれ裁判を長くさせる細工をしてるうちに、齢90歳を迎え、黄泉の国への旅立ちが待っているな。もうここまでくれば、最高裁を標的に、徹底的に裁判引き延ばし作戦で生き延びるのだろうなあ。それにしても寂しい、川源の末期ではある。


★<赤ちゃん、名前ランク>赤ちゃんのお名前ランキングが興味深い! 人気ドラマの影響で『律』『涼真』『美琴』などが急上昇している。

毎年各企業から発表されている、赤ちゃんの名前ランキング。今回ご紹介するのは赤ちゃん本舗が公開した『2018年 赤ちゃん命名・お名前ランキング』。調査対象となったのは、赤ちゃん本舗の会員情報のうち生年月日が2018年1月1日~10月31日の子どもたち。調査件数は8万1720件にもおよぶ。男女ともに100位まで発表されたなか、栄えあるトップ3に輝いたのは……。さて、どんな名前か?

【男女ともに根強い人気の名前がトップに!】
それではさっそく。『2018年 赤ちゃん命名・お名前ランキング』トップ3はこちら。
<男の子>
1位 「蓮(れん)」(258件)
2位 「大翔(ひろと)」(211件)
3位 「陽翔(はると)」(209件)
<女の子>
1位 「葵(あおい)」(212件)
2位 「結菜(ゆうな)」(199件)
3位 「陽葵(ひまり)」(190件)

【男の子の「蓮」は3年連続で首位】
男の子で1位を獲得した『蓮』は、3年連続首位という快挙を達成。ハスは泥の中に美しい花を咲かせることから、困難な状況でもやり遂げる力や意志の強さを感じさせる名前として、男の子に人気があると考えられているようだ。また2位と3位に『翔』を使った名前がランクインしているが、これはおそらく、今年メジャーリーグで注目を浴びた大谷翔平選手の存在が大きいのではないかと……!文字どおり世界に羽ばたけるような子になってほしいと願う親が、少なくなかったのかも。一方の女の子はというと、2016年の首位だった『葵』が首位に返り咲き。『葵』という字は3位でも使われていて、好んで使用されていることが見て取れる。


【やっぱり朝ドラの影響は絶大なのかも!?】
ちなみに……人気が急上昇した名前にも目を向けてみたところ、話題のドラマや人気芸能人が大きく影響を与えていることがよくわかる。たとえば男の子の名前で人気が爆上がりしたのは、『律(りつ)』(199位→21位)と『涼真(りょうま)』(199位→75位)、そして『大知(だいち)』(224位→90位)。『律』はNHK朝ドラ『半分、青い』で佐藤健さんが演じた役名で、『涼真』はドラマや映画で大人気の俳優・竹内涼真さんと同じ名前。『大知』は実力派アーティストとして本格的にブレイクした三浦大知さんを彷彿とさせるし、やはりメディアが与える力はデカい~~~!

【女の子も人気ドラマの影響を受けているっぽい】
女の子の名前のほうも同じことが言えて、NHK朝ドラ『半分、青い』で主演を務めた永野芽郁さんを意識したものと思われる名前『芽依(めい)』が、9位から5位にランクアップ(漢字は違うけど)。そのほかは『美琴(みこと)』が194位から50位と大幅に順位を上げていて、これはおそらく、TBS系で放送されていたドラマ『アンナチュラル』で石原さとみさんが演じた三澄ミコトの存在が大きいのではないだろうか。

【キラキラネームの姿がないゾ】
また一時期盛り上がりを見せた “キラキラネーム” が姿を消し、男女ともに古風な名前の人気が浮上している点も大きな発見だ。男の子なら『大和』や『陸』、女の子なら『紬』や『澪』が昨年からランクアップしており、日本らしい響きを好むパパママが増えている傾向にあるのかも!?

時代は赤ん坊の名前と共に変わるんだ、なあ。


★<次々にゴーンのご乱行>日産、ゴーン容疑者姉へ資金…実態ない業務契約
日産自動車代表取締役会長のカルロス・ゴーン容疑者の役員報酬を巡る有価証券報告書の虚偽記載事件に絡み、同社が2002年以降、ゴーン容疑者の姉と『アドバイザー業務』契約を結び、毎年10万ドル(現在のレートで約1,120万円)前後を支払っていたことが関係者の話でわかった。東京地検特捜部は、姉に業務実態はなく、ゴーン容疑者が会社経費を私的な目的で不正に支出していたとみている。

日産も社内調査でゴーン容疑者の姉に会社の資金が流れていた事実を把握。西川社長も19日の記者会見で、ゴーン容疑者の不正行為として▽役員報酬の過少記載▽投資資金の私的流用▽経費の不正支出――の三つを挙げていた。姉との契約は、経費の不正支出に該当するとみられる。

関係者によると、ゴーン容疑者が01年に同社の社長兼CEOに就任すると、同社は翌02年、ゴーン容疑者の姉を同社のアドバイザーとする契約を締結。その後、姉がゴーン容疑者のアドバイザーを務める契約も結んだという。


同社は契約に基づき、ゴーン容疑者の姉に給与と賞与合わせて年に10万ドル前後を支出していた。しかし、同社が内部通報を受けて調査したところ、姉は、同社が海外子会社を通じてブラジル・リオデジャネイロに購入した高級住宅に住みながら、その管理を任されており、アドバイザー業務の実績がないことが判明した。

ゴーン容疑者は、昨日開かれた取締役会において、全会一致で会長解任を決議された。ケリー容疑者も代表権を外された。新しい会長には取締役の中から選ぶ予定。また、両容疑者を取締役から解任するため、臨時株主総会を開く計画である。今後のルノーとの関係については、未定な部分が多い。また、三菱自動車も来週取締役会を開き、ゴーン容疑者の会長解任を決議する予定である。ゴーン容疑者に代わるルノー代表が日産の会長に就くのか、出来るのか。提携関係の是正に向け日産がとりくむのか。なら、資本提携内容が是正されるのか。いろいろ観測が流れる。

ゴーン容疑者が日産自動車の会長を解職されたことをめぐり、フランス経済の専門家は、日産とルノーの関係について、提携の維持は『困難だ』との見方を示している。日産がゴーン容疑者の会長職を解くと決めたことについては、フランスのニュース専門チャンネルが日産本社前から中継で伝えたほか、主要メディアが速報で報じた。


