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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『スリランカ人の「静岡のローソンオーナー③」』

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今日の画像は、植村直己冒険賞を受賞した『岡村隆さん』、工場閉鎖が報道された『ホンダ英国工場』。そして、ポピュラーな春一番の花『水仙』です。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

岡村隆さんは233の冒険旅行を行って、スリランカなど南アジアの密林に眠る遺跡調査で功績を残しました。半世紀にも及ぶ発見活動、冒険であり、『植村直己賞』にふさわしい業績だと言えますねえ。素晴らしい。


★★★車の整備工になる夢はどうしたのだろうか。率直に尋ねてみると『とっくに諦めていました』と、スランジットさん。専門学校へ行くには莫大な費用が掛かる上、日本を深く知るうちに『ここで働きたい』という夢を描き始めたと言う。

『思えば中学生の頃、母の妹がスリランカでやっていた商店を手伝ったことがあったんです。その時、お金をやりとりする商売って面白いなと思った。その感覚が、日本でのバイトを通じて頭をもたげてきたんでしょうね。いつしかコンビニが大好きになっていました』。

もうアルバイト生じゃない。店長としてクルーをまとめる立場だ。明るい店づくりに徹するあまり『結構厳しい店長だった』と、自分自身を振り返る。人生の転機は続いた。37歳でスリランカの女性と結婚して日本へ呼び寄せ、共にローソンで働き出した。

余談だが、スリランカの結婚事情は日本とは大きく異なる。もちろん自由恋愛もあるが、多くは星占術で『運命の人』を探し出し、お見合いをして結ばれる。スランジットさんも、母が見つけ出した運命の人にスリランカまで会いに行き、現地で婚姻届を出したと言う。古風ながら、なんともロマンチックな話だ。

『オーナーとなって、独立したい』と考え出したのはこの頃だ。近い将来、家族が増えるだろうことを思えば、より充実した暮らしを目指したいと思うのは自然なこと。まずは担当のSVに打ち明けると、親身になって独立出来るよう動いてくれたと言う。結果、静岡県の掛川平野店と運営的な出会いとなる。


★★<数多くの遺跡発見 岡村隆氏に植村直己冒険賞>世界を舞台に創造的な冒険や探検を行った日本人に贈られる『植村直己冒険賞』のことしの受賞者に、スリランカの密林を探検し数多くの貴重な遺跡を発見した探検家の岡村隆さん(70)が選ばれた。

岡村隆さんは宮崎県小林市出身の探検家で、昭和44年、法政大学の探検部の一員としてスリランカに滞在中、密林に残る未知の遺跡の存在を知り、その魅力にとりつかれた。その後、岡村さんはNPO法人を立ち上げるなどしてこれまでに合わせて13回調査に訪れ、258か所の遺跡を調査した。

このうち去年の調査では、スリランカの南東部にあるタラグルヘラ山の山頂で仏塔の跡を発見。岩の表面に古代インド文字があることも見つけ、仏塔が紀元前3世紀から400年近くの間につくられたことを明らかにした。また、同じ南東部にあるマルワーリヤ遺跡では、岩に白い線で文様を描いた線画を発見。古代のこうした線画がスリランカでみつかったのは初めてだと。

このほか、岡村さんは密林に横たわるねはん仏など未知の遺跡を数多く発見し、スリランカの古代の歴史の解明と遺跡の保護に大きく貢献したことが評価されている。岡村さんの発見は、仏教が南アジアでどう伝わり、発展していったかを解き明かす学術研究にも生かされていると。

都内で受賞会見に臨んだ、岡村さんは『未知のものを未知の場所で発見する、誰も知らないことを最初に知るということに大きな喜びを感じる。私たちが発見するのは地味な遺跡だが、今後もこつこつと調査を続けて情報を積み上げていき、大きな発見につなげたい』 と話した。


