今日の画像は、新幹線のお医者さんが引退するのではないか? というの、N700Sと前後してデビューした『ドクターイエロー』、世界の首脳が呉越同舟的な趣で集結した『大阪2019 G20』。そして、八重桜『一葉』と『思川』です。ドクターイエロー、本当に人気者ですねえ。
G20では、安倍首相は韓国文大統領と8秒間、握手をかわしました。首相と文氏はお互いの顔を見ながら、穏やかな表情で握手しましたが、ぎこちなさが残りました。首相が誘導のために声をかけると、文氏は壇上から離れて会議場に向かって。安倍首相の表情はあくまで冷ややかであり、型通りの会場への案内をしました。当然といえば当然のことではありますが。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
★★★従来、日本ブランドは価格競争力と高品質で勝負し続けてきた。そのため、明確なブランドアイデンティティを持つものが少なく、定義があったとしても非常に曖昧模糊。取りようによってはどうにでも解釈出来るようなものが多かった。
その理由は、ブランド戦略がトップマネージメントではなく、マーケティング部署の片隅で考えられているケースが多いからと考えられる。商品は商品開発部門が開発し、結果的に出来てしまった製品に対してブランド戦略は後付の辻褄合わせのような形で作られているように見受けられるのだ。要するに、多くの日本企業では、ブランドとは最後の化粧か包装紙のように扱われ、ビジネスの本質ではないと捉えられてはいないか、ということだ。
それ故ブランド戦略には説得性が乏しく、ブランド担当部門は商品開発部門や営業部門に対して影響力が行使出来ないという悪循環に陥る。その時々の流行や他社動向に振り回され、辻褄合わせに奔走させられ、場合によっては曖昧だったブランド定義すら変更せざるを得なくなってしまうのである。
欧州プレミアムブランドの例を見れば分かるように、高級品になればなるほど本来ブランドの立ち位置、価値というものが製品開発やマーケティング全てに大きな影響を及ぼす。マス商品は多くの人に買ってもらえればよいので、明確なブランド価値はそれほど必要ない。マス商品で大事なのは流通支配力と知名度と親しみ感だ。ブランドイメージ的には知名度と親しみ感が上がれば基本的によいので、後付のブランド戦略やコミュニケーション戦略で基本的に問題はない。話題性のあるタレントを使ったり、インスタ映えするイベントでも実施したりで話題になればそれで十分である。競合他社も似たような状況であり、基本的には知名度と話題性勝負の戦いである。
しかしプレミアム領域に入った途端、それでは通用しなくなる。プレミアム領域のブランドは独自性のある強いブランド力を持つものばかりであり(だからこそプレミアムブランドとして成立しているのだが)、ロイヤリストも多い。客に対し『何故こちらのブランドを選ぶのか』という理由を明確に示さなければならず、そのためには競合とは異なる明確な価値を持ったブランドアイデンティティが是が非でも必要で、商品や売り場もそのブランドアイデンティティを強く感じさせるものでなければならない。
プレミアムブランドにおいて、ブランドアイデンティティは製品開発からターゲット戦略、流通戦略、コミニュケーション戦略などの全ての根幹をなすものであり、その確立は経営上の最重要課題なのである。曖昧な結論に陥りがちな協議制でやっていてはダメで、個人ないしはビジョンを持つ少数の集団の強い意志とそれを実行出来る環境が必要だ。つまり、ブランドアイデンティティを決定し、理解し、推進する人自身がそのブランド経営のトップに立たないとプレミアムブランドは成立しないのである。(参考: 山崎明著『マツダがBMWを超える日』)
★★★<『玉置宏の「曲ナレーション集」 奥村チヨ、渚ゆう子、箱崎晋一郎』>
<『恋の奴隷』 奥村チヨ>
逢っている! ただそれだけで
嬉しいわたし
逢えないと 悲しくて 切なくて!
だから逢わずには いられない私
恋にふるえる 私を変えて!
貴方好みの 女になりたい!
と唄う奥村チヨさん!
