今日の画像は、香港で身柄を拘束した容疑者を中国本土へ移送できるようにする『逃亡犯条例反対の103万人のデモ』。そして、華やかなる『シャクナゲ』『チューリップの園芸種?』です。
香港は燃えている、なあ。習主席を相手に、香港の人達はよくやる。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
★★★高級ブランドと言うと、歴史と伝統のある老舗というイメージがある。ロレックスやメルセデス・ベンツのブランドイメージも、時間をかけて築き上げて来たものである。BMWも今のポジションに至るまでには長い年月がかかっている。
しかし、名声あるプレミアムブランドになるためには長い時間が必要条件というわけでは必ずしもにもない。これを証明するのが、アメリカのブランドではあるが、電気自動車で大成功した『テスラ』だ。
バッテリーで動く電気自動車が技術的にも未完であり、まだ世の認知を受けていない中、テスラは2008年にまったく実用的でない2人乗りの電動オープンスポーツカー『テスラ・ロードスター』から商品導入をした。スポーツカーの名門であるイギリスのロータス社のアルミ製シャーシーを使い、軽量で高性能な電動スポーツカーとして仕上げた。加速性能はポルシェの高性能モデル並みであり、サーキットのラップタイムも十分高性能スポーツカーと肩を並べるものだった。
『テスラ・ロードスター』は1,000万円と高価だったが、たちまち新しもの好きの富裕層の心を捉え、クルーニーなど有名人がこぞって購入した。彼ら富裕層にとってはたくさん所有する車の1台にすぎず、いわば周囲への話題作りのための『おもちゃ』として購入した訳だ。実用性や航続距離などほとんど重要ではなく、電気モーターによる独特かつ強烈な加速感を楽しんで、友人達に自慢出来ればいいのだ。
同じ電気自動車でも、小さいセダンではステータスは表現出来ないが、高性能スポーツカーならステータス感は十分だ。所有することがステータスとなったステラは、特に環境意識が高いカリフォルニアで人気となり、テスラ・ロードスターは2,450台が販売された。
テスラが次に発売したのが『モデルS』で、これは大型セダンである。高価な大型車であることからこそ実現した性能と実用性で、電気自動車のネガティブな部分をそれほど感じることなく乗ることが出来る。価格は800~1,600万円と高価であったが、ロードスターでプレミアムなブランドイメージがある程度浸透していたこともあり、注文が殺到した。勿論、購入するのはほかにも車を複数台所有するような富裕層であったことは言うまでもない。
販売台数は初年度の2013年にいきなり2万台を超え、2014年には3万台となった。翌2015年には5万台の大台を超え、はるかに廉価な日産リーフを凌いで世界の電気自動車ナンバーワンの販売台数になった。
今やテスラ『モデルS』の販売台数は、アメリカではメルセデス・ベンツSクラスや、BMW7シリーズを2倍以上という圧倒的な台数差で凌駕し、ラグジュアリーセダンクラスのナンバーワンモデルとなっている。富裕層にとってメルセデス・ベンツやBMWに乗るよりも『進歩派』のステータス感を表現出来るブランドとなっているのである。
2017年、日産リーフに価格的に近い3万5千ドルクラスの普及版である『テスラ・モデル3』がアメリカで発売されたが、その受注はすでに50万台以上となっている。日産リーフの発売から2016年までの6年間の世界累計販売台数が25万台であることを考えると驚異的である。
この差は、『電気自動車のプレミアムブランド』としての地位を確立したテスラと、一般的なガソリン車のマスブランドでしかない日産の違いである。まだ不便な電気自動車を購入する決意を促すためには、何らかの社会的ステータスが必要不可欠だ。
