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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『チキンラーメン生みの親「安藤百福伝④」 「資材の横流しで、無実の拷問を受ける」』

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今日の画像は、『アマゾン第2本社建設』に反対するデモ行進と、海外音楽アーティスト『興行収入ランキング』です。11位 ケニー・チェズニー、12位 ジャーニーデフ・レパード、13位 スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ、14位 フー・ファイターズ、15位 サム・スミス。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

しかしNYの人達はすごいねえ。市とアマゾンが取り決めたことを撤回させるのだから。日本人はおとなしい、まるで羊だ。

★★NHKの朝ドラ『まんぷく』。チキンラーメンの生みの親『安藤百福さんの妻仁子さん』を主人公にしたドラマ。フィクションの部分もだいぶある。百福さんが台湾生まれで、織物の商売で独り立ちされたこと、また戦後土地を買い大きく儲け、その結果信用組合の理事長に祭り上げられたことなどが省かれている。ここに百福さんの『私の履歴書』を参考に、『チキンラーメン、即席ラーメン』の歴史を綴る。


★★★時代は不穏な空気に包まれ始めていた。1938年(昭13)に国家総動員法、41年には物資統制令が公布された。もう自由に繊維の仕事に打ち込める状況ではなくなった。

41年12月8日、米国宣戦の詔書が発布された。その日のことは鮮明に覚えている。私は台湾に出張中で、嘉義市の日本旅館『柳屋』の畳の上にあおむけになり、次々に流れるラジオニュースに耳を傾けていた。

『大本営発表』を聞いた。大変なことになった。不安な気持ちで日本に戻った。戦争に突入して繊維の仕事ややりにくくなったが、私の事業意欲は少しも衰えない。片時もじっとしておれない性分なのである。

まず、幻灯機の製造を始めた。当時、軍需工場では、徴用で駆り出された素人工員ばかりが働いていて、当然、機械の使い方を知らない。困った軍は、工場で旋盤やフライス盤の使い方を教えるのに幻灯機を用いた。その数が足りなかったのである。

本土への空襲が激しくなると、私は岡山県境に近い兵庫県の上郡に疎開した。そこで25ヘクタールの山林を買った。燃料の乏しい時代だったので、炭焼きの企業化を図ったのである。一山そっくり炭にしてしまったが、戦後余ったものを大阪に持ち帰って、多いに重宝した。

兵庫県相生市では、戦災にあった人のために10屬里匹離丱薀奪住宅を製造する仕事に関係した。規格化された柱や壁材を現地で組み立てるのである。現在のプレハブ住宅の走りではないだろうか。

何か人の役に立つことはないかと、周辺を見渡すと事業のヒントはいくらでも見つかった。しかし、自分の身の上に、思いもよらぬ災難が待ち受けていることには気が付かなかった。


私は、川西航空機の下請けで軍用機用エンジンの部品などを製造する会社を共同で経営していた。軍需工場だから、資材は国から支給される官給品である。毎月、軍の厳しい点検があった。ある日、資材担当の社員が耳打ちして『どうも数が合いません。だれか横流ししている人間がいるようです』と言うのだ。私は青くなった。軍の資材に手をつければ、殺されたって文句の言えない時代である。思いあぐねて、大阪市の東警察署を訪ねた。『警察の管轄ではないので、大手前の憲兵隊に相談しなさい』と言われた。

すぐに憲兵隊に訴えた。対応に出たのはK伍長だった。『ちょっと待ちなさい』。そう言って出て行ったきり、待てど暮らせど戻って来ない。しびれを切らして帰ろうとしたが、帰してくれない。私にやましいことなど絶対なくても、不安は高まった。当時、市民にとって憲兵隊と言えば、泣く子も黙る恐ろしい場所だった。

どのくらい時間がたったのだろうか、再び現れたK伍長の態度ががらりと変わっている。取り調べ質に入れられ、尋問が始まった。『お前はけしからん奴だ。自分で悪事を働いておきながら、他人に罪をなすりつけようとしている。横流ししたのはお前じゃないか』。話が逆になっている。全身の血が頭に上る思いだった。

『そんなことはありません。私は被害者なんです』と懸命に主張したが、有無を言わさぬ暴行が加えられた。こん棒で殴られ、腹を蹴られた。揚げ句は、正座した足の裏に竹の棒を入れられた。拷問である。

よく事情を説明すれば分かってもらえる、調べさえすれば真実は明らかになる。そう信じてひたすら耐えた。しかし、この考えが甘かったことが、やがて分かった。私を陥れるワナが仕組まれていたらしいのだ。(参考: 2001年9月・日経新聞『私の履歴書』。07年没、享年96歳)