(植村直己冒険賞)
五大陸の最高峰登頂を世界で初めて達成するなど数々の冒険を成し遂げた世界的冒険家、植村直己さんの功績と精神を継承するため、ふるさとの兵庫県豊岡市が毎年、世界を舞台に創造的な冒険や探検などを行った日本の個人や団体に贈っている。

冒険家ってすごいよねえ。未知へのチャンレジ精神は素晴らしい。私は冒険家『角幡唯介さん』が好きだ。旭川市にあるスーパーの仕事を継ぐのが嫌で、早稲田に入り『探検部』に。そして探検資金を貯めるため、朝日新聞記者を4年ばかし。チャレンジしたのが『チベットのツアンポー渓谷』の『空白の5マイル』。命を賭けて踏破したそのすごさに感嘆。その後、1845年、イギリスの北極海航路探検に出た、フランクリン探検隊129人の行方不明の消息、足跡を探検する北極圏踏破も。生きるか死ぬかのギリギリの活動は、手に汗を握る。最近では沖縄のマグロ漁船失踪の軌跡を追った『漂流』が面白かった。マグロ遠洋漁は昔沖縄の離島から出発しているとの検証は見事であった。

この『北極圏』の踏破では、海上の氷の上を歩く『雷鳥』を食糧の足しにしたとある。北極圏では雷鳥はふんだんに生活しており、日本の天然記念物とは違和感のある鳥だったとも描いている。所変われば、品変わるだねえ。


★★<リニアが変える国土構造>時速150キロに達したころに体がふっと浮く。車輪走行から磁力による浮上走行に切り替わった瞬間だ。持続500キロまでの加速もあっという間だった。大半がトンネル内だけに『瞬間移動』している感覚になる。車体の揺れや騒音もほとんど気にならない。JR東海が導入するリニア。山梨県にある総延長42.8kmの実験線である。

8年後の27年に、東京~名古屋がリニアで結ばれる。早ければ37年にも大阪まで延長される。東京~名古屋が40分、大阪までが67分に縮まる。投資額9兆円という巨大事業だ。航空機に比べて輸送人数が多く、定時性も確保されるから、東海道新幹線が開業した1964年以来の交通革命をもたらすだろう。

世界は巨大経済圏が競う時代に突入している。中国の珠江デルタ(広州、香港、深圳など)、米国東海岸のボスウィッシュ(ボストン、NY、ワシントン)、インドのデリー・ムンバイ産業回廊などが海外のライバルだ。リニアで一体化する日本の三大都市圏は海外の経済圏に引けをとらない。世界からヒト、モノ、カネ、情報を呼び込む『新たな成長のプラットフォーム』になる可能性がある。

リニアの開通は、片道4時間以内という『鉄道1日交通圏』が広がることにも繋がる。東京~大阪間の移動時間が縮まることで東京から4時間で行ける県庁所在地は現在の31から35に増え、大阪からは33が40に増える。リニアが開業すると現在の新幹線は『ひかり』『こだま』型が中心になると見られ、静岡のような現在は『のぞみ』が停車しない地域の利便性も高まる。

政府は国が目指す将来像として『対流促進型国土』を掲げている。東京一極集中を是正し、ヒト、モノ、情報が地域間で双方向に行き交い、それを通じて地域の活力を維持しようという構想だ。リニアの開業はこの構想を進める大きな柱になるだろう。

ただし、温度の違いが空気の流れを生み出すように、地域がそれぞれ個性を発揮してこそ、『対流』が起きる。そうでなければ、東京への諸機能の集中がむしろ加速する恐れもある。リニアがもらたす変化をどうやって三大都市圏以外に波及させるかが、今後の大きな課題になる。(参考:日経新聞『中外時評』)