今テスラを買うのは、社会的に『テスラ・ユーザー』という進歩的な富裕層で構成されるコミュニティに入るようなものだ。テスラはモデルSがヒットしたとはいえ、年産8万台弱(2016年)、ポルシェの6分の1程度でまだまだ希少でプレミアな存在なのだ。日産リーフを買っても世間からそうは見てもらえない。リーフの問題は、製品の問題事前にブランドの問題なのだ。BMWの電気自動車と言われてもピンとこないのもブランドの問題である。テスラが最初に安価な実用モデルから導入していたら、現在の成功はなかっただろう。(参考: 山崎明著『マツダがBMWを超える日』)
■■昔、昔、その昔、人気テレビ番組ロッテ歌のアルバムの司会者』として一世を風靡し、日本歌謡界の発展に尽くした『司会者・玉置宏』。その玉置さんが、遺作として自分の辿った歌謡界を綴っている。昭和の昔が懐かしい。川崎市生まれ、1934年1月5日 - 2010年2月11日、享年75歳。
★★★『玉置宏の「昔の話で、ございます」㉑ 夢見て、耐えて、生きた・・・新人・チータ』 『作詞家・星野哲郎さん』も、『今度専属契約が切れたら、コロムビアとは再契約しないでフリーなる』と内々に宣言し、クラウンの隆盛に尽力を傾けた。
東京オリンピックが開催され、日本中が興奮に沸いた昭和39年(1964)のヒット曲を見ると、日本レコード大賞を受賞した都はるみの『アンコ椿は恋の花』はコロムビアで、作詞・星野哲郎、作曲・市川昭介。チータこと水前寺清子のデビュー曲『涙を抱いた渡り鳥』はクラウンで、作詞・有田めぐむ、作曲・いずみゆたかだが、実はこれが星野・市川コンビのペンネーム。今では時効となったが、秘密裏にクラウンの歌手のために作詞・作曲をしていたのだ。
チータはもともと『コロムビア全国歌謡コンクール』の出身。昭和35年の全国大会で堂々2位になり、作詞家の星野さんの目に留まり、『荒浜育ち』というデビュー曲で、絣の衣装で歌うところまで話は進んでいた。ところが、毎年優勝者が出るので、コロムビアとしても2位よりも力はそちらに注がれ、発売までには至らなかった。チータは、もはや忘れられた存在となりかけていた。
そんな時、『恋は神代の昔から』『出世街道』などで人気歌手になっていた畠山みどりさんも、歌手としてクラウン創立に参加する予定だった。移籍第1作ということもあり、彼女のために星野さんは渾身を込めて書き下ろし、市川さんが名前を伏せて作曲した作品『袴をはいた渡り鳥』が、すでにカラオケ収録も終わって用意されていた。そこに急遽、畠山さんからコロムビアに残るという連絡が入り、折角の作品が宙に浮いた。
自信作だったから、何とか世に出したいとクラウン所属のいろいろな歌手で吹込のテストをしてみたが、いずれも星野さん達の意に沿わなかった。その時ふと、星野さんの頭に、コロムビアに埋もれているチータのことが浮かんだ。連絡を取ると、まだローテーション入りも果たしておらず、移籍の話は、電話一本であっさりと決まった。そして『袴をはいた渡り鳥』は、少し手直しされた後改題され、『涙を抱いた渡り鳥』として、チータのデビュー曲となり、ついにチータはレコード歌手の仲間入りを果たした。
クラウン創立1周年記念『オールスターパレード』が催された、今はなき東京大手町の産経ホールのステージで、私は初めてチータを紹介した。
花にそむいて 旅から旅へ
涙を抱いた 渡り鳥
夢見て 耐えて 生きてきた
注目の新人 水前寺清子が唄います
デビュー曲『涙を抱いた渡り鳥』
これが私とチータの出会いだったが、チータは歌手だけではなく、その後女優に、司会にと、才能をどんどん開花させて行った。(参考: 玉置宏著『昔の話で、ございます』)
★★<困難を極める公立病院の経営効率化>公立病院の非効率経営にメスを入れるには再編統合が必要だが、様々な壁が立ちはだかる。
