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今日の画像は、尾道市の尾道ラーメンの老舗『朱さんの店』の休業発表で『長い行列を作るファン達』、インドの猛烈な大干ばつでチェンナイ郊外にある干上がった『チェンバランバッカム湖』。そして華やかな『ハナカイドウ』と清楚なる『ラッパスイセン』です。
この尾道のラーメン店は、いわゆる『尾道ラーメン』を全国区に仕立て上げた名物店。事情は明らかにされていませんが、店を閉めると言うこと。ファンは名残りを惜しみ、長い行列です。
インドの大干ばつは相当の被害がありそうですねえ。飲料水がないというのは生活の基盤を奪われて、とても苦しい生活でしょう。ご同情申し上げます。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
★★★プレミアム性と販売量はトレードオフの関係にあり、その加減を判断するのは非常に難しい。企業である以上成長を目指さなければならないが、ある一定以上に販売数が増えてしまうとブランドの独自性を維持することが難しくなる。
VWは、その名が示す通り大衆車のメーカーであり、その領域では非常に強いブランドである。しかしVWはそれに飽きたらず、多くのブランドを駆使することでとても広い顧客層をカバーしているのだ。VWは、トヨタのレクサスやダイムラーのスマートのような全く新しいブランドを立ち上げるのではなく、既存のブランドを買収することでブランドポートフォリオを形成している。
1964年にDKWブランドを展開していた『アウトユニオン社』を買収。1965年にかつてアウトユニオンのブランドであった『アウディブランド』を復活させた。1969年にはロータリーエンジンを初めて市販したNSU社も買収し『アウディNSUアウトユニオン社』となるが、1970年代に入りアウディに集約させて、1985年に『アウディ社』と社名を変更する。
1970年代半ば、VWの中核車種は空冷リアエンジンの『ビートル』から水冷フロントエンジンの『ゴルフ』に劇的に変身するが、ゴルフはアウディ側の技術をベースに開発された車である。アウトユニオンを買収していなければ、今のVWはなかったかも知れない。
続いて、1986年にスペインのセアトを傘下に収める。セアトはイタリアのフィアットをスペインでライセンス生産していた会社だ。続いて1991年にチェコのシュコダ社を傘下に収める。シュコダは戦前には高級車も製造していた老舗だが、チェコが戦後社会主義国となると国有化され、安価な大衆車のみを製造していた。
セアトとシュコダの買収は、労働コストの安い国での生産拠点の確保と、南欧、東欧でのマーケットの拡大という意味合いが強いが、VWブランドより安価な価格帯で勝負出来るブランドを獲得したという効果もあった。VWはVW車の技術をこの2ブランドの製品に投入し、最終的にはゴルフやポロといったVW車と車台を共通化したモデル群に切り替えた。これにより量的なメリットが生じ、全体のコストダウンとクオリティアップを図ることが出来たのである。
1998年にはベントレー、ブガッティとランボルギーニを傘下に収めた。
ブガッティは戦前に輝かしい歴史を持つフランスのブランドで、1920年代のグランプリレースで素晴らしい戦績を残し、ロワイヤルという大型の超高級車を製造したことでも有名である。戦前の自動車ブランドでは最高峰と言ってよい存在だったが、本拠地がドイツ国境に近かったこともあり、第2次世界大戦で生産設備が壊滅し、戦後一旦回復するもまもなく倒産することになる。その後1980年代にイタリアの実業家が復活を試みたが失敗していた。
ブガッティは『自動車業界の伝説の頂点ブランド』ということで、当時のVWのトップ、ピエヒ会長がぜひとも手に入れたいとして入手したブランドである。ピエヒ会長の『頂点ブランドにふさわしい車を作り上げる』という執念により、VWグループの技術の粋を集めた『ヴェイロン』と言うモデルを作り上げた。16気筒エンジン、最高出力1001馬力、最高速度407キロ、価格2億円というモンスターで、まさに現代自動車業界の頂点を極める車となった。
ランボルギーニは派手なスタイリングで人気こそあったものの、品質と信頼性が低くわずかな台数しか生産していなかったが、ベントレー同様にVW傘下になってから品質が飛躍的に向上し、大いに売上を伸ばした。300台程度だった年間販売台数が、2016年には3,500台余りにまで増えている。
2009年には『親戚』と言ってもいい存在である『ポルシェ』を傘下に収める。なぜ親戚かと言うと、VWの礎となったビートルはポルシェ博士の設計であり、ビートルを生産していた期間、VWはポルシェに対しロイヤリティを支払っていたのだ。そのような経緯もあり、VW株の多くをポルシェが所有しているのだ。
