★今日の画像は、『Jリーグ・アワード』で、CS優勝を喜ぶイレブン、表彰を受けるイレブン、ハルボリッチ日本代表監督から最優秀監督賞を受ける森保監督、MPVに選出され挨拶する青山、ズ罵ソ┘筌鵐哀廛譟湿泙鮗韻訐遏↓ΕラブW杯で3位に輝きを喜ぶ佐藤ら、Л┃優勝パレードのサンフレ、試合前、市内でランニングする選手達(2013.10)。
クラブW杯で3位に輝いたサンフレ。天皇杯ではベスト4で敗退。しかし、ガンバも浦和も柏もACLで敗退した中国広州に勝ったことは、日本サッカー界での記念イベント、と考えます。素晴らしきサンフレ、2016年のさらなる活躍を期待して。
★★監督就任4年で3回の優勝を遂げたサンフレッチェ広島の森保監督。さらに、クラブW杯でオセアニア、アフリカ代表を破り、アジア代表中国広州を破り堂々の世界第3位。クラブの財政力はJ1の中位。トップクラブとは半分の規模。金満広州は、年間予算500億円とか、MFパウリーニョやFWビーニョの年俸は14億円、まさにバブルクラブ。サンフレのタレント選手は、まあ6千万円で佐藤寿ただ一人、か。そんなクラブが広島にあります。まさにローカル球団、財政難・地方球団のお手本のようなクラブ。今年最後の戦いとなる『天皇杯』も、4強に進出(12/26現在)。しかし、何だよなあ、8強でのFC東京戦の得点は、東の明白なオフサイド。線審は何を見ていたのだろうか。森保監督以下、猛烈な抗議も通らず、まさに甲子園カープ田中の幻のホームラン誤審と同じレベル。つまらん審判員。
話題一転、2012年のサンフレッチェが、どうして優勝出来たのか。サンフレ・オフィッシャルマガジン紫熊倶楽部主筆の中野和也は、今になっても考え続けています。勿論、正解は出ません。戦力的な上積みはなかったし、広島サッカーを植え付けた名将は去りました。クラブは減資で財政再建の途上にありました。ポジティブな要素は、ほとんどありませんでした。なのに、クラブ創設20周年の記念すべき年に、サンフレッチェは優勝を果たすことが出来ました。本当になぜなんでしょうか。
この本『サンフレッチェ情熱史』(中野和也著、2013.12.14、ソル・メディア刊)を書くことは、広島優勝の本質に迫る中野の旅でもありました。Jリーグ制覇を果たしたクラブ史上、おそらく最も低予算だったのが広島です。2011年の決算では、営業収入26億7千万円。浦和の約半分、J1クラブ全体でも第10位の数字です。『収入=強さ』と言われがちな昨今のプロスポーツ界の法則からすれば、広島は中位相当。優勝を争うクラブではありません。なのに、更に2013年には、広島は4クラブ目のJ1連覇を達成。1年おいて、2014年には史上最高の得失点成績を成し遂げ3回目の優勝。森保一監督を日本一の監督に仕立てました。13年は相手の厳しい対策に苦しみながらも、ACLと並行して戦う苦しい日程の中でも、彼らは必死に勝点を積み上げ、最後の最後に横浜FMを逆転、カシマスタジアムで歓喜を叫んで。
お金があれば、選手も補強出来るし、名監督も招聘出来ます。アカデミーへの積極投資も可能となり、集客企画の規模やクオリティも違ってきます。多額の予算を確保することで強くなり、メディアへの露出も増え、来場者数も増えることによって、さらなる増収も見込めます。しかしサンフレッチェは、違う。減資も含め、経営危機は何度も訪れました。そのたびに選手を放出し、時には監督の契約も継続出来なくなりました。少ない予算を必死でやりくりしてアカデミーの強化に努めても、そこで育った選手達は旅立って行きました。2度まで降格したことで、存在の意義を問われたこともあります。
