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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『カイシャで生きるⅠ 辞めても自分の「物差し」』

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今日の画像は、『SLやまぐち号』40周年の出発式 の『デゴイチ』と、新紙幣に登場する『渋沢栄一』『津田梅子』『北里柴三郎』。そして春爛漫、広島市吉島公園の『お花見模様』です。家族連れ、若者達のグループ、町内会メンバーなど和やかな日和が続きます。この風景、思わずこちらも微笑みがこぼれるような平和な景色ではあります。この画像は、35mm換算で18mmの超広角レンズで撮っています。とても面白い画が撮れて満足、満足です。(#^.^#)

かつて、国分寺から埼玉に走る武蔵野線に乗って、『新小平』の駅の案内に『津田塾』とあり、こんな田舎にあるのかと驚きました。まあ、一橋大も国立にあるのだからどっこいどっこいではあるがとも思って。それ以前に広尾近辺を散策した時、聖心女子大を発見し、こんな一等地にあるのかと感心しました。その聖心女子大に比べ、なんとロケーションの悪いことよ、と感じました。が、反面勉強のためにはいい環境かも分かんないなとも思ったりして。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★愛知県瀬戸市の『私立瀬戸幼稚園』の園長『和佐田強さん(54)』は、農業体験から帰るバスの中で、園児達が楽しそうに歌う童謡『やぎさんゆうびん』を歌うのを見て、UFJ銀行で働いた時のことを思い出した。

2004年1月、金融庁がUFJ銀行に実施した金融調査で、正式な資料よりも財務内容の悪い別の資料が見付かったことを伝える報道が相次いだ。内部告発をもとに金融庁のチームが隠されていた資料を見つけると、行員が一部を破り捨てたと言う。問題は検査忌避事件に発展し、三和銀行出身の元幹部達が銀行法違反で起訴され、有罪判決が下った。不良債権の処理額が膨らんだUFJ銀行は、東京三菱銀行と合併した。

東海に入って10年経った32歳の時、大阪営業部で大手化学メーカーを担当していた。が、成績はあがらない。『仕事の出来ない行員』のレッテルが貼られた。入行以来思い続けていた取引先の成長を応援し、社会に貢献したいということだった。原点に戻る形で、業界紙や書籍を読んで知識を身につけた上で企業に出向き、製品を見学したり、工場を訪ねたりした。

ある時、化学メーカーの工場で設備の一部が古くなっていることに気付いた。工場の担当者が数年以内に設備を更新する必要があると教えてくれた。融資案件に繋がった。それからは上司の視線を気にせずに行動、自然と成績も上がった。


40歳の時、東京に転勤。UFJの葛西支店長になった。銀行の信頼が揺らぎ、自信を失っている若手もいた。『支店の営業は、知恵を絞って取引先の成長を応援する仕事。奥が深くて面白いよ』と、部下を励ました。と、30代の行員が『中古車を輸出するビジネスを手掛けるパキスタン人に融資したい』と提案してきた。行員と冨山港を訪れた。ロシア人を相手に現金商売するパキスタン人を見た。手堅い商売をしていた。本部の承認が取れ、新規の融資に繋がった。

三菱東京UFJが誕生すると、42歳で法人部門の事業戦略を立案する部署に抜擢された。そんな時、幼稚園を経営する義父が後継者問題で悩んでいることを知った。義父は『来て欲しい』とは一度も言わなかった。しかし『銀行の仕事が順調なのに無理は言えない』という気持が伝わってきた。周囲の引き留めを振り切り、43歳で辞表を出した。

会社の成長を応援するのが銀行マン。今は園長として子供の成長を応援している。『仕事の本質はあまり変わらないんですよ』。世間の仕事は、どれも会社を支える役割を担っている。社会のために働くことを物差しにしたことで出世や左遷と言った呪縛からは自由に生きてこられた。


『若い頃に挫折してよかったと思う。完璧ではないが、自分なりの物差しを持てた。お陰でずっと仕事を楽しんでいる』と語る。若い人達にとってはまさに金言、至言ではある。


★★<終戦文書、日本の北はソ連、南は米、英中国の分割占領案>孤立主義を伝統とする米国は第1次世界大戦にためらいつつ参戦した。勝利は得たが、戦後処理につまずいた。ウィルソン大統領の理想主義的原則では現実の世界は乗り切れなかった。