2012年にはイタリアのモーターサイクルの雄、『ドゥカティ社』も買収する。このうに、一口にVWと言っても、その実態は数多くの個性的なブランドを抱える総合自動車会社なのである。大衆車であるVWに加え、スポーティーな高級車であるアウディ、高性能スポーツカーのポルシェとランボルギーニ、超高級車のベントレー、そして自動車業界の頂点に立つブガッティ。
幅広いブランドを揃えることで、VWは途上国の一般層から超々富裕層まで顧客としてカバーすることが可能になった。そして、トヨタを凌いで世界ナンバーワンの自動車会社になったのである。さらにこのブランドポートフォリオ戦略によって、VW社は同一の車台で複数ブランドの車を作ることで生産量を確保し、効率的な生産を行うだけでなく、通常の量販メーカーであればなかなか作ることの出来ない超高級車や超高性能車を開発する技術やノウハウも蓄積することが出来ている。これはVWブランドだけでやっていては到底不可能な話である。
ここで重要なのは、VWが買いたかったのはメーカー(会社)ではなく、ブランドだ、と言うことである。VWの顧客層を広げると共に収益性の高いブランドに育て上げているのだ。(参考: 山崎明著『マツダがBMWを超える日』)
■■昔、昔、その昔、人気テレビ番組ロッテ歌のアルバムの司会者』として一世を風靡し、日本歌謡界の発展に尽くした『司会者・玉置宏』。その玉置さんが、遺作として自分の辿った歌謡界を綴っている。昭和の昔が懐かしい。川崎市生まれ、1934年1月5日 - 2010年2月11日、享年75歳。
★★★『玉置宏の「昔の話で、ございます」㉒ 御三家の新人・西郷君がクラウンの救世主に』 西郷輝彦君のデビュー曲『君だけを』は、60万枚を突破し、続いての『17才のこの胸に』も連続ヒットするなど、設立したばかりで資金繰りに苦労していた新星クラウンを、大いに勢いづかせた。
西郷君は、昭和40年(1965)に浅草国際劇場で初めてワンマンショーを開いたが、その時の司会も私だった。当時、1時間半の国際劇場のショーというと、着物を着て出る芸を一つ持たないと彩りが悪いというような、構成上の考えがあった。その辺りが松竹系なのだが、西郷君のレパートリーにはそれがない。それで『何か着物を着て歌える歌を作んなきゃ』というので、急遽作ったのが『青年おはら節』。
すでに小林旭さんが、映画『渡り鳥シリーズ』の中で、行く先々で各地の民謡を入れた歌を歌ってヒットを飛ばしていたから、『青年おはら節』にも西郷君出身の鹿児島の民謡『鹿児島おはら節』の一節『花は霧島 煙草は国分』という歌詞を入れて、民謡調の歌を作ったのだ。
これで、いなせ橋幸男、学園ムードの舟木一夫、モダンボーイの西郷輝彦の3人が出揃い、グループ・サウンズとムード歌謡が全盛だった歌謡界に青春歌謡という流れを注ぎ、ひとつの新たな時代を築いて行くのだが、この3人が御三家と呼ばれるようになるのは昭和41年(1966)以降のことであった。
この3人が初めてテレビで顔を一同に揃えるのが、昭和41年1月30日放送の、第400回記念の『ロッテ歌のアルバム』だった。この時出演した三田明さんも含めて、青春ビッグフォーと呼ばれるようになる。
以後、御三家、又は青春ビッグフォーで集まるのは『ロッテ・・・』だけにしようという了解が、私の知らないうちに4人の中で取られていたようで、それからも100回記念毎に集まってくれて、その度に番組も大いに盛り上がったものだ。(参考: 玉置宏著『昔の話で、ございます』)
★★<落語人気『令和』も続く>江戸時代かた続く伝統芸能の『落語』。平成半ばから盛り上がりを見せ、落語家は今や東西合わせて810人と『かつてない規模』に。若いファンも増え、全国各地で公演が開かれ、人気は令和も続きそうだ。
『令和の真打ち第1号、2号、3号です』。改元初日の5月1日、東京新宿の寄席『末広亭』。『笑点』でもおなじみの落語芸術協会副会長の三遊亭小遊三さんの紹介に客席が沸いた。この教会の滝川鯉斗さん、三遊亭藍馬さん、立川吉幸さんが一人前のプロ『真打』に昇進、披露興行が大盛況のうちに始まった。藍馬さんは協会の落語家4人目の女性真打ちだ。
『自分が若い頃、こんなに広がるなんて思わなかった。飛行機に乗って落語をやりに行くなんて』と小遊三さんは、3月の記者会見で語った。
平成では2度、落語ブームが起きた。2004年(H16)の春風亭小朝さん企画の落語イベント、春風亭昇太さんらの創作落語の広がりと、翌05年のドラマ『タイガー&ドラゴン』放送。10年に連載が始まった漫画『昭和元禄落語心中』と、真打ち手前の位である『二つ目』の人気・・・。
人気と共に入門者が増え懸念材料にも。落語芸術協会は入門してすぐの『前座』まで含め、現在170人。10年前より40人以上増えた。寄席で十分な修行が積めなくなるとして昨年夏、前座に登録出来るのは35歳以下の30人と制限を設けたほどだ。小遊三さんは『競争も厳しい。今なら落語家になっていない』と言う。
