★広島市の平和公園には、住所氏名はあるものの引き取り手のない遺骨を納めた『原爆供養塔』がある。この供養塔の遺骨の身元調べにフリーライターの堀川恵子は東奔西走する。そのドキュメントが『原爆供養塔・忘れられた遺骨の70年』。本書は今年の『大宅壮一ノンフィクション賞』を受賞。その足跡と緻密なドキュメントは堀川の人類愛を限りなく表した書と言える。
★今日の画像は、ついに苦節25年ぶりにリーグ優勝を果たしたカープの嬉しい画像です。本当に嬉しいです。圧倒的強さを見せてくれて。優勝の瞬間とその後のビールかけ。いいですねえ、贔屓のチームが優勝するのは。カープは今期全国区のファンを集めた様子です。ひょっとしてタイガースを抜いたかな。
★★『田中光枝 日赤和歌山支部』。広島市の納骨名簿『た』の行に記載されている名前だ。日赤和歌山を訪ねると、『うちの支部の死者なら、分かっていないはずはないですよ』。結果としてこれは正しいことが証明される。日赤の社史によると、田中光枝の名前は『和歌山第366救護班』の隊員の中に見つけることが出来た。366救護班は、昭和17年10月に和歌山を出発し、11月、ビルマ・ラングーンへ上陸、陸軍病院で任務に当たっている。そして終戦後の昭和21年7月、バンコク経由で和歌山に戻ったとあるのだが、最後の一行にこう記されていた。『後に後退補充要員として看護婦田中光枝が加わった』。
同じ日赤和歌山支部に同姓同名の看護婦がいた可能性はゼロではないが、そう多くもないだろう。本体にやや遅れてラングーンに合流した田中光枝が広島で被爆したという可能性はかなり絞られてくる。推測が推測を呼ぶ流れに、田中さんと行動を共にしたはずの『和歌山第366救護班』の看護婦の証言がどうしても必要になった。生きていれば90歳以上。生存者の確認が急がれた。和歌山市から車で30分の海沿いの町に、その人が存命であることが分かったのは、取材を始めて3ヵ月経った頃だった。田中光枝さんのこともよく知っていると。『事実は小説よりも奇なり』という言葉の意味を、深く実感させられる出会いとなった。
元看護婦『田中ミツコ(94)』。夫を亡くし、現在は一人暮らし。話を聞くと、田中光枝さんは2008年に亡くなっていた。しかしミツコは、生前の田中光枝から、広島の納骨名簿に関する重要な話を聞かされていた。昭和17年10月、ミツコは、和歌山支部で身体検査、制服その他の貸与品の支給を受けた後、一行は夜を待って和歌山駅から出発、列車はそのまま乗り換えなしに広島駅へと直行した。宇品港を出港する時の、ミツコら日赤従軍看護婦の服装や携行品が、後に死者が生き返るという納骨名簿の謎を解く鍵になる。
翌昭和18年9月、366救護班の看護婦が1名、病気になり、内地に送還されることになった。田中光枝さんは、その補充要員として同月22日、急遽日赤に招集されていた。そして23日、和歌山駅を出発し、先発隊と同じ広島経由で現地へと向かった。11月4日、ラングーンから離れた兵站病院にいたミツコは、田中光枝を迎える。原爆投下の1年半前、確かに田中光枝はラングーンにいた。
穏やかだったラングーンも昭和19年になると敵機の襲来を受けるようになり、20年4月には撤退の動きが始まった。救護班のメンバーも道なき道を進み、がむしゃらな逃避の最中、看護婦達はバラバラになった。運よく高級参謀を乗せたトラックに出合わせ、なんとかラングーンまでたどり着き、昭和21年7月、九死に一生をえて、ミツコと田中光枝は日本へ帰還した。
その後ミツコは和歌山市内で看護婦の仕事に就き、田中光枝さんは東京に出てマッサージ師になった。開業した店も随分にぎわったと。366班の同窓会『ビルマ会』が開かれる度、互いの無事を喜びあい近況を伝え合った。ところが、そんな穏やかな時間が随分経ってからのことだ。ミツコは田中光枝から思わぬ話を打ち明けられる。『田中光枝さんがね、広島の原爆で死んだ人の名簿の中に、私の名前があるよ、と言うんです。でも、あれは私じゃない。実は、日赤に招集されて宇品港から出る前に、トイレに入ったんだけど、肩掛け鞄は、トイレの外に置いておいた。すぐ出るから大丈夫だろうと。それが、トイレから出てみたら亡くなっていたんですと。鞄が丸ごと消えていた。日赤の制服を着ていたから、きっと目立ったんでしょうねえ』。
