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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『斎藤家三代 失われた日記―斎藤由香⑭終』

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★今日の画像は、線路と道路の両方を走行出来る乗り物『DMV』(デュアル・モード・ビークル)と、ハナカイドウ、シャクナゲ、ニワザクラ、そして24日逝去された『犬養道子さん』の画像です。いずれもとってもきれいで、かわいい花たちです。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

DMVには、線路を走るための車輪と道路を走るためのタイヤが付いている。徳島県や高知県、沿線自治体がつくる団体が、DMVを保有するJR北海道から来年1月まで借りたもの。県内のイベント会場で試乗会などに活用し、2020年導入を目標に準備を進め、全国初の営業運行に向けた機運を盛り上げる。JRの赤字線対策で、日常の不便さを解消し、過疎地の交通の利便性を確保する優れもの。北海道が発信地で、これを四国で流用しようという動き。いいですねえ、利用者、使用者に相互メリットがあるのだから。

★★斎藤茂吉没後50周年を迎えた2003年、新宿区大京町にあった茂吉の部屋の一部、四畳半・書斎・六畳を山形県上山市にある斎藤茂吉記念館に移築する記念式典が10月11日に催された。茂吉の長男であり、伯父である精神科医の斎藤茂太と妻の美智子が訪れ、茂太は晩年の茂吉についての思い出を語ったと言う。

祖母・輝子は強烈な個性を発揮する茂吉と生き、戦争、東京大震災、疎開、戦後の混乱期を過ごした。茂吉とは12年間の別居生活もあった。茂吉の死後は世界各国を飛び歩き、『猛女』『痛快婆さま』と呼ばれ、好き勝手にワガママに生きた89年だった。茂吉を卒論の題材にしていたが、文献で読む祖父と、目の前の祖母とが結びつかず、肝心なことは何一つ聞かないままだった。

翌年1月、ようやく提出した卒論はひどいものであった。国文学者や文芸評論家の評論を部分的に書き写したような内容で、我ながら恥ずかしかった。卒論を出した後、国文科の先生方との面接があったが、何ひとつ盛り上がらなかった。優秀な友人達は大学院に残って勉強を続けたらどうか、と誘われていたが、勿論私にはそんな誘いもなかったし、大学を卒業した後はサントリーへの就職が決まっていた。

来秋、入社式だという前の週末に、学生時代への決別をこめて教科書や答案用紙など、全てを捨てた。その中には小学校一年生からずっと続けていた日記があった。今日は何のテレビを見たとか、近所の誰々ちゃんと遊んだとか他愛のないものばかりだったが、中学になると父が株の売買をやって破産し、家がグチャグチャになった様子や、軽井沢で家族と過ごした夏休みのことや、初めて祖母と一緒にタイのパタヤビーチやアフリカのセイシェル諸島を訪れた時の話、飛行機の様子や旅先での会話、ホテルで食べたメニューまで記していた。その22歳までの毎日を綴った日記の全てを私は捨てた。私には文章の才能はないし、こんな日記を持っていても邪魔になるだけで、将来、何の役にも立たないと思ったのだった。


私が就職したその夏、茂太と美智子が毎夏、家族で訪れる箱根の別荘のゲストブックに祖母の文章があるのを茂太が見つけた。亡くなる年の夏に書かれたものだった。『わがままな私を茂太、美智子をはじめ、宗吉、喜美子、家族一同、大切にしてくれ有難く感謝の念で一杯です。一同の幸福の一生を祈ります。一人っ子の由香にも特に』。私の名前があると聞いて、私は泣いて泣いて吐いた。何の恩返しもしないまま祖母は亡くなってしまったのだ。

この歳になって祖母のことを綴った日記を捨ててしまったのを悔やむ。誰に読んでもらうつもりでもなく、生の言葉を自然に綴ったその時の言葉を読んでみたかった。すでに祖母はこの世を去っているから、一緒に過ごした何かを感じたかった。思い出の中の私はまだ幼稚園のままだ。そばには祖母がいて、真白でかわいかったコロもいる。

しかしすでに父は76歳になった。元気だった父もはや気力がなくなり、原稿もほとんど書いていない。あとは死ぬのを待つばかりと本人は言う。若く美しかった母も白髪が増えた。何であの時、私は日記を捨ててしまったのだろう。楽しかった家族の思い出を読み返したかった。だが、日記はなくてもみんなで笑ったことや父がハチャメチャをやって母が怒ったことや、あの頃の空気や匂いは感じることが出来る。私が年老いた時、すでに両親はいない。懐かしさで胸がいっぱいになる風景は軽井沢の夏の木漏れ日だろうか。祖母と一緒に歩いたセイシェルの浜辺の夕陽だろうか。
  (参考: 斎藤由香著『窓際OL トホホな朝、ウフフの夜』)


