★広島市の平和公園には、住所氏名はあるものの引き取り手のない遺骨を納めた『原爆供養塔』がある。この供養塔の遺骨の身元調べにフリーライターの堀川恵子は東奔西走する。そのドキュメントが『原爆供養塔・忘れられた遺骨の70年』。本書は今年の『大宅壮一ノンフィクション賞』を受賞。その足跡と緻密なドキュメントは堀川の人類愛を限りなく表した書と言える。
★今日の画像は、1日、横浜を下し、マジックを9としたカープ。広島銀行本店に掲示されたマジック横断幕と、この日の野手スターティングメンバー、そして中軸を作った投手の岡田とクローザーの中崎です。マジックが出て10日も経たないのに、シングルに。本当に強いカープです。
★★『朴南珠(83)』。日本生まれの韓国人で、毎夏、納骨者名簿が広島市から張り出される度に、親族の名前を探しに行っている。朴さんは、広島市内の市営アパートの一室に一人で暮らしていた。
朴さんは昭和7年、広島市西区の川沿いの町で、朝鮮半島から渡ってきた両親の間に生まれた。父は広島にやってきた当初、毎朝、町を回ってはゴミを収集する仕事をしていた。やがて勤勉さが買われ、広く精肉の運搬を手がけていた同じ朝鮮半島出身者から、肉を運ぶための荷馬車の仕事を任された。それがきっかけで、数頭の馬を持つ馬車屋を開くに至る。同時に、あちこちの建設現場に、同じ朝鮮半島出身の労働者を送り込む『人夫出し』の仕事も手がけるようになる。
だから朴さんの家は、裕福で、幼稚園にも通わせてもらった。先生に苗字を聞かれて『朴』と答えると怪訝そうな顔をされた。だから昭和14年に創氏改名が施行され、日本名を名乗れるようになった時は本当に嬉しかった。朴の一家の日本名の姓は『新井』となった。名は南の一字を残し、南子と。しかし『本当の日本人』になりたかった朴は、南子を『奈美子』と漢字を変えてしまった。
昭和20年4月、朴は13歳。国民学校を卒業し、私立の進徳女学校に進学した。8月6日は、本当なら朴は大やけどをして亡くなっていたはず。進徳女学校は、その年の5月から広島市の鶴見橋のたもとの建物疎開に動員されていた。ここで被爆した犠牲者の中には、進徳女学校の教師と生徒合わせて385人もいた。全滅だった。朴は、はなから6日は休むつもりだった。建物疎開の作業中木材が眉間に飛んできて怪我をしたためである。傷は治ってはいたが、炎天下でのしんどい作業にはもううんざりだった。わざと用事を作り、弟と妹を疎開先の宮内へと連れて行くことにした。その移動中の電車の中で、被爆した。頭に手をやるとべっとり血糊がついた。電車の窓側に座っていた人達はみな、死んでいる。訳もわからないまま、福島川の土手に上がった。その時に見た光景は一生、忘れられない。広島がなくなって、家も木も、全て吹き飛んでいた。この大惨事にあって、朴一家は一人の死亡者も出さなかった。
しかし父と母は、家族みなが助かったことを決して喜ばなかった。『お国のために、誰も死んでいない』、だから自分たちは罪を作ったと思った。『お前ら、まん(運)がええのう』、そう言われるのが怖くて、外を歩けなくなった。あの当時、国民がお国のために出来る最高のこと、それは死ぬことだった。朝鮮半島出身者であれば、なおのことと思われた。
敗戦になって、一人だけ行方が分からない親族がいた。母の兄、伯父に当たる『鄭道栄チョンドウヨン』。伯父は8月6日、爆心からわずか340mの日本銀行広島支店の建物の修理に出かけていた。とても生きてはいないだろう。だけど、せめて何か手がかりはないか。遺骨がどこかに葬られてはいないだろうか。しかし、混乱の戦後を生き抜くため、遺骨を探すどころではなかった。それから何十年か経って、自分達の生活がようやく落ち着いた頃から、伯父の遺骨を探すようになった。広島市が行方不明者の遺骨名簿を発表するようになってからは、新しい名簿が張り出される毎年7月になると必ず見に行った。伯父の本名は『鄭道栄』だが、創氏改名により『山本道栄』と名乗っていた。
今や、母も30年前他界した。戦後、韓国に引き揚げた伯父の妻だった人も、もういない。妻は、原爆投下の翌日から夫を捜しに中心部に入った。そのせいだろう、帰国してからもずっと原因不明の病に苦しんだ。原爆手帳もなく、被爆者の数にすら数えられない悲惨な人生だった。伯父の遺骨が見付かったとしても、それを迎える家族はもういない。
朴は数年前から、納骨名簿を見に行くのをやめた。その代わり、日課にしていることがある。修学旅行のシーズンには月に何度か、子供達に被爆体験を語るために平和公園を訪れる。その時には必ず、無縁仏が葬られている原爆供養塔に立ち寄り、静かに手を合わせる。そこに伯父がいると自分に言い聞かせることで、伯父の遺骨を探すことをやめた自分への呵責の念がいくらかでも和らぐ。