★★いよいよ『平成』も終わる。『昭和』はどんどん遠くなる。その昭和の歌謡界で、是非ともアップしておきたい人、『西条八十さん』。西条さんは、早稲田大の仏文の教授でありながら、童謡や校歌、歌謡曲の作詞も行って、同僚らから『堕落だ』と厳しく攻められた。なら、と大衆のためだと、教授職を投げ打つ。そして作詞と仏文の研究を貫きとおし、幾多の名曲を生み出した。(「佐渡を想えば」、「サーカスの唄」、「来る来るサーカス」、「十九の春」、「祖国の護り」)


◇『西條八十ぽ椶氾造気沺修討鵑討鵑討鵑泙蝓 
佐伯孝夫は、八十が早稲田第二高等学院でフランス語の講義をした年の教え子である。大学に進学してからも師弟関係が続き、卒業後は門下生となった。妻晴子のお気に入りで、何かと頼りにされている。嫩子フタバコもなついており、よく遊んでくれた。帰り際、嫩子に『パコちゃん。ごきげんよう』と挨拶をしてから、『お口を開けて』と、銀座で買ってきた甘いドロップスを口の中に入れて帰る。そんな優しい青年だった。国民新聞の記者をしながら書いている抒情詩が、少女に人気がある。

門田穣ユタカは早大仏文科の学生時代に八十の門下に入った。実直で温厚な人柄の青年で、先輩の佐伯が一番弟子、門田は二番弟子と言うことになる。この二人以外にも若手詩人や学生が西條家に集まり、詩について論じた。書生部屋とも言うべき一室から庭の棕櫚シュロの木が見えたので『棕櫚の会』と名付けている。

『また花村英伍が、こっぴどく批判していたな』。佐伯が言うのは、文芸雑誌に載った『西條君への忠告』と言う批評文だ。『愛して頂戴』の歌詞をいちいちあげつらって論評し、詩人としてのプライドがあるなら、流行歌の作詞はこれ限りにすべき、と記している。『あれは忠告でなくお為ごかしだよ。というより、中傷に過ぎない』『しれに、先生は詩作を怠けている訳じゃありませんしね』。この1年間に『少年詩集』を講談社から、『新選西條八十集』を改造社から、感想随筆集『哀しき破片』を資文堂から、第三詩集『美しき喪失』を神谷書店から刊行していたし、詩誌『蝋人形』を創刊した。創刊号は1,600部の初版がたちまち売り切れ、追加増版したほどだった。『まあ、有名になると、色んなことを言う奴が出て来ると言うことさ』『学内でも、助教授の副業としてはいかがなものかと批判する教授連がいるようです。たいていは先生に入る作詞料の額が気になってならない俗物ばかりですが』『先生が一向に動じないのだから、我々門下生も世間の批評など気にせんことだな』。佐伯は自分に言い聞かせるように言った。


八十は昭和3年の暮れ、童話雑誌の『コドモノクニ』から『正月号にふさわしい子供の歌を』と頼まれ、『毬マリと殿さま』を書いた。毬が弾んだ感じを出すため、一番の出だしを『てんてんてまり』としたら、作曲の中山晋平が『それでは調子が良くないので、てんてんてんまり、としたい』と主張した。垣根を越えての後の『路地抜けて』を『屋根越えて』の方が調子が良くなると言ってきかない。さすがに八十が反論した。『昔の手毬は今のゴム毬のように弾みませんから、垣根は越えても屋根は越えません。路地抜けての方が理にかなってます』『いや、例えそうであっても、「垣根を越えて、屋根越えて」とした方が調子よくて歌いやすいのです』。作曲者にそう主張されては変えざるを得ない。結局、こんな歌詞になった。

◇『鞠と殿さま』
 えんてんてんまり てん手鞠 てんてん手鞠の 手がそれて
 どこから どこまで飛んでった 垣根を越えて 屋根越えて
 おもての通りへ飛んでった飛んでった

この童謡は佐藤千夜子と晋平の門下生、服部とみ子の歌でレコードになり、子供達だけでなく大人にも人気を得て、童謡としては異例の大ヒットとなった。さすが晋平はヒット曲を作る名人だと感心した。八十は佐伯と門田にこう言ったものだ。『今度の童謡は、晋平さんから大事なことを学んだよ。それは、歌詞のつじつまが合わなくとも、曲に乗るような歌詞ならば、結果的には良い歌になると言うことだ』。この教訓は後年、二人が流行歌の作詞をする上で大いに役立つ。 (参考: 吉川潮著『流行歌・西條八十物語』)


