★今日の画像は、シボレーコルベット風の光岡『ロックスター』と30年ぶりとなる地下鉄『丸の内線の新型車両』、土木女子『重中亜由美さん』。そして私の足跡『チューリッヒА戮任后2枠覆任つろぐ人達の姿がとてもくつろぎ感を与えます。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
★★★着物がよく似合い、着付け講師の資格も保有していると言う重中さん。一見そうは見えないが、関東一円の水資源開発施設を一手に管理する、れっきとした土木女子だ。一般にはあまり知られていないが、河川やダムの管理も、実は大切な土木の仕事。利根川にかかる巨大な堰も、腕一つであやつる。
『「君なら出来る」と、この仕事をまかせてもらっているので、弱音は吐かない。負けずぎらいなので』。そういって笑う彼女は、おっとりした口調ながら、芯の強さを感じさせる。
この仕事を選んだ理由の一つは、工事監督から海外での仕事まで、幅広い業務を経験できるから。群馬用水、豊川用水を経て、現在の事務所で3ヵ所目の事務所。転勤があることについて不安はないかと聞くと、すべてがよい経験で、痛手だとは思わない、とのこと。
『家庭もいずれ持ちたいが、例えば自分に部下が出来たときに、きちんとバトンを渡していけるようになりたいと思っているので、今は仕事を頑張りたい。それに、転勤先で友達ができたりと、いいこともある』と。
土木に対する想いも強く持っている。『土木って、本当にすごい仕事なんです!いま我々の生活が成り立っているのは、先人がインフラを整えてくれたからだと思っている。反面、土木工事は現場の周辺住民の方々や、自然環境に大きな影響を与えることもあるので、常に想像力を忘れずに「生活の基盤を作っている」という土木の本質を伝えていくことで、「土木は汚い」というイメージを変えていきたいと思う』。先取、先進の心構えやよし、だ。(農学部卒 独立行政法人水資源機構 利根導水総合事務所)
★<箱根温泉秘話>箱根温泉の発展の歴史、なんと『ブラタモリ』が詳しく解説。秘話だ。本当、知らなかったねえ、箱根の歴史。江戸の時代箱根の温泉を『箱根七湯』として売り出したんだねえ。一つひとつの温泉地では弱いので、七つの湯という絵巻物を発刊、ブランドとして江戸で評判を取ったんだ。そして『強羅』。これは維新後、別荘分譲地として発売されたんだねえ。一区画500坪。そのため、箱根鉄道を強引に強羅まで敷設し、顧客へのアピールを図ったんだ。強羅は江戸時代の七湯には入っていない、八湯目の温泉地なんだねえ。強羅の中心には日本初のフランス式公園を設置して人気を呼んだ。優れものがいるもんだねえ、こんなあアイディア。今、強羅は高級避暑地となっていんだなあ。よって箱根鉄道は、強羅まででストップという次第。歴史は語るだ。
★<アマチュア相撲部>プロ力士達が凌ぎを削る大相撲とは別に、全国の企業や自治体などが数多く所属するアマチュア相撲の世界で、全国的にも『強豪』と名高い団体の一つが『和歌山県庁相撲部』だ。日中は公務員として県民に奉仕し、勤務後に激しい稽古に臨むこの相撲部は、67年の歴史を持ち、豊富な全国大会優勝経験を誇る名門。7月の大相撲名古屋場所で日本人力士としては8場所ぶりの優勝を果たした御嶽海もかつて県職員に就職が内定し、この部に所属予定だったと言う。
和歌山市小松原通りの県庁舎などで仕事に励む職員の中でも特に恰幅のいい男性らが、午後5時45分の勤務終了後に向かうのは県庁のすぐ北にある県営相撲競技場だ。まわしを着けて力士の表情となった彼らは土俵で何度も体をぶつけ合う。平日は毎日2時間稽古を行い、休日は専ら所属する各実業団の大会で試合に臨むと言う。
県税事務所で働く相撲部員の森本さんは、『あくまで自分達は公務員。百パーセント仕事を優先し、使える時間を相撲に回すだけ』と、稽古で吹き出た汗をぬぐう。現在の現役部員は5人と少人数。森本さんは特定分野の活動に秀でた人を対象に論文や面接を重視する『特別枠』で採用されたが、入庁後の勤務は他の職員と全く同じだと言い、残業や休日出勤をすることがあるため、相撲のための特別待遇は一切ない。