朴は語る。平和公園で子供達に体験を語る。最初に『朴南珠です』と自己紹介をするとね、みんな驚くんよ。おばあちゃんは日本人じゃない、どうして韓国の人なのに広島で被爆したのって。旅行に来ていたの?って聞く子もいるしね。最近の子供達は、昔の歴史は何も知らされていおないからね。仕方ないことなんでしょうけど、明るい顔で無邪気にそう言われるとね、確かに長い旅だったと思うんよ。 (参考: 堀川恵子著『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』)
★文藝春秋9月号、石原慎太郎筆『日本人は白人の失敗に学べ』が面白い。白人が犯した歴史上の悪行を丁寧に例示し、3.11テロは白人らの被支配者からすると必然の報復でもあったと。ポルトガル・スペインの植民地収奪の行為はまるで悪魔の所業。バチカンには、日本の南半分をポルトガル、北半分をスペイン領と許可する古文書が残っているとも。さらに戦後のイギリスを中心とする中東支配も辛酸をなめさせている。しかも新興国が勃興してくると白人社会はさらに新しいルールを作り、反撃する。その最たるものはイランに対する迫害、と。そしてその対立の極に宗教があり、この構図は1世紀や2世紀は続くのかもとも。
日本は少子化の対策として、また宗教対立のない国として平和裏の移民受け入れの役割があると結んでいる。歴史を俯瞰すると、白人はいわれのない迫害を有色人種、特にアフリカ系人種に強いてきた事実は消せない。アメリカで白人警官が武器を持たない黒人を射殺する事件が多く起きているのも、底辺にはそのような人種差別主義が漂っている社会だからに他ならないだろう。昨年1年に欧州になだれ込んだ移民は100万人を超すと。これからが本当の白人の苦しみの時代に入るのだろう。中国も別の意味で民族自決問題を抱えている。それらはある意味『自業自得』であり、また『日本人が他山の石』とせねばならないことでもあろう。
★日本が拠出した『慰安婦資金10億円』から、元慰安婦達生存者46人に1人1,000万円、死亡者199人に200万円を支出することで、日韓が合意したと。強制連行でもないのに、朝日新聞の誤報から世界に『性奴隷』の汚名を氾濫させ、また慰安婦少女の像があちこちに。朝日新聞の大誤報、大失策は誰がとがめるのだろう。当時、朝鮮の社会情勢からすると、慰安婦を強制連行しなくても応募者はあまたあったとの証言がいくつもある。さらには、その慰安婦達は対価を相当額受け取っており、離脱も自由であったと。歴史の事実を曲げられたことに、なんら抵抗力も示さなかった外務省官僚に怒りを覚える。一体どっちを向いて仕事をしているのか、外務省は。
★巨人に入団したった4ヵ月でお払い箱になった、キューバ人ホセ・ガルシア(23)が、帰国途中パリで消息を絶った。たった4ヵ月で解雇した背景がもやっている。日本のプロ野球生活に慣れず、放漫な生活を送った上に、コーチに暴行を働いたのが主因らしい。そして行方をくらませた目的は米大リーグ入りを目指しているとも。あえて実力を発揮せず、日本経由で亡命を図った疑いが強く。8歳上の兄も亡命し、現在ブレーブスでプレー中。巨人も外人獲得には身元調査が甘いですねえ。
★一体農水省は仕事をしているのか、と疑いたくなる昨今。牛乳不足からバター、チーズの値上がりがひどく、小麦不足からパン類、麺類の値上げがひどい。カットチーズなど、従来の3/4ほどしかなく目減りがひどい。なぜ緊急輸入しないのか。業者の懐を減したくないために躊躇しているのか。本当にひどい農水省の動きではあります。
★民進党が党首選出の選挙戦に。が、こんな身内の茶番では党勢回復は難しいですねえ。タブーに挑戦しなければ。一番はやっぱり憲法改正問題でしょう。現憲法がGHQの指導下で作成され、原文は憲法学者も関与していないオソマツなもの。時代と国情に合わない条項があれこれあります。9条改正反対はいいとして、その他の条項見直しに踏み切らない限り、民進党の将来はないと、拙者は見ますがどうでしょうか。そして、鳩山、菅元首相時代のみそぎも大切ですよ、国民は当時の暴挙を忘れていませんから。
★優勝マジック数字をドーンと減らしつつあるカープ。勝ち星は球団最高記録75勝を上回りました。鈴木の活躍から『神って』という流行語まで飛び出す始末。8月31日の対横浜戦では先発予定の福井が首の痛みの激化から急きょ先発を薮田に。薮田は前年先発を試されたものの不適格の烙印。今季はリリーフ専門で、一応1回のセーブを続けていたもの。薮田へのスイッチでもうカープファンはこの試合の黒星を覚悟。私もそう思いながらスカパー観戦。が、なんと初回ちょっとピンチらしくなりましたが、6回を2安打、無失点の好投。最後はホームラン王筒香を外角高目の直球で三振に。優勝するチームには本当実力以上の『ツキ』が勝負を盛り上げてくれるのですねえ。