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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『カープを蘇らせた男―松田元⑭ お客さんに喜んでもらいたい』

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今日の画像は、JR東京駅北、丸の内に立つ日本の鉄道の父『井上勝』と、宮島登山『駒ケ林~三剣山ルート』です。このルートは参道を歩かずにスリル満点の道なき道を下り、下ったら大元公園ルートに出会って、横切ると、すぐに三剣山への登り道があります。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★いよいよ『2019プロ野球ペナントレース』が始まる。我が『広島東洋カープ』は、リーグ4連覇の偉業がなせるか。この強力軍団を作り上げた要はやっぱり『オーナー松田元』だろう。これほどの強力なカープを育てた、様々なエピソードを綴る。新外国人、ケーシー・ローレンス投手(31)が、フリー打撃に初登板し、堂林に29球を投げ安打性3本に封じた。期待できそうだねえ。佐々岡投手コーチは『バリントンに似ている感じだよね。ああいうタイプ。顔も似ているしね』と言えば、中日・鈴木義広スコアラーは「『バリントンみたいだし、タイミングをずらして投げていた。そういうテクニックもありそうですね』と警戒感を強めた。


★★★球団と地域。球団と選手。そして球団とファン。どの関係も、一朝一夕に築かれることはない。長い時間をかけて、ゆっくりと、それぞれの関係が築かれて行く。

そういう気持というのは、以心伝心と言うか、相互に伝わり合うものである。松田元オーナーはこう語っている。ある時、カープ球団が突然、予定になかった外人選手を獲得したことがあった。狙いについて聞かれたオーナーは、『現場がほしいと言って提案してきた選手だった。しかしわしはそういうことよりも、お金を払って球場に来てくれるお客さんに、この選手を見せてあげたいと思ったので・・・・』。このさりげないオーナーの一言の中に、松田元オーナーのすごさがある。

当時のカープはどちらかと言えば、弱いチームだった。そんな中で、どうしたらお客さんが喜んでくれるのか。そのことを一番に考えるのが、球団経営の基本ではないか。オーナーのそういう気持が、今日のカープを創り出しているのではないか。

あれから長い時間が経過した。その間、マツダスタジアムの開場によって観客数が急増したという見方は、やや早計であり、短絡的であると言える。

実際、マツダスタジアムの年間の観客数は、新球場誕生元年の2009年の187万人から、2年目の160万人、3年目の158万人、と微減しながら、4年目には156万人まで落ちている。この傾向を反転させ、少しずつ観客数を伸ばし始めたのは、カープが初めてCSに進出した2013年の翌年からのことだった。その頃に起きたことは、球団史の中で最もドラマチックなことだと思う。そして何より、それに呼応した選手達が素晴らしい。


2015年のこと。小説でも書けないような出来事が、その流れに拍車をかけた。2007年に二つの涙の会見を残し、カープを去って行った当時のエース、黒田博樹と4番・新井貴浩が同時にカープに還って来た。ここから新しい流れが出来た。まず、大リーグ複数球団の20億円を超えるオファーを断って、広島のマウンドに還って来た黒田に多くのファンが涙した。そしてもう一人。カープに復帰して、なりふりかまわず猛練習に取り組む新井の姿に多くのファンが心を奪われた。そして何より、チームメートやファンの心を大きく動かしたのは、二人の愚直までの『カープ愛』と桁外れの実績だった。

カープという球団は、選手にとってスポーツの理想郷と言うか、それほど魅力的なところだったのである。『アメリカで応援してもらうことは、当たり前のことではなかった。しかし広島という街には、ボクを待っていてくれるファンがいる』と黒田。このさりげない言葉の中に、球団とファンと選手が創り出すカープ特有の強固な関係が隠されていた。

そのファンの許に戻ってきた二人が創り出した独特の空気。それによって、カープというチームは、まるで有能なライターが筋書きを創ったようにドラマチックに展開して行くことになる。(参考:迫勝則著『カープを蘇らせた男』)


★★『「汽笛一声新橋を」、の奇跡』

1.汽笛一声新橋を はや我(わが)汽車は離れたり
愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として