鞄には、かつてミツコがそうしたように、替えの下着を何着も入れていた。その全てに『日赤和歌山支部 田中光枝』と書いた名札が縫いつけてあった。『だからね、被爆したのは私の鞄を持っていった人なんでしょうね、と。私の名札のついた下着を着て、被爆して亡くなって、それで私が死んだことになってしまった。でも、そんなことを言うと、その人が泥棒扱いされるでしょうと。死者に鞭打つことはしたくなかったんでしょう。戦地で大勢、亡くなった人達を見てきていますから。それで仲の良かった私には話してくれたけど、他の人には喋らなかったみたいです』。
物のない時代のこと、颯爽とした制服姿の日赤の従軍看護婦、その人がポンと置いた鞄。それを、思わず持ち去ってしまった人がいた。田中光枝が宇品港から出港したのは昭和18年9月。だから原爆投下までの約2年間、その人は田中光枝の下着を身につけていたのだろうか。なんという巡り合わせだろう。『田中光枝 日赤和歌山支部』。納骨名簿に記された一行に、そこに関わった人達の知られざる人生が浮かび上がった。 (参考: 堀川恵子著『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』)
★NHKが、奨学金破産のドキュメントを報道していた。東京の大学に入り、奨学金8万円(有利子奨学金)、アルバイト10万円で生活している。2万円の貸間は、料理するのに椅子の上に立つ必要のある劣悪な環境。そして授業にもほとんど出られず、就職への見通しも立たず、奨学金の返済もむつかしい、と。確かに事実関係はそうなるだろうが、一体この学生は何のために東京の大学にいったのだろうか。無鉄砲である。親の年収は300万円以下。それで東京の大学に行ける経済環境だろうか。冷静になってみれば、進むべき道は他にも見えてくる。東大、一橋といった有名国立大生ではない様子。就職のためだけになんとなく大学に進学した様子で、まさに愚の骨頂。親元から通える地元の大学になぜ行かなかったのか。また就職が目的なら、就職率の高い専門学校をなぜ選ばなかったのか。どうもこの学生の進学には、適切で、客観的アドバイスをする人がいなかったように見える。
このような奨学金破産をなくすため、政府は返済の必要のない『給付型奨学金』の設立を検討しているとか。やめてほしいなあ、税金の無駄使いは。この給付型奨学金制度ができた場合、その恩恵を受けられるのは成績優秀者であり、いわゆる奨学金破産になるような人たちには縁の薄い制度となる。
人生のキャリアマップも作れず、ただただ漫然と大学進学をした人たちは不幸のどん底に落ちるわけである。そんな人たちには『給付型奨学金』は関係のない存在であり、制度ができたとしても救済の対象外、無縁の存在になのである。まさに税金の無駄使い、ポピュリズムの極である。
★三菱自動車の燃費詐称事件、ひといと思っていたら、なんと親の三菱重工もひどい状況にあります。90席仕様、中距離ジェット旅客機。華々しく打ち上げたが、納期に延期の延期。さらに米国への認定に飛び立った機は2度も空調不良で名古屋に引返して。こんなことをやっていたら、とてもボンバルなど老舗には勝てない。
と、さらにひどい案件が。長崎造船所で造っている豪華旅客船。受注額が1,000億円なのに、赤字が2,300億円にも達し、旅客船事業を次世代の柱の一つにしようとする計画が五里霧中に。なんで、こんな大赤字を出すに至ったのか。計画がずさん、読みが浅い、技術が古い。もう三菱の看板も下ろさなければなりませんなあ。
★島根県江津市と広島県三次市をつなぐJR三江線の廃止が決まった。JRが発表。近隣の市町村は廃止反対と対策を重ねてきたが、JR路線最低の乗車率では仕方ない部分がある。が、本当に必要なら近隣の市町村で第3セクターを作り、三陸鉄道のような経営をする道はあったはず。が、それができないほど実態は悪かったということでしょうねえ。本当はこのような形で残し、運営を続けて欲しかったですがねえ。交通機能はバスが代替えするから問題はありませんが。
