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『チキンラーメン生みの親「安藤百福伝㉖」 「私財投じスポーツ振興財団設立、持株は千株に」』

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今日の画像は、知る人ぞ知る、知らない人は全く知らない、生き生きと生き残る英国のクラシカルな名車『モーガン・ロードスター』です。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

『モーガン』は、なんとに車体の背骨が木製です。昔の馬車から自動車にキャビンの製造が移る中、何と、木製の部品をそのまま今でも踏襲しているのです。私がこの『モーガン』の名を知ったのは、ずいぶん前にモンブランなどを紹介した上前淳一郎著『世界の一流品紀行』という著書を読んだとき。当時でも価格は600万円也なれども、『モーガン』は半年の受注残を抱えている状況だと記述されていました。クラシカルを通り越して、もう骨とう品的な価値を感じますねえ。


★★NHKの朝ドラ『まんぷく』。チキンラーメンの生みの親『安藤百福さんの妻仁子さん』を主人公にしたドラマ。フィクションの部分もだいぶある。百福さんが台湾生まれで、織物の商売で独り立ちされたこと、終戦時には不動産に手を染め、その関係で信用組合の理事長に祭り上げられたことなど、経済人、財界人としての横顔が落ちている。ここに百福さんの『私の履歴書』を参考に、『チキンラーメン、即席ラーメン、百福さん』の歴史を綴る。


★★★『カップライス』には失敗したが、幸いにして経営に与える影響は小さかった。私はもう余計なことに手を出さないで、本業のインスタントラーメンの仕事に専念しようと心に決めた。

1982年(昭57)11月、勲二等瑞宝章を受章した。翌年、私財を投じて財団法人日清スポーツ振興財団を設立し、多くの方から祝福を受けた。そのお礼と即席めん開発25周年記念を兼ねて、東京と大阪でパーティーを開いた。

『食足世平(食足りて、世は平らか)』。25周年を迎えるに当たって、自分の心情を言葉にしてみたいと思い、ひらめいたのがこの4つの文字だった。パーティーの席でご披露した。何度も繰り返すが、私は戦後の窮乏の時代に食の大切さに目覚めた。人間は欲の深い生き物だが、特に食に対する欲望は果てしなく深い。食べるものがないということは、外に比較するものがないほとの苦しみである。食が足りてこそ人は心安らかになり、食が足りないと争いが絶えない。食の仕事は『聖職』であり、それに携わる人は、平和の使者だという思いを伝えたかったのである。

パーティーの席で、当時の中曽根総理が、長く縦に伸びた『平』の文字を指して、『安藤さんはその字の如く、一筋に食のことを考え続ける人である』と挨拶されたが、過分なお言葉と思う。その中曽根さんが当時、総理として頭を悩ませておられたのが、青少年の非行問題だった。中、高校生の構内暴力や、凶悪な少年犯罪が報じられ、国会でも議論が絶えなかった。核家族化と共稼ぎが進み『カギっ子』が社会問題になっていた。私は子供達の心を健全に育てるためには、スポーツの振興が欠かせないと思い、『日清スポーツ振興財団』を設立した。

私はもう年だったし、お金は持っているだけでは、生きたお金にはならない。そこで、食の仕事で得た財産を、今度はスポーツの振興に役立てようと考えたのである。保有していた日清食品の株式に若干の現金を加えて基本財産にした。その後さらに積み増したので、私の持ち株は千株にまで減った。


財団の一番大きな活動は、85年から17回に渡って続けている『全国小学生陸上競技交流大会』である。青木日本陸上連盟会長から、走ることは全てのスポーツの基本だから、小学生の陸上競技の振興に強力してほしいという要請があり、第1回から協賛してきた。決勝大会は例年8月、文部省の後援を得て、東京の国立競技場で開かれている。地方予選を含めると、参加者は常に30万人にものぼり、この大会に参加した選手の中から、すでにオリンピックや世界選手権の出場選手も輩出している。日本陸連では私の名前を冠した『安藤百福記念賞』を制定し、毎年、指導者を表彰している。