そんな苦境を、どうして克服出来たのか。1つのキーワードは『継続する情熱』です。1998年、第3代社長に就任した久保允誉現会長は、自身の本業でも家電業界での熾烈な競争の渦中にありました。それでも、彼はサンフレッチェへの情熱を燃やし続け、一度目も、二度目の降格の時も矢面に立つことを選びました。その上で、巨大な批判を呼んだ『降格監督の続投』という大英断をやってのけました。その久保会長の情熱を受け、クラブ改革に大量の汗を流したのが、本谷祐一第4代社長です。サポーターズ・カンファレンスを何度も実行し、真摯な受け答えとスピーディな対応で失いかけたサポーターのクラブへの信頼を取り戻しました。常に試合には帯同し、練習にも顔を見せて選手達とのコミュニケーションを図る一方で、森保一監督の強力な後ろ盾となりました。
『減資・増資』という経営的課題をクリア出来たのも、株主の理解を得たのも、久保会長・本谷社長のクラブに対する『継続する情熱』なくして、あり得ませんでした。そしてその精神は、第5代社長に就任し、自らをキャラクターとして『コノヤン』グッズを発売し、話題を作りつつ、スタジアム問題では堂々たる意見を主張し、専用球場建設問題を核に広島市長選挙に立候補までした小谷野薫氏に引き継がれ、その後名強化部長を務めた織田秀和現社長に受け継がれています。強化の現場でも、織田前強化部長がずっと抱えていた哲学は健在です。理想と掲げたサッカーをどんな時も捨てなかった『情熱の継続』なくして、ペトロビッチ→森保ラインで受け継がれた『広島サッカー』は存在しませんでした。
ではサンフレッチェの情熱は、どうして継続出来たのか。こうやって『証明』を進めて行くと、最終的な結論は『広島力』という言葉に尽きるのかも知れません。普段はそうでもないのに、厳しい状況になると『ほら』と助け舟を出してくれる。カープの黎明期の『たる募金』の話は有名ですが、広島にはそういう気質があるようです。例えば、サンフレッチェがJ2に降格した時、ほとんどのスポンサーは撤退しませんでした。背中や袖のユニフォームスポンサーはたびたび変わっているが、その多くは自らの経営事情の変化によるもの。『J2に落ちたから撤退』などという言葉は聞いたことがなく、逆に『支えよう』という言葉が沸き上がる。観客動員数はJ2になってもほとんど変化がありません。1回目の2002年→2003年が82.3%、2回目の2007年→2008年が94.9%。オフィシャルマガジン・紫熊倶楽部の定期購読者はむしろ増加しました。
そういう『広島力』に触れた時、どんな人でも『この人達のために』と考えます。受けた恩を返したいと願い。佐藤寿人が2008年のJ1復帰決定セレモニーの時に叫んだ『このサポーターと共に』と言う言葉は、心からの絶叫でした。病気からの復帰時、何度も『俺たちの誇り』を歌い上げられた森崎和幸も、浩司コールの連呼でスタジアムが復帰を迎えてくれた森崎浩司も『自分はサポーターに支えられている』と繰り返し言葉にします。高萩洋次郎も青山敏弘も、西川周作も水本裕貴も、誰もがサポーターの支えに力を得ていると考えます。
吉田サッカー公園でのサイン風景は、今や休日時には数百人規模となりました。それでも、選手達はみな、サポーターの前に立ち、ペンを走らせ、写真撮影や握手に応じ、『また来てください』と言葉をかけます。その対応が、さらに多くのサポーターを生み出す原動力となっています。実際、宮崎や沖縄、鹿児島や小樽。広島のキャンプ地ではサポーターを常に増殖させ、『また来てください』の言葉を生み出しています。『好きなスポーツチーム』というアンケートで、浦和、鹿島に次ぐ3位にサンフレッチェが入っていることは、決して不思議ではありません。