他に落語協会所属が380人、上方落語協会が250人、さらに五代目三遊亭円楽一門、立川流など合わせて合計810人。05年時の640人から、170人も膨らんだ計算だ。
観客側にも楽しみ方に変化が窺える。若手のための場、東京神田神保町の『らくごカフェ』(50席)は、10年前の開設当初から毎月会を開く二つ目『柳家わさびさん』らの高座が人気で、20~40代を中心にファンが訪れる。代表の青木さんは『完成された芸を楽しむのもいいが、若手の躍動感溢れるライブを体験したい方が増えているようだ』と話している。
いい傾向だねえ。古来の伝統文化が栄える、ということは。でも、修行は厳しいねえ。大阪の淀川沿いでは深夜に及ぶまで、落語、漫才の自己修練が行われている。何でも一人前になるにはそれ相応の修行が必要なんだよね。世間の若者達、一夜にしてベテランにはなれないぞよ、心しておくれな。
★★<旅行サイト競争激化>公正取引委員会は、ネットで定着した『旅行予約サイト』の大手3社について、調査を進めている。契約相手のホテル側に不当な条件を課した独占禁止法の疑いがあるという。背景には、最近台頭してきた『メタサーチ』と呼ばれるネットサービスへの危機感があるとも指摘されている。
『料金が他社サイトと異なる可能性があります。設定の確認、修正をお願いします』。2019年春、関東地方のホテルに1通のメールが届いた。送信元は旅行予約サイト『楽天トラベル』。メールには競合するじゃらんnetに載った料金が引用されていた。
楽天トラベルからこうしたメールが届くようになったのは数年前から。『契約条件(最低・同一料金保証)に基づくお願い』とし、『改善されないと契約プランが変更となる場合がある』と毎回併記されていた。
ホテル経営者は『手数料がかからない自社HPにお得なプランを出すことも出来ない』と顔をしかめる。だが『契約を解除されては困るので、要求には従うしかない』と言う。
公取委は4月10日、楽天トラベル、米エクスペディア、オランダのブッキング・ドット・コムの運営会社を独禁法違反の疑いで一斉に立ち入り検査した。取引先のビジネスを不当に縛る『拘束条件付き取引』の疑いがるとしている。特に問題にしたのは、客室料金などについて競合サイトやホテルの自社HPと同等以上の条件を強いる『最恵待遇MFN条項』だった。
MFN条項によってホテルは客室料金などを自由に決めにくくなり、その結果、ホテル間の競争が停滞して料金が高止まりする。料金やプランで差別化を図る中小サイトの努力も無効になる。『一見するとMFN条項で最安の料金が広がると思われがちだが、実際は消費者に不利益が及ぶことになる』と公取委の幹部は説明する。
近畿大の高橋教授によると、楽天トラベルの前身の『ホテルの窓口』がサービスを開始したのが1996年。インターネットの通信速度が上がった2000年代以降、画像を多用するなど情報量が増えたことで普及が進んだ。『いつでも宿を予約出来る手軽さが消費者に歓迎され、ホテルにとっても集客に欠かせないツールになっていった』と説明する。
経産省によると、空の便や鉄道の予約などを含むネットを使った旅行関連サービスの市場は、18年時点で3兆7千億円。10年前の08年は飲食店の予約などを含めても8千億円程度だった。今後も市場の拡大が見込めると言う。
あるサイトの関係者によると、現在の旅行予約サイトの勢力図は、日本人向けでは楽天トラベルとじゃらんが拮抗している。訪日外国人はエクスペディアとブッキングの利用が多い。ホテルの契約は知名度が高く、閲覧数が多いサイトに集まりがちだと言う。
ところが、『トラベベルコ』や『トリップアドバイザー』など、『メタサーチ』と呼ばれるネットサービスの台頭で、大手サイトの地位も安泰ではなくなった。メタサーチでは、様々な旅行予約サイトに掲載されているホテルの料金やプランを一括で検索することが出来る。旅行予約サイトはホテルの情報を比較出来る場を消費者に提供することで力を得てきたが、比較される立場に置かれることになったのだ。
MFN条項に基づく要求は以前からあったと見られるが、公取委幹部は『メタサーチで一番安い料金を出しているサイトを探しやすくなったことに危機感を覚え、ホテル側への締め付けを強めた可能性がある』と指摘している。
私は、7月に北アルプス、後立山の麓に連泊し、山歩きや高原歩き、高山植物園などを歩く予定だ。名を知ったホステルの予約を、楽天トラベルで行ったら、なんと即座に料金の引き落としがあった。こんなこと、長くネットでホテル、ホステルを予約しているが初めての体験だ。その後、バスの便の関係で予約を一旦キャンセルし、別日程で再予約したが、再予約は海外旅行でよく使ったブッキング・コムを使った。この場合、料金の精算はチェックイン時となる。楽天のキャンセル分は来月カードで戻して来るとは思うが、予約したら即引き落としとは恐れ入った『楽天』ではある。長くネット予約を使っているが、即引き落としは本当に楽天が初めてだ。ご用心、ご用心だねえ。
