今日の画像は、豊臣秀吉をまつる京都市東山区の豊国神社で、かつて境内にあったものを24年ぶりに復活した『陶製の秀吉像』と、私がとても好きな花『クロッカス』です。いつか、スイスアルプスの雪解け時に一面咲くクロッカスの群生を見てみたいと思っています。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
■■中学、高校、大学で、勉学の結果が思わしくなくいわゆる『劣等生意識』を持っているキミ、心配するな、あなた以上の劣等生が世の中に出れば大成功した例もあるのだ。その筆頭に『ニトリの創業者似鳥昭雄さん(76)』がいるのだ。本当、似鳥さんは劣等生で高校大学と卒業さえ危ぶまれた人物。が、今や年間1兆円の売上を目指す大家具チェーンの親分になっている。そのニトリをここまで成長させた『破天荒な似鳥昭雄』の実像を追う。
★★★3号店となる1974年昭48、開業の麻生店は成功を収めたが、軌道に乗るのはまだ先の話。創業期は本当に苦労の連続だった。当時は一般客にも掛け売りしていたが、たまに全く代金を払わない客がいた。ある時、販売先の会社が倒産し、未払いの金の回収にライトバンで向かった。だが2~3日たっても倒産会社の社長は戻らない。張り込みをしようとパンと牛乳をで社内で寝泊まりしていた。朝方、ようやく倒産企業の社長をつかまえ、販売した家具を回収すると共に、土地の一部を差し押さえることが出来た。
無事代金は回収出来たが、こんなことを続けていたのでは経営は安定しない。そこで掛け売りは一切やめた。同時に値段をスーパーのような同一価格に変更した。それまで客の様子によって表示価格の2割引きにしたり、3割引きにしたり、ころころ変えていた。だが、ある客が『隣の人が3割引きで、こちらは2割引きはおかしい』と抗議し、返品してきた。確かに不公平なので、見直すことにした。
価格を見直せたのは、3号店の成功で製造元との取引が可能になったからだ。と言っても問屋に見付かると、卸してくれなくなる。そこで夜陰にまぎれて現金で製造元から家具を仕入れた。『いつも安売り』のやり方は当時としては画期的だった。業界秩序を乱すと批判もされたが、他社と同じことをやっていては成功しない。
だが、麻生店が開店した頃、地元百貨店の家具売り場の責任者を営業部長としてスカウトしたところ、再び倒産の危機を迎えた。営業部長が仕入れ価格を水増しして、自分の懐に入れていたのだ。大事な業務をあっさり新参者に任せてしまう私は本当に脇が甘い。店頭価格がじわり上昇し、客足も低下。売り上げは下降線を辿った。
ある取引先から『お宅の営業部長から賄賂を要求されて困っている』という話を聞いた。実際に賄賂を断った問屋は打ち切られて行く。一度問い詰めたら、『会社のためにやっているのに、何故そんなことを言うか』と逆ギレしてくる。昼間から札幌競馬場をうろつき、競馬三昧。さらにひどい話がある。勝手に会社の商品を札幌から離れた石狩市などで売っていたのだ。
社内犯罪の根は深かった。営業部長だけではなく、20人の社員のうち、私と身内、一部の社員を除く16人が連座していた。ある夜、私の家に酔っぱらった営業部長がやってきて、ドアをどんどん蹴る。家に上げると『俺を疑っているらしいが、証拠がないだろう。逆らったら会社を潰すぞ』と脅す。私と家内は目の前に座らされる。たまたま家にあった洋酒『ナポレオン』も全て飲み干された。米国視察の時に奮発して買った楽しみだったのに。
私と営業部長は社内の見方を増やそうと、お互いに社員に飲ませ、食わせの大判振る舞いをした。もう奪い合いだ。すると調子に乗った社員達は『懇親会を開きたいのですが』と飲み代を請求してくる。断ることも出来ず、交際費はうなぎ登りだ。眠れない日々が続いた。店の販売員も売り上げを懐に入れる始末。再び資金繰りの危機を迎えた。『これは潰れる』。このまま潰れたら一生後悔する。やるだけはやって潰れてやろうと腹をくくった。(参考:似鳥昭雄筆『私の履歴書』)
■■日本代表監督『森保一』、U-17日本代表監督『森山佳郎』、J1名古屋監督『風間八宏』、J1大分監督『片野坂知宏』、J2大宮監督『高木琢』、昇格請負人J3北九州監督『小林伸二』、FC今治監督『小野剛』、福岡などの監督をした『松田浩』・・・・・。この人達は全員サンフレッチェの出身である。前身のマツダサッカークラブの時代からの人達もいる。この人材を見出した人こそマツダサッカークラブ総監督、サンフレチェGMを務めた『今西和男さん(77)』。