ただ、ゴーン容疑者が会長を務めるルノー本社は、『日産内部のことなのでコメントはしない』としている。ゴーン容疑者の解職決定をめぐって、フランスの産業界に詳しい専門家は、日産とルノーの提携の維持は難しいとの見方を示した。経済学者ジャン=マルク・ダニエル氏『ゴーン氏は成功した社長として象徴的な人だ。(日産とルノーの提携維持は)難しいところもあるだろう。すべてはゴーン氏の個性によって構想され計画されたものだからだ』と語っている。

また、事件発覚の経緯については、『日産とルノーの力のバランスを取る動きが日本で起きたのではないか』と述べ、日産側の何らかの思惑が背景にあったとの見方を示した。

出て来る、出て来る、カエルの子、だねえ。次から次へと。こんな人物、よくもフランス政府が押したものだねえ。あきれかえる。しかしまだ日産劇場は第1幕。これからが面白くなるだろうなあ。乞う、ご期待、だ。

『カープの星飛雄馬「鈴木誠也伝説10月⑮」 野球の神様が誠也を見ている』

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今日の画像は、世界を騒がせている『日産グローバル本社』と、『鈴木誠也』。そして、安芸の宮島の紅葉です。多宝塔ルートから駒ケ林に上り、紅葉谷ルートを下りました。途中、イスラエルから来た、親娘にあって歓談。とっても美人でした。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

しっかし、この『日産グローバル本社』の看板、こんな表現をする会社って珍しいねえ。トヨタだって、『トヨタ自動車』としか表示していない。なにやら目立ちたがり屋の日産かな。とにもかくにも、世間を大騒がせしたことには変わりない。

★★★2013年.誠也は、高卒新人としては14年ぶりとなる1軍昇格、初スタメンを果たした。そして初ヒット、初打点をマークした。一般論で言えば、十分な1年目だったように見える。しかし誠也の物差しからすると、次のようになる。『いい1年と言うよりも、本当に悔しいシーズンだったと思う』と。

彼はプロに入ってから、自らが想像していたよりも高い壁にぶつかったと思っていた。その壁について、誠也はこう話す。『これまでろくに勉強せず、ただ野球にだけ打ち込んできた。だから、どうせ打てるだろうなと思っていた。しかしプロというのは、そんなに甘い所ではなかった』。これは、とてつもなく高い目標を掲げた者だけが感じうる特有のフィーリングだったと思われる。

彼は、その頃、スポーツ誌のインタビューにこう答えている。『打てなかったら練習するという選手にはなりたくないと思っている。打ててもやる、打てなくてもやると言うのが本当のプロだと思う』。

さらに、誠也は独自の境地についてこう語っている。『高校生の時、「野球の神様が見てるぞ」ってしつこく言われた。ある時、夏場で体がきつくて練習もせずに布団に入って寝ようと思ったことがある。しかし、何となく隙間から誰かに見られているような気がした。急に怖くなって、そのままベランダに行ってバットを振って寝たことがある』。誠也の人並み外れた練習というのは、こういう考え方をベースにしている。私達は、気軽に『努力』について語る。しかし、本当の努力というのは、簡単に口に出して語れるほど生やさしいものではないのである。


例えば、王貞治の一本足打法。気が遠くなるような長い時間をかけ、夜間、足元の畳がすり切れるまでバットを振り込んで生まれたものである。よく当時の映像が紹介されるが、王貞治は寝巻姿のままでバットを振っている。つまり他の選手が寝ている間に、彼はバットを振り続けたのである。

あの伝説の前田智徳。奥さんの話によると、深夜までバットを振り続け、翌朝気がつて見ると、布団の中でバットを抱いて寝ていた、と言う。プロ野球の選手の『努力』と言うのは、そのくらいのレベルのことを指す。

その頃の誠也の話である。『野球しかやってないのに、それで努力しなかったら「もったいない」と思う。体の強さ、足の速さ、肩の強さ・・・・・。せっかく生まれ持ったものを生かさないと意味がない。練習して、練習して・・・・。それでも結果が出ないのなら仕方がない。後になってから、あの時練習しておけば良かったと思うような選手にはなりたくないと思っている』と。

今なお、誠也の考え方は、このインタビューに答えた時のままである。彼はカープ選手の間でも『練習の虫』として知られるようになった。(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)


★松田耕平追想Α 慳邉綽佑箸靴椴派な社会人として―外木場義郎』
カープの立派なるリーグ3連覇。巨人以外成し遂げていないこの記録を一番喜んでおられるのは、天上の『松田耕平前オーナー』ではなかろうか。各界から寄せられたオーナー追想の記から、故人の在りし日を偲びたい。

昭和39年、NTT九州からカープに入団した時、当時は松田恒次社長で、その後耕平社長に代わられた。最初に社長に言われたことは『野球人でると同時に、一社会人として立派に通用する人間になるように』という言葉だった。私は自分の野球人生の中でこの言葉を励みに、また育ちゆく選手達にも教えてきた。その後もことあるごとに話しかえてもらい、アドバイスをいただいた。

今も鮮明に残っている。思いおこせば、昭和50年、初優勝した時、私をオーナー室に呼んで『良く頑張ってくれた。君へのカープへの思いと優勝への執念があったからこその優勝だ。本当にありがとう』と何度もねぎらいの言葉をかけてくださった。私も腕が折れてもいいと思って投げてきたかいがあったと思った。

そしてタイトルを取った3人、大下さん、山本さん、外木場にコスモロータリー車をプレゼントしてくださったのである。しかし、その代償は大きく、投球数300イニング以上投げた身体に十分な手入れが出来ず、次の年に肩を痛めてしまい、思うようなピッチングが出来なくなってしまった。まさに私の野球生命はあの優勝と共に終わってしまったのだ。東京、大阪、九州と治療に歩き回ったが、すべてだめで、アメリカでさえまだ医学的に無理な時代だった。そこで私は翌年オーナーに身体のケアについて必ずしなければならないことを話した。このことにより、その年から今では恒例の湯布院での身体の手入れが始まったのだ。私の頃は治療費も全部自分持ちだったが、今では球団が負担してくれて選手は恵まれている。



カープが弱小球団と呼ばれていたころ、今の選手には思いもつかぬようなこともあった。そんな時の思い出だが、昭和43年、初めてオールスターに出場した時のことだ、その頃のオールスターと言えば、いつも巨人中心で、他のチームの選手はベンチの中の角の方に座っていた。東京でオーナーが開いてくださった食事会で、このことが話題となったが、ここでオーナーは『君達はカープを代表して出ているのだ。だから堂々と真ん中に座りなさい』と励ましてくださった。この言葉がどんなにうれしかったことか。それからは勇気が沸いて、オールスターに出た時は、堂々と真ん中に座るようにした。また、この年に初めてAクラスに入り、私も完全試合を含む良い成績を上げることが出来た、そして私個人のために完全試合の祝賀会を開いていただいたことも忘れることが出来ない。

