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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『造船復活⑦ 三和ドック「環境対応、既存船で拡大」』

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今日の画像は、4月に限定150台の限定販売が開始される『マツダロードスター30年記念車』と、色とりどりの美しき『ガーベラ』です。ロードスターの30年記念車は全世界で3,000台の販売計画で、すでにアメリカでは2月に発売日に500台が完売したと。日本ではどうかな。


★★★船舶の環境規制強化をにらんだ戦略を展開する尾道『三和ドック』。寺西勇社長は、環境対応を既存船で拡大している戦略だと語る。以下。

今夏、国内で初めてSOxを除去する排ガス浄化装置を既存船に設置する工事を実施。空荷の貨物船がバランスと取るために積む海水バラスト水が渡航先の環境や生態系に影響を与えないようにする浄化装置の取り付けも来年は受注が拡大するだろう。

改修予定船の航海中に船内の寸法などを測定し、ドックでの作業を効率化する工法が注目を浴びている。3次元レーザースキャナー3Dを使い、船内各所の3D座標を収集し立体図えお作成する。これを基に新たに取り付ける装置に使う配管やバルブ、機材の作業手順を事前に構築出来る。我々が『リバースエンジニアリング』と呼んでいるこの独自の手法で、作業の精度が飛躍的に高まるだけでなく、工期も短縮出来て顧客に喜ばれている。

2020年に始まる船舶のSOx規制強化による世界経済へのコストインパクトが5年間で1兆ドル、110兆円に及ぶという予測もある。EUや韓国などは官民一体となり自国産業の保護や需要発掘に取り組んでいるが、日本はどうも動きが鈍い。

バラスト水浄化装置では世界水準に達している部材メーカーで目立つのは外国メーカーばかり。我が社は日本製を待ち望んでいるのだが、やむなく外国製を使っている。新たなモノ造りに挑むチャレンジ精神が日本のメーカーから失われている気がしてならない。

心配だねえ、『鍋カエル』になった部材メーカーの体質は。気概なきところに、革新なし。革新なきところに、繁栄なし、だがなあ。


★★<労使協定の『労働者代表』に問われる正統性>働き方改革関連法の一部施行で4月1日に始まる『脱時間給=高度プロフェッショナル制度』などの新しい働き方は、導入に当たって『労働者代表』と使用者間の協定は決議が必要だ。ただ最近の裁判で労働者の代表を選ぶ手法が不当だとして、協定を無効とする判断が相次いでいる。労働者代表の政党性をどう確保するかは、働き方改革を左右する大きな経営問題となりそうだ。

多くの労働法は新しい働き方を導入するに当たって、使用者に労働者の過半数を代表する者との協定を結ぶよう定めている。基本的には過半数が加入する労働組合が代表になるが、労組がない場合は過半数の労働者を代表する人物が該当する。具体的には使用者は労使協定の度に労働者に過半数を代表する者を選ばせる必要がある。

だが代表者を巡るトラブルが相次いでいる。その一つが2017年9月の長崎地裁の判決だ。この裁判は長崎市の食品会社の従業員ら5人が会社を相手に起こしたもの。)楜襪畔未忙拱Г錣譴討い審銅鐚蠹鯒兒澆掘△曚榮嘘曚鮓把蟷超搬紊箸垢觸業規則の改正、1年単位の変形労働制を継続する労使協定―を『不当な代表者が結んだ協定』と主張。本来の時間外賃金支払いを求めていた。

原告弁護人は『管理部の係長が代表者になり、労働条件を不利に変更する就業規則などに同意していた』と説明する。裁判で原告側が『労基法の施行規則では、代表者は投票や挙手で選ぶと定められているが、そうした手順はなかった』などと協定の無効を主張。会社側は『総務・管理の社員が代表者になるのは慣例』などと反論した。


判決で長崎地裁は『署名捺印者は、施行規則が定めた手続きで選ばれていない』と認定。5人は就業規則改正に同意したとは言えず、変形労働制の効力も及ばないと判示し、会社に時間外賃金1,670万円余りと利息の支払いを命じた。会社は一時控訴したが結局支払に応じ、現在は『制度改善に向け労働者と協議中』と言う。

同じ年には京都地裁でも、同様に代表者の選定が問題視され、色彩デザイナーへの専門業務型裁量労働制への導入が否定される判決が出た。01年の最高裁判決も、代表者の正統性判断で見逃せない重みがある。