★★<『ポツンと一軒家』 関西でも過去最高&大台超え21・4%>9日放送のABCテレビ・テレビ朝日系「ポツンと一軒家」(日曜後7・58)の関西地区・平均視聴率が過去最高の21・4%を記録。週間視聴率もNHK連続テレビ小説「なつぞら」(8日、19・5%)を抑え、関西地区1位となった。関東地区も初めて20・3%を記録した。
所ジョージ(64)が司会、林修(53)がパネリストを務め、日本各地の人里離れた場所にポツンと存在する一軒家を制作スタッフが訪れ、住人のドラマを伝える番組。9日は宮崎県南西部の山奥の一軒家を訪ね、老夫婦にスポットを当てた。制作プロデューサーは『これからも変わらず、番組作りを続けていきます』と話している。
9日同時間帯の読売テレビ『世界の果てまでイッテQ!』は12・2%(関東地区15・0%)、毎日放送『サッカー・キリンチャレンジカップ2019、日本代表対エルサルバドル戦』は11・2%(同13・8%)、関西テレビ『でんじろうのHTE実験』は6・4%(同5・2%)、NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』」が6・0%(同6・7%)、テレビ大阪『地球ぐるり!日本―北米2000km最新型!自動車船に乗せてもらいました』が5・2%(同5・9%)だった。
この日の『ポツンと一軒家』は、宮崎県の山奥に独りで済む女性が登場。おおむね、ポツン・・・は、昔から住んでいた人で、子供達も離れたが、先祖伝来の地を守る人が多い。この日もそうだった。が、その前の回、2日放送の分は、今様のなかなか素晴らしいものだった。2月に岩手県の山の中の建築後200年経過の古い家を5年かけて自分で建て直し、住んでいる建築家の夫婦がいた。絵描き三昧の生活を楽しんでいると。これもなかなか結構だったが、この愛媛県のポツンはそれを上回った。
この2日に放送分は、愛媛県の山奥。500万円で1万5千坪ほどの山の土地を買い、ブルやクレーンの免許を取り、一人で土地整備から始めた人。横浜市に住んでいた、写真館の社長である弓削さん(45)。現在単身でこの山奥に寝起きし、この会社の本社を一人で建てている。土地整備、木の入り倒し、材木への手入れ、製材を一人でこなしている。半日は仕事、半日は建築という生活。本社が出来たら、さらに上の高台に本宅を立てると言う。仕事はネットが通じるので、それで処理。山が好きで、精神的に落ち着きたいという気持ちからスタートしたそうだ。立てているログハウスに使う丸太も尋常ではなく、とても太い。これを削り、クレーンで組み立てる。すべて一から習ったそうだ。弓削さんの熱意と修練には頭がさがった。麓へは1.7キロの距離がある地故、本当に孤立生活なのだ。
さらに凄いのは、この作業を録画し、You tubeにアップしていることだ。自分のように全く素人から、一軒の家を立ち上げようと思う人の参考にしてもらいたいそうだ。お見事というか、天晴というか、素晴らしい弓削さんではある。
うちのかみさんも、私もこの番組のファンになったが、感心のポイントは、こんな山の中で苦労も多いのに住み続けているというその執念というか精神力に都会に住む人達が驚きと敬愛の気持ちを持つからだろう。そして、かつて山の中に住み、生活した人達は昔の日本人の歴史を垣間見る気持ちになるのではなかろうか。そして、何より所ジョージのコメントが、ぼそっとしているが、いいのである。やっぱり所の人気も素晴らしいという証左であろうなあ。お見事だ。
★★<プリンター、目詰まり>昨日は往生した。大分前、画像をプリントしたら、青味がかって。どうやら黄色が出ていない様子。まあ、年賀状をプリントして以来、インクの補充をしていないからなあ。と、先週末にプリントしたらさらに青く。ようやく腰を上げて、補充用エコインクを注入。ところがイエローが出ない。クリーニングをしてもダメ。どうやら強烈な目詰まりらしい。ダメで元々と、新しいカートリッジを買う覚悟で『強力クリーニング』を実施。30分毎に、計6回。やや黄色が出て来た、もう少し、と結果クリーニングに成功。当分毎週プリントテストを繰り返さなければならないなあ。予備にリサイクルのカートリッジでも買っておくかしら。
私のプリンターは、キャノンの2700。新品を2,600円で買ったもの。今は生産中止になったが、インク代金より安く、コンパクトなプリンターで、安値で何台も買って、インクがなくなれば、新しいのを使う、という人もいるそうだ。詰め替えインクは1,200円くらいで、6回くらい詰め替えできるから、ランニングコストは抜群だ。今のプリンターは、最低1万円は出さないといけない。スキャナーがついていないが、その前使っていたプリンターを残しており、これが使える。が、面倒なので、カメラで写真を撮ってスキャナー代わりに使っている。これで私的には目的を十分達成できる。
