今日の画像は、『リオのカーニバル』と、広島市の『平和大通り界隈』です。大通りの一等地の角にNHKのビルがあります。なぜだか理由がわからない。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
★★NHKの朝ドラ『まんぷく』。チキンラーメンの生みの親『安藤百福さんの妻仁子さん』を主人公にしたドラマ。フィクションの部分もだいぶある。百福さんが台湾生まれで、織物の商売で独り立ちされたこと、終戦時には不動産に手を染め、その関係で信用組合の理事長に祭り上げられたことなど、経済人、財界人としての場面が落ちている。ここに百福さんの『私の履歴書』を参考に、『チキンラーメン、即席ラーメン、百福さん』の歴史を綴る。
★★★1958年(昭33)の春が訪れて、私は48歳になっていた。即席めんの開発はほとんど完成して、試作の段階に来ていたが、私一人の手では追いつかず、家族総出の作業になった。
まず、めんをせいろに入れて蒸す。蒸し上がっためんに、チキンスープを振りかける。スープはトリをぶつ切りにしたものにトリガラと香辛料を加えて高圧ガマで3時間ほど炊き出したものだが、家内や家内の母がスープ作りを手伝ってくれた。めんが熱いうちに手でもみほぐし、すのこ棚に並べて陰干しする。水分含有量が45%程度の半乾燥状態になるのを見計らって、小屋に戻した。私はいちいち手で触って水分の含有量を確認した。計器がなかったので、自分の手だけが頼りだった。今でも工場に行くと、無意識に親指と人差し指でめんに触っていることがある。
さて、乾燥が終わると、鉄板に穴を開けて作った6個入りの四角い型枠にめんを詰める。それを160度の油が入った中華鍋にゆっくりとつける。めんの中に含まれる水分が吹き出して、泡になって飛んで行く。泡が小さくなった頃を見計らって取り出す。このタイミングが大事である。めん全体が焼き菓子のように黄金色になっていて、何とも言えない香ばしい臭いが漂って来る。それを冷ましてから包装する。息子の宏基が一個ずつセロハンの袋に詰めた。娘の明美が足踏みシーラーで袋を閉じる担当だった。明美はシーラーの電熱部に触れてよくやけどをしていた。遊びたい盛りの子供達が、嫌がりもせずよく手伝ってくれたものだと思う。
最後に段ボール箱に1ケース、30食ずつ詰めた。これだけの作業を連続して行い、1日に400食作るのが精いっぱいだった。家の中はまるで戦場だった。私は、家族に指示するのに大声で『チキンのスープを運んでくれ』などと、絶えず『チキン』『チキン』と叫んでいた。後に商品名が『チキンラーメン』に決まったのは、自然の成り行きだった。
試作品をあちこちの知人に配ったところ、『これまでのラーメンとは違う美味しさですね。しかも便利で新しい食品ですね』と言われた。貿易会社の知人に頼んでサンプルを米国に送ると反応は早く、500ケース送ってくれと注文があった。まだ手作業の段階だったが、1ヵ月半かけて輸出用の商品を作った。英文の商品説明を、子供達がホチキスで袋に留めていた。国内で売れるメドも立っていない時期に、もう輸出が決まっていた。その時、『食べ物に国境はない』と思った。将来は世界的な食品になるかも知れないというかすかな予感がした。
6月には、大阪・梅田の阪急百貨店で試食販売をした。私にとっては出陣式のようなものである。小麦粉と食用油にまみれた作業着を脱いで、2年ぶりにスーツに着替えた。泉大津で働いていた若者が何人か、手伝いに来てくれた。
大声で『お湯をかけて2分で出来上がるラーメンです』と言っても、客は半信半疑である。ラーメンの入ったどんぶりにお湯を注いで蓋をする。2分経って出来あがったラーメンの上にネギをあしらって出すと、あっけに取られている。『あら、ほんまのラーメンや』。その後は、集まってきた主婦が試食しては買って行く。持参した500食は瞬く間になくなった。
誰が言い出したのか、後にチキンラーメンは『魔法のラーメン』と呼ばれるようになった。私は客の反応をつぶさに観察しながら、この商品は売れるという確かな手応えを感じていた。(参考: 2001年9月・日経新聞『私の履歴書』。07年没、享年96歳)