★★<『儲かっているのに優遇』に怒り。アマゾンNY進出とん挫>『ニューヨーク・クィーンズは、売り物じゃないぞ!』『アマゾンの価値は、ニューヨークのものじゃない!』。

アマゾンは2月14日、ニューヨーク市クィーンズ区ロングアイランドシティに建築を予定していた第2本社の計画を撤回した。発表直後に組合や市会議員が開いた記者会見で、本社進出に反対していた市民が、歓声をあげた。

◇アマゾンは声明で、白紙撤回の理由をこう説明した。
『世論調査では、70%のニューヨーカーが私たちの計画と投資をサポートしているのに、州議会議員やローカルの政治家が、私たちの進出に反対し、計画を進めるためにロングアイランドシティの将来に必要な関係を築くこともしないと、言明したためだ』と。

◇助成金と税優遇措置に非難の声
アマゾンが第2本社を計画していたクイーンズ区は、世界190カ国からの移民の中間所得層が住む多様性に富んだ地域。アマゾンが第2本社の計画を発表すると、全米238の自治体による誘致合戦の末、2018年11月にニューヨーク市と首都ワシントンに近いバージニア州北部に新本社を設置すると発表した。しかし、アメリカ最大の都市ニューヨークに進出する計画は、わずか3カ月で頓挫した。


ニューヨーク市民や地元政治家の一部が、アマゾン進出に反対した理由は以下だ。
・アマゾンが組合に反対し、地域のビジネスの時給を引き下げる可能性がある。
・マンション価格が投機目的で、あるいは高所得のアマゾン幹部が流入することで引き上げられ、
以前からの住民が賃貸を払えず、引越しを強いられる。
・アマゾンの労働環境が悪いという報道があり、地域ビジネスへの悪影響が懸念される。
・学校など公共施設の不足を招き、以前からの住民や学童に悪影響が及ぶ。
同時に、反対派の州や市議会の議員からは、アマゾンが多額の利益をあげる企業であるにもかかわらず、自治体が30億ドル(約3300億円)規模の助成金と税優遇措置を与えることに非難の声が集中していた。

◇市民の間では複雑な心境も
下院最年少議員として人気で、クィーンズ区選出のアレクサンドリア・オカシオコルテスは、ニューヨークのニュース専門局『NY1』に出演し、こう述べた。『経済に投資することはもちろん大切ですが、市民や移民のために投資することも同じくらい大切です。なぜアマゾンだけに30億ドルも投資するのでしょうか』。

この日、記者会見したクィーンズ区選出市会議員ジミー・ヴァン・ブレイマーも、こう強調した。 『一部の人は、儲けることしか考えていない。アマゾンは移民から搾取し、怯えさせる企業だ。この国では、移民を守るために戦うことが重要だ』。同時に『協力して戦えば、世界最大の企業が相手でも、何でも可能になる。労働階級、移民、組合のために戦い、ニューヨークの価値を守るために戦ったことを誇りにしている』とツイートした。

一方でアマゾンは、第2本社で2万5000人以上を雇用するとしていたため、テレビカメラの前で『恥を知れ!雇用が失われたぞ!』と叫ぶ個人営業の男性の姿も見られた。クィーンズ区商工会議所のトーマス・グレック会頭兼最高経営責任者は、ニューヨークのニュース専門局『NY1』の電話インタビューに応じ、こう話した。『ショックで、言葉もない。多数の人が、アマゾンには反対していないのに、少数派のリーダーや当局者が反対して、ビジネスチャンスが失われた』と。


◇シアトルを離れる理由は皆同じ
ジオは、アマゾンの建設計画を歓迎していた。デブラジオ市長は、計画撤回を受けて『驚愕している。人々はほんの小さな改善を要求しているだけなのに、… 』。

実はニューヨークが大企業の進出を拒み、撤回させたのは、これが初めてではない。過去には、マクドナルドや小売大手Kマートなどの進出に大規模な反対デモがあった。両社は今は進出しているが、小売世界最大手ウォルマートは何度も進出計画が浮上したが、いまだにニューヨーク市内に店舗を持っていない。アマゾンに反対の声が上がったのと同じく、地域の時給水準や労働環境が悪化する懸念のほか、スモールビジネスがウォルマートとの価格競争に勝てないというのが理由で反対にあい、計画が頓挫し続けている。

アマゾンを利用しない活動に参加し、ニューヨーク進出にも反対していたエンジニアのイアン・パラデス(32)は、こう指摘した。彼は、アマゾンの本社があるワシントン州シアトルの出身だが、ニューヨークに住み始めた理由はアマゾンのせいだという。『ニューヨークで会ったシアトル出身の人々が、皆同じような理由でシアトルを離れている。つまり、アマゾンのせいで、家賃が上がり生活を圧迫する。同時に、高所得者層のせいで、シアトルの地元文化が損なわれていくのを目の当たりにした。クィーンズに進出しなくなったことで、反対運動をした人々に感謝してもしきれない』。

