★広島市の平和公園には、住所氏名はあるものの引き取り手のない遺骨を納めた『原爆供養塔』がある。この供養塔の遺骨の身元調べにフリーライターの堀川恵子は東奔西走する。そのドキュメントが『原爆供養塔・忘れられた遺骨の70年』。本書は今年の『大宅壮一ノンフィクション賞』を受賞。その足跡と緻密なドキュメントは堀川の人類愛を限りなく表した書と言える。
★今日の画像は、広島市安佐北区の里山、松笠山374mと二ケ城山483mの縦走です。途中で見つけたアザミ、ニワゼキショウ、ヒメウツギ(卯の花)がとても可愛かったです。
★★ジャーナリスト堀川恵子は、佐伯敏子がなしえなかった原爆供養塔に残された遺骨の親族捜しに手を染めた。それは敏子の行動範囲が広島市近郊までに限られていたからで、県内の遠隔地や他府県のものには手が届かなかったから。
『風呂谷松平 本籍世羅郡綱村大字津田54』。これもその一つ。世羅郡は、広島の東80キロ程度の農村地帯。世羅に綱村という地はなかった。歴史館長の話では、この辺りには、津田と敷名という二つの地区から一文字ずつ取った、『旧津名村』があると。ツナムラと発音されたものが、綱村になったのではないか。目指す津田54番地と思われる地は空き地。54番地に浅村との表札がある。地元の物知り、貞安ツルミ(87)は、昔小中学校の保健の先生を勤めていた。しかし貞安の口からは、『うちは代々ここにずっと住んでいるが、風呂谷なんて名字は聞いたことがない』と。『ひょっとして55番地の浅村さんの娘さんは、広島で原爆におうたが遺骨は帰ってないんよ。風呂谷は間違いで、どさくさで浅村さんと名前が入れ違ったのでは。浅村さんはね、私と入れ違いで原爆にやられたようなもんだから』。
戦時中、女学校に通える生徒達は、貞安先生のように地域でも恵まれた家庭の子供が多かった。卒業後の進路は大きく三つあった。成績が優秀な順に日赤の看護学校、二番手が保健婦の養成学校、その他大勢は女子挺身隊として軍の工場などに徴用された。貞安先生は昭和19年春に県立看護婦養成所に入った。貞安先生は本来なら1年半後の昭和20年秋に卒業する予定だった。ところが医師・看護婦不足の状況から、これが1年に短縮されて。20年春、貞安先生の卒業と入れ替わりに入学してきたのが、55番地の浅村光子(16)。爆心地から800mしか離れていない養成所の惨状は思うに余る。爆心地から3.5キロ離れた地点でも素肌は熱線による火傷を負い、1.2キロではその日のうちに50~80%の人が死亡。それより爆心地に近い場所では、80~100%が死亡したと推定されている。
光子の父親は、交通が遮断されている最中、自転車に乗って80キロある広島に娘を探しに出かけている。が、娘の親友だったという同僚からようやく消息らしいものを聞いたが、それ以上の進展はなかった。山深い町で、両親は娘が玄関の戸を開けるのを待ち続けた。季節は何度も巡り、わずかな希望はいつしか諦めに変わった。納骨名簿に記された、津田54番地の遺骨。亡くなる間際、『セラグン、ツナムラ、ツタ54』と伝えた人物とは一体誰だったのか。
貞安先生は、数年して、ようやく地元の学校からの要請もあり、保健婦の仕事を再開する気力が蘇った。ところが故郷に帰って、思わぬ現実に直面する。町や村から広島に派遣された人がみな、あの日に見たことをひと言も語ろうとしないのだ。思い出すのが辛いからではない。誰に禁じられた訳でもないのに『絶対に口にしてはならぬ』という互いを監視しあうような無言の空気が町中に満ちていた。