★★いよいよ『平成』も終わる。『昭和』はどんどん遠くなる。その昭和の歌謡界で、是非ともアップしておきたい人、『西条八十さん』。西条さんは、早稲田大の仏文の教授でありながら、童謡や校歌、歌謡曲の作詞も行って、同僚らから『堕落だ』と厳しく攻められた。なら、大衆のためだと、教授職を投げ打つ。そして作詞と仏文の研究を貫きとおし、幾多の名曲を生み出した。(「三百六十五夜」「恋の曼珠沙華」「トンコ節」「青い山脈」「花の素顔」)
『西條八十 大ヒット作、戦後の希望に光りを当てた「青い山脈」』
昭和23年の夏、その日の来客は下館の友人であった。『お師匠さん、毎月ご苦労さまです』。八十が『お師匠さん』と呼ぶのは、長唄三味線の師匠、岡安喜三四郎である。喜三四郎は東京の家が焼けたため、復員後、下館の妻の実家に住み、土地の芸者や娘達に三味線を教えていた。そのことを耳にした晴子が、久し振りに稽古をしたいと弟子入りした。下地がある晴子はすぐに勘を取り戻し、下館町内の料亭で開かれたおさらい会では『勧進帳』を弾き、『色くさ』を唄った。
晴子は喜三四郎の妻、千代子とも親しく、家族ぐるみの付き合いをしていた。成城に移転する際、稽古を続けたいと喜三四郎に無理を言い、月に一度、出稽古を頼んだ。今日はその稽古日である。『先生、また子供の名前を付けていただきたいのですが』。喜三四郎が神妙な顔で言った。『そう、二人目が生まれたの。いつ?』『つい3日前で、8月1日です。今度は待望の男の子でして』『これは僕が中学時代投稿した詩だ。海は夜に鳴る潮の音は、沖におどろの曇り空・・。この一節にある潮を「うしお」と読んで名前にしよう。夏だから海の潮で、男の子らしいだろう』。この『潮君』こそ、長じて、この『西條八十物語』を書き下ろした、『吉川潮』その人なのである。
戦後復興なった映画界では、新感覚の文芸作品が続々と映画化されている。小島政二郎の雑誌連載小説の、新東宝『三百六十五夜』では、主演は上原謙、高峰秀子、山根寿子で、同名の主題歌と挿入歌『恋の曼珠沙華』を八十と古賀で書き、主題歌が霧島昇と松原操、挿入歌が二葉あき子の歌でヒットした。続いて、東宝が石坂洋次郎の新聞連載『青い山脈』を映画化することになった。封切りを来年夏に控え、今年のうちに主題歌をレコード化し、原作の人気に歌の人気を重ねて映画を当てようという目論見だ。
『そんな訳で、どうしても主題歌をヒットさせたいのです』。宣伝部が意気込んで、頼んできた。八十はまず、原作を読んでみた。男女共学にまだ馴れていない終戦直後の地方の高校が舞台である。旧態依然たる教育方針の学校と急進的な教師の対立が学生の目を通して描かれており、実に面白く読んだ。作者は学校を封建主義の象徴、主人公の教師を民主主義の代表として書いたようだ。ならば、この歌を民主主義の象徴的な歌として書こう。そう決心した。教え子達を戦地へ送った身としては、新しい時代の歌にしたい。俗な言い方だが、それが軍歌を書いたことの『落とし前をつける』ことだと思う。
イメージが湧いてきて、『若く明るい歌声に』という詞が浮かんだ。すぐに帰宅して原稿用紙に向かう。何のためらいもなく、頭に浮かんだ文句を記した。1番は『軍国主義は雪崩のように消えた』という意味を込め、2番では『古い上衣とさみしい夢』との決別を書き、バラ色の未来があるとした。3番は戦後初めて東京に出て来た時に見た焼け跡の光景で、たくましく生きる人々を名もない花に見立てた。そして4番は戦争で親を亡くした人に捧げた。父や母が夢見て出来なかったことを、若者達が代わって実現するのだというメッセージである。
◇『青い山脈』
1.若く明るい歌声に 雪崩は消える 花も咲く
青い山脈 雪割り桜 空のはて きょうもわれらの 夢を呼ぶ
2.古い上衣よ さようなら さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ あこがれの 旅の乙女に 鳥も啼く
3.雨に濡れてる 焼け跡の 名もない花も ふり仰ぐ
青い山脈 かがやく嶺の なつかしさ 見れば涙が またにじむ
4.父も夢見た 母も見た 旅路の果ての その涯の
青い山脈 みどりの谷へ 旅をゆく 若いわれらに 鐘が鳴る
