《『いずみたく物語』も終章。おつきあいいただきありがとうございまいました。 演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。 本当に尊敬する、いずみたくさんです。》
★今日の画像は、日本を代表する山岳トレイルランナー『望月将悟さん』と、西日本鉄道・西鉄の『天神・大牟田線110周年を記念したラッピング電車』。そして八重桜、´八重紅虎の尾、ぞ招遏↓キζ襦↓Л福禄寿です。いずれも花弁数は25枚前後。私はこの中で、気品に溢れる松月が好きです。
望月さんは、静岡市消防局に勤めており、南アルプス南方での遭難捜索、事故者の救出のため、山岳トレーニングで身体を鍛える目的でこの道に入られた。望月さんを全国的に有名にしたのは、日本アルプスを駆け抜ける『日本海~太平洋トレイル』に優勝してから。まさに、不眠不休で走り続ける強靱な身体にファンは驚き、尊敬をした。まだまだトレッキング界の先頭に立って活躍してもらいたい人ではある。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
★★★昭和48年。ボクと青島幸雄と野坂昭如が、東京都知事選の革新系立候補者の応援に行った。その帰りになんとなく3人で飲もうということになり、ボクの行きつけのバーで飲み始めた。丁度、この年から参議院は全国区が廃止され、比例代表制が実施されることが決まり、青島幸男の第二院クラブでも10人の立候補者を揃えなくてはいけない。青島はまだ3年の任期が残っていたが、10人立候補者と、1人400万円、計4,000万円の届け出の費用を工面しなくてはいけない。
『青チャン、ボクは政治家になりたくもないし、金もあまりないけど、何でも手伝うからさ、何でも言ってよ。今の世の中なんとかしなくちゃ』、ボクは本気で青島にそう言った。野坂も酒を飲んだ勢いで、『そうだ、そうだ、いずみたくの言うとおりだ』と共鳴していた。
結局、比例代表の順位は、第1位 野坂昭如、第2位 下村泰(コロンビア・トップ)、第3位 いずみたく、 その他7人に決まった。ボクは名前を連ねるだけで、当選する気は全くなかったが、第2位の下村さんは現職だけに、多少複雑な気持ちだったと思う。結果は、野坂昭如のみ当選し、マスコミは大騒ぎだった。しかし、その年の11月、突然、野坂は参議院議員を辞任した。理由は、その年の暮れの衆議院議員新潟地区の選挙に立候補するためである。青島もボクも、皆応援に行ったが、当時の田中角栄の壁は破れず、花は華々しく散った。野坂が辞任した後の参議院議員は、第2位の下村さんがそれを弾き継いだ。
昭和61年、第2回目の参議院比例代表選挙。名簿第1位青島幸男、第2位いずみたく、その他8名。何しろ変な政党だ。演説は一切やらず、政府の作ってくれる公報とTVだけが政策発表の場。選挙には一銭も金を使わず、何もしないと言うのが青島幸男の考えである。会合も2、3回で、お茶を飲みたまにはビールの1本くらい飲むという政党だから、選挙費用も1万円か、1万5千円くらいである。それをまた10人でワリカンにするのだから、他の政党のお偉いサンに教えてあげたいくらいである。
平成元年に入った。この年の4月に、青島幸男が突如国会議員を辞任した。『たくチャン、オレ議員を辞めるよ』『えー、何故?』『色々考えたからさ。後はあんたに引き継いでもらわないと―』『ちょっと待てよ』『いいんだよ、もう決めたんだから』。青島は消費税反対で辞任し、野党がこれに続く期待を持っていたが、夢物語に終わった。比例代表候補名簿第2位のボクが青島に代わった。
今ボクは、商工委員会、選挙特別委員会、予算委員会に入る。商工委員会では『大店法』に反対し、『消費税』に反対し、選挙特別委員会では『小選挙区』に反対している。わが会派は、選挙は公営に徹し、テレビ、ラジオ、新聞、公報以外の一切を何もやらない。それでも、その清潔選挙を受け入れてくれる国民が200万人もいるとは嬉しい。
