<広島学を30回、毎日更新、最終回です>
★今日の画像は、平昌五輪『閉会式』の模様と大相撲春場所で10場所ぶりに『関脇に返り咲いた栃ノ心』、そしてオープン2シーターの代表格、英『ロータス・エリーゼ』、『マツダ・ロードスターRF』です。ロータスはマツダと並ぶ『ロードスター代表メーカー』。カラーは赤と黄色に絞るなど、コストダウンに力を入れたが、日本での価格は500万円弱。一方のマツダ・ロードスターは量産を利かせて、私にでも手の届く200万円の半ばからのプライシング。エンジンユニットの相違、ボディ寸法の違いから、多少エリーゼが兄貴株。だがマツダの倍の価格とは、普通の人には手が出せないな。ジョージア出身『栃ノ心』、欧州発の横綱目指し頑張ってほしいですね。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
★★★それでもカープは何としても弱かった。昭和25年(1950)の球団創設から同42年(1967)まで、なんと18シーズン連続Bクラスというのは、セ・リーグのワースト記録で、平成8年(1996)、福岡ダイエーに抜かれるまではプロ野球ワースト記録でもあった。そのカープが球団史上初のAクラス3位入りを達成したのが昭和43年(1968)。この年から監督を務めていたのが根本睦夫で、この根本こそ、のち初優勝を実現する基礎を作ったカープの功労者であるというのが、もっぱらの見方である。
前年から打撃コーチを務めていた根本は、監督就任1年目、衣笠祥雄(昭和40年入団)を近い将来の中軸バッターに成長させるべく、徹底的に鍛え上げることに取り組んだ。そのお手本として、『打撃の職人』と呼ばれていた山内一弘を阪神から獲得することまでしている。山本浩二、水沼四郎が入団してきた昭和44年には、水谷実雄(41年入団)、三村敏之(42年入団)をファームから引き上げ、同じように厳しく指導した。投手陣も外木場義郎(40年入団)にエースとしての自覚を持たせるなどしながら、チームの中核をがっちり固めて行くことに徹した。同45年には広岡達朗をコーチとして招き、守備・走塁を鍛え上げている。
こうしたメンバーが初優勝の牽引力となって行くのだが、チームは下位、最下位低迷を続けた。結局根本は不振の責任を取って47年シーズン途中で辞任を余儀なくされた。当時のカープは毎年5月、鯉のぼりが空を泳ぐころまでは上位にいるが、カープの季節はせいぜいそれまでと、他球団も安心しきっていた。
それが、昭和50年(1975)、にわかに一変する。この年、カープはジョー・ルーツを監督に迎えた。日本プロ野球初の大リーグ出身監督である。ルーツは『冒険野球』を掲げ、選手の意識改革をすることから始めた。チームカラーをそれまでのブルーから赤に変えたのもその一環である。カープとルーツとの縁は、同47年2月、初めての海外キャンプをアメリカ・アリゾナ州で張ったカープを、当時クリーブランド・インディアンズのコーチをしていたルーツが指導したことだった。そして、同49年からカープの打撃コーチを務めていたのである。ルーツは監督就任早々、17人もの選手を解雇もしくはトレードに出し、トレードで新たに10人を獲得した。その一人が、パ・リーグの日本ハムで攻走守に素晴らしいプレーを見せていた大下剛史である。ルーツ監督はその走塁にぞっこんだったようで、実際、大下はこの年44の盗塁王のタイトルを取っている。また、現役大リーガーだったホプキンスを獲得したこともあり、それまでセ・リーグで1、2を争う守備を見せていた1塁手の衣笠を、なんと3塁手にコンバートした。
ルーツは監督として初めてのミーティングの席上、『君達一人ひとりには、勝つことによって広島という地域社会を活性化させる社会的使命がある』と力説。全力を出し切ったプレーを求め、消極的なプレーは容赦しないという姿勢を示した。こうした強力なリーダーシップに、最初のうちはとまどい気味だった選手も、オープン戦が終わる頃にはその趣旨・目的を理解し始める。
カープが25年間、貯めに貯めていたエネルギーを文字通り『爆発』させたこの年の初優勝は、セ・リーグだけでなく、日本のプロ野球全体を大きく変えて行くきっかけとなったのだ。チームを象徴する色が赤だったというのも、その印象をよけい強いものにした。
だが、カープの優勝が残したものはそれだけではない。ファンはもちろん、広島市全体に、また街そのものに大きな影響を与えた。市を挙げての春のイベント『フラワー・フェスティバル』が始まったのもそうだし、何より野球を『楽しむ』という感性が人々の間に定着したのが最大の成果ではなかったか。 (参考:岩中祥史著『広島学』)