作曲は服部一郎に依頼した。服部は大阪育ちで、大阪放送局のオーケストラでピアノ演奏しながら作曲を勉強した。八十が服部とコンビを組んだのは、昭和13年の『南京みやげ』と『上海みやげ』が最初で、長谷川一夫と李香蘭主演の東宝映画『支那の夜』の主題歌、『蘇州夜曲』だった。これは渡辺はま子と霧島昇のデュエットで大ヒットした。八十が服部に『青い山脈』の歌詞を渡したのは11月で、年内に曲を作ると言っていたのになかなか出来上がらない。とうとう昭和24年が明けて、2月になっていた。コロンビアのディレクターからようやく連絡があり、曲が出来上がったと言う。八十はその曲を聴き、『大当たりする』と直感した。これほど歌詞のリズムを生かしたメロディはめったに出来るものではない。軽快で、浮き浮きして、しかも哀調がある。
藤山一郎と奈良光枝のデュエットで吹き込まれた『青い山脈』は、予想通りにヒットの兆しを見せた。全国各地で行われるNHKの『素人のど自慢大会』で、毎回出場者の一人が『青い山脈』を歌うのだ。これは売れている証拠と、手応えを感じた。すると、コロンビアの伊藤宣伝部長が言った。『あれは出場者に頼んで歌ってもらってるんです。うまい宣伝方法だと思いませんか』。手品の種明かしをされたみたいで八十は鼻白んだが、確かに効果は絶大である。ラジオを聞いた人々が歌を覚えたくてレコードを買い、たちまちミリオンセラーとなった。
映画は原節子、池部良、龍崎一郎、杉葉子らの出演で制作されたが、監督の今井正は『映画に歌は無用』と言う考えで、主題歌が流行っているにもかかわらず、『そんなものはいらない』と言い張った。宣伝部としてはコロンビアの八十への義理もあるので今井を説得し、強引に挿入させた。映画が封切られると、タイトルバックに歌が流れた途端、館内で大合唱が始まったと言う。その話を宣伝部員から聞いた八十は、『いい歌は映画監督のつまらないこだわりなど吹っ飛ばしてしまうものだ』と溜飲を下げた。 (参考: 吉川潮著『流行歌・西條八十物語』)
★★<『ゴーン流の成功は幻想』 西川日産社長>日産自動車の西川広人社長兼CEOは、元会長のカルロス・ゴーン被告個人に依存しすぎたガバナンスに問題があったと認めた。自ら社長を続投し仏ルノーとの関係を改善させることに意欲を見せ、ゴーン元会長時代の数値目標を重視する『数字ありきの経営』を転換する考えも示した。以下。
◇調査結果を共有『これは無い』
――ゴーン元会長の解任理由を改めて教えて下さい。
『取締役会での決定は刑事責任の有無でなく、解任に相当する判断材料を弁護士から頂いたからだ。不正は経営者・トップとして守るべき事から完全に逸脱していた。会社としては絶対に放置できない。解任しない選択肢はなかった』。『社内調査の結果を取締役会でシェアしたが「これは無いね」と。金融商品取引法違反、投資会社の不正使用、経費の不正使用など1件だけみても、普通の役員であれば即解雇というレベルのものなので』。
――ゴーン元会長時代の反省はありますか。
『基本的にそれぞれのセクションだけで仕事をして、経営的に困ったら元会長1人という状態だった。市場の好況が続かねば回る訳がない。また、海外の事業運営を完全に別物として扱っていた。ゴーン元会長が率いた当時うまくいっていたとの見方は幻想だ』。
◇豪腕だけでは駄目だ
――日産とルノーが資本提携を決めた当時のトップの塙義一氏やルイ・シュバイツァー氏とゴーン元会長の違いは。
『塙氏とシュバイツァー氏が一緒に企業連合の土台を築いた点はもっと評価されてよい。厳しい交渉だっただろうが、資本関係を結べたのはお互いに私利私欲のない部分が大きかったのではと感じる。人格と識見の双方が必要で、豪腕だけでは駄目だなと特にここのところは思う』。
――取締役会はなぜ不正を見抜けなかったのでしょうか。
『気づかないというか、わからない。ある意味で非常に頭が良い人。弁護士など専門家や側近を使い、まして上層部で不法行為が行われると私も含め、なかなか分からない。ただ、本人が現場から随分と遠くなり、幹部も含めて掌握が弱くなった。完成車検査不正の問題があり、全社的に不正はすべて出すことになり、ほころびが生まれた』。
