今日の画像は、年俸2億4千万円、5年契約12億円超の大型契約でレアル・マドリードに移籍を決めたFC東京の『久保建英(18)』と、東武東上線の川越駅で電車通学をしている地元の山村学園高校の女子生徒ら約90人が、ティッシュなどを通勤通学客に配って訴えた『痴漢防止街宣活動』。そして、夕日に映える『赤いチューリップ』です。広島市内明治橋東詰めの花でした。
本当、女子高校生が恥ずかしさも殴り捨て、駅頭でキャンペーンを張るとは、本当に『痴漢行為はイカン行為』だぞ、世の男性諸君。
★★★ポルシェのように、強い顧客との関係が築かれ、ロイヤリストが増えると、価格競争がなくなって大きな収益も期待出来るようになる。しかし、現在のポルシェの利益率の高さは、単にオーナー達のロイヤリティだけが理由ではない。
ポルシェには911の他に『ボクスター』というモデルがある。ボクスターは911がまだ空冷エンジンを搭載していた1996年にデビューを果たした。ポルシェ伝統の水平対向6気筒エンジンを水冷化した全く新しいエンジンを搭載し、リアエンジンの911とは異なり、多くのスポーツカーやレーシングカーが採用するミッドシップだ。エンジン排気量は当時の911の3,600ccに対し2,500ccと小さく、価格は595万円で、約1,000万円の911と比べると半値に近く、そのため当然のことながら911とは全く異なるポルシェ入門モデルとして受け取られた。しかし実はこのボクスター、その1年後に登場する水冷エンジン搭載の新型911と並行して開発された車だったのだ。
ポルシェはまず生産コストを下げるため、元トヨタの生産技術担当者を何人も雇った。トヨタ流の生産方式を導入することで、大幅なコストの削減に成功したのである。設計も効率化し、例えばボクスターの水冷エンジンでは、シリンダーヘッドは左右で共通のものを使えるような設計となっている。さらに、両モデルは共通の部品を多く使用することでもコストダウンを実現した。エンジンも共通の設計で、排気量は異なるが分解図を見てもほとんど違いがない。
はっきり異なるのは、フロントシートより後ろの部分だ。エンジン搭載位置に加えて、技術的な最大の相違点はリアサスペンションにある。ボクスターが前輪と同じストラット方式なのに対し、911はマルチリンクになっている。しかしこれも工夫がこらしてあり、それほど大きなコスト差にはならない。ボクスターとの違いはもう一つあって、911の標準型が普通のクーペなのに対して、ボクスターは電動開閉式のコンバーチブルトップが標準装備なのである。まあ、性能に合わせてブレーキやホイール、タイヤなど相違があるが、それほどのコスト差にはならないだろう。
これらの要素を総合的に判断すると、ボクスターと911の生産コストはほとんど変わらないか、あったとしてもごくわずかでしかないと推察出来る。
この推察が正しいとするならば、1998年に発売された新型911は、ボクスターと同じ値段、即ち600万円程度で売っても十分採算が取れるはずだ。それを前モデルと同じ1,000万円で売れば、収益が上がるのは当然である。空冷時代の911は、構造が複雑で生産に手間が掛かり、1,000万円で売ってもそれほど儲かる車ではなかった。が、ポルシェ社の収益は、このボクスター/新型911発売以降、劇的に改善されたのだった。
その後2回のモデルチェンジがあったが、3世代にわたって車作りの基本的な考えは変わっていない。この高収益が見込めるコスト構造を、2016年まで20年間変えることなく続けたのである。現在、911の年間生産台数は3万2千台。ボクスター/ケイマンの年間生産台数は2万4千台である。スポーツカーで世界で最も販売台数が多い『マツダMX-5 ロードスター』の生産台数は年間3万7千台なので、911とボクスター/ケイマンを基本的に同じ車種とすれば、ポルシェのスポーツカー生産台数ははるかに安価なマツダMX-5を大きく上回る。規模の経済に考えても、1台当たりのコストはかなり下げられるだろう。
