今日の画像は、回り始めた2017年7月の九州北部豪雨で大きな被害を受けた福岡県朝倉市にある国指定史跡の『三連水車』と、今年は貯水率が下がりのり面があらわになった福岡県朝倉市『江川ダム』。そして、色合いがとても美しい八重桜ピンクの『楊貴妃』、薄緑色をした『ウコン』です。楊貴妃の艶姿はこんな色をしていたのでしょうかねえ。素晴らしいです。
★★★しかし、ソニーはかつての高級高性能路線を全く諦めてしまった訳ではなかった。再びプレミアムブランド市場へのチャレンジを行った事例が『クオリア』である。マスブランドになったソニーを立て直す目的で、もの作りに徹底的にこだわり抜いた高価かつ高性能・高品質な製品群として、2003年に『クオリア』という新ブランドを立ち上げた。当時の出井会長発案で、機能やスペックだけでなく『感動価値の創造』を目指した。レクサスの『EXPERIENCE QMAZING』と共通する抽象性を感じるワードである。
当初発表されたのはHD対応プロジェクタ、SACDオーディオシステム、トリニトロンモニター、小型デジタルカメラの4種である。驚くべきはその価格で、それぞれ240万円、150万円、130万円、38万円と他のソニー製品とは比べものにならないほど高価格であった。当時の技術の粋を集めて作られたものであったが、『高級なソニー』としては価格差がありすぎ、性能差も価格差を納得出来るものではなかった。
不幸なことに、エレクトロニクス製品はデジタルの時代に突入しており、技術は日進月歩で、こらの商品はすぐに時代遅れになってしまった。加えて品質上のトラブルも起こり、クオリアの売り上げは惨憺たるものとなった。このため、ブランド立ち上げから2年後には新規開発が中止となり、その1年後にはクオリア自体が消滅した。
クオリアの失敗は、超高級ブランドを唐突に立ち上げようとしたことにある。ターゲット設定も不明確であり、果たしてそこまで高価なエレクトロニクス製品の需要がそもそも見込めたのかも疑問である。
異なるブランドを作る意味は、自社ブランドではアクセス出来ないターゲットにアクセスすることにある。クオリアはその製品特性上、技術オタク的な層しか関心を惹かず、ソニーブランドで十分アクセス出来る層でもあった。この失敗のせいで、ソニーは新ブランドの立ち上げに慎重となり、『全てソニーブランドで』という方向に舵を切ることになったのだ。(参考: 山崎明著『マツダがBMWを超える日』)
★★★<『玉置宏の「曲ナレーション集」 美空ひばり、江利チエミ、石原裕次郎』>
<『みだれ髪』 美空ひばり>
一つの時代が終わりました
昭和という時代を
その羽根に抱いて
遠い国へと飛んでいってしまった
美空ひばり
でも 歌だけは
私達に残されました
懐かしさと 想い出をこめて
最後の演歌
『みだれ髪』をお唄い下さい
<『新妻に捧げる歌』 江利チエミ>
胸の中に 小さな でも
大切な想い出が ひとつ
それは
二人が初めて瞳をあわせた
あの日 あの時の感激
『新妻に捧げる歌』
<『夜霧よ今夜も有難う』 石原裕次郎>
木の葉が落ちて 冬になる
若葉が萌えて 夏になる
季節は移ってゆくけれど
私の愛は あなただけ
胸に秘めた 面影を
今夜も優しく 包んでくれる
『夜霧よ今夜もありがとう』
★★<『赤字体質のホンダ』、人員削減は必至か>高い技術力とブランドイメージで世界に名を馳せたこの企業が、振るわない。商品・技術戦略の失敗だけが理由ではないようだ。社内の対立によって溜まってきた膿のほうが、どうやら根深いのだ。
◇二輪部門vs.四輪部門
ホンダの経営中枢にいた元役員はこう指摘する。『今の経営体制ではホンダはいずれ経営危機を迎えます。トップの八郷隆弘社長にせよ、ナンバー2の倉石誠司副社長にせよ、経営をかじ取りする力量がない。経営陣を総入れ替えする荒療治が必要だ。昨年の株主総会ではOBの一部株主が結託して解任動議を出そうとしていたくらいです』と。
