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『チキンラーメン生みの親「安藤百福伝② 算盤得意で『商売に興味』を持つ」』

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今日の画像は、厳冬の『八ヶ岳』と、海外音楽アーティスト『興行収入ランキング』。1位 エド・シーラン、2位 テイラー・スウィフト、3位 ビヨンセ ジェイ・Z、4位 ピンク、5位 ブルーノ・マーズ、です。知らない名前ばっかだなあ。ちなみにエド・シーランの年間興業収入(除くCDなど)は4億3千万ドル=500億円弱だ。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★現在放映中のNHKの朝ドラ『まんぷく』。チキンラーメンの生みの親『安藤百福さんの妻仁子さん』を主人公にした、ドラマ。フィクションの部分もだいぶあります。百福さんが台湾生まれで、メリヤスの商売で独り立ちされたこと、また戦後土地を買い大きく儲けたことなどが省かれています。ここに百福さんの『私の履歴書』を参考に、『チキンラーメン、即席ラーメン』の歴史を綴る。


★★★私が生まれた1910年(明43)は何かと騒がしい年だった。ハレー彗星が地球に接近すると言うので、パニックが起きていた。日本は韓国を『併合』して軍事大国の道を歩もうとしていた。幸徳秋水が大逆事件で逮捕された。歴史は激しく揺れ動き始めていた。私が幼少期を過ごしたのは、台湾の台南県朴子街という町である。日本が台湾を領有してから15年経っていた。内地での騒々しい雰囲気も、さすがにこの静かな小都市までは伝わって来なかった。

私は幼い頃に、両親を亡くした。父は相当な資産家だったらしい。兄が2人、妹1人の4人兄妹が残された。私達は祖父母のもとで育てられた。祖父の仕事は繊維や織物を扱う呉服屋さんだった。しつけは厳しく、物心つくころには、掃除から炊事、洗濯、雑用まで何でも言いつけられた。それが商家の教育法だった。

家は大家族で、食事時になると、ひとつの丸テーブルに並びきれないくらい大勢の人が集まった。店の方も、活気に溢れていた。商人達が出入りし、織物の荷受けや出荷をする人達の、威勢の良い声がした。子供心に、商売は面白いなと思った。

暇があると店へ出て、半日でも大人達のやり取りを眺めていた。大きな五つ玉のソロバンを触るのが好きで、早くから足し算、引き算、かけ算が出来た。数字に異常な興味を持っていた。後に私が繊維関係の会社を興して事業家の道に進んだのは、少年時代のこんな経験があったからである。

私は独立心の強い子供で、小学校に行くようになると、まだ暗いうちに起きて、自分の朝食と弁当を作り、それから登校した。両親がいなくてもまっとうに育つことが出来たのは、祖父母の厳しい躾の賜と感謝している。

学校時代の友人に、東石郡守の息子がいた。森永さんと言う名前だった。私の家が学校から遠いのを気遣って、自分の家から通学してはどうかと誘ってくれた。それで、書生のような格好で住み込んだ。もっとも、書生と言っても熱心に勉強した記憶はない。


学校を卒業すると、早速祖父の仕事を手伝った。私は義務教育を受けただけで何の学問もないが、商売の取引を通じて実に多くのことを学んだ。取引とは、取ったり引いたりするもので、取りすぎて相手を殺してしまっては元も子もない。そんな商売の機微を、若い時から身につけていたように思う。

しばらくすると、お世話になった森永郡守から、街に初めて出来た図書館の司書にならないかと言われた。学識のない私を推薦してくださったことに感謝して引き受けた。本の貸し出し、受け取り、棚の整理をする合間に、いろいろな書物を拾い読みした。世界文学全集や、シェークスピアの戯曲や、美濃部達吉の天皇機関説に関する本などを読んだことを覚えている。いずれにしても系統的な読書ではなく雑学である。

だが騒々しい商家で育った私には、本に囲まれた生活が性に合わない。何か事業を起こしたい。そんな野心を抑えることが出来なかった。結局、司書の仕事は2年しか続かなかった。

繊維業界の動きを調べるうちに、私はメリヤスに注目した。メリヤスとはもともと、ポルトガル語で靴下という意味で、綿糸や毛糸を編んで伸縮性のある繊維に仕立てたものである。古くからある素材だったが、当時は新式の編み機が続々と登場し、化学繊維の普及と重なって大発展する予兆があった。編み物のメリヤスを扱う事業なら、祖父の家業である織物の仕事の邪魔にならないだろうと思ったのである。

