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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『原爆供養塔物語⑬ 「朝寝坊で助かった被曝学生、弟の遺骨を見つける」』

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★広島市の平和公園には、住所氏名はあるものの引き取り手のない遺骨を納めた『原爆供養塔』がある。この供養塔の遺骨の身元調べにフリーライターの堀川恵子は東奔西走する。そのドキュメントが『原爆供養塔・忘れられた遺骨の70年』。本書は今年の『大宅壮一ノンフィクション賞』を受賞。その足跡と緻密なドキュメントは堀川の人類愛を限りなく表した書と言える。

★今日の画像は、カープ優勝決定後の広島市内繁華街の風景です。市内中心部は真っ赤なカープのロゴがいっぱいです。CSも優勝し、リーグも優勝し、3度の勝利を味合わせてほしいですねえ、カープのみなさん。


★★兵庫県内で司法書士として働く『三島清人(81)』。三島はこの年になるまで、広島のことはほとんど話したことがないと語る。故郷広島とは、戦後のある時期からずっと関わることを避けてきた。むしろ忘れようと距離を置いてきた場所だった。

昭和20年8月、三島さんは12歳。生家があったのは、西白島町。爆心地から1.2キロの至近距離。三島は学徒動員で連日建物疎開にかり出されていた。その日はたまたま寝坊してしまい、家を出るのが遅れた。作業現場の鶴見橋付近に着くと、他の生徒達はすでにラジオ体操を終えたようで、裸のまま立っていた。三島は規則通りの装いで、足元にはゲートルを巻き、帽子をかぶり、上着を着用していたため、皮膚はどこも露出していなかった。遅刻した気まずさに、どうしようかと立ち止まった、まさにその時。ピカーッ、辺りが白く光った。同時に、服の上からジジジッと火が燃えるような、すごい熱を感じた。それから爆音、と言っても余りに大きすぎて音として表現出来ないような音が耳の奥をつんざいた。

気がつけばあたり中、埃だらけで建物はめちゃくちゃに壊れている。三島は顔に火傷を負ったようだが、身体はなんとか動いた。奇妙な高熱と爆風は、家のある方角からやってきた。家には母、そしてまだ7つの弟がいる。鶴見橋と西白島町を結ぶと、まさに爆心地のそばを横切ることになる。だが、投壊した建物で道は塞がり、あちこちからポンポン火の手が上がった。中心部にはとても向かえない。三島はひとまず、迂回する形で広島駅の方向へ歩いた。

すれ違う人達はみな、ひどい火傷で顔が倍以上に膨れあがっている。目は潰れ、手からは皮膚らしきものがズルズルと垂れ下がり、とても人間とは思えぬ容貌だった。その時のことはあまりに悲惨で、とても語れないと。母は生きていた。弟は、と聞くと、玄関先で死んだと。だが、辺りに骨は見当たらない。その母も放心状態のまま、一週間後、運び込まれた先の瀬戸内海の病院で息を引き取った。父は、隣町の逓信病院で横になっていたのを見た人がいたと聞いたが、駆けつけた時には父の姿はもうなかった。

わずか12歳の少年は、原爆孤児となった。焼け跡からトタンを拾ってきて、雨露を防ぐだけの家とも呼べない住処をこしらえた。ふと見ると、足元には溶けて変形した茶碗が横たわっていた。陶器まで溶けるような熱さに、幼い弟が無事であったはずがない。それでもあきらめきれず、家があった辺りに1、2ヵ月住んでいた。そこに住んでいれば、誰かが帰ってくるかもしれないという期待があった。食料は近くの橋の下で行われていた配給に頼ったが、育ち盛りの少年にはとても十分といえなかった。住む、というより野宿みたいなものだった、と三島は述懐する。