★『ハイパーループ』なる、超高速交通システム構想がある。これは、『ポッド』と呼ぶ車両が、筒状の低圧チューブの中を『時速1200キロ』という、音速に近い速度で移動するシステム。テスラモーターズ社にも出資した米企業家のイーマン・マスクさんは、ニューヨークとワシントンの間をこのシステムで結ぶ地下鉄の建設を巡り、米政府から暫定的な承認を得た。このシステムを使用すると、両都市間はたったの29分で移動できる。両都市間の距離はおよそ330キロで、現在のところ電車で3時間、飛行機で1時間15分ほどかかる。ただ、専門家らによると、ハイパーループの建設には地元自治体や州レベルから政府機関まで膨大な数にのぼる当局の許可が必要となると。しかしマスクさんは、それにたじろぐことなく地元の政治家などに建設を働きかけて行くと決意を語っている。

★スポーツクラブの更衣ロッカーから現金を盗もうとしたとして、奈良県警奈良西署は窃盗容疑で、神戸市消防局中央消防隊勤務の消防士長の男(奈良市在住)を逮捕した。『生活が苦しく、少しでもお金が欲しかった』と容疑を認めている。

逮捕容疑は、4月28日夜、奈良市内のスポーツクラブで、生駒市の運送業の男性(38)が使っていた更衣ロッカーから現金を盗もうとしたとしている。同署によると、2人はこのクラブの会員。男性は浴場を利用する際は荷物棚にロッカーの鍵を置いていたが、これまで数回現金を盗まれたため、4月28日は動画を撮影する状態にしたスマホをロッカー内に設置。ロッカーから財布を取り出して、戻す男が写っていたため発覚したと言う。まあ、こんな証拠を突き付けられたら、逃れられないわなあ。


★独誌『シュビーゲル』は、フォルクスワーゲンなど独自動車大手5社が、1990年代からカルテルを結んでいたと報じた。対象は技術や部品調達など広範囲に及び、ディーゼル車の排気ガス関連も含まれている。カルテル行為がVWに続き、独ダイムラーなどでも疑われる排ガス不正の背景となった可能性がある。

ドイツ史上最大のカルテル事件に発展する可能性もある。報道によると、VWがドイツ連邦カルテル庁に、処罰の軽減を求めて資料を提出した。カルテルに加わったとされるのは、VWやBMW、ダイムラー、アウディ、ポルシェの計5社。ドイツの自動車メーカーの大半を占める。90年代から200人以上の従業員が60回以上会合を重ねていたと言う。カルテルが疑われている対象は、部品メーカーの選定や購入価格の決定、技術の仕様など多岐にわたる。ディーゼル車の排ガスを浄化するための尿素タンクの価格を抑えるために容量の小さいものを採用することで合意。後に排ガス不正につながったとしている。

当局は2016年夏に銅板価格について談合した疑いでVWを調査していた。調査の2週間後にVWはカルテル庁に自己申告し、ダイムラーも同様の書類を提出したと言う。ディーゼル車の排ガス不正では15年夏にVWが1100万台で違法ソフトを使っていたことが発覚した。検察はダイムラーやアウディ、ポルシェも不正の疑いで捜査している。汚れて、腐ったドイツ自動車メーカーだねえ。高級車の看板が泥で汚され、ペンキで落書きされたようなものだ、汚い。


★北朝鮮の農作物が大凶作だそうだ。国連食糧農業機関が発表。2001年にも大干ばつで、国連から食料援助を受けたが、今回はそれを上回る状況だと。とにかく雨量が少なく、先月の小麦、ジャガイモの生産量は前年を3割も下回ったと。深刻な食糧不足に対応し、北朝鮮は食糧の緊急輸入をする必要があると、指摘している。ICBMを開発、打ち上げるだけの経済力があるなら、自力で食料調達をしてほしいねえ。間違っても、国際社会に食料支援の要請をしないように。日本人拉致者の調査もすでに3年を経ているが、なしのつぶて。ゴロツキ国家、北朝鮮に、人道支援とはいえ、手を差し伸べる気には一向にならないのだから。