『優勝は予算次第である、という』。この言葉の真実性は、否定出来ません。それは2015年のACLで突出した予算額を誇る広州恒大が優勝したことでも、イングランドのプレミアリーグでマンチェスター・シティの台頭を見ても明らかでしょう。だが、予算額で全てが決まるのであれば、何も長い時間をかけてリーグ戦などやる必要はない。観ている側に夢を与えることも不可能です。広島の3回の覇権は、予算だけでは栄光をつかめないことを、見事に証明した快哉事カイサイジです。収益向上にしても、チーム力の増進にしても、『情熱の継続』なくして、解決しえません。
優勝は予算だけでは決まらないが、『継続する情熱』なくして栄冠を手にすることは絶対に出来ない。奇跡としか言いようがないサンフレッチェの優勝あまでの歩みが、その真実を証明してくれます。
『野津田がいるのに、なぜ浅野を取るの?』。2013年、現強化部長の足立修は同業者に不思議がられます。21歳のMF野津田は下部組織で早くから天才児と呼ばれた素材。高校選手権得点王の浅野を獲得しても宝の持ち腐れではないか、と。『違う。あえてぶつけるんだ』と足立は答えました。浅野はJクラブ育ちではない努力家、野津田はエリート。経歴では好対照の2人は意識し合い、やがて認め合い、互いに高め合いました。
14年獲得のFW皆川、ドウグラスは、エース佐藤への『挑発』とも言えます。結果佐藤はギアを上げ12年連続2桁得点で応えました。甲府から加えたDF佐々木も『刺客』に似ています。これで千葉ら現存3バックの気が引き締まり、昨季37失点から今季はリーグ最少30失点。MFミキッチは今季で35歳。『速さは衰えても7年目で最高のプレーぶり』と足立は感じます。
育成型を掲げるクラブの多くが、若手の育成に力を入れ、誇ります。『でも育成とは、何歳までを言うのでしょうか』と足立は問いかけます。すでに功を遂げた選手にサンフレッチェは手を伸ばしません。のし上がろうとする意欲と覚悟を資質として備える人物を、年齢やカテゴリーにとらわれず拾い上げます。その選手達が競争で花開きます。21得点した27歳ドウグラスが好例。浦和へ巣立った石原、海外に進路を求めた高萩の穴を埋めておつりがあります。J2水戸から加えた塩谷も同じ成長の道をたどり、佐々木も後に続かんとします。サンフレッチェというクラブが育んだ土壌そのものが、一つの育成装置たり得ています。J2、J3の地方クラブにも勇気を奮い立たせるでしょう。
『人間の組織は凝固しがち。違った血を入れる必要がある。マンネリが1番怖い。お互いのフレッシュ感もなければいけないし、マンネリに陥ると序列も変わりづらいものだから』。今季、司令塔の揺らぎでJ2に降格した清水、J1からたった2年でJ3に降格した大分。これらを他山の石として、サンフレッチェはローカル球団であり、かつ世界へ羽ばたく強豪クラブとしてのレジェンドを確立しつつあります。
(参考: 『サンフレッチェ情熱史』ソル・メディア刊ほか)
★サンフレMFの青山敏弘(29)が、主将として広島を2年ぶりに優勝へ導いたとして『最優秀選手MPV』を初受賞。正賞・楯と賞金200万円、副賞としてトロフィーとカリブ海クルーズペアの旅が贈られました。また2年ぶり3度目のベストナインにも選出されて賞金100万円も獲得、計300万円のボーナス。さらに6月27日の鳥栖戦で決めたミドル弾が最優秀ゴール賞、ベストイレブンにも選ばれ『個人4冠』達成となりました。
