★広島市の平和公園には、住所氏名はあるものの引き取り手のない遺骨を納めた『原爆供養塔』がある。この供養塔の遺骨の身元調べにフリーライターの堀川恵子は東奔西走する。そのドキュメントが『原爆供養塔・忘れられた遺骨の70年』。本書は今年の『大宅壮一ノンフィクション賞』を受賞。その足跡と緻密なドキュメントは堀川の人類愛を限りなく表した書と言える。
★今日の画像は、活躍するカープ鈴木、アーセナルに移籍する浅野と可愛い花たちです。なかなか名前が判明しなかったエリンジウム=マツカサアザミ、そしてバーベナ・ハスタータ、ストケシア、ザクロ、カラー、ペチュニア。いずれもアヤメかカキツバタ、です。
★★ジャーナリスト堀川恵子は、佐伯敏子さんが行っていた、身元不明の原爆被爆者遺骨の近親者探しを続けた。敏子の歩き探した広島近郊以外の、遠隔地を対象に。『馬場弁護士夫妻 新川場町シンセンバチョウ』。
『弁護士』という特殊な職業でありながら、なぜ身元が分からないのだろう。『広島弁護士会史』をひもとき、原爆で犠牲になった弁護士達の詳細記録を読むが、そこに馬場弁護士の名前はない。当時の三川町に広島地方裁判所があり、馬場が被爆死した新川場町(現三川町)はその前にある。裁判所の近くという特殊性から、弁護士や司法書士の事務所が目につく。新川場町内の住民の75%が即死、76%以上の建物が瞬時に全壊した。いろいろ当たるも、馬場という弁護士名には行き当たらなかった。
現在入手できる戦時中の最も新しい国内の弁護士名簿は、昭和18年5月発行の『大日本辯護士名簿』である。日本本土と旧満州だけで5,645人、中華民国には55人の弁護士がいたとある。この中に『馬場』姓の弁護士は4名いた。このうち3名は戦後の名簿にも名がある。1人だけ登録が消えた人がいた。『馬場廉 王子区稲付町 4-540番地』。
この住所は、現在の東京都北区赤羽西1丁目23番地になる。大正末期に湯島から越してきて以来ずっと近所に住んでいるという90代の男性に尋ねると、戦時中、確かに『馬場弁護士』と呼ばれる男性が住んでいたことを覚えていた。しかし馬場弁護士が住んでいた地は、戦後複数の区画に分割され、頻繁に売買が行われていた。馬場に子や孫がいても、この辺りに残っていないことだけは確認出来た。
数日後、あるルートから、馬場弁護士の新たな情報が判明した。まず本籍。大分県西国東郡○○町○○○番地(現豊後高田市)。次に出身大学。中央大学夜間部。逆算する大正末期に大分県から上京し、中央大学夜間部に通いながら、24歳の若さで難関の高等文官試験に合格していることになる。国東半島の出身なら、東京から帰郷するとき、広島の宇品港から国東半島へ向かう豊後水道海路を使おうとした可能性もある。
西国東郡○○町○○○番地に着いた。しかし、家がない。そこだけが空き地、というより花畑。花は手入れしてあり、誰かが面倒を見ている様子。近くの家数軒を訊ねて回ると、かつてそこに住んでいた人の引っ越し先を教えてもらった。出てきたのは70代と思える女性。『馬場廉』の名前を出すと、すぐに返答が。『それは確かにうちです。夫の伯父です。東京で弁護士になった廉さんは一族の誇りでしたから、本当に頭のいい人でした・・・、しかしどうして今頃?』。しかも『廉さんは東京の空襲で亡くなったと聞いています』と。廉さんは子だからに恵まれなかった。今となってはそれ以上、詳しい事情を知る人もいない。記録の上では、納骨名簿の『馬場辯護士』は馬場廉さんしかあり得ない。納骨名簿の名前が間違っているのか、そこから先は闇の中だ。