2.右は高輪泉岳寺  四十七士の墓どころ
雪は消えても消えのこる  名は千載の後までも

3. 窓より近く品川の  台場も見えて波白く
海のあなたにうすがすむ  山は上総(かずさ)か房州か

34. 名だかき金の鯱は  名古屋の城の光なり
地震のはなしまだ消えぬ  岐阜の鵜飼も見てゆかん

36. 天下の旗は徳川に  帰せしいくさの関ヶ原
草むす屍いまもなお  吹くか胆吹の山おろし

46. 東寺の塔を左にて  とまれば七条ステーション
京都々々と呼びたつる  駅夫のこえも勇ましや

57. 三府の一に位して  商業繁華の大阪市
豊太閤のきずきたる  城に師団はおかれたり

66. 明けなば更に乗りかえて  山陽道を進ままし
天気はあすも望(のぞみ)あり  柳にかすむ月の影


大変驚いた。『汽笛一声新橋を』の『鉄道唱歌』が、何と66番、神戸まであるのだ。明治の日本の近代化の象徴として『鉄道』は、新橋を起点に西へ、西へと進んだんだねえ。実は、この『汽笛一声新橋を』の『新橋』は『旧汐留貨物駅』であり、『横浜駅』は今の『桜木町駅』なのだ。大正時代にもとの駅が現在の位置に変更されているのだ。これも大きな驚きの一つ。

最大の驚きは、大隈重信と西郷隆盛の対立だ。この鉄道。明治5年に、新橋から横浜まで開通した。この敷設には大変な苦労があった。鉄道施設に反対の烽火を挙げたのが『西郷南州隆盛』。今は金食い虫の鉄道より、兵を強化し、西洋に太刀打ちできる軍隊の整備こそ国の急務だと。鉄道推進派の先頭、『大隈重信』と対立した。

そのため、鉄道を敷く敷地が手に入らない状況になった。新橋から横浜にレールを敷くには、品川の薩摩藩邸内を通過する必要があるが、西郷が反対しているのに、敷設のための測量さえ出来ない状況になっていたのだ。

大隈重信が鉄道敷設に拘ったのは、17歳の時、佐賀城内で陸蒸気のミニチュアが実際レールの上を走るのを見た衝撃からだ。佐賀藩は長崎奉行を奉職していたことから、西洋の文明に関する情報が比較的早く伝わって来た。また、アヘン戦争で中国が欧米列強にむしばまれていることも知っていた。

時の藩主、鍋島斉直・閑叟は、直に長崎のオランダ船を視察し、その際手土産にもらった陸蒸気のミニチュアに感動した。そして、藩内に藩としてこのミニチュアを作るよう下知した。勿論、蒸気機関で動くミニチュアである。苦節の末、なんと佐賀藩は動く蒸気機関車を作りあげてしまった。そして城内でデモ走行をしたのだ。この時点で、佐賀藩は日本国内で最先端を行く科学技術を持っていたと言える。すでに反射炉も作り上げ、稼働し、銑鉄を取り出すことに成功していた。


この走るミニチュア蒸気機関車の実走を見て、いたく感激したのが藩士大隈重信17歳の時だった。維新後、明治政府に仕える身をなった重信は、鉄道の敷設を画す。が、西郷を中心とした薩摩閥に阻まれ事業は前にすすまない。鉄道敷設計画地になんと、反対派の薩摩藩邸があるのだから、無理もない。

とろが、この難題を解決した男がいた。『井上勝』。あの伊藤博文、井上馨と一緒に密出国してロンドンに留学した5人の青年の一人だ。大隈は井上に、実際にロンドンで蒸気機関車に乗った経験を尋ね、なんとか知恵を出せと指示。井上は、即座に、新橋から品川まで海岸の沖に鉄道堤=道路を造るとアイディアを披歴。

新橋から品川までの鉄道敷地を、海に堤防を造り、その上を走らせるというアイディアだ。もちろん、工事はそんなに簡単ではなかった。が、日本ではすでに幕末に幕府が江戸湾に砲台の『台場』を築く港湾の建築技術が確立されていた。それを応用して、海に鉄道線路の堤を造ったのだ。

その路線は今も健在で、このルートにはほぼ山手線のレールが敷かれている。日本鉄道の父『井上勝』の銅像は、今も東京駅北に鎮座している。機関車の取り回しこそイギリス人の手を借りたが、レールの敷設には日本人の知恵とエネルギーが満ちていたのだ。そして、この『陸蒸気』こそが、日本の文明が西欧流に開花するきっかけを全国津津うらうらに示したのである。陸蒸気なかりせば、明治の文明開化のスピードは相当にのろのろであっただろうことに、異論はない。が、その中で国民は政府の圧政の元で苦しい生活を強いられたことはあまり語られていない。