貞安先生が落胆した沈黙の背景には、いくつかの事情が見えてくる。戦後、国内の新聞も雑誌も全てGHQによる事前検閲を受け、広島の被害、中でも放射線がもたらした人体への影響については徹底的に発表が禁じられた。GHQは日本に対して右手で民主主義の旗を突きつけながら、左手では自国に不利な情報を封じ込めていた。2年後、事前検閲制度は廃止され、事後検閲へと緩めてられて行く。だがそこには却ってカエッテ、国内の報道機関による『自主規制』を強め、被爆の影響に関する報道をタブー視する風潮は長く尾を引くことになる。
広島に関するあらゆる記録を見ると、昭和30年代までは原爆についての取り組みはあまり目立たない。一斉にヒロシマを問い直そうとする動きが活発になるのは昭和40年前後から。原爆投下の影響が色濃く残る貴重な時間は空白になっている。その間、放射線に冒された市民は臓器や血液にあらゆる病状を発症し、次々と亡くなった。
★英国のEU離脱が決まりました。様々な場面で影響が出てくると思います。非EUであるノルウェーの人達は、我々は豊富な石油資源をかたにEUからはみ出している。石油資源がなければ到底やっていけない国だ。イギリスはノルウェーほどの石油資源を持っていない。行く末は国民、みな貧乏の悲鳴。だがそれからの取り返しは、この選挙によって葬られたのだ、と言い放ちます。まさにイギリスはサッチャー時代以前への、あの貧乏国への里帰りを選びました。さあ、頑張ってね、イギリスの方々。
★セパ交流戦を3位で終えたカープ。俄然優勝の声が大きくなって。しかし優勝を論ずるにはまだ早いですねえ。それにアキレス腱、投手陣のひ弱さが引っ掛かります。大瀬良、福井が復活し、先発陣に穴がなくなればいよいよ、という話になりますが。それより、サンフレの後季優勝の方が拙者には重要です。ガンバレ、サンフレ、ガンバレ拓麿!
★そのサンフレ・浅野拓磨(21)が、イングランド・プレミアムリーグ2位のアーセナルに完全移籍と。17日の横浜戦が日本最後のプレーに。宇佐美がポルトガルに移籍したが、いきなりプレミアムリーグ上位クラブに移籍は浅野が初めてだろう。それだけ将来の期待がかかる訳だが。サンフレにとっては痛い流出。移籍金3億とも6億とも言われているが金銭で賄えるかどうか、正念場。
★マイクロソフトの『ウインドウズ10』への強制的変更について、米裁判所はカリフォルニア州の裁判所は同社に1万ドルの支払を命じ、同社は訴訟の長期化と費用増を避けるため、支払に応じました。実は私もこのウインドウズ10強制書き換えの被害にあいました。早速消費者庁の出先に連絡したら、マイクロソフトのHPの案内を応えるだけ。何たる愚行、愚劣。『役に立たない消費者庁だ』と雑言を投げましたが、その後消費者庁から同社に対して注意の指導がありました。本当、この騒ぎはマイクロソフトの傲りと居丈高な姿勢がはっきり現れています。ユーザーを見くびることなかれ、マイクロソフトではあります。
★マエケンが大リーグで7勝目を挙げました。見事ですねえ、マエケン。広島カープはマエケン移籍にからみ取得した移籍金23億円を地元に甘言すると約束しています。そして遠征地である浦添市と日南市に1億円ずつ寄付。広島市には・・、まだなんですねえ。私が推測するに、サッカースタジアムの建設地問題がこじれており、この問題が解決すれば『サカスタ用に』と寄付をするのか、と。サンフレ久保会長にとっては強い支援者・味方の広島カープ・マツダオーナーではあります。
★ヤクルト山田が2日の巨人戦で28号をぶっ放しました。テレビ画面を見ながら山田哲人28号のテロップを見て、さすが『哲人(鉄人)28号』と感嘆。外人勢を尻目に今年は昨年のトリプル3を越え、トリプル4を狙う若き24歳に驚嘆と応援です。