これまでに全国から計654人の方が受賞された。手弁当で小学生の競技指導に汗を流しているこのような人々の無償の努力が、日本の陸上界を支えているのだと思う。勲二等瑞宝章の受章は、25周年の節目に花を添えてくれた。即席めんを開発して、新しい産業を創出した功績によるというものだった。

私自身は、チキンラーメンという一粒の種が世界に広がった、そのこと自体が大きな勲章だと思っていたのに、さらに叙勲の栄に浴するとは望外の喜びだった。即席めんの発展に尽くされた多くの関係者に感謝している。(参考: 2001年9月・日経新聞『私の履歴書』。07年没、享年96歳)

☆☆☆<陸上部を解散した日清食品>安藤百福さんは、生前、こんなに少年達の将来を考えて『陸上競技』への支援に情熱を燃やしていたんだねえ。それなのに、ああ、それなのに、日清食品は、先月かな、『陸上部』を解散したのだ。栄光の実業団駅伝に優勝した経験もあるのに。佐賀県の『ひらまつ病院』や富山市の『セキノ興産』など地域の企業が必死で陸上・駅伝の伝統を下支えしているのに、日清食品は、駅伝の成績がちょっとよくないとして陸上部閉鎖だそうだ。

何を持って不振と言うのか。今年のニューイヤー駅伝では、日清食品は堂々の16位だ。セキノ興産は35位、ひらまつ病院は36位。それでも日々鍛錬し、全国大会に向け努力している。そして病院も企業も地域も支援している。

あの、スケートの『小平奈緒さん』を支援しているのは、長野県松本市の『相沢病院』である。院長は『今後も出来るだけ小平選手の支援を続ける』と言明している。まさに地域の誉れである、この相沢医院は。

ああそれなのに、それなのに、大企業、優良企業である日清食品が陸上部を閉鎖するなんて、経営者の良識・常識を疑う。閉鎖の記者会見さえ行っていない。社会との共生を拒否する会社なのだな。あのSB食品が業績の伸び悩みでかつて陸上部を閉鎖した際には、ちゃんと受け入れ先『DeNA』を探しだし、瀬古監督以下を完全移籍させ、記者会見もして世間に詫びた。これが常道、常識なのだなあ。今後、非常識な経営者が経営する日清食品の品物は買わないようにする。せめてもの、ささやかな抵抗だ。現在日清食品のトップは、この安藤百福の長男だのになあ、親の心、子知らずとはまさにこのことだ。


★★いよいよ『平成』も終わる。『昭和』はどんどん遠くなる。その昭和の歌謡界で、是非ともアップしておきたい人、『西条八十さん』。西条さんは、早稲田大の仏文の教授でありながら、童謡や校歌、歌謡曲の作詞も行って、同僚らから『堕落だ』と厳しく攻められた。なら、大衆のためだと、教授職を投げ打つ。そして作詞と仏文の研究を貫きとおし、幾多の名曲を生み出した。(「かなりや」「からすの手紙」「汽車の窓にてうたえる」「気まぐれ時計」「桐の花」)


『西條八十㉕ 大成した美空ひばり』
美空ひばりは昭和42年5月29日の誕生日で30歳になる。5年前に日活のスター、小林旭と結婚したが、わずか2年で離婚した。一卵性母娘と言われる母喜美枝が『加藤和枝は嫁にやるけど、美空ひばりはやらないよ』と旭に言った話が巷間伝わっている。あの母親が付いていては結婚生活もうまくいく訳がない。ひばりも可哀想にと八十は思う。

八十としては昨年の大ヒット曲で、古賀メロディの傑作、『悲しい酒』が最も印象深い。作詞は石本美由紀。妻晴子を偲びながら、一人でスコッチを飲んでいる時、テレビでひばりが『悲しい酒』を歌った。すると、『飲んで棄てたい面影が 飲めばグラスにまた浮かぶ』というところで不覚にも涙がこぼれた。ひばりの泣き節に泣かされてしまったのだ。

コロンビアでは看板歌手であるひばりの芸能生活20周年を記念して、『歌は我が命』というLPを誕生日に合わせて発売することになった。一流の作詞家、作曲家が1曲ずつ新曲を贈る趣向で、八十も『芸道一代』という歌を贈呈した。曲をつけたのは古賀政男の養子で、山本富士子の夫、山本丈晴である。その『芸道一代』は、17年間ひばりを見守ってきた八十が、思いを込めて書いた作品である。