オーナーがいつも選手のことを考えておられたこと、カープを強くしなければという思いは色々なことからもうかがい知れた。トレーニングに必要なマシン等、他の球団より早く整えたり、アメリカの野球を勉強させに選手を行かせたり、そういえば沖縄キャンプもカープが最初だった。47年には、アリゾナ、ツーソンで大リーグのインディアンズに合流してキャンプを張った。オープン戦でジャイアンツの一流選手、ウイリーメイズ、マッコビーに出会った時、非常に身体のバランスの良い選手だと思ったことをよく覚えている。

当時、そのインディアンスのコーチとしてジョー・ルーツさんがおられ、後に彼が監督としてカープにやって来ることになろうとは、この時私は夢にも思っていなかった。しかし彼を監督として迎え、カープにアメリカ野球を取り入れること、それはこの時オーナーの脳裏にはすでに考えられていたことかも知れません。この出会いがなかったら、50年の優勝はなかったと思う。


ルーツ監督になり変わったことは、遠征に行く時、選手が重い荷物を自分で運ばなくてもよくなったこと。これにより体力を十分に温存させることが可能となり、ベストコンディションで試合に臨むことが出来た。そしてもう一つ、選手達を一番変えたのは『精神的にプライドを持て、自分達はプロの野球選手なのだ』というルーツ監督の言葉だった。オーナーの取り入れたこのルーツ監督の意識革命が、初優勝の原動力となったと言っても過言ではないだろう。良いことはどんどん取り入れ、オーナーの先を見通した考え方が50年次以降のカープの黄金時代を築いたのだと思う。

体調のすぐれない中でも、カープのことが気になり試合を見に来ておられた。今でも思い出す。カープが優勝することを期待され、新オーナーとスタッフ、選手達に夢を託し、球場のあの席でいつも見守っておられることと思う。オーナー、ありがとうございました。(外木場義郎 野球評論家(当時))


★<ヒルトン広島>2022年度に広島市に『ヒルトン広島』を開業する米ホテル大手の『ヒルトン・ワールドワイド』はこのホテルへの国際会議の誘致を積極的に展開する。日本・韓国・ミクロネシア地区の運営責任者、ティーモシー・ソーパーさんは『国際的な旅行見本市や展示会などでヒルトン広島の魅力を訴える』と話し、開業に先駆けて誘致活動を進める。

国際会議や展示会、研修旅行などは総じて『NICEマイス』と呼ばれる。中四国地方でヒルトン系初となるホテルで、ソーパーさんは『これまで東京や大阪などへの誘致に成功してきた。培ってきた知見を最大限に生かす』とMICE誘致に向けた意欲を語る。

原爆投下という歴史的な背景を持つ広島は、他の都市と比べて世界での知名度が圧倒的に高い。17年の広島市への訪日外国人・インバウンド観光客数は152万人と、10年と比べて4.5倍に増えた。観光に加えて平和関連の学会やイベント開催地に選ばれるケースも多く、ヒルトン広島ではこうした需要も虜みたい考えだ。


ヒルトンは、ドイツ・ベルリンで開かれる『ベルリン国際見本市・ITBベルリン』など世界のMICE関連事業者が集まる場で、ヒルトン広島の設備について説明する。415室の客室やレストランなどに加え、1,300屬硫餤鳥楡澆鮑遒襦2餤鳥楡澆六堝發離曠謄襪任郎蚤腓箸覆詬縦蠅如⊂楮戮弊澤廚鮓什澹‘い靴討い襦

大規模なイベントは通常、1年半から2年前に会場を選定し予約の手続きを始める。そのためヒルトン広島の開業前から関係者に利用を訴える。広島市は高い知名度がある一方で、大規模な会議場やホテル数が不足しており、国際会議の誘致件数が少ないという課題を抱える。国際会議協会によると、17年に広島市で開催された国際会議の開催件数は8件と、札幌市の24件や福岡市の17件と比べても少なくなっている。

市内の東警察署跡地に立つこのヒルトン広島は、やや市の中心部とは少し外れているが、交通の便は良い。公共交通機関は別として、広島駅から3車線の道路がダイレクトに繋がっており、市の中心部、八丁堀や紙屋町のような渋滞は起こらない。また、夜の繁華街、薬研堀には近く、それなりに魅力ある立地と言えるかも知れない、な。


★<森林ベンチャー社長・青木亮輔>山林が面積の9割を占める東京都檜原村で、国や自治体から林業を受け負う会社を経営している。杉の植栽、下草刈り、伐採などが主な仕事で冬場には1人で50本切り倒す日もある。周囲の木の配置から狙った方向に倒せるようになるまで5年ほどかかった。うまく倒すと太陽の光がサッと差し込み、清々しい気持になる。

冒険家の植村直己さんにあこがれ、探検部が有名な東京農業大に進学。探検部の活動に明け暮れた。就職活動もせず、卒業後も『研究生』の身分で大学に1年残り、探検部の活動に参加し続けた。その後、働かないと親が心配すると考え、転職情報誌でみつけた英語の教材会社に就職。しかし、営業成績がふるわず1年で辞めた。

一方、探検ではリーダー役の先輩にかなわず、仕事も出来ない自分が無力だと感じ、焦っていた。そんな時、大学で専攻した林業に初めて目が向いた。担い手が少なく、若い自分なら必要とされると思った。臨時雇いで檜原村の森林組合に入り、1年後に正式に作業員として採用された。が、生活は天候に左右され、不安定だった。


『林業で若者が将来設計出来るようにしたい』。29歳の時、仲間4人で15万円づつ出し合い、起業した。月給制で社会保険を完備し、1年後に軌道に乗った。現在は青木さんを含め16人が働き、平均年齢は30歳ちょっと。この世界では若い集団だ。

4年前には山を買い、出資する会員を集めて杉の苗を植え、30年かけて育てる事業を始めた。今、会員は200組、植えた苗は600本に達した。人々に山の現状を伝え、美しい森林を育み、木材を届ける。林業の新しい魅力を作りたいと思っている。

行き当たりばったりに見えるが、目の前の壁を一つずつ乗り越えて来た。探検でも最初の第一歩を踏み出すには勇気が必要だ。でも前に進めば、新しい世界が広がる。フロンティアを切り開くのはやっぱり楽しいを語る。