リニアには是非乗ってみたいなあ。それにはまず必ず、生き延びねばならない。


★★<J1広島MF東俊希 豪快シュートに伸びしろ>【19年J1注目の男・広島】世界への道を切り開いた左足が、広島ユースから昇格してきたMF東俊希(18)の絶対的な武器だ。主戦場とするのは3―4―2―1の左アウトサイド。起用された練習試合などではセットプレーのキッカーも任されており『Jリーグでスタメン定着というのを今年の目標にしています』と抱負を口にする。

その存在が一気に注目されたのがU―19日本代表の一員として臨んだ昨秋のU―19アジア選手権インドネシア大会だった。準々決勝のインドネシア戦。前半40分にゴールまで約30メートルの位置から左足を振り抜くと、豪快なロングシュートがネットを揺らした。結果的にこれが決勝点となり、日本は今年5月から開催されるU―20W杯ポーランド大会の出場権を勝ち取った。

『自分はそんなに筋力が強くないので…』と謙遜するが、それは逆に伸びしろがあることを物語っている。『足を振るスピードでボールの速度は変わるし、筋力を上げたらもっと速くなる。相手からしても脅威だと思うしもっと武器にしていきたい』。U―20W杯、そして来年の東京五輪での活躍も期待される18歳。飛躍を遂げるため、ユースから育ってきた広島で1年目から定位置争いに挑む。

◇東 俊希(ひがし・しゅんき)2000年(平12)7月28日生まれ、愛媛県大洲市出身の18歳。喜多サッカースポーツ少年団、FCゼブラを経て広島ユースに加入。昨年11月25日の名古屋戦でJ1デビューし、オフにトップ昇格。好きな選手はRマドリードのブラジル代表DFマルセロ。1メートル80、69キロ。利き足は左。

楽しみだねえ。サンフレユースからの選手が黄金時代を築いた時代から久しく、寂しさがあったが、今季は野津田が帰ってきて、東に期待がと。やっぱサンフレはユースからの選手を大切にしてほしいねえ。


★★<長野と内海の移籍 巨人が犯したたった一つの過ち>新天地でシーズンを迎える選手が注目されるのはプロ野球の常だ。ただ今季は例年とは少し異なる。FAで新チームと大型契約を結んだ選手よりも、その人的補償で移籍した長野久義外野手と内海哲也投手が脚光を浴びている。スター選手を放出することになった巨人への批判はあるが、制度がベテランの「飼い殺し」を防ぎ、新鮮な話題を提供したことは評価できる。1993年のFA導入直後はないも同然だった人的補償制度が、ようやく機能するようになった証拠だろう。制度導入の経緯や変遷をひも解き、巨人が下した判断を振り返る。

◇原案の補償はドラフト指名権だった
FA移籍にともなう人的補償は、当初案では現有戦力からの放出でなく、ドラフト指名権だった。1993年3月、プロ野球の『FA問題等研究専門委員会』は、人的補償の方法を含む答申原案をまとめた。ドラフト1巡目の後に『特別ドラフト』を挿入し、選手を失った球団に指名させるというものだった。だが当時を知る関係者によると、ドラフト指名権での補償案は、影響があまりに大きいとして反発を招き、水面下で代替案の模索が続いたという。

戦力の一極集中を避けるための制限と、有効なFA制度のせめぎ合いの結果生まれたのが、現有戦力から獲得可能選手の名簿を差し出すことだった。同年9月に導入が決まった制度は『球団が任意に定めた四十名を除いた選手名簿』と、いわゆるプロテクト枠を40人に定めた。支配下登録選手70人のうち40人をプロテクトすると、めぼしい戦力はまず残らない。落合博満(中日→巨人)、駒田徳広(巨人→横浜)ら4人が移籍した1年目は、全球団が金銭補償を選択した。プロテクト枠は1996年から35人に。2003年に30人、2004年には現行の28人となり、ようやく人的補償が機能し始めた。