◇『芸道一代』
 1.いのち一筋 芸一筋で 勝つか負けるか やるだけさ
 女黒髪 きりりとかんで 仰ぐおぼろの 仰ぐおぼろの
 月の色 月の色
 3.小粒ながらもひばりの鳥は 啼いて元気で 青空のぼる
 麦の畑の 小さな巣には わたし見ている わたし見ている
 母がある 母がある


レコーディングの日、ひばりは八十の顔を見るなり、『先生、ありがとう』と抱きついた。『おい、どうしたんだ』『今度の歌の、最後の歌詞が嬉しいの』『ああ、お母さんのことだね』『ええ、私、先生が母のこと嫌いなのを知っていたから』『嫌いという訳じゃないよ』『でも、好きじゃないでしょう。じゃ歌ってきます』。ひばりは笑顔で録音室に入って行った。八十と山本はミキサー室で、ひばりが歌うのを聴いていた。結婚と離婚を経験したことで一皮剥けたのだろう。小柄なのに、とても大きく見える。初めて会った時、こまっしゃくれた女の子だったのが、これほどまでの大歌手になった。

ひばりに歌を書くのはこれが最後と思ったが、翌年ひょんなことからもう一曲書くことになった。昭和43年10月、明治百年を記念して『大銀座祭』が開催された。そこで、銀座をPRする歌を作ることになり、大銀座祭実行委員会がコロンビアに委託した。鎌田文芸部長は、『日本一の盛り場にふさわしい、日本一の作詞家と作曲家、歌手に頼みましょう』と、八十、古賀、ひばりという豪華トリオに頼んできた。近頃、銀座へ出かけることもなくなった八十には断りたい仕事だったが、縁の深い銀座通連合会の頼みとあって結局引き受けた。A面の『銀座音頭』では、『銀座恋しや柳の並木 今は光の並木路』と、柳がなくなったことを惜しみつつ、『光は銀座から』という大銀座祭りのメインテーマを読み込んだ。B面の『若い銀座』でも懐古している。

前年11月、30余年にわたる研究の集大成と言うべき『アルチュール・ランボオ研究』が完成した。昭和初期の早大教授時代、学位論文として執筆を始め、恩師吉江の死去によって意欲を失い中断したが、疎開先の下館で大半を執筆した。ランボオの伝記や作品解釈の上で大きな意味を持つ研究書だ。前書きを書くと約束してくれたフランスのランボオ研究家、ルイ・ビルが、すでにこの世の人でないのが残念である。 (参考: 吉川潮著『流行歌・西條八十物語』)


★★<歴史的名車『モーガン、モーガン、ああモーガン』>英国の自動車メーカーは全く消滅したと言われる英国の自動車産業。だが、古式豊に細々とではるが、世界のファンに向けて、シャーシーは木製という、馬車時代の骨格をそなえたオープンカーがある。その名は『モーガン ロードスター』。この名を知ったのは、上前淳一郎著『世界の一流品紀行』。実物は見たことのないものの、こんな世界があったのかと、驚いた。少し長いが、英国名自動車物語と思召して、ご容赦。

良き時代のスポーツカー。古式ゆかしき“クルマづくり”を今日も守り続ける英国のスポーツカーメーカー、『モーガン』。そのラインナップの中でも、3.7リッターV6エンジンを搭載したホットモデル『ロードスター』に試乗。富士山麓でのドライブを楽しみつつ、良き時代に思いをはせた。

◇1930年代の姿そのままに
昨年(2018年)設立されたモーガンカーズ・ジャパンが用意したロードスターのメディア向けデモカーには、ご覧のように“1909”という登録ナンバーが選ばれている。モーガンファンならこの時点でピンとくるはずだが、それは自動車メーカーとしてのモーガンの創業年=1909年を示している。こうして三輪の『3ホイーラー』でスタートしたモーガンは、1936年に『4/4』で四輪車事業に進出した。以来、モーガンはパワートレインを時代ごとにアップデートしながらも、車体やシャシーの基本設計を大きく変えないままつくり続けられてきた。