今、農業、林業に底打ち感が出ている。これ以上人手が少なくなると、業界全体が沈没し、社会的なダメージを与える時期に来ているからだろう。ある意味新規参入のチャンスだと、私は思うね。


★<芦屋の資産家ら30億円超申告漏れ>全国有数の高級住宅街があることで知られる兵庫県芦屋市の資産家らに対して大阪国税局が税務調査に乗り出し、昨年7月からの約1年間で、そのうち少なくとも50人以上が総額30億円超の申告漏れを指摘されたことがわかった。国税当局は全国で富裕層の税逃れへの監視を強めており、一つの地域での集中調査としては異例の規模という。

関係者によると、申告漏れを指摘されたのは、特に多額の資産を持つ『超富裕層』が多いとされる六麓荘町などに住む一部の資産家や会社経営者ら。外国通貨を円に換えるなどして得た為替差益や、相続財産の一部を申告していないケースが目立ち、仮装・隠蔽を伴う所得隠しも一部認定されたという。過少申告加算税などを含む追徴税額は計10億円規模に上るとみられる。

国税庁は富裕層の税逃れへの監視を強化しようと、2014年から税逃れに利用しているとされるタックスヘイブンの実態を暴いた『パナマ文書』などが注目される中、17年までに全国12カ所の国税局・国税事務所全てに拡大し、東京国税局管内は麻布や世田谷など、大阪国税局管内は芦屋や西宮などの各税務署にもPTを置いた。芦屋では昨年7月以降、約25人態勢で調査していた。

金を持つ人は、金の亡者になるんだねえ。ゴーンを見ていれば歴然とする。庶民の持たない悩みは、ある意味自然体でいいのではないかなあ。金の煩悩で心身を費やしても、あの世に金を持って行ける訳ではなし、なのになあ。


★<トイレ洗浄水、レストラン調理に使用…配管ミス>10月7日にオープンした札幌市民交流プラザ2階のレストラン『DAFNE(ダフネ)』で、水道の配管が誤って接続され、トイレの便器の洗浄に使われている中水が飲料水や調理などに使われていたことがわかった。札幌市が発表した。水道水と地下水、雨水の混合水で、検査したところ飲んでも問題はなく、健康被害の報告はないとしている。

発表によると、今月13日、プラザの管理者が水道料金を請求するために同店の上水使用量を確認し、メーターが動いていないことに気づいた。14日夜に誤接続とわかったが、連絡が行き届かず、水は15日昼頃まで使われていた。同日、配管をつなげ直す工事をした。同店の内装工事などをした業者の施工ミスが原因で、工事後の確認も怠っていた。プラザ内の他の飲食店で誤接続はなかった。

いわゆる上水ではなく『中水』だな。まだ、生活排水を中水で使っていなかった分良かったが、なあ。なんでこんなこと起ったのだろうかなあ。不思議だ。


★<ポイント還元、ほぼ『減税に』与党内からもバラマキ批判>政府が来年10月の消費増税の対策として導入するポイント還元制度について、安倍晋三首相は22日、還元率を5%にし、増税後9カ月間実施すると表明した。これまで検討していた2%を大幅に上回る還元率を打ち出すことで、参加する事業者を増やすとともに、増税後の消費の落ち込みを防ぐ狙いがある。増税分を上回る大盤振る舞いの『官製セール』に、与党内からも『バラマキ』との批判が上がる。

消費増税実施後、クレジットカードなど対象のキャッシュレス決済で千円の商品を買い、10%分の消費税を含めて1,100円を店に支払うと、50円分のポイントがたまる。結果的に1,050円で商品を買えることになり、消費税率はいまの8%から5%に減税されるようなものだ。軽減税率が適用になる飲食料品などは実質的に税率は3%になる。

一体何を考えてるんだ、安倍晋三は。消費増税でまずやらなければならないのは、政府、政策の無駄排除なのに、そんな雰囲気は全然出てこない。取った税金は使い放題、累積赤字も増やし放題、孫子の時代までツケを回す、一体どうなってるんだ、日本政府の財政政策は。まあ無能な麻生ぼっちゃんを財務大臣に据えて、やりたい放題の安倍政権だから、仕方ないか。誰が安倍を首相にしたんだえ。


★<冬の季節風から白砂を守る 和歌山・白良浜に防砂ネット>和歌山県白浜町の白良浜で、冬の季節風で白砂が飛散しないようにする防砂ネットが設置された。昭和57年から続く白浜の冬の風物詩で、来年3月中旬まで設置される。

白良浜の砂はオーストラリアの砂漠の砂を使用。粒子が細かく風に飛びやすいため町が毎年この時期に漁網を使った防砂ネットを張っている。風で飛び散る砂をネットが受けて落ちるという。この日は町職員13人が作業。スコップで深さ約60cmの穴を掘り、長さ約1.5mの木杭を約2m間隔で打ち込んだ後、約30mのネットを二重にして張り、ひもで固定。約3時間かけて620mの浜辺に22列のネットを張った。

神奈川県横須賀市から家族と来たという女性(60)は『いつ来てもきれいな浜で、こうして白砂を守っていたのですね』と話していた。白良浜が砂を入れていたのは知っていたが、オーストラリアのものだとはねえ。せめて、鳥取か千里浜のものだったらいいのになあ。


★<「あまりにひどい」全会一致の解任劇 日産取締役会>ゴーン元会長とケリー元代表取締役。『これがカルロス・ゴーン氏とグレッグ・ケリー氏の不正に関する内部調査報告書になります。皆様、お目通しください』。

22日午後4時半、横浜市の日産自動車本社の役員会議室に西川広人社長以下、5人の取締役が着席した。備え付けられた液晶モニターにはビデオ中継で、ルノー出身の2人の取締役の姿が映る。臨時取締役会の冒頭、居並ぶ取締役に担当者がこう話すと、役員は配られた資料に一斉に目を落とした。

『あまりにもひどい』。目を通し終えた取締役は自分の目を疑った。会社の資金を不正に使ったり、自身の報酬を低く有価証券報告書に記載させたりした手口が詳細に記されている。ここでルノー出身の2人の取締役が発言を求める。『日本の司法手続きなどももっと詳しく説明されないと、全てを理解することはできない』と。


『最初は2人ともかなり日産に対して疑心暗鬼になっていた』、ある役員は振り返る。ここからおよそ2時間、2人を中心に会社側からさらに詳細な事実関係の説明が始まった。『そういうことですか。承知しました』――。2人は会社側からの詳しい説明に次第に表情を変える。ゴーン元会長らの不正は否定しきれないと分かると、ようやく納得した。