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今日の画像は、尾道市の尾道ラーメンの老舗『朱さんの店』の休業発表で『長い行列を作るファン達』、インドの猛烈な大干ばつでチェンナイ郊外にある干上がった『チェンバランバッカム湖』。そして華やかな『ハナカイドウ』と清楚なる『ラッパスイセン』です。
この尾道のラーメン店は、いわゆる『尾道ラーメン』を全国区に仕立て上げた名物店。事情は明らかにされていませんが、店を閉めると言うこと。ファンは名残りを惜しみ、長い行列です。
インドの大干ばつは相当の被害がありそうですねえ。飲料水がないというのは生活の基盤を奪われて、とても苦しい生活でしょう。ご同情申し上げます。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
★★★プレミアム性と販売量はトレードオフの関係にあり、その加減を判断するのは非常に難しい。企業である以上成長を目指さなければならないが、ある一定以上に販売数が増えてしまうとブランドの独自性を維持することが難しくなる。
VWは、その名が示す通り大衆車のメーカーであり、その領域では非常に強いブランドである。しかしVWはそれに飽きたらず、多くのブランドを駆使することでとても広い顧客層をカバーしているのだ。VWは、トヨタのレクサスやダイムラーのスマートのような全く新しいブランドを立ち上げるのではなく、既存のブランドを買収することでブランドポートフォリオを形成している。
1964年にDKWブランドを展開していた『アウトユニオン社』を買収。1965年にかつてアウトユニオンのブランドであった『アウディブランド』を復活させた。1969年にはロータリーエンジンを初めて市販したNSU社も買収し『アウディNSUアウトユニオン社』となるが、1970年代に入りアウディに集約させて、1985年に『アウディ社』と社名を変更する。
1970年代半ば、VWの中核車種は空冷リアエンジンの『ビートル』から水冷フロントエンジンの『ゴルフ』に劇的に変身するが、ゴルフはアウディ側の技術をベースに開発された車である。アウトユニオンを買収していなければ、今のVWはなかったかも知れない。
続いて、1986年にスペインのセアトを傘下に収める。セアトはイタリアのフィアットをスペインでライセンス生産していた会社だ。続いて1991年にチェコのシュコダ社を傘下に収める。シュコダは戦前には高級車も製造していた老舗だが、チェコが戦後社会主義国となると国有化され、安価な大衆車のみを製造していた。
セアトとシュコダの買収は、労働コストの安い国での生産拠点の確保と、南欧、東欧でのマーケットの拡大という意味合いが強いが、VWブランドより安価な価格帯で勝負出来るブランドを獲得したという効果もあった。VWはVW車の技術をこの2ブランドの製品に投入し、最終的にはゴルフやポロといったVW車と車台を共通化したモデル群に切り替えた。これにより量的なメリットが生じ、全体のコストダウンとクオリティアップを図ることが出来たのである。
1998年にはベントレー、ブガッティとランボルギーニを傘下に収めた。
ブガッティは戦前に輝かしい歴史を持つフランスのブランドで、1920年代のグランプリレースで素晴らしい戦績を残し、ロワイヤルという大型の超高級車を製造したことでも有名である。戦前の自動車ブランドでは最高峰と言ってよい存在だったが、本拠地がドイツ国境に近かったこともあり、第2次世界大戦で生産設備が壊滅し、戦後一旦回復するもまもなく倒産することになる。その後1980年代にイタリアの実業家が復活を試みたが失敗していた。
ブガッティは『自動車業界の伝説の頂点ブランド』ということで、当時のVWのトップ、ピエヒ会長がぜひとも手に入れたいとして入手したブランドである。ピエヒ会長の『頂点ブランドにふさわしい車を作り上げる』という執念により、VWグループの技術の粋を集めた『ヴェイロン』と言うモデルを作り上げた。16気筒エンジン、最高出力1001馬力、最高速度407キロ、価格2億円というモンスターで、まさに現代自動車業界の頂点を極める車となった。
ランボルギーニは派手なスタイリングで人気こそあったものの、品質と信頼性が低くわずかな台数しか生産していなかったが、ベントレー同様にVW傘下になってから品質が飛躍的に向上し、大いに売上を伸ばした。300台程度だった年間販売台数が、2016年には3,500台余りにまで増えている。
2009年には『親戚』と言ってもいい存在である『ポルシェ』を傘下に収める。なぜ親戚かと言うと、VWの礎となったビートルはポルシェ博士の設計であり、ビートルを生産していた期間、VWはポルシェに対しロイヤリティを支払っていたのだ。そのような経緯もあり、VW株の多くをポルシェが所有しているのだ。
