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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『向かうパンゲア7 トランプの保護主義は天に向かってツバを吐くが如し、か』

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☆☆パンゲア:パンゲア大陸。超古代に存在していた超大陸の名。現在の諸大陸に分裂する前に一つであった大陸の名称。デジタルの時代、アナログでは考えられなかったスピードとロジックで、世界はパンゲアのような一体化した世界に収れんされつつあるのではないか。

★今日の画像は、今季初勝利で歴代最多の54勝目を飾った『高梨沙羅』、『SNSでシェアしたい人気ナンバー1の富士山』をテーマにした画と、広島市の中心部、紙屋町交差点の南西地域の画像兇任后エディオン本店と新館の間を下っていきます。この地区は土地整理組合が結成され、40階建てのタワービルが生まれる計画です。

さすがに美しき日本一の山、富士山ですね。三島市の日本一の長さの『三島スカイウオーク』、『芦ノ湖』、『箱根神社』、『小田急ロマンスカー』。右下をクリックすると、大きな画が見られます。 

★★★ブラジルの製薬大手『バイオラボ・ファーマシュティカ』は、2017年10月、カナダのトロントで海外での初めてとなる研究所の開所式を開いた。当初の予定地は米ニュージャージー州だったが、専門技能を持つ外国人向けビザ『HIB』を取得しにくくなった米国では優秀な人材の確保が難しい。一方、カナダには人材が流入。トロントのIT人材はこの2年で2万2,500人増え、米シリコンバレーとNYとを合わせた数を上回る。

EUから離脱を決めた英国では人材の流出が顕著だ。コンサルタント業の『英アーンスト・アンド・ヤング』によると、222の金融機関のうち、68社がロンドンから人員の一部移転を決定もしくは検討しており、1万人以上がフランクフルトやダブリンに移ると。

貿易赤字の削減、産業の保護、雇用確保―。理由はそれぞれだが、多くの国が内向きになり、保護主義が台頭する。だが、それは最適解なのか。グローバル化の進展で国境を越えたヒト・モノ・カネの移動が活発になり、相互依存は網の目のように張り巡らされる。保護主義ではむしろ立ちゆかなくなる。

米自転車大手、『ケント』のカムラーCEOは部品調達に頭を悩ませる。米国第一主義を掲げるトランプ政権からの支援を期待し、一部生産を中国から米国に移した。だが、米国で自転車部品の調達網はもうない。新たに部品を作ってもらうと、中国製の5~10倍のコストがかかる。TPP不参加も部品調達には逆風だ。『自由貿易で米製造業が得る利益を否定してはならない』とカムラーCEOは言う。


米自動車会社はNAFTAの見直しに反対の立場だ。現地生産規則が厳しくなりすぎると、部品を調達する企業はNAFTAを利用するのを諦め、一定の関税を支払っても安い部品を選ぶ可能性がある。そうなるとかえって米国産の採用が減る。『中小企業が恩恵を受けるのは難しくなる』と米自動車貿易政策評議会のプラント会長は懸念する。

経済産業研究所のデータでは、世界の部品の輸出額は15年までの35年間で17倍に増えた。最終製品の11倍を大きく上回る。米国の輸入額の半分は部品を含む中間財と素材だ。国をまたぐ調達網が確立し、相互依存が強まっている証左だ。米アップルは部品を200社以上から集め、その部品会社の拠点は世界の30カ国・地域にまたがる。

経済学者のサミュエルソンは著書『経済学』の中で、『関税は自国の道路に自ら穴を掘るようなもの』と表現する。経済連携が深まった今、自国のことだけを考えては、孤立し、他国を利するだけだ。保護主義の『誤謬ゴビュウ』に陥らないためにも、相互依存を生かして果実を得る知恵が求められている。まさに、トランプ大統領の目指す保護主義はアメリカ経済にとって天に向かってツバを吐くが如し、なのかも知れないな。


★<西郷城山に死す>西郷の薩軍が延岡を捨てて和田越を超え、北へ退却したのは明治10年8月14日である。この夜、桐野ら諸将は西郷の宿所を訪ねた。『今後どうするか』ということである。『明日は和田越まで南下し、その嶮に拠って官軍と決戦しよう』と軍議が一決したとき、西郷は初めて発言した。『明日は、一隊を率いて行き申そ』。8月15日未明、薩軍3千余は、昨日退却してきた道を和田越目指してとって返し始めた。政府軍は無制限に近いほど弾薬を使い、薩兵は乏しい弾薬を惜しんで撃った。昼頃になると薩兵の多くは空腹のままの所へ、政府軍が右翼から強く攻撃し、そこから薩軍が崩れ、瞬く間に全軍に及んで昼過ぎに北への逃避が始まった。

