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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『プレミアブランド小話② ポルシェに高いブランド満足を感じた』

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今日の画像は、全日空の世界最大の旅客機、エアバスA380の『空飛ぶウミガメ2号機』。そして江田島・クマン岳から切串港への下山道です。この道は大きな岩などが露出し、また瀬戸内の景観を身ながら歩けるとても爽やかな登山道です。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

今春の江田島トレッキングは、ミモザの大満開に出会え、まさに大満足でした。(#^.^#)


★★★私は小学生の頃からポルシェに憧れ続け、40代になって実際に手に入れることが出来、高い満足感を味わいつつ15年に亘って保有した。1989年式の空冷911カレラから最新のボクスターGTSまで、様々なポルシェに乗った。この間に多くのポルシェオーナーと知り合うことが出来、彼らに共通するブランド愛とブランドへのこだわりを実感した。ポルシェ専門メカニックとも親しくなり、技術的な知識も得ることが出来た。今では思うところがあってポルシェを降りたのだが、それが結果として、それまで自分自身のブランドへの意識を客観的に捉え直すことに繋がった。

ブランドに深く関わる業務経験と個人的実体験から、日本ブランドが欧州プレミアムブランドに対抗出来ない理由が明確になってきた。

BMWは何故、現在の高いブランドイメージを獲得出来ているのか。日本で普通に暮らして居ると、欧州ブランドは昔から高いブランドイメージがあったような気になるが、BMWの業務に携わることで、それが彼らの戦略と努力の結果であることが分かった。また、その地位に胡座をかくことなく、製品のレベルアップと共にブランドイメージの維持・強化のために多大な努力とコストが注がれていることも見逃すことが出来ない。

トヨタは素晴らしい製品を作っており、高級車レクサスも製品としては素晴らしいが、何故アメリカ以外では売れないのか。投入から30年近く経っているのに、ブランドの位置づけが何故未だに曖昧なのか。その理由も、レクサスとBMWの両方の業務を経験することではっきりと分かってきた。あれだけ光輝いていたソニーがなぜ凋落したのか、それも業務でソニーに直接触れることにより肌感覚で理解できた。


レクサスとBMWの違いを認識した上で他業界も俯瞰すると、プレミアム領域においては時計業界、ファッション業界、化粧品業界などで日本企業が良い製品を作っても、結局は欧州ブランドにブランドイメージで負けてしまう、という構図がほぼ共通の理由で生まれているように思えてきた。

商品カテゴリーを問わず、日本人は欧州プレミアムブランドが大好きである。しかし、欧州プレミアムブランドが何故これだけ強いブランドイメージを築けているのか、なぜ高い価格で喜んで買ってもらえることが出来るのか、何故自分自身も喜んで買っているのか、つまりプレミアムブランドの本質について、日本人は分かっているようで分かっていないのではないかと感じるよにもなった。

一体どのようにすれば欧州プレミアムブランドのように高収益を上げながら、顧客の心の満足も高めることが出来るのか。専門分野である自動車、特にトヨタ、レクサス、BMW、ポルシェと最近注目しているマツダを中心にしながら、欧州プレミアムブランドの強さの源泉を探り、今までの日本ブランドの問題点を明らかにしてみたい。(参考: 山崎明著『マツダがBMWを超える日』)


■■■『玉置宏の「昔の話で、ございます」◆〇斡胸庵厂蕕鵬聴Δられる』
昔、昔、その昔、『ロッテ歌のアルバムの司会者』として一世を風靡し、日本歌謡界の発展に尽くした『司会者・玉置宏』。その玉置さんが、遺作として自分の辿った歌謡界を綴っている。昭和の昔が懐かしい。川崎市生まれ、1934年1月5日 - 2010年2月11日、享年75歳。


★★★私がラジオアナウンサーとしてスタートした昭和31年(1956)の歌謡曲のヒットは、後に始まる『ロッテ歌のアルバム』第1回のゲスト、曽根史郎さんの『若いお巡りさん』と山田真二さんの『哀愁の街に霧が降る』を始め、美空ひばりさんの『波止場だよお父っあん』、鶴田浩二さんの『好きだった』、三橋三智也さんの『リンゴ村から』などがあるが、特に光始めていたのが、島倉千代子さんだった。