もっとも、2000年にはそれまでと別物の四輪独立シャシーをもつ新世代モーガン『エアロ8』が登場して、それをベースにした第2世代の『プラス8』も2012年に発売されたものの、これらエアロ8/プラス8は昨2018年に生産が終了してしまった。

現在つくられているモーガンには、1936年以来の基本設計を受け継ぐ四輪車の3グレードのほか、1953年にいったん生産終了した後に2011年に復刻した3ホイーラーがある。つまり、いろいろと曲折を経つつも、今のモーガンは結局、1930年代と大きく変わりない顔ぶれに落ち着いているともいえる。……と書いている真っ最中に、ジュネーブショーで新開発プラットフォームの『プラス6』がベールを脱いでしまった(笑)。


とはいえ、そんな公開したてホヤホヤのニューモーガンをひとまず横に置けば、モーガン・ロードスターは3グレードある現時点での四輪車ラインナップのうち、動力性能ががもっとも高いモーガンという位置づけである。現行四輪車のエンジンはすべてフォード製で、ベーシックな4/4が1.6リッター4気筒、ひとつ上級の『プラス4』が2リッター4気筒、そして現在の最速モーガンとなる今回のロードスターが3.7リッターV6を積む。

フロントがスライディングピラー式、リアがリジッドのサスペンションをもつスチールラダーフレームにアッシュ(トリネコ)材の骨組みとアルミパネルによる上屋を組み合わせた車体構造など、パワートレイン以外の部分は3グレードで“基本的に”共通である。

◇加速性能は『タイプR』に比肩する
ここでわざわざ“基本的に”という注釈を入れたのは、今回試乗した最新のロードスターでは、リアリジッドアクスルのスプリングが、従来のリーフからコイルに進化していたからだ。リアのコイル化は先ごろ輸入されたロードスターからだという。弟分の4/4やプラス4での変更は今のところ伝えられていないそうだが、前記のようにモーガンの車体やシャシーは3グレードで基本的に同じである。4/4やプラス4に同様の変更がいつ加えられても不思議ではない。

このリアサス以外のロードスターならではの特徴としては、やはり専用となるパワートレインが挙げられる。モーガンに使われるV6エンジンは、フォードでは『サイクロン』や『デュラテック』と呼ばれるもので、フォード傘下時代のマツダも『MZI』の名で北米向けモデルに使っていたものの3.7リッター版だ。

モーガンカーズ・ジャパン担当のジャスティン・ガーディナー氏によると、『V6と6MTはどちらも「フォード・マスタング」のものですが、細かくいうとエンジンは先代モデル用、変速機は現行モデル用』とのことだ。まあ、エンジンスペックについてはマスタングと微妙にチューニングが異なるようだが、基本的にはそういうことなのだろう。


284ps、352Nmという出力、トルクは現代の3.7リッターとしてはどうということのないレベルであるが、それを積むモーガン・ロードスターの車重は『マツダ・ロードスター』とほぼ同等の約1トン(!)しかない。パワーウェイトレシオ、トルクウェイトレシオはそこいらのスポーツカーを蹴散らすレベルだ。0-100km/h加速5.5秒というロードスターのメーカー公表値は、現代のクルマでいうと、たとえば『ホンダ・シビック タイプR』、あるいはポルシェでたとえるなら、『「718』になる前の2.7リッター6気筒を積んでいた『ボクスター』のPDK車とほぼ同タイムである。

◇強力なキック力こそ身上
数値的にはなるほどスーパーな動力性能を誇るモーガン・ロードスターだが、その味わいは最新の武闘派スポーツカーのようなトゲトゲしいものではない。フォードV6そのものがけっこう牧歌的なフィーリングであると同時に、そのピーク性能を実際に引き出すにはそれなりのハードルがあるからだ。3.7リッターV6は意を決して踏み込めばリミットの6700rpmまできちんと回ることは回るものの、スロットルペダルが渋いうえに、車重が軽いので3000rpmも回せば十二分に速い。そんなありあまるエンジン性能に加えて、エンジンと運転席との間には薄壁が一枚あるだけ。5000rpmにも達すれば盛大なエンジンノイズとクルマ全体が身ぶるいするような振動、そして圧迫感にさいなまれる。

