広島を元気にした男たち―明治・大正期の財界人群像
広島の歴史を知らない市民が多くなった今、広島を育てた先人の努力と工夫を我々は新しく紐解き、その先人の偉功に対し感謝と喝采をささげなければならない、と私は思う。そのため、ここに『財界人群像』を連載す。
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★★『海塚新八』肥料商、金融業、第百十六銀行副頭取、広島貯蓄銀行頭取、広島米綿取引所理事長
明治期の広島財界を取りまとめてきたのが、安田八十吉と貝塚新八である。安田のあるところ必ずといってよいほど海塚があり、海塚のところには必ず安田が名を連ねており、今流に言えば『八・八』コンビで広島の財界を牛耳ってきていたのである。
新八は、弘化4年1847、五日市村の海老塩浜(現佐伯区海老園)で、塩田を経営していた清水屋新平の次男として生まれている。慶応3年1867、20歳の時広島城下の西本川で肥料問屋を営んでいた『海老屋』の養子となった。当時の広島地方は、全国的に見ても綿の栽培が盛んで、藩政時代から広島地方の綿、大竹地方の紙、竹原地方の塩と共に『安芸の三白』と言われたほどの特産品であった。現在の広島駅北、東練兵場の跡地は当時一面綿畑であった。この綿畑の栽培には干鰯やニシン粕など肥料が大量に使用されていたことから、肥料問屋には有力商人が多かったが、海老屋もその一軒であった。海塚という姓は、新八が海老屋の海をとって名付けたと言われている。
現在、大手町3丁目の本逕寺ホンケイジの境内に、新八の業績をしたためた石碑が建てられている。その碑面に『新八が養子に入った際、養父から1千円を授かったが、これを10年間貯蓄して増やした』という意味のことが書かれている。20歳代の若さで相当理財の才にたけていたことがうかがわれる一節である。
彼はその後、綿花栽培が衰退することを見越して、肥料問屋から金銭貸付に営業の主力を移し、海老屋の資産を今まで以上に増やしたのである。明治14年、地元の第百四十六国立銀行が経営不振に陥った際、県令はその救済を安田八十吉に依頼したが、安田は海塚新八の力を借りて、経営の立て直しを図ることが出来たのである。新八が金銭貸付業を行っていたことが、銀行経営に大きな力となった。
その後、明治28年の日清戦争時に、庶民の零細な預金を取り扱い、勤倹貯蓄の風習を育成するために、広島貯蓄銀行が設立されたが、新八はその頭取となって采配を振り、小回りのきかせた経営体制のもと貯蓄銀行の経営を軌道に乗せたのである。
明治29年、広島県内最初の電気事業として、広島呉水力電気会社が発起されたが、賀茂郡広村の二級の滝を水源として電気を起こし、呉・広島に供給するとの展望であった。その資金を調達するために、新八は東京に行き、渋沢栄一ほか当時のわが国財界の相当なるメンバーの間を奔走して資金の導入を呼び掛けたことで、電力会社を立ち上げることが出来た。渋沢栄一は、当時わが国の重鎮で、第一国立銀行を設立したのを始め、明治期に設立されたわが国の主な事業のことごとくに関与し、名を連ねており、特に電気事業と銀行には深いかかわりを持つ財界人であった。
明治政府は『富国強兵』による国力増強と共に、『殖産興業』を掲げて、産業経済の発展を進めた。その一環として、綿花の生産の盛んな愛知と広島に官営の紡績工場を建設して、綿糸による紡績業の興隆を図った。一方、当時広島には、禄を失った士族の救済会社として、海塚新八が経営する広島綿糸紡績会社があり、官営の紡績工場は操業前にこの会社に払下げられることになった。この広島綿糸紡績会社は、日清戦争後市内の蟹屋町に中国紡績が設立されるまで、この地方唯一の近代的な工場として、先駆的な役割を果たした。
明治19年1月、第百四十六銀行の頭取に安田八十吉が就任した際、海塚新八は常務取締役として安田を補佐して経営の任に当たった。23年には副頭取となり、安田と海塚という、広島財界の両大御所が役員に就任したことで、同行への信頼感が強まって業績は飛躍的に上昇している。このコンビでの運営は、海塚が大正2年12月に急逝するまで、実に28年間も続いた。新八は、その他にも広島水力電気、広島電灯、広島呉電力などの取締役に就任するなど、広島の主な企業には必ずというほど名を連ねた。