西川社長はこれを見て取ると全役員を見回して語りかけた。『一旦20分ほど休憩しましょう。議案の決議はその後に取ります』。役員陣が同意すると、続けてこう呼びかけた。『日産とルノー、三菱自動車3社のアライアンスを今後も一緒に維持、発展させていこうじゃありませんか』。画面の先に映る2人の外国人取締役もうなずいた。

『皆さん、賛成いただけるでしょうか』。午後7時半、取締役会を再開すると、全取締役は一致してゴーン元会長らの解任議案などに賛成した。ルノーから経営危機の日産を立て直す『再建請負人』として派遣されて19年。カリスマ経営者が日産から追放された瞬間だった。


★<記載逃れは120億円か>共同通信によると、ゴーン容疑者が有価証券報告書に記載しなかった報酬は、少なくとも総額120億円前後とみられていると。ゴーン容疑者が実際の報酬額と報告書に記載する額を、側近のケリー容疑者に書面で具体的に指示していたことも判明したと。東京地検特捜部は、この書面を押収し、虚偽記載の実態解明を進めている。


★<『オオサカ!』コール、万博決定に沸く道頓堀>約半世紀ぶりの『大阪万博』の実現を目指し、誘致を進めてきた大阪。万博誘致に期待してきた人たちが、開催地決定に歓喜した。関西の政財界幹部らは23日深夜、大阪・中之島のホテルに集合。大型スクリーンにBIE総会の映像が映し出され、国会議員や地方議員、財界幹部、大阪府、大阪市の職員ら約300人が見入った。大阪府の新井純副知事は『大阪が世界に認められたことが非常にうれしい』と喜んだ。

大阪・道頓堀には、23日深夜から地元の商店街関係者らが集まった。ビルの壁の大型ビジョンには、BIE総会の様子が映し出された。開催地に決まると、くす玉が割られ、『オオサカ! オオサカ!』とコールがわき起こった。

道頓堀には「万博おばあちゃん」と呼ばれる愛知県瀬戸市の山田外美代さん(69)もいて、『やったー』と何度も叫んだ。世界各地の万博に足を運んできた。1970年の大阪万博では会場に4回通った。『25年万博は、会場に毎日通います。せっかく決まったので、賛成の人も反対の人も一つになって開催の日を迎えてほしい』と興奮した様子で話した。

東京一極集中で、大阪の地盤沈下が目立つ昨今、この万博を起爆剤に復権してほしいねえ。ウメキタの再開発や御堂筋もリニューアルされることでもあるし。他人事ながら大阪が元気になるのは嬉しい。

『「カープの星飛雄馬「鈴木誠也伝説⑯」 「努力に勝る天才あり」』

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今日の画像は、今週号『ゴルゴ13連載50周年』、実写映画主演の高倉健さんのビッグコミックの表紙と『鈴木誠也』。そして、宮島弥山で出会ったちびっこ達。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

宮島弥山トレッキングで、駒ガ林から紅葉谷下山道へう回の途中、『水かけ地蔵』辺りで、ちびっ子50人ほどとすれ違いました。小学校1年生頃とみられる子供達が、めだかのように下山の途中らしく。登山はロープを使ったのであろうと、不思議に私が紅葉谷ルートで下り、ちびっ子達が聖護院ルートで下ったのが、宮島の神殿そばでばったりと遭遇。まあめったに見られない偶然に、私自身が驚いた次第です。


★★★2016年のことだった。フィギュアスケートの『浅田真央』が、惜しまれながら現役を引退した。その大胆にして華麗なスケーティングから、真央を『天才』と呼ぶ人は多かった。確かに少女時代の真央のスケーティングを見ていたら『天才少女』と呼ぶ人の気持は大変よく分かる。しかし、競技者として脂の乗り切った時期で言えば、彼女は『天才』よりも『努力』の魂のような人だった。

しかし、この『寸暇を惜しんで練習する』姿に、彼女を指導していた佐藤信夫コーチは頭を痛めていた。熟考の末、彼がかけた言葉が、少しだけ彼女の心を動かした。『休むことも、大切な練習の一つではないか』。ほんの少しだけ、休むことの大切さを認識し始めた真央は、その後、重大な決断を下す。2014年のソチ五輪の後、心身の疲労を理由に休養を宣言した。そして記者団には微妙な言葉を残した。『(復帰の可能性は)ハーフ、ハーフだ』と。

その後、真央は1年間のブランクを経て復帰した。真央の本当の姿は、人並みをはるかに超えた練習量に支えられた『努力の人』だったのである。ただ、どうしても真央に『天才』という言葉を冠したい人がいる。それはそれでいいのではないか。なぜなら、真央は『絶え間なく練習することが出来る人=天才』なのだから。

この点については、発明王『エジソン』の言葉が参考になる。エジソンは当時、数々の発明によって世間から『天才』と呼ばれていた。しかし彼はこう言った。『我の今日あるは、1%の天才と99%の努力の賜である』と。あの発明王・エジソンでさえ多くの発明が不断の努力から生まれたと言っているのである。真央に付いて言えば、『努力に勝る天才なし』ではなく、『努力に勝る天才あり』だったのではないか。


この真央の『努力と天才』の関係は、そのまま『誠也』にも当てはまる。誠也の2年目、2014年。プロになってから1年が過ぎ、誠也は、年末年始に荒川の実家に帰った。誠也は、新年のカウントダウンの時でも実家でバットを握っていた。その理由について、こう語っている。『世界中でカウントダウンの瞬間に、バットを握っている人なんかいないだろうと思って・・・・・』と。誠也はオフの時間を過ごしている時でもバットから遠ざかることはなかった。

そのシーズンオフ。誠也は筋力をために、生まれて初めてウエイトトレーニングに取り組んだ。若い体はすぐに効果が表れる。そのトレーニングによって、体重が78キロから87キロに増えた。『体が重くなり、少しやりすぎたかなあ、という感じもある』。誠也の体は、ウエイトトレーニングの繰り返しによって、少しずつ打者らしくなっていった。(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)


★松田耕平追想А 慳邉紊砲泙弔錣觧廚そ弌獣櫺叱彷圭
カープの立派なるリーグ3連覇。巨人以外成し遂げていないこの記録を一番喜んでおられるのは、天上の『松田耕平前オーナー』ではなかろうか。各界から寄せられたオーナー追想の記から、故人の在りし日を偲びたい。