『恋の奴隷』
<『京都慕情』 渚ゆう子>
川の流れに 切ない影を
浮かべて 恋は 忍び寄る
夕闇せまる 東山
街の灯りが ゆれている
京都の夜の 想い出 哀し
『京都慕情』
渚ゆう子さんです
<『熱海の夜』 箱崎晋一郎>
昨日来た町 今日また暮れて
つきの想いの 湯けむりよ
肌も切なく 燃えた夜に
愛が哀しく 消えてゆく
幸せまさぐる 湯の宿の
過ぎた夢なら 忘れもしよう
すがりつきたい いで湯の情け
箱崎晋一郎さんです
『熱海の夜』
★★<理不尽を超えた『インパール作戦』から75年>『今でも戦友の夢を見るんだ。インパール進軍の前、マレー半島にいた頃の元気な姿のな・・・』。死者に名を呼ばれ、目覚める。ここはどこなのか。不思議な気持になる。山形との県境に近い新潟県村上市の里山で暮らす佐藤哲雄さん(99)。9月で100歳になる。
1940年4月の入営から47年5月の本土復員まで7年間の従軍と抑留の日々を記録した『軍歴調書』を参照しつつ、75年前の理不尽な『インパール作戦』の記憶を4時間にわたり語ってくれた。多くの将兵は調書を消却した。戦犯に問われる可能性があったからだ。でも、折りたたんで油紙に包み、軍靴の底に隠して帰国した。生の証だと考えた。
旧帝国陸軍は44年3月から7月にかけ、ビルマから大河と山脈を越え、連合軍の物資補給点だったインド・インパール攻略を目指した。佐藤さんは31師団・歩兵58連隊に所属。インパール北方の要衝コヒマで戦った。東部、南部から進軍する2個師団と共に敵陣を包囲する作戦だった。が、武器や食糧の補給を軽視(ほぼ無視)し、感染症や飢餓で3万人以上が死亡したとされる。
配送したチンドウィン川沿いの道には、後に『白骨街道』と呼ばれる。『倒れた兵士の亡骸をハゲタカがついばんでいた』と。
佐藤さんはズボンの裾をまくり、左足の膝の内側を見せてくれた。数センチえぐれている。最初の戦闘で、敵軍の迫撃砲の破片が食い込んだ傷痕だ。『この負傷が生死を分けた』。野戦病院で治療を受けた後、原隊に合流しようと急いだ。部隊後方の輸送隊の兵士に、『急ぐ必要はない。ここで泊まって行け』と助言された。
所属する部隊は翌日、敵の砲陣地へ総攻撃を仕掛けた。が、ほぼ全滅した。最も鮮烈な戦場の記憶は牟田口廉也司令官の作戦命令に抗し、『補給のある場所まで兵を引く』と独断で戦場からの撤退を決断した『佐藤幸徳師団長』の言葉だ。
『諸君と英霊のために俺のクビを差し出す。体を大切にしろ』。師団長は馬から下り、兵士と目線を合わせ、静かに、親しく語りかけたと言う。軍法会議でさばかれることを覚悟し、部下の命を守ろうとしたのだ。
今月22日、インド北東部マニプール州に『インパール平和資料館』が開設された。連合国側の戦争資料の他、旧日本軍の遺品や手記などを展示する。運営を支援する日本財団が遺族などにゆかりの品の寄贈を呼びかけている。
佐藤さんは、従軍の際に携行したという双眼鏡を資料館に寄贈する。師団長の親族から譲り受けた直筆の書は、生ある限り手元に置くつもりだ。命を救ってくれた恩人の『信義』を人前で話したことはほとんどない。機会があれば、学校などで若い世代に語り継ぎたい、と言う。
拙者が思うに、この戦いは島国『日本』の弱点をさらけ出した戦争だった。アメリカの国力を正当に評価することなく、日清日露戦争で勝った『神国精神、特攻精神』で、ルーズベルトの緻密な罠に落ちてしまったのだ。
かつて七つの海を支配した『オランダ』は、勃興し、強国となった『イギリス』から、北米の殖民地であった『ニュー・アムステルダム』の割譲の申し入れを受けた。オランダはイギリスに国力、兵力で劣っており、その国と戦うことの愚かさを知っていて、即座にこの『ニュー・アムステルダム』をイギリスに受け渡した。イギリスはその担当であったヨーク公の手腕を称え、町の名前を『ニュー・ヨーク』と改めたのだ。
オランダ領時代、原住民との境に塀を築いたがその後地が現在の『ウオール街』であり、『ハーレム』は、オランダ・ハーレムの地にちなんで付けた名前である。オランダと日本。日本は歴史的な偉業と愚挙で記録を残すのである。
★★<CO2、都市ガス原料に利用>国際石油帝石は、自社で排出するCO2を都市ガスの燃料として再利用する事業を始める。8月から新潟県のガス田で原料を作り、2030年までに5万所帯相当を生産する。世界的にCO2を再利用する技術に注目が集まっている。
国際帝石は地球温暖化対策につながる技術の競争力を磨き、海外展開する方針だ。国内でCO2を再利用し都市ガスの原料製造を事業化するのは初めて。企業に環境配慮などを求める『ESG』の流れが強まり、20カ国・地域(G20)エネルギー・環境相会合では、CO2の再利用の協力で一致した。