大正2年12月8日、廿日市に本店を置いていた八田貯蓄銀行が突然休業した。休業の原因は、八田家が経営する鉱山、埋め立て事業に、八田貯蓄銀行の預貯金が多額につぎ込まれていたが、その事業が齟齬をきたし、資金の回収が出来なくなったことによるもので、八田銀行があぶない、との風評から取り付け騒ぎになったもの。この騒動は広島市内の銀行にも飛び火して、多くの銀行に取り付け騒ぎが起き、ほとんどが休業に追い込まれた。
海塚新八は、このような金融パニックを鎮静させるために、日本銀行に往復したり市内の有力商人の間を回って資金援助の協力を仰ぐなど、奔走に務めていた矢先の12月13日深夜、紙屋町の交差点で乗っていた人力車の轍が市内電車の線路に嵌って転倒し、そのあおりで新八は車から投げ出され、頭を強く打って悶絶するという奇禍に合った。そして紙屋町近くの三宅医院に担ぎ込まれたが、意識不明のまま12月19日に逝去した。享年66歳。うわごとで、安田さん、松本さん、頼む、たのむ、とうわごとを言っていたと。
新八が亡くなった後、長男の宇三郎が二代目新八を襲名して、初代が務めていた銀行や会社などの役員になった。広島綿糸紡績会社は長女文子の夫渡辺徳三郎が引き継ぎ、次男の辰次郎は銀行の役員に就任した。また、新八の娘の孫の一人、海塚義郎は、昭和56年まで自動車メーカーマツダの役員を務め、退任後は名作映画広島地区上映委員代表などを務めた。
大正5年、新八の功績を讃えて市内財界有志の手により、本逕寺ホンケイジ境内に顕彰碑が建てられた。その碑には新八の業績が克明に記されているが、碑文は渋沢栄一が書いており、渋沢と海塚の交友の深さがうかがわれる。新八の三女品子によると、「かねてから渋沢栄一氏は父に対して、広島に埋もれるのはもったいない、東京に出てこい、と誘っておられたが、父は、自分は広島が好きで、離れるつもりはない、と言っていた」と語っている。なお、この顕彰碑は原爆で大破したが、本逕寺の配慮で入念に修復され、現在地に建てられている。
(参考: 田辺良平著『広島を元気にした男たち』)
★1970年のデビュー以来、『ジャンボ』の愛称で親しまれてきた『ボーイング747』。旅客型の生産がひっそりと終わろうとしている。500人以上を一気に運べ、航空旅行の大衆化に大きく貢献した747だが、燃費が良く騒音がより小さい新鋭機に押され、航空市場の表舞台から立ち去る時が目前に迫っている。50年近くにわたって世界の空を飛び回っている747は、これまでに1500機余りが出荷されている。
かつて、大陸間を飛ぶ長距離便には4基のエンジンを持つ747や、3基を搭載したDC10といった機体が主に使われていた。これは、当時のエンジンの技術的な問題で、遠くへ飛ばすには3~4基のエンジンによる推力が必要だったほか、飛行中のトラブルでエンジンがひとつ止まってしまっても、残りのエンジンを使って飛行が続けられるというトラブル回避の理由もあった。逆にいうと、エンジン2基の機体では、万一の時に1基で飛び続けなくてはならず、それは『極めて危険なこと』と考えられていた。
ところが、エンジンの性能が過去20年ほどの間に向上した結果、エンジン2基の機体でも大陸間を楽々飛べるようになった。今年の夏ダイヤの『長距離フライトランキングベスト25』によると、超ロングフライト上位の25区間のうち、エンジン2基のボーイング777は17区間を占めている。
エンジンの性能向上が進む一方で、地球温暖化につながる二酸化炭素(CO2)の削減が世界的に叫ばれるようになって来た。4発機は2発機に比べ燃料消費が多く、CO2や窒素酸化物(NOx)の排出量が大きい。それだけでなく、騒音レベルも高い。これらの事情により、世界の多くの空港では、747などの4発機の乗り入れには懲罰的ともいえる高額の着陸料を課しているほか、極端な例では3発以上の機体の乗り入れを全面的に拒んでいる大阪国際空港(伊丹空港)さえもある。
747旅客型の生産が終わらんとする一方で、ボーイング社は今年、同社のベストセラー機737の改良型『737MAX』の納入を開始した。単通路機ながら米国―欧州間を無着陸で飛べるのが特徴で、今秋には複数のLCCが米東海岸と英国を結ぶ路線に参入する。従来、LCCのビジネスモデルでは『長距離路線の運航は厳しい』とされ、幾多のLCCが大陸間路線に挑んだものの、撤退もしくは会社そのものの倒産に追い込まれて来た。しかし、技術の進歩により低コストで長距離を飛べる機体の出現で、これまでと違った需要が生まれ、LCCが長距離線の新たな担い手になるのかもしれない。