アマゾンは、バージニア州北部の第2本社と、南部テネシー州ナッシュビルの拠点の計画は予定通り進めるという。ニューヨークに代わる第2本社の候補地探しはしないという。

まあ、アマゾンも嫌われたものだねえ。だが、シアトルでの無秩序な市民社会の破壊は有名らしい。まさに『巨人は忍び足で歩かねばならぬ』だな。誰が言ったか忘れたが。まさに、トランプ流撃破のNYではあるな。時期大統領選が見ものだ。


★★<インド『イスラム差別法』成立>ヒンズー教徒が8割を占めるインドで、イスラム教徒以外の不法移民にのみ国籍を与える法律改正案が下院で可決された。ヒンズー至上主義を掲げるモディ首相の与党『インド人民党BJP』の母体組織はイスラム教徒と対立してきた歴史があり、春に予定される総選挙に向け、保守層の支持固めを狙ったと見られる。イスラム教徒や専門家らは『憲法の規定にある宗教の平等に反し、対立をあおる』と批判している。

改正案は、2014年までにインドに不法入国したパキスタン、バングラデシュ、アフガニスタン出身者のうち、ヒンズー教、シーク教、キリスト教―などイスラム教を除く6宗教の信者に国籍を付与するもの。バングラからの不法移民だけで2,000万人に上るとの見方もあるが、宗教別の人数を含め詳細は不明だ。

この3カ国はいずれもイスラム教国で、それぞれ宗教的少数派への差別や迫害が度々問題になってきた。このことを踏まえ、BJP前総裁のシン内相は『イスラム教徒でない彼らは、インド以外に行く場所がない』と意義を強調する。

しかしことは一筋縄にはいかない。不法移民が多い北東部、アッサム州などでは改正案に反発する動きがヒンズー教徒にも広がる。BJPの連立政権のメンバーだった地域政党が連立からの離脱を決めた。


アッサムの人々はもともと言語や習慣が異なるバングラからの移民流入に反対してきた。改正案が成立すればイスラム教徒以外のバングラ人の更なる流入を招くとの不満がある。ある専門家は『アッサム州では反移民を主張する武装組織が活動してきた。近年弱体化していたが、改正案を機に息を吹き返すだろう。「パンドラの箱」を開けてしまった恐れもある』と指摘する。

歴史は繰り返す、だな。英領インドが独立した際、インドとパキスタンは袂を分けた。その影響で、インドとパキスタンの国境周辺では何百万人をも超える移民が、相互に行き交いした歴史がある。さらには独立後、何かにつけて対立するインドとパキスタンでもあり、そのような背景からこのような法案が出て来たのだろうなあ。世界はまさに様々だ。


★★<はやぶさ2、着陸成功 小惑星探査で偉業 >宇宙航空研究開発機構(JAXA)は22日、探査機『はやぶさ2』が地球から約3億キロメートル離れた小惑星『りゅうぐう』への着陸に成功したと発表した。岩だらけの地表で半径わずか3メートルの場所を狙って着地し、岩石を取って数秒後に離れたとみられる。小惑星への着陸は、世界でも2005年の初代『はやぶさ』以来。極めて高い精度の着陸をなし遂げ、日本の技術力を証明するとともに小惑星探査で世界に存在感を示した。

小惑星の岩石は太陽系が46億年前に生まれたころの痕跡を残す『タイムカプセル』。19年夏までに再び着陸に挑み、20年末に地球へ持ち帰る。宇宙の成り立ちや生命誕生の謎を探る今後に期待が膨らむ。はやぶさ2は22日午前6時すぎから最終の降下を始めた。地球からの指示が遅れる最終盤はカメラや高度計を駆使した自動運転に入り、22日午前7時50分ごろに着陸した。

機体の下から伸びる筒状の装置を地表に押しつけ、弾丸をぶつけて砕いた岩石のかけらを回収した。機体は正常という。着陸の前後は地形に合わせて姿勢を傾け、地球とは通信が滞る。着陸前後の一連の動きは、JAXAが探査機から届くわずかなデータで推測した。機体の速度変化などから『着陸した』と結論づけた。岩石の採取にも成功したとみているが、成否がわかるのは回収カプセルが地球に戻ってからだ。