◇大リーグ、主力1人を手放した球団は、ドラフト1巡目で3人を指名できた
FA制度は米大リーグを参考につくられた。当時の大リーグは、FA選手の旧所属チームに手厚い補償をしていた。Aランクと格付けされたFA選手を失った球団は、獲得球団から最も上位の指名権を譲渡され、さらにドラフト1巡目の最後尾にもう1人指名権を得られたのだ。主力1人をFAで手放した球団は、1巡目で3人を指名できたことになる。
指名権が補償として使われたのは、日本ほどドラフトが重視されていなかったからだろう。高校、大学のチーム数が膨大な米国では、アマチュア選手の見極めが難しいとされ、かつてはマイナーでの選別を重視する考えが主流だった。だが2000年前後からアスレチックスなどが統計を駆使してアマ野球の成績を分析し、ドラフト上位で『当たり』を引く確率が高まった。例えば2005年のレッドソックスは、FAの補償として1巡目で5人を指名し、エルズベリーやバックホルツら全員が大リーグで活躍した。

◇エンゼルスの主砲・トラウトも補償1巡目指名だった
大リーグのFA制度は2012年、2016年と改正を重ね、現在ではFAがらみでドラフト1巡目を失うことはなくなった。それでも近年、各球団はFA選手獲得に消極的だ。スポーツ・イラストレーテッド誌のジョン・テイラー記者は『FA補償はドラフトに結び付けられるべきでない。FA市場を低迷させるだけ』と主張する。ドラフト指名権の譲渡がチームの運命を変えた例がある。大谷翔平が所属するエンゼルスの主砲でMVP2度のトラウトは、2009年にヤンキースから譲り受けた1巡目(FA選手はテシェイラ)の指名だった。2017年に新人記録の52本塁打を放ったヤンキースのジャッジは、2013年にインディアンスから譲渡された1巡目(FA選手はスウィシャー)で指名された。これだけでも各球団がFA選手獲得に慎重になるのが理解できる。


◇カープ、『金欠球団』のイメージは過去の話
さて巨人の話だ。プロテクト枠から長野、内海を外した以上、相手球団に取られる可能性は当然考えていただろう。ただし、少なくとも長野に関しては、積極的に放出する意図はなかったのではないか。巨人は広島に獲得可能選手の名簿を送付した後の昨年12月21日、長野と3千万円増の年俸2億2千万円で来季契約を交わしている。獲得しにくいよう、年俸アップで念を入れたとも取れる。

多くの野球ファンに驚きがあったとしたら、それは広島が資金を持っており、使う用意もあったということだ。広島は資金不足に悩まされた時代から、それを決して隠そうとはせず、むしろ市民の募金など周囲のサポートによって乗り越えてきた。プロ野球が入場者数を実数で発表し始めたのは2005年だ。2004年までの数字は概算というか、端的に言えばウソだった。だから実数発表を始めた2005年、例年370万人以上の発表だった巨人が292万人にダウンするなど、11球団の入場者数が前年から減少した。唯一アップしたのが広島だった。他球団が見栄を張り合っていた中で、広島は実情をさらしていたのだ。それがプラスになると感じていたのだろう。狙い通り(?)金欠球団のイメージは世間に浸透している。

だが現状は違う。広島の入場者数は実数発表開始時の倍以上になり、昨季まで4年連続で200万人を超えている。2009年に開場したマツダスタジアムは、野球専用のいわゆる『ボールパーク』だ。松田元オーナーは米国での調査を重ね、開放的なマイナーの3Aの球場を参考にしたと共同通信に述べている。都市の規模に合い、かつ最新の設備を持つ球場は、入場者増の大きな要因となっている。


