<広島学を30回、毎日更新アップします>
★今日の画像は、天にも上るような、急峻な宇和島の『段々畑』と、広島県免許センターの内部風景です。面白かったのは、あちこちに警察関係の告知が貼ってあり、特に『賞金付き手配者』の告知が面白かったです。こんなに極悪犯人がまだ巷にいるのかと思うと、何やら、恐ろしいを通り越して、こっけいでした。それと、当たり前でしょうが交通事故の悲惨な写真があちこちに掲示してあり、運転時の警告を発していました。
この急峻な山肌に造られた段々畑、江戸の時代からここに住む人達が生活維持のために開発をすすめ、今はお年寄りの人達が守っています。日当たりがよく、育ちがいいので『ジャガイモ』が植えられ。水は雨水だけで育ちます。収穫時期が他の地域より早いため、高値で売れるそうだ。魚の養殖、真珠の養殖に支えられる雰囲気の宇和島だが、今だ先人の遺産をきちっと守っているところが素晴らしいです。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
★★昭和20年(1945)8月6日の朝、一瞬にして8万数千人もの命を奪った原爆は、広島、また広島人にとって、今だ完全に癒されることのない深い傷跡を残している。軍都だったから原爆のターゲットになった―。広島に原爆が投下された理由としてよく指摘されることである。確かに『軍都』と呼ばれる街は、全国各地に多く点在していたのに、広島市はそれまで一度も空襲を受けたことがなかった。数度にわたり空襲を受けた隣の軍都呉市と比べても、その差は歴然としている。
太平洋戦争の末期、昭和20年4月、大本営は本土決戦に備え、東京に東日本全域を統括する第一総軍司令部、広島に西日本全域を統括する第二総軍司令部を設置した。アメリカ軍が沖縄に上陸して間もなくのことだ。その広島市に、昭和20年8月6日、朝8時15分、原子爆弾という、人類史上初めての大量殺りく兵器が投下され、多くの人の命を奪ったのである。なぜ広島に原爆を投下したか。その理由は判然としない。結局、アメリカ軍は原爆がどれほどの威力を持つのか、様々な角度から確かめたかったのではないか、という説が最も根拠があるように思われる。人類史上極めてまれな、それでいて壮大かつ残虐な『実験』を、現実にある都市で、生身の人間を対象に行ったということだ。実際、日本の降伏時期を早めることだけが目的なら、ターゲットはそれこそ東京でも大阪でもよかったはずである。しかし、現実に選ばれたのは広島である。
だが、このヒロシマへの原爆投下は終戦後、そして現在もなお、世界中の人々に、深く、大きな影響を及ぼしている。ドイツの首都ベルリンの中心部にあるディアガルテン公園近くに、その名も『ヒロシマ』という通り(Hiroshima Straβe)がある。平成2年(1990)9月1日、長さわずか300mほどだが、それまで第一次世界大戦当時の軍提督の名前が冠せられていたのを『軍人から平和の象徴へ』と、ベルリン市民の一部が運動を起こし、改名させたのだ。翌年の春、この通りに面した場所に移転してきた日本大使館は『ヒロシマ通り6』である。
これだけではない。ドイツ国内には、第二次世界大戦への反省を込めてだろう、『ヒロシマ』の名をつけた施設・場所がいくつかある。空襲で市街地のほとんどが破壊尽くされたドルトムント中心部の協会の脇にある小さな広場は平成12年(2000)『ヒロシマ広場』と名付けられ、『ヒロシマの母』と題するブロンズ像も置かれている。また、ニュルンベルグには『Hiroshima Platz』という広場、ケルンには『Hiroshima Nagasaki Park』という公園がある。ドイツ以外にも、広島市の姉妹都市であるロシアのヴォルゴグラード市には、市街地再開発によって建設された幅100m、長さ1kmの『ヒロシマ通り』がある。スペインのアランフェス市には『広島平和記念大通り』という名の通りがある。こちらは、同市がユネスコの世界景観都市に指定された時、市内を走る67本の通りに、世界遺産に登録されている場所等にちなんだ名前をつけるように決めたことによる。