ただ森本さんは、『相撲につける時間が限られている分、より仕事にも集中出来る。一般企業などと比べれば、稽古の時間を確保しやすいのも大きな魅力』と話す。
この相撲部は戦後間もない昭和26年に創部。相撲好きだった当時の小野知事の『鶴の一声』で作られたと言う。当初は道場もなく、庁舎の中庭に土俵を作り、野天で稽古を行っていたと言う。小野知事は職務の合間に土俵の側に座り込んで『やるからには日本一に』と激励していたらしく、相撲部は37年に初の全国大会優勝を果たす。
以降、アマチュア相撲でも最高峰と言われる全日本相撲選手権大会でも4回優勝し、全日本実業団相撲選手家大会では通算20回の団体優勝を果たしている。その強さは今も健在で、今年5月の全国選抜大学・実業団対抗相撲和歌山大会の団体戦では通算14回目の優勝を果たした。内定していた御嶽海はプロの道に歩み、7月の名古屋場所で初優勝を果たしたが、大相撲だけが相撲の世界ではない。全国47都道府県にあるアマチュア相撲の団体には和歌山県庁以外にも、警視庁や鳥取県などの公務員の外、民間企業など多数のチームがあり、本業とアマチュア力士を両立させながら、日々の稽古に励む。
森本さんは『大相撲にない、団体戦で喜びを分かち合えるのもアマチュア相撲の大きな魅力。プロにはプロの、アマチュアにはアマチュアのプライドがあると思う』と力強く話す。見事なり、『和歌山県相撲部』ではある、な。
★<光岡『ロックスター』>光岡自動車は、不条理なクルマを製造することで名高い(悪名高い?)日本のカスタムカー・ビルダーだが、時には途方もないクルマを作り出す。その最も象徴的なモデルはミッドエンジンの『オロチ』だろう。しかし、その主力モデルは一般的な日本車のフロントとリアに1930年代から1950年代風のスタイリングを施したものだ。中には、先代のNC型マツダ『ロードスター』をクラシックな英国調ロードスターに仕立てた光岡『ヒミコ』というモデルもあったが、そのベース車がモデルチェンジしたことに伴い、光岡はさらなる冒険に挑んで見せた。最新モデルの光岡『ロックスター』には、C2型シボレー『コルベット スティングレイ』をはっきりと意識したことが窺える。
その仕上がりは光岡らしい説得力を感じさせるもので、洗練されたプロポーションはベース車に上手く合わされている。現行のND型ロードスターはフェンダーが誇張されたデザインなので、さらにそれを強調したコルベット風のスタイルが驚くほど調和したのだろう。全長4,355mm × 全幅1,750mm × 全高1,235mmというサイズは、マツダ ロードスターより440mm長く、15mmだけ幅広い。
ボディを別にすれば、このクルマは標準モデルのマツダ ロードスターとスペックは同一だ。つまり、マッスルカー風に変えられたフロント・フードの下には、そのまま1.5リッター自然吸気直列4気筒エンジンが収まっている。つまり最高出力132ps、最大トルク152Nmに過ぎないので、本物のC2コルベットの火を吹くようなパワーには到底及ばない。もちろん、GM製V型8気筒LSエンジンを積んだフライング・ミアータをベースにすれば問題は解決するかもしれないが。トランスミッションは6速マニュアルまたは6速オートマチックから選べ、MTならトルクセンシング式リミテッド・スリップ・ディファレンシャルを装備することも可能だ。
ボディ・カラーはマツダ ロードスターには設定のないオレンジ色や黄色、水色などを含む6色から選べ、これに合わせてソフトトップやウインドスクリーン・フレーム、ドアミラー・キャップに様々な色のオプションが用意されている。ボディ同色のドア・アッパー・トリムやアクセント入りレザー・シートも装着できる。より完璧なルックスを目指すなら、白字でBF Goodrichと書かれたレトロなスタイルの15インチ・タイヤと専用ホイールも一緒に購入するべきだろう。