長いつきあいだった。書きたいことは多いが、野球のことに絞りたい。
その1 カープが日本一になった時カープ対近鉄の日本シリーズの第7戦。
小雨の降る、寒い大阪球場だった。鶴岡一人さんが雨のかからぬネット裏のNHKの放送室の近くに入れてくれた。近畿広島県人会の幹部と手に汗を握って見ていた。最後はその後『江夏の21球』と言われる瞬間である。

何はさておき、松田さんをカープの席に訪ねてお祝いをと会いに行ったら、『探していましたよ。頼みがある。今から宿舎のホテルに帰って、大阪のスポーツ記者会を招いて披露することになった。出席して下さい。そして広島の代表として挨拶してくれよ』と。鶴岡先輩も『そうしなさい』と言う。帰りの新幹線を遅らせて出席した。

耕平さんの挨拶は『カープの今日あるのは広島県市民の応援と監督以下選手の努力の賜物です。そのすべての応援者に感謝しています』と言う趣旨の簡単で謙虚なものだった。そばにいて、大阪のスポーツ記者諸君にいい印象を与えたと思った。これを契機に、カープは昭和50年代、4度のリーグ優勝と、3度の日本一となり、黄金時代、広島の時代を迎えることになった。


その2 カープアカデミーをつくるのだ。
何時だったか、正確な日は忘れたが、カープの応援で球場に行った時、時間があったので久方ぶりにオーナーの部屋に立ち寄った。その時大変な話しを聞いた。要約すると、アメリカに土地を買い、自前で若い選手を育てて、広島に連れてくる。選手の自給自足システムを作る。カープ強化の長期計画である。経費は日本よりはるかに安くあがり経済的である。調査をさせているが、場所はアメリカより南の方の島になるかも知れぬ。こういうことであった。企業家、経営者としての考え方が出ているなと思った。

考えてみると松田さんは特別進取の気性があった。ローターリーエンジンの場合もそうだった。日本のプロ野球で初めてアメリカ・アリゾナ州で1カ月のキャンプをして、選手にアメリカの空気を吸わせているし、その時インディアンスのコーチのジョー・ルーツと縁が出来、彼はその後根本監督の推薦で、外国人として初めて日本のプロ野球の監督になり、赤ヘルのユニホームなど燃えるような『赤』を取り入れた。


さて、3番目は野球学校を作るのだ、というところまで来たかと感じた。その後、場所はドミニカ共和国に決まった。土地の確保まで進んでいると言う。これはまた驚いた。ドミニカというところはどこにあるのか。日本人にはおよそ縁遠いところである。県庁国際交流課から外務省に頼んで資料集めをした。ドミニカ共和国広島県人会があることになっているが、音信不通となっている。県の方から連絡を取ったら、すぐ返信があった。いくらでも協力する、日本の野球とか、広島の最近の資料を送れと言ってきた。

アメリカ・フロリダ半島のその南がキューバ。そのやや南に、西からジャマイカ、ハイチ、ドミニカ、米領のプエルトリコが並んでいる。資料を見ると、それは貧しい農業国らいしいが、国民は人情味を尊び、陽気でアミーゴ・友を何より大事にする。おおらかなラテン的な気質のようだ。

アメリカ大リーグも目をつけ、ドミニカ出身の大リーガーは70人以上、豊かな才能に恵まれた選手は引く手あまたとなっているようだ。数年前、米大リーガーでマグワイアとホームラン争いをしたサミー・ソーサはドミニカ出身の英雄である。彼は『広島東洋カープアカデミー・オブ・ベースボール』のある、サンペドロ・デ・マリコスの近くの生まれであると言う。

宝の山にアカデミーが出来た。90年11月29日、ドミニカ大統領を迎えて開講式をした。『一緒に行ってくれ』と熱心に誘われたが11月末から12月にかけて県議会の開催、政府の予算編成その他で一番私にとっては忙しい時期であったので、一週間とって同行することは出来なかった。

あとでもらった資料を見ると、耕平さんは挨拶の中で『このアカデミーで育成したドミニカ共和国の若い素質のある選手が日本のプロ球界で活躍してくれることが私どもの願いであり、夢でもあります。その願いと夢が実現することが、日本とドミニカ共和国のスポーツの交流、発展さらに両国の友好親善を一層深めることになると確信しています。そのためにも、このアカデミーの選手達を大切に育てて行きたいと念じています』と。耕平さんの夢と願いを実現してくれるように後進の方々の努力に期待している。(竹下虎之助 前広島県知事(当時))


★<焼酎企業別売上高>焼酎メーカーの2017年の売上高上位の順位を見て、少なからず驚いた。一位の『霧島酒造』が、日本酒のトップメーカー『白鶴酒造』をはるかに引き離しているからだ。白鶴酒造の2016年の売上高はほぼ350億円、それに対し霧島酒造は2017年の数値なれど682億円だ。とても日本酒メーカーは太刀打ちできない。やっぱり日本人は、酔うために酒を飲むのかなあ。日本酒メーカーで特筆的なのは、1990年、まさに『酔う酒から、味わう酒』に方向転換し、『獺祭』を開発してわずか30年弱で8位入りした岩国市の『旭酒造』だろう。広島県は西条が酒どころとしてブランドも多く、有名だが、そのトップ『賀茂鶴』でさえ売上高はたった30億円。必死の努力が旭酒造・獺祭をここまで躍進させたのであろうが、あまりに情けない広島県の酒造メーカーではある。

<焼酎メーカー売上順位 2017年>
〔古膽鯊ぁ 黒霧島       682億円
∋囲村鯲 いいちご   464
オエノンHD 鍛高譚タンタカタン 396
け棲ぜ鯊 いいとも 169
テ鶻堂酒造  二階堂 155
ι妖勅鯊 海童 132
Щ摩酒造 さつま白波 118
┝秕昭鯊 薩摩一 74
高橋酒造 白岳 69
本坊酒造 桜島 68
 ´さ楮蠍、↓ヂ臺県、E豕圈↓ΝЛ┃鹿児島県、熊本県


<日本酒メーカー売上順位 2016年>
’鯆畆鯊 白鶴 348
月桂冠 月桂冠 273
JHD 松竹梅 248
ぢ膣 大関 248
テ楡 日本盛 147
小山本本家酒造 金紋世界鷹 113
У得欺ー鯊 菊正宗 110
┛絢鯊 獺祭 108
黄桜 黄桜 100
オエノンHD 大雪乃蔵 91
 ´きキ兵庫県、↓京都府、埼玉県、┿蓋、東京都