ホンダが5月8日に発表した2019年3月期決算の売上高は前期比3.4%増加の15兆8886億円、本業のもうけを示す営業利益は12.9%減少の7263億円だった。営業利益率は4.6%と、トヨタ自動車(8.2%)や、安価な軽自動車中心のスズキ(8.4%)の足元にも及ばない。その要因は不振の四輪事業にある。ホンダの事業は、四輪、二輪、汎用エンジンや草刈り機などのパワープロダクツの3部門で構成されるが、売上高の最も多い主力の四輪が、'19年1~3月期決算で売上高2兆9128億円に対し、営業損益は530億円の赤字に陥ってしまったのだ。今後も収益性が大きく回復する見込みがない。 ホンダの四輪が赤字に陥ったのは、過剰設備と開発コストの高さによるものだ。国内で最も売れている「N-BOX」シリーズを抱える軽自動車部門でさえも赤字だというから驚く。
ホンダ低迷の構図はかつての日産自動車と全く同じだ。日産は過剰設備と高コスト体質に苦しみ、赤字体質から脱却できずに有利子負債を膨らませて経営危機に陥り、仏ルノーの傘下に落ちた。この惨状にもかかわらず、ホンダはあちこちで内部対立を抱えている。
まずは稼ぎ頭の二輪事業と、赤字の四輪事業の対立だ。いまホンダは、本田技術研究所内にある二輪の研究開発部門を切り離して、本社の二輪事業本部と一体化させることで意思決定の迅速化を図ろうとしている。追い上げてくるインド・中国メーカーに対抗するためだ。ところが二輪部門の幹部は、『意思決定の迅速化を狙うならば、二輪事業部門をホンダ本体から切り離して分社化する手もあったはずだ』と語る。稼ぎ頭の自分たちだけを分社化すればいい。この幹部は、『赤字転落した四輪とは一緒にされたくない。モチベーションが落ちる』とまで言うのだ。
◇中国派の専横
二輪と四輪の対立だけではない。四輪事業の不振の元凶の一つとされた北米事業の出身者『米国派』の幹部たちは、中国事業を長く手がけてきた八郷氏や倉石氏ら『中国派』が人事を専横していると不満を募らせる。さらにはその『中国派』のなかでも、八郷氏と倉石氏の関係に軋みが生じ始めているというのだから、ただ事ではない。
今、ホンダ社内で何が起こっているのか。『八郷体制』の力量不足は否めない。前任者の伊東孝紳氏(現取締役相談役)が無謀な拡大路線を敷いたことで、品質管理力が追い付かず、主力車『フィット』の大規模リコールの責任をとって退任。後任として'15年6月に八郷氏が選ばれた。当時、八郷氏は全く無名の存在で、社長就任が決まり、社内からも『八郷WHO?』といった声が出たくらいだった。その経緯について前出・元役員がこう解説する。『伊東君は辞めるつもりはなかったが、伊東君を引き上げてきた川本さん(信彦元社長)に「お前、責任取れ」と一喝されて退任が決まった。伊東君が「後任は誰にしましょうか」と川本さんにお伺いを立てると、「そこまでは関与しない」と言われて、同じ車体開発畑で自分の言うことを素直に聞く八郷君を選んだ』と。
しかし、八郷氏の尻に火がついてきたのは昨年夏ごろからだった。温厚な八郷氏の眉間にしわが寄るようになり、いら立って語気を強めて部下に説明を求める場面が増えたという。『俺が納得する新しい案を持ってこい』。昨年6月のある日、八郷氏が珍しく声を荒らげた。八郷氏が求めた案とは、コストを下げて商品力も落とさない自動車の新たな開発手法の導入計画のことだった。