生きていくことにきれいごとでは住まなかった三嶋は、殺人以外はなんでもやった風情がある。三島は働く場所を探し、歩き回った。正直に年齢を言うと、子供はだめだと誰も雇ってくれない。年齢をいくつも誤魔化して、ようやく宇品の近くにあった工場で旋盤工の見習いの仕事を見つけた。古びた宿舎はいろんな人の吹きだまりだったが、だが、顔を真っ黒にして必死に働く幼い少年を苛めるような人はいなかった。

それから何年か経って、工場の事務所にやってきた人との出会いが人生を大きく変えた。その人は、戦前の高専から予科練、海軍というルートで出征していた。三島少年には『この子だけは』と特に目をかけてくれ、読んでみろと本も貸してくれた。三島は宿舎の暗い電灯の下で読書の世界に没頭した。そして、その本、ナポレオンの一生について書かれた伝記を読み終えた時、決意した。自分もこの世界から抜けだそう。そして勉強をして資格を取って、あの人のようなホワイトカラーで生きるんだ、と。その決意は、故郷、広島との決別を意味していた。

昭和27年、発足したばかりの保安隊―現在の自衛隊、に入隊。災害現場への派遣など体力的にきつい任務をこなしながら独学を続け、大検に合格。さらに中央大学法学部の通信教育のスクーリングに通い、とうとう大学の資格も取得した。時間をみつけては、土木関係の勉強も続けて土地家屋調査士の資格もとった。激務の傍ら、死にもの狂いの猛勉強を続けた。自衛隊の中でも、そのうち法務課など重要な専門職を任されるようになった。だが思い切って35歳で退職、縁あった姫路で司法書士として独立した。現在の三島には、80を越えた今でも仕事の依頼がひっきりなしだ。

三島が再び、被爆地広島に呼び寄せられることになるのは、昭和61年、広島を去ってから35年近い歳月が過ぎてからのこと。毎年、平和記念資料館に張り出される広島市の納骨名簿には『三島昭二』という名前が掲載されていた。三島の弟は『勝三』だ。苗字が同じでも、名が違う。それが昭和61年、広島市による再調査の一環で職員が骨壺を調べたところ、『三島昭二』と書かれた骨壺の中から、やはり紙が出てきた。そして一文字、移し違いがあったとして『三島昭三』と訂正された。音で読めば『みしま・しょうぞう』。これに敏感に反応したのは、当時広島市内に住んでいた三嶋の叔母、つまり亡き父の弟の妻だった。

『叔母が、あれはお前の弟の勝三の遺骨ではないか、と言い出して。でも漢字が一字違うと。市が調査して確認をとったらしいが、そででも間違いということもあるんじゃないかと。それで叔母は本当にねばり強く、広島市と交渉してくれたのです』、と三島は語る。叔母の直感は正しかった。再調査の依頼を受けた広島市は、また骨壺を開けて調べた。すると訂正し直したはずの名前が、さらに一文字、誤っていることがわかった。連絡を受けた三島は、嬉しいという単純な言葉では言い表すことが出来ない、どこか不思議な感情に包まれた。

遺骨となった弟との再会は、断絶していた三島自身の戦中と戦後との時間を、ようやくひとつながりの人生へと結わえてくれたのかも知れない。原爆の光に焼かれ、焼け野原をさ迷い、家族の遺骨を手にするまで41年、そして広島の記憶を言葉に発することが出来るまで、さらに28年。半世紀以上もの歳月が必要だった。  (参考: 堀川恵子著『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』)


★大野豊   1/3回 8打者 5安打 1本 2四 5失点 防135.0 ・塹江敦哉   1/3回 7打者 4安打 1本 2四 6失点 防162.0。大投手大野の初先発はなんとも哀れ、防御率は135。2014年のドラ3、塹江ホリエ敦哉のデビュー、9月11日巨人戦のリリーフも散々たるもの。打者7人で6失点、防御率は162。が、16日に登板した対中日戦では最終回を3者凡退で退けている。そして先発19日の横浜戦では、1回にロペスの本塁打で2失点したものの、5回を投げ切りました。新しいカープのホープ、19歳の塹江ホリエです。カープにはこのほかにも若鯉が次々に待ち構えて。当分Aクラスの座は間違いないようですね。