★<名字トリビア 江戸時代「橋」がつく名字は憧れだった >歴女ブームで自分のルーツを探りたい人が増えたからなのか、じわじわと関心が高まっているというのが日本人の『名字』だ。そこで、名字に関するトリビアを紹介する。全国に約175万人いるといわれる鈴木さん。『鈴木姓のルーツは和歌山ですが、栄えたのは三河国(現・愛知県)の鈴木一族です。彼らは徳川家康に仕え、東へと向かいました。その中で、土着した人が東日本には多くいたため、西より東の方に多い名前となっています』(姓氏研究家の森岡浩さん・以下同)、と。

佐藤さんに限らず、名字に“藤”がつく人は、藤原一族にかかわりがある場合が多い。『平安時代、藤原家のことを“とうけ”と呼び、その一族は“~藤”と呼ばれていました。“~”の部分は、役職や住んだ地域によって変わり、例えば、左衛門府の役人は“左”に“にんべん”をつけて佐藤、伊勢に住んだ人は伊藤と名乗るようになったのです』。

水面から高いところにかけられた橋に由来するのが“高橋“という名字。『江戸時代の橋は交通の要所。その近くに住むことはステータスとされていました。このほか大橋さん、橋本さんなど橋がつく名字はイメージがよく、憧れられていたようです』。

苗字の由来にもいろいろあるんだなあ。まあ『藤』が、藤原家をもじって使われたのはよく知られている事実だが。佐藤、藤原、伊藤、江藤、加藤、須藤、藤本、藤川、藤木、藤井、藤田、藤堂・・・。難しい。


★<感謝祭に感謝! 掃除中の夫婦が100万ドル超えの宝くじ券発見>米ルイジアナ州で、感謝祭に向けて家を掃除していた夫婦が長らく当選確認を忘れていた宝くじ券を発見し、100万ドルを超える当選金を手にする出来事があった。くじの換金期限は2週間後に迫っていた。

ハロルド・エレンバーグさんとティナさん夫妻は休暇前の掃除中に宝くじ券を発見。このうち1枚が、6月6日の抽選で180万ドル(約2億350万円)に当選していた。宝くじを運営するルイジアナ・ロッテリーよると、ティナさんは『感謝祭で親族が来るので家を掃除していたら、ベッド脇のテーブルに結果を確認していない宝くじの券が何枚かあった』と説明している。

夫妻はルイジアナ・ロッテリーのウェブサイトを調べ、見つけた券の番号がサイト上の番号とすべて一致することと、180日の換金期間終了まで2週間しかないことに気づいた。州と連邦に収める税金を除いても、夫婦の手元には127万ドル(約1億4400万円)が残る。当選金を使う計画はなく、退職後のため取っておくという。世の中には本当にうらやましい人がいるんだなあ。


★<『ゴルゴ13』一度も休載なく連載50周年 『ビッグコミック』表紙は実写映画主演の高倉健さん> 1968年から『ビッグコミック』(小学館)で連載中の『ゴルゴ13』(作者:さいとう・たかを)が24日、一度の休載もなく連載50周年を迎えた。この日発売された同誌23号は『連載50周年記念、永久不滅の「ゴルゴ13」』記念号と銘打ち、表紙や巻頭カラー、付録などで同誌をジャック。表紙は73年の実写映画で主演を務めた俳優の高倉健さんで、『ゴルゴ13』ことデューク東郷に扮したスナイパーの顔を見せている。

『ゴルゴ13』は、超一流のスナイパー『ゴルゴ13』ことデューク東郷の活躍を描いたスパイアクション。世界各地の戦争・紛争、ゲリラ活動や最新テクノロジー、歴史問題、芸術、スポーツなど題材が多岐にわたる。連載中の漫画としては現在、日本一の長寿漫画。コミックスは190巻まで発売されており、同一タイトルで100巻以上刊行されている作品としては『こちら葛飾区亀有公園前派出所』全200巻に次ぐ2番目の多さで更新を続けている。

『ビッグコミック』は今年3月、創刊50周年記念号の表紙に矢沢永吉を起用したが、今回はともに歴史を歩んできた『ゴルゴ13』に対して、連載50年を祝うさまざまな企画を用意した。表紙は実写映画『ゴルゴ13』(73年公開)で主演を務めた高倉健さんで、鋭い眼光のスナイパー姿が描かれている。巻頭カラーでは『ゴルゴ13』歴代グッズ特集などを掲載。ゴルゴファンというお笑いコンビ・インパルスの板倉俊之が解説する。さらに『デビルマン』『キューティーハニー』などで知られる永井豪さんが70年に描いたパロディ漫画『ゴルゴ17 18 19(ハイティーン)』が、48年ぶりに再収録されている。

そのほか『ゴルゴ13』×カードゲーム『デュエル・マスターズ』のコラボカードの付録付き。銃ではなく鉄パイプを持つ“レア”カードとなっている。連載50周年を記念した腕時計などのプレゼント企画も行われ、漫画アプリ『マンガワン』で読者が選んだ傑作エピソード全1300ページが30日まで無料で公開される。


◇同一タイトルで100巻以上刊行されている漫画(2018年11月23日現在)
1位:『こちら葛飾区亀有公園前派出所』全200巻
2位:『ゴルゴ13』190巻(連載中)
3位:『ミナミの帝王』150巻(連載中)
4位:『クッキングパパ』147巻(連載中)
5位:『はじめの一歩』123巻(連載中)
6位:『浮浪雲』全112巻
7位:『美味しんぼ』111巻(連載中)
8位:『弐十手物語』全110巻
9位:『静かなるドン』全108巻
10位:『あぶさん』全107巻
11位:『鬼平犯科帳』105巻(連載中)
12位:『釣りバカ日誌』100巻(連載中)
12位:『パタリロ!』100巻(連載中)
12位:『あさりちゃん』全100巻


★<さもありなん、中国のウイグル人迫害>『反抗すれば24時間立ち続け』がウイグル収容施設の実態だ。中国新疆ウイグル自治区で少数民族の住民らが『再教育施設』に収容されているとされる問題で、施設で拘束されていたというカザフスタン国籍の男性が、東京都内で講演し、『地獄のような弾圧を受けた』と経験を語った。

男性は、同自治区出身でウイグル人とカザフ人の両親を持つオムル・ベカリさん(42)。2006年にカザフ国籍を取得し、カザフ国内で旅行会社に勤めていたオムルさんは実家に立ち寄った昨年3月、突然拘束された。施設に連行され、国家分裂罪など三つの罪を認めるように迫られた。カザフ国民であることを伝え、大使館や弁護士と連絡をとるよう訴えたが、拒否されたと訴えた。