2012年にはイタリアのモーターサイクルの雄、『ドゥカティ社』も買収する。このうに、一口にVWと言っても、その実態は数多くの個性的なブランドを抱える総合自動車会社なのである。大衆車であるVWに加え、スポーティーな高級車であるアウディ、高性能スポーツカーのポルシェとランボルギーニ、超高級車のベントレー、そして自動車業界の頂点に立つブガッティ。
幅広いブランドを揃えることで、VWは途上国の一般層から超々富裕層まで顧客としてカバーすることが可能になった。そして、トヨタを凌いで世界ナンバーワンの自動車会社になったのである。さらにこのブランドポートフォリオ戦略によって、VW社は同一の車台で複数ブランドの車を作ることで生産量を確保し、効率的な生産を行うだけでなく、通常の量販メーカーであればなかなか作ることの出来ない超高級車や超高性能車を開発する技術やノウハウも蓄積することが出来ている。これはVWブランドだけでやっていては到底不可能な話である。
ここで重要なのは、VWが買いたかったのはメーカー(会社)ではなく、ブランドだ、と言うことである。VWの顧客層を広げると共に収益性の高いブランドに育て上げているのだ。(参考: 山崎明著『マツダがBMWを超える日』)
■■昔、昔、その昔、人気テレビ番組ロッテ歌のアルバムの司会者』として一世を風靡し、日本歌謡界の発展に尽くした『司会者・玉置宏』。その玉置さんが、遺作として自分の辿った歌謡界を綴っている。昭和の昔が懐かしい。川崎市生まれ、1934年1月5日 - 2010年2月11日、享年75歳。
★★★『玉置宏の「昔の話で、ございます」㉒ 御三家の新人・西郷君がクラウンの救世主に』 西郷輝彦君のデビュー曲『君だけを』は、60万枚を突破し、続いての『17才のこの胸に』も連続ヒットするなど、設立したばかりで資金繰りに苦労していた新星クラウンを、大いに勢いづかせた。
西郷君は、昭和40年(1965)に浅草国際劇場で初めてワンマンショーを開いたが、その時の司会も私だった。当時、1時間半の国際劇場のショーというと、着物を着て出る芸を一つ持たないと彩りが悪いというような、構成上の考えがあった。その辺りが松竹系なのだが、西郷君のレパートリーにはそれがない。それで『何か着物を着て歌える歌を作んなきゃ』というので、急遽作ったのが『青年おはら節』。
すでに小林旭さんが、映画『渡り鳥シリーズ』の中で、行く先々で各地の民謡を入れた歌を歌ってヒットを飛ばしていたから、『青年おはら節』にも西郷君出身の鹿児島の民謡『鹿児島おはら節』の一節『花は霧島 煙草は国分』という歌詞を入れて、民謡調の歌を作ったのだ。
これで、いなせ橋幸男、学園ムードの舟木一夫、モダンボーイの西郷輝彦の3人が出揃い、グループ・サウンズとムード歌謡が全盛だった歌謡界に青春歌謡という流れを注ぎ、ひとつの新たな時代を築いて行くのだが、この3人が御三家と呼ばれるようになるのは昭和41年(1966)以降のことであった。
この3人が初めてテレビで顔を一同に揃えるのが、昭和41年1月30日放送の、第400回記念の『ロッテ歌のアルバム』だった。この時出演した三田明さんも含めて、青春ビッグフォーと呼ばれるようになる。
以後、御三家、又は青春ビッグフォーで集まるのは『ロッテ・・・』だけにしようという了解が、私の知らないうちに4人の中で取られていたようで、それからも100回記念毎に集まってくれて、その度に番組も大いに盛り上がったものだ。(参考: 玉置宏著『昔の話で、ございます』)
★★<落語人気『令和』も続く>江戸時代かた続く伝統芸能の『落語』。平成半ばから盛り上がりを見せ、落語家は今や東西合わせて810人と『かつてない規模』に。若いファンも増え、全国各地で公演が開かれ、人気は令和も続きそうだ。
『令和の真打ち第1号、2号、3号です』。改元初日の5月1日、東京新宿の寄席『末広亭』。『笑点』でもおなじみの落語芸術協会副会長の三遊亭小遊三さんの紹介に客席が沸いた。この教会の滝川鯉斗さん、三遊亭藍馬さん、立川吉幸さんが一人前のプロ『真打』に昇進、披露興行が大盛況のうちに始まった。藍馬さんは協会の落語家4人目の女性真打ちだ。
『自分が若い頃、こんなに広がるなんて思わなかった。飛行機に乗って落語をやりに行くなんて』と小遊三さんは、3月の記者会見で語った。
平成では2度、落語ブームが起きた。2004年(H16)の春風亭小朝さん企画の落語イベント、春風亭昇太さんらの創作落語の広がりと、翌05年のドラマ『タイガー&ドラゴン』放送。10年に連載が始まった漫画『昭和元禄落語心中』と、真打ち手前の位である『二つ目』の人気・・・。
人気と共に入門者が増え懸念材料にも。落語芸術協会は入門してすぐの『前座』まで含め、現在170人。10年前より40人以上増えた。寄席で十分な修行が積めなくなるとして昨年夏、前座に登録出来るのは35歳以下の30人と制限を設けたほどだ。小遊三さんは『競争も厳しい。今なら落語家になっていない』と言う。