16歳の時に被爆した広島市出身の作家竹中寛子は『原爆はひどいという雰囲気が出来ると、まともにものが見えなくなります。原爆はあまりにことが大きく、簡単に意味づけることは出来ません』と自身を省みているし、同じくコラムニストの神足コウタ祐司も『広島の人は絶対に原爆の話はしない。だから僕たち子供達は何ごともなかったように育って行った。最近まで母親や叔父2人の被爆体験を聞いたことがなかった』と語っている。表現こそ違うものの、これはすべての広島人にも共通する心情ではないか。
だからこそ、平成21年(2009)の夏、それまで被爆について一切語ることのなかった、元プロ野球選手の張本勲、ファッションデザイナーの三宅一生が初めて、その心中を披歴したと言うので大きな話題になった。さらにシンガーソングライターの福山雅治もこの年、自身が長崎の被爆二世であることをラジオで明かしている。
原爆で姉を亡くした張本は『現役の頃、年1回の健康診断は不安でした。巨人時代、左目の視力が落ちた時は、ひょっとしたら原爆の影響では、と医者回りをしました。被爆体験を話し始めたのは、ここ数年です。ある番組で、どこに原爆が落ちたのかを知らない若者がいた。衝撃でした。語らない自分が間違っていた。来年70歳です』と語っている。後遺症の不安を抱きながら、人に言いたくても言えない心境は体験した者でない限り理解できないという気がする。一方、三宅は7歳の時被爆した。『原爆を生き延びたデザイナー、というレッテルを張られたくなかった。』と言う言葉の裏にある気持ちはもっと複雑である。
最近は張本も口にしているように、原爆のことを知らない若者も増えている。それまで原爆に背を向けて生きてきた映像作家の田邉雅章が平成22年(2010)『原爆が消した廣島』という本を出したのも、『原爆ドームの前で修学旅行の女子高生がVサインで記念写真を撮っていた』のを目にしたのがきっかけだと言う。 (参考:岩中祥史著『広島学』)
★<大久保利通>外国人で日本の政治学を専攻する人が、日本人の感情でどうしても分からない面があると言う。それは一つの体制を作った人物を好まず、そこからはみ出て漂泊してしまう人物を好むということである。例えば、鎌倉の武家体制というのは日本の政治史上、日本の生産社会の現実に立脚した最初の体制であることには、おおかた異論はないであろう。この体制は、前時代の律令体制という、中国に模倣してしかも公家中心主義という多分に擬似的なものから見れば、日本史のいかなる時代よりも革命的であった。ところがこの体制を樹立させた源頼朝には大衆的人気は全くないと言っていいほど無く、そこから脱落して公家方に取り込まれた義経の方に、大衆の愛情はときに際限もなく傾いてゆくのである。
この比較法は、豊臣秀吉と徳川家康の場合にも通用するようにも思える。秀吉は天下を統一した。さらには桃山時代という絢爛豪華な文化的時代を招来させ、その先頭に立っての指揮者になった。しかし内政的には暴虐なことが多く、自分が養子にして関白職を譲った秀次に対し、ありえないような謀反の罪をかぶせ、さらに妻妾子女を牛馬を屠殺するような方法で殺した。無意味な外征と失うことのみ多かったその結果につてもそうだった。それに対する家康は、身を慎む点では小心ほどであり、生涯独裁者的な残忍性を発揮したことがなく、内乱を終止させるという点において堅牢無比とも言うべき江戸体制を作った。ところが秀吉に比べると、後世の人気は家康においてはるかに貧困である。その理由の一つは、家康という人格的な印象が陰気であることにひきかえ、秀吉という人格が目も眩むほどに陽気に観じられるからであろう。
大久保利通が西郷隆盛に対比される場合も、それにやや似ている。大久保には、世間の感覚から見れば全く徳がなかった。彼はこの上なく謹直な男で、およそ栄達に驕るというところがなかった。が、彼が後に外国人を招待するために建てた粗末な西洋館の住宅でさえ、薩摩人を激昂させ、歌舞伎における赤面のように驕りに驕った大久保像として流布された。歴史像としての大久保はなお一層そういう風土の中にいた。(参考:司馬遼太郎著『翔ぶが如く』)
★<宇和島>先般、このブログ、宇和島のベンチャー『ベルグアース』の『接ぎ木苗』の分野で国内トップ、をレポートした。またまた、NHK『新日本紀行』や、民放『旅サラダ』で宇和島が。まずは、高級魚『媛貴海ヒメタロミ』。マグロによく似た高級魚。尾ひれ付近はサバに似ている、サバ科の魚。昨年奇跡の高級魚として全国販売を始めた。マグロに比べて弾力があり、美味な魚だと。漁で獲れるのはとても少なく、全国市場には出回っていない。2年前に完全養殖が成功し、このブランド名を付けた。そしてジャガイモ畑。傾斜が急峻でよくもこう段々畑に開発したものだと、感心する。一体この石段の石はどこから持ってきたのか。この時代、重機はないし、この石段の石はどうyって運んだのだろうか、人手で一つ一つを。先人の苦労に感慨ひとしおである。