★★『サラリーマン川柳』 61~80/100選>
51 給料も シニア割され 半額に
52 家にいて 娘と会話 ラインにて
53 よく切れる スマホの電池 うちの妻
54 見える化を したのに見えない 小さい字
55 例の件? ありすぎて困る 何の件?
56 叱っても 褒めても返事は 『ヤバイイッス!』
57 やっと縁 切れた上司が 再雇用
58 在宅勤 家事もまかされ フル稼働
59 定年が 手招きしつつ 遠ざかる
60 再雇用 家にいなくて 最高よ!
61 人事異動 オレの後任 人口知能
62 どう耐える 百年時代 恐妻家
63 ライバルが 去ってAI 現れる
64 来春は 10連休だが 定年後
65 コインより 仮想に近い 夫婦仲
66 忖度で ちがう意見が 一致する
67 大変ね― 気遣うあなたは 再配達
68 伸び悩む パパの出世と 貯蓄額
69 昼休み 上司とランチ 勤務時間
70 休日に 働き方の 打ち合わせ
サラリーマン川柳HP https://event.dai-ichi-life.co.jp/company/senryu/


★★<がんリスク、加齢・飲酒・喫煙で遺伝子にも>がんの原因になりうる『遺伝子の変異』は、健康な人でも多く起き、それは加齢や飲酒、喫煙によって増える―。そんな研究報告を、京都大や東京大などのチームがまとめた。がんのリスクを高めることは統計学的な傾向で明らかになっているが、遺伝子レベルでも裏付けられた形だ。

チームは、喫煙や飲酒とがんの関連が大きいとされる『食道』に着目。23~85歳の食道がん患者を含む134人について、がんになっていない『正常な食道の組織』を採取。遺伝子の変異がどれほど起きているか、網羅的に調べた。

食道がんの患者は全員で、健康な人の場合も94%の人で、何らかの遺伝子の変異が見られた。がん患者かどうかに関わらず、異変の数は加齢に伴って増加。飲酒や喫煙の習慣がる人は、ない人に比べて、異変の数が増すペースが統計的に有意に高まっていた。がんとの関連が深いとされる『がん関連遺伝子』でも、同様の傾向が見られた。

がん細胞で一般的に見られる遺伝子変異のパターンとは異なる部分もあったと言う。チームの小川京大教授は『がんの初期の発生を解き明かす大きな手がかりだ。一方、正常な細胞ががんになるにはまだ段階があり、飲酒や喫煙をしない人はそれほど心配することはない』と話している。

まあ、喫煙はしないのが普通の日本社会になったねえ。先日、セブン-イレブンの前でたむろする少年達が煙草を吸っていたが、まあ、税金の多額納税者だなあとお礼のあいさつをかけておいた。


★★<京の台所に渦巻く不満 急増する観光公害>観光地に押し寄せるインバウンド(訪日外国人客)が混雑に拍車をかけ、マナー面などの問題をもたらし始めた。訪日客は2018年、初めて年3千万人を突破し、今後も増える見込みだ。問題を放置すれば、住民の暮らしに影を落とし、観光地としての魅力も下がる。迎え入れる地域といかに調和していくかが課題だ。

◇注意書きのステッカー、目に入らず
400年の歴史を持ち、『京の台所』と呼ばれる錦市場。全長約400m、道幅約3.5mの通りに、京野菜など120店余りが軒を連ねる。歩きながらの飲食はご遠慮ください――。日本語のほか英語、中国語、韓国語によるイラスト付きのステッカーが10月、登場した。

肩がぶつかり合うほどの通りでは、数年前から串にさした魚介や総菜の食べ歩きが流行。持ち帰り用の食品から出たごみの『ポイ捨て』も目立ち、京都錦市場商店街振興組合が『食べ歩きの自粛』の要請に踏み切った。宇津克美理事長(81)は『串が刺さる事故が起きてからでは遅い。ただ、食べ歩き向けで生計を立てる店もあり、禁止にはできない。流行はいかしながらも昔からの市場の姿を守っていきたい』と話す。各店に飲食スペースの設置も呼びかけている。

中国・河北省から妻と初訪日した白天夫さん(28)は、ゆでダコの串を注意して持ちながら『ここまで混雑するなら食べ歩きはやめた方がよいかも』。マレーシアから来た女性(26)は『食べ歩きは誰もやめないと思う』と語り、ステッカーにも気づかなかった。

子どもの頃から錦市場を知る京都市中京区の女性会社員(59)は 『いい迷惑。昔はこんな風ではなかったのに……』と振り返る。混雑を避けるため、近くの百貨店での買い物が増えたという。バスなどの交通渋滞やマナーの悪さにも、住民の不満が高まっている。