★ネットを使っていて、しばしば不明確、無認識な言葉などに遭遇すると、『ウィキペディア』を開きます。なんとも重宝なネット辞典。広辞苑から現代新書までを網羅します。プロ野球選手の来歴、プレー記録まで。と、画面にウィキペディアの財政難での募金テロップが。1人300円支援してもらえば、それが解消すると。まあコーヒー1杯分。早速手続きをし、VISAでの寄付を完了。なんとも現代的で、手早くできる寄付です。

原宿でハウスマヌカンをしていた、栗山さやかさんが、突如退職し海外放浪の旅に。アフリカ、エチオピアでHIVの救援センターで支援活動のボランティアをしたことから、南下したモザンビークで子供達の教育、生活支援活動をたった一人で行っています。このボランティアも寄付を募られており、先般少額の寄付をしました。数集まれば、大木になるとの例え通り、年間で500万円にも上る寄付が集まっているようです。現地の物価などを勘案すると日本国内での5千万円以上の寄付額になると推測します。このようにネットを使っての、簡便な寄付行為が出来ることに感謝ですね。(#^.^#)

★中国での日本車販売が今年400万台を超しそうと。国内の新車(登録車)の販売見通し484万台に迫ります。日本車の伸びも他国メーカーをリードして。米国の自動車市場の頭打ちが懸念されるなか、日本車メーカーは中国シフトを強めます。

★日本の国土の2/3を占める森林に関わるベンチャーやITの中小企業が奮闘し、従来の商慣行を打ち破り、国産材の価値を高める努力を続けています。東京の『ウッドインフォ』は、木材のウェブ入札システムを構築。市場に足を運んで、木材を見て入札する慣行をネット上で完結する革新を起こしました。このシステムに応じた岩手県の森林組合では、取引高が導入の前の3倍に達した、と言います。千葉の『ASロカス』は、森林に関する様々なデータを一覧できるシステムを構築。自治体の森林計画の策定に大きな役割を果たします。地形図や航空測量写真、森林保有者の区分図、生えている木の種類、路網情報など千以上のデータを入れ込んで。自治体では一覧表を閲覧するだけで、森林計画が立てやすくなります。農業にもITが入り込み、一定の効果や改革をすすめていますが、森林分野でもその気配が強くなりました。老齢化し人員も細る森林従事者、いかに知恵と効率を高め、次世代の国土管理に資するか。テーマは巨大です。

★民進党新党首『連舫さん』。台湾との二重国籍が存在していたと。こんな重要で基本的なことが処理できていない人が党首なんて、とても信頼できる党とは言えない、と私は思います。なぜこんな基本的なことが放置されていたのか、その原因をしっかり国民に説明する責任と義務があると思うのですがねえ、連舫さん。


★東証一部上場企業で、超優良会社の『キーエンス』の経営者親族が、創業名誉会長から株式の贈与を受けたさい、なんと『1,500億円の申告漏れ』をしていたと。株式の評価を低く申告しすぎ、追徴課税350億円を支払ったとのこと。単位が万円ではなく、億円というところが庶民とは全く違う世界のことを示していますねえ。

★新聞界のもうろく経営者労害の代表は、読売の渡辺恒雄・90歳だけかと思っていたら、なんと中日新聞の
『白井文吾会長兼中日ドラゴンズオーナー・88歳』もその一人なんだねえ。ネベツネ同様新聞記者から叩き上げのサラリーマン出世経営者。そして中日ドラゴンズ成績不振の元凶『落合博満GM』をスカウトした人物。巨人もここ9月に入っての13連戦でエラー続出の大不振。この元凶もネベツネのもうろく経営にあり。同じく中日の不振も白井のもうろく経営にあり、と言っても言い過ぎではないでしょう。同情します、名古屋のファンの方々に。

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