国際帝石が事業化に動き、プラントなど関連産業の集積に繋がる可能性がある。国際定石は新潟県長岡市にある国内最大級のガス田で、CO2と水素を反応させ都市ガス原料のメタンを合成する装置を設ける。8月から稼働し、メタンをまず年50万トン生産する。
21年からこのメタンを都市ガスに混ぜ、既存の都市ガス管経由で供給する。30年までに権益を持つ海外のガス田も対象に広げ、30年時点で生産量を年35万トンに拡大して、年100万トンのCO2を再利用する計画だ。
見事なり、国際帝石だねえ。災い転じて、福となす、だなあ。『国際石油開発帝石』とは耳なれない社名だが、帝国石油、国際石油開発が統合され生まれた資源会社のようだね。ガンバレ、国際帝石、だね。
★★<50大学病院、医師・歯科医師2,191人の給与未払い>かねてから問題指摘されていた、大学病院で診療をしていながら適切に給与が支払われていない医師、歯科医師が全国50病院に2,191人いたと、文部科学省が発表した。研究しながら診療もする博士課程の大学院生も含まれ、診療は学位をとるための研究や自己研鑽として、大学が安い労働力として利用している実態が浮かび上がった。
昨年9月時点で、全国99大学の108付属病院で大学院生や医局員として働く医師や歯科医師ら約3万1,801人の給与や雇用契約の状況を調べた。大学が給与をきちんと支払っていなかった医師のうち、『労働者としての実態が強い』などとして、これまで働いた分もさかのぼって支払われるのは27病院に7,751人いた。今後は支払われるのは35病院に1,440人だった。
給与を適切に支払っていなかった理由として、自ら取り組む臨床研究の一環や診療技術の向上が目的と大学側が判断していたケースが大半だった。別の病院から給与が出ているなどとして、今後も払わないとした例も66病院で3,594人いた。
合理的な理由もなく雇用契約を結んでいなかったのは41病院1,630人に上った。雇用契約がないと、労災保険の対象とならない場合がある。文科省は2008年、診療に携わる大学院生と雇用契約を結ぶよう求める通知を出し、13年と16年の調査で全ての大学が大学院生と雇用契約を結んでいることを確認していた。
改めて発覚したことに、文科省大学医学教育課の西田憲史課長は『漏れがあったのは事実。合理的な理由がなく給与が支払われていない場合もあり、労働基準法に違反する可能性が高い。適切な労務管理を指導する』と話す。
◇大学院生の医師『奴隷じゃない』
多くの医師は医学部を卒業して研修を受けた後、外の医療機関で医師として働く。だが、大学の教員や病院の管理職になるために博士号の取得を目指して再び大学に戻り、研究しながら診療する医師もいる。
東京都内の大学病院で診療にあたる30代の大学院生の男性医師は、平日の午前8時半~午後5時と土曜日の半日が『勤務時間』だ。大学とは雇用契約はなく、給与はもらっていない。学生の指導名目の月数万円や当直手当は受け取っている。大学から決められた別の医療機関で週3回働くだけでは妻子を養えず、大学には内緒で休日に月4、5回、外部の病院で当直をして約20万円を稼いでいる。男性は『奴隷労働は望んでいない。患者のために他の医師と同じように仕事をしているのに、自分だけが労働者として認められないのは屈辱だ』と訴える。
一方で『他病院での高額なアルバイトを医局から紹介してもらっている』と明かす大学院生も多い。1日で10万円以上の収入があるアルバイトもあり、年収が1,500万円を超える人もいるという。
労働問題に詳しい松丸正弁護士は『医師には使命感や高い技術を身につけたいという思いがあり、長時間労働に陥りやすく過労死や過労自殺につながりやすい。医師の使命感に乗じた無給医は究極のサービス残業で、今の時代には許されない』と指摘する。
これって、江戸時代かた続いた『徒弟制度』の名残りではなかろうかな。大学医学部への女性入学減らしといい、無給医師といい、医師界は前世期の遺物が残っているように思えるなあ、拙者には。
★★<バスケ八村、不安なく適応 ミニキャンプ終える>スケットボールNBAのドラフト会議でウィザーズから日本人初の1巡目指名を受けた八村塁が、本拠地ワシントンのチーム施設で行われた3日間のミニキャンプを終えた。
初めてプロのコーチらから指導を受け『周囲とコミュニケーションを取ることができた。新しいプレーが入ってきて、分からないことがあれば多くのことをコーチにも聞いた』と不安なく適応したようだ。
大学時代との違いを聞かれ『育成のスタッフが何人もいて、最初は僕のシュートを見て何も言わないけど、メモを取っていて、そこを直していくというのをやっている』と話した。
すごいことだねえ。まさに日本スポーツ界新時代だねえ。頑張ってほしいね、青少年の夢のためにも。