◇嵐山でも、富士山でも、海外でも
にぎわいは観光地にプラスだが、地域の許容を超える観光客が殺到すると新たな対応を迫られる。『観光公害』『オーバーツーリズム(観光過剰)』などと指摘され、人気の観光地で目立ち始めている。

京都市右京区の『竹林の散策路』では竹への落書きが問題となった。管理会社がフェイスブックで『嵐山の竹が泣いています』と書き込み、落書きを削り消した跡に緑色のテープを貼った。北海道美瑛町でも観光客に畑が荒らされるなどしたため、『哲学の木』で親しまれたポプラがやむなく倒された。

金沢市の近江町市場では、観光客の急増で地元客が遠のいてしまい、対応に追われる。奄美大島南部の鹿児島県瀬戸内町では昨年末、クルーズ船の誘致に絡んで『自然が破壊される』などと反対運動が起き、話し合いが続く。

2018年の訪日客は過去最多の3千万人超。政府はさらに2020年に4千万人、30年には6千万人をめざす。6千万人なら、フランスやスペインなどに次ぐ規模で、住民や地域との摩擦を減らす取り組みは欠かせなくなる。

静岡県は8月、同県側の富士山の登山口3カ所で、初めて訪日客を中心にごみ袋約1万6千枚を配った。前年に登山客のごみ放置が目立ったためで、袋には英語や中国語、ネパール語など10言語で『ごみを持ち帰るまでが富士登山』と明記。『ルールを知らない訪日客もいる。ごみも減って効果があった』(県自然保護課)という。

海外の観光地も観光公害に悩む。パリやローマなどではデモが起きた。タイやフィリピンの人気ビーチは今年、水質汚染などを理由に観光客の立ち入りを一時禁止にするなどした。アムステルダムは、観光客の抑制にかじを切り、中心部でのホテル建設などを原則禁じた。ベネチアの本島は、季節によっては人口を上回る観光客が来るようになり、中心部への大型クルーズ船の停泊規制などを強化した。対策を怠れば、住民の不満が強まるだけでなく、観光客の満足度も下がるためだ。


◇観光公害、それは突然に
日本総合研究所の高坂晶子主任研究員(57)は『観光公害に突然遭うおそれもある』と話す。写真映えする場所などとして脚光を浴びたとたん、観光客が殺到するためだ。自然資源や地域のたたずまいは一度損なわれると、回復までにかかる時間や費用が膨大になることもある。誘導や規制などを組み合わせた対応が大切だが、国内では対応策をとるために必要な基礎データに乏しい観光地も多いとされる。高坂氏は『観光公害が起こる可能性もふまえつつ、受け入れの方針を考える必要がある』と指摘する。

これは朝日新聞の記事だが、ちょっとねえ、と思うねえ。多くの外国人観光客は、日本政府の観光客増加作戦に乗せられ、来日した人々であり、日本の慣習やマナーは知らないのだ。かつてロンドンで驚いたのは、日曜日の早朝、オックスフォード通り周辺のゴミの多さ。土曜日の夜、若者達を中心に騒いだ跡なのだろう。それを清掃車が繰り出して静かにゴミを収拾していた。

イギリスだってこの体たらく。ましてや途上国の人達はそれ以上にマナーに無関心だろう。京都の人は文句を言う前に、そんな観光客を受け例れてもビクともしない都市基盤を作ることだ。まあ、京都もロンドン並の街になったと言うことだねえ。

私はここのところ京都での見物は自転車移動にしている。自転車だと、京都駅から東福寺までせいぜい15分で、山門まで着ける。バスなどだと停留所から20分は歩かされる。事情にあった観光行動をとるべし、と私は思う。よって、京都の方々はこれから増える観光客はマナーを十分知らない人達と考え、いわゆる製造現場で言う『バカよけ』を作るべきだ。自然に日本のマナーや慣習に慣れるような工夫を錦市場でもすべきだな。それが京都に外国人客を迎える基本だ。それがいやなら、『外国人客お断り』のキャンペーンを初めては如何、錦市場理事長殿。

この朝日の記事は本当に身勝手だ。そういえば、欧州一きれいな街と評されるブリュッセル。昨夏訪れたが、観光客が歩かない道でも、幹線には100m毎に黄色いゴミ箱が設置してあったねえ。京都はゴミ箱を観光客用に設置してるかなあ。見たことないなあ。フリュッセルに見習うべし、だ。