他に落語協会所属が380人、上方落語協会が250人、さらに五代目三遊亭円楽一門、立川流など合わせて合計810人。05年時の640人から、170人も膨らんだ計算だ。
観客側にも楽しみ方に変化が窺える。若手のための場、東京神田神保町の『らくごカフェ』(50席)は、10年前の開設当初から毎月会を開く二つ目『柳家わさびさん』らの高座が人気で、20~40代を中心にファンが訪れる。代表の青木さんは『完成された芸を楽しむのもいいが、若手の躍動感溢れるライブを体験したい方が増えているようだ』と話している。
いい傾向だねえ。古来の伝統文化が栄える、ということは。でも、修行は厳しいねえ。大阪の淀川沿いでは深夜に及ぶまで、落語、漫才の自己修練が行われている。何でも一人前になるにはそれ相応の修行が必要なんだよね。世間の若者達、一夜にしてベテランにはなれないぞよ、心しておくれな。
★★<旅行サイト競争激化>公正取引委員会は、ネットで定着した『旅行予約サイト』の大手3社について、調査を進めている。契約相手のホテル側に不当な条件を課した独占禁止法の疑いがあるという。背景には、最近台頭してきた『メタサーチ』と呼ばれるネットサービスへの危機感があるとも指摘されている。
『料金が他社サイトと異なる可能性があります。設定の確認、修正をお願いします』。2019年春、関東地方のホテルに1通のメールが届いた。送信元は旅行予約サイト『楽天トラベル』。メールには競合するじゃらんnetに載った料金が引用されていた。
楽天トラベルからこうしたメールが届くようになったのは数年前から。『契約条件(最低・同一料金保証)に基づくお願い』とし、『改善されないと契約プランが変更となる場合がある』と毎回併記されていた。
ホテル経営者は『手数料がかからない自社HPにお得なプランを出すことも出来ない』と顔をしかめる。だが『契約を解除されては困るので、要求には従うしかない』と言う。
公取委は4月10日、楽天トラベル、米エクスペディア、オランダのブッキング・ドット・コムの運営会社を独禁法違反の疑いで一斉に立ち入り検査した。取引先のビジネスを不当に縛る『拘束条件付き取引』の疑いがるとしている。特に問題にしたのは、客室料金などについて競合サイトやホテルの自社HPと同等以上の条件を強いる『最恵待遇MFN条項』だった。
MFN条項によってホテルは客室料金などを自由に決めにくくなり、その結果、ホテル間の競争が停滞して料金が高止まりする。料金やプランで差別化を図る中小サイトの努力も無効になる。『一見するとMFN条項で最安の料金が広がると思われがちだが、実際は消費者に不利益が及ぶことになる』と公取委の幹部は説明する。
近畿大の高橋教授によると、楽天トラベルの前身の『ホテルの窓口』がサービスを開始したのが1996年。インターネットの通信速度が上がった2000年代以降、画像を多用するなど情報量が増えたことで普及が進んだ。『いつでも宿を予約出来る手軽さが消費者に歓迎され、ホテルにとっても集客に欠かせないツールになっていった』と説明する。
経産省によると、空の便や鉄道の予約などを含むネットを使った旅行関連サービスの市場は、18年時点で3兆7千億円。10年前の08年は飲食店の予約などを含めても8千億円程度だった。今後も市場の拡大が見込めると言う。
あるサイトの関係者によると、現在の旅行予約サイトの勢力図は、日本人向けでは楽天トラベルとじゃらんが拮抗している。訪日外国人はエクスペディアとブッキングの利用が多い。ホテルの契約は知名度が高く、閲覧数が多いサイトに集まりがちだと言う。
ところが、『トラベベルコ』や『トリップアドバイザー』など、『メタサーチ』と呼ばれるネットサービスの台頭で、大手サイトの地位も安泰ではなくなった。メタサーチでは、様々な旅行予約サイトに掲載されているホテルの料金やプランを一括で検索することが出来る。旅行予約サイトはホテルの情報を比較出来る場を消費者に提供することで力を得てきたが、比較される立場に置かれることになったのだ。
MFN条項に基づく要求は以前からあったと見られるが、公取委幹部は『メタサーチで一番安い料金を出しているサイトを探しやすくなったことに危機感を覚え、ホテル側への締め付けを強めた可能性がある』と指摘している。
私は、7月に北アルプス、後立山の麓に連泊し、山歩きや高原歩き、高山植物園などを歩く予定だ。名を知ったホステルの予約を、楽天トラベルで行ったら、なんと即座に料金の引き落としがあった。こんなこと、長くネットでホテル、ホステルを予約しているが初めての体験だ。その後、バスの便の関係で予約を一旦キャンセルし、別日程で再予約したが、再予約は海外旅行でよく使ったブッキング・コムを使った。この場合、料金の精算はチェックイン時となる。楽天のキャンセル分は来月カードで戻して来るとは思うが、予約したら即引き落としとは恐れ入った『楽天』ではある。長くネット予約を使っているが、即引き落としは本当に楽天が初めてだ。ご用心、ご用心だねえ。
