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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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名スカウト列伝木庭教⑥『花火のように短く散った、高木宣宏投手』

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★今日の画像は、引き続き『中島美樹夫さん』の水彩画集です。.罅璽離好灰好癲↓▲灰好皀好檗璽帖↓ルーチェ、ぅ哀薀鵐疋侫.潺螢◆↓ヅ玄┝爾量詫諭△修靴7日対パドレス戦で6回を無失点で投げ抜け、さらに自ら第1号のホームランを打って勝利投手にりナインから祝福されるマエケンです。本当に広島の誉れマエケンではあります。

★★1966年の正月。木庭教サトシの年賀状の束の中に、高木宣宏ノブヒロという名の一通があった。広島カープの左腕で『バンビ』という愛称を持った投手。住所は埼玉の所沢。自宅の電話番号も記してある。どうしているんだろう・・・。ふいに思い立って木庭は電話をかけた。

木庭が高木を初めて見たのは、高木が大阪・北陽高校3年生、夏の大阪府大会である。『左腕という以外、さしたる印象はなかった』と言う。甲子園での三重・海星高校との一回戦、エース吉岡が早々と打ち込まれ、高木は一回途中からマウンドに上がり、投げ抜いた。切れのある球を投げる。左腕にしてはコントロールも悪くない。ただ、細くて、いかにも頼りなげに映る高校生ではあった。北陽高校は3回戦まで勝ち進んだ。高木はいずれも前半からリリーフに立った。甲子園でここまで投げた左腕ともなれば、もちろんスカウト達は注目する。

1981年秋のドラフト。広島は3位で高木を指名している。1位は協和発酵の津田恒美だった。事前の編成会議で高木を押したのは木庭であるけれども、監督の古葉がより熱心だった。投手陣に左ピッチャーが手薄だった。ドラフト会議では、広島、西武、ヤクルトの3球団が3位指名をしたが、カープが抽選で交渉権を得た。高木の記憶では、会議の翌日、木庭というスカウトが大阪の自宅にやってきて来た。父と一緒に会ったのが、木庭との初対面だった。

やたら煙草をふかすオジサンだなあ、というのが初対面の印象である。うちの古葉がとても熱心で・・・線が細いのが心配ですが・・・左ピッチャーはどの球団でも欲しいもので・・・プロは本人の努力次第です・・・なんぞということを口にした。やや意外であった。もっと高い評価を口にされ、是非カープに迎えたいと言われると思っていたからである。むしろ控え目な評価を口にするのが木庭の流儀であったが、計算もなくもなかっただろう。ドラフトで交渉権を獲得した段階で、この選手は確実に取れると踏んでいた。大仰にどうしても欲しいと言えば、契約金と年俸の額に跳ね返ってくる。契約金は2,500万円、年俸240万円が提示額であったが、もう少しなんとかという父親の発言もあって、年俸だけ月額2万円アップされた。

当初、高木には木庭が気難しい人物と映っていたが、徐々に親しみを覚え始めていた。優しい言葉をかけてくれる訳ではないが、接しているとこの人物が自分のことを案じてくれているのがよく分かった。入団3年目、高木は1軍に昇格し4年目の1985年、一躍先発陣の一翼を担う。オールスター戦までに9勝を挙げ、この時点でチームの稼ぎ頭になった。高木がプロ生活で輝いていたのはこの年、厳密に言えば夏までの4ヵ月余りだった。阪神が21年ぶりに優勝した年である。阪神と優勝を争ったのはカープであるが、もし高木が後半戦も元気だったら、という繰り言がその後のカープの関係者の間で囁かれた。

高木が身長177cm、体重は60数キロという細身である。プロ4年目、プロの投手としての体は徐々に出来ていたが、タフと言うほどではない。ひどい夏バテに陥った。投げるとだるくて仕方ない。伸びのあるストレートに、ストンと落ちるカーブ、それにシュートが持ち球であったが、いずれも切れがなくなっていた。後半戦は負星が重なっていく。翌年、前年のツケが来たのだろう。肩痛と腰痛に襲われる。肩の痛みは消えた時期もあったが、140キロは優に出たストレートはせいぜい130キロに落ちてしまった。その後カープで5年間、西武での3年間を含め、ついに肩痛からは開放されなかった。

『僕は出来なかったからよけい思うんです。みんな大なり小なり故障をする。故障に打ち勝つ選手こそプロの一流選手ということです』。西武に移った高木の名前を、木庭はその後スポーツ新聞で目にすることはなかった。―あの子にはもっと稼がせてやりたかったなあ―と思うことがよくあった。西武退団後、高木は東京池袋にある墓石の販売会社の営業マンとしての生活を送っている。

プロ野球からは足を洗ったが、社に軟式野球チームがあり、草野球に興じる日もある。野球を観戦することも好きだ。東京ドームへ足を運ぶ日もある。スタンドから観戦していると、野球の展開がよく読める。このピッチャーはもう打たれるという予感が走るとまず外れない。今の知識が現役時代にあれば、と思う日もある。――木庭からの電話は、互いの近況を伝え合い、後はたわいない冗談のやりとりで終わった。『美人の奥さんによろしくな』、そう言って、老スカウトは電話を切った。

★木庭教: 1926~2008年。享年81歳。山本、水沼、三村、池谷、金城、正田、らの獲得に辣腕をふるい、また達川、高橋、川口、大野、長嶋、紀藤など埋もれていた無名選手の獲得に努力し、カープ黄金時代の礎を築いた功労者。  (参考:後藤正治著『スカウト』)

★埼玉県の少女が2年も暗い室内に監禁され、やっと逃げ出して。犯人、千葉大学生・寺内容疑者の犯罪は極悪非道で万死に値する。幼い少女の青春を2年を奪った罪は死刑に価する。よしんば死刑を間逃がれたとしても『終身刑』の判決を強く要望する、誘拐事件再発防止のためにも。人間として生きる価値のない動物の皮をかぶった人間である、寺内容疑者は。

★欧州からシリアISに渡ったのが4千人を超えて、うち欧州に環流したのが3割、1千人強と。欧州はテロ要員という爆弾をかかえ、撲滅するには相当の時間がかかるか、完全なる撲滅は難しくなりました。当分欧州へは足を向けないことですねえ。クワバラ、クワバラ。

★タックスヘイブンの国を利用し、税逃れを行っていた事実をまとめた『パナマ文書』が問題になっています。この文書に掲載されていたとしてアイスランドの首相が辞任。その他にも有名企業や個人が含まれており、テロ資金への関与への疑いもあり米当局も捜査に乗り出しました。習主席など中国首脳の親戚や北朝鮮の銀行なども名を連ねて、世界を覆う平成の黒い金脈事件の発覚です。

★阿倍首相の発言『同一労働同一賃金』の発言から、非正規従業員の新しい給与問題が浮上。しかし、経験やスキルなどをどう評価するのか。単純作業の非正規社員と複雑多能工の正社員との区別は必要だと思うねえ。単純にその旗頭には乗れませんぞ、安部君。公明党も非正規社員の給与水準を8割にせよと絶叫。それはもうちょっと科学的な根拠を示さなければなりません。単なるポピュリズムにおわりますぞえ、公明党殿。

★わからないものですねえ、『セブン&アイ』。『セブン・イレブン』の鈴木会長案であるトップ人事を、創業家伊藤相談役、取締役会が否決。鈴木会長は即辞任を発表。一枚岩で、ヨーカドーをここまで育て、西武・そごうなど百貨店まで傘下に抑えた『セブン&アイ』。外見からは窺えない複雑な内部事情があるようです。

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