19年4月からは労基法施行規則6条の過半数代表者選出規定が強化されることも要注意だ。〇藩兌圓琉娶覗出された者でないこと、協定事務を円滑に行えるよう使用者が配慮すること―が加わる。使用者が代表者選びに介入することを拒む狙いがある。正統性のハードルは上がる。

働き型改革の成果を引き出すためにも、労使自治の大原則である自由で民主的な代表者選びに立ち返る必要がある。


★★<栃ノ心が大関陥落『負けた方が弱いから負けた』>かど番の栃ノ心(31=春日野)が貴景勝との“入れ替え戦”に敗れ、大関陥落が決まった。立ち合いで当たり負け、体を起こされた。下からの突き押しに何とか抵抗しようとしたが、最後は棒立ちで土俵を割った。『いやもう…何もできなかった。負けた方が弱いから負けた。勝った方が強いから勝った』。支度部屋ではぼうぜんとした顔で、声を絞り出した。

昨年秋場所に続く2度目のかど番の今場所、初心に戻るべく、濃紺の締め込みを、初優勝した昨年初場所で使ったねずみ色のものに戻した。ただ『勝たないと…』と思い、焦る心は変えられない。大関昇進場所の昨年名古屋場所で右足親指付け根の靱帯を痛めてから、続いたケガの連鎖。先場所直前の右太もも肉離れは治った。今場所前にはスクワットで重さ240キロを挙げた。ただ『相撲と使う筋肉はちょっと違うんだよ』と戻った筋力は、土俵で生かすまで体になじんでいなかった。

関脇で臨む来場所に10勝すれば、再び大関に復帰できる。『休みます。しっかり休みま』。大関昇進後の5場所は2桁白星もなく、途中休場2度。右四つでまわしを引いたら誰にも負けない怪力相撲を取り戻すため、まずは心と体を整理する。

『栃ノ心』は、自らの剛力に沈んだと見るね。豪腕力士にありがちな、力に頼った相撲になって、技が進まない。記憶にあるのは『把瑠都』。力があるが、それにまかせて、小兵に潜り込まれ技負けする。栃ノ心の相撲を見ていると、ほとんど腰高。これでは重心が高くなり、押されたら押されっぱなしになる。技がないからこれをしのげない。まあ、ケガも災いしているが、来場所10勝を賭けた勝負になるが、相撲を変えない限り勝ち越しは無理とみるねえ。


★★<安藤百福偉大なる発明家であり、起業家であり、経営者であった>NHK朝ドラ『まんぷく』のモデル、日清食品の創業者、『安藤百福さん』は2007年1月5日に亡くなった。96歳だった。その4日後、『ニューヨークタイムズ』紙は、『ミスター・ヌードルに感謝』と題する社説を掲載し、次のような文章で結んだ。

『インスタントラーメンの発明によって、安藤は人類の進歩の殿堂にその名を永遠に残すことになった。人に魚を釣る方法を教えれば、その人は一生食べていける。人にラーメンを与えれば、何も教える必要はない』。これは、安藤と彼の発明に対する最大級の賛辞を表したものにほかならない。彼はまさしく偉大な発明家だった。しかしそれだけではない。偉大な産業人であり、また起業家、経営者でもあった。

数多の特許侵害にもめげず、みずから開発した技術を一人占めすることなく、オープンな使用許諾を通じて、おのれも競争に身を投じ、新産業の発展へと結実させた。歴史を遡ってみても、類似する例は極めて少ない。当時の特許庁長官も『知的所有権を独占せずに公開して、世界的な産業にまで発展させた人は安藤さんをおいてほかにない』と評している。安藤さんいわく、『会社は野中の一本杉であるよりも、森として発展したほうがよい』と。


安藤さんに限らないが、大事を成し遂げる人には、その人の一生を貫く強烈な原体験の存在が共通している。終戦翌年の1946年の冬、大阪の御堂筋を歩いていると、腹を空かせた子どもたち、やせ細り、うつろな目をした飢餓状態の人たちがたくさんいた。道端にうずくまっている人がいたが、それは餓死者だった。安藤さんはこの光景を見て、『衣食住というが、食がなければ衣も住も芸術も文化もあったものではない』と思い至る。