★米国労働省の研究では、今日小学校に入る子供が、大人になって就く仕事の65%は、現在まだ存在していない仕事だと言う。野村総研の推計では、10~20年後に、国内労働力の49%に当たる職業が人工知能やロボットで代替えされる可能性が高いと指摘している。IT革命により、激変する世界の産業構造がもたらす姿だ。そのような激変の中で、日本が力強く生き残って行くためには、日本人がその変化に対応できるようにならなければならない。今まで以上に、日本の人材を活用出来るような仕組みが必要となってくる。すなわち人生の途中で職を変わることも当たり前にならなければならないということだ。ある意味、拙者たちが通った道は安全無害で、楽な道だったのだろうねえ。(参考:松本元著『「持たざる国」からの脱却。日本経済は再生しうるか』)


★カープのエース、ジョンソンが2度目の戦線離脱に。緒方監督は23日の試合後、『太もも裏の筋肉筋損傷』で出場選手登録を抹消されたジョンソンについてコメントした。助っ人は22日、ランニング中に患部の痛みを訴えたことから広島市内の病院で検査。加療3週間と診断された。4月には咽頭炎を患い2カ月チームを離れている。復帰時期は9月上旬になる可能性があり、今季2度目の長期離脱だ。『何をやってるんだ、という感じ。せっかく今から大事な戦いが始まるというのに。球宴の休みを挟んだ後だし、情けない』と監督。カープがリーグ連覇を目指して戦う後半戦。指揮官はエース左腕をキーマンに挙げていただけに、悔しさを募らせた。

★評論家で、犬養毅元首相の孫にあたり、犬養健元法相の長女である『犬養道子さん』が老衰のため亡くなった。享年96歳。1958年に欧米訪問記を書いた『お嬢さん放浪記』で文筆活動に入った。70年代以降は飢餓、難民問題に精力的に取り組み、世界難民キャンプや紛争地に単身で赴いて活動。飢えた子供を救済したり、パキスタンに苗木を送ったりする運動を提唱し、私財を通じて難民に奨学金を支援する犬養基金(現犬養道子基金)を設立した。

もう30年前にもなろうか、犬養さんが著した『渇く大地』を読んだ。アフリカの難民、貧民救済活動に携わる傍ら書き表したもので、様々なアフリカの問題を挙げている。その中で一番印象に残っているのは、アフリカの人たちは自然に同化し、恵まれていたので生活の知恵の積み重ねが少ないと。事例として、エチオピアのキャンプで、女性が食事の煮炊きをする場面、エチオピアの女性は、焚き木を重ね、その上に台と鍋を乗せ、煮炊きするだけ。火のエネルギーを周囲から逃さないようにする工夫、日本で言えばかまどの形、はしないので、焚き木は必要以上に多く使う。しかもその焚き木も人口の増加や干ばつで手に入れるのが難しくなっているのに、だ。道子さんは書く、『日本のおばあさん、エチオピアの女性に日本で行われている食事の煮炊きの工夫を教えてやってほしい』と書き綴っていた。350ページの分厚い本だが、この言葉が一番印象に残っている。生涯アフリカなどの救済活動に身を投じられたのだろう。ご冥福をお祈りします。  合掌


★『加計学園問題』の獣医学部問題を主題に、24日、衆議院予算委員会が開かれた。政府側の関係者達は『記憶にない』『記録に残っていない』と言ったフレーズを連発。識者からは『説得力がない』『水かけ論だ』と批判が上がっている。

『どういう文書があるんですか、と聞いても、答えは「ありません」、そればかりだ』。民進党の質問者今井雅人議員は語気を強める。政府側答弁で『記憶にない』『覚えていない』『記録がない』という答弁は合計20回。首相秘書官だった柳瀬経済産業審議官は、国家戦略特区に指定される前に今治市の課長らと面会したかを問われたところ『覚えていないのでこれ以上のことを申し上げようがない』と説明。同趣旨の発言を今井議員への答弁だけで少なくとも7回している。今治市の記録では、今治市の課長が柳瀬審議官を訪問した、と記録が残っている。しかも『国会議員を通しても会えないことが多いのに、秘書官から官邸に来てほしいと呼ばれた。そして、希望に添えるような形になりつつあると告げられた』と、今治市への出張報告で記されている。一体この柳瀬審議官は何者だ。安倍首相はそばで聞いているのだから、『真実をはっきり述べ』と叱咤するくらいしなければ駄目だよね。隠し事で委員会、国会を乗り切っても、国民はだまされなぞ。

しかも、だぞ、『誰に会ったか記録に取っていない』と宣もうた。秘書官たるもの、誰に会ったか記録に取らないのかね。そんなの秘書官として落第だろう。普通のビジネスマンでさえ、会った人、訪問した人、会社などは記録に取る。柳瀬審議官はウソにウソを重ねていると見て間違いない。一体何のためか。そうか、安倍首相のためなんだね、国民を無視して。