北へ退却した西郷と薩軍は、途中の俵野で窮してしまった。雨による増水で川がわたれなく、進退窮まったのである。翌16日、西郷自身の判断をもって全軍を解散すべき布告を出した。その中に『死士だけは残れ』と書いた。この解散で薩軍は千人に減った。西郷が、戦野に連れてきた二頭の愛犬を放したのも、この日である。政府軍は17日に至って、俵野付近の重囲を完了した。その兵力はほぼ5万である。西郷軍は軍議を開いたが結論は出ない。四方を囲まれ、手足が出ない状況なのである。翌17日、河野圭一郎と辺見十郎太が話し合い、二人そろって西郷の元へ行き、こんな俵野という谷底にいればドンブリ茶碗の中にたまっているアリのようなもので、すりこ木でつぶされるままに皆殺しにされてしまう。『突囲あるのみ』ということを西郷に説いた。『突囲すると言って、どう突囲するのだ』と反問する者がいた。運を天にまかせ西にそびえる『可愛岳728m』をよじ登ってはるか鹿児島へ帰り再挙をはかる、と河野と辺見が言い、別府晋介と中島健彦が同調した時、一座は深い沈黙に沈んだ。鳥にでもならない限り、不可能と思えたからである。

ともあれ、夜陰、隠密の上にも隠密を心がけて、俵野を這い出し、眼前の可愛岳をよじ登った。案内人はきこり、猟師達である。暗夜の登攀は困難を極めた。道のない箇所がいくつかあった。断崖もあった。西郷も四つん這いになりながら、『夜這いごとある』と不意に呟いて、回りの者を笑わせたりした。後の者に道筋を知らせるため、所々に白紙を裂いて枝に結んだ。『薩軍西郷・桐野以下数百人が可愛岳を越えて脱走した』という報は、山県有朋にとって全く予想外であった。彼は山々や谷々を埋めるほどの兵力をもって西郷らを包囲していたのである。


薩軍がやってのけた行動の中で最もすさまじいのが、可愛岳から鹿児島への尾根道や谷川道を踏み破って城山に帰ったことであろう。途中、ほとんどが仙道や獣道であった。可愛岳を越えて、祝子川の上流、水源付近の山を別れ、鬼ノ目山1,491mの北の鞍部を通り、鹿川峠を西に越え、湾洞峠、赤氷峠を越え、やがて今の高千穂町に出て、高千穂渓谷を渉り、鞍掛山729mを東にみつつ、杉ケ越を越え、七ツ山や九郎山の東麓の小さな渓流を下って耳川の上流に達した。次いで道は登りになり、茶屋越676m、五郎越760mを経、征矢抜、銀鏡から赤髭山の北の棚倉峠を越えて、更に西米倉の山に入り、西ノ俣山917mの西方を通って、須木に至り、そのあと山越えし、今の小林市に入った。突囲後11日目である。宮崎県の山々の難所はほぼ尽きた。鹿児島へ入ったのは9月1日で、山中2週間を費やした。

2月に鹿児島を出るとき1万余だった薩軍は、戦いの最中に徴募を繰り返したために、延べ3万人ほどは戦いに参加したであろう。1万人以上の薩人が、戦野に屍を曝した。最後に、俵野に窮した時は3千であり、そのうち五、六百の人数がこの踏破に参加し、途中、死ぬ者、道に迷う者、鹿児島県に入って戦死する者、脱落する者などがあって、城山に籠もったのは、三百七十余人である。何のために十四、五日も山々谷々を走って鹿児島まで帰らなければならなかったについては、西郷も桐野も、それ以下の誰もが理由を示していない。鹿児島一県はすでに政府軍の占領下にあり、突入出来るかどうかは誰にも分からない。『官軍など、何あろう』と叫んで、全員に鹿児島突入を決意させたのは、猛勇をして先鋒隊の指揮者辺見十郎太であった。この男なら、鹿児島に突入出来るはずであった。薩軍の先鋒隊を率いる辺見十郎太が、各地で政府軍の抵抗を撃破しつつ吉野村まで至ったが、ここでの政府軍の陣容は重厚であった。辺見は一隊をしてこれに当たらしめ、自ら一隊を率い、吉野街道を経て鹿児島を目指し、忽然と城山の下の岩崎谷に至った。彼ら先鋒隊が風のように走って私学校構内に突入したのは9月1日、午前11時頃であった。城山にも政府軍がいた。薩軍はわずか四十数名で駆け上って、激戦の末これを追い、城山を占領してしまった。