『大きな飛行機・747』の誕生で、航空旅行がより身近なものになった1970年代。今度は、『遠くに飛べる小さな飛行機』の普及で、航空旅行は新たな局面を迎えようとしている。
★インフレ率が1000%にも達する国『ベネズエラ』で、大統領の権利を強化する新憲法制定に向け選挙が始まったが、これに反対する国民と政府軍の間で紛争が起こっており、テレビ局『Vivo Play』は、兵士達が建物や市民に発砲していると証言し、『これは戦争』と語った。4カ月に及ぶ反政府デモでの死者数は120人に増加したと。石油価格の暴落がベネズエラ政府の財政を直撃したにかかわらず、政府は紙幣の印刷を止めなかった結果、経済はハイパーインフレに突入。収集の見込みが立っていない。しかし、こんな中ベネズエラ国民は命を賭して反政府デモを敢行する。まことに見事、勇気ある行動と言える。北朝鮮の国民達よ、ベネズエラの国民の行動をよくよく見定めてくれよな。国を変えるのは、その国の国民の力しかないのだから。
★やむなく生まれてすぐに神奈川県の児童擁護施設で育った榎本優(24)。現在渋谷の35階建てビルの『とび職』として活躍する。子供の頃から木登りが好きで、中学校卒業してからこの職に就き、高層ビル建設にやりがいを持つ。『このビルの建設に携わったという満足感が好き』と。オリンピックまでに東京中心部には60のビルが建設されると言う空前の建設ラッシュ。現在榎本君の携わる渋谷界隈では6つのビルが建設中と。『とび職』で腕のいい人だと月100万円の収入になるとも。徳島工業高校を卒業し、電気工事の仕事をする佐野力也(19)は、4人兄弟の長男。両親が離婚し母親の手で育てられた。大学を諦めて就職したが、手本になるお兄ちゃんになって、母に恩返しをしたいと語る。
これはNHKのドキュメント番組で放映され、登場した若者二人の話。最近は『貧富の差が、教育を受ける水準の差に繋がり、貧富の差の連鎖になる』という、まことしやかな真理が世の中を被う。しかしそれは実態と違っているのではないか、と拙者は思う。大学を出たからと言って、高給取り、いい仕事につくとは決まっていない。むしろ、いい仕事は少なく、大学を出たことと仕事の質が関係しないことが多い。それは、大学進学率がむやみに高まり、大学卒業者としての質にふさわしい仕事は少なくなっているからだ。ITの進展によるものも多い。これからの仕事の内容は、専門性をいかに持つかに左右される。専門性のない人にいい仕事は回ってこない。若者達よ、よくよく考えて進路を決めるべし。大学へ行ったからと言って、いい仕事、人生は自動的にやってはこない。やはり、自分の努力、汗をかいての向上心なかりせば、路傍の石として果てるだけなり。
★2020年の東京五輪で金メダルを狙う『野球日本代表』の監督に『稲葉篤紀』が決まった。オリンピック種目に復帰した野球界からは希望の星、稲葉と声援が飛ぶ。が、今年のWBC出場で、リーグ戦不振に陥っている山田や中田を見ると、WBCは何の意義がるのか、と疑問を抱いていた。しかし、オリンピック種目に決定となれば、逃げるわけにもいかないだろうなあ。ガンバレ、稲葉ジャパン。
★『高額療養費自己負担額』が引き上げられる、とNHKニュース。住民税課税金額370万円を超える人は、月13,200円値上がりし、月57,600円の負担に。交通事故で下半身不随となって、自宅訪問看護を受けている男性のインタビューが。『自己負担が増えることで、将来への不安を感じる』と。待って、待って、住民税課税金額370万円と言えば、実所得が年500万円を超す裕福なご老人たち。厚生年金の標準支給額が20万円前後、年間240万円程度の状況で、実所得500万円は高額所得者。しかも、自身の療養費用自体は相当の高額で、おそらくは年300万円は越しているのではないか。それを、自己負担が年16万円の負担が増えるとして、将来が不安になる金額か!NHKはもっとましなニュースを流せ!国民健康保険の財政が危機的な状況下、負担余力のある層については、相当の負担をするのが筋ではないか。NHKの良識を疑う。