独立を決意したのは、22歳の時だった。台北市永楽町に資本金19万円の『東洋莫大小メリヤス』という会社を設立し、日本内地から製品を仕入れて販売する仕事を始めた。創業資金は、祖父が管理していてくえていた父の遺産を役立てた。メリヤス販売は最初から大当たりした。(参考: 2001年9月・日経新聞『私の履歴書』。07年没、享年96歳)


★★いよいよ『平成』も終わる。『昭和』はどんどん遠くなる。その昭和の歌謡界で、是非ともアップしておきたい人、『西条八十さん』。西条さんは、早稲田大の仏文の教授でありながら、童謡や校歌、歌謡曲の作詞も行って、同僚らから『堕落だ』と厳しく攻められた。なら、と大衆のためだとし、教授職を投げ打つ。そして作詞と仏文の研究を貫きとおし、幾多の名曲を生み出した。(εざ篋太瓠↓Г菓子と娘、東京行進曲、鞠と殿様、愛して頂戴)


◇『西條八十◆〔邯情と肩たたき』
『かなりあ』の好評が八十の創作意欲をかきたてた。詩も童謡も泉が湧くように浮かんで来る。原稿収入が増えたので、建文館の家と上野の仕事部屋を引き払い、小石川区駕籠屋町の借家に引っ越した。書斎のある新居で精力的に執筆し、ついに第一詩集『砂金』を尚文堂から自費出版した。

大正9年1月、八十が訳詞集『白孔雀』を発刊した頃、株式市場は欧州戦争の影響による好景気で、株価が高騰していたが、それが、3月になって戦争が終結した途端大暴落が起こった。3月15日と16日、たった2日間の間に無一文になってしまう人が大勢出た。殺伐とした事件が相次ぎ時世だからこそ、庶民は心を癒す美しい動揺を求めたのかも知れない。

『あなた、雨情さんの童謡が載ってますわ』。晴子が『金の船』の最新号を八十に見せた。『十五夜お月さん御気嫌さん、婆やはお暇オイトマとりました・・・、うん、いい歌詞だね』『ええ、私も雨情さんの童謡は好き』。雨情はその後も『しゃぼん玉』『雨降りお月』『七つの子』『赤い靴』『青い眼の人形』『あの町この町』などを児童文学雑誌に次々と発表した。生涯に作った童謡の数は五百数十編と言われる。八十は、雨情が童謡を書きたがっていたのを、早稲田の後輩斉藤佐次郎の経営する出版社の児童雑誌の刊行に手を貸し、かつ雨情を引き合わせ、のち森繁久彌の唄で大ヒットした『枯れすすき』を載せた。雨情の童謡作家としての道を付けたことは、八十の誇りであった。『赤とんぼ』の露風、『この道』の白秋。『かなりあ』の八十に、遅ればせながら雨情が加わり、日本の童謡は黄金期を迎える。

◇おれは河原の枯れすすき 同じおまえも枯れすすき
 どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れすすき


この年、八十の創作意欲はますます活気を帯びてきた。『白孔雀』に続いて、6月には叙情小曲集『静かなる眉』を尚文堂から刊行。『静かなる眉』は『砂金』を上回る売れ行きで、たちまち三十数版を重ね、八十は当代人気作家の仲間入りをした。特に若い女性読者の人気は絶大なもので、熱烈なラブレターを送って来たり、花束を抱えて家を訪れる読者までいる。

翌年1月に、赤い鳥社から出した童謡集『鸚鵡オウム』には『赤い鳥』に発表した全ての作品が収集されている。4月には母校、早稲田大学英文科と早稲田第一、第二学院の講師に就任した。『英語之日本』に訳詞や論文を発表したのが、母校の日高只一教授の目に留まったのだ。また八十に第二学院のフランス語講師も兼任させた。

三男だったが八十は実家の跡取りとなっていた。しかし長兄英治が全てを食い尽くし、西條家は没落・破産した。その英治がしょく罪のためか自分が住んでいる家を八十一家に提供した。西條一家は淀橋柏木町に母徳子ら一家全員で引っ越した。母から、八十の行動に対して戒めを聞いて、肩たたきをしているとき嫩子がやってきた。5歳になるおしゃまな嫩子が言った。『パパちゃん、おばあちゃまはね、目が見えなくても匂いで花の名前が判るのよ』。『私にもたたかせて』。嫩子が徳子の肩につかまった。『タントン、タントン、タントントン』。嫩子は自分でリズムを取りながら、肩たたきをしていた。この光景に触発され、八十は『肩たたき』を作る。