4月1日、兵庫県川西市の市立川西病院の運営者が医療法人協和会に変わった。赤字脱却を目指す民間委託だ。3年後に別の場所に新病院を建て、協和会の別病院と統合。医師を集約して救急体制を充実させる。
ハードルは市民病院の看護師らの処遇だった。民間経営になると年収が平均135万円、率で3割近く下がる。当初4年は市が差額を補うが、半数の職員は退職か市役所事務職に異動した。『公務員でなくなることへの抵抗感は強い』(同病院)。
川西市はなんとか乗り越えたが、往々にして労務問題は公立病院改革にブレーキをかける。『都立病院は独立行政法人化すべきだ』。2018年1月、東京都は有識者委員会から提言された。実現すれば人事や予算を柔軟に決められる経営が可能で、7千人超が非公務員になるが、都立病院労働組合は『労働条件を悪化させる』と反対を表明。都は『23年度までに検討を進める』と結論を出すかどうかも不透明だ。
複数の自治体が絡むと、運営責任や資金分担を巡り綱引きが始まる。千葉県香取市にある県立病院と国保小見川総合病院(市と東庄町で開設)。数年前に2病院の建て替えと併せた再建案が浮上した。県は市主導で赤字額が大きい県立病院を小見川病院に統合する案を推した。市は責任を押し付けられると警戒し、逆に県主導の建て替えを求め、小見川病院を市単独で建て替えた。これで再建案は消え、県立病院の赤字は膨らんだ。
再編には縦割り意識を脱した発想が要る。08年に地方独立行政法人として発足した日本海総合病院(酒田市)の前身は近接する市立と県立の2病院。県立の赤字が膨らみ、建て替えを控えていた市立病院が統合を提案した。原動力は『このままでは共倒れになる』との危機感だった。
県と市、病院間で厳しい調整を重ね、県立は規模を拡大し重傷者向け拠点病院、市立は縮小してリハビリ病院とする役割分担を決定。職員には業績手当を入れた。終章病院との連携も薦め、開業以来黒字を続ける。
理事長は『個々の病院ではなく、地域全体の医療を効率的に提供する経営が必要だ』と説く。サービス水準を落とさずに効率化するには、自治体や職員が既得権益にしがみつくのをやめる必要がある。
まあ、県と市。病院だけでなく、図書館や体育館、その他諸々の二重行政が忍び寄る人口減、税収減に重荷になりそうだねえ。あの『道州制』の議論はどこへ行ったのだろうか。選挙にメリットがないとなれば、議員はすぐに手を引く。困った日本型民主主義だねえ。
★★<永井 代表令和1号&2号 30歳96日で初ゴール!史上5番目年長記録>
国際親善試合 日本2-0エルサルバドル ( 2019年6月9日 ひとめS )
待望の初ゴールは、記念すべき一撃となった。前半19分。永井が快足を生かし、冨安のロングフィードに抜け出す。出し手が『ちょっと長くなった』というボールに簡単に追い付くと、切り返してDF2人を置き去りにし、左足でGKのニアサイドをぶち抜く『令和初ゴール』を奪った。同41分には原口の折り返しに左足で合わせ2点目。負傷した鈴木武蔵に代わる追加招集に『年齢も年齢だしラストチャンスだと思っていた』。30歳96日での国際Aマッチ初ゴールは史上5番目の年長記録となった。
福岡大時代の09年12月に大学生として18年ぶりにA代表に招集された逸材は、少年時代から“世界最速”に憧れた。小学校の卒業文集では00年シドニー五輪の陸上男子100メートル優勝者の名を挙げ『モーリス・グリーンよりも速くなりたい』と書いた。12年ロンドン五輪では『ウサイン・ボルトに会いたい』と世界最速の男をモチベーションにした。
森保ジャパンの“大迫依存”を解消しうる存在だ。大迫以外のFWでは15年9月のW杯アジア予選アフガニスタン戦での岡崎以来となる複数得点。ポストプレーにたけ、周りを生かす大迫と、スピードを生かした飛び出しを得意とする永井。新たな1トップのオプションとして期待を集めることになりそうだ。右肩負傷で後半14分に交代したが『そんなに気にならない。多分大丈夫』と軽症を強調した。国際Aマッチデビューから9年154日。殻を破ったスピードスターが代表の1トップ争いを白熱させる。