このように説明すると、911は不当に高く、買う人が少なくなってしまうと思われるかも知れない。しかし、である。多くのポルシェファンは、『911こそ真のポルシェである』と固く信じている。
911は現在、最低1,244万円もするが、オーナーはその価格を納得して購入し、655万円からのボクスター/ケイマンとは明らかに異なるステータス感と乗り味を味わいながら乗っている。中古車の値落ちが少ないのも911の特徴で、どんなに古くても買い支える人がいるため、一定以下の金額からは下がらない。
カイエンやマカンも、車台はVWやアウディと共通ながらもポルシェらしいスタイリングを持ち、よりスポーティな乗り味を提供している。材料は共通でも、味付けはきちんといポルシェを感じるようになっている。だからこそ客は、生産コストとは関係なくより多くの金を払い、『ポルシェを買ったという満足感』を味わうことが出来るのである。ポルシェの顧客は高い価格にも拘わらず、非常に満足している人が多く、ポルシェは比類なき高収益を得られる。完璧なウィン・ウィンの関係が出来上がっているのだ。(参考: 山崎明著『マツダがBMWを超える日』)
■■昔、昔、その昔、人気テレビ番組『ロッテ歌のアルバムの司会者』として一世を風靡し、日本歌謡界の発展に尽くした『司会者・玉置宏』。その玉置さんが、遺作として自分の辿った歌謡界を綴っている。昭和の昔が懐かしい。川崎市生まれ、1934年1月5日 - 2010年2月11日、享年75歳。
★★★<『玉置宏の「昔の話で、ございます」㉕ 銀座では鶴田浩二より、強面作曲家がモテた』>昭和35年(1960)、橋幸夫君が初の新人賞を受賞した、第2回の『日本レコード大賞』に選ばれたのが『誰よりも君を愛す』だ。松尾和子さんと、和田弘とマヒナスターズが歌って、ビクターから発売された。
私が歌謡曲の仕事に入って、美空ひばりさんを別格として、強烈な印象を受けた初めての女性歌手が『松尾和子さん』だった。この松尾さんの歌謡界へのデビューのきっかけを作ったのが、作曲家の大御大・吉田正先生だ。
吉田さんは、招集されて満州にいた頃から作曲を始めており、昭和18年(1943)、野戦病院で闘病中に作った曲が、歌詞をアレンジされて日本に持ち帰られ、『異国の丘』というタイトルで大ヒットした。そして昭和24年(1949)からは、ビクター専属の作曲家として活動を始めたのだった。
街には『トリスバー』の看板が目立つようになり、銀座、赤坂、青山辺りの高級ナイトクラブは、銀座が退けて朝方まで、女性を伴ったプレイボーイで賑わっていた。飲み物は、ハイボール、流れる音楽はジャズばかり、だった。
そんな雰囲気の中でも違和感のない歌謡曲、いわゆる『ムード歌謡』という新路線の確立を目指した。ここで運命的な出会いをするのが、ポリドールの閉鎖で、当時ビクターへ移籍していた、売り出し中の二枚目映画スター『鶴田浩二さん』。
鶴田さんは酒が好きではなかった吉田さんに『ヨッさん、机に向かって書いた歌では大衆の心を掴むことは出来ないと思うよ。街中へ出て肌で感じたままを五線譜にぶつけなくちゃ』と、外へ出ることを勧め、連れだって、バーやクラブをハシゴして回ったのだ。
吉田さんは後に私に、『鶴田さんのお陰で、酒のうまさと楽しさを知ることが出来た。数年後には鶴田さんよりも強くなっちまってねえ。銀座の女性とずいぶんいい思いをしたもんさ。鶴さんよりもモテたことがあるんだから・・・』と、懐かしそうに話してくれたことがあった。
生前、『好きだった』など吉田メロディーでヒットを飛ばした鶴田さんに聞いた話では、吉田さんはいい子が出来ると、その子の名前を入れて歌を作ってあげたそうだ。『江梨子』『霧子のタンゴ』『夕子の涙』・・・なんて、確かにどれも銀座にいそうな女の子の名前ばかりだ。
後、当時の吉田学校を言われる、ムード歌謡の歌い手には、最初に『落ち葉しぐれ』の三浦洸一、次がフランク永井、マヒナスターズと続くが、昭和32年(1957)のフランク永井の『有楽町で逢いましょう』で、吉田さんのムード歌謡の存在は揺るぎないものになった。
むせび泣く 夜の底から