◇母さん お肩をたたきましょ タントン タントン タントントン
 母さん 白髪がありますね タントン タントン タントントン
 お縁側には日がいっぱい タントン タントン タントントン
 真っ赤なケシが笑ってる タントン タントン タントントン
 母さんそんなにいい気持 タントン タントン タントントン
  (参考: 吉川潮著『流行歌・西條八十物語』)


★★<孤独死、身元不明、高額財産…相続財産管理人の現場>身寄りのない人が亡くなり、財産は残ったが、法定相続人(配偶者や子、両親や兄弟)はおらず、遺言もない――。家庭裁判所から“宙に浮いた財産”の管理や清算を委ねられる『相続財産管理人』の選任件数が増えている。最高裁の統計によると、2017年の選任数は初めて2万人を突破した。担うのは大半が弁護士や司法書士だ。誰にもみとられずに亡くなった人、身元すら分からない人の遺産を整理する相続財産管理人の仕事から、超高齢化と孤立化する日本社会の今が見えてきた。

◇身寄りのない人の最期
東京都内の一軒家に入ると、空になった弁当箱、ビニール袋、衣類、新聞が山積みだった。相続財産管理人となった山本英司弁護士(東京)は数年前、亡くなった高齢男性の自宅の玄関で立ちすくんだ。近所からは苦情も出ていたという男性宅。ごみをかき分けて屋内に入り、男性の生前を思った。『誰かを頼れなかったのか』。

男性は1人暮らし。結婚歴はあったが、離婚したようだった。残されたのは一軒家と約1億円もの預貯金。相続財産管理人は相続する親族がいるかどうかを官報で告知して捜すが、男性の相続人は結局現れなかった。ごみを片付けて自宅を売却し、管理人としての任務を終えた。山本弁護士は「『本人はいざという時のために財産を蓄えていたのだろうが、生前に何らかの形で役立てられなかったのだろうかと考えてしまう』と振り返る。

相続財産管理人の仕事はあくまで財産の管理や処分だ。しかし、故人に身寄りがないことから、監督する家裁と相談しながら、墓じまいにまで関わることも少なくない。都内で亡くなった95歳の独居女性の自宅には、先に亡くなった姉と妹の骨つぼが置かれてあった。このケースを担当した相続財産管理人(弁護士)は、自宅の様子から3姉妹が長年にわたって一緒に仲良く暮らしていたとの印象を受けたという。亡父の墓が北関東にあることが分かり、三つの骨つぼを亡父の墓がある寺に納めた。弁護士は『結果として、身寄りのない3姉妹の納骨に関わることになった。印象深い事案だった』と語る。お骨の管理費は、女性の遺産から支払われた。


◇『行旅死亡人』が残した財産
2009年7月。身元不明で遺体の引き取り手がない一人の『行旅死亡人』が官報に掲載された。『本籍・氏名不詳(自称 徳田恵三=仮名=)、年齢60歳代位の男性』との情報に加え、身長や体重、腹部に手術痕があることなども記された。『徳田さん』が亡くなったのは茨城県内の知人宅。『徳田さん』の本名や生まれ故郷などの素性は結局分からず、自治体が遺体を火葬。約2000万円の現金が残された。知人は特別縁故者としての財産分与を求めず、ほぼ全額が国庫に納められた。相続財産管理人を務めた井出晃哉弁護士(茨木)は振り返る。『通帳やキャッシュカード、免許証はない代わりに、たくさんの印鑑が残されていた。「徳田さん」はどこの誰だったのか。今も不思議に感じている』。『徳田さん』は知人宅近くの共同墓地に葬られている。

◇引き継がれる遺産
戦前の1930年代、現在のJR中央線三鷹駅近くに当時としてはモダンな民家が建てられた。家の主は建築家の山越邦彦氏(1900~80年)。環境工学や建築設備に造詣が深く、戦後には環境問題についても積極的な発言をした人物として知られる。その娘が2004年に亡くなり、法定相続人がいなかった。主な遺産は不動産だった。ただ、居宅は山越氏が自前の床暖房装置を取り付けるなど改造が著しいうえ、火災に遭ったこともあるため、やむを得ず解体されることになった。ここで、山越氏に強い関心を寄せていた梅宮弘光・神戸大大学院教授は山越氏にまつわる資料の散逸を避けたいと考えた。周囲の了解を得たうえで、遺品や自筆原稿などを引き取り、居宅の解体の際も記録保存した。こうした研究活動の費用として、山越氏の娘の遺産の一部を充てることを家裁が許可した。