◇祭り上げすぎた
――権力集中を防げなかった理由は。
『大きな変化点は2005年。ルノー元会長のシュバイツァー氏がCEO職を退き、両社の責任者がゴーン元会長1人という状態ができた。経営危機にあった1999年の記憶が生々しく、ゴーン元会長にトップをやってもらえると日産が成長し将来に安定していけるという気持ちが強かった』。『日産にとっては元会長が日産の自立性を担保するためのルノーへの盾になってくれるという気持ちが強すぎ、企業統治に問題が生じるという議論はなかった。結果、ルノー以外の株主の声を十分に吸い上げられなかった』。
――当時のゴーン元会長には圧倒的な権威があり、国内外で評価もされていました。
『そういうものに祭り上げすぎたかなというのは正直ある。社外でも「企業統治の観点からいかがなものか」や「利益相反でしょう」という議論があまりなかった気がする』。
◇経営責任「一身に受ける」
――17年に自らCEOになって、元会長のパペット(操り人形)と感じたことはありますか。
『元会長がCEO以下をある意味でコントロールしたいことは分かった。徐々に実力と実績で跳ね返していくしかないと思った。ただ本人は現場からずいぶん離れていた。イメージダウンなどで会社としてのダメージは受けたが、不在が多く業務執行上はほとんど影響がない』。
――一連の問題では西川社長の経営責任を問う声も出ています。
『まず社内の動揺を収拾しまとめ、ルノーとの関係を前進させる。17年3月期までの中期計画「日産パワー88」などは数字ありきで、中身は何でもよいという部分があった。私が一身に受けて直していく。自分がやるしかない』。
◇日産が会長指名『スナール氏も理解』
――日産の後任会長人事について、ルノーと建設的な議論はできているのですか。
『日産内部で決めていくということだ、というのはジャンドミニク・スナール会長も十分に理解している』。
――ルノー・三菱自動車との日仏連合への影響はありますか。
『ゴーン元会長が突然抜け心配されることもあるが、この20年間で様々なリーダーが自立性を尊重し、相乗効果を追求してきた経験が財産としてある。3社の首脳は効率化を進めるという総論では一致している。後は現場を混乱させず、相乗効果を出す方向へ持って行けるかだ』。
――スナール会長とは対話を重ねています。
『スナール会長は権力を個人に集中させるのでは無く、集団の力をうまく引き出すことに重点を置く。世代や人がかわっても、今の仕事を維持・発展させられる状態をつくるという部分では一致している。スナール氏が会長に就き、ルノーとの関係も普通の状態に戻りつつある。元会長逮捕以降、ぎくしゃくした問題は解消していくだろう』。
◇資本見直しは将来の議論
――ルノーと日産の経営統合構想もあります。
『3社連合の価値は、互いの自立性を尊重し相乗効果を重ねた上で、競争力を持つことだ。従業員や株主、投資家などの利害関係者を無視した外形的な統合は完全にマイナスになる』。
――資本関係の見直し論もくすぶっています。
『ルノーが日産株式の43%を保有する問題は以前からあり、日産側もルノー株を15%持つ資本の持ち合いではバランスが悪い。これが将来的な不安定要素とみなされるのなら議論をする必要があるが、次元の違う議論だ』。『ルノーの新会長にスナール氏が就き、日産との関係は普通の状態に戻りつつある。ルノーとの問題は解消していくだろう』。
◇数字ありきの経営は『弊害』
――ゴーン元会長は販売台数など数値目標で引っ張る経営が大きな特徴でした。
『やはり弊害があると思う。数字はわかりやすいし、元会長は結局そこで引っ張ってきた。だが、短い時間軸で拡販策を繰り返し打ち、一定の段階まで回復してもまた落ち込むことが続いた』。『例えば、売上高とかの数字が目標に達したかでなく、収益の柱が10本あるなら何割できたかで評価したい。現行の中期計画は22年までだが、100年に1度の変革はその先に起こる。大変なのは23~25年だ。22年までの投資などのペース配分を再考し、次の準備をする。ペース配分は余り変えたくない。安定した収益性と事業効率を確保した上で、できる限り投資をしていく方向で見直す』。