その翌年の冬、阪急梅田駅の裏手にあった闇市を通りかかると、一軒の屋台の前に20~30メートルの長い行列ができていた。それはラーメンを待つ行列だった。温かいラーメンをすすっている人たちの顔は、皆幸せそうな表情に包まれていた。これが安藤さんのその後の人生を決定付けた一瞬であった。

日清食品の企業理念は『食足世平(しょくそくせへい)』(食足りて世は平らか)だが、そのルーツにはこうした実体験がある。安藤さんは、チキンラーメンの発明に成功するまで、実に多くの商売を起業している。メリヤス貿易、製塩、学校経営、加工食品、蚕糸、幻灯機、炭焼き、軍用機用エンジン部品等──。

戦後という時代背景もあったであろうが、このように次から次へと新しい事業に手を染めた。しかし、禍福はあざなえる縄のごとしというが、成功したかと思うと、はめられたり騙されたりで、気づいてみれば無一文になっていた。しかし、彼の旺盛な好奇心や起業家精神は萎えることはなかった。

しかも、『人生に遅すぎるということはない。50歳からでも60歳からでも新しい出発はある』とみずから述べているように、安藤さんには年齢規範という偏狭で窮屈な『べき論』はなかった。実際、チキンラーメンの開発は48歳、カップヌードルは61歳の時である。ちなみに、これら世界的大ヒット商品は、いわゆる『カテゴリー創造型イノベーション』の典型であり、まさしくブルーオーシャンを見出した。


近代細菌学の開祖、ルイ・パスツールのスピーチに、こんな一節がある。『幸運は「待ち受ける心」(prepared mind)にだけ味方する』と。すなわち、常日頃から探究心を持って日々努力している者にのみ、幸運の女神は微笑む。なるほど、安藤の数々のひらめきは、突き抜けた執念と一意専心の取り組みの賜物である。

この待ち受ける心の持ち主は、こんな言葉を残している。
『考えて、考えて、考え抜け』『ひらめきは執念から』
けだし、起業、そしてイノベーションの極意である。
確かに、運命の神は、それを待ち受けている人、心構えの出来ている人の下にしか降臨しないのだな。ぼんやりしていると、幸運は目の前をすーと通り過ぎているのだろう。私の前もそうだよねえ。


★★<緒方監督インタビュー、常勝カープは『戸惑い』から>セ・パ2リーグ制に移行した1950年以降、3連覇を達成した球団は6。セ・リーグではV9という圧倒的な時代を築いた実績を誇るジャイアンツが5回3連覇以上を成し遂げているが、あとは昨年から続くセ・リーグ王者の広島東洋カープのみである。

カープの指揮官・緒方孝市は4年間で3度のセ・リーグ制覇を果たした。今、『もっとも勝っている監督』といって差し支えない。しかし、かといってそれにふさわしい評価を受け取っているわけではない。『12球団一、過小評価されている』といっても過言ではないだろう。それでも当の本人は表情ひとつ変えずに『当たり前だ』と言った。

なぜか? いかにして“勝てるチーム”を作り上げ、勝利に導いているのか?  以下、普段は寡黙な指揮官のインタビュー。


◇必要だった選手時代の目線を捨てる覚悟 
1987年に広島東洋カープに入団した緒方孝市は、32年にわたり赤いユニフォームに身をまとい続けている。現役生活22年、最後の2年はコーチを兼任しながら現役を続け、引退後は野手総合、打撃、守備・走塁、ヘッドコーチといずれも一軍でカープを支えた。そして2014年シーズン終了後、監督に就任。下馬評の高かった就任1年目はBクラスに終わったものの、2年目からはチーム3連覇に導いた――。

―― 14年シーズン終了後、5年間のコーチを経て監督に就任されました。
(緒方) 戸惑いましたね。選手からコーチになって最初に感じたことがそれでした。

―― それはどういうことでしょうか? 
(緒方) アスリートから指導者になるという切り替えの部分ですね。自分がグラウンドに出てプレーするわけじゃなく、逆にグラウンドの外から野球を見る立場。選手や試合の流れを見て、どうすべきか、何をすべきなのかを指導、指示する立場になった。経験してきたことが生かされることはあっても、それがすべてではないですからね。