……というわけで、洗練された現代のクルマの経験しかないと、ピーク性能のはるか手前で右足をゆるめるか、あるいは耐え切れずにシフトアップしてしまうことだろう。もっとも、それでもこのクルマの本質は存分に味わえる。V6モーガン最大の妙味は、そんなトップエンド領域より、速度やギアポジション、エンジン回転数、あるいは勾配など関係ないかのように、いかなる場面でも繰り出される強力なキック力だからだ。


また、カタログ表記の最高速度はじつに225km/hだが、実際には車速90~100km/hをさかいにステアリングの手応えが明らかに薄れはじめて、直進性も少しずつ悪化していく。サーキットコースなどでの経験によると120km/h以上になると、足もとがドシバタ暴れる。これは古典的なシャシー設計の影響もあろうが、いかにも空気をはらみそうなクラムシェルフェンダーや後ろ下がりのスタイリングによる、浮きやすい空力特性の影響が大きいと思われる。

◇確かに進化しているものの……
現行モーガンで最上級となるロードスターゆえに、今回の試乗車はエンジン以外の装備やメカニズムもモーガンとしては上級のものが選ばれていた。たとえばフロントとサイドの4カ所のホックを外すだけで後ろに折りたたまれるモヘアのソフトトップは簡易な取り外し式PVCトップより高価な上級オプションだし、プラス4にだけ用意されるオプションのエアコン(!)も装備されていた。また、このロードスター専用にパワーステアリングも標準装備されるのだが、実際のステアリング操作は、正直なところ、そうとは思えない程度には重い。V6による前軸荷重の増大と相殺されてプラマイゼロといった感じか。

コイル化されたリアサスペンションは、25年ほど前の初試乗、そして十数年前の最後の試乗……という私個人のモーガン体験の遠い記憶を呼び起こしても、路面の細かい凹凸を吸い込むように、しなやかにストロークするようになったのは間違いない。モーガンの古典パッケージでは自分のお尻のすぐそばにリアアクスルが位置しているから、その効能は意外なほど如実に分かるのだ。それに、205幅の最新スポーツラジアルタイヤの恩恵で、少なくともドライの舗装路では3.7リッターV6のトルクに対するグリップ力にも不足はない。

……とはいえ、約80年前の設計を受け継ぐモーガンを、現代のクルマと真正面から比較するのは無理がある。
路面のウネリを通過すると、木製骨格の上屋がミシミシとねじれるのが手に取るように分かる。フロントのスライディングピラー式サスペンションはおそらく現代でもっとも簡素な形式(ラジコンカーに詳しい向きなら「キングピンコイル式」と呼んだほうが分かりやすいかも)で、伸び側を規制するリバウンドスプリングも備わって適度にロールを抑制しようとしているが、中立付近には明確な不感帯があり、しかもそこからの舵の利きも一定ではなく、路面からのフィードバックも薄い。


◇バイアスタイヤの時代のクルマ
だから、モーガンでは『ブレーキをわずかに残しながらターンイン』といった現代風の運転はあまり向いていない。もちろん、今回履いていたエイヴォンの最新スポーツタイヤ『ZV7』のグリップが優秀なので、そういう走りをしても取っ散らかったりはしない。……しないけれど、モーガンを山坂道で走らせるときは、コーナー手前の直線部分できっちりと速度を落としつくしてから、ステアリングを切るのが基本作法である。

ただ、いったん曲がりはじめれば、それ以降の主役はリアアクスルだ。ドラテクに覚えがあれば、スロットルを積極的に踏み込んで自在に曲げることも可能だろう。そうやってステアリングに頼らない状態に持ち込めれば、モーガンの前後重量バランスは静的にはわずかにリア優勢=すこぶる好バランスなので意外なほど素直に曲がって、コントロール性も高い。

……といった味わいのモーガンに乗りながら、このクルマが最初に設計された1930年代はそもそもラジアルタイヤがない時代だったことに思いがいたった。現代のラジアルタイヤとそれ以前の主流だったバイアスタイヤの技術的な差異をここで説明することはしない。ただ、おおざっぱにいうと、バイアスタイヤは本体のケース剛性がより低く、より丸っこい断面形状をしており、早い段階から徐々にグリップを失う……というか、そのグリップ限界のボーダーラインを使って走るのが基本である。