今ではお千代さんと呼ばせてもらっているが、中学生の頃から、品川のご町内の若旦那達がメンバーの若旦那楽団の専属歌手という形で、祭などで歌っていた。そしてお千代さんは、昭和29年(1954)16歳で日比谷公会堂で行われた第5回『コロムビア全国歌謡コンクール』に優勝してコロムビアの専属となり『この世の花』でデビュー。昭和30年、古賀政男のメロディーに乗せた『りんどう峠』で一気に花開いた。昭和31年には『東京の人よさようなら』というヒット曲を出し、『あなたの希望歌謡曲』にもリクエストが多く寄せられた。

そして迎えた昭和31年の10月、私のそれからの司会人生において大きな影響力を与えてくれる、三橋三智也さんとの出合いが待っていた。

局の番組改編で、秋から新しく始まる『キング三橋三智也ショー』でのコマーシャル読みに、若手のアナウンサーという指定で、声がかかった。これは夜の7時から始まる週1回の30分番組で、当時人気絶頂だった三橋さんのトークの番組だったが、まだSPが主流の時代に、キングレコードのマザーテープを使って流すのだから、音質が桁違いに良く、それも大きな話題になっていた。


私はただコマーシャルを読むだけなのだが、三橋さんのスケジュールに合わせて、文京区音羽にあるキングレコードへ録音に行く。これが古い木造で、私がコマーシャルを読んでいる最中、飛行機が低空で飛んでくると録音が中止になったりと、新人の私にとっては泣きたくなるようなスタジオだったが、めげずによく通わせてもらった。

三橋さんは4歳ほど年上なのだが、そんな私をなぜか気に入ってくれて、銀座などへも連れて行ってくれるようになり、地方巡業から帰ると『玉ちゃん空いてる?』なんて声が掛かるほど、まるで弟のように可愛がってもらった。

そして昭和31年にヒットした『リンゴ村から』に続いて、昭和32年には『リンゴ花咲く故郷へ』が大ヒット。このリンゴ路線を東映が『ふるさとの唄 哀愁のりんご園』という、三橋さん主演の映画にすることになった。

撮影地には青森と長野が名乗りを挙げて、どちらもリンゴの故郷ということで譲らなかったが、結局三橋さんのスケジュールの都合で東京に近い方が便利であり、長野に決まった。撮影は松本市の郊外りんご園で行われたが、ロケが始まると三橋さんは長野からなかなか戻れず、ラジオのトークの録音が出来ない。そこで、コマーシャルの録音の縁もあるしということで、急遽私が三橋さんのトークを取りに長野県まで行き、初めて『キング三橋三智也ショー』の番組司会として参加させてもらった。

トークの録音は、ハンドルを手で巻くゼンマイ式のデンスケという15リールのポータブル録音機だったが、ちゃんと取れているか心配で、現場ですぐ聞き直して、私と三橋さんのしゃべりを聞いた時には、ほっとしたというより、何か、ありがたいなあとしみじみ思ったことを覚えている。それ以降は、東京の録音でも司会に起用してくれたのだ。(参考: 玉置宏著『昔の話で、ございます』)



★★<新人諸君へ、『人生どの段階でも学べ』>ロンドン・ビジネススクール『リンダ・クラットン教授』が、社会人1年生諸君に『人生のどの段階でも学べ』と諭す。以下。

まず、私達は信じられないほど技術革新のスピードが速い時代を生きているということを知っておきたい。これは2つのことを示唆する。

1つは、医療技術の進展などで寿命が延びるということ。今の20代は90歳、100歳、あるいはそれ以上人生を過ごす。その結果、70代や80代になっても自分のスタイルで働いているのが普通という時代になるだろう。

2つ目はAIやロボット技術の急速な進展により、私達が駆使したり、習得すべきツールや技術が刻々と変化していくという点だ。人生のどの段階でも学習を続ける姿勢が重要で、常に自分のスキルを磨き続ける習慣を人生の前半のうちに身につけることが必要になる。

私は日本の5~6社の企業と仕事をしているが、日本の特徴だった終身雇用は徐々になくなりつつあると思う。終身雇用での企業と社員の関係は親子の関係に近いが、今後は企業とスキルを持った人材とが契約で結ばれる大人同士の関係が増えるだろう。

インターネットを通じて単発の仕事を発注するギグエコノミーが主流になるとまでは言えないが、一人の働き手が会社に勤めながら副業的に他の仕事に挑戦することは意義深い。それが企業や社会から必要とされるスキルやブランドを築くことに繋がれば、より望ましい。そのような社会では、企業側も日本では中心の新卒一括採用ではなく、多様な世代に門戸を広げた採用が必要になり、労働市場もより柔軟になるだろう。