―― アスリートじゃないと自覚するのは難しかった、ということですか。
(緒方) 難しいですよ。なかなか切り離せない。指導をしていて思ったのは『アスリートとしての経験が邪魔になる』ということでした。(プレーしているのは)自分じゃないので、自分の経験則だけを元にした指導になってはいけない。言葉ひとつをとっても、選手の受け取り方は十人十色。だからいろんな引き出し、いろんなものの見方、捉え方、考え方をした上で(伝えるための)言動を考えないといけない。それに気づき、慣れるのに少し時間がかかりました。

選手として一時代を築いた緒方が、指導者生活を振り返り、まず口にした『戸惑い』。選手からコーチそして監督へ、同じ“プロ野球”でも、立場によって捉え方も視点も、考え方も異なる。そのときどきで緒方は自身を変化させながら適応していった。


◇パニックになりそうな1年目
―― 具体的にはどういったことを変えていく必要性があったのでしょうか。
(緒方) 悪い意味ではなく、自分の考え方だけを言い続けても、受け入れられないことは多々あります。理解してもらえないこともあるくらいです。それは選手に対してだけではありません。でも監督というのは、選手はもちろんファンの方や野球を知らない方にも発信しないといけない立場にある。すべての人に受け入れてもらう必要はないのかもしれませんが、伝える立場にある以上は、それでも理解してもらわないといけないと思っています。話し方にしても、文章の作り方にしても、そのスキルが必要だと思ったので、監督をやるようになってから習いにも行きました。詳しくは言いませんが。

―― なるほど。それほどの違いがあった。
(緒方) 年齢を重ねたこともありますが、野球とはまったく違うことも(監督として)必要なことだと思いますしね。

―― ではその次の『コーチ』と『監督』の違いは何だったのでしょうか。
(緒方) 立場が変われば視野も変わるし、やることも新たに加わる・・・。まったく違うわけではありませんが、要求されることが全然違いますね。コーチから監督になった1年目は組織のマネジメントを意識しましたが、勉強することが多すぎてパニックになるような1年だったなと思います。難しいと感じましたが、それは今も変わりません。4年終わっても知らないこと、足りないと、感じるものはいろいろとあります。1日1日、気づきの連続で学ぶことばかりです。 

『気づきの連続』という日々に背負向けず真っ向から立ち向かう。緒方のこの姿勢は現役時代から変わらないものだ。若き時代、猛練習でレギュラーの座をつかんだように、監督となっても努力を怠らない。シーズン中は誰よりも早く球場入りし、試合後も監督室で映像をチェック。選手への指導はコーチに一任し、トレーナーなどの裏方に、選手の素顔や本音を探るなど、チームを俯瞰しながら全体を把握していく。『パニックになりそうな1年目』を経て、早々に常勝軍団を作り上げた。

―― 自分の方針をどのようにしてチームに浸透させたのでしょうか。
(緒方) 自分の野球観や考えを(監督である)自分だけが分かっていてもダメ。ではそれを直接選手に伝えるかと言えばしません。選手はそういったことを考えながらプレーなんてしませんから。選手は自分の成績のためにプレーするもの。それでいいんです。投手は1つのアウトをとるために、野手は1本のヒットのために、1つのゴロを取ることに集中しないといけない。だから自分の野球観はコーチであり、トレーナーであり、マネージャーにしっかりと伝えることにしました。 ただ、100%伝わっていなくてもいいと思っています。コーチたちも野球観を持っているし、持っていないといけませんから。


―― 実際、選手への指導はコーチに一任しているように見えます。
(緒方) 指導の部分は任せていますね。技術指導や選手との対話、コミュニケーションには口を出そうと思いません。コーチも指導方法まで(監督に)言われてしまうと、『自分の仕事は何だろう』と、何をやっていいか分からなくなるでしょう。僕自身のコーチ時代の経験から、監督がどういう野球をするのかが分かった上で技術指導をすることが大事だと感じていました。もちろんこちらから『こうしてくれ』と指示するときもありますよ。でも、対話のなかで自分の野球観や考えをいかに理解してもらうかがもっとも大事だと思っています。