★中国がまた、東シナ海のガス田開発を再開する様子。確か、このガス田は埋蔵地域が日中双方の経済水域権内に広がってあることから、この開発には双方が事前に話し合う、と20年くらい前に外交筋で決着したはず。なのに、中国は一方的に開発を進め、さらに大陸棚占有論を展開して、すでに10年以上前から採取を始めて、商業運営している。日本はただ抗議をするだけで、何の効果的手立てをしない。これって独立国かえ。日本も負けずに日本側から掘ればいいのに。何か問題でもあるのかえ、岸田外相殿。外相は『極めて遺憾だ。中国に対し、一方的な開発行為やその既成事実化の試みを中止するよう求めて行きたい』だと。まさに犬の遠吠えだなあ。中国の開発は2004年に始まっており、もう13年も経過している。何の成果も手立てもない外務省、外務大臣。こんな人が次の首相になるのかえ。中国など、下手に出れば出るほどのけぞって傲慢になるだけの国なのになあ。
★長崎ハウステンボスで、よもやの事故が。あの『バンジージャンプ』で、ワイヤーロープが切れたのだ。幸い、37歳の男性は、地面に敷いてあるエアマットから地面に転げ落ち、肩に軽傷ということで済んだが、一体原因は何だろうか。このジャンプは高さ20mのジャンプ台からゴム製ロープを取り付けて飛び降りる。事件は、落下して、一旦跳ね上がった後にワイヤ部分が切れた。このジャンプは2015年10月から営業を開始し、営業の前後には必ず点検をしていると。この日の点検でも問題は見つからなかったらしい。しかし、問題が見つからない点検は、点検とは言わないのだろにねえ。飛び降りた男性は、本当、驚いただろうねえ。
★人気大低落の安倍首相は、内閣改造で起死回生の挽回を図るが、あまりうまくいってない様子。なんと、公明党の力をさらにひきつけるため、山口代表に公明党大臣席を1席増やすと提案。山口代表は議員の少ない公明党だから、党務に差し支えるのでご遠慮申し上げる、と辞退。なにやら、将来の自公分裂の予選が始まった空気を感じるねえ。
さらには、問題の文化相に伊吹元衆議院議長の就任を打診したが、断られたねえ。これは衆議院議長経験者が大臣に就くことを潔よしとしない伊吹さんの考えだろうが、大臣になってあれこれ詮索され、晩節を汚すのを避けた、との声もある。が、思うように組閣が出来ず、苦労する安倍君ではあります。
★先般も書いたが、稲田前防衛相。ちょっとかわいそうな気もすると。が、防衛省の退任式、閲兵などを見て、識者は、辞退するのが筋だろうに、にこやかに笑顔を振りまいて、とお冠。まあ、そういった意味では、稲田さんは未熟児の気があるねえ。あまりににこやかすぎる退任式の笑顔。防衛省、自衛隊にあれほどの混乱を発生させた責任は稲田さん、ちっとも感じていない様子。これって自衛隊諸君の神経をいらだたせるのだなあ、と思ったねえ。が、それに気がつかない稲田さん。単なるお嬢さん大臣だったのかねえ。そういう意味では安倍首相の任命責任は強く非難されるべきだねえ。
★6月だったか、ゴミの廃棄処分場で2千万円が見つかり、仲間内で分け合っていた事件が起こったが、今度は集めたゴミからなんと現金4,250万円が見つかったと。場所は群馬県沼田市。現金は持ち主に返還されたが、廃棄処分会社は、持ち主の男性から受け取った報労金など1千万円を市に寄付した。市は社会福祉事業に活用する方針。現金が発見されたのは4月4日。沼田署は、拾得物として持ち主を探していたところ、前橋市内の男性が『亡くなった親族のものかも知れない』と名乗り出た。同署は、紙幣に巻かれていた帯封の日付と同じ日にこの親族が多額の現金を引き出していることなどから、現金は親族のものだったと判断。相続人である男性に6月30日、返還した。男性は遺失物法に基づく報労金として、現金の2割に相当する850万円を同社に贈った。同社は『地域に貢献したい』と150万円を足して、1千万円とし、市に寄贈した、という次第。暗い話が多い中、こんなすっきりした話はいいねえ。素晴らしい。
★マエケンが1日のブレーブス戦に登板、7回を2安打無失点6三振1四球で、チームは3-2で勝利し、自身10勝目を挙げた。二ケタ勝ち星は2年連続。これでマエケンは今年も契約金23億円満額獲得に一歩前進したかな。願わくば、野球人生の最後、2年間程度を古巣カープで過ごしてくれたらいいねえ。