今日の画像は、天皇皇后両陛下に感謝し、『2千人がちょうちん行列する伊勢神宮内宮前』。そしてここ3日間広島市で行われた『eスポーツの国際大会「FISE HIROSHIMA 2019 Exhibition eSPORTS Battle」供戮任后B膺裕い陵融辧世界が変わる、ですねえ。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
■■中学、高校、大学で、勉学の結果が思わしくなくいわゆる『劣等生意識』を持っているキミ、心配するな、あなた以上の劣等生が世の中に出れば大成功した例もあるのだ。その筆頭に『ニトリの創業者似鳥昭雄さん(76)』がいるのだ。本当、似鳥さんは劣等生で高校大学と卒業さえ危ぶまれた人物。が、今や年間1兆円の売上を目指す大家具チェーンの親分になっている。
話題をばらまく老舗『大塚家具』の対角線上にあり、大塚は年間売上はたったの300億円、ニトリの20分の1にしか値しない。諸君の人生の参考のため、そのニトリをここまで成長させた『破天荒な似鳥昭雄』の実像を追う。
★★★私は昭和19年(1944)に樺太で生まれた。父・義雄の先祖は南部藩で家老を努めていたと聞くが、戊辰戦争で敗れ、岩手県から北海道の花畔村に開拓民として移って来た。私は開拓民の4代目に当たる。似鳥という名前は、今も岩手県に残る『にたどり』と言う地名だ。似鳥一族のうち、本家筋が『にたどり』の名前のまま札幌に入植し、分家の当家は『にとり』という名前で入植した。どうも、にたどりの方が賢い家系で、にとりは勉強が苦手だったようだ。
祖父は農業はせず、馬喰をなりわいとしていたが、稼いだ金は酒に使ってしまうような酒乱だった。13人兄弟の4男だった父は自分の土地もなく、昭和10年に樺太に移住。そこで父は母の光子と結婚し、農業を営んでいた。だが昭和16年に太平洋戦争が始まると出征し敗戦後はシベリアに抑留された。
一家は大変だったが、母はソ連軍の嫌がらせにも負けない気丈な性格だ。母の身長は160cmと当時としては高く、がっしりした体つき。樺太で住宅の土台に必要な砂を川から運ぶ仕事をもしていたが、男に負けない豪傑だった。昭和22年、母は日本の船で帰ることを決めたが、直前に引き揚げ船が留萌沖で沈められた事件が起きた。『やはり永住しよう』などと考えていると、最後の引き揚げ船が函館周りで出航すると言う。再び沈められる不安を抱きながら、帰国の途についた。
無事北海道に帰り着き、札幌市に住む母方の祖母の家に居候することになった。引き揚げ者のための簡易型の住宅で、劣悪な作りでとにかく寒い。雨漏りはひどいし、冬になると雪が台所に入り込み、積もってしまう。1間と台所だけの家に祖母や母の兄嫁の家族で雑魚寝していた。数年後に父親がようやくシベリアから戻り、祖母の所から、北24条西4丁目にある別の引き揚げ者住宅に住むことになった。
父はほどなく大工の修行を始め、後にコンクリート製品の製造と住宅の基礎工事を手掛ける土木会社を作った。母はヤミ米屋だ。表通りには米屋もあり、駐在所もあったのに平気な顔をして商売を営む。取り締まりの要請を受け、駐在所に呼ばれると母は必ず私を連れて行く。『ヤミ米はやめてくれ』と言われると、『小さい子がいて、食べていけないんです』と泣く。『それでもヤミはダメだよ』と言われると、今度は開き直り『あんたらもヤミ米を買ってるでしょう。私は観ているのよ』と逆ギレだ。警官も『まあ、そうだけどね。調べない訳にはいかないから』と苦笑する。
取り調べを受けても母はめげない。札幌市内にある北海道大学の職員や先生、その家族が住む『大学村』は得意先の一つだ。だがそこにも米屋があり、やはり密告される。そんなことの繰り返しだった。ヤミ米は地元の農家から米を刈り取る前に青田買いをする。父はよく私を連れ、馬車や馬ソリで農家に向かう。田んぼを回り、稲を食べると出来映えが分かったらしい。そこで農協より少し高く買い、利ザヤを少なくして正規米より安く売るという訳だ。
