今日の画像は、大阪湾が一望できる丘『大阪まいしまシーサイドパーク』の一面に咲く、愛らしい青い花『ネモフィラ』、昨夜のカープ中日戦、延長10回殊勲の走者一掃の3塁打を打ち『ガッツポーズの西川龍馬』。そして黄色い花『ウンナンオウバイ』と再録『キカタバミ』です。このシーサイドパーク、ネモフィラの次にはユリが咲き、250万株の見事な花園に生まれ変わります。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
■■中学、高校、大学で、勉学の結果が思わしくなくいわゆる『劣等生意識』を持っているキミ、心配するな、あなた以上の劣等生が世の中に出れば大成功した例もあるのだ。その筆頭に『ニトリの創業者似鳥昭雄さん(76)』がいるのだ。本当、似鳥さんは劣等生で高校大学と卒業さえ危ぶまれた人物。が、今や年間1兆円の売上を目指す大家具チェーンの親分になっている。そのニトリをここまで成長させた『破天荒な似鳥昭雄』の実像を追う。
★★★1975年昭50、開業のエアドーム店は話題を呼んだが、トラブルは尽きなかった。雪の重みでテントが下がるのは当たり前。冬になると除雪で電信柱が折れ、停電になることが多い。すると空気圧が低下し、ドームがしぼむ。『屋根が落ちてきます。避難してください』と呼びかける。来店客は『ぎゃー、ぎゃー』と騒ぎながら、入口に殺到してパニック。まるで漫画のような世界だった。
それから夏は店内が40度を超え、サウナのような状態で、滝のような汗が噴き出る。冬は零下10度で凍えるように寒い。そこで社員には夏に『赤道手当』、冬に『北極手当』を5千円支給した。不思議にエアドーム店はしぶとく10年続き、次の店にも弾みがついた。手稲富丘店、月寒店と札幌市内に店舗を広げた。
それでもニトリ家具の知名度はまだまだ低い。とにかく他社と違うことをしようと思い、『安売り』で名を挙げようと決めた。だが、当時は問屋の力が強く、話は簡単には進まない。北海道には有力な4社の問屋があり、好意的なのは1社だけ。仕入れには本当に苦労した。
創業間もない頃に目をつけたのは、倒産品だ。仕入れ値は通常より3~5割安い。当時、『赤いダイヤ』という小豆相場を巡る経済小説が話題だった。私も相場師になった気分で腹巻きに50万円ほどを入れて資金に困ったメーカーや問屋を回った。すでに複数店舗を経営していたので低価格品はすぐにさばける。それどころか、百貨店や専門店などにも卸していった。
『ニトリは買いっぷりがいい』と言うので出物がどんどん集まってくる。置き場所もないので、札幌市内にある数カ所のタマネギ倉庫を借りて、集荷するようになった。この頃は本当に楽しかった。最終的には九州の産地まで巡り、商談終了後は温泉で毎日のように芸者を上げてのどんちゃん騒ぎだ。
倒産品のお陰で『安売りのニトリ』の評判は高まって行ったが、次第にトラブルも増えていった。ある時、九州で買い付けた家具を20トントラックに乗せ運んでもらう手はずを整えていた。トラックは函館に到着したが、運賃と家具を載せたまま、雲隠れしてしまった。結局商品は手に入らず、損失を出した。
だまし取られた家具を買ってしまい、『こわもて』の人々から脅されたこともあった。かなり危険な人物だったようだ。逃げようもなく面会したら『おまえ、いい度胸しているな』と何故か気に入られた。結局、こわもての人は数ヶ月、札幌に滞在し、飲み食いのお付き合いをした。
さすがに倒産品はリスクが大きい。いわゆるワケありの安い商品を扱う『バッタ屋稼業』からは手を引くことを決めた。そこでメーカーを全国行脚し、直接取引出来る会社を探して歩いた。
問屋に隠れて、現金片手にメーカーと交渉した。だが問屋にばれると取引は停止。まるで『指名手配』の犯人のようになり、津軽海峡を越え、新潟、群馬、静岡、広島、九州と南下して行った。今のようにニトリで商品を企画し、海外から輸入する経営になるのはまだまだ先のことだった。(参考:似鳥昭雄筆『私の履歴書』)
■■日本代表監督『森保一』、U-17日本代表監督『森山佳郎』、J1名古屋監督『風間八宏』、J1大分監督『片野坂知宏』、J2大宮監督『高木琢』、昇格請負人J3北九州監督『小林伸二』、FC今治監督『小野剛』、福岡などの監督をした『松田浩』・・・・・。この人達は全員サンフレッチェの出身である。前身のマツダサッカークラブの時代からの人達もいる。この人材を見出した人こそマツダサッカークラブ総監督、サンフレチェGMを務めた『今西和男さん(77)』。
集英社が、今西さんの足跡、育成した人材を追った『育将』を2016年に発刊している。ただ、今西さんは最後の時期に『FC岐阜』の社長に就任された。まさに泥にまみれた時代だった。なぜこんなクラブを引き受けたのか、詳細はつまびらかになっていない。心配は過去からの累損を個人で引き受けた総額3億円の負債。この処理がどうなったか、不明である。その『育将』の実像の証言を綴る。いずれも肩書