―― 監督は選手を選べません。戦う集団、勝てる集団に育てる秘訣は何でしょうか。
(緒方) 監督は指揮を執るといっても1人では戦えません。グラウンドで戦うのは選手。その選手をしっかり指導、サポートするのがコーチであり、マネージャーであり、トレーナー・・・さまざまな人が関わっています。ですから、個々で見るのではなく、組織として見ないといけません。先ほど選手はグラウンドで結果を出す、自分の成績のためにプレーすればいいと言いました。でもプレーしている選手だけで勝てる甘い世界ではありません。そして監督だけでも勝てない。長いペナントレースを勝ち抜くためには、しっかりとした組織を作らないと戦っていけません。

エース・前田健太(ドジャース)が抜けた年に25年ぶりの優勝を果たし、精神的支柱であった黒田博樹氏が引退しても、連覇を果たした。個ではなく、組織としてチームを作り上げたことが、3連覇への道筋を作ったと言える。広島一筋だからこそ、その機微をつかめたという一面もあるのだろう。

―― 組織を作る。その中で広島という球団の特徴をどう考えますか。
(緒方) 独特なものがあると思っています。選手を育成して戦力にして戦っていかないといけません。(FAやトレードなどで)1年1年大きな戦力を補強して、まったく違うチームにすることはできない。広島が戦っていく道は、その道しかないわけです。ただ、私は逆にそれでいいと思っています。広島でほかの道は考えられないから、そこに絞ってチームを見ていけばいいんです。

―― というのは? 
(緒方) プロ野球は1日、1日、結果が出る世界です。勝てばうれしい、負ければ悔しい。結果で気持ちが左右されるのですが、それだけでは苦しいだけです。正直やっていられないと思うこともある。ただ、広島で伝統的な野球をやるということに気持ちを向ければ、意識は変わります。ファンの存在がありますから。結果を出す、それが絶対的な目標ですが、その先に伝統的な野球をすることで喜ぶ人たちがいるという理念がある。その存在を思えば、苦しいことも耐えられる。それがプロの世界だと思っています。

生き馬の目を抜く世界で結果だけにモチベーションを求めるのは簡単ではない。しかし、緒方はさまざまな経験を経て、結果の先にある『ファン』の存在を持って組織をマネジメントしようとしている。だからこそ、ブレることなく前に進める。


◇ 勝つために必要なもの、それが『ファン』
―― 監督は常勝チームでありながらチームの変化を恐れません。
(緒方) 1年勝ったからといって、同じ戦力で同じ戦いをしても続けて勝つことはできないですから。常に新しい形を作る覚悟と勇気をもって1年をスタートさせています。1年のスタートは(春季キャンプが始まる)2月ではなく、前年のシーズンが終わったときから始まっています。選手たちは今、自信をつけているでしょうし、やってきたことが間違いないと思っているでしょう。ただ『このままでいいんだ』では成長、進化は望めません。チームもメンバーも変わらないといけないし、変わって当たり前。新しい選手が入ることは必ずしもプラスではなく、計算できないというマイナス面もあります。ただそういった側面も受け入れて(新しい選手を)組み込んでいかないとチームは変わっていきません。新しい選手が経験を積むことで力をつけ、チームにとっても大きな力になってくれます。勇気をもって形を変えていきたいと思っています。

―― 昔の広島は個の集団のイメージが強いですが、今は結束力の高い輪の集団となりました。
(緒方) 先ほども言いましたが、うちは限られた戦力で育てながら勝つことが求められているので、個の力だけを相手と比較しても、飛び抜けて高いわけではありません。劣っていることもたくさんあるでしょう。昨年までの3連覇も、紙一重の戦いばかりでした。その中で勝つためには、個の力に加えて組織力が必要。それが『1+1』の足し算となるのではなく、かけ算としてチーム力を上げていかないといけません。


◇ 他の監督と自分を比較することはない
―― ここ数年、数字や結果だけでチームを作るのではなく、ムードメーカーの役割を担った選手を置くことなども強みではないかと思っています。
(緒方) そういう選手は戦う上で必要な戦力だと考えています。ベンチ入り25人は全員レギュラーが集まっているわけではありません。レギュラー以外にも途中から出ていく選手もいます。代打や守備固め、代走、いろんな役割がいて戦えるんです。当然、その日のコンディションは浮き沈みがありますし。いろんな流れもあります。そんな中では、やはり“気”がないと戦えないと思うんです。そういう意味でムードメーカーとなれる選手は静まり返ったベンチで元気な声で盛り上げてくれたり、途中出場する選手の背中を押してくれるひと声をかけてくれたりと、ベンチのムードを高めてくれる目に見えない働きをしてくれています。選手同士の空気作りは組織において、絶対に必要だと思っています。