自動車会社では、開発の上流段階から設計・部品の共通化を進めるコストダウン戦略がはやっている。トヨタの『TNGA(トヨタ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)』やマツダの『一括企画』と呼ばれる設計手法が有名で、こうした新たな設計手法の導入によって、開発部門の組織や仕事の進め方を見直し、車種によっては製造原価を30%下げたと言われる。これに対し、ホンダは何も取り組んでこなかった。今年5月の決算発表の際、ようやく八郷氏が『ホンダ アーキテクチャー』を導入して開発効率を上げると発表した。他社より10年遅れて設計改革に取り組むことになった。
◇『出る杭』を打つ管理職
八郷氏がいら立っていたのは、開発部門から正しい情報が自分に上がってこなかったからだ。ホンダの役員が言う。『他社に比べてあまりにも収益性が低いので、八郷社長が現状を調べ直したところ、主力車種「アコード」と「CR-V」では部品の共通化率が金額ベースでわずか0.3%。設計改革をしていると開発部門は言いながら、全くできていなかったことに怒ったのでしょう』。
八郷氏、倉石氏ともに中国の経験が長いので、中国事業の出身者が出世する傾向が強まり、主流派だった米国派』との対立が深まったという。『これまでホンダを支えてきた北米事業出身者がポストを寄こせと言って社内で抗議しているようです。4月1日付で倉石君が会長になる案もあったが、これでは益々米国派の不満が募るので、その折衷案として米国と中国の両方を経験した神子柴寿昭君が会長に選ばれたのではないか』(同前)。
もともと八郷体制はワンポイントつなぎの『短命政権』との見方があり、ポスト八郷には三部敏宏常務が有力視される。三部氏は現在、本体社長への登竜門である開発部門で子会社の本田技術研究所社長の地位にある。三部氏は開発部門の中でも改革派として知られた。しかし、『三部氏があまりにも早急に改革を進めるので、倉石氏が「あまり改革をやり過ぎると次の社長の目はないぞ」と言って改革をつぶした』(前出OB)。ところがここにきて、『改革が全く進まないのは倉石君のせいではないかと八郷君が気付き始め、仲良しだった2人の関係にひびが入りそうな状況』(同前)だそうだ。
◇銀行も経営介入を意識
ホンダの決算発表はこれまで副社長が行うのが慣例だったが、今年は5月8日の決算発表に八郷氏が顔を出した。決算発表の前に、八郷氏が自ら異例の『事業方針説明』を行った。その内容は主に四輪事業の強化策の発表で、売れない派生車種の削減と、過剰な生産能力の削減を展開していくことが強調された。しかし、今年2月19日に発表した組織の見直しの際に説明したものとほとんど同じで新鮮味に欠けた。同時にホンダは、英国南部のスウィンドン工場やトルコ工場での生産終了も発表。一昨年には狭山工場の閉鎖も決めている。だが社内には『英国やトルコの生産拠点を閉鎖しても、まだまだホンダの生産過剰問題は解決しない。内製している変速機の生産能力も過剰、いずれ人員整理に手を付けないといけないだろう』との見方がある。
こうした事態にメーンバンクである三菱UFJ銀行も経営介入を準備しているとされる。『三菱UFJフィナンシャル・グループの平野信行会長は以前、三菱自動車の担当を務め、現在はトヨタの社外監査役を務めるなど自動車産業に詳しい。平野会長がホンダの行く末を心配している』(ホンダ関係者)。三菱UFJ銀行はホンダ系下請け企業に資金を貸し込んでおり、四輪事業がさらに苦境に落ち込めば、下請けが疲弊するとの危機感も強い。
◇現役社員が語る。
『ホンダは「末期癌患者」のようなものと言っていい。将来に期待していませんし、30代、40代の若い社員も将来がないと絶望して自発的に転職しています』。内紛だらけの社内では、不満が渦巻き、空中分解寸前と言っても過言ではない。本田宗一郎が築き上げた「技術のホンダ」に危機が忍び寄っている。