★<根本睦夫>投手、野手の両刀使いでオールスターファン投票選出、後にヤクルトなどで監督を務めた異色の野球人『関根潤三』は、根本睦夫とのカープの関係についてこう証言する。関根はカープ、巨人のコーチ、大洋、ヤクルトの監督を務めた。そして根本とは切っても切れない強い絆で結ばれた親友だったのである。
関根が広島のコーチに就任した際、後に根本が西武監督に招く広岡達朗も内野コーチとして入団している。呼び寄せたのは関根だった。関根はこう語る、『松田恒次オーナーにお目にかかった時、僕はこう言われました。「衣笠祥雄がいるし、山本浩二も入団した。これで近い将来、天下を取れるチームを作ってほしい。オレも天下を取りたい。だから手伝ってほしい」と。そこで僕は根本に相談したんです。「天下を取るなんて大それた計画を二人だけでやるのは難しい。もう一人、広岡を加えよう」って。早稲田出身の広岡のことは六大学時代から知っていたし、1年だけでも巨人で一緒にやって、僕は彼の野球理論に心酔しましたから。根本も「広岡ならいいだろう」ってことで決まったんです』と。
刷新されたコーチのもと、カープの選手達はみっちりと鍛え抜かれた。前年に最下位だったチームは4位に浮上した。しかし、ストレートすぎる広岡の言動は周りの誤解を招きやすく、オフには広岡による『根本批判』が一部新聞紙上を賑わすこともあった。根本はさして気に留めなかったが、両者の関係はギクシャクし、間に立つはずの関根は夫人の健康問題もあって退団。首脳陣の体制が揺らいだチームは成績も上がらず、『天下』は逆に遠のいた。『僕が辞めて、結局は広岡も根本も辞めたけど、その後カープは昭和50年にちゃんと優勝し天下を取りました。それはね、根本が天下を取るための計画を立てたからです。つまり山本浩二と衣笠、「彼らを一人前にしたら天下取り出来るか?」というところから発想して、計画が成り立った。ただ夢を持つんじゃなくって、これでこうチームが組立つなと、考えられる材料があるってことです』。関根の言う『材料』とは、将来的にチームの大黒柱になり得る若い選手のことで、それも一人ではなく、二人が望ましいと言う。野手のコンビと言えば、ON、王、長嶋が原点で、さらに西武の秋山と清原、ダイエーの小久保と松中もそうだった。いずれのチームも黄金時代を築いているが、ONを除き、すべて根本が獲得、育成に関わった選手達であり、監督就任時にはどのチームも低迷していたのである。(参考: 高橋安幸著『根本睦夫伝』)
確かに、カープの優勝は、根本が骨格をしっかりと組み立てた後、成し遂げられた偉業だと言える。根本なかりせば、今のカープはなかった、と言っても過言ではないだろう。私は、広岡がコーチとしてカープにいた記憶はあるが、関根がいたとは全然覚えていない。この本を読んで、初めて根本と関根が高校時代からずっと続いた超親友関係だったことを知った。しかも、根本は監督から今で言うGMの仕事に移っても、将来のプロ野球の構想を壮大に組み立てていた。その一つは『監督として、王、長嶋、ON時代を作り上げ、プロ野球を再び世に賑あわすこと』だった。それもやり遂げた巨人・根本は、1999年ダイエー球団社長に就任したが、72歳の若さで急性心不全によりこの世を去った。カープ隆盛の立役者は多くいるが、この根本睦夫は、泥沼にあえいでいたカープを、泥沼から引き上げた功労者の第一人者として忘れてはならない人物だと、拙者は思うねえ。
★<福岡警察官の強制わいせつ>職場の飲み会で同僚の女性警察官に『わいせつ行為』をしたとして、強制わいせつ罪に問われた福岡県警留置管理課の元警部補・於保オホ重信(59)、同枝尾光博(58)両被告の公判が行われた。検察側証人として同席した男性警察官が出廷。当時の状況を『犯罪になるんじゃないかと思った』と証言した。
男性は当時、同課巡査長。証言によると、当日は被害者と同じテーブルで飲酒していた。途中、背後で騒ぎになっているのに気づき、振り返ると被害者が於保被告に羽交い締めにされ、枝尾被告にキスを迫られていた。被害者は『やめて』と言いながら首を振って嫌がるそぶりだったと言う。男性は『やり過ぎかなと思った』と話した。
弁護側が『宴会芸としてやった』と主張していることに対しては、男性は『宴会芸レベルではなかった』と否定。飲み会後はすっきりしない気持で帰ったと言い、『止めきれず申し訳ない』と声を絞り出した。何かと福岡県警は物議をかもす。飲酒運転に、盗撮。おそらく昨年の警察官事件では全国一ではなかろうかな。
★<覚醒剤密輸>東京税関は、米国からの国際郵便に隠された覚醒剤『64キロ』、末端価格41億円を発見、押収したと。国際郵便からの覚醒剤押収量としては過去最多。また同税関は、同じ宛先の別の航空貨物からも覚醒剤12キロ、末端価格8億円も押収した。税関から告発を受けた東京地検立川支部は、当時この住宅に住んでいた米国籍のマシュー被告(25)を覚醒剤取り締まり法違反で起訴している。
