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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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<民主主義の死に方⑥ 『リンドバーグ』の熱狂的支援>

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今日の画像は、来年行われる米大統領選挙への出馬に乗り出すことを発表したハワイ州の『トゥルシ・ガバード下院議員(民主党)』と、異常な寒波来襲で『凍えるギリシャ』。そして広島市中区鷹野橋商店街が催した『うまいものフェス』です。昨年12月、初めて開催したと。すごい人出と、屋台でごったえしていました。結構若い女性が多かったですねえ、こたつに入ったりして。とても和やかでした。

ギリシャを観光中の人々は震え上がっているでしょうねえ。まさかギリシャで雪とは。ご愁傷様です。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★★アメリカ人小説家のフィリップ・ロスは『プロット・アゲインスト・アメリカ』(2004年)の中で、歴史上の実際の出来事に基づき、戦前のアメリカにファシズムが広がっていたらどうなっていたかを想像した。

この小説の主人公は、20世紀初めにアメリカのマスコミを沸かせた英雄、『チャールズ・リンドバーグ』だ。1927年に大西洋横断飛行に成功してたちまち名声を得た彼は、後に過激な孤立主義を訴え始め、ナチス支持者になった。ロスの小説では、ここから歴史が奇妙な方向へ向かう―リンドバーグは世間から忘れられた存在ではなく、1940年にフィラデルフィアで開かれた共和党大会に飛行機に乗って登場する。午前3時14分、20回目の投票までもつれた会場には八方塞がりの雰囲気が漂っていた。しかし突然『リンディ!リンディ!リンディ!』の叫び声が会場から湧き起こり、制御不能のその声は30分に渡って続いた。強烈な集団ヒステリーか、彼の名前が大統領指名候補として提案され、支持され、拍手喝采によって認められる。

政治経験こそないリンドバーグだったが、マスコミの扱い方は誰よりも心得ていた。彼は回りのアドバイスを無視し、かの有名な一人乗り飛行機=スピリット・オブ・セントルイス号、に飛び乗る、そして全国を飛び回り、選挙活動を続けた。

現実とは逆さまの小説世界では、リンドバーグが現職のフランクリン・ルーズベルトに勝利する。後にリンドバーグの選挙活動がヒトラーと繋がっていることが分かる。大統領になったリンドバーグが敵国と平和条約を結ぶと、反ユダヤ主義と暴力がアメリカ全土に解き放たれる。


多くのアメリカ人は、2016年の大統領選挙とフィリップ・ロスのこの小説の間に沢山の類似点を見出した。民主主義者としての資質も怪しいアウトサイダーが、外国の後押しによって権力を握る―この前提はどう考えても似通っていた。しかし、この比較からもう一つの驚くべき疑問が浮かび上がってくる。1930年代のアメリカは厳しい経済危機に陥っていたにも拘わらず、なぜこれが実際に起きなかったのだろうか?

2016年以前に過激思想を持つ大衆扇動家が大統領選挙に勝てなかった理由は、そのような候補者がいなかったからではない。更に、彼らに対して国民からの支持がなかったからでもない。それとは反対に、過激主義者は古くからアメリカの政治世界にポツリぽつりと現れていた。実際、1930年代だけでも、800人以上の極右過激集団がアメリカ合衆国には存在していた。

この時代に活躍した最も著名な人物のひとりが、反ユダヤ主義を唱えるカトリック教会司祭、『チャールズ・カフリン』だった。彼が出演した超国家主義的なラジオ番組は大人気を博し、リスナー数が1週間で4,000万人を超えることもあった。カフリン司祭は反民主主義的な発言を公の場で繰り返し、政党の廃止を訴え、選挙の価値に疑問を投げかけた。超過激で、親ナチ、親ムッソリーニであったに拘わらず、司祭の人気にはすさまじいものがあった。当時の専門家の一部は、カフリンを『ルーズベルトの次にアメリカで最も影響力のある人物』と呼んだ。


また、ルイジアナ州知事を経て上院議員になった『ヒューイ・ロング』もまた、世界大恐慌を背景に名を馳せた過激主義のひとりだった。ロングは街頭演説が巧みな政治家で、躊躇なく法の支配を無視した。また賄賂と脅迫の合わせ技で州議会、裁判所、メディアを服従させた。そして富の再配分を訴えるロングには、熱烈な支持者がいた。ロングの『富の共有運動』は全国に2万7千の下部組織を持つほどに広がり、名簿には800万人の名前が登録されていた。ロングは大統領選に出馬する意欲を見せ、NYタイムズ紙にこう語った。『私なら、ルーズベルトに勝てる』。実際ルーズベルトはロングのことを深刻な脅威と見ていた。しかし1935年9月にロングは暗殺され、その脅威は消えることになった。