普段から口数が少ない九州男児。メディアに向けたリップサービスはもちろん、必要最低限のこと以外は語りたがらない。ゆえに誤解を生むこともある。正当な評価を受けていないとも感じる現状にも、本人は動じない。指揮官の目には周囲の評価や評判は映っていない。ただ、目の前の試合、目の前の1勝にすべてを注いでいる。それはこれまでも、そしてこれからも変わらない。

―― 3連覇しても監督として過小評価されていると感じませんか。
(緒方) それは日本一になっていないので、当然です。3年続けて最後にファンの人を失望させているわけですからね。1回でも日本一になっていれば、また違う自分がここにいるかもしれません。でも何かが足りないから(日本一を)取れなかったので、どうしたら勝ち取れるのだろうということしか頭にないんです。

インタビュー中、一貫していた『結果』の先に『ファン』の存在を置くマネジメント。だからこそ現状の評価は妥当だと言うわけだ。

―― 32年間過ごすプロ野球界という特別な世界と、一般社会とでは通じるものもありますか? 
(緒方) 僕の立場からすれば、通じていないとおかしいと思いますね。選手のときはボールを追って、毎日バットを振って・・・、グラウンドの中がすべてという感覚でした。もしかしたら外の社会のことは分かっていなかったかもしれません。でも現役を終えてからは、普通に社会に出ても通用する考え方でないとチームを預かることはできません。

―― 日本で12人しかいないプロ野球の監督の中で、ご自身が勝っている点はどこだと感じますか。
(緒方) 相手球団と戦うということは監督とも戦うということなのかもしれませんが、私はそこに目を向けてはいません。はっきり言って、優秀な監督はたくさんいらっしゃいます。ほかの11球団の監督だけでなく、広島のスタッフを含めても、自分以上に優れている指導者はいると思いますし、これからもどんどん出てくるでしょう。でも今年も優勝を目指して1試合1試合戦う上で、ファンの方にカープの野球を見て喜んでもらうことしか頭にはありません。いかに自分たちの野球、カープの野球をやるか、というところで戦っています。それ以上でも、それ以下でもない。ファンの方の喜びが、監督の喜びなのだと思います。(参考: 前原淳筆)

是非、リーグ4連覇を達成してほしいねえ、緒方監督には。日本一はその次についてくるもの。3連覇以上は、リーグで巨人以外には成し遂げていない偉業。4連覇しかり。この金字塔を立ててこそ『男、緒方』の顔が立つというもの。そして、これに導いた野村前監督の努力も報われるというものだ、な。


★★<お金があれば欲しいなあ『ロードスター30年記念車』>『マツダ ロードスター30周年記念車』の国内販売について。『Miata 30th Anniversary Edition』の国内仕様となる特別仕様車『ロードスター30周年記念車』の商談予約受付を、専用ウェブページにて開始する。『ロードスター30周年記念車』」は世界3,000台の限定とし、国内販売台数は、ソフトトップモデルの『ロードスター』とリトラクタブルハードトップモデルの『ロードスターRF』を合わせて150台を予定している。メーカー希望小売価格は消費税込みで3,682,800円~4,303,800円。

ウェブページでの商談予約受付期間は、ソフトトップモデルが4月5日(金)から4月15日(月)、リトラクタブルハードトップモデルが5月27日(月)から6月10日(月)となる。

1989年に誕生した『ロードスター』は、30年にわたり多くのお客さまから支持を得て、これまでの累計生産台数は100万台を超えている。そしてこのたび、ロードスターの誕生30周年を記念して、マツダはロードスターを愛するすべての人々に感謝の気持ちを伝えるとともに、今後のロードスターへの期待を込めて、心が沸き立つ一日の始まりを予感させる朝焼けのようなオレンジ系の専用色『レーシングオレンジ』を採用した2つのルーフタイプの特別仕様車を設定した。

欲しいねえ、お金があれば。国内では150台だ。アメリカでは500台限定販売台数。ウェブで販売開始1日で完売したそうだなあ。ガンバレ、ロードスター、今や世界の名車だな。

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