父がヤミ米の仕入れと物流を担当し、母が販売する姿は後に設立したニトリの初期の経営に似ていた。(参考:似鳥昭雄筆『私の履歴書』)
■■日本代表監督『森保一』、U-17日本代表監督『森山佳郎』、J1名古屋監督『風間八宏』、J1大分監督『片野坂知宏』、J2大宮監督『高木琢』、昇格請負人J3北九州監督『小林伸二』、FC今治監督『小野剛』、福岡などの監督をした『松田浩』・・・・・。この人達は全員サンフレッチェの出身である。前身のマツダサッカークラブの時代からの人達も。この人材を見出した人こそマツダサッカークラブ総監督、サンフレチェGMを務めた『今西和男さん(77)』。
集英社が、今西さんの足跡、育成した人材を追った『育将』を2016年に発刊している。ただ、今西さんは最後の時期に『FC岐阜』の社長として就任された。まさに泥にまみれた時代だった。なぜこんなクラブを引き受けたのか、詳細はつまびらかになっていない。心配は過去からの累損を個人で引き受けた総額3億円の負債。この処理がどうなったか、不明である。その『育将』の実像の証言を綴る。いずれも肩書は2016年の『育将』発刊当時のもの。
★★★『育将・今西和男◆戞
『わかったと言うて、すぐにそこから携帯電話で、いろんなところへ連絡を取り始められたんです』と久保は語る。
あの元日本代表の久保が引退したんです。何かそちらでお手伝いできるような仕事は無いでしょうか? 次から次へと自分の人脈を惜しげもなく使って、その場で久保の就職先を決めてしまった。それが廿日市のスポーツクラブで、やがて久保の現役復帰(広島県社会人リーグ廿日市FC)への道に繋がる。
『あんなに選手のことを考えて、世話をしてくれる人はおらんですよ。今西さんに出会っとらんかったら、勉強もせんかったし、人とも話さんような感じやったし、自分はとっくにダメになっとったでしょうね』。後に『FWとしての潜在能力は間違いなく日本一』と多くの外国人監督から高い評価を得た久保であるが、高校時代は全く無名だった。そんな自分をサンフレッチェ広島に呼んでプロにしてくれた。入団してからも、何も考えずに好きなものを食べて、好きなことだけしていた生活を改善してくれた。話の仕方や人との接し方を教えてくれた。『あの人のおかげで自分は今、あります』と久保竜彦は語る。
久保はほんの一例である。サンフレッチェを二連覇に導いた森保一、豪快なアジアの大砲から緻密な指導者に転進した高木琢也(現V・ファーレン長崎監督)もまた、今西によって無名だった自分は発見されて、多大な影響を受けたということを異口同音に語った。
日本サッカー界において今西和男ほど、人材の発掘と育成に長けた人物はいない。GMとして礎を築いた広島からは、松田浩(元アビスパ福岡、ヴィッセル神戸、栃木SC監督)、小野剛(現ロアッソ熊本監督)、風間八宏(現川崎フロンターレ監督)ら、Jリーグの名だたる監督たちを輩出している。いや、選手や監督だけではない。新卒で入社した東洋工業から、最終的には社長まで務めたFC岐阜に至るまで、今西が所属したチームではマネージャーから広報、運営など裏方のスタッフまで、その薫陶を限りなく受けたという人々が数多くいる。
ただ単に組織で重なった時期にノウハウや社会人としての振る舞いを教えたというだけではない。久保の例にあるようにクラブを離れても徹底的に人生の最後まで面倒を見る。東京教育大の同期でかつて東京ヴェルディの社長をしていた坂田信久はこう言っている。『サンフレッチェ広島に高校生の良い選手がなぜ集まっていたか分かりますか? 今西が広島を退団した選手を誰一人として路頭に迷わせなかったからです。あいつが全国を回って、頭を下げて就職を世話したんです』。そんな行動を知った全国の高校の教員や指導者が『教え子は今西さんのところへ預けたい』と考えるのは自然な流れだった。