男を思う女の心の叫びが聞こえてくるような吉田メロディー
淋しげな男の 女に寄せる想いも 胸に忍んでくる吉田メロディー
瞳を閉じれば そこは夜 瞼のうらを染めるのは 夜の街角
重ねるグラスに ふともれる やるせない 吐息
このフレーズ、私が永年好んで使ってきた、吉田メロディーのナレーションだ。
★★<偽造はがき、大阪や兵庫で大量流通>兵庫県や大阪府の金券ショップなどに、日本郵便が郵便法に基づいて発行するはがきの偽造品が多数持ち込まれ、換金されていたことが分かった。はがきを押収した兵庫県警と大阪府警は、両府県を中心に多数の偽造はがきが出回っているとみて、郵便法違反や詐欺の疑いがあるとみて捜査している。
捜査関係者によると、偽造はがきは、日本郵便が発行するはがきとよく似た紙質で、一見してすぐには本物と区別がつかない品質だった。兵庫県内では、阪神間を中心に少なくとも数百枚の偽造品が確認されているという。
今年に入り、高齢女性が阪神間のリサイクルショップで購入したはがきが郵便局に持ち込まれ、偽造品であることが判明するケースなどがあり、多数の流通が発覚。両府県警は、何者かが、コピー機で偽造したはがきを金券ショップなどで売り、利益を得ていたとみて調べている。
切手が必要のないはがきは、日本郵便が規格を定め、郵便料金を表す図柄を印刷して発行している。
次々に現れる、新手の犯罪だねえ。オレオレ詐欺防止で犯罪が難しくなった輩が新開発した犯罪行為だろうなあ。そのパワーを正業に使えば、もっと効果があるだろうになあ。外した道はもう元へは戻らないのかなあ。可哀想だ。
★★<キリンHD府中町出身 坪井純子常務(56)>マーケティグ担当役員をしている。『一番搾り』は多くの人に好まれる自慢のブランドだ。一方で、色々なクラフトビールを楽しみたい人もいる。消費が二極化している。若い人の消費が体験型に向い『お酒は楽しい』と思ってもらうことがより必要になった。お客様の生活が変わる中、マーケティングも変わって行かないといけない。考える力がある人を育てていくのも私の仕事だ。
グループ会社だった商業・文化施設の横浜赤レンガで初めて社長を経験した。東日本大震災の時思ったのは、私達の事業そのものが世の中の役に立たなくてはならないということだった。
キリングループは今、それを『共有価値の創造CSV』と言っている。経営を続けていくために地域を活性化する。2月策定の新スローガン『よろこびがつなぐ世界へ』には、私達の商品が喜びになって人と人がつながるという意味を込めた。この大切さを学んだのが横浜赤レンガだった。
広島県府中町にはかつて広島工場があり、キリンビールと身近に育った。私はノートルダム清心女子中、広島大付属高で学び、宇宙飛行士になりたくて東京大へ進んだ。でも数学が難しくて諦め、生物化学を学んでキリンビールに入った。
キリングループには、広島県出身者や旧広島工場の勤務者達で広島東洋カープを応援する会がある。球場に行ったり、飲み会をしたりする。広島を出てからの方が『広島ラブ』になる人は多い。広島出身の人は一体感があるとよく言われる。
理系の頭で物事を考えることが多いので、休日には柔らかい頭にしたくて美術館によく行く。それと、就眠は何と言っても食べて、飲んで楽しむこと。
理学部卒がマーケティング担当とは、と思った。キリンって、柔らかい組織なんだねえ。お見事。だが、サントリーとの統合合併が成功しなかったのは、まさに世界制覇への千載一遇のチャンスを逃したと見るが、どうだろうかなあ。
★★<新疆・ウルムチ暴動から10年。続く>中国新疆・ウイグル自治区で漢族とイスラム教徒のウイグル族が衝突して197人(当局発表)が死亡した『ウルムチ暴動』から7月5日で10年を迎える。節目を前に、米国などから中国政府の民族・宗教政策への批判が高まっており、中国当局が反論に追われている。
『我々の理解ではウイグル族人口1,000万人のうち300万人近くが施設に拘束されているらしい』。シュライバー米国防次官補は会見でこう発言した。国連の人権高等弁務官などが指摘していた『100万人以上』という数字を3倍近くに増やした。これに中国側が強く反発した。『米国は偏見を捨て去り、新疆の問題を利用して中国の内政に干渉することをやめるよう促す』と。
