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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『平成の時代4 インターネットと共に』

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★今日の画像は、8日、柏に勝ってファンに応えるサンフレイレブン、3試合連続ホームランに加えて12奪三振7回無失点で2勝目を挙げた大リーグ大谷翔平、アメリカで教育予算の削減や賃金の停滞などに不満を示す教員のストが全米に広がっている様子、親や生徒も協力、支援していると言う。そして、すみれです。色とりどりまさに美しき『園芸種のスミレ』ではあります。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★★平成は、日本と世界を結ぶ光ケーブルの開通と共に始まった。千葉県南房総市。太平洋の豪快な波を目当てにサーファーが集まる浜から、少し入ったところにKDDIの海底線中継所がある。海の底を通ってくる通信ケーブルを、陸に引き込む国内拠点の一つだ。この中継所とアメリカ西海岸の間で、情報化社会を見据えて光海底ケーブルの日米第1号が開通したのが、1989年(平成元年)のことだった。

最新の光ケーブルの本体は、髪の毛ほどのガラス線十数本の束。これほど細くとも、送れるデータ量は、音声電話で10億回戦分ある。昭和までの電気信号ケーブルの送信能力は1,000回線程度だったから、100万倍だ。これがインターネットを支えている。海底ケーブルは今日、かつて主力だった衛生に取って代わり国際通信の99%を担う。『日本でインターネット検索をしたり、ユーチューブ映像を見たりする時、データのかなりの部分がここを通って行く』と。

平成の初め、国内では軽量小型のノート型PCが相次いで発売された。携帯電話がポケットに入るサイズまで小さくなり、普及し始める。海外では、ウェブサイトが誕生した。そして30年。携帯電話はスマホに、人と人のやりとりは電話からメールに、そしてフェイスブックやLINEなどソーシャル・ネットワーキング・サービスSNSへと広がった。


東京都江戸川区の服装工房。使い込んだ板にTシャツを広げ、田巻さん(32)が手刷りで柄をプリントする。従業員4人の工房で働く田巻さんの仕事は、インターネット以前の時代なら世界に知られることはなかっただろう。自作のTシャツの写真を画像共有サービス『インスタグラム』に毎日掲載すると、海外から『いいね』『欲しい』などの反響が寄せられた。出版社から声がかかり、写真集も発行した。妻の恵理子さん(27)も田巻さんのインスタグラムに惹かれ、知り合った。今春、第1子が誕生する予定だ。

埼玉県東松山市の溝井喜久子さん(83)は、戦時中の体験をツイッターでつぶやく。若い世代に支持を得て、8万8千人のフォロワーがいる。実生活ではめったに遠出しない溝井さんにとって『世代も、距離も超えて繋がることが出来る。ツイッターは魔法の道具だ』と語る。

人と人が、人とモノが、いつでも、どこにいても繋がり、社会はフラット化した。『平に成る』。平成は、まさにインターネットの登場と発展の時代であったと言える。


★<幕府>鎌倉の地に幕府が起こされてより武家の世になった。『幕府』と言う。事実上、王府であるのに、何と遠慮した言葉であろうか。この言葉は、中国の古典から採られた。初めは漢の衛青がはるか砂漠を越えて匈奴を討った時、その総司令部のことを『幕府』と呼んだ。幕とは、天幕のことである。頼朝の行政機関を『幕府』と名付けたのは、京を脱出するように下って来た頼朝に属した元官人大江広元あたりかと思われるが、中国の古典によほど通じていたと言わなければならない。

鎌倉幕府は、頼朝から3代で途絶え、北条氏が執権として実権を握り、代々京都の皇族が幼少の頃鎌倉に迎えられ、大人になると京へ帰していた。執権である北条氏は16代も続いた。亡んだ時、北条高時の遺児の子が伊豆に逃れ、韮山の地でその血筋の者がほそぼそと暮らしていた。この者達を、土地の者が『北条殿』と呼んだ。伊勢新九郎は、駿河の興国寺から進出し、韮山公方であった足利茶々丸を追い出して、住み着いた。そのことから、地の者達は新九郎を『北条どの』と呼ぶようになり、後に関東一円を統一して『北条早雲』と歴史に名を残した。子孫は、戦国時代の終わりに凡庸な藩主が出現し、秀吉に打ち取られてしまった。まさに『沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす』だな。日本もそうだし、アメリカもそうなるだろうし、中国もやがてそうなるだろうな。(参考:司馬遼太郎著『箱根の坂』