集英社が、今西さんの足跡、育成した人材を追った『育将』を2016年に発刊している。ただ、今西さんは最後の時期に『FC岐阜』の社長に就任された。まさに泥にまみれた時代だった。なぜこんなクラブを引き受けたのか、詳細はつまびらかになっていない。心配は過去からの累損を個人で引き受けた総額3億円の負債。この処理がどうなったか、不明である。その『育将』の実像の証言を綴る。いずれも肩書は2016年の『育将』発刊当時のもの。
★★★『育将・今西和男 オフトが振り返る。「あの試合、イマニシがいてくれたら」』
組織を育(はぐく)む(3)
来日したハンス・オフトに対して、今西が提案したのは役割分担の明確な線引きであった。ピッチの中のことに関してはすべて現場指揮官であるあなたに任す。一方でその監督の評価も含めた強化、育成、編成人事、広報については自分が行なう。互いに尊重し合って越権行為はしない。それはまた、ドラスティックにチームを変えようとしたオフト自身の要望でもあった。
ヤマハでは2か月だけの短期コーチであったオフトが、初めてシーズン前のキャンプから日本のチームを見てもらした感想は『選手が人間としてまだ自立していない』というものであった。ヨーロッパから来たプロの指揮官の目には、マツダの選手は終身雇用の会社に入って漫然とサッカーをしているように映った。『なぜ、自分はサッカーをするのか、自分の人生においてそれはどのように意味を持つのか。それを突き詰めて考えているようには思えない』。
今西にこう求めてきた。『選手がコミュニケーションを取れないのか、取ろうとしていないのか。外国語が出来ないのは仕方がないが、私から積極的に何かを吸収しようとしなければ意味が無い。そこが物足りない。グラウンドの外の仕事として、普段の生活から彼らが自立したコミュニケーションを取れるように教育して欲しい』。今西の選手に対するコミュニケーション教育は、ここから始まったと言ってもよい。試合ごとにレポートを書いて提出すること、人前でスピーチをすること、さらにはマツダの監督はオフト以降も外国人と決めていたので、英会話を学ぶことも求めた。
成果は上がり、サッカーの質もそれに伴って変わっていった。1985年にJSL1部に早々に復帰、天皇杯もベスト4に進出した。マツダはそれまでの社風として『スポーツ選手は文武両道を目指す者として社業もこなすべきである。サッカーだけやっているのは許されない』という空気が残っていた。だが、オフトはプロフェッショナルの監督としてこういうことを言った。『サッカーしかしないのは不勉強と言われるかもしれない。しかし、サッカーを死にもの狂いで追究することで学べることもたくさんある。しかも、それは自分だけではなく、チームメイトと共に学ぶことができる』。
1986年には1部で7位と健闘、1987年には天皇杯で準優勝する。最後はケガ人に泣いて2部に落ちたが、オフトは確実にマツダを変えた。契約満了の形でオランダに帰る際、オフトは『このチームの中に将来、名監督になれる人物が3人いる』と言って、日本を離れた。予言は当たる。可能性のある人物はみな、後に指導者として事を成し遂げる。サンフレッチェでJリーグ2連覇を達成する森保一、現在バイエルンツネイシで監督を務める前川和也、ヘッドコーチとして森保を支える横内昭展の3人であった。
今西は次の監督にマンチェスターUのキャプテンを務めたビル・フォルケスを招聘した。オフトはオランダに戻ってユトレヒトのGMになり、日本との縁は切れたかと思われた。しかし、日本サッカー界は放っておかなかった。 1991年、日本サッカー協会会長の藤田静夫から会社にいる今西の下へ電話がかかってきた。当時、協会は新しい代表監督を探していた。やはり誰もが日本人監督の限界を感じていた。『オフトはどないや』と京都出身の藤田はずばりと聞いてきた。『オフトは、これはもう日本代表の監督をさせるには最適の器ですよ』今西は率直な評価を伝えた。『たまたまマツダではタレントがいなくて勝てなかったですが、本当にもう目から鱗が落ちる指導者でしたよ』。『そうか』と藤田は電話を切った。しばらくして練習場に向かいトレーニングを見ていると、グラウンドの事務所から呼び出しがかかった。国際電話が入っているということで受話器を握るとオフトだった。『実は自分のところに日本代表監督のオファーがあった。どうしたらいいか』。少なからず戸惑いがあるようだった。『自分はどうしたいんだ? それが大事だろう。ただ日本協会は、予算的に限界があるぞ』。