もし私が今20代なら、機械にとって代わられない人間特有の能力を伸ばすことを考える。それは好奇心や共感、さらには社会性のスキルだ。日本のことや世界のことももっと知りたいという強い興味と、同時に他の人々やグループに共感し、それを創造活動に生かすことは機械では置き換えにくい重要な能力だ。


これに加えて、自らが所属する地域や組織を支えるために自分がどのような役割を担えるのか。それを20代の頃から考え続けることが重要で、それには社会性のスキルが不可欠になる。

若い頃を振り返ると、私にとって仕事を選ぶ基準は自分が何を学ことが出来るのか、自分の好奇心を盛り上げ、興味をそそる仕事が出来るのかどうかが核心だった。大学で心理学の博士号を取ったので、その経験を生かそうと英ブリティッシュ・エアウェイズに専属心理学者として就職した。他の企業も経て学究の世界に入ったが、実務で身につけた経験や知識は私の研究や学者としてのキャリアに繋がっている。

もう一つ20代の若者に訴えたいのは、男性が働いて女性が子供の面倒を見る伝統的な家族構造からの脱却だ。ロンドン・ビジネススクールの私のクラスでは、夫に育児休暇を取ってもらい、MBAを目指す女性もいる。

欧州では、成功している女性は子育てに理解の深い夫を持っている。これは日本ではまだ珍しいケースで、働き手と企業の双方が意識を変える必要がある点だ。夫婦が役割を調整しながらお互いに自分の腕を磨きあえる関係を築けば、経済的に豊になり幸福度も増すのは間違いない。

尤もなり、だな。やがて日本もグラットン教授の言われるような社会に急激、急速に近づいて行くのだろうなあ。やっぱり、人生はやりなおせないが、もし私が生まれ変われれば、国際政治を勉強して国連などの機関で仕事をしてみたい。やっぱり勤務先はジュネーブかウィーンだろうなあ。NYは御免だな。


★★<70歳以上も働ける社会とは>政府は、希望する高齢者が70歳まで働ける社会にするための『高齢者雇用安定法改正案』の骨格を発表した。企業の選択肢として7項目を挙げ、70歳まで定年を延長するだけでなく、他企業への再就職のあっせんや起業支援も促す。企業は努力義務として取り組まなければならなくなる。

現行の高齢者雇用安定法は、希望者全員の65歳までの雇用を義務付ける。60~64歳までの就業率は、2018年に68.8%で、13年に比べて9.9ポイント上昇した。65歳から70歳まで働けるようになると、60歳代の就業率が上がると共に、経済効果も期待出来る。

内閣府の試算によると、65~69歳の就業率が60~65歳と同水準になれば、就業者数は217万人増える。勤労所得は8.2兆円増加し、消費支出は4.1兆円のプラスだ。政府の調査では、65~69歳の高齢者の65%は『仕事をしたい』と感じている。政府はこの改革によって就労を希望する高齢者が意欲的に働ける環境が整えられると踏んでいる。

30年後の2049年には、勤労者は5,300万人と足元から3割減る。今回の改正は生産年齢人口の減少を踏まえ、経済や社会保障の担い手を増やすのが狙いだ。

まあ、時代だねえ、70歳まで働け、とは。企業、組織に亀裂がいっぱい走るだろうなあ。亡国の日本国を作ったのはどこのドイツだ。出てこい、だねえ。情けない。


★★<韓国の若者、日本で就職目指す『夢かなえたい』>総合人材サービス『パソナグループ』が、淡路島で韓国の若年層を対象にした就労支援事業をスタートさせた。島内では飲食店や娯楽施設などを運営しているが、パソナの事業の大きな柱である人材育成にも力を入れる方針。韓国は就職難のために外国での就労を目指す若者がいる一方、日本では人材不足の業界もあることから『国境を越えて社会の問題点を解決していきたい』としている。

パソナは、韓国のメガバンクや大学などが共同で実施している人材育成事業について、日本での運営を受託した。5~6月、ITに関するスキルや日本語能力を身につける『韓国IT人材就労支援プロジェクト~職は日本にあり』と題した研修プログラムを行っている。

韓国の4年制大学を卒業した22~35歳の48人が参加。ビジネスの場面で役立つ日本語の勉強や様々な業界の研究、面接対策、農業体験、日本企業が抱える課題解決など、約230時間の研修に取り組んでいる。

ソン・ビョンウクさん(29)は韓国で10社の就職試験に臨んだが、職を得られなかった。これまでに4回来日し、日本への関心が強かったこともあって研修に応募したという。『日本文化を日々、肌で感じられて楽しい。日本で就職先を見つけるという夢をかなえたい』と言葉に力を込めた。イ・ダヒョンさん(25)も韓国で就職先が見つからず、落ち込んでいた時に研修プログラムを知った。交換留学生として京都で半年間学んだ経験もある。『研修で視野を広げ、日本企業の人事部などで従業員をやる気にさせる仕事をしたい』と語った。