青山は『僕は決してうまいプレーヤーではないが、サッカーに対する情熱、気持などは誰にも負けないと思っている。12年サンフレで育てていただき、広島だからここまで成長出来たと思っている。広島のクラブ、関係者、サポーター、選手の皆とこの賞を共に喜び合いたいと思う』と述べました。なにやら浦和に移籍した元サンフレ6人衆が当てつけられた雰囲気の発言にもとられ、セレモニーの場で、槙野、西川は青山が近くに寄っても言葉を交わすことはありませんでした。偏狭な者達です。青山は主将としてチームをまとめたキャプテンシーと、長短のパスを駆使して決定的なシーンを演出する『ピッチ上の監督』としてMPVの本命と目されていました。
★東京練馬区の75歳の女性が、息子と名乗る男性から電話で1億円だまし取られたと。何度もある事件なのに、何故すんなり渡したのか。息子に逆電話をすれば分かったはずなのに。しかしいつもおかしいと思うのは、巨額の現金や預金を持っている老人を狙ったこの犯罪、一体誰がこれらお金持ちの情報を犯人達に教えているのか。それは銀行しかないのでないか、と拙者は思うのですが。警察よ、もっとしっかりしてちょうだいませ、ませ。
★やっとというか、まさに遅かりし鹿之助です。自民党が党内で『歴史検証勉強会』を開くそうです。維新後の歴史の中で、日本が得たもの、失ったものの検証が中心で、冊子にはまとめないと。議員が歴史の真実を認識する必要があるから、と稲田政務調査会長。いいことです。外圧で、ろくに正しい証拠らしい証拠もないまま、デタナメな東京裁判で一方的に敗戦国がすべて悪と断定された民族的屈辱にも言及して欲しいですねえ。アメリカは自分の都合のよいように、GHQを総動員して日本の定見を曲げてしまっているのですから。しっかり頑張り、中国、韓国の誤った主張を打破して欲しい、と一国民は思慮する次第です。
★団体競技に監督の力量が試される機会は多くあります。サッカーでもしかり。大分がJ1から降格し、2年でJ3に。そして、清水がJ1からJ2に降格。この2件に関与したのが田坂監督。なぜ清水は大分で駄目監督の烙印を押された田坂を監督に任命したのか、まったくの愚挙。
と、今度は昨年J3に降格した富山が同じような愚挙を。来季の監督に三浦泰年を。なぜ駄目監督の三浦を任命するのか、意味不明です。三浦監督は契約が1年残っていたJ2北九州監督を12年限りで退任し、13年に3年契約でJ2東京V監督へ就任。だが、1年目に13位と低迷すると、14年には20位まで順位を下げてJ3降格危機に直面し同年9月に解任されました。今年はタイ2部リーグのチェンマイFC監督に就任したが、昨季18チーム中5位と躍進したチームが20チーム中19位に低迷したことにより、7月に解任されて。J2横浜FCの元日本代表FW三浦知良(48)は実弟。北九州を去る際には、『もっといいところで指揮を執る』と放言し、東京Vでは、親族共がクラブ運営に口を挟むという暴挙も。富山は正常な判断力を失ったクラブにしか、私には見えません。しっかり目を見開き、森保サンフレ監督のような人材を発掘する努力が必要ですねえ、富山には。
しっかり目を見開き、レノファ山口を急スピードでJ2に昇格させた、上野展裕監督のような人材を発掘する努力が必要ですねえ、富山には。上野監督は2014年、JFLに昇格したばかりのレノファ山口の監督に就任するや4位に食い込み、いきなりJ3に昇格。それだけでも輝かしい実績であるのだが、今年はJ3という初のステージで、おそらくは誰しもが予想をしなかった見事なスタートダッシュ(開幕してから、長野戦での黒星を挟んで5連勝を2度達成)から優勝を成し遂げた。この結果、2年前まで地域リーグを戦っていたレノファ山口は、猛スピードで来季からはJ2へ昇格。見事な上野監督です。三浦泰年君にはこれほどの技量はないでしょうねえ。ご愁傷様です。