1948年に実用化されたラジアルタイヤはそれとは逆で、ケース剛性が高くて変形しにくく、それゆえに接地面を最大限に確保できる角ばった断面形状をしている。グリップを失うときにはバイアスのように粘らず、一気に抜ける。そういうラジアルタイヤを使いこなすには、走行中もいかにタイヤを垂直(か、それに近い理想的な角度)に接地させてグリップ限界を引き出せるかが肝要である。そしてラジアルタイヤがあったからこそ、キャンバー変化を排除すべく現代の複雑なサスペンション形式が発展してきた……という側面もある。


◇多少の不便さえ新鮮に感じる
だから、モーガン・ロードスターに乗りながら『バイアスタイヤを履いた本来のモーガンは、もっとステキな乗り味なんだろうな』とも思った。キャンバー変化の大きいスライディングピラー形式サスペンションも、そもそもが丸い断面形状のバイアスタイヤありき……の設計である。それに、バイアス特有の粘りつくようなグリップ感があれば、今はデッドな感触が気になるステアリングも、路面からより濃厚なフィードバックを伝えるはずだ。また、バイアスでのコーナリングではタイヤが滑るのが基本だから、モーガンの生来の優れた前後重量配分がいよいよ輝くこと間違いなしである。

誤解のないようにいっておくが、これは『バイアスを履け』という意味ではない。乗用車用バイアスタイヤの入手はもはや困難だし、最新のラジアルとバイアスとではタイヤ単体性能は雲泥の差がある。わざわざ性能の低いタイヤを好んで履くなんて、安全性という意味でも現代ではありえない。ただ、そんな良き時代に思いをはせつつ、右腕にぴったりフィットするように切り欠かれた合板製ドアにヒジを置いてモーガンを転がす……という行為は、なんとも上級エンスーのうらやましい世界だということだ。

現代のモーガンでうれしいのは、今回のにわかオーナー体験中も、信頼性やトラブルの不安とはまるで無縁だったことである。車体はなにせ80年もつくり続けられてトラブルシューティングなどとっくに終わっている。そこに現代の量産パワートレインを積むのだから、そもそも壊れそうなところはひとつもない。今回は冷房性能を試すことはできなかったが、ヒーターは真冬の試乗でも基本的に強力に効くのでご安心を……と、ここでも“基本的に”と注釈をつけたのは、市街地ではヌクヌクだったモーガンも車速が90km/h前後に達すると、ヒーターから出てくる温風が途端に冷たくなったからだ。スカスカのエンジンルームに現代エンジンを積むモーガンだからオーバーヒートの心配はまずなさそうだが、このぶんだとオーバークールには配慮が必要なようだ。

まあ熱害ではなく冷えすぎ対策なら、人間とクルマの両面で、いくらでも工夫が可能だから心配ない……と、いまさら自然環境に左右されるクルマ生活はなんとも新鮮である。こういう不便もすべてひっくるめて楽しむのが、モーガンに乗るという行為である。


(テスト車のデータ )
ボディーサイズ:全長×全幅×全高=4010×1720×1220mm
ホイールベース:2490mm 車重:950kg(乾燥重量)
駆動方式:FR エンジン:3.7リッターV6 DOHC 24バルブ
トランスミッション:6段MT 最高出力:284ps(209kW)/6000rpm
最大トルク:352Nm(35.9kgm)/--rpm
タイヤ:(前)205/60R15 91V/(後)205/60R15 91V(エイヴォンZV7)
燃費:--km/リッター 価格:993万6000円/テスト車=1186万9200円
テスト車の年式:2018年型 テスト車の走行距離:2362km
テスト形態:ロードインプレッション 走行状態:市街地(3)/高速道路(6)/山岳路(1)
テスト距離:402.2km 使用燃料:38.5リッター(ハイオクガソリン)
参考燃費:10.4km/リッター(満タン法)/10リッター/100km(10.0kmリッター、車載燃費計計測値)
(参考: 佐野弘宗筆)