マツダ時代はオフトに税抜きで年俸を1000万円払っていた。日本代表監督でも当時の協会の予算規模では、1500万か2000万だと思われた。『分かった』と言ったうえでオフトは再び訊ねてきた。『家とか車はどうなのだ?』『家はこちらの方でも準備をしてもらったらいい。家族を連れてくるだろう? 車も買わずにスポンサーから借りたらいい』。
こうしてオフトの日本代表監督就任が決まった。プロ化が成されてJリーグが開幕したタイミングとも重なり、オフトの代表はいきなりダイナスティカップの優勝を飾り、やがてアメリカW杯アジア最終予選を勝ち進んでいく。『スモールフォワード』『アイコンタクト』『トライアングル』……これらの世界標準のワードは、オフトによって持ち込まれたと言えよう。1993年10月28日対イラク戦、ついにはラスト1プレーを凌げば、W杯出場という局面にまで導いた。しかし、最後のセットプレーで失点し夢は潰えた。いわゆる『ドーハの悲劇』であるが、この試合を振り返ったオフトは今西にこんな言葉を投げかけている。
『あの試合、リードして迎えたハーフタイムで選手たちは興奮しまくっていた。あと45分をこのままで逃げ切れば、初のW杯出場が決まるので無理も無いが、明らかに冷静さを欠いていた。私は何度も落ち着けと怒鳴ったが、言葉の問題があって彼らをクールにして指示を飛ばすことが出来なかった。最後の失点はそれも影響したと思う。そばに日本人でしっかりと代弁してくれる人材がいれば、よかったのだが。そう、だからあのときのロッカールームにイマニシ、お前がいてくれたら、結果は変わっていたのではないかとそう考えるよ』。(参考: 集英社刊『育将』)
★★<ペロシ米下院議長『司法長官が偽証』 ロシア疑惑>2016年の米大統領選にロシアが介入した疑惑の捜査結果をめぐり、野党・民主党がバー司法長官への批判を強めている。ペロシ下院議長は記者会見で『バー氏は議会に対して嘘の証言をした。偽証すればそれは犯罪とみなされる』と語った。トランプ大統領の擁護に徹するバー氏を追及し、トランプ氏が狙うロシア疑惑の早期幕引きを阻止する構えだ。
ペロシ氏が偽証にあたるとみなしたのは、4月の下院公聴会での発言とみられる。当時、モラー特別検察官が作成した448ページの捜査報告書をもとにバー氏が作成した『主要な結論』といわれる4ページの文書に対し、モラー氏とともに捜査を担当した検事が不満を漏らしていると報じられていた。バー氏は事実関係を問いただされたが『何も知らない』と応じた。
だが1日にはモラー氏が『重要な側面に誤解が生じた』とする反論文をバー氏に送っていたことが判明した。『文脈や本質、中身を完全にとらえていない』と厳しく指摘した。バー氏は同日の公聴会で『私はモラー氏本人と直接やり取りをしており、4月時点で報道にあった他の検事の不満については知らなかった』と釈明した。
下院は犯罪行為があったとみなせば、閣僚の弾劾を発議できる。下院の多数派を占める民主党トップのペロシ氏がバー氏の議会証言を『犯罪』との認識を示したことは単純な批判とは異なる重みがある。バー氏が偽証罪で刑事責任を問われなくても、議会は独自の調査に基づいて弾劾を発議できる。
ペロシ氏は、トランプ氏寄りの言動を繰り返すバー氏の信頼を失墜させて、ロシア疑惑追及の流れを継続させたい考えだ。実際にはバー氏の弾劾を発議しなくても、20年の大統領選に向けてトランプ氏の大統領としての適性に疑念が生じ続ければ民主党に有利になるとみる。
大統領選に出馬した民主党候補もバー氏を一斉に批判している。ジョー・バイデン前副大統領は1日、『バー氏は米国民の信頼を失った。辞任すべきだ』と強調した。カマラ・ハリス、エリザベス・ウォーレン、キルステン・ジルブランド各上院議員も辞任を求めている。
アメリカの醜い争いが続くねえ。が、どう見ても嘘つきトランプは劣勢と見られるがどうだろうか、な。
また、トランプは2日、米連邦準備理事会(FRB)理事への起用を検討した経済評論家のスティーブン・ムーアが、指名を辞退したと発表した。ムーアは大統領選でトランプ陣営を支えた側近の1人で、トランプ氏に同調して利上げにも強く反対していた。トランプ氏は自身に近い実業家の理事起用も断念したばかりで、FRB人事は再考が求められる。正に迷走するトランプだな。