アメリカ社会で独裁主義者が人気を博すというこの傾向は、第二次世界大戦後の経済成長期まで長く続いた。たとえば『ジョセフ・マッカーシー上院議員』は、冷戦期における共産主義者の破壊活動に対する恐怖を巧みに使い、ブラックリストを作り、検閲、本の発禁処分などの政策を推し進めたが、アメリカ国民から幅広い支持を集めた。

10年後、あからさまな人種差別主義を唱えるアラバマ州知事の『ジョージ・ウォレス』が一躍時の人となり、1968年から72年の大統領選挙で驚くべき活躍を見せる。ウォレスのメッセージ―労働者階級の白人の被害者意識と経済不況への憤りに対するポピュリスト的な訴えに、人種差別を織り交ぜたもの―は、民主党の伝統的な支持者であるブルーカラー層の心を捉えていった。1972年の大統領選では、民主党予備選でウォレスが有力候補に躍り出たことによって、エスタブリッシュメントに衝撃が走った。1972年5月、ウォレスの選挙運動の勢いは暗殺未遂によって失速するが、その時点までの予備選では100万票以上の差をつけて、『ジョージ・マクガバン』をリードしていた。

このようにアメリカでは古くから独裁主義者が活躍してきた。未来の独裁者から実際にこの国を護ってきたのは、民主主義を保とうとする強い姿勢ではなく、むしろ門番として機能する政党の姿勢の方だった。(参考:『民主主義の死に方』)


★<カープのスカウト陣、群れない個性派達>プロ野球がセ・パの2リーグに分立した1950年頃、スカウトを専任で抱える球団は少なかった。カープも55年頃までは後援会やファンが選手の大半を勧誘していた。市民にとってカープは原爆の廃墟から立ち上がる希望であり、有望選手がいれば身銭を切ってでも球団に紹介する。そんな郷土愛の強いファンが素人スカウトとして創設期のチームを支えていた。

そのうちの一人に、後に『名スカウト』と呼ばれる『木庭教サトシ』(08年死去、享年81歳)がいた。広島商業高校から日大に進み、帰省中に被爆。54年に旧知の球団職員と再会してから選手の紹介を始め、57年にカープのスカウトとして採用された。木庭の加入でカープのスカウトは3人体制となった。木庭は独特の眼力で選手を多数発掘し、カープの黄金期を支えた。衣笠祥雄や三村敏之、金城基泰、高橋慶彦、川口和久ら60人以上を獲得。球団の育成システムの構築にも大きく貢献した。

60年代からは現役を引退した選手がスカウトになるケースが増えた。後に2軍監督を務めた木下強蔵(08年死去、享年83歳)や藤井弘(18年死去、享年83歳)らがチーム強化を担った。74年オフには2軍監督やコーチを歴任した備前喜夫(15年死去、享年81歳)がスカウトに就き、山根和夫らを発掘。同年に引退した村上孝雄(16年死去、享年79歳)もスカウトに転身し、北別府学、前田智徳、緒方孝市らを見出した。

77年オフには、スーパーサブとして75年の初優勝に貢献した現統括部長の苑田聰彦もスカウトに転向。江藤智や金本知憲、黒田博樹、丸佳浩らを獲得した。83年にスカウトとなった渡辺秀武(07年死去、享年65歳)は川端順、沢崎俊和ら4人の新人王を輩出した。

80年代までにスカウトとなった面々は個性派が多かった。そのため、仲間内でも選手の情報を共有せず、球団には個々に報告してきたと言う。カープのスカウトが視察の際にクロスチェックをせず、選手1人に大してスカウト1人が調査する『群れない活動』の原型となった。

スカウトの陣容は徐々に充実。90年代には7人、00年代には8人体制となった。現在は9人で全国をカバーし、今年のドラフトでは育成を含め8選手を指名した。カープの独特、独自のスカウト力は外人獲得でもその力量を発揮している。見事なり、カープスカウト陣と言える。