現代には失礼ながら、たかが『週刊現代』に、これほど面切って書かれっぱなしのホンダ。一体何が起こっているのだろうか。アメリカ、中国では強さを発揮するホンダも、欧州に行けば第4銘柄。ベスト10などには入りようもない。ここらにホンダの病根があるのかもしれないな。
★★<保釈中逃走の男、やっと逮捕>窃盗などの罪で実刑が確定した小林誠容疑者(43)=神奈川県愛川町=が収容を振り切って逃走した事件で、小林容疑者が21日夜の段階で神奈川県の湘南地域に潜伏しているとの情報があることが判明した。知人宅などにいる可能性があり、県警が調べている。 小林容疑者は19日午後1時過ぎ、収容に訪れた横浜地検の職員らを振り切り、車で逃走した。相模原市内の国道16号を走り、午後6時ごろに横浜町田インターチェンジから東名高速道路に進入。しばらく下り線を走行し、同県厚木市内へ移動した。
小林容疑者は19日夜、厚木市内のコンビニエンスストアや理髪店に立ち寄った後、同市内で車を乗り捨てた。20日早朝には、知人女性が厚木市内で小林容疑者を自分の車に乗せ、同県大和市内で降ろしたという情報もある。逃走中は着替えを繰り返し、散髪もして容姿を変えているという。知人宅を転々としながら身を隠しているとみられる。
厚木市内などからは、小林容疑者に似た人物を見かけたという通報も多数寄せられている。厚木市と愛川町の公立小中学校全校が20、21日に休校するなど、市民生活への影響も出ている。
と、今朝小林容疑者が神奈川県横須賀市内で見つかり、横浜地検は、公務執行妨害の疑いで逮捕したと発表。公務執行妨害だけの罪で、保釈中に逃走したというのは罪にならないそうだ。これだけ騒がせておいて無罪とは、刑法の穴かな。
まあ、検察の係官と警官計7人もいて、犯人を取り逃がしたのは、重大な過失以外にない。包丁を持ってたと言うが、警官は警棒を持っていた。クルマに向かう際、それを何故止めなかったのか。警官の重大な過失であろう。検察の係官も同様だ。クルマで逃げることが想定されたにかかわらず、なんら手立てをしなかった責任は問われていい。これほど世間を騒がせ、大きな影響が出る発端を作ったのはこの6人なのだから。検察がどう結論出すか、見ものだなあ。
★★<九州北部、いまだ梅雨入りせ 渇水は深刻化>九州北部・山口地方は22日も梅雨入りせず、統計を取り始めた1951年以降最も梅雨入りが遅かった67年の記録(6月22日ごろ)を52年ぶりに更新することになった。気象庁によると、25日ごろまで晴れるとみられ、梅雨入りはそれ以降になる見通し。梅雨入りが遅れているのは、太平洋高気圧の西への張り出しが弱く、梅雨前線が北上しないため。南米沖の海水温が上昇するエルニーニョ現象も影響している可能性がある。
九州北部・山口地方の5月の降水量は平年の3割程度で、各地のダムは軒並み貯水率が低下している。福岡県内では油木(あぶらぎ)ダム(添田町)が14.4%(21日現在)まで落ち込み、下流の行橋市や苅田町は水道水の給水圧力を10~15%下げて対応。県内最大の江川ダム(朝倉市)も22.3%(22日)にとどまる。
佐賀県内最大の嘉瀬川ダムも貯水率が過去最低の16.1%(22日)まで低下し、一部地域で上水道の取水制限を実施。熊本県苓北町の志岐ダムも17.7%(21日)まで下がり、農業用水の断水が続く。一方、78年と94年に長期間の給水制限を経験した福岡市は運用前試験中のダムの水も利用しているため、市水管理課は『市民生活に影響が出ることはない』としている。
2年前も梅雨入りが6月20日ごろまで遅れたが、短い梅雨期間中に九州北部豪雨が起きた。梅雨入りが遅れてもその後は大雨になる恐れがあり、気象庁は警戒を呼びかけている。
先週、まとまった雨が降ったので、北九州もこれで安心と思っていたが、北九州には降らなかったんだねえ。厚い雨雲が移動していたように見えたが。