★<すごい、大谷翔平君>エンゼルスの大谷翔平投手(23)が、8日、アスレチックス戦で本拠地初登板初先発し、7回1安打無失点と力投。最速160キロの豪速球、スプリットを武器に毎回12三振を奪った。開幕2連勝となる今季2勝目の権利を持って降板。開幕から10試合で2勝&3本塁打は1919年のジム・ショー以来99年ぶりの快挙となる。ベーブ・ルースの記録に並んだり、はたまたジム・ショーの記録に追いつくなど、100年に1度に出て来るかこないかの、大投手、大選手への道を歩む大谷翔平君。海のこちらからも応援しているゾエ。


★<ハリル監督電撃解任>サッカーW杯をまじかに控え、なんと日本代表の『ハリル監督』が解任に。後任は、現在日本協会の技術委員長を務める西野朗さんを筆頭に、U-21の代表森保一監や、現日本代表コーチの手倉森誠さんが候補に挙がっている。

ロシアW杯まであと67日と迫った8日、ハリル監督が解任されることになった。3月のベルギー遠征の1分1敗という結果や、ハリル監督と選手の間に溝が生じていることなどを重くみて、このタイミングで解任を決断した。W杯を前にサッカーの完成度にも疑問符がつき、選手の間にも指揮官に対する不信感なども目立った。

ベルギー遠征中には選手には宿舎からの外出が禁止された。だが、外国人スタッフには禁止令は出ず、一部の選手からは『同じチームで戦うという感じがしない』という不満が出たと言う。そうした一体感のなさもロシアW杯直前に協会幹部が危機感を感じたようだ。


★<ネット保険淘汰の時代>通販保険の解禁から20年で、通販保険は淘汰の時代に入っている。ネット、テレビ広告や新聞広告で目にし、大々的に宣伝を繰り広げている姿からは意外に映るが、通販系の保険会社の多くは苦戦を強いられている。『2019年7月をメドに合併することに合意した』。損害保険ジャパン日本興亜は、通販子会社のセゾン自動車火災保険とそんぽ24損害保険の2社を合併すると発表。合併する環境が整ったと判断したのだろう。が、両社の累積損失を解消するのは容易ではない。他の大手の通販子会社も赤字を抱える。

97年の保険自由化で、当時は損保市場の3割が通販系に奪われると言った観測が強かった。だが20年後、シェアは8%にすぎず、伸び率は極めて穏やか。2割を占める米国など海外に比べ出遅れが目立つ。90年代末に保険通販市場に参入した海外勢は、00年以降に相次ぎ撤退。価格競争に陥ることなく、サービス競争を展開した大手損保の戦略が奏功した形だ、と指摘される。

17年3月期は通販8社のうち半数が赤字。保険料を抑えながらも、一定規模の顧客を獲得するまでテレビCMなどを出し続けなければいけない先行投資が重荷になっている。一方で堅調に業績を伸ばすソニー損保は、参入から8年目の07年3月期に黒字化。売上高は過去10年間で2倍に増え業界1位を維持する。楽天など異業種も損保市場で商機を狙っており、通販市場の攻防は新たなステージに移ろうとしている。


★<日本代表、西野新監督>ハリル監督の解任に伴い、新しく任命された監督は『西野朗さん』。現在協会の技術委員長。ガンバの監督を長く勤められたので、顔なじみ。W杯まで2カ月の時点での人事だから、内部昇格しかなかった、と田嶋会長は語った。吉と出るか、凶と出るか。でもハリルの戦績からすると、凶は現在であり、これ以下はもうないようだね。


★<素直でない張本君>野球評論家の張本君、大谷翔平が2試合連続本塁打を打った時には、『こんなのどこにもいるよ、普通』と。3試合連続本塁打の時には、『大リーグの投手の質も落ちたもんだ』と。素直でない張本勲君だねえ。ここは、素人になって、すごい、日本人でこんな記録を残すなんて、と喜べばいいのになあ。何が気に入らないのかしら。まあ、辛口評を売りにしている張本君からすると、素直になれば、売りがなくなるのかも。

良く考えると、みんなすごいんだよね、水泳も野球も、スキーもスケートも、陸上、カーリングも。勿論トレーニング方法の向上、コーチ技術の向上もあるだろうが、当の本人の頑張り、努力が何よりも基本なんだから。すごい時代に入っていると感じるねえ、張本君よ。

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