★★<日産、1年半ぶり新型車=国内市場てこ入れ>笑ったねえ時事通信のこの記事。日産がどんな新型車を出したのかと思えば、三菱自動車と共同開発し、委託生産する軽自動車の双子車なのだ。お笑い三人男の新型車だなあ。絶対的に面白い笑えるネタだ。例えば、トヨタがダイハツの軽自動車の新型車にトヨタのマークをつけた双子車を発売し、『トヨタの新型車』とアナウンスするのと同じ。バッカらしい、なあ。

日産自動車と三菱自動車は、共同開発した軽自動車を全面改良し、28日に発売すると発表した。日産は『デイズ』、三菱自は『eKワゴン』として販売する。日産としては1年半ぶりに国内市場に投入する新型車となり、シェア5位と振るわない国内販売のてこ入れにつなげたい考えだ。

両社は14日、新型軽を生産する三菱自の水島製作所で、発売に向けた式典を開催。三菱自の益子修CEOは『日産の先進技術と、三菱自の軽生産のノウハウを融合させることができた』と語った。 


★★<JOC竹田会長、退任不可避 五輪招致で汚職疑惑>2020年東京五輪・パラリンピックの招致疑惑を巡り、フランス司法当局から贈賄容疑で捜査対象となっている日本オリンピック委員会JOC)竹田恒和会長(71)の退任が避けられない見通しとなっている。

旧皇族出身で馬術競技で五輪出場経験のある竹田会長は2001年にJOC会長に就任し、現在10期目。JOCは6月末に役員改選を控えている。東京五輪まで1年半を切り、JOC内では現在71歳の竹田会長の続投を視野に『就任時70歳未満』とする役員選任に関する規定の見直しなどを検討していた。

だが、フランスの捜査の行方が見通せないことに加え、最近は竹田会長も海外出張を取りやめるなど、活動に影響が出始めていた。また、スポーツ庁で競技団体のガバナンスに関する新たな運営指針を策定し、理事の任期や再任回数を制限する案が出ていることから、JOCが事実上の定年延長に当たる規定見直しには批判の声も出ていた。また、IOCからはそれとなく、退任を促すサインも出ている様子。ローザンヌで開催される会議にも呼ばれていないとか。IOCは過去の経緯から、金銭にまつわるスキャンダルに極端に敏感になっている。

疑惑を巡っては、東京招致委員会からシンガポールのコンサルタント会社に約2億2000万円がコンサルタント料として支払われたことが明らかになっている。この資金が開催地決定に強い影響力を持っていたとされる、元国際オリンピック委員会IOC委員でラミン・ディアク前国際陸上連盟会長と、その息子であるパパマッサタ氏に賄賂としてわたったとの疑惑がかけられている。竹田会長は招致委の理事長を務めていた。

まあ、五輪開会式前にフランス当局から起訴でもされたら、開会式がとん挫するからねえ。止むをえまい。資金の流れからしても、何やら疑わしいコンサルではある。


★★<名門大不合格、55兆円の損害賠償求め提訴 米不正入学>米国で発覚した名門大を巻き込んだ大規模不正入学事件で、スタンフォード大の学生らが、不正を主導した進学指導会社経営のウィリアム・シンガー被告と大学側関係者を相手取り、損害賠償を求める集団訴訟をカリフォルニア州の連邦裁判所に起こした。息子を事件に関連する名門大に落とされたと主張する母親も、5千億ドル(55兆8千億円)の損害賠償を求める訴訟を起こした。

スタンフォード大は西海岸の名門大学。シンガー被告はセーリング部のコーチと共謀し、裕福な家庭の子弟を優秀なセーリングの選手に『偽装』し、入学させようとしたとされている。集団訴訟を起こした学生らは『不正入学が行われていると知っていたら、受験料を払って名門大を受験することはなかった』とし、『事件でスタンフォード大の学位の価値は落ちた』と主張。損害賠償金の支払いのほか、大学側に制裁金を課すことも求めている。

元教師の女性らはシンガー被告らを相手取り、55兆円超の損害賠償を求める集団訴訟をサンフランシスコの裁判所に起こした。女性は訴状で『息子が入学を拒否されたのは、努力しなかったからではなく、裕福な家庭がうそをつき、賄賂を払ったせいだ』と主張している。また、事件で不正入学した学生が、不真面目な学生生活をSNSで発信していたことがわかり、厳しい非難を浴びている。