★W杯予選のUAE戦。吉田がイエローをもらって、1失点。吉田は相手選手に触れてもいない。
勝手に勢いあまって、自分から滑ってころんだだに見えました。その時、この判定がアジアの笛かと感じました。審判はカタール陣。以前から感じていましたが、中東の審判は不正確。このカタールの審判陣にはかつて同じようなことをやられた記憶があります。その時は、同じクエート戦でしたが、カタールの審判は袖の下を受け取っているのではないかと疑うほどのひどいジャッジでした。ということは、選手も事前に承知の助、のはず。やばいプレーは厳禁でした。
PKは、西川なら防げると思ったのに、フェイントにやられて。後半はじめまで二画面でカープと両方を見ていましたが、日本のプレーも全然効果なし、でサッカー観戦を打ち切り。後でニュースを追うと、カタール審判には浅野のゴールも認められなかったと。テレビのレビューでは完全にゴールを割っていたそうですが。サッカー協会は、試合録画のCDをつけて、国際サッカー協会に異議を申し立てるべきです。こんな審判のもとで国際試合など、とやや憤慨を通り越し、あきれています。
と、UAEの英語紙ザ・ナショナル電子版で、浅野のゴールはゴールインしていたと認めています。これほど明白なゴールを、ノーゴールと判定する審判の元でプレーをするなんて、言語道断のサッカー界ではあります。
★8月、日経の私の履歴書にノーベル賞受賞の『大村智先生』が登場。改めて1か月分を読み返しました。新しい発見。一つは発見した微生物が作り出す酵素が500種類にも上っていること。もう一つは、不眠症対策でゴルフを始め、シングル5までになったこと。そして1990年、すでに他の会員権に加え名門霞が関ゴルフクラブの会員になったこと。現在関東地区で一番高い会員権はコガネイカントリーの1億円超。霞が関は社団法人クラブで原則会員権の売買を規制しています。が、90年のバブル期には3億7千万もした小金井より高い価値があったと。そんな会員権を、しかもバブルの頂点で購入した大村さんは、研究者としてもマネーマネジメントとしても優秀な方だったのですねえ。驚きです。
★三菱自動車が筆頭株主の『浦和レッズダイヤモンド』。今秋三菱が日産の出資を受け、関連会社になることから、一企業の2クラブ支配禁止条項に触れるとして、経営権の譲渡を迫っていました。三菱関連でどこが買うか。銀行、商事も重工も経営的に厳しい折、見送る公算が強く。眺めてみて、資金余裕とクラブの宣伝価値を見て、まず三菱電機、そしてキリンビールが候補かと。しかし資金的余裕からすると、やっぱり三菱地所かなとも。さてはて、どこが買い取りますかねえ、黙っていても儲かる優良企業の浦和レッズを。
★企業が従業員向けに整備する『企業主導型保育所』の150施設(定員3,887人)に対する国の助成が決まったそうです。施設の整備費の3/4を助成するもので、計76億円と。何たる遅れ、何たる小ささ。私が勤めていた会社では、17年前、1999年に企業が創設した付属保育園を開園しました。『少子化、少子化』と騒ぐ割に、政府の施策は遅れているなあ。しかもはした金。あの八ツ場ダムの費用6,000億円をしまつし、保育所支援費に回せば、100倍近くの効果があったのに。なんたる怠慢か、安部首相殿。
★交流戦後、あれよあれよと優勝街道をまっしぐら、9月10日、対巨人戦に6―4と、これまた逆転勝ちで25年ぶりにリーグ優勝を果たしたカープ。片やどん尻を競う阪神。その違い。あの新井を首にしたのと、その新井を前例のない球団復帰を認めたカープオーナーとの差、と言えば言いすぎかな。でも、阪神の貧弱さは、カープの好調さの裏返しでもあります。加えて金本が2億円も出して執念で獲得した藤川。その価値があるかねえ。カープの中崎を見たまえ。4,200万円で31セーブだよ。まあ迷える子猫に変身したタイガースの病根は深いねえ。金本は選手名を特定し、やじるのは得意だが、選手を心からやる気にさせる技量が不足していると見ますが、いかがでしょうか。
カープの強さは、その成績が表すようにもう突出しています。頼もしき、田菊丸に加え、鈴木が突拍子もなく強打者に大変身。ソフトの内川の自主トレに参加したのが功を奏したようです。