はやぶさ2は、10年に小惑星『イトカワ』の微粒子を地球に持ち帰った初代はやぶさの後継機。14年12月に種子島宇宙センターから打ち上げ、18年6月にりゅうぐう周辺に到着した。地球帰還までの総事業費は約289億円を見込む。


小惑星探査の狙いの1つは『地球の生命はどこからきたのか』という人類の根源的な問いに応えることだ。りゅうぐうは直径約900メートル。生命の元となる有機物や水分を含む岩石が豊富とされる。かつて地球に衝突した小惑星が有機物などをもたらし、生命誕生を促したとの仮説がある。小惑星は火星と木星の間に多いが、火星と地球の間にあるりゅうぐうは岩石を地球に持ち帰って調べやすく、目的地に決まった。

月や火星、その先の天体に向かう技術力を世界に示す思惑もある。はるか遠くの小惑星に搭載カメラの画像や星の位置を頼りに近づき、ピンポイントで降りる。こうした手順や経験は強みになる。米航空宇宙局(NASA)も『米国版はやぶさ』と呼ばれる小惑星探査機『オシリス・レックス』を小惑星『ベンヌ』周辺に到着させた。20年に岩石を採取し、23年に地球に運ぶ予定だ。はやぶさ2の成否に関心を寄せているという。

日本の誇る『はやぶさ2』だねえ。『JAXA』はいい仕事している。厚労省とは雲泥の差だな。


★★<J1開幕、注目の片野坂大分>昨日からJ1がスタートした。メインの試合は今日。サンフレは青山などを欠き、若手の台頭を期待するが当面黒星を避ける戦術になるだろう。そんな中で、注目されるのが『片野坂大分トリニータ』。なんせ、一昨年J3に落ちたのに、昨年即J2に復帰し、なおかつ今年J1に復帰という、まあホップステップジャンプをそのまま画に描いたようなクラブだ。片野坂は元サンフレ選手、今西門下生だ。今西門下生には日本代表の監督を努める森保を先頭に多くの監督職を輩出している。今期、大分がどのような活躍するか、以下。

2016年J3に沈んだ『大分トリニータ』。この季を制し、1年でJ2に復帰。昨季のJ2では2位に入り、リーグ最多の23勝と76得点を挙げてJ1復帰へと導いた。コーチとしてはJ1クラブで名将を支えた。18年W杯日本代表監督の西野朗さん、現代表監督の森保一さんらの下、G大坂、広島で計5つのタイトルを獲得。『近くで見て、監督として大事だと感じたことはやっている』と、それぞれの良さを今に取り入れている。

西野さんには監督としての仕事、森保さんには選手とのコミュニケーション方法を学んだ。G大阪からはフィジカルトレーナーを招請し、コンディショニングのメソッドを大分に持ちこんだ。

現役時代は広島で同僚だった森保さんは『チームとして、どうやって勝かを分かっている優秀な指導者』と評す。その盟友からは昨秋に代表コーチに誘われたが、『縁と恩のあるクラブ』として大分に残留。現役引退と同時に強化部でスカウトとして入り、06年には下部組織のコーチを任された。第二の人生の道標となったクラブへ『恩返しをしなくてはいけない』と使命感を口にする。


『片さん』の愛称で親しまれ『おなかから声が出せない』と言い、試合で指示を出すと前半のうちに喉が枯れる。昨年8月にサポーターがツイッターで『浅田飴』公式アカウントに向け『片さんの喉を守ってあげて』と投稿すると、9月にスポンサー契約が実現した。ひた向きな姿は多くの人から愛されている。

選手からの信頼も厚い。MF前田は昨季J2の全42試合で24節までベンチ入りすら出来ず『腐りかけた』。すると指揮官は『やる気がないなら、いらない。やってくれるならチームのためにやってくれよ』と叱咤激励した。熱い言葉で目を覚まさせ、その後14試合でフル出場するなど貴重な戦力へと再生。昨季までJ1神戸から期限付きの移籍だった前田は『片野坂さんとJ1でやりたかった』と今季は完全移籍で契約更新した。

座右の銘は『実ほど こうべを垂れる稲穂かな』。サポーター、家族、クラブなど『支えがあるからサッカーが出来ることを忘れてはいけない』と片野坂監督は言う。23日、本日、敵地での鹿島戦がJ1初采配となる。謙虚な姿勢を貫きながら、待望のステージへと一歩を踏み出した。

森保さんも、片野坂さんも、いわゆる花道を歩いて来た選手ではない。森保さんに至っては、長崎で名門国見高校にも入っていない。この2人がJ1、日本代表の監督に成長するまでには相当の苦難があっただろう。サンフレ今西元GM門下生の活躍が一際目立つなあ。とても嬉しいことだ。

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