相続財産管理人を務めた古川健太郎弁護士(東京)は『山越氏の業績が評価されるなら有意義だと思って裁判所に持ちかけた』と話す。梅宮教授は『古川弁護士や周囲の協力で貴重な遺品が残った。研究成果は、今後、関心を持ってくれた人や若い研究者に生かしてもらい、新たな知見が生まれることを願っている』と語る。

貴重な財産が残される例は、不動産だけではない。都内の画廊主の子息が亡くなった後に残されたのは、ピカソ、シャガールなど著名画家の作品の数々だった。このケースで相続財産管理人となった名古屋聡介弁護士(東京)は美術館と交渉し、高額で買い取ってもらったという。『もし絵画が海外に渡ったら、もったいないという思いもあった。相続財産管理人はある意味、裁判所のエージェント。公のために貢献できたらという意識も持って取り組んでいる』。熱っぽく語った。


◇相続人が見つかった
受け取るべき人に財産が渡った珍しいケースもある。関東地方の83歳の女性が財産を残して亡くなり、野呂芳子弁護士(神奈川)が相続財産管理人に選任された。戸籍上、女性には法定相続人がいなかったが、しばらくして女性の死を知った8歳年下の妹が名乗り出た。妹は生まれてすぐ、別の家に預けられていたのだという。本当に姉妹かどうか確認する必要がある。家に残っていた女性の毛髪を採取し、DNA型鑑定をしたところ、高い確率で姉妹関係にあることが分かった。妹が所持していた女性と一緒の古い写真などもあり、遺産は妹に引き取られた。妹は『実家の墓を守るための費用にしたい』と語ったという。

◇最後の『ご縁』と思って
生前を知らない故人と関わりを持つことになる相続財産管理人。同じく家裁が選任し認知症になった高齢者などを支援する『成年後見人』と比べ、世間の認知度は高いとは言えない。相続財産管理人を多く経験している工藤英知弁護士(東京)は『故人の資産や負債を調査するために親族などに連絡したり、相続人と思われる方に相続財産があることを連絡したりしても、お金や財産に絡む話だと「振り込め詐欺じゃないか」と怪しまれて、無視されることもある』と実情を語る。林信行弁護士(東京)は『弁護士ですら、相続財産管理人の実務を十分に知らない人は少なくない。法律上の条文が少なく、手続きが裁量で進められる部分も大きいだけに、弁護士会や弁護士同士で情報や問題点を共有するなどし、受任する側のスキルアップをさらに図っていく必要があるだろう』と提唱する。


多くの選任経験がある億智栄弁護士(大阪)は『家族のアルバムなどが残されていると、切ない気持ちにもなる。生前の付き合いはないけれど、故人の人生を想像しながら、最後のご縁という気持ちでやっている』。司法書士の井上広子さん(熊本県)は心の中で故人に語りかけながら業務を進める『「手続きはここまで終わりましたよ」とか「これで全て完了しましたよ」とか。相続財産管理人の仕事は、故人や故人の関係者の役に立てる実感があり、やりがいがあります』。相続財産管理人の業務は報告書を家裁に提出し、終わる。長い場合には数年かかる、故人との『ご縁』。遺骨を北海道にまで運んだ経験のある小代弁護士(東京)は、生前関わりがあった人たちの話をまとめ、故人の人生も報告書に盛り込むようにしている。どんな家族がいて、何の仕事をしていたのか、亡くなった経緯などだ。『長々とは書けないが、生きた証しを残したいんです』と語る。

相続財産管理人は、2017年の選任数は2万1130人で、08年の1.7倍となった。国庫への入金額は17年度で約520億円となり、12年度の1.4倍に膨らんでいる。

時代だなあ。しかし、身寄りも、付き合いもかく孤独死とは、あるいみ索漠とした世の中だ。


★★<日本復権、世界を一変させる画期的半導体 VB『フロスフィア』開発>現在、電力制御を行うパワー半導体の世界では、シリコンより半導体物質としてのパフォーマンスが高い炭化ケイ素(SiC)や窒化ガリウム(GaN)を活用する開発が進み、成果を出している。例えば、鉄道車両ではシリコンのパワー半導体用いたインバーターを、炭化ケイ素を用いたインバーターに交換することで、最大40%という画期的な省エネ効果を生む。