大いなる挫折故に、第2次世界大戦を迎えた米国は戦勝だけでなく、戦後処理にも成功を欲した。それだけに米国政府は、戦後計画に空前の力を注いだ。真珠湾の半年後には国務省の戦後計画機関から日本史を専門とするコロンビア大学のボートン助教授に招聘があった。ボートン氏から始まる対日占領方針は、やがて国務省幹部に上がり、そして激論の末陸海軍とのすり合わせを経て、大統領の決裁を受けた。その生の原文書をたどって追体験した。食事の時間も惜しかった。そこには戦後日本の誕生の秘密が生々しく語られていた。

文書のつまった箱を満載した車を次々に『おかわり』し、どうしても欲しい文書3,000ページにタグを付してコピーを注文した。代金はカードでは払えず、最終日に現金で払った。

公文書館では、国務省筋の対日占領政策を終戦後までたどった後、軍部の対日作戦文書を見た。終戦の翌日に完成した大部の文書『JWPC385/1』に衝撃を受けた。明確な日本分割占領案であった。北海道と東北はソ連、関東から関西の本州中心部は米国、中国と九州は英国、四国は中国軍の占領下に、というドイツ分割モデルが濃厚な日本占領案であった。


帰国すると広島大の研究室に時々出入りしていた中国新聞の記者が来た。話をすると、彼は社に帰って相談し、もう一度やってきた。翌朝の中国新聞に『日本分割占領案』が生々しく写真入りで載った。それを見た朝日新聞広島支局の記者が来て1日遅れで報じ、他紙も追随した。各紙に報道され、地方大学の若手研究者だった私は、いきなり時の人となった感があった。

急に有名になることの後には、災いがついてきた。東京のその分野の有力学者達からバッシングを受けることになったのである。(参考: 五百旗頭真『私の履歴書』)

まあ、分割占領案は当然のことだよねえ。それにソ連を北海道か追っ払ったのは、ルーズベルトだったのかなあ。いやルーズベルトは1945年4月に死去しているから、トルーマンなのだな。ルーズベルトでなくてよかった。彼はまれにみる優柔不断、注意力の欠けた大統領だったから。運のいい日本ではあった。ドイツのように東西股割きをやられていたら今の日本はなかっただろうなあ。


★★<ロボ時代、製造業死なず 日本電産・永守氏が語る未来>AIやロボティクスで製造業のデジタル化が飛躍的に進む。ドイツ発の『インダストリー4.0』や『中国製造2025』など各国がデジタル革命を競う中、ものづくりの世界はどう変わり、日本勢はどう変革すべきか。1973年にプレハブ小屋で創業し、以来63件の買収で連結社員11万人の企業に育て上げた日本電産の永守重信会長兼CEOに聞いた。

――製造業のデジタル化で世界はどう変わりますか。
『2030年に世界の主な工場が完全自動になるとみている。50年時点で世界人口を100億人として、その5倍の500億台のロボットが働く時代が来る。ドローン(小型無人機)による配送も進むだろう』
『たとえば都心部のビルの中でも工場生産ができるようになる。店先で注文を受けたら即座にその種類のパンを自動でつくり温かいまま提供するといったようなことが想定できる。外科手術もロボがやることになる』

――製品サイクルやコストはどうなりますか。
『30年には大きな社会変革が起き、時間軸そのものが変化するだろう。これまで開発から生産まで10年単位で考えていた製品が、今後は1年ごとに考える必要がある。特に自動車は新製品が年に4回出てもおかしくない。電気自動車(EV)に移行することでテレビや携帯電話のように車はコモディティー(汎用品)化し、価格は5分の1になる。500万円の車が100万円で買えるようになるということだ』
『私は母親が冷たい水でおむつを洗っている姿を見てきた。洗濯機の登場がその状況が改善された。製造業は常に社会の問題を解決するソリューションとして育ってきた。幼稚園の送り迎えで母親が自転車の前後に子どもを乗せ必死に走る姿を見るが、車の値段が5分の1になればその姿はなくなるだろう』