オムルさんによると、施設では小さな窓しかない部屋に数十人が押し込まれ、睡眠や食事のほか、排泄もこの部屋でするよう命じられた。午前4時前に起床し、党の政策を学んだり、党をたたえる歌を歌ったりした。食事の時間などをはさみ、学習は日付が変わるまで続いたという。習近平国家主席や共産党への感謝を述べるよう強いられ、イスラム教を否定するような発言やイスラム教が禁じている豚肉を食べるよう命じられることもあったという。


オムルさんは『反抗的な態度をとると、鎖で手足を縛られたまま壁の前で24時間立ち続けるなどの罰があった。収容者の中には衰弱して死亡する人もいた』などと語った。オムルさんはカザフ大使館の働きかけで8カ月後に解放されたが、多くの親族が拘束されたままで、父親は今年9月、施設内で死亡したという。

『中国政府が主張するような教育の場所ではなく、民族浄化のための施設だ』と時折、涙を流しながら訴えた。さもありなん『中華人民共和国』だな。共産党、一党独裁を保つため、秘密警察を筆頭に、共産党員など網の目をはらした情報網で人民を管理しているのだろう。少数民族独立運動にはとりわけ神経過敏だが、やがてソ連が瓦解した歴礎をやはり中華人民共和国も迎える時期が来るだろうなあ、何時かは特定出来ないものの。


★<J1、後半AT15分から前代未聞の乱闘騒動 神戸FWが退場処分に激高…相手GKを投げ飛ばす蛮行>
3-3で迎えた後半アディショナル、神戸FWウェリントンの衝撃行動に会場騒然
24日にIAIスタジアム日本平で行われたJ1第33節の清水エスパルスとヴィッセル神戸は物々しい雰囲気のなかで試合終了を迎えた。後半アディショナルタイム15分に両軍が入り乱れる乱闘騒動が勃発したのを発端に、その後に退場処分を言い渡された神戸FWウェリントンが判定に激高し、間に入った清水GK六反勇治を投げ飛ばす衝撃行動で会場が騒然となった。

試合は白熱の展開となった。前半26分、MFイニエスタの華麗なループパスからMF藤田直之が決めて神戸が先制。同39分にMF河井陽介のゴールで清水が追いつくも、後半7分にFW古橋亨梧、同17分にMF三田啓貴と神戸が連続ゴールを決めて3-1と突き放した。一方の清水も、終了間際の同42分にFWドウグラスが1点を返すと、アディショナルタイム14分にはCKで攻撃参加していた清水のGK六反勇治が、渾身のヘディングシュートで同点ゴールを決めた。


3-3で終了するかと思われたが、アディショナルタイム15分に乱闘騒動が起きてしまう。清水MF石毛秀樹がスローインのボールを受けた場面で、神戸FWウェリントンが体を激しくぶつけるタックルをお見舞い。このプレーの直後に相手ベンチと言い合いを始めたウェリントンを中心に両軍の選手が集まり、一気に人だかりが生まれて揉み合いとなった。神戸FWルーカス・ポドルスキもエキサイトしたが、イニエスタらが仲裁に入って騒動は一度収束した。

ところが、清水のFKで試合が再開したかと思われた直後、主審がウェリントンを呼んで2枚目の警告を提示。この判定にウェリントンが抗議するなか、清水GK六反が間に割って入り、仲裁しようとした瞬間、ウェリントンが六反の胸元をつかみながら後方に飛ばすように放り投げた。六反はピッチ上に転げ回り、再び騒然とした雰囲気に包まれた。

後半アディショナルタイム15分という深い時間から始まった乱闘騒動はその後に収まり、3-3で試合は終了。しかし、試合後の整列時もポドルスキが感情を露わにするなど荒れた展開となってしまった。

何という荒れようだろうか。まあ、神戸がここのところふがいない試合をしていたので、かなりプレッシャーを受けていたのだろうなあ。それにしても、すごい乱闘だ。


★<カープ、来季のスローガン>カープの来季のスローガンが『水金地火木ドッテンカープ』だそうだ。その心は、不明、なり。まあ、休みなく、努力し、4連覇へ繋げるということかな。

カープ広報室は『様々な特徴を持ちながらも同じ方向に公転する太陽系の家族である惑星、カープも「家族」のようなチームワークで戦ってまいります。デザインには、キャッチフレーズをリズムよくラップで刻むキャラクターを採用しました。リズムよくセ・リーグ4連覇、そして日本一を達成できるように突き進み、太陽系で1番輝くチームを目指します。ファンの皆様にもラップを刻むように口ずさんでいただければと思います』とのコメントを発表している。要は『一致団結』かえな。


★<丸 巨人と初交渉 原監督も>広島から国内FA宣言した丸佳浩外野手(29)が24日、都内のホテルで巨人と初めて入団交渉を行った。席上では5年総額30億円超という球団史上最高規模の条件と、指揮官が現役時代につけた背番号8を提示した。指揮官の出馬という熱意に加え、条件面では広島、ロッテを大きくリードした。

残留交渉を行った広島、同じく丸の獲得に乗り出しているロッテに続き、大トリでの交渉となった。最大限の誠意を示すべく、石井一夫球団社長とともに、原監督が同席。原監督は『ジャイアンツとして、監督として、誠意をお話しすることができました。あとは吉報を待つという心境でございます』と話した。詳しい交渉内容や条件については『今日に関しては留めておきたい。吉報が出次第、色々お話したい』とした。

丸は22日にロッテと初交渉を行った。広島残留の可能性も含め、3球団の中から熟慮する。


丸はロッテと初交渉した時には『熱意も感じましたし、一緒に千葉を盛り上げようという話もいただきました』と語っていた。さらに『何度も会うと長引いてしまうので、ズルズルいかないようにはしたい。カープの思いも十分分かっているつもりなので』と強調。ロッテに加え、19日に話し合いの場を持った広島とも再交渉はしない予定を示唆。巨人との交渉が“最後の交渉”となる見込み。

巨人はこの日、西武からFA権を行使した炭谷銀仁朗捕手(31)の獲得を発表。21日には新外国人選手として今季メジャー20本塁打のパドレスのクリスチャン・ビヤヌエバ内野手(27)、22日にはオリックスを自由契約となった中島宏之内野手(36)の獲得を発表と、原新監督の下、大型補強を進めている。

しっかし何だねえ。あれこれいっぱい集めて、一体巨人はどうするのだろうか。中島のような年寄りを取って、若手の芽をつむ旧来の巨人に帰ってしまったのかしら。丸君、もうカープファンは半分諦めているな、原監督に丸め込まれているだろうから、な。
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