そしてその視野や活動範囲は自らのクラブに留まらなかった。サンフレッチェ時代にはチームの強化だけではなく、生まれたばかりの大分トリニティ(現トリニータ)や愛媛FCに積極的に人材を供給し、九州、四国のJクラブの旗揚げと育成に深く寄与している。今年、愛媛FCの社長に就任した豊島吉博は『指導や普及においてうちはまだJFLを目指しているときからサポートしてもらった。すごくありがたかった』と感謝の言葉を惜しまない。
固陋(ころう)なセクショナリズムに囚われず、日本サッカーを皆で強くしていこうという気持ちの表れだった。“育将”というのはむろん、造語である。育(はぐく)む=成長を助ける、発展させる、育てる。今西を描くために呼称するにはこの育む将という言葉が当てはまると考える。
『人は石垣、人は城』=(勝敗を決するのは、城ではなく人である)とは武田信玄の至言である。ブラジルW杯で日本代表が惨敗を喫した際、岡野俊一郎(元JFA会長)は『日本協会は人材を育てずに来てしまった』とその敗因を指摘している。なるほど、確かに22年前のJリーグの誕生は劇的にサッカーを取り巻く環境を変えた。いわば城は作った。しかし、マネーが回るシステムが構築出来ても、連綿と意志を継続する人材がいなければ、いつまで経っても代表監督が変わるごとに、日本オリジナルのサッカーの方向性はその度に揺れ続ける。クラブ数を増やす拡大路線を追求して来た結果、J3まで設けたが、一方で肝心の人を育てることをおろそかにしてしまっていたのではないか。
ならば、今西和男を描くことで人を育てる真髄に触れてみよう。いかにして人材は覚醒していったのか。その指導を受けた選手たちが語る今西像を届けていく。
【profile】
今西和男(いまにし・かずお)
1941年1月12日、広島県生まれ。舟入高―東京教育大(現筑波大)-東洋工業てプレー。Jリーグ創設時、地元・広島にチームを立ち上げるために尽力。サンフレッチェ広島発足時に、取締役強化部長兼・総監督に就任した。その経験を生かして、大分トリニティ、愛媛FC、FC岐阜などではアドバイザーとして、クラブの立ち上げ、Jリーグ昇格に貢献した。1994年、JFAに新設された強化委員会の副委員長に就任し、W杯初出場という結果を出した。2005年から現在まで、吉備国際大学教授、同校サッカー部総監督を務める(参考: 集英社刊『育将』)
★★<マツダ、米国向け『マツダ CX-5』クリーンディーゼルモデルの受注開始>広島の自動車メーカーマツダは、ニューヨーク国際自動車ショーにおいて、米国向け『マツダ CX-5』クリーンディーゼルモデルの受注を開始した。
米国向け『CX-5』に搭載する『SKYACTIV-D 2.2』は、マツダのクリーンディーゼルエンジンならではのレスポンスの良さと高回転まで軽快に伸びる爽快なエンジンフィールはそのままに、米国仕様専用の燃焼制御や排出ガス浄化処理システムを採用することで米国の排出ガス規制をクリアした。このエンジンを搭載したCX-5はマツダの乗用車として初めて米国で販売するクリーンディーゼルエンジン搭載モデルとなる。昨年夏、マツダのDE車がEPAの審査を受けたとの報道があり、米市場にDE車の投入は時間の問題であった。
DE車は、排ガスのクリーン化が困難なことから、日本勢はほとんど撤退。が、欧州のプレミアムブランドは、EVを正面に見ながら、大排気量のクリーンDE車を投入している。DE車の特性を生かした新しい波だ。あのEV車切り替え宣言を行った『ボルボ』でさえ新型DEを投入した。