◇米欧事業てこ入れ急ぐ
――収益の具体的な目標はありますか。
『もともと稼ぎ頭の日米中では売上高営業利益率で平均10%は確保したい。現状は日中は順調だが米国は8%を相当下回る。欧州など他地域は平均5%まで上げ、目指すべき水準は全体で8%だ』。
――必要な施策は何ですか。
『問題があるのは欧州と米国だ。欧州はポートフォリオを少し整理しないといけない。米国はまず営業利益率で8%近い水準へ戻す。販売報奨金を減らし、電話セールスをやめ、大口法人販売を落としたが、まだ収益は上がってこない。純粋なブランド力で個人客をつかまえ切れていない』。『米国は私の意図を受けてやる部分と、ゴーン元会長からの話とで現場が混乱していた。混乱の一因となっていたチーフ・パフォーマンス・オフィサー(CPO)に代わり中南米で実績を上げた人間を昇格させ、18年末に混乱が止まった。反転に向けた仕事が浸透し始めたところだ』。
★★<デジタル時代、エリート保険>昨秋、上海で頭に重傷を負った女児。女児は『相互宝』から490万円を受け取った。アリババ集団傘下の金融会社が発売した商品だ。『保険』のようだが前払いの保険料がなく、必要な給付額を月2回、加入者全員が等分で後払いする。
常識外れの『保険』が成り立つのは、信用力の高い加入者だけを選別しているためだ。職業、学歴、年収などから点数化するアリババの信用評価格付けで『優秀』と認められることが条件。エリート限定のサービスを求め、発売4ヵ月で3,500万人が加入した。
データは富の源だ。産業革命以来、製造業中心だった経済は転換し、データを資源とするデジタル企業が主役となった。代表格アマゾン。中小企業などに『マーケットプレイス』というネット小売の場を提供し、膨大な売れ筋データを集める。09年から販売する自社ブランド品は靴やペット用品など120種類にのぼるとの調査がある。何を自社ブランドとし、いくらで売るか。吸い上げたデータから戦略を導き出しているとされる。
データを掌握した勝者が富を総取りする経済は格差を広げる。アマゾンの従業員数は60万人を超え、世界有数の巨大雇用主だ。アマゾンは昨秋、米国の従業員の最低賃金を時給15ドルに引き上げたが、創業者でCEOのジェフ・ペゾスの個人資産は1千億ドルを上回る。
モノ中心の経済は工場労働者ら大量の雇用を生んだ。厚さを増した中間層が消費を底上げし、経済を成長させた。だがデータ中心の経済は異なる。情報から細かく需要を読み取ればむやみな大量生産は不要になる。AIなどによる自動化がアメリカ進み、知識と技能がある人に富が集中し、中間層が細れば、従来の成長の方程式は崩れる。
1980年に20%超だった米国の製造業で働く人の比率は8%台まで低下した。一方、米国で上位10%層の所得が全米に占める割合は同時期に34%から50%弱に上昇している。日本、ドイツも同じ傾向だ。企業活動がグローバルに広がり、デジタル情報は国境を軽々と飛び越える。国家は形なき豊さを捉えきれず、社会保障や税制といった再配分の仕組みは目詰まりを起こした。古びた政策は経済の急速な変化に追いつけない。
1930年、英経済学者のジョン・メイナード・ケインズは『孫の世代の経済的可能性』で、100年後には生産性が極度に上がり、あまり働かなくても皆が豊になると予想した。その時期は近づくが、分配問題から人々が開放される理想郷は、まだ遠い。
★★<米下院司法委、トランプの司法妨害に関する調査開始>米下院司法委員会のナドラー委員長は、トランプ大統領による司法妨害と職権乱用などの疑惑の調査に着手するに当たり、60以上の個人・団体に書類提出を求める考えを示した。
米ABCテレビの番組『ディス・ウィーク』に出演したナドラー委員長は、米司法省やトランプ氏の長男ドナルド・トランプ・ジュニア氏、トランプ氏一族が経営するトランプ・オーガニゼーションのCFO、アレン・ワイセルバーグ氏などに書類提出を要求すると述べた。
『われわれは職権乱用、汚職、司法妨害に関する調査を開始する』と表明。『法の支配を守るのがわれわれの仕事だ』と強調した。委員長は『大統領が司法を妨害したのは非常に明白』としながらも、弾劾手続きを始めるかどうかを検討するのは時期尚早と述べた。『弾劾手続きを開始する前に米国民にそれが必要であることを納得してもらわなくてはならない』と語った。
