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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『日清・日露戦争時に大活躍した「熊谷栄次郎」―広島の偉人⑤』

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★広島を元気にした男たち―明治・大正期の財界人群像
広島の歴史を知らない市民が多くなった今、広島を育てた先人の努力と工夫を我々は新しく紐解き、その先人の偉功に対し感謝と喝采をささげなければならない、と私は思う。そのため、ここに『財界人群像』を連載す。

★今日の画像は、290億円でバルサからパリへ移籍した『ネイマール』と、8月6日、広島市の夕暮れ風景です。『原爆の日』の広島市は、平和公園を中心に世界から平和を願う人びとの祭典となる賑わいです。恒例の灯籠流しが感傷を誘います。右下をクリックすると、大きな画が見られます。」

★★明治37、38年の日露戦争では、広島は、天皇の臨幸こそなかったが、日清戦争以上に大きな影響を受けた。この戦争で大儲けをした者もおれば、大損をした者もまた多くいた。この中の一人で、莫大な儲けもしたが、大損も一手に引き受けた男がいた。彼の名は熊谷栄次郎―――。

明治16年に発行された『広島諸商仕入買物案内記』という、当時広島での著名な商店を紹介した絵本がある。この絵本に『穀物商 広島胡町 熊谷栄次郎』が紹介されている。店の入り口には『広島鎮台御用達』の看板が掲げられ、店頭には米俵などを積んだ荷車が4、5台並び、店員らしき者が荷物を積み下ろしている。熊谷栄次郎商店はこの当時から、軍の御用達商人として活動していたことがうかがわれる。

栄次郎は、天保13年1842、6月、安芸郡奥海田村字川本(現海田町東海田)で出生し、12歳の時、縁戚筋に当たる広島城下胡町で屋号を『野間屋』と称して米問屋を営んでいた野間家の養子となった。胡町には、幕末の頃には110戸、約400人が住んでいたが、町の1/3が胡神社の屋敷、1/3に商人が住んでいて、残り1/3が野間家の敷地であった、と言われるほどの大商人で、その先祖は鎌倉時代に安芸の守護職として赴任した?熊谷直家から派生した家系、と語り継がれており、後に武士から商人に転籍したものである。

栄次郎は、26、7歳のころには、米穀を舟に積んで大阪へ運ぶための荷主兼舟監督を務めるほどのやり手となっていたので、その度胸のよさで熊谷家をされに発展させたようである。明治6年に陸軍広島鎮台(後の第5師団)が設置された時、陸軍の御用達に指名されており、この頃から『熊谷組』と称するようになった。また、明治19年に海軍呉鎮守府が開庁となると、その御用達になるなど、相当の政治力を持っていたこともうかがわれる。


明治27年の日清戦争の時には第5師団御用達商人は、東京の大倉組と広島の熊谷組、河野広吉商店の3軒のみで、大倉組は主に軍用食料と雑品、熊谷組は軍用食料と馬糧、河野商店は乾物類を納入していた。日露戦争の時には、開戦間もなくに、東京の陸軍糧秣廠から三井物産と熊谷組を指名して、馬糧を入れるカマス150万枚の入札が出されたが、天下の三井物産を抑えて熊谷組が見事落札した。しかし、その後が大変で、なにしろ150万枚ものカマスはそうそう集まるものではなく、栄次郎は八方手をつくして全国から集荷し、納期までにはきちんと完納させた。若い頃からの人脈が生かされた結果であった。これによって軍からの信用はますます高まって、以後、馬糧については全国を二分して、関東は三井物産、関西は熊谷組が担当するという協定が成立した。

明治38年初頭、陸軍から1日1千石の摩擦米(長期保存米)を精米して納入出来る精米所を宇品に建設できないか、と打診があり、栄次郎はその保管倉庫用地を宇品新開地の大部分を保有していた田中喜四郎から買い受け、日夜突貫工事で倉庫と精米所の建設を行った。4月には設備が完成し、宇品港には摩擦米が山積した光景が見られた。しかし、栄次郎が国のためを思って建設した設備ではあったが、5月には日本海海戦で日本が勝利したことから、媾和会議が進められ、9月には戦争が終結した。山積した米は東京に運ばれ、投げ売り同然の値でさばかれた。

この精米所の建設で栄次郎は当時の金で100万円の損を出したと言われる。軍としても気の毒に思ったのか、精米所の跡地は軍が買い上げ、さらに付近の土地を買い増しして陸軍糧秣支廠を設置し、缶詰工場などを建設した。その他、日露戦争後の軍備拡張で、岡山や四国善通寺の連隊宿舎が増築になったが、これらを特命で熊谷組に指定するなどして、多少なりとも損害の見返りとした。

日露戦争で多額の損害を抱えた栄次郎だが、その後も営々と財界での活動を続けている。明治41年6月、推されて広島電灯会社の社長に。この会社は、明治26年5月設立された、中国地方では初の電気事業会社であった。社長に就任した栄次郎は、積極的に事業展開を図り、太田川上流の可部地区に水力発電所の建設を企画し、そのため資本金の増資、水利権の買い取りを行って工事に入った。明治45年3月、発電所は完成し『亀山発電所』と命名されたが、太田川水系に建設された2100KWを発電する最初の水力発電所であった。