薩軍は、一般家屋にいると政府軍の砲弾などの危険があり、城山に横穴を掘って生活の場とした。西郷も同じである。以後、小競り合いが続くが、大規模な衝突には至っていない。それは山県有朋が政府軍の行動に慎重さを求め、やたらと攻撃する形にはならなかった。また大西郷を攻めるに齟齬のないよう万全の手当をした。その軍7万人。政府軍の総攻撃は19日に指示され、その開始は24日午前4時とされた。戦争と言うより屠殺というに似ている。

激しい戦闘のやり取りの後、やがて、洞前に諸将が集まって来た。その他諸堡塁で破れた連中も集まって来た。総勢40人余であった。後は出撃しかない。西郷は、洞窟の中で支度を終えた。しかし、運動の不自由な西郷の体では現実的に闘死は困難だった。このため彼は出来るだけ敵に近づき、敵弾を浴びて倒れ、それによって闘死の形をとりたいと思っていた。洞前を出てほどなく、小倉壮九郎が、『おさきに』と叫んだかと思うと、隊列から飛び出し、路上に尻を据えて、いきなり腹を切って伏せてしまった。西郷の面前だったと言う。古来の型通りに言えば、死出の露払いをするつもりだったのかも知れない。『ソゲン、イソガンデモヨカ』と、桐野が思わず声をあげてしまった。続いて、国分寿助も、隊列から離れ路傍に倒れた。腹を切ったようにも見え、敵の弾に当たったようにも見えた。

西郷らが林を抜けた時、はたして飛弾の密度が圧倒的に濃くなり、西郷の大きな体に二個の小銃弾が食い込んでしまった。西郷は突んのめるようにして倒れたが、すぐ体を起こし、後の別府晋介を省みて『晋ドン、モウココデヨカ』と言った。この時気丈に抜刀し、西郷の背に立ったのは、西郷の介錯をするという栄誉と義務感に支えられていたからに相違ない。『ご免なってたも』と言うや、別府の刀が一閃して西郷の首が地上に落ちた。8ヵ月に及んだ、壮烈な西南の役はこの時、幕を閉じた。(参考:司馬遼太郎著『翔ぶが如く』)


★<ベネズエラ仮想通貨取引禁止>米トランプ大統領は、ベネズエラが発行する仮想通貨の取引を禁止する大統領令に署名した。インフレ率が6000%を越え、破綻国家となっており、格付け会社からデフォルト状態と認定させるベネズエラは、窮余の策として仮想通貨による外貨獲得に動いたが、米国はこれを封じた。米国は石油製品の禁輸を含む追加制裁も示唆した。

『帝国主義の侵略が我々市民への攻撃を強めている』。ベネズエラのマドゥロ大統領は声明を発表し、米トランプ政権による、ベネズエラ産の仮想通貨『ペトロ』の取引禁止に強く反発している。

膨大な対外債務を抱えるベネズエラ政府だが、米国の経済制裁で債権発行や新規融資を禁じられており、資金繰りは苦しい。原油など埋蔵資源を裏付けとする独自仮想通貨の発行は外貨獲得に向けた苦し紛れの一手だったが、早々に潰された。反米一辺倒で、米国資本の逃避や、技術者、医者の海外逃避、ハイパーインフレなどで国内産業や国民生活は危機状態に陥っている。それでも反米の旗をかかげ、命をながられるマドゥロ政権は一体何を考えているのかしら。


★<藤井六段、糸谷八段を破り16連勝>中学生棋士、藤井六段(15)が大座決定戦2次予選ブロック決勝で糸谷八段(29)を破り、同棋戦初出場で挑戦者決定トーナメント進出を決めた。トーナメントは16人が参加し、優勝者が中村太地王座(29)に挑戦する。この勝ち星で藤井六段の連勝記録は16となった。恐るべし中学生。こんな中学生ばかりになると、大人は困るねえ、本当に。


★<高梨苦労の末の54勝>ノルディックスキージャンプ女子の高梨沙羅が、ついに男女を通じて歴代単独最多となる『個人通算54勝』を達成した。ドイツのオーベルストドルフで行われたW杯ジャンプ女子の個人戦14戦。1回目に100.5mの117.5点でトップに立ち、2回目に96,5Mを飛び、合計227.1点で今季初優勝。W杯勝利は昨年2月の平昌大会以来1年1ヵ月ぶり。ノルウェーのルンビは3位、伊藤有希は5位だった。苦労の末の54勝。お見事なり、高梨沙羅、ではある。

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