――デジタル化でハードからソフトへの移行が進んでいます。
『米IBMが事業を転換するなど、10年ほど前からソフト至上主義が叫ばれハードの生産技術者は減った。デジタル革命がもてはやされる昨今だが、皆が同じ考え方をするのはおかしいし味気ない。今から世界の工場が自動化され、安くて安全なロボが何億台も必要になる。製造業がなくなったらどうなるんだ。ハードを無視した主張はありえない』
『確かに機器の制御をソフトでできるものは増える。20個の部品で構成されていたものが、技術革新で半分の部品でできるようになる。コストの低減と汎用化はますます進む。同時に複雑に制御するための基幹部品がますます重要になる』

――そもそも製造業はなくなりませんか。
『それはあり得ない。100年先は別にして、2030年、50年まではあるだろう。メーカーがなくなる時はソフトがなくなる時だ』

――日本の総合電機の衰退に学ぶ点は。
『韓国勢とは技術で負けていないが、値段とスピードで負けた。今後は中国勢との競争になる。私は社内で、優れたものをつくる前に競争で勝てるものをつくれと言っている。多角化ではなく技術を深掘りしないと中国には負ける。部品点数の半減、軽薄短小といった技術が必要になる。中国のスピードが5倍速いなら、我々は500人でやっていたことを100人でする。生産性を5倍にしないといけない』


――インダストリー4.0を意識しドイツ企業を買収していますね。
『買っているのは100年生き残る技術力を持っているところだ。職人技術を自動化しながら機械をつくる。職人を自動化しているのがドイツだ。彼らは電子を捨てて、メカで生き残った。日本もやはりものづくりだと思う。狭い意味ではなくて、ソフトも含めてだ』

――日本電産は何の会社になるのでしょうか。
『100年後も成長するソリューションの会社だ。製品の中身は変わっていく。駆動システムが中核になっていく』

――競合する独ボッシュなどは部品自体より移動システム技術に移行しています。
『流行を追う必要はない。人の居ないところに利というものがある』

――今後はどのような人材が必要になるでしょうか。
『ソフトとハードの融合が必要で、複合的な技術者が求められるだろう。昔の医者は何でもできた。医療でいえば総合診療科、多能工化のような方向性だ。自動化で製造現場でも全体の制御や品質維持に限られる』

――日本のエンジニアをどう見ますか。
『経営力がない。欧米ではエンジニアが経営学修士(MBA)を取りに行き経営者を志向する。日本では「私はあくまで技術者なので」と萎縮してしまうし、金を使うだけみたいな技術者もいる。本来、社長というのは事務系ではなく、技術系がならないといけない。米国企業のトップの多くは技術系だろう』


――日本からは米国のグーグル、アップルなど『GAFA』のような企業が生まれてきません。
『日本はもともとソフトが弱い。教育的な背景も含めて金融も向いていないと思う。日本企業が生き残るには自らの良さを重視し、深掘りし、温存して人材を育成していかないといけない』

――大学経営に参画しました。
『最後にカギを握るのが人材だ。大学経営を通じて起業家を育て、エンジニアを経営者にしたい。これまで大学はブランドと偏差値偏重でペーパーテストのできる人間が重視された。時代は変わった。大企業にいたら安心というのではない。これからは自分の道は自分で決める時代だ』
『子どものころから塾に行かされて育つよりも、若いときは遊んで育った方が強い。ニワトリだって放し飼いにしたほうがよいという考え方もある。ゆくゆくはエンジニアを経営者にするのが目標だ。技術と経営を兼ね備えた人が出てくると、日本の強い事業が育っていくはずだ』

――米中貿易戦争が過熱し、世界景気に不透明感が出ています。1月には『尋常ではない変化』と述べ、中国の需要減速を予見しました。
『「中国ショック」を予見し、最近は「炭鉱のカナリア」と呼ばれる。日本政府が戦後最長の景気拡大とうたっている中で大変なことが起こっていた。経営者は景況が少し悪くなってもすぐよくなると思いたいものだ。だが米中の問題は世界恐慌すら巻き起こしかねない状況だと思った』