政府側答弁は、事前に打ち合わせ、『記憶にない』『覚えていない』で逃げをうつ戦術だったのだろう。まるで『ロッキード疑獄』の質疑の再現だ。が、ロッキード事件は検察が『巨悪を暴く』と徹底捜査を行って、有罪になった。『加計学園問題』は贈収賄がなければ、罪にならないことを見すこして、このような手段に出たのだろうが、国民はバカではない。東大、京大を出た俊才達が『記憶にない』『覚えていない』の発言を信用できるはずがない。なら、東大、京大など入学出来ない頭と自白しているようなものだから。なんとも情けない安倍政権ではある。国民はバカではないから、こんな茶番劇にはだまされない。一連の茶番劇を見ていると、安倍内閣は『ことの真相を明らかにしよう』という努力、姿勢が全く見られない。これが内閣、政府の国民を目線の下に置いた傲慢、驕慢な真の姿である。

安倍首相は、『加計学園が獣医学部新設の話は、1月20日の国家戦略諮問会議の場で初めて知った』と発言している。それまで、年に6回も7回もゴルフや食事を加計学園理事長と共にしていながら、聞いていなかったと。同会議は10月の会議で『今治から獣医学部新設の特区申請がある』と公開している、にかかわらず『知らなかった』を連発。さらには、過去の国会答弁とも整合性がとれないようになっている。袋小路だ。もう『嘘つき安倍内閣』は絶対的に信用できない。昔から嘘と強弁を通してきた男だから。内閣、政府は弁を弄すれば弄するほど、ウソがぼろぼろと出てくるなあ。安倍首相のスタンスは、事の真相を明らかにする、と言うより、事の真相から逃げ回っている、と言う印象を受ける。事案に鋭くメスを入れ、自身の疑いを晴らそうという気概はどこにもない。

それにしても、一体公明党はどうするんだろうか。こんな嘘つき内閣、政府と心中するのか。仙台市長選挙で、自民と共に推薦した候補が敗れている。鉄壁の公明党票もほころんでいる。安倍政権に一言言わなければ、日ごろの山口党首の言動とは裏腹な行動になり、『自民党のチェック役』を自ら任じてきた役割は反故になるだろうなあ。

★そんな中、フジテレビが稲田防衛相らが、南スーダンでのPKO活動の日報を巡る問題で、大臣室で協議した際のやり取りを記したメモを入手した。そのメモには、陸自には存在しないとされていた日報が、実際には残っていたと説明を受けた稲田防衛相は、『明日何て答えよう』などと話し、これまで報告を受けていないとしていた稲田防衛相の説明と食い違う内容が、ここには記されており、事実とすると稲田防衛相がウソの発言をし、意図的に隠ぺいしたことになる。まさか、このメモを偽装などと言って逃げるのではないだろうなあ、安倍晋三殿は。正念場を迎えた安倍内閣と言える。


★30日から予定していた、『松本~中坊温泉~燕岳~常念岳~蝶ガ岳~上高地』の、車中泊を入れて5泊6日の縦走旅。天気予報も吉と出て、決行の運びに。昨年計画したが、天候が悪く断念した。今年こそ、の意気である。が、問題は初日、中坊温泉登山口から燕岳の歩行。標高差1300m、歩行時間5時間。広島の里山白木山の倍。ちょうど4年前、フランス側からピレネーを超え800kmのサンチャゴ巡礼を敢行したが、このピレネー越えが標高差1300mだった。が、これはナポレオン街道というかつてナポレオンがスペイン征服へ遠征した道。登山道とは異なり、緩やかな長い道のりだった。はてさて、今回はどうなることやら。楽しみと不安と。が、右に穂高連邦を望みながら常念街道を歩く楽しみは格別だろうと、今からワクワクしている。

★昨日25日のカープ―巨人の試合。見応えがあったねえ。ピッチャーは野村とマイコラス。両投手とも、7回まで3被安打という素晴らしいピッチング。が、先取点を取ったのはカープ。8回表、阿部を2塁において、代打西川が内安打で1点。さらに田中が二塁を抜き、菊池のセンター前で2点目を。9回、巨人が坂本のタイムリーで1点返したものの、2-1でカープの勝ち。対戦成績を12勝3敗と、今季の絶対的なお得意様、巨人様に3連戦の頭を取った。見事なカープの集中攻撃だったねえ。岐阜長良川球場でも客席に赤いユニフォームが多く目だった試合。カープファンの波及はどこまで広ろがるのか、恐ろしい。(@_@)

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