残念ながら突然、わが会派に加わっていたサラ新党の平野清が自民党に鞍替えし、しばらくして野末陳平たち3人も、自民党に鞍替えした。皆、金のために鞍替えしたのだと思うが、一説に引き抜き金は1人3千万円から5千万円、アントニオ猪木の場合は、億という単位の話もある、というのが専ら永田町の噂である。
ついこの間、ボクは予算委員会で、代表質問をした。総理大臣と、大蔵、労働、通産、文部の各大臣に。今の日本の芸術家の収入をどう思うか、今の芸術家の労働事情、今の芸術家への代理店、TV曲の搾取状態、第二国立劇場の建設、現在の子供教育、内申書の問題。残念ながら、これらの問題に対して真剣に返答してくれる閣僚は一人もいなかった、ただ通産大臣を除いては。テレビを見ていた人から『よく言ってくれた』と大反響があった。やはり政治はきれいごとではなく、身近な問題をかたづけることが第一である。
とにかく、物心のついた頃から宝塚のミュージカルに始まり、現在もミュージカルであり、それは決して終わらず死ぬまで続くだろう。母が、ボクが子供の頃言ったことがある。『私達親のことを大事にする必要はない。私達よりおまえの友達を大事にしなさい。私達は先に死ぬけど、お友達はお前の一生の付き合いになるのだから』。この交友録はその友達の記録である。登場してもらった友人達には、いいこと悪いことを書きまくって、心から感謝すると共にお詫びもしたい。そして最後に、この本を出版してくださったサイマル出版社に感謝いたします。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)
★<望月将悟、40歳>トランスジャパンアルプスレース4連勝中の『望月将悟』。山岳アスリートとして、山岳救助隊員として、40歳の今、何をしたいのか、また将来的にはどこへ行くのか。
日本海から太平洋まで日本アルプスの山々を縦断する山岳レース『トランスジャパンアルプスレースTJAR』で16年8月、歴代最速記録の4日23時間52分でゴールし、歴代最速記録を成し遂げた望月将悟。本業は、静岡市の消防署に勤める消防士で、山岳救助隊員としても県内南アルプス山域で活動している。
40歳に入っての心境、新しいチャレンジについては、特にないと言う。体力的にも衰えは感じていない。そして、ロードのフルマラソンに出たいと現在トレーニング中だ。望月将悟は、15年に40ポンド=18.1キロの荷物を背負ってフルマラソンを3時間6分16秒で完走し、ギネス記録に認定されている。
望月は、20歳の頃からアルプスの山に登るようになった。20代半ばから国体の山岳競技に取り組み始め、それを機にトレイルランのレースにも出るようになった。TJARに初めて出場したのは32歳の時だった。以後16年のエントリーで、連覇や記録に拘らず、純粋に山を楽しみながら自分がどこまでやれるかを試したいと。
今年のTKARに出場するかはまだ決めていない。職場の管轄でもある南アルプスの、色んな沢登りルートを踏破したいし、海外の山にも行きたいし、アドベンチャーレースにも興味を持つ。
山登りをする人達に一言。1年を通して山に登っている人ばかりではない。シーズンになっていきなり高い山に登るのは危ない。まずは低山から体を慣らすなど、登りたい山ではなく、登れる山を見極めることが必要とアドバイスする。望月将悟、40歳、ではある。
★<『いきなり!ステーキ』ライバル続々>『いきなり!ステーキ』の好調を受け、各地に相次いで似た業態のライバルが登場している。年初には、大手の『ステーキのあさくま』がメニュー構成や価格帯がほぼ同じの『やっぱりあさくま』を東京に出店。3年で100店を目指すと。サラダバーを武器にお得さを訴求するのが、ファミレス系。なかでも、『ブロンコビリー』は常時14種類の野菜を用意し、植物繊維が豊富なロマネスコや紅芯大根といった珍しい野菜も扱う。