永井のプレーは秀逸だったねえ。最初のゴールは相手DF2人を置き去りにして切り替えしざまのシュート。2点目も相手陣内での混戦からGKがセーブに動いた逆のニアサイドを狙ったもの。福岡大時代の活躍は強く印象に残っているが、プロに入ってからは少し間合いを置いた感じ。名古屋で風間監督のもと、外人トリオの参入でまた息を吹き返し、スピードに乗ったドリブルとシュート力でファンを魅了しているねえ。この試合、久保が噂の的だったが、伏兵永井にその実を取られたようなきもするが。しかし久保のプレーも見事だねえ。あの小さい体で大男の体当たりをはねつけるのだから、すごい。
★★<広島県のアンテナショップ、売上全国第2位>広島県が東京に構えているアンテナショップ『TAUタウ』は、2018年度の売上高が過去最高を記録し、北海道に次いで全国で第2位の実績を挙げた。日本酒や熊野筆などの特産品に加え、プロ野球『広島東洋カープ』関連グッズも人気を集めている。
『都内ではここが一番そろっている』―。5月下旬、銀座のタウ2階にあるグッズコーナーで、都内在住の女性客がユニホームを探していた。広島にゆかりはないものの、好成績の球団に惚れ込んだ『カープ女子』の一人だ。タウによると、東京でカープ戦がある日は応援グッズを2階で買いそろえ、『完全武装』してから東京ドームや神宮球場に向かう人もいると言う。
タウの18年度の売上高は前年度比9%増の10億5,600万円と、12年の開業以来で初めて2桁になった。カープグッズの底堅さに加え、17年春の改装で新設した鮮魚コーナーの魚介類の売れ行きが好調だ。
県産品の普及に向けて取り組むのは、期間限定で商品を販売する『テストマーケティング』だ。タウや県のブランド推進課が協力し、県内の特産品の販路拡大を進める。狙いとしる顧客層などを製造元と相談し、パッケージデザインを刷新することもある。
尾道市のまるか食品の『イカ天瀬戸内レモン味』も、テストマーケティングを通じて人気になった商品の一つ。若い女性をターゲットにしたパッケージが奏功し、期間限定の販売から常設の土産コーナーまで登り詰めた。タウでは『瀬戸内側だけでなく、県北の特産品の発掘も進める』と話す。
見事だねえ、タウの実績。北海道に次いで第2位とは。静岡や熊本、青森など強力な競争相手がいるのになあ。しっかし、カープの活躍、単に試合に勝つことだけではないんだねえ。県産品の販売拡大に相当なる寄与をしているんだ。お見事なり、松田元オーナー殿。
★★<ダイキョーニシカワ、樹脂で車の後部ガラス>広島の自動車部品上場企業の『ダイキョーニシカワ』は、自動車用のリアガラスを透明な樹脂で代替えする技術を開発した。ガラスに比べて大きく曲げられるため、デザインの自由度が高くなる。また2~3割の軽量化にも繋がるメリットを自動車メーカーにアピールし、2025年頃に発売される新型車への採用を目指す。
透明な樹脂の表面をコーティングし、傷が付きにくくした。トランク付近に使う樹脂との境目がなくなるため、一体成型による製造が可能になる。従来はガラスだった部分を大きく曲げるなど、新たなデザインに繋がると言う。後方全体を滑らかな形状にし、空気抵抗を減らすことも出来る。
価格はガラスをl使う通常品に比べて1.5~2倍と高いが、高級車向けのニーズがあると見込む。フロントガラスはワイパー、左右の窓は開閉によるダメージが大きいため、樹脂による代替はまだ難しいと言う。