ただし、このクルマに惹かれたら大金を支払う覚悟が必要だ。光岡 ロックスターの価格は、468万8,200円から518万3,600円となっている。ベースとなったマツダ ロードスターの同グレードと比べると200万円以上も高いが、状態の良いC2コルベットを手入れるよりは安くすむだろう。購入するには公式サイトから申し込みが必要になる。50台限定の先行オーダーにはボディ・カラーのオプションが30色から選べるという特典があるそうなので、その気になった方はお早めに、だな。
★<ポツンと一軒家>テレ朝が放映している『ポツンと一軒家』が面白い。衛星写真から山中にある一軒家を見つけ、実際に探して訪問するドキュメント。山の中の一軒家故、それぞれに由来がある。宮崎県の一軒家では、お盆に目の悪い母親をかこみ、子供、孫たちが集う。林業を営んでいたご主人がなくなり、母親一つで子供たちを育てた。経済的にゆとりがなかったため、子供達を高校に進学させられなかったのが一番の悔やみと母親の言。が、この一家はそれ故に結束心が高く、お盆には一家集い、にぎやかなひと時を過ごす。近くから竹を切って、なが~いソーメン流しで楽しむ場面など、都会では出来ない芸当。とてもいい話ではあった。
静岡県の山奥の一軒家は、竹かご細工をする人が、大きな古屋を借りて、竹かご作りに専念する姿を映す。手間暇かけて作られた竹かごのお代は8万円程度。根気がいる仕事を山奥深く、材料の竹があるそばで創作意欲を燃やす。人それぞれなれど、山奥に暮らすそれなりの理由がとても個性的で楽しい。が、根気と努力が出来ない拙者には無理な相談だ。
★<中国に売られるベトナム女性>ベトナム女性が、人身売買組織の手で隣国中国に連れ出され、花嫁として『売られる』被害が相次いでいる。言葉巧みに誘われ、見知らぬ中国人との結婚を強いられる女性が後を絶たない。男性の数が女性を大きく上回る中国で、男性が結婚相手を探すのが難しくなっていることが背景にあるとの指摘もある。
首都ハノイ郊外で、農業を意図マム夫や息子と暮らしていたチュックさん(56)。平穏な生活が暗転したのは35歳の時。『良い勤め先がある』。近所の女性の言葉を信じ、都心のレストランに向かうと、車に乗せられ知らない土地に運ばれた。『ここは中国。もうベトナムには帰れない』と告げられた。当時の金で47万円を支払った当時50歳の中国人男性と結婚させられた。『中国人より安いので、ベトナム人を選んだと後で聞いた』と。
携帯電話は取り上げられ、ベトナムへの連絡は不可能に。逃亡を恐れる中国人の夫はチュックさんを常に監視。自宅では2人の腕をひもで結びつけた。やがて2人の間に男の子が生まれた。
中国に連れ出されてから19年後の2016年、自宅に突然踏み込んだ警察によって保護された。当時不在だった息子とは会うことが出来ないまま帰国。『私のいない間にハノイは何もかも変わってしまった。家族に再会出来たのは嬉しい。でも中国の息子に会えないのはつらい』と話す。
人身売買組織はターゲットの女性に、友人らを通じ『良い仕事がある』などと持ちかけたり、ネットで男友達を探す女性に交際を偽装して近づいたりすると言う。『実の母が娘を売る事例さえある』と保護施設のスタッフは話す。
被害者の中には10代も多い。ラオカイ省のホアさん(15)は『小さいころからの友人』だった同じ職場の1歳上の女性に『仕事場に行こう』と連れ出された。だが、向かった先は中国。ホアさんはそのまま現地の男性の妻として売り渡れた。だが男性は10日も経たずに、ホアさんを別の男に売ろうとした。助けを求め駈け込んだ家の住人が警察に通報。ホアさんは保護され、帰国した。彼女は『実はいとこも同じ被害にあっている』と打ち明ける。まだまだ、いろんな社会的問題を抱える中華人民共和国だねえ。困ったもんだ。