ナドラー委員長は司法妨害の根拠として、ロシアによる米大統領選介入疑惑を捜査していたFBI前長官のコミー氏をトランプ氏が2017年5月に解任したことを挙げた。事情に詳しい関係者によると、同委は、トランプが敵対的と見なす勢力を排除するために取った行動や司法省の高官を自身への忠誠心が強い人物に交代させる人事などに関連する文書を中心に書類提出を求めるとみられる。
ナドラー委員長はABCの番組でまた、トランプ氏が調査で証言した人物を脅す目的で取った行動にも言及。関係筋によると、同委は職権乱用疑惑調査の一環として、恩赦や証人買収を約束した可能性や、トランプによる調査機関やメディアへの攻撃についても調べる見通し。
ナドラー委員長によると、同委は書類提出を要求する個人や団体のリストを公表する予定。トランプのツイッターへの投稿で『私は無実の人間だが非常に邪悪で矛盾し腐敗した人々による追及を受けている。これは違法な魔女狩りで、そもそもこれが始まるのを認めるべきではなかった』とした。ホワイトハウスとトランプ・オーガニゼーションはナドラー氏の発言に関するコメントの求めに応じていない。
いよいよ始まったねえ。弾劾への助走が。そもそもトランプをアメリカの大統領にした共和党支持者達にその原因がある。もう半年すれば、アメリカ経済もドロップアウトし、トランプの経済音痴と、嘘つきの化けの皮が剥げるだろうなあ。悲しいアメリカだ。
★★<厳しい局面『レオパレス』>レオパレス21で新たな施工不良が発覚して3週間がたった。7000人超が転居を迫られる異例の事態となり、企業の社宅解約など事業全体に影響が出始めた。最初の問題が発覚した2018年春から業績は徐々に悪化しており、10~12月期連結決算は営業赤字に転落した。レオパレス内部では財務の悪化を食い止めるため、保有資産の売却案も浮上している。
『レオパレスの経営は大丈夫なのか』。同社がここ3週間、各地で開いたアパートオーナー向け説明会では、ほぼ毎回怒号が飛び交う。もともとは会社側とオーナーとの関係維持のため、決算発表後などに定期開催してきた。普段は平穏な会合だが、今回は問題発覚直後だけあって雰囲気が異なる。
資金繰りについて、会社側は『当面は問題ない』との姿勢を崩さない。18年12月末時点の現預金は892億円で、現金化しやすい売掛金などを含めると972億円にのぼる。一方、1年以内に支払期限を迎える流動負債は1250億円だが、この中には入居者から預かった翌月分の家賃を中心とする前受け金が含まれるため、差し引いた908億円が実質的な流動負債といえる。当座資産で流動負債をどれだけまかなえるかを示す当座比率は100%を超えており、向こう1年間の資金は確保できている、との立場だ。
施工不良の発覚でレオパレス株は2月18日に199円と昨年5月に付けた昨年来高値から8割下げた。ここ最近は『売られすぎ』(アジア系運用会社)との認識が海外勢を中心に広がり、株価は戻り基調にある。3月1日の終値は前日比7%高の259円まで回復した。同日に英運用会社オデイ・アセット・マネジメントが関東財務局に提出した変更報告書で、レオパレス株の保有比率を11.04%から12.41%に引き上げたことがわかった。
市場での懸念はやや薄らぎつつあるようにも見えるが、業績面での不安材料はまだ解消されていない。アパートの調査はまだ終わっておらず、現時点で420億円と見積もる施工不良問題の関連費用は今後も膨らむ可能性がある。さらに本業の一段の業績悪化が財務を圧迫するリスクも残る。
18年10~12月期の営業損益は6億9000万円の赤字(前年同期は47億円の黒字)に転落した。アパートの建築部門は受注が低迷し、部門別損益が13億円の赤字だった。主力の賃貸部門も施工不良調査に伴う入居率悪化が響き、部門別利益が68%減った。
レオパレスはオーナーからアパートを一括で借り上げ、入居者に転貸する『サブリース』の形式をとる。入居率が下がれば、家賃収入がオーナーに保証している賃料を下回る『逆ざや』になるリスクがある。