米中貿易戦争が本格化した昨夏以降、米国は台湾や南シナ海などと同様に新疆ウイグル自治区の収容施設などへの批判を強めてきた。米メディアによると、『ファーウェイ』に続き、ウイグル族の監視に使われているとして中国監視カメラ大手の『ハイクビジョン』に対しても禁輸措置を検討中だ。
一方、中国側は『米国は政治目的で、中国のハイテク企業にいわれのない圧力をかけている』と反発。収容施設との批判については今年3月の白書で『職業技能教育訓練センター』であり、テロや過激主義に勧誘された人達を入所させていると説明する。
しかし、5月になって英国紙ガーディアンは、新疆ウイグル自治区の衛星写真などを分析した結果、ここ数年で20カ所余りのイスラム教の礼拝所モスクが取り壊されたと報じた。これに対しても『うわさ話を宣伝することに没頭しないように』と批判。中国が一部メディア、外交官にしか現地視察を認めていないとの批判には、『中国の法律を守り、相応の手続きを経れば、新疆へ行くことが出来る』と反論した。
中国では今年、ウルムチ暴動10年だけでなく、天安門事件30年、軍事パレードが予想される10月1日の建国70年などの節目を迎える。米国側も『来年の大統領選を前に対中国政策が強硬になる時期』に重なり、中国側は当分、守勢に回ることになりそうだ。
中国は、ウイグル族問題に限らず、チベット問題など少数民族問題を抱えている。南シナ海の占有など、まるでゴジラが地球を飲み込もうとする図にも見える。巨大化、肥大化した中国の明日はどんな姿に変貌するのだろうか、心配だ。
★★<瀬戸内移住(上) 起業の起点へ、大三島>広島県尾道市と愛媛県今治市を結び、開通20年を迎えた『瀬戸内しまなみ海道』。その中央に位置する人口6,000人の大三島(今治市)で『会社勤め』を続けながら移住と起業を実現した夫婦がいる。増田茂樹さん(35)、理絵さん(40)はそれぞれ東京や大阪に本社を置くIT企業の社員だ。理想の働き方と暮らしを求めて2016年春に移り住んだ。
午前6時に起きて浜辺を散歩し、自宅に戻り朝食を取る。ネット会計ソフトの『freee』(東京)社員の茂樹さんは、リモートワークでプログラミング業務を始める。大阪にある支社に出勤するのは2週間に1度。茂樹さんは『家族と過ごす時間が取れて充実している』と笑う。理絵さんは顧客管理システム開発『シナジーマーケティング』(大阪市)社員だが現在は育休中だ。
そんな島ライフを満喫する2人は17年12月、自宅近くの古民家を改装して一棟貸しの宿泊施設『オオミシマスペース』を開業。施設にはWi-Fi環境や4Kモニターを備えた作業場もある。『地域の未来のために若者が移住出来る環境を作りたい』(理絵さん)。
これまでに500人が宿泊した。企業の研修合宿やソフトウエア開発者らが新サービスなどのアイディアを短期間で競うイベント『ハッカソン』の利用もあった。コワーキングスペースやシェアオフィスの開設も3年以内をメドに検討。将来はプログラマーらが集う『IT村になれば』と言う。
しまなみ沿線は近年、移住や起業が相次ぐ。愛媛県によると、17年度の県外から今治市への移住者は346人で、県内最多だった。今治市は転出者が転入者を上回る社会減の状態が続いているが、移住者が増えたことで、ここ数年は社会減のスピードに歯止めがかかりつつある。
いよぎん研究センターでは『リタイア後、第二の人生を』という移住から、働き盛りの移住にシフトしている、と分析する。『サイクリングの聖地』としての知名度の高まりから、観光客を見込んだ飲食・宿泊業などの起業家の移住に繋がっている。移住者をよそ者扱いしない地域性や、移住者同士の横のつながりが強いことも起業家達をひきつける理由だ。
行政の移住促進策も後押しする。地方への移住に当たっては働く場所の不安が付きまとうが、愛媛県は17年に移住と求人に関する情報を一元的に発信するサイト『あのこの愛媛』を開設。島暮らしを1週間程度かけて体験する滞在ツアーも開催するなど、働く世代の移住促進に力を入れる。