パソナは今後も島内で、韓国を含めた外国人の若者を対象にした就業支援をしていきたいとしている。南部グローバル事業本部長は『それぞれに適した仕事を見つけてほしい。また日本で働いた経験は母国に帰ったときに大きなキャリアになるはず』と期待。研修のため若者が訪れることで、「『淡路島の地域活性化にもつながってほしい」』と話している。


★★<プロ野球年俸調査 平均年俸1位は巨人の6,926万円 4年ぶり“返り咲き” 最下位は…> 日本プロ野球選手会は20日、今季開幕時の支配下登録選手(外国人選手は除く)を対象とした年俸調査結果を発表した。
球団別の平均年俸は、巨人が6926万円で4年ぶりに1位。前年まで3年連続1位だったソフトバンクは6538万円で2位だった。12球団の最下位はオリックスの2654万円。

全731選手の平均は3985万円(出来高払い除く)で前年比0・8%増。過去最高となった。セ・リーグは平均4127万円、パ・リーグは3845万円。

(1)巨人 6926万円      (2)ソフトバンク 6538万円
(3)阪神 4381万円      (4)楽天 4288万円
(5)広島 3887万円      (6)DeNA 3657万円
(7)日本ハム 3304万円   (8)西武 3237万円
(9)ヤクルト 3209万円    (10)ロッテ 3134万円
(11)中日 2973万円     (12)オリックス 2654万円

カープは堂々の5位だと。昔、業界最低年俸の札付きだったカープもなかなかやるわいねえ。まあ3連覇しているし、長野のような高給取りも入って来ているからな。しっかし、期待のアドゥアは2,200万円、長年底辺を這いついてきた中村恭平は750万円だ。アドゥア、頑張って3倍年俸5千万円にしておくれな。中村恭平は今年こそ、最後と踏ん張り3千万円選手になっておくれ。恭平はせっかくドラ2で入団した素材としては逸材だったのだからね。戸田隆矢も底辺をうろうろしているねえ。しゃんとせんとすぐ30歳が来るよ。


★★<コロンボ港、日印などで共同開発 中国にらみ>日本政府はインド、スリランカと共同で、スリランカにあるコロンボ港を共同開発する。夏までに3カ国で覚書を交わし、2019年度中にも工事に着手する方針だ。コンテナの取扱量を増やし、南アジア地域の物流拡大につなげる。広域経済圏構『「一帯一路』を進める中国の動きをにらみつつ、日本が唱える『自由で開かれたインド太平洋構想』を後押しする。

スリランカ西部に位置するコロンボ港は同国の海運貨物の9割を扱う。欧州や中東、アフリカ地域とアジアを結ぶ海上物流の一大拠点だ。コンテナ取扱量は南西アジア最大規模で、17年は20フィートコンテナ換算で621万個を取り扱った。南西アジア地域の経済成長で取扱量は年々増えており、同港の処理能力は限界を迎えている。

3カ国が整備するのはコロンボ港を新たに拡張した地域にあるコロンボ南港の東コンテナターミナルだ。水深を深くし大型コンテナ船が入港できる施設を整える。事務レベル協議を進めており、夏までに事業規模や運営形態、参加企業などを詰める。事業費の一部は政府開発援助(ODA)を充てる方針だ。
中国はインド洋やその周辺で影響力を強めている。中国からの巨額融資で整備されたスリランカ南部のハンバントタ港は融資返済の見通しが立たず、99年間にわたって港湾や周辺用地が中国に貸与されることが決まっている。日本政府関係者は『コロンボ港の整備が遅れると、その分の積み荷はハンバントタに移ることになりかねない』と指摘する。

日本にとってシーレーンに位置するインド洋沿岸国の港湾機能が充実すれば海上保安能力も向上し、タンカーや商船の安全確保につながる。太平洋からインドにまたがる地域で経済や安全保障の協力を進める日本政府の『自由で開かれたインド太平洋構想』とも合致する。

我が者顔で、途上国のインフラ開発に手を貸す名目で、借金漬けにして、中国の拠点に仕立てる例がアフリカやアジアで実際に起きている。『新殖民地主義』と呼ばれる手だ。日本はインドと組んで、この動きを牽制するんだね。世界平和にとって、とてもいいことだ。

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