★★<『ポツンと一軒家』 関西でも過去最高&大台超え21・4%>9日放送のABCテレビ・テレビ朝日系「ポツンと一軒家」(日曜後7・58)の関西地区・平均視聴率が過去最高の21・4%を記録。週間視聴率もNHK連続テレビ小説「なつぞら」(8日、19・5%)を抑え、関西地区1位となった。関東地区も初めて20・3%を記録した。
所ジョージ(64)が司会、林修(53)がパネリストを務め、日本各地の人里離れた場所にポツンと存在する一軒家を制作スタッフが訪れ、住人のドラマを伝える番組。9日は宮崎県南西部の山奥の一軒家を訪ね、老夫婦にスポットを当てた。制作プロデューサーは『これからも変わらず、番組作りを続けていきます』と話している。
9日同時間帯の読売テレビ『世界の果てまでイッテQ!』は12・2%(関東地区15・0%)、毎日放送『サッカー・キリンチャレンジカップ2019、日本代表対エルサルバドル戦』は11・2%(同13・8%)、関西テレビ『でんじろうのHTE実験』は6・4%(同5・2%)、NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』」が6・0%(同6・7%)、テレビ大阪『地球ぐるり!日本―北米2000km最新型!自動車船に乗せてもらいました』が5・2%(同5・9%)だった。
この日の『ポツンと一軒家』は、宮崎県の山奥に独りで済む女性が登場。おおむね、ポツン・・・は、昔から住んでいた人で、子供達も離れたが、先祖伝来の地を守る人が多い。この日もそうだった。が、その前の回、2日放送の分は、今様のなかなか素晴らしいものだった。2月に岩手県の山の中の建築後200年経過の古い家を5年かけて自分で建て直し、住んでいる建築家の夫婦がいた。絵描き三昧の生活を楽しんでいると。これもなかなか結構だったが、この愛媛県のポツンはそれを上回った。
この2日に放送分は、愛媛県の山奥。500万円で1万5千坪ほどの山の土地を買い、ブルやクレーンの免許を取り、一人で土地整備から始めた人。横浜市に住んでいた、写真館の社長である弓削さん(45)。現在単身でこの山奥に寝起きし、この会社の本社を一人で建てている。土地整備、木の入り倒し、材木への手入れ、製材を一人でこなしている。半日は仕事、半日は建築という生活。本社が出来たら、さらに上の高台に本宅を立てると言う。仕事はネットが通じるので、それで処理。山が好きで、精神的に落ち着きたいという気持ちからスタートしたそうだ。立てているログハウスに使う丸太も尋常ではなく、とても太い。これを削り、クレーンで組み立てる。すべて一から習ったそうだ。弓削さんの熱意と修練には頭がさがった。麓へは1.7キロの距離がある地故、本当に孤立生活なのだ。
さらに凄いのは、この作業を録画し、You tubeにアップしていることだ。自分のように全く素人から、一軒の家を立ち上げようと思う人の参考にしてもらいたいそうだ。お見事というか、天晴というか、素晴らしい弓削さんではある。
うちのかみさんも、私もこの番組のファンになったが、感心のポイントは、こんな山の中で苦労も多いのに住み続けているというその執念というか精神力に都会に住む人達が驚きと敬愛の気持ちを持つからだろう。そして、かつて山の中に住み、生活した人達は昔の日本人の歴史を垣間見る気持ちになるのではなかろうか。そして、何より所ジョージのコメントが、ぼそっとしているが、いいのである。やっぱり所の人気も素晴らしいという証左であろうなあ。お見事だ。
★★<プリンター、目詰まり>昨日は往生した。大分前、画像をプリントしたら、青味がかって。どうやら黄色が出ていない様子。まあ、年賀状をプリントして以来、インクの補充をしていないからなあ。と、先週末にプリントしたらさらに青く。ようやく腰を上げて、補充用エコインクを注入。ところがイエローが出ない。クリーニングをしてもダメ。どうやら強烈な目詰まりらしい。ダメで元々と、新しいカートリッジを買う覚悟で『強力クリーニング』を実施。30分毎に、計6回。やや黄色が出て来た、もう少し、と結果クリーニングに成功。当分毎週プリントテストを繰り返さなければならないなあ。予備にリサイクルのカートリッジでも買っておくかしら。
私のプリンターは、キャノンの2700。新品を2,600円で買ったもの。今は生産中止になったが、インク代金より安く、コンパクトなプリンターで、安値で何台も買って、インクがなくなれば、新しいのを使う、という人もいるそうだ。詰め替えインクは1,200円くらいで、6回くらい詰め替えできるから、ランニングコストは抜群だ。今のプリンターは、最低1万円は出さないといけない。スキャナーがついていないが、その前使っていたプリンターを残しており、これが使える。が、面倒なので、カメラで写真を撮ってスキャナー代わりに使っている。これで私的には目的を十分達成できる。