話は変わるが、先日、福岡空港税関で韓国女性複数が逮捕されている。彼女らは金を小さくしたものを飲み込み、腸に入れた状況で入国しようとしたもの。ダイヤモンドなど小さくて価格が高いものの『飲み込み密輸』はよくある話だが、金を飲んでとは。大した量でもないし、儲けはたったの8%=消費税分。麻薬をコンドームに小分けして密輸しようとしたのはまだ利益が乗るが、金ではそんな危険を冒すだけの価値はないと思うがねえ。2キロ飲んでも、80万円のサヤ。関係者が多くて、経費やなんやかやで分け前はたった10~20万円あればいいところ。密輸の罪まで犯してやるような筋ではないな、馬鹿っからしい。
★<大型灯台にもLED>北海道釧路市の『釧路崎灯台』で、光源に発光ダイオードLEDを使う試験が始まった。試験を行っている海上保安庁によると、小型の灯台では光の到達する距離が20キロのLEDの導入が進んでいるが、釧路崎などの全国240の大型灯台では、これより長い距離に届く光源が必要で、使用可能なLEDがこれまでなかった。実用化のメドがついた新タイプのLEDにより、維持経費の削減が期待される。
海上保安庁によると、銅灯台で現在使用しているハロゲン電球に比べ、消費電力は1/10の100W。
寿命は50倍の5万時間になる。価格も一つ当たり1,000円程度しか変わらないと言う。けだし、科学技術の進歩はすごいなあ、とつくづく感じるね。
★<米鉄鋼関税引き上げ>トランプ大統領が、鉄鋼・アルミ製品について、全輸出国に対して関税の引き上げを検討している、とブルーンバーグが報じた。実際に発動を決めれば、主要な標的である中国だけでなく、日本を含む同盟国を広く巻き込むことになり、世界的な貿易戦争に発展する可能性があると指摘している。
輸入制限は、米通商拡大法232条に基づくもので、海外からの輸入増加が『国家安全の脅威になる』と判断すれば大統領に波動権限を認めている。が、この陰謀は、どうやら『中間選挙』をにらみ、選挙公約に上げた『ラストベルト地帯=さびついた工業地帯』へのデモンストレーションの気配が濃厚だね。本当に発動すれば、一番困るのはアメリカ国内で操業している製造業、建設業なのだがね。わかってない、トランプの妄想だ。
★<五輪・NBCの影響力>2年後、何で、東京五輪をあの熱い最中の夏に東京で行うのか。春先か秋がベストであろうと、かねてから不審に思っていた。なんとその影に米NBCの存在があるのだと。今平昌五輪のNBCの放送権料はなんと1兆3千億円。カネも出すがクチも出すと言うNBC。この五輪でも理不尽な番組変更などがあった。NBCは季節毎にスポーツ放映を決めており、東京五輪は夏場の中継番組になったと。従って選手には異常に酷な夏場の開催と。マラソンなんて、冬場のスポーツ。夏場では倒れる選手が続発だろうな。気まま、我が儘なNBC、トランプと一緒の血統だねえ。
★<マラソン新記録>先の日曜日、『東京マラソン2018』が行われ、男子の『設楽シタラ悠太(ホンダ)』が日本記録の2時間6分11秒でゴールし、2位に入った。ケニアの『ディクソン・チュンバ』が優勝。以下、日本勢で5位に井上大仁(MHPS)、7位に宮脇千博(トヨタ自動車)、9位に山本憲二(マツダ)、10位に佐藤悠基(日清)が入り、このメンバーが東京オリンピック日本代表決定レース『マラソングランドチャンピオンシップ』の出場条件を満たした。日本のマラソンもまだ発展途上、頑張って欲しいね。
★<設楽に1億円の報奨金>東京マラソンで、16年ぶりに日本記録を更新した『設楽悠太』に、日本陸連から『報奨金1億円』が手渡された。『めっちゃ楽しい』と語る設楽は、東京五輪までにまだ2~3分はタイムを縮められると自信を見せた。この制度は東京五輪を目指し、日本選手の育成を諮る目的で作られたもの。アマもだんだんプロに近づくというか、やはり具体的な褒賞があるというのは、それなりに世の中の理屈には合っているな、と、拙者は思うね。
★<全員膀胱ガン>福井県にある『三星化学工業』の工場で、化学製品を製造する過程で化学物質『オルト-トルイジン』を取り扱っていた男性従業員が、全員膀胱ガンにかかり、発症したのは会社の安全配慮義務違反があったためとして、40~60代の男性計4人が総額3,630万円の損害賠償を求めて福井地裁に提訴する。男性側はオルト-トルイジンについて、『80年代から発ガン性があるとされて、90年代には国内外の専門機関で確証が高いと認識された』と指摘。『会社は遅くとも01年には発ガン性を認識することが出来、予防措置を取る必要があった』と訴える。この工場では少なくとも9人が膀胱ガンを発症したとされる。おっそろしいことだなあ、まあ膀胱ガンだから命まではなくならなかったのが不幸中の幸いではある。