半導体関連の展示会に行けば、炭化ケイ素の半導体のための技術や炭化ケイ素のパワー半導体による実用例が並ぶ。業界では、最新の技術である炭化ケイ素や窒化ガリウムの半導体の開発に必死になっている様子がうかがえるし、山手線の新型電車で採用されるなど、身近なところでも増えつつある。将来的には、EVや家電などにこうした新型半導体が普及し、異次元の省エネや家電などの小型化を進めていくことが予想される。非常に夢がある。

しかしここにきて、炭化ケイ素や窒化ガリウムによって実現される新型半導体の開発成果を無にしかねない恐るべき技術を開発した企業が現れた。京大初のベンチャー企業、『フロスフィア』だ。これまで炭化ケイ素や窒化ガリウムの素子を作る開発をしてきた人たちが、本気で困ってしまうのではないかと心配になるほどだ。フロスフィアは、廉価に酸化ガリウムの結晶を作る方法を開発した。この技術が、なぜ炭化ケイ素や窒化ガリウムの最新の成果を無にし得るほど、すごいのだろうか。


◇酸化ガリウムは圧倒的高性能
まず、酸化ガリウムは半導体としての性質が極めて良い。炭化ケイ素や窒化ガリウムは、シリコンよりも半導体として優れているがゆえに画期的な省エネを実現している。しかし、酸化ガリウムの物性は、炭化ケイ素や窒化ガリウムを圧倒する。シリコンに対する半導体物質の性能を現す数値として、バリガ性能指数がよく用いられている。この数値、シリコンが1、シリコンをしのぐ省エネを実現する炭化ケイ素が340、窒化ガリウムが870である。それに対し、酸化ガリウムのバリガ性能指数は何と『3444』である。

シリコンの約3400倍、素晴らしい省エネ効果を実現している炭化ケイ素と比べても約100倍である。酸化ガリウムの性能は文句なしに圧倒的なのだ。同じ性能の素子であれば、損失が少なく圧倒的省エネを実現でき、サイズも文字通り桁違いに小さく作ることができる。例えば、フロスフィアは既に炭化ケイ素に比べ電気抵抗が86%減となるダイオードの開発に成功しているし、同社のウエブサイトにあるサイズ比較では100分の1近い面積になっている。

◇欠点克服で酸化ガリウム半導体に目処
しかし、これまで酸化ガリウムにも欠点があった。酸化ガリウムではP型半導体が作れなかったのだ。半導体には、電子をわざと足りなくしたP型半導体と、電子をわざと余らせたN型半導体が存在する。パワー半導体を用いたインバーターなどのパワーエレクトロニクス機器は、トランジスタとダイオードによって成り立つ。ダイオードはN型半導体のみでも製造できるショットキーバリアダイオードがある一方、トランジスタにはどうしてもP型とN型の双方が必要である。

このため、酸化ガリウムではショットキーバリアダイオードしか作れないとされてきた。もちろんそれだけでも省エネ効果は発揮できるが、これでは実力のすべてを出し切れない。ところが、フロスフィアは酸化イリジウムを使ってP型層を作ることにも成功したのである。酸化ガリウムのトランジスタを作れるようになったのだ。これで、酸化ガリウムを使ったパワーエレクトロニクス機器実現に向け、技術的な準備は整った。


◇本当にすごいのは低コスト
炭化ケイ素でも窒化ガリウムでも技術的課題はあるにしても、もっと問題なのはコストである。両者とも、鉄道車両、高級サーバーの電源、人工衛星などコストが高くても採用可能な用途ではすでに大活躍している。しかし、コストの厳しいハイブリッド車や低価格化が進む家電やデジタル機器では、炭化ケイ素や窒化ガリウムがいかに高パフォーマンスでも受け入れにくい。コストは、新技術の前にいつも立ちはだかる壁、いや、新技術でなくてもものづくりに関わる人々全員が、日々、頭を悩ませ、胃を痛くするものづくり最大最強の敵である。フロスフィアのすごいところは、新技術の多くが敗退する難敵、高コストをすでに克服してしまっていることである。

炭化ケイ素と窒化ガリウムのコストが高い理由は、密度の小さい気体から結晶を作っていることにある。密度の小さいものからできてくるものは、当然、少ないので、時間がかかる。シリコンが比較的安いのはシリコンを溶かした液体からそのまま結晶を作ることができるからだ。しかし、シリコンの結晶でも、炭化ケイ素や窒化ガリウムに比べれば安いものの、普通の工業材料に比べれば高価である。