理絵さんは『しまなみの島々は自然豊な割に人口もそこそこいる。大病院は橋で行けるし、通販も翌日に届く安心感がある。観光客が増えたが飲食店などはまだ少なく商機が広がる』と話す。移住者らのビジネスは、地域に変化の『種』もまく。建築家の伊東豊雄さんが代表を務める『大三島みんなのワイナリー』は、高齢化で増える大三島のミカンの耕作放棄地を活用し、ブドウ栽培に取り組んでいる。収穫したブドウはワインへと委託醸造しており、島の新たな特産品に育てる構想だ。
20年には島内に醸造所を開業する予定。島外の人が訪れて食事と一緒にワインを楽しみ、宿泊が出来るオーベルジュの建設も計画する。
いいですねえ、大三島。大三島の神社は由緒ある古い神社で、明治天皇も訪問されるとか聞いたけど、すごこことではあるな。
★★<久保建英、レアル・マドリード移籍 バルサのライバルに年俸2億4000万円>FC東京の日本代表MF久保建英(18)が、スペインの名門レアル・マドリードに完全移籍することが決定的となった。4日に18歳となり海外移籍が解禁。当初は古巣・バルセロナ復帰で基本合意していたが、条件面で歩み寄れず、好条件のライバルクラブ加入に気持ちが傾いたもよう。交渉は最終段階に入っており、既にメディカルチェックも済ませ、契約書にサインするのみ。
◇1年間はBチームで修行
スペインの名門2クラブによる“クラシコ”にまで発展した久保建争奪戦は『白い巨人』と呼ばれるレアルに軍配が上がった。久保建英は10歳で、バルサの下部組織に加入。世界中から集まったタレントの中でも輝きを放ち、現地でも高い評価を集めた。だが、国際サッカー連盟(FIFA)が定める18歳未満の外国籍選手獲得、登録違反のあおりを受け、2015年3月に帰国。FC東京の下部組織『U-15むさし』に加入後も順調にステップアップし17年には異例の16歳でトップ昇格を果たした。
当初は海外移籍が可能となる18歳になる今夏のバルサ復帰で基本合意していた。バルサ側は久保建英に年俸25万ユーロ(約3000万円)を提示し、下部組織出身選手の慣例となっている3部リーグ相当のバルサBでの2年間のプレーを求めていた。しかし、久保建英側は認めず、交渉は暗礁に乗り上げていた。
FC東京との契約は6月1日で満了。違約金なしで動ける身となった久保建英には、バルサ以外にも、レアルやパリ・サンジェルマン(フランス)、バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)といった欧州のビッグクラブから大型オファーが届いていた。一方、東京からの契約延長オファーも検討していたが、既に習得しているスペイン語圏のクラブであり、バルサのライバルへの加入を決断したとみられる。
レアルは条件面でバルサをはるかに上回る年俸200万ユーロ(約2億4000万円)、5年契約総額12億円超を提示。レアルも3部リーグ相当のセカンドチーム(RマドリードB)を保有しており、1年間はそこが主戦場となるが、トップチームが出場する今夏の全米ツアーには同行する予定だという。レアルの下部組織には15歳の中井卓大も所属しており、将来的には夢の日本人コンビ結成も実現するかもしれない。
日本国内では、プロ野球に一歩讓るJリーグ。しかし世界を舞台にすると、やっぱりサッカー、を証明し、若者の夢を膨らませた久保建英、お見事です。
いやー、ロナウド在りし日のレアルのファンだった拙者にしてみれば、嬉しい便りだ。6年前のマドリード訪問の際には、ホームスタジアム『エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ』へ地下鉄で行き、スタジアムツアーに参加した。確か料金は高く、22ユーロだったが、次々にファンが来場し、その人気の高さをうかがわせた。見事なピッチではあったなあ。なぜ、日本の名門サンフレッチェ広島には専用のスタジアム計画が何故12年もかかるんだろかなあ、広島市長の松井一実君。