――今後も不透明感は増しますか。
『政治家は理想を追って理想に向かおうとするが、必ずしもいい結果をもたらさない。今は政治リスクが1000倍くらい上がっていると感じる。だから経営者はリスクを分散しないといけない。これがトップメーカーの使命だ。将来のことは完全に見通せないが、「こうなればこうする」と選択肢をいくつも持っていなければならない』
『ドル相場が1ドル=360円から70円台になった時、日本は破滅するといわれたが、むしろ強くなった。米中問題もどういう結果をもたらすかわからない。いじめられっ子はいじめられて逆に強くなることもある』

――不透明な時代に先を読むにはどうしたらいいでしょうか。
『いくらカナリアでもにおいがないと察知できない。いろいろな変化が起きる中で、絶対になくならないものがある。M&A(合併・買収)でも常にそういうものを先んじて買ってきた』


――日本のオーナー企業の多くが世代交代に苦しんでいます。
『10年間苦しんだのが後継問題だった。カリスマがいればそれが一番いい。でもいないのだ。どれだけ探してもいなかったのだから。結局。創業者は後見人として長生きし、3、4人くらい社長が代わるのをみて路線を定着させるのが一つの形かもしれない』

――"嗅覚"をどう伝えていきますか。同じく京都に本社を置く京セラは『フィロソフィ』など思想を体系化しました。
『まさにその仕組みをつくっているところだ。創業者がリーマン・ショックやタイ洪水など危機にある厳しい局面で何をしたのか、全部記録しておくよう指示した。吉本浩之社長ら後継も苦しい時の経験を自分でしないといけない。彼らにはいつも経営をなめるな、会社は自分たちで守るしかないと言っている』


★★<『幻想の明治』、維新後の士族の反乱>明治2年5月、箱館五稜郭の開城によって戊辰戦争は終わりを告げた。だが、それは維新革命の終わりではなく、始まりを意味した。第一革命に飽き足らず第二革命を求める動きが、ただちに始まった。明治7年から10年にかけて継起したいわゆる『士族反乱』は、このような維新第二革命の大きな文脈の中に位置づけてこそ、真の意味が明らかになるように思われる。

『士族反乱』は、不平士族の封建的特権回復の要求と、征韓派士族の対外膨張主義という、二つの面で理解されてきた。前者は戦前の定説、後者は戦後の新説で、両者とも、かなりイデオロギー的なとらえ方と言っていい。

革命が一段落した後に現れる第二革命の要求は、革命政府から反革命として弾圧される。これは歴史の通則である。革命のやり直し、ないしもう一つの革命の追求は、革命そのものへの反対とは違うはずであるのに、革命政府は、それに反革命のレッテルを貼った方が仕事がやりやすい。これと同じことが、明治維新の場合も起こった。

維新には、確かに反革命が存在した。島津久光のような人物は世の中を以前に引き戻すことを願っていたし、旧藩の家臣団の大多数は、時勢の変化についていけないでいた。彼らは、潜在的に反革命であった。


だが、明治2年以来、新政府の転覆を策して処刑された志士達は、封建の世界の昔へ復帰せよと主張したのではなかった。形を変えた武士支配の再建を求めたものでもなかった。そういう分子もあるにはあったが、主流ではなかった。彼らの多くは幕末の尊攘派であり、倒幕派であった。つまり旧体制を打倒して、新しい世の中を開こうとした者達であった。たまたま旧体制打倒後の権力づくり、国家づくりの方向、すなわち革命の方向に異論を持ったために、維新のやり直しを求めたのである。

明治新政府はこれら第二維新派に、等しく並みに不平士族のレッテルを貼った。彼らは武士の特権を回復するために、反乱を起こしたのだと決めつけた。彼らが反乱を起こした時、一般士族層には反動的な不平がみなぎっており、そういう不平から反乱に便乗する者も多かったから、この宣伝は有効であった。学者もこれに追随した。明治政府の反人民的性格を日頃強調してやまぬ進歩学者まで、この通説を容認したのは興味深い。

一方、戦後の征韓派反乱説は、アジア人民への犯罪という自覚という、まさに戦後的なイデオロギーの産物と言っていい。日本帝国主義の原罪は征韓論にありという訳で、その良心性は結構だが、最近の研究では、征韓派の頭目とされる西郷隆盛に、征韓の意図があったこと自体疑われている。歴史の実証するところでは、征韓論の言いだしっぺは木戸孝充であり、その実行者は江華島事件の挑発者大久保利通であった。