★<イノシシ島>広島県呉市に、音頭の瀬戸を隔てて倉橋島という大きな島がある。この倉橋島の東に、『情島』というちっちゃな離島がある。かつては250人ほどの住民が住んでいたそうであるが、今はたったの7人という過疎の島。ここになぜか、イノシシが住むようになった。もともと倉橋島にもイノシシは住んでいなかった。どうやら、イノシシが泳いで渡って来たらしい。そして、情島ではもう人よりイノシシの方が多い状態になって。一説ではイノシシが200頭もいるとか。それが時折、子供イノシシを連れてイノシシ一家が海岸を散歩するそうだ。どうやら塩水を飲んで、塩を得るためらしい。のどかな風景とは言えるが、イノシシに占領された情島の将来はどうなるのか、一抹の不安を抱く、拙者ではある。
★<Fire8>アマゾンのFire8を買った。プライム体験会員であっても、4,000円引き。Fire7だったら、8千円が4千円になると。が、ネットでの評価で、8インチが7インチに比べて、液晶画面がきれい、電池寿命が4時間ほど長いと分かって、8を選択。用途は主に旅行先でのマップ機能とネット検索。ゲームやツイッターなどには関心がないので、スマホでなくても十分なのである。とりあえずプレミアム体験会員に入り、かつKindle Unlimitedに入ると本が無料で読み放題で読める。そこから本を借りて読んでいる。イタリア紀行の本で天才『レオナルド・ダ・ビンチ』出生の村、『ビンチ村』の由来を読んでとても参考になった。寝床で読むのが、実際の本より楽ちんであることが分かった。プレミアム無料体験は1カ月間だけで、キャンセルしないと年会費が発生する。25日までにはキャンセルする必要がある。
★<学食倒産>杏林大学の学食を運営する『SCプランニング』が倒産し、急に大学から学食が消えた。業者から倒産で学食閉鎖の連絡を受けたのは1月31日。大学は学生に閉鎖を2月1日に通知したが、突然のことで学内は大騒ぎ。が、1月中に定期試験が終わり、講義もない時期で大学に来る学生が少なくなったのが不幸中の幸であった。それでも受験生に影響があり、受験生は大学内や近所のコンビニでパンやカップ麺を購入していたと。2月5日には三鷹キャンパスで他の業者による学食が再開されたが、井の頭キャンパスはまだ未定で、杏林大学では難行が続きそうだ。
★<自衛隊ヘリ事故>なんとも情けないというか、つまらない事故ではある。どうやらヘリの部品整備不良が墜落の原因らしいと。プロペラにあたるローターを止める部品が、機体とは離れたところに落ちているところから、墜落前にローターを結ぶ部品が欠落した可能性が高い。昨日、たまたまスカパーで『ブルーサンダー』というヘリ警察の録画をみたばかり。その犯罪では、このローターを結束うる部品のボルトをゆるめ、墜落させる画面があったが、自衛隊のヘリ墜落もこの部品が欠落したのであろう。
★<有働降板>NHKの『あさイチ』のメインキャスター『有働由美子アナ』が正式に3月で降板することが発表され、7日の生番組で番組卒業を報告した。相方の井ノ原は正式降板発表はないものの有働が『来年度へ最高の形でバトンタッチできるよう、イノッチと共に最後まで全力で向き合っていきます』と語り、実質イノッチの降板も告知した形。まあ8年間、長にわたり、看板娘(おばさん?)としてよく頑張ったよねえ。出来れば、寿降板でありますことを、期待します。
★<北陸豪雪>北陸の豪雪で、国道が通行止めになり、一時は1,500台の車が釘付けになった。7日も自衛隊の応援のもと懸命の復旧作業が行われたが、7日夕刻になっても解消の見込みが立たなかった。まだ800台もストップ状態にあると。迂回路も計画されたが、これも車両が雪で走れなくなり、杜絶状態に。重機が入れないので、もう人海戦術。自衛隊隊員らが、後から押すが、すぐに厚い雪に阻まれる。この繰り返しで、現地での苦労が大変だと伝わる。昨夜もまた雪が積もった。今朝もまだ動けないクルマが500台以上になると。生活物資は不足するし、本当に踏んだり蹴ったりの北陸の冬ではある。