★★<どうすることも… 逮捕の母、LINEで吐露> 暴力を受け、誰にも相談できず、警察にも行けなかった――。死亡した千葉県野田市の小学4年、栗原心愛さん(10)の母親なぎさ容疑者(31)が友人女性へ送っていたLINEのメッセージや女性の証言からは、父親の勇一郎容疑者(41)による娘への暴力を止められなくなり、孤立していた様子が浮かぶ。

女性は事件後の1月26日朝から27日夜、なぎさ容疑者と十数回、LINEでやりとりした。勇一郎容疑者による心愛さんへの暴行について尋ねると『初めは、私の見ていないところでやってたと思います。後から心愛から聞かされてるので…私も止めに入った時に、何度か暴力受けてます』と返信。『頼れる人いなかったの』との問いには『千葉には誰も知り合いいないので、誰にも相談できなかったし、警察に行こうとした事もあったけど、結局行けませんでした』と答えていた。

始まった時期については『多分千葉に引っ越してきて、しばらく経ってからだと思います』と説明し、事件について『私が助けてあげられなかったから悪いんです』『どうにかしたいけど、どうする事もできませんでした』とした。

一方、『元々暴力はあったのか』と聞くと『はっきりは分からない』と返され、女性は『まるでひとごとだ』と感じたという。

しかしこの妻もDVの被害者なんだろうねえ。もう思考がどろ~んとして、神経がマヒしているみたいだ。本当に可哀想だ。DVシェルターのことなど知らなかったのだろうねえ。本当に悲しい。

悲しいと言えば、あの児童相談所ほど悲しい所はない。心愛ちゃんが自分で書いた文章ではないと気付きながら、なんらの手立てをしなかった。職務放棄だ。クルマを運転していて、ミスって事故を起こし、人を殺めた場合、それは当然殺人事件に該当する。この児童相談所もミスって心愛ちゃんを死にいたらしめた。これは自動車事故の殺人と同じ内容になる。『過失責任』がこの相談所には問われる。

それにしてもなあ、心愛ちゃん。亡くなるまでの1年間、食事も満足に与えられず、殴る蹴るの暴行をやりたい放題。もう地獄の様相を通りこし、何と言っていいのか分からない。同情しても、余るものがあまりに大きい。鬼、畜生にも劣る父親だ。死刑に1票だね。


★★<巨人に大きな“丸効果” 練習量『カープはもっとやっているよ』> 大補強により、昨年とは大きくメンバーが変わった巨人の春季キャンプ。野手では丸、投手では岩隈といった実績十分の“新入り”のもたらすプラスの波及効果が第1クールから表れている。

昨年の宮崎キャンプは、臨時コーチを務めた松井氏の指導もあり、岡本、吉川尚ら若手が成長する礎が築かれた。若手選手の成長は高橋監督やコーチ陣の指導力によって導き出されたものだったと思う。一転して今年は、選手同士の競争意識が芽生え、自発的に個々が黙々と練習に取り組んでいる。その中心で、チームの発電機のような役割を果たしているのは野手では間違いなく丸だろう。

2年連続セ・リーグMVP男。チームは変わっても自分を磨くための猛練習、遠慮は一切しない。サンマリンスタジアムでのフリー打撃後は木の花ドームで打撃練習をこなすのが日課だ。1スイングずつ、黙々とバットを振る姿を見て、陽岱鋼は『それゃ、結果を出している丸君があれだけやってるんだから、刺激は受けますよ』と言う。

広島でもリーダーシップを発揮していた男は、チームのためにもと思っていることは遠慮なく言っている。あるランニング中の練習の一コマだ。新外国人のビヤヌエバが『ジャイアンツはよく練習するな』と言ったとか。それに対し丸は『カープはもっとやっているよ』とばっさり。入団会見で打倒優勝チームと息巻いたメジャーシーズン20発助っ人も刺激を受けたようだ。

選手の動きをじっくりと観察している原監督も“丸効果”には大歓迎する。『彼のペースにジャイアンツの選手たちも巻き込まれている雰囲気はあるよね。全く違和感はなくね。選手が大波の中に入ってきたなという感じはします』と喜ぶ。

大きな投資額で丸を獲得した巨人。個としての戦力に加え『丸がやるなら俺もやる』という構図で、チーム力を押し上げる側面は大きなレバレッジ効果を生み出す可能性も十分。丸への投資が高かったか安かったかはシーズン終了後に分かる。

ジャイアンツには、余り強くなってほしくはないが、まあそれなりに頑張ってほしいねえ。

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