しかし幕末維新以来、士族は、自己の階級的利害を思想的に乗り越えうる存在であることを示してきた。でなければ、封建体制の打倒はあり得なかった。『士族反乱』の主導勢力は、そういう士族的規定を乗り越えようとする思想者達であった。彼らは、思想に導かれて旧体制を打倒し、同じく思想に導かれて新政府に反乱した。武士支配に恋々としているような士族層は、幕末においても、明治初年においても、反乱を主導する思想も持たなかったのである。

『士族反乱』は、日本の近代化に反対した反乱ではなかった。その目標が正しかったか否かは別として、もう一つの近代化を求めた反乱だった。そのことを今の日本人はよくよく理解してやる必要がある。(参考:渡辺京二著『幻影の明治』)


★★<福岡知事選、私怨拭えず看板倒れ 頼みの高島市長動き鈍く、武内陣営『こんなはずじゃ』>
福岡県知事選挙の結果。得票数を見ると、まるで大人と子供の喧嘩のようだねえ。『麻生太郎、ストップ安』だねえ。
  当選 小川 洋   無現 1,293,648
 次点 武内 和久 無新  345,085 自民推薦

福岡県知事選の投票終了と同時に落選確実の見通しが伝わると、武内事務所は重苦しい沈黙が会場を包み、報道陣のカメラ音だけが響いた。福岡市であった自民推薦の新人武内和久氏(47)の報告会。麻生太郎副総理兼財務相は憮然とした表情で、喜びに沸く小川洋氏陣営のテレビ中継に目を向けた。

擁立を主導した候補の惨敗。『当選させられなかったのはわれわれの至らぬところ。心からおわびする』。麻生氏は硬い表情で頭を下げたが、自民分裂を招いた責任には最後まで触れなかった。一方の武内氏。後援会長の麻生渡前知事らが見守る中、吹っ切れたような表情で『挑戦の機会をいただき本当に感謝している』と語った。

1月末に党推薦を得て、麻生渡前知事を味方に付けた当初は、政権党のお墨付きと“ダブル麻生”の看板を背に自信を見せていた。だが党推薦を『ごり押し』した麻生副総理への反発は想像以上だった。相次ぐ党国会議員の『造反』や支持団体の離反。自民県議団は全面支援を約束したが、県議選への影響を懸念する議員の面従腹背は明らかで、武内候補は街頭で1人マイクを握る姿が目立った。『推薦があれば組織はまとまると思った』と周囲にこぼした。


最大の援軍と期待した副総理の“秘蔵っ子”高島宗一郎福岡市長が、武内氏支援を表明したのは告示前日。武内氏の遊説カーは『高島、武内は一体』と連呼し、ポスターに市長の顔写真シールを貼るなど共闘を強調。反転攻勢を図ったが、一緒に街頭に立ったのは告示日と最終日だけ。自らに近い市議、県議候補の応援に注力する市長に、陣営幹部は『こんなはずではなかった…』と声を落とした。結局、市長は7日夜の事務所での報告会にも顔を出さなかった。

県と福岡市が対立する宿泊税問題の解決など政策論争に活路を模索したが、有権者から返ってくるのは『なぜ麻生さんは知事をいじめるの』という声。『選挙構図が政策をのみ込んだ』(支援議員)。選挙終盤には下関北九州道路建設計画を巡る麻生派参院議員の『忖度』発言が飛び出し、劣勢を決定付けた。

『この選挙は初めから間違いだった』。自民推薦候補の惨敗という結果に、選対幹部は恨み節を漏らした。『栄えある、誇り高き自民党推薦候補として戦わせていただいた』。敗戦の弁で最後まで自民党への配慮を見せた武内氏。記者から『反麻生の壁』について聞かれても『いろんな考え方があるが、私は精いっぱいやった。私の力が及ばなかっただけだ』と気丈に語った。