★★<滋賀県のM子さん、旅してきました 匿名寄付600万円の使い道>児童養護施設を出た若者たちの自立を支える滋賀県守山市のNPON法人に、見覚えのない『M子さん』からの寄付と、『旅は自分の世界を広げます』と書かれた手紙が寄せられてから1年余りが過ぎた。

手紙通りに11人の若者は思い思いの土地をめぐり、初めての発見や経験に心を躍らせた。旅の思い出やお礼を文集にまとめ、ホームページでも紹介している。NPO法人『四つ葉のクローバー』にM子さんから600万円の寄付が振り込まれ、手紙が届いたのは2017年10月中旬。M子さんは手紙の中で、四つ葉のクローバーの若者たちに旅することを促していた。若者たちは四つ葉のクローバーのビルで共同生活している。卒業生も集まる『真夜中会議』を定期的に開いており、直後の10月下旬の会議では、M子さんの言葉の真意や寄付金の使い道について話し合った。

親の虐待などを受けて児童養護施設で育った若者らの中には旅行の経験がなく、ホテルの予約に戸惑い、旅行費の計算や移動手段を記した計画書を何度も書き直した人もいたという。1人5万円以上の予算でそれぞれの『目的地』を決め、これまでに17~25歳の男女11人が出かけた。今後も若者たちの旅は続く。

寄付は旅行費以外にも、進学のための費用や資格、免許の取得など経済的に困窮している若者を応援する『みらい基金』に充てている。四つ葉のクローバー理事長の杉山真智子さん(59)は『M子さんがとてつもなく大きな恩を子どもたちに与えてくれた』と話す。今度は若者たちが誰かのために何かを与えることができるのではないか、と思っている。『M子さんが大事にコツコツとためてきたお金を絶対に「生き金」にしなければならないという気持ちです』と。

旅を終えた若者たちは、思い出を文集『四つ葉旅新聞』にまとめた。感謝の気持ちがM子さんに届くようにホームページでも紹介されており、喜びと興奮の跡がちりばめられている。日清食品の安藤宏基君。日清の最初の工場は確か、滋賀県に建てたんだよな。百福さんの肝いりで。滋賀県にはこのような人もおられるんだな。安藤君も百福さんの遺志を継ぎ、何となしなくっちゃあ、ね。


★<竹田JOC会長をなぜフランスが訴追の不思議>竹田JOC会長が、フランス検察による予審に入った、との報道。オリンピック関連であれば、本部はスイスのローザンヌだから、スイス検察のはず。なぜフランスが。早速、ゴーンの意趣返しというのが伝わったが、真相は違うようだ。竹田会長が贈った相手が国際陸連の会長の息子という関係で、陸連の会長が収賄に問われ、陸連の本部はモナコにあるからなのだ。モナコは小国で、検察機能をフランスにおんぶにだっこだそうだ。なんともややこしい話ではあるが、モナコ=フランスの関係からフランスの検察が飛び出したいという風体。4年前から調査していたと言うから、ゴーン問題とは別であろう。が、なにやらきなくさいねえ。JOCが一度調査し、結果はシロという結論は出しているのではあるが、な。


★★<ハワイのガバード民主党議員、大統領選。出馬へ>当選すれば史上最年少。米ハワイ州のトゥルシ・ガバード(Tulsi Gabbard)下院議員(民主党)は、来年行われる大統領選挙への出馬に乗り出すことを発表した。ガバード氏は、イラク駐留経験がある退役軍人で、シリアの内戦中、同国のバッシャール・アサド(Bashar al-Assad)大統領と会ったこともある。

ガバード氏は米CNNに対し、『出馬を決めた。来週中には正式に発表する予定だ』と述べた。ガバード氏は現在37歳。当選すれば、米史上最年少の大統領となる。ヒンズー教徒として議員になったのも、サモア系米国人で議員になったのも、同氏が米史上初。

ガバード氏は、同国の医療アクセスや気象変動について触れ、『この決断をしたのには多くの理由がある。私が関心を持っている多くの課題が、今国民の前に立ちはだかっている。解決するために助力したい』と述べた。ガバード氏は米領サモア生まれ。ハワイ州で育ち、そこでサーフィンを始めた。同じくハワイ州で育った、民主党のバラク・オバマ(Barack Obama)前大統領は、同州出身者として初の大統領だった。期待できるか、な。

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