★★<ソメイヨシノの苗木は接ぎ木>一斉に咲き、一斉に散る日本の名花『ソメイヨシノ』。なんと苗木は種からではなく、接ぎ木で育てるのだそうだ。親となる小さく切った木に、ソメイヨシノの枝を差し込みしっかり結わえる。それを地面にさして、根が出るのを待つだけだと。
それがソメイヨシノが一斉に咲く秘密だそうだ。種から咲かせた植物は、開花がまばらになりソメイヨシノのように一斉ではないそうだ。接ぎ木で全く同じDNAを持つソメイヨシノだからこそ一斉に咲き、一斉に散ると。
本当に染井村の庭師さん、見事な発見、発明だねえ。日本にソメイヨシノなかりせば、これほど春爛漫は楽しめなかっただろうに。お見事ではある『接ぎ木の苗木、ソメイヨシノ』ではある。
★★<忘れられた代理戦争、『イエメン内戦』>内戦で1千万人が飢餓の危機にある『中東イエメン』を逃れた人々。昨年12月、支援物資を搬入出来る港湾都市ホデイダでの停戦合意が結ばれたが、政府機関が機能するエリアは限られ、一部では武装グループによつ殺人や強盗が横行する。反政府組織による監視も厳しく、国民h息を潜めて国際社会の支援を待っている。
イエメンは2011年の民主化運動『アラブの春』が波及して当時の政権が崩壊。権力を委譲された暫定政権と、反政府武装組織フーシによる内戦が15年に勃興した。暫定政権はサウジアラビア、フーシはイランの支援を受けており、地域覇権を争う2カ国の『代理戦争』になっている。
フーシが支配する首都サヌアを昨年末に逃れた元政府職員サブリー・ザイートさん(49)らによると、国内では複数の武装組織が活動している。警察が機能せずに治安が悪化。流出した武器を持つ市民も多く、夜間は外出出来ない地域もある。フーシは支配地域で暫定政権の支持者をあぶり出そうと密告を奨励。ザイートさんの知人男性(28)もフーシ批判を通報され、4ヶ月間拘束された。取材に対し『イエメンでは誰も信用出来なかった』と言う。
空襲や武力衝突で水道や病院、道路などのインフラが破壊され、食糧や医薬品が慢性的に欠乏している。物価は内戦前の4~5倍に高騰。衛生状態も悪化して17年にはコレラが蔓延し、2千人以上が死亡した。ホデイダから昨年10月に逃れた男性(35)は当時、近隣の35人がコレラに感染し、死亡した15人の葬儀を同時に行った。『病院ではフーシ戦闘員の治療が優先された。私の周囲にも、妊娠中の合併症などで治療が必要だった女性7人が亡くなった』と振り返る。
中東では過激派組織ISに国土の一部が支配されたシリアやイラクに国際社会の注目が集まった。一方、イエメンはアラブ最貧国で資源も乏しく、内戦は『忘れられた戦争』とも呼ばれる。大きな被害が出ているのに、主要国の関心も低く、有効な解決策を打ち出せていない。
内戦の長期化は、サウジとイランの介入も影響している。サウジにとって『軒先』のイエメンで、敵対するイランの影響力が拡大するのは見逃せない。フーシが続けるサウジへのミサイル攻撃は安全保障上の脅威でもある。また、内戦への介入は次期国王と目されるムハマンド皇太子が主導したため、成果のない撤退が難しい事情もある。これに対し、シリアやイラクなどで足固めを薦めるシーア派大国イランは、同派系のフーシを支援し、サウジを牽制する。
国連などが運営するジブチ唯一のイエメン難民キャンプで、妻、7人の子と生活するサイード・アリさん(65)は、サウジの空襲を機に故郷を離れた。『誰も武器を捨てないイエメンにはもう帰らない。子供はジブチで結婚して暮らしてほしい』と4年にわたる避難生活を振り返り、あきらめの表情を見せた。
サウジが主導するイエメンの空襲には、民間人の犠牲者の増加と共に国際社会から激しい批判が起きている。このため、サウジは難民支援を通じたイメージ戦略に力を入れ、キャンプで300戸のエアコン付き住宅を建設するほか、食料援助も続けている。
ただ、難民達の思いは複雑だ。『サウジは空爆で数えられぬほどの人を殺し、国を破壊した』。多くの隣人を失ったマリアム・ヤヒヤさん(40)は、空襲が始まった直後にサヌアを逃れた。夫はジブチで三輪タクシーの運転手として働いたが、右ヒジの古傷が悪化して失職。11~20歳の子供4人とキャンプで配給される米や小麦、豆などを頼りに暮らす。『サウジの援助を受けるのは惨めで仕方がないが、ほかにどうしろと言うのか』とうつむいた。