大阪府知事、市長選のW選挙でも、維新が自民を抑えた。島根県でも自民推薦が県議団支持の候補に敗れた。自民のおごりが地方に浸透しつつある。参院選が楽しみだ。北海道知事選は自民推薦が勝ったが、これは元夕張市長という夕張市再生という勲章をつけた候補者であった。もし候補者が違えば、北海道知事選ではこれほどの勝ち方は出来なかっただろう。


★★<なつぞら:初週視聴率22.1%と過去5年で最高のスタート>女優の広瀬すずさんが主演を務める100作目のNHK連続テレビ小説(朝ドラ)『なつぞら』の第1週『なつよ、ここが十勝だ』の週間平均視聴率が22.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区から算出)だったことが、分かった。前作『まんぷく』の初週21.9%を上回り、過去5年の朝ドラで最高のスタートを切った。

今作は1日放送の第1回で22.8%を記録。第2回は20.9%だったものの、第3回で23%と上昇。第4回は22.4%、第5回は22.3%と推移し、第6回は21.0%だった。

第1週『なつよ、ここが十勝だ』では、昭和21(1946)年初夏、なつ(粟野咲莉ちゃん)が9歳の時、亡き父の戦友・柴田剛男(藤木直人さん)に引き取られて十勝にやってくる。剛男の妻・富士子(松嶋菜々子さん)は、我が子としてなつを受け入れようとするが、富士子の父で頑固者の泰樹(草刈正雄さん)は、働き手にもならないとなつに冷たく当たる。子供ながらにここで生きると覚悟を決めたなつは、牛馬の世話や乳搾りを必死に手伝い、次第に泰樹の心を解かしていき……という展開だった。
 


『なつぞら』は節目となる100作目の朝ドラで、脚本家の大森寿美男さんのオリジナル作。広瀬さん演じるヒロインの奥原なつは1937年、東京生まれの設定。大空襲を生き延びるものの、両親を戦争で失う。兄・咲太郎、妹・千遥と別れ、父の戦友だった柴田剛男に一人引き取られ、北海道の十勝地方に移り住む。柴田家の家業である酪農を手伝う中、持ち前の明るさを取り戻し、北海道移民1世である剛男の義父・泰樹から、開拓者精神とともに人生で大切なことを学んでいく。

高校卒業後は上京して、当時、『漫画映画』と呼ばれ、草創期を迎えていたアニメ業界に飛び込む。画家志望の友人・山田天陽から、手ほどきを受けたデッサンの腕前を生かし、自然の中での生活で磨かれたみずみずしい感性を発揮していく……というストーリーが展開する。全156回を予定。 

けなげに『なっちゃん』が生きようとする気持ち、行動、姿勢に視聴者は打たれたのだろうなあ。こんな子でも、これほどのことを考えるのかと感心したり、納得したり、だ。いい朝ドラになりそうだねえ。それよっか、大相撲、選抜野球で中断されている『あさがきた』の再放送を早く再開してほしい。


★★<政府、紙幣刷新へ 渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎が登場>政府・日銀が千円、5千円、1万円の各紙幣(日本銀行券)を一新させることが分かった。刷新は2004年以来。千円札の図柄は北里柴三郎、5千円札は津田梅子、1万円札は渋沢栄一になる。9日に発表する。『平成』から『令和』への改元機運を盛り上げる。自動販売機などの関連需要が生まれるため、景気刺激の効果もありそうだ。

紙幣の刷新は、麻生太郎財務相が9日午前にも開く記者会見で発表する。新紙幣の発行・流通は数年後からとみられる。渋沢栄一は第一国立銀行(現在のみずほ銀行)など数多くの企業を設立し、日本の資本主義の父とされた。1万円札の図柄変更は1984年に聖徳太子から福沢諭吉になって以来となる。

津田梅子は津田塾大学の創始者で、特に女子の英語教育の指導に注力した。5千円札は現在の樋口一葉に続き、女性の図柄となる。北里柴三郎は日本における近代医学の父として知られ、感染症予防や細菌学の発展に大きく貢献した。ペスト菌を発見した功績もある。

新紙幣には最新の偽造防止技術などを用いる予定だ。政府は5月1日以降から元号を令和とする発表に続き、紙幣の刷新も発表することになる。心理面の好転を狙い、個人消費の喚起など経済効果も期待しているとみられる。うがって見るが、麻生太郎君のレガシーにもなるしなあ。

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