◇長野の年俸2億2千万円という額は決して高くない
2007年のCSの開始も大きい。日本野球機構が収益を分配する日本シリーズと違い、CSは開催球団に興行の権利がある。昨季まで3年続けてファイナルステージを主催した広島は、それだけで相当な収益を手にしたはずだ。放送権料事情の変化もある。ホーム戦を網羅する地元の複数のテレビ局に加え、現在はインターネット配信やCS放送がある。広島は2016年にネット配信のDAZNと契約した。プロ野球界ではDeNAと並んでもっとも早かった。Jリーグと10年間2100億円の巨額契約を結んだDAZNとは、現在巨人を除く11球団が契約している。またCS放送は開始当初、タダ当然と軽く見られていたが、ケーブルテレビの普及で価値は上がっているはずだ。時代の変化に合わせて地歩を固めてきた広島にとって、長野の年俸2億2千万円という額は決して高くない。

◇巨人が過ちを犯したとしたら
長野、内海とも昨季のプレーで依然として戦力になることは示した。一方で長野は初めて規定打席に届かず、内海は開幕を2軍で迎えた。今季はさらに出番が減ることが予想された。両選手は巨人を離れることで、出場機会を増やすチャンスを得た。これは喜ばしいことであり、球界とファンにとって、巨人が下した判断は悪いことではない。

巨人が過ちを犯したとしたら、2人をプロテクト枠から外したことでなく、球団幹部が移籍をネガティブに語ったことではないか。内海の西武移籍に際して巨人の石井一夫球団社長は『移籍は大変残念でなりません』とコメントし、長野の広島行きが決まった時は『断腸の思い』という言葉を使った。大塚淳弘副代表は長野について『まさかベテランを取るとは。ショック』と話し、『申し訳ないと謝った』と明かした。


これらの談話を目にしたファンが『だったら、プロテクトしておけよ』と怒るのは当然だ。プロテクトしなかった以上、移籍の可能性はある。2人の移籍は、西武や広島の選択であると同時に、巨人の決断でもある。選手を思っての言葉だろうが、自ら下した決断を悔いるかのような談話は後味の悪さを残す。送り出す側は、功績をたたえ、健闘を祈るしかないのだ。

松井秀喜氏がヤンキース時代の2009年に語ったことがある。4年契約の最終年で再契約が難しいと報道されていた6月、ヤンキースタジアムへ向かう車の中だった。『残れても残れなくてもいい。選手はそうやって野球を続けていくんだ』と感情の揺らぎを見せず話した。チームへの思いとプロとして直面する現実との違いは、選手が一番分かっている。

さあ、内海に長野、移籍はどう出るかだな。今のところ順調に仕上がっている様子。丸はがんがんだが、長野はチョコンチョコンとステディに打てる打者になりつつある。4月の出足が良ければ、丸との引き換えはカープに利があるかも知れないな。


★★<ホンダ、2022年に英工場閉鎖>ホンダが2022年に英南部スウィンドンの自動車工場の閉鎖を計画している。スウィンドン選挙区のジャスティン・トムリンソン議員が18日、ロイターに明らかにした。工場閉鎖により、3,500人の雇用が失われる可能性がある。

同議員は、ホンダ関係者などと会談した際に、同社が閉鎖計画を認めたとし、『ホンダは明朝に発表する予定だった。計画は英国のEU離脱と関連していない。グローバル市場を反映したもので、ホンダは日本における生産統合を模索している」と述べた。

ホンダは『憶測』にはコメントしないとした上で、『われわれは従業員に対する極めて重大な責任を負っており、重要なニュースに関しては常に最初に従業員に伝える』との見方を示した。英国最大の労働組合ユナイトの幹部は『過去20年間における英国の自動車産業は製造業において輝かしい功績を残してきた。そして今は、混沌としたEU離脱の不確実性により低迷している』と述べた。

ホンダは昨年、英国唯一のスウィンドン工場で『シビック』など16万台余りを製造。英国における総生産台数の10%超を占めている。メイ英首相の報道官は同日、『首相の立場から見れば、ホンダが従業員に対して話をするまで待つのが当然だ』と述べた。

まあ、混乱する英国のEU離脱だねえ。結局のところ、離脱してどれだけ混乱、困窮するかが見ものだ。が、英国人が移民を阻止したい気持ちも分かるが。

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