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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『追悼「島倉千代子という人生」』

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島倉千代子は長い間、16歳でデビューした曲『この世の花』は自分のために書かれた曲だと信じていた。『実は別の歌手のために用意されていたんだよ』と教えてくれたのはコロンビア・トップだという。それを知った途端、島倉はスタジオで膝の震えが止まらなくなった。

それは『東京のバスガール』で有名な初代コロンビア・ローズのために書かれた曲だったというのである。島倉が早い段階からこの事実を知っていたら、彼女の性格からして『この世の花』を歌うことにかなり抵抗を感じたに違いない。島倉にはどうしても歌手になりたい、ならなければ、という切羽詰まったものはなかった。しかし漠然としながら子供の頃から、何か芸で身を立てたいという気持ちはあったようだ。14歳の頃、日劇ダンシングチームの試験を受けたりしている。美空ひばりの『越後獅子の唄』にあこがれた島倉は、この歌を聴いた時、何となく歌手になりたいな、と思ったことはあったらしい。しかしそれが簡単でないことは島倉自身よく知っていた。

『この世の花』のレコーディングには作詞の西条八十と作曲の万城目正が立ち会った。早稲田大学の教授で著名な詩人でもあった西条は、新人の島倉にも優しく、終始にこにこしていた。孫のような島倉に『よかったよ』と声をかけた。万城目は厳しかった。『コンクールの時は、太鼓の破れたような面白い声だったじゃないか。どうしたんだ』と罵倒される。挙げ句は『歌の下手な子だねえ』である。コンクールで歌った『涙のグラス』は男の歌である。万城目が『太鼓の破れたような声』と言ったのは、出にくい低音の音が二小節も続き、誰も真似が出来ないこの低音部のことを万条目は指摘したのである。

昭和30年の島倉のデビュー当時のレコードはいわゆる『ドロ盤』と呼ばれる78回転である。落とせば割れてしまうものだ。A面が『この世の花』、B面は西条、万条目コンビの作品『あゝ若き日よ、どこへゆく』である。当時、人気絶頂だった霧島昇とコロンビア・ローズのデュエット曲だ。有望な新人を売り出す時、当時は人気歌手の曲と組み合わせ、新人をA面にするということがよく行われた。

歌詞カードには『島倉千代子紹介』という短い文章がついている。写真は高島田姿の島倉である。『昨年行われた第5回コロンビア全国歌謡コンクールに東京代表として参加、多数の応募者の中から慎重厳選の結果、第1位に選ばれ、今度準専属歌手として入社、その群を抜いた音質と巧みなテクニックは、流行歌に新しい分野を拓いてゆくものと非常に有望視されてをります。今回のデビュー盤「この世の花」は彼女の快心の出来映えで皆様に御愛聴頂けるものと信じます。 生年月日 昭和13年3月30日 住所 東京都品川区北品川2-56 日本音楽高等学校在学中』。

驚くことに住所まで載せているのである。また、歌詞カードの題名の頭には『流行歌』という言葉がついている。『演歌』でも『歌謡曲』でもない、当時は『流行歌』と称したのである。(・・をります。=は原文のまま)

それにしても芸能人は気の毒だと思う。島倉は仕事以外の時は、Tシャツにジーンズである。外に出る時は眼鏡をかけ、野球帽をかぶるが、地味な格好をしてもだいたい気付かれてしまう。いくらすっぴんでも気付かれてしまう。仕事が仕事だし、車での送迎という生活なので電車に乗った経験があまりない。取材で私は中央線東小金井に住む作詞家星野哲朗を島倉と一緒に訪問したことがある。道路が混みそうだったので、私は電車で行きませんか、と島倉に持ちかけた。小田急で下北沢まで行き、井の頭線に乗り換えて吉祥寺へ。吉祥寺から中央線で東小金井へという小一時間の小さな旅であった。

電車に乗った島倉は、こちらが当惑するほどはしゃいだ。山奥から初めて都会に出てきた人間のように、見るもののほとんどに興味を示した。しかし空いている席に座ろうとはしなかった。座れば目の前にいる客の誰かが必ず、じろじろ見る。それが耐えられないらしい。公衆の面前で、『島倉さん』と私が呼んでしまったりすると露骨にいやな顔をする。それほど神経過敏になる必要はないのではと私は思うが、おそらく過去に何度も不愉快な目に遭っているのだろう。それを思うと気の毒になってくる。  
  
♪こころで好きと 叫んでも 口では言えず たゞあの人と
♪小さな傘を かたむけた あゝ あの日は雨
♪雨の小径に 白い仄かな からたち からたち からたちの花
♪(セリフ) 幸せになろうね あの人は言いました 
♪わたしは 小さくうなずいただけで 胸がいっぱいでした
(参考: 田勢康弘著『島倉千代子という人生』 新潮文庫刊)

島倉千代子らしいエピソードです。著者の田勢さんは、日本経済新聞の記者でワシントン支局長まで務めた政治屋。島倉千代子の人生をかくも客観的に描き、すっぴんの千代子を文にした腕前はなるほど、日経の記者だけある、と感嘆させられます。それにしても、不幸な運命の連続だった島倉千代子。天国で好きだったひばりさんとデュエットを楽しんでくださいませ。 (-_☆) 

★いろんな事情があるとは推察するものの、これには驚きました。広島市の安佐北病院を移設・新設することで地元の利害が対立していると。利害の対立は建設場所の問題で、遠くなる、近い方がいい、とか次元の低いもの。注目は『建設30年で建て替える』という愚にもつかぬ理由。なんで病院がたった30年で建て替えなければならないのか。理由として考えられるのは、建設時の将来予想、展望が貧弱で現在の地域医療に耐えないものか、あるいはとっぴょうしもなく近代的な病院に建て替えるための予算・費用があり余っているのか。

今、広島市内で一番古い総合病院は、広島駅北の鉄道病院。建設は1963年、丁度50年前のもの。安佐北病院とは20年も寿命の差があります。先年立て替えが始まったマツダ病院は1961年の建設で、52年目の建て替えとなります。

政府も自治体も、人のカネ=税金を使うのに何の躊躇もないのですねえ。自分のカネだったらもっと大切に使うはずだし、丁寧に病院の手入れをしていたはず。1,000兆円の大借金がありながら、政府専用機を2機に増やす、この官僚の手前勝手な理屈が積み重なり、国家の財政破綻は限りなく続くのでしょうねえ。広島市も1兆円近い借財があります。なのにこのテイラク。税金を払うこと自体に嫌気がさします。(@_@)

★今日、広島地方は寒いです。北風が強く、遠方の山は吹雪が吹いているようにも見えましたが、これは幻想でしょうねえ。まだ11月ですから。(@_@)

■今日の画像は、ありし日『元気いっぱいのお千代さん』と、『美しきヒメツルソバ』です。晩秋のヒメツルソバ、寂しさと美しさと、そして希望を与えてくれます。(^.^)



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