EVはマスコミ先行の、先読みのきらいが強く、仮に世界の車が全部EVに切り替わったら、充電のための供給電力は不足する。家庭の電灯も灯を消さなければならなくなる。現実的に、EVはまだ発展途上の技術であり、一般ユーザーにとっては、今のEVを買って、数年後下取りに出した時の価値変動の不安もある。あの日産のリーフ初代は、もう下取り値は大暴落で、値がないのと一緒という具合だ。まだまだEVへの道のりは遠い、と思うねえ。そして充電設備を都会のマンションに全て整えるという大作業も必要。さらにはフル充電に10時間以上かかり、急速充電を繰り返せばバッテリーの劣化が進むと。なかなか課題が多いEVだと、拙者は思うねえ。
★★<自社モデルで競争力『キクカワエンタープライズ』>名古屋駅から電車とバスで2時間。伊勢市にある『キクカワエンタープライズ』には毎週のように海外からの訪問客がある。目当ては工作機械。『中国や韓国からは毎月数回はお見えになっていますね』と創業家出身の6代目の菊川厚社長は笑顔を見せる。
キクカワエンタープライズは木工機械や工作機械の製造・開発を手掛ける。1897年の創業で、230人の従業員の大半が地元の出身だ。売上高の3割は海外で、取引先はロシアや東南アジアにも広がる。主製品は建材など木材メーカー向けの木工機械。山で切り出した原木や大きな木材を鋸で切り、決められた大きさの角材や板材にする。
中でも引き合いが強いのが、作業工程を自動化した機械だ。加工する前の原木の形状を内蔵するセンサーで瞬時に計測。様々な大きさの原木から同じ形状の木材を量産出来る。途中で作業員が関与する必要はほとんどない。ただ、木材を切るだけではなく、一度に複数の合板を切断したり、板の表面を削って滑らかにしたりする機械なども手掛ける。複数の行程を合わせた生産ラインを受注することもある。
切断や研磨は『日本初の自動丸のこぎり機』を開発して以来の伝統の技。自動車部品などの工作機械にも繋がっている。鋳物製作で使われる発泡スチロール模型の加工機や、スマホなどの画面を見やすくする偏光版の研磨機などが好調と言う。
海外取引の歴史は古く、第2次世界大戦前には旧満州に進出していた。今では主に木工機械をロシア屋インドネシアに輸出する。海外営業は菊川社長の担当で『1年の大半を海外出張に充てる』と言う。2012年には社名を『菊川鉄工所』から変えたのも、海外の取引先に分かりやすくするためだ。18年4~12月の単独売上高は前年同期比で2.3倍の53億円、税引き利益は6.4倍の12億円に急拡大した。ロシアの合板の製造ラインの大型案件を受注したほか国内販売も伸びた。
これからの成長に向けて注目するのが、『IoT』関連の技術。納入した機械を監視カメラで管理する仕組みや、」消耗品を交換するタイミングを知らせソフトなどの開発を検討している。機械は販売後のメンテナンスも重要。『顧客を訪れる必要がなくなれば、生産性が向上する』。国内は住宅関連の市場縮小が見込まれるが、東南アジアなど海外の開拓に活路を見出している。小さけれど、地方で勇躍する『キクガワ』だな。
★★<カープ、最下位を脱出>昨日のDeNA戦で、7-4で勝利し、最下位から脱出した。が、まだまだ負債は4。この連休中12連戦がある。先発陣が不足する。どう乗り切るか、監督とコーチの手腕が問われる。ここを乗り切れば、上位進出にはなるだろうがなあ。なかなか難しい。
★★<自民、補選で惨敗>夏の参院選の前哨戦となる衆院大阪12区、沖縄3区の補欠選挙が21日投開票され、大阪12区で日本維新の会の新人藤田文武氏(38)、沖縄3区は野党が支援する無所属新人屋良朝博氏(56)が初当選した。自民党公認候補は両選挙区で落選。安倍晋三首相が2012年に第2次内閣を発足させた後、自民党が衆参の補選で敗北したのは、不戦敗だった16年の衆院京都3区補選を除けば初めて。安倍政権は与野党の政治決戦となる参院選を前に危機感を募らせる。
大阪を本拠地とする維新は、大阪府、市のダブル首長選に連続して勝利を収め、大阪都構想実現へ弾みをつけた。
さあ、きな臭くなってきたねえ、参院選。福島原発の後始末もちゃんとやれない原発など全廃の掛け声で野党はしっかり頑張ってほしい。