栄次郎が社長に就任した明治41年の上期は、資本金15万円、積立金準備金7万2千円、利益金1万5千円だったが、退任時の大正2年下期には、資本金130万円、積立準備金14万2千円、利益金10万5千円にまで拡大していた。この会社がその後幾多の会社を合併して、現在の中国電力の基礎となったものである。

栄次郎には男の子がいなかったので、奉公人で庄原出身の萩原直一を、次女よね子の婿養子にして家業を継がせた。直一はその後広島で初めての百貨店『福屋』を設立するのである。栄次郎は、人力車の事故がたたり、大正4年10月9日、自宅で逝去した。享年73歳。
 (参考: 田辺良平著『広島を元気にした男たち』 ?は参考資料のもの。が、安芸守護職は武田氏が任ぜられ、熊谷氏は可部の地頭に任ぜられたのが正しいと、私は思う)

福屋百貨店が、熊谷直一により創立されたとは、初めて知った。直一は、ある時福屋の経営から一切身を引いた。今は大下家の配下になっているが、熊谷家の消息はかすかに、楽々園に子孫が暮らしているとのことである。


★明治の時代から海外輸出を進め、その卓越した技術から芸術品の折り紙がつけられた『ノリタケ』。現在も『ノリタケカンパニーリミテッド』として存続するが、このノリタケ、TOTOなど枝分かれして、現在に至る。ノリタケは、森村市左衛門と豊の兄弟が明治9年(1876)に設立した貿易商社の草分け『森村組』が源流だ。

自ら陶磁器製造会社として1904年に今の名古屋市則武新町に設立したのが『日本陶器』、ブランド名を『ノリタケ』に。グループの長男格で、現『ノリタケカンパニーリミテッド』だ。森村の特徴は新商品を開発し市場を開拓すれば、速やかに事業を分離・独立される『1業1社』の伝統にある。1910年代に日本陶器から分社した衛生陶器部門が『東洋陶器・現TOTO』であり、碍子部門が『日本碍子・現日本ガイシ』。さらに日本碍子の点火プラグ部門が36年に『日本特殊陶業』として独立した。『伊那製陶・INAXから現LIXIL』は24年に日本陶器幹部らの出資でグループに加わった。これらが森村の中核5社であり、セラミックス技術を核とする世界にも例のない独自の企業グループとなっている。名古屋には豊田自動織機を源流とする『トヨタグループ』が世界に有名だが、この森村グループもトヨタに負けないほど世界で活躍している。

★学生が報酬をもらいながらインターンシップが出来る取り組みが、中小企業で広がり始めた。人手が集まりにくい中小にとって、若手社員の離職は死活問題。『有給インターン』で仕事への理解を深めてもらおうという狙いだ。

観光客向けの飲食店を手掛ける『インデングループ(京都市)』は3年前から、大学生向けに有給インターンを実施している。参加者は、新商品を作った時の広報戦略などに携わる。週2回以上の参加が原則で、時給は900円からだ。会社名の入った自分の名刺を持ち、社員と一緒に営業にも出向く。インデンでは仕事を半年以上学ぶ参加者も多く、2016年4月以降、インターン経験者3人が入社した。来春入社予定の伊吹怜実さん(22)は、『社会人と交渉する経験は貴重で、勉強になることばかり』と振り返る。同社では『経験者の方が会社の事業や理念に共感してくれやすい』と語る。有給インターンは、一般的な面接選考よりもやや費用がかかるが、業務への貢献や入社後の定着率が高くなるためメリットが大きいいと言う。このため来年4月の大卒採用からは、インターン経験者のみの採用に切り替える予定だ。

鋼材加工メーカーの『梅南(大阪市)』は、16年4月入社の応募者に対して、3日連続の有給インターンを実施した。入社数年ほどで離職する例が過去にあったためだ。学生は、営業や製造現場の見学などを実施する。堂上社長(65)は、『採用は企業と学生のお見合い。早い段階で会社の現状を見てもらい、離職を防ぎたい』。ブームになるかな、『有給インターン』は?


★『安倍首相夫妻が逮捕される』。産経新聞がインターネット向けに発行している『PDF号外』を装った偽の号外がツイッター上に投稿されていた。産経では『極めて悪質』としてツイッター社へ削減要請や法的措置も検討している。

同社によると、確認された偽の号外は2種類。いずれも『森友学園』の籠池前理事長夫妻が逮捕された事件を報じた7月31日発行のPDF号外を加工したと見られ、見出しが『安倍夫妻逮捕』と変えられるなどしていた。読者からの情報提供で発覚したと言う。

まあ、色んな事件があるが、これはまたIT時代の新しい事件、いたずらだねえ。しっかし面白い『安倍夫妻逮捕』とは。(笑)

★朝鮮半島で女性を強制連行したと偽証した故吉田清治氏の謝罪碑を無断で書き換えたとして韓国警察に6月に一時拘束された『元自衛官、奥茂治さん(69)』が、ソウルで日本人記者団らと会見した。出国禁止が40日以上にわたっているが、奥さんは略式処分ではなく、公判の場で行為の経過と発端となった吉田証言の嘘を訴えたいと主張している。