ダイキョーニシカワは、樹脂部品メーカーであった『大協』と、ゴム部品の西川ゴムの子会社であった『西川化成』が合併して生まれた会社。大協の躍進は、エンジンのエグゾーストパイプ=エンジンから出る排気管を、鋳鉄製から耐火性の高い樹脂製製品を開発し、ダイハツが生産していたトヨタブランドの『スターレット』に採用されたところから、トヨタ自動車に食い込んだことにある。その後、西川化成と合併し、財務体質を強化して東京第一部に上場し、全国的な部品メーカーにのしあがった。
大協自体は、オーナーのゴルフ場開発の失敗で200億円を超える赤字を抱えていたが、これを銀行団が消却し、健全体質になった。過去の傷を埋め、おつりがくるようなダイキョーニシカワの活躍ではある。お見事。
★★<『団体交渉誠実に』都労委、朝日新聞に命じる>朝日新聞社の一部の従業員が加入する新たな労働組合に、掲示板使用などの便宜供与を認めるかが問われた審査で、東京都労働委員会は、団体交渉に誠実に対応するよう同社に命じた。具体的な理由を説明せずに便宜供与を拒否したことが不当労働行為にあたると判断した。
都労委によると、朝日新聞社の従業員数人は、新たに労働組合『東京管理職ユニオン』の支部を昨年1月につくり、会社に対して、既存の労組と同様に会議室や掲示板を利用させることなどを求めた。会社側は、組合との間に信頼関係がいまだ存在しないなどとして応じず、組合が都労委に救済を申し立てていた。
都労委は朝日新聞社の対応について、組合の理解を得ようとする努力などを欠いており、不誠実な団体交渉にあたると判断。また、合理的な理由を示さずに要求を拒んだことは支配介入にあたるとも指摘したが、便宜供与については今後、労使の団体交渉で解決するべきだとした。朝日新聞社広報部は『命令書の内容を精査し、今後の対応を検討します』とのコメントを出した。
朝日新聞の管理職が組合をねえ。しかも外部組合組織の支部とは、日本の労使慣行にはなじまないなあ。この構図だと、朝日新聞の組合が、外部組織に団体交渉の委任を託すことが出来、いわゆる『企業内組合』の枠を逸脱するからだ。かといって単独の組合を作るとなれば、会社から潰されるし、痛しかゆしの部分だねえ。しかし、朝日新聞も手抜かりだねえ。設立が噂されれば、先手を打って協調的に組合を作ればよかったのだが。まあ、管理職組合だとそうもいかないわねえ、対外的にも。面白い朝日新聞だ。
★★<コメダ珈琲店が『全国制覇』名古屋発>コーヒーチェーンの『コメダ珈琲店』の新店舗が、青森市内にオープンした。これでコメダ珈琲店は47都道府県全てに店舗を構えることとなり、『全国制覇』を達成。青森への出店を記念して、青森県産リンゴを使った新メニューも全国の店舗で登場した。
コメダ珈琲店は1968年に名古屋市内に1号店が開業し、現在は新しくオープンした青森イトーヨーカドー店の店舗を含め、国内外に841店舗を展開している。昨年8月には沖縄県に初出店し、青森が最後の『空白県』となっていた。コメダ珈琲店は『これで全国の皆さんに身近な存在として楽しんでもらえるようになった』としている。
出店を記念して、温かいデニッシュにソフトクリームをのせた看板デザート『シロノワール』に、青森県産リンゴのふじを使った『アップルカスタード』味が登場。青森市内から訪れた成田綾子さん(61)は『新しいものができてうれしい。待ち合わせに使いたい』と話した。
この日は同じイトーヨーカドー青森店に、雑貨専門店『ロフト』もオープン。こちらも県内初出店のため、多くの若者でにぎわった。青森市羽白から来た和島直美さん(34)は『かわいい文房具が多くてうれしい』と話した。
私の住まいの、道路を隔てた真向かいにも『コメダ珈琲店』がある。オープンして1年余りだが、結構の人気。特にランチタイムには、広い駐車場が満杯になる。私は訪れたことはないが、ゆったりした室内が好評の原因だろうなあ。お見事名古屋魂だ。