人気ドラマ『フルハウス』に出演した俳優ロリ・ロックリン被告の娘は、不正に入学した南カリフォルニア大での豪華な寮生活の動画を動画サイト『ユーチューブ』に投稿。フォロワー数が200万人近い人気ユーチューバーになっている。昨年夏に投稿した動画では『私はもっとパーティーに参加したい。みんなも知っていると思うけど、勉強にはあまり興味がない』と語っていた。

しっかし、アメリカ的だねえ、55兆円の損害賠償訴訟とは。まあ、人種差別主義者のトランプが大統領になる国だから、何でもあり、なんだろうねえ。


★★<広島の中国電力、ベアゼロ、ボーナス3.3カ月は怪しい>中国電力の今年の春闘は、ベアゼロ、年間一時金3.3カ月分で妥結したと、地元紙が報じた。まあ、東電のような企業は別として、中国電力は曲りなりにも黒字企業。それが年間ボーナスば3.3カ月とは、解せない。

調べると、東電は、『年収水準は現状維持、カイゼン・プラスとして全員に6万円支給』と発表。年間ボーナスの内容は未発表。年収は平均700万円程度とされているから、まあ世の中の相場からすると高い。そして、世間の目をくらますため、ボーナスの内容を隠すという姑息な手段を用いている。

関西電力は、ベアを1,500円、ボーナスは年間4.15カ月分と発表。ベア1,500円は電機より高い。

中国電力は、東電とは事情が異なり、関西電力のほどの体力はないにしろ、年間ボーナス3.3カ月分とはあの三菱自動車が大赤字を計上した時の水準。拙者が見るに、電力値上げを控えているのか、世間をはばかり、労使はテーブルの下で隠しボーナスを出し、この水準で世間を騙そうとしてると思う。姑息なり、中国電力だ。

ふと、気づいた。そうだ、おそらく。公務員は3月の年度末に1ヵ月分程度の『期末手当』が出る。公務員の好評ボーナスにはこの期末手当は入っていない。夏と冬の2回分だ。この『期末手当』は、ボーナス公表分に含まれない、ヤミのような手当。中国電力は公務員の集まりのような会社だから、期末手当があるんだな。それで3ヵ月分という低いボーナス条件でも飲むんだ。結果4ヵ月分余りのボーナス。まあ黒字すれすれの企業体の懐具体からすると見合いの水準ではあるがな。


★★<燃え続けるボタ山、2年 佐賀県多久市>佐賀県多久市で、石炭のくずが積みあがった『ボタ山』が、2年近くくすぶりながら燃え続けている。これまでにじわじわと3千屬焼損。有効な鎮火の手だてが見当たらず、市や消防は頭をかかえている。

ボタ山があるのは、北多久町小侍の山中。1970年頃まで近くで炭坑が稼働していた。辺り一面には温泉のような臭いが広がっている。黒く焦げた山の斜面から白い煙が立ち上り、周囲には焼けた草木。土は温かく、長時間触れられないほど熱い場所もある。

火がついたのは、2017年5月28日。ボタ山がある土地の所有者が、伐採した草木を消却している時に火が広がった。消防が消火活動をしたが、地下の石炭くずに引火しくすぶっている。

ボタ山の麓には田畑や民家がある。『臭いが気になる』『規制線や柵が必要なのではないか』と不安の声が上がる一方、平然と受け止める人も。72歳の男性は『前から煙が出ているのは知っていたが、野焼きかと思っていた』と話す。

消防は定期的に放水しており、これまでに180回出動している。鎮火の決め手がないものの、何かの手だては、と関係者は悩んでいる。

この『多久市』。懐かしくてフォローした。その昔、会社の従業員の採用で、佐賀長崎の職安周りをしていたことがある。その折、多久には伊万里から周り、小城に出るルートで立ち寄った。炭坑閉山で職を探している人達が多くいて、私も何人か採用した記憶がある。はるか彼方の思い出だが、多久の炭坑と、小城の羊羹、佐賀市の唐人町はよく覚えている。

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