『アラブの春』から始まった中東の民主化改革は、ほとんど不成功か、混乱、内戦に発展してしまった。とりわけ、シリアの内戦は目をおおうばかりだが、エジプトも不安定で、リビアに至っては反政府勢力が縦横無尽の勝手な行動を取る。要するに、民主化のお題目は、芽生える社会風土がまだ未成熟だったのだろう。それでなくても、アフリカ諸国では民主化で部族戦争に突入というケースも多い。お題目が現実に成功するには、民度の引き揚げが不可欠だろうな。
★★<カープに復調の兆し>緒方監督退場も何の!広島が3連勝&本拠マツダ8連勝、勝率5割復帰にあとバティ先制弾&サヨナラ打。
広島が2―2で延長戦に突入した巨人戦に3―2でサヨナラ勝ちを収めて3連勝。本拠マツダでは8連勝とし、勝率5割復帰にあと1とした。2―2で迎えた延長10回、1死から野間が右前打で出塁し、菊池涼がバントで送って2死二塁。ここで打席に入った3番・バティスタが左越えにサヨナラ打を放った。
広島は初回の攻撃で菊池涼の判定に対するリクエストの異議申し立てをしたとして緒方監督が退場処分。試合再開直後にバティスタが右越え6号ソロを放って先制すると、先発投手のジョンソンが6回を無失点で抑えて降板した。2番手の一岡が7回に2点を失い、一度は逆転を許したが、その裏に代打・会沢の二塁打で同点。延長戦でのサヨナラ勝ちに持ち込んだ。
出足絶不調で、守備はリーグワーストのエラーを記録、打っても田中、バティ、松山など超不調だたた。が、ここにきてバティの打棒が光る。昨日は5打数3安打、本塁打1と好調さを見せる。今日は、中村裕太と山口だからまあ負けるだろうなあ。もしカープが山口を攻略し巨人に3連覇すればこれはとても面白い流れになると思うがねえ。まあ欲だろうなあ。
★★<広島が緒方監督退場巡り意見書提出『検証して』 >この日の試合、緒方監督の退場を巡り、セ・リーグに意見書を提出した。鈴木球団本部長は『疑問に思うことをメールした。ルールの確認もさせてもらえなかった。その経緯も含めて検証してほしい』と話した。
菊池涼は、一塁をオーバーラン後、すぐに帰塁した際にタッチされてアウトと判定されたが、公認野球規則5・09b(4)の『例外』には『打者走者が一塁に走るときは、ただちに帰ることを条件としてならば、オーバーランまたはオーバースライドして一塁を離れているとき触球されても、アウトにはならない』とある。緒方監督は1度目にベンチを出た際にこの点を指摘。審判団に協議を求めたが、福家球審にリプレー検証を提案され受け入れた。しかし、リプレー検証はアウトセーフの判断に限る。2度目にベンチを出た際に説明を求めたが、抗議と判断され退場となった。
橘高一塁塁審は菊池涼の走塁について『二塁へ向かう意思を見せたと私は判断した』と説明。『リプレー検証の後は抗議できない。抗議をやめなかったので退場にした』と話した。
▽広島緒方監督『一方的な言い分で審判の方には申し訳ないけど、リクエストするためにベンチを出たわけじゃない。抗議のために出た。菊池は二塁進塁しようという意思を見せていないのに、アウトセーフの判定をされること自体がおかしい。集まって協議すればいいと言ったら福家球審に「リクエストしたらどうですか」といわれてその通りにした。2度目にベンチを出たのは抗議ではなく説明を求めた。審判の方の見解もあるだろうから、意見書の返事を待ちたい」。
▽菊池涼『誰がどう見ても二塁には行こうとしていないでしょう。監督がしっかり見てくれている』。
菊池は二塁へ行こうとした訳ではないのにタッチアウト。これからは、一塁オーバーランした選手にタッチしたら、全部アウトの宣告をしてくれよな、審判団殿。どもう、プロ野球の審判団は緊張感が足らないように見受けられる。プロ野球の選手、監督はおぼ1年毎に契約更改される。成績がわるけばば契約満了となるのだ。それに引き換え審判員は終身雇用で、判定ミスもなんおその、だ。これだけリプレーでアウトがセーフにひっくり返るのを見ていると、今までのプレーの審判は間違いだらけの試合だったということになる。この前の中日の2塁アウトの判定は顔は一塁を見ていて、プレーをみてもいないのにアウトの判定。もっと緊張感を持たせるためには、審判に誤審に対する解雇を含めるペナルティを導入してほしいねえ。