『私が韓国に行けば、銃殺されてもおかしくない』。奥さんによると、取り調べ中、謝罪碑の撤去を奥さんに委任した吉田氏の長男に警察が国際電話をかけたところ、長男はこう口にした。それほど、父親の嘘が日韓関係に悪影響を与えたとの『罪の重さ』を表したものだ。だからこそ、ウソの碑文を消すために別の石板の張り付けに踏み切った。

奥さんが問われているのは中部・天安の国立墓地に建てた碑という『国が管理する公共物を損壊した』容疑だ。奥さんはこの碑は吉田氏が私財で建設したものであり、土地の使用料も支払われているとし、所有権は相続した長男にあると強調。『所有権者の依頼であり、刑事罰を受ける必要はないはずだ』ともし、『韓国のものになっているなら、経緯を説明してほしい』と訴えている。一般に容疑を認めれば、略式起訴され、罰金で済む事案だが、奥さんは無罪を主張し、あくまで公判に臨む考えだ。奥さんが張った石板は墓地の管理者側によって剥がされており、奥さんは民事訴訟で謝罪碑の完全撤去を求める意向も示した。頑張ってほしいですねえ、奥さんには。ウソの慰安婦連行情報を世界から消し去るためにも。


★ロイター通信がこのほど、シリア内線でロシア軍兵士の死者数がロシア国防相の発表より実際は多く、契約で戦闘に参加している雇い兵も多数死亡していると報じ、ロシア国務省が反発している。国防省は今年に入ってからシリア内線で死亡した兵士は10人としているが、ロイターは、死亡者の親類や友人などから得た情報として、軍兵士17人のほか、雇い兵が21人死亡していると報じている。ロシアは内戦に雇い兵が参加していることを認めていない。ロシア大統領報道官は『シリアに自主的に向かったロシア国民がいても、国としての関与はない』と述べた。

ロシア政府の発表と、日本の安倍政権の対応、よく似ているねえ。ポイントはウソを本当と言い張ること。あるものをないと言い張ること。あるある記録を廃棄したと言い張ること。本当、ロシアも日本も政府のやることは一緒だねえ、残念ながら

★全米自動車労組UAWが、日産キャントン工場での労働組合の設立に失敗した。従業員投票で反対2,244票、賛成1,307票。従業員への働きかけを強めるUAWに対して、日産は面談を重ねたり、労組を批判するテレビCMを流したりして応戦。日本の労使協調型の企業内労働組合と異なり、アメリカの労働組合は組織の大きい産業別労働組合が主流。労使交渉も企業の実情とは別に労働条件の引き上げを図る産別の活動方針と外部組合役員の強い交渉力に経営者が警戒感を強める傾向にある。もともとUAWの誕生も、経営側が銃器をもって労働者を駆使し、従業員を抑えつけた時代に、反発的に誕生した歴史的経緯がある。それだけアメリカでは労使、さらには経営側とアワリー労働者(現業職)との距離にかい離、段差があると言うことだろう。労使一体で企業の防衛と発展を図ろうという日本型経営とは歴史と意識が全く異なることがベースにある。

日本の労働組合は企業内組合だから、組合役員は従業員の中から選ばれる。日本企業の経営者の中には、若き頃労働組合役員、組合委員長を経験した人も多くいる。が、アメリカでは組合役員が会社経営者になることなど夢想だにない。そこには経営者と組合役員という大きな谷間が横たわっているのだ。歴史的背景の大きな違いを無視し、単純にUAWを悪者報道する産経新聞には違和感を感じるねえ。アメリカの労働運動が、国際労働基準に影響を与え、日本社会の進歩と改善に役立っている部分も大きいのだから。日本だけが一人、例えば1日8時間労働、週40時間労働などは、日本の独善で今の社会的ルールを築いた訳ではないのだよ、産経新聞さん。スイス・ジュネーブにあるILO本部を訪ねてみると本当、よく分かるよね。


★サンフレッチェが、まさに奇跡の勝利を。6連勝中、Aクラスの活躍をする磐田に3-2で逆転勝利。なんと8試合ぶりの白星。ガンバから移籍したパトリックが、怪我の後遺症の心配もなんのその。3点全点にアシスト、ゴールと大活躍。攻めの軸がしっかりしたところで、攻撃の起点からゴールまでが絵に描けるようになった。特に2点目は、ボランチ青山からパトリックの飛び出しにうまいパスを出し、パトリックはドリブルで独走。セーブに出てきたGKを絶妙なフェイントでかわし、無人のゴールへけり込んだ。頼りになるパトリックと見たが、次節以降もこの活躍が期待される。残り14試合のうち6試合に勝てば勝点32でなんとか残留圏に到達する。勝率42%の厳しい内容だが、昨日の磐田戦のような戦いをすれば不可能ではない。下位チームの取りこぼしのない試合をすればそれは可能。時節ガンバ戦で連勝し、勢いをつけてもらいたいなあ。ガンバレ、サンフレッチェ!

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