ライバル各社は、『いきなり!ステーキ』が厚さを強調した200~300gのブロックに対し、いきなり1ポンド・450gクラスの肉塊を相次いで発売し、追撃する。『ビッグボーイ』は、17年に投入した『The Rockステーキ』が好評を博し、グランドメニュー入りした。競争が激しくなるほど、消費者にとってはお得。が、ステーキは肉質も大事だが、何より焼き加減が大切。自分の賞味にあった焼き方を発見、工夫することも大事だと心しよう。
★<米今度は中学校で乱射、寸止め>高校生などが学校で銃を乱射し、多くの死人が出ているアメリカ。今度は中学校で乱射、寸前の寸止めと。米中西部のインでアナポリスの中学校で、生徒が教室に銃を持ち込み、授業中にいきなり乱射した。アメフト経験のある男性教師(29)が、機転を利かして突進し、生徒を押し倒してその場で取り押さえた。メディアは『英雄的タックルだった』と称賛している。
が、どうだえ、何が英雄だよ、アメリカのみなの衆。中学生や高校生が失恋したり、悪ふざけで連発銃が持ち出せるという家庭内での銃管理の無防備さ。アメリカでは永久に乱射事件は収まらないだろうなあ、この状況が変わらなければ。ご愁傷様だ、憲法を変えないうちはダメだろう。
★<またやった三菱自動車の法令違反>三菱自動車の岡崎製作所が、フィリピン人の技能実習生に実習計画とは異なる仕事を日常的にさせていた。実習生33人に、実習計画とは異なる車体の組み立てや簡単な溶接の作業をさせていたと言う。同社首脳は『軽く考えてはいけない。非常に残念だ』と語った。三菱は2000年と04年にリコール隠し、16年には燃費不正不祥事が相次いで露見した。アメリカ工場でも、セクハラ隠しや、販売台数の上乗せ偽装などが行われた。法令違反大会社『三菱自動車』ではある。三菱マークの車に乗るのは、本当勇気がいるねえ。それほど地に落ちた汚れた、汚いブランドなんだスリーダイヤは。
★<見えて来た日大の不手際な対応理由>アメフト事件で日大の対応のまずさが多くのメディアで指摘されている。監督会見の司会者が出席した記者と口喧嘩に及んでは、何のための会見であったか火にあぶらを注ぐ結果となった。次に登場した学長会見も不見識、優柔不断だった。『これについてはコメントを差し控えます』を10回以上言ったのか。なら会見などするな、と言いたい。要はワンマン理事長でないと物事が決定できないという硬直化した日大の経営管理面が露呈しただけだ。
『潰せ』という言葉の解釈で、宮川君とコーチ・監督の見解が分かれている。が、高校3年、大学1年アメフト漬けになり、全日本の代表にまで選ばれた宮川君が、誤った理解をするはずがない。ここはコーチ・監督も直に真意を認めていれば、ここまでの騒動にはならなかったな。しかし、補助金への執着が理事長から降りており、それを認める訳にはいかなかったのだろう。
その、なぜこんな不細工なことをしたかを、つらつら考えると、どうやら『文部省の交付補助金問題』が浮上する。刑事事件の発覚などとなれば大幅な補助金カットになり、大変な損害になるから。常に日大にはこの『補助金』を必死で守れとの、理事長命令が出ていたのだろう。鈴木スポーツ庁長官はかなり厳しい感じになっているから、最後は理事長を呼び出し、口頭で経営陣の刷新を求めるのではないだろうか。そうでもしないと、税金から80億円もの補助金を日大に出している理由・根拠が失われるからな。
あれこれ考えると、あの『加計理事長』も、このような補助金目当てビジネスで大学をあちこちと作って私財を蓄積しているのではないか。それに乗せられる文化省、目を覚ましてほしいねえ。分数の分からない大学生が3割もいるとか、大学に通う能力資格のない若者達が、ただただ東京のアルバイトビジネスを下支えしているだけなのに。情けない甘えの国・日本の大学事情だ。
★<世界観光地ベスト10>トリップアドバイザーが選んだ『世界の観光地ベスト10 2018』。なかなか見事だ。拙者はせめて、ベスト3とプラハ、イスタンブール、NYに行ってるだけだが、何か気持ちがすっきりした。
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ニューヨーク プーケット