★★<『窓際電通マン』、映画で世界に飛躍 体調不良が転機に>大手広告会社、電通の社員、長久允さん(34)の監督作が米国やドイツなどの映画祭で受賞を重ね、14日から全国で公開される。三つ編みのお下げという特徴的な髪形で、さぞ華やかな道を歩んできたのかと思いきや、『実は窓際社員でした』と吐露する。だからこそ、日の当たらない人への応援歌となる物語をつくり続けたいという。
今年2月のベルリン国際映画祭。初長編作『ウィーアーリトルゾンビーズ』が、青少年が審査するジェネレーション14プラス部門で特別表彰され、長久監督は満面の笑みで右手を高々と突き上げた。『ティーンエージャーを救うためにつくった映画なので、とてもうれしい』。作品は、それぞれ両親を亡くして感情を失い、周囲から『ゾンビ』とさげすまれた13歳の少年少女4人がバンドを結成して、心を取り戻してゆく物語。テレビゲームに影響を受けたような映像とポップな音楽、キッチュな衣装などが評価され、若手の国際的な登竜門とされる米サンダンス映画祭でも審査員特別賞を獲得した注目作だ。
大手広告会社の社員による作品で、インターネット上には『どうせエリートだろう』『電通だから評価されている』などという声もある。だが、2007年の入社後、仕事で手がけた映像はテレビCMではなく、スーパーの店頭で流す牛肉の宣伝や、ゆるキャラのPR番組など地味なものばかりだった。『広告のメインストリームからはほど遠いところにいた。当時の僕を知っている人は、同期でも1割以下だったと思う』と振り返る。『売り上げにもならない小さなことをやっている窓際社員だったし、何でこんなものばかりつくっているのかと思う日々でした。それでも依頼者に満足してもらえるものをつくりたいので忙しいし、体力的にも大変でした』。
そんな日々が続き、3年前には体調を崩した。耳が聞こえなくなり、胸が痛くて出歩けなくなった。しかし、それが転機になった。『このまま死にたくない。好きなことをした』と、学生時代に夢見た映画づくりを決意。有給休暇を取得して、10日間で撮影したデビュー作『そうして私たちはプールに金魚を、』(2016年)が、サンダンスでいきなり短編部門のグランプリを獲得したのだ。
受賞を機に監督業に専念できるよう会社に掛け合い、2作目に挑戦することに。役職はプランナーのままだが、『社員監督』として認められ、現在は業務中にシナリオや企画づくりを進めている。初の長編となる今作は電通も製作に加わったが、構想は2人目の娘の誕生で取得した育休中に練った。長女を公園で遊ばせているときに、物語が頭に浮かびあがった。すぐにシナリオにするため『1日30分だけ一人の時間を』と妻に頼み、最寄りのコンビニのイートインスペースに連日駆け込んで書き上げた。
資金集めや企画書づくりは本業でお手のもの。『世の中の潮流をよみ、どう露出させるか。低予算で店頭ビデオをつくってきた経験が生きている』という。自身も三つ編み姿で広告塔となり、PRする。『あれは誰だ?』と海外の映画祭でも注目を浴び、声をかけられる。奇抜な髪形の理由は、ゲームのサブキャラクターが好きだからだという。『格闘ゲームで言えば、華やかなメインキャラより、ワイルドな道を歩んでいる設定のキャラに興味がある。彼らの気持ちを知るためにこんな髪形にしているんです』。
中学生からサックスに没頭してきたが、大学のころに『これ以上はうまくなれない』と挫折感を覚え、プロの道を諦めた。電通に入っても新人時代に経験した営業職では鳴かず飛ばず。プランナーとしても、華やかな世界とは無縁だった。今回の作品で主人公の少年少女たちも、世の中の王道を歩めない人。『今の社会は「ポジティブに真面目に」と、正しさばかりを求める風潮がある。でも、つらければ時には逃げたりひきこもったり、道を外してしまう生き方でもいいんだと、伝わればいいな』と語る。
超長時間残業で、東大卒の新入女性社員の自殺事件があったブラック企業『電通』。なかなか乙なことをやりんすねえ。お見事、二足のワラジの時代だねえ、『令和』は。