★サンフレ、浅野拓磨(21)のイングランドプレミアリーグ移籍は、想像以上の反響を呼んでいます。とにかく移籍金5億2,500万円という海外移籍組のトップクラス。そして移籍先がプレミアリーグ2位の強豪『アーセナル』。比較してはいけませんが、あの騒がれた宇佐美のポルトガルへの移籍金は2億円程度。浅野にオファーしたクラブが相当数に登り、アーセナルが長期的視野に立ち決断したもの。マエケンのドジャース移籍金23億円に比べれば非力ですが、これまでサンフレからの移籍には契約期間切れの無償が多かったことを考えればクラブに大きな遺産を残したことにもなります。マエケンも拓磨も、一定期間海外で活躍したら、黒田のように古里に帰って再度プレーをしてもらいたいものですねえ、広島ファンは。今日はその拓磨の壮行試合が、横浜との間で行われます。O(^-^)o
★セ首位を走るカープ。32年ぶりの11連勝をテコとして、2位以下に大きく差をつけて。この連勝『神懸かり的』と呼ばれたのが『鈴木誠也(21)』。2度のサヨナラホームランに、3連続ホームランで11連勝に貢献して。その秘密を、元日本ハムの稲葉が解説。ポイントはソフトバンク内川の自主トレに参加出来たことと、映像を交え解説。なるほど・ザ・ワールド、ではあります。http://akinomono.jp/blog-entry-8271.html
★社民党がついに国会議員4名となり、政党交付金政党から実質資格外に。つらつら考えるに、故土井たか子党首が『北朝鮮は嘘をつかない』と声高に叫んだ頃から坂道を転げ落ちたかと思う。今参院選で民進党も負けた。世論調査ではそれほど顕著に表れていないが『改憲問題』。民進党は野党の先頭に立って、『ゴケン、ごけん、護憲』の大合唱。一体今の憲法は国民の総意で作られた憲法なのか。GHQの8人に指導され1週間で作り上げた日本国憲法。GHQには憲法専門家などいなかった。そして驚きはこの憲法を制定したのは、『大日本帝国議会』だ。国民投票もなければ、新しい国会の承認も受けていない。どっか手続き的に穴があるように思えてならない。そして18条には『奴隷的拘束を受けない』という言葉が登場している。日本の国には平安の時代から長くこの奴隷という概念はなかった。奴隷制度のあった米GHQの指導だからこそ埋め込まれた文言だと断言できる。とにかくアメリカの指導、しばりで作られた憲法が日本人の手で作られていないことは確か。それでも『護憲、ゴケン』という民進党のまやかしとおかしさ、を強く感じる。
★セリーグトップのカープ、打率は268と6球団トップ。その立役者が今季から打撃コーチになった石井。石井の姿勢はいかに打つか、ではなく『打てないときにどうするか―』。象徴的だったのは、18年ぶりに9連勝を飾った6月26日の阪神戦。岩貞に苦しめられ8回までに放った安打は新井のソロ本塁打だけ。結局9回に攻略してサヨナラ勝ちをしたが、5回に四球を足がかりに岩貞へ足でプレッシャーをかけ、田中が犠飛を放って1点を奪った。形はどうであれ、次に繋いでいく打撃が徹底されているから奪えた点だった。派手ではない場面にこそ、強力打線の神髄がある。もし、カープが優勝したら、立役者の第一に石井があがるだろう。
★7月8日の甲子園、カープ対タイガース。雨の中、8-2でカープの快勝。ところが金本監督は藤波の投球が気に入らないと、なんと161球もの懲罰的投球をさせました。エースとして自覚がないとか。おっと天に向かって唾はくとはこのことでは。今年の阪神、新監督が『超変革』を標榜し若手の起用に踏み切ったのはいいものの、結果が出たのは最初の出足だけ。今や高山、江越、中谷、北条、岡崎などまるで阪神の2軍を見ているよう。超不振の鳥谷、ゴメスを外さず、自分の責任を藤波にぶつけるとは言語同断。金本の人格を疑うなあ。もっとも金本は阪神のOBであって、決してカープのOBではないが。
阪神を実質首になり、カープで再起をはかった新井が7月、7試合に出場し、打率.593、5本塁打16打点でチームをけん引します。39歳にして打撃の神髄をつかんだかのよう。阪神としてはもったいなく、悔いの残る新井の放出でした。
★ザ・ピーナッツの伊藤エミ、ユミの姉妹が相次いで死去。『可愛い花』でデビュー、情熱の花、ウナ・セラ・ディ東京などヒット曲を数多く歌いました。昭和は遠くになりにけり、ですねえ。ご冥福をお祈りします。 合掌