前期のレオパレス単体の賃貸部門の売上原価は3563億円。1戸単位に換算すると月5万2000円程度だった。一方、同部門の売上高と入居戸数から、家賃や共益費など1戸あたりの収入は月6万9000円程度とわかる。この場合、入居率が75%未満になると、粗利益ベースで費用が家賃収入を上回る『逆ざや』に陥る。もっとも、イメージ悪化などから従来の家賃を維持できるかわからない。仮に収入が平均6万5000円に下がると、逆ざやのハードルは80%に上昇する。19年1月時点の入居率は85%だ。
業績の悪化が続けば、レオパレスは一段の財務の改善策に踏み込む公算が大きい。その軸となりそうなのが、自ら保有する不動産の売却だ。レオパレスは18年12月末時点でアパート約50棟のほか、賃貸マンション13棟、国内ホテル4カ所を持つ。簿価で約300億円にのぼる。さらに米領グアムで1993年に開業した大型リゾート施設『レオパレス・リゾート・マネンガンヒルズ・グアム』を所有・運営している。こちらは簿価は264億円だ。
レオパレスは施工不良の発覚前から、資本効率改善のため資産の圧縮を進めてきた。16年にはグアムのもう1カ所のリゾート施設を韓国系投資ファンドに売却し、17~18年にはアパートを累計約530棟売っている。残るアパートやホテルも『売ってはいけないものという認識はない』という。資金繰りの悪化に備えた施策を打っている間に、業績の落ち込みを食い止めることはできるのか。レオパレスには目先の株価反発に安堵できない厳しい現実が控える。
私見だが、この『サブリース方式』による不動産ビジネスには限界が見えてきている。『国民不足』の借り手が減少中の中、『レオパレス』と『大東宅建』などによる、『不道徳営業』が世に拡散され、地主がこの『サブリース方式』でのアパート建設には手を出さなくなる。さらには、両社の悪質なる営業によるイメージ低下は厳しく、この両社が介在するアパートへの入居率は大幅に減るだろう。倒産とまでは言わないが、行く手には身売り、大幅人員整理を含む大手術が待っている他ないと見るが、どうだろうか。
★★<韓国ルノー生産縮小>仏ルノーが、韓国で日産自動車から受託しているSUVの生産縮小を検討している。労働組合によるストライキが理由で、米GMに続く外資系自動車メーカーによる生産見直しの動きに韓国は衝撃を受けている。輸出拠点としての韓国の競争力の低下を示唆するためだ。日本とEUのEPAが発効し、EUが日本車に課す関税が将来撤廃されることも韓国にとっては逆風になる。
きっかけは、仏ルノーの首脳が、ルノーサムスン自動車の役員と従業員に宛てたビデオメッセージだった。首脳はこの中で『釜山工場のストライキが続けば、ルノーや日産と後継車両に関する議論は出来ない』と言明した。
ルノーが80%の株式を握るルノーサムスンの釜山工場は、ルノーと日産から委託される形で日産のSUV『エクストレイル』の生産を手掛ける。18年の生産は10万7千台で、生産の半分を占めるといういびつな構造を持つ。
ルノーサムスンの関係者によると、労組は18年10月から19年2月までに賃上げ要求を掲げて136時間のストライキを実施。現在も継続中で、137億円の損失が発生したと言う。労組によるストライキは4年ぶり。現代自動車と関わりの深い上部団体の出身者が労組のトップに就いたのを機に強行派に転じたと見られる。労組はルノー首脳の発言に反発している。
韓国ではGMが18年に完成車工場の1つを閉鎖した。アジアへの輸出拠点として機能しなくなったことが一因だ。18年の韓国の自動車輸出台数は3%のマイナスだった。
真偽は確かでないが、現代自動車の従業員の給与レベルは、トヨタ自動車の水準を上回っているという報道もある。かつてUAWが力をテコに、ビッグスリーに待遇改善を迫り、日本車とのコスト競争に敗北した歴史が、今韓国で行われているのだなあ。しかも、日本の労組の場合、一般的に労組のトップは、その企業の中の組合員から選出される。このルノーの場合、外部からの労組トップであり、力で実績を勝ち取らないと役目が果たせないから、より強行な路線を走ることになるなあ。かつての日産労使紛争の二の舞を見ているようだ。