その理由は、シリコンは融点が高いため溶かすのに摂氏1500度もの高温が必要であることや、純度管理が非常に厳しいため、厳密に管理された清潔な環境が必要であることである。液体からでき、温度が高くなく、超清潔な環境も不要であれば、安くできる。フロスフィアのミストドライ法はまさにそうした製法である。ミストドライ法は秘密の溶媒に酸化ガリウムを溶かし、酸化ガリウムと結晶構造が似たサファイア基板に霧状にして吹きつけて結晶を作る。サファイア基板に降着する寸前に溶媒を乾燥させることで、基板の上に酸化ガリウムの結晶が成長する。

この溶液、常温で液体なもので、蒸発する温度も1500度どころか数百度にもならないものだという。さらに、結晶を作る環境は普通の空気中である。いかにもコストが高そうな部分は何もないのである。結果として、面積を小さくできることも考慮すれば、シリコンと同等の価格で同じパフォーマンスの半導体を作れる見通しだそうだ。


◇すでに業界で高い評価
高価な炭化ケイ素や窒化ガリウムを上回るパフォーマンスの半導体を、酸化ガリウムでは安価なシリコンと同じコストで作れそうだ。現在、炭化ケイ素や窒化ガリウムの半導体が開発競争の最中にあるが、こうした技術の登場で一気に陳腐化する可能性が出てきた。技術の競争は恐ろしい。もちろん、酸化ガリウムの半導体は開発が始まってそう時間が経っているわけではなく、実際に製品化するための開発作業は今後も必要であろう。

炭化ケイ素や窒化ガリウムをすぐに世界から駆逐することはないので、炭化ケイ素や窒化ガリウムの関係者もしばらくは安心できる。しかし、これまで言われていたように大電流のパワー半導体を炭化ケイ素、家電程度のパワー半導体は窒化ガリウムという住み分けで、将来のパワー半導体の世界が安定することはなさそうだ。いずれかの時点で酸化ガリウムの半導体が普及することになるのではないか。フロスフィアは小さい企業だが、すでにその将来性は高く評価されている。

圧倒的パフォーマンスの酸化ガリウム半導体を安く作れるフロスフィアの技術は、業界や技術の動向に通じていれば、容易にその価値を直感できるものだ。この可能性は放置されるはずもなく、三菱重工やデンソーなどの大手企業も出資者に名を連ねる。デンソーとは車に搭載することを目指す共同開発も始めている。こうした出資者の顔ぶれから酸化ガリウム半導体の将来性がうかがえるが、将来的にはハイブリッド車や鉄道車両の駆動に使われるだろうし、家庭内の家電やデジタル機器も動かしていくだろう。

電気のある場所に酸化ガリウム半導体ありという時代がそう遠くない将来実現しそうだ。日本発のベンチャー企業が、その最先端を走っているということは、興奮させられることではないか。

中韓に技術をキャッチアップされ、抜かれてしまった感のある『日本の半導体ビジネス』。ここに復活ありかな。本庶さんの『がん免疫薬』といい、このところ京大の活躍が目につくなあ。東大も頑張っておくれ。


★★<JR乗客減で、連結バスを走らせる>宇部市とJR西日本は、JR宇部線と小野田線の鉄道路線を廃止して、代わりに跡地に連結バスを走らせる『バス高速輸送システムBRT』の導入を検討する。この路線は乗客減少が続いており、BRT導入で定時性や利便性を確保しながら、自動運転化でコストを削減。2035年までの実現を探る。運行中の鉄道を廃止してBRT化するのは全国初となる。

計画では路線を引き剥がしバス専用道に改修。渋滞に巻き込まれず、駅ホームを撤去することで単線のこの路線でも行き違いが可能となり、現在より増便出来る。大規模工事がいらないため、導入費用も安くすむ。

BRTは全国的には東日本大震災で被災し不通となったJR気仙沼線や大船渡線の一部でJR東日本が鉄道の代替え手段として導入している。また廃線となった日立電鉄や鹿島鉄道などの跡地でも導入されており、現在全国18カ所で導入されている。

宇部地区は地域が広範で、広島市のように人口が密集しておらず、自動車移動が生活の基本となっている地域。だから、自然JRの利用度が低くなるという次第。山陽本線はそれなりに乗車率は高いが、単線のこの路線はやっぱり寂しい路線になっているんだろうなあ。広島でも芸備線などがこれに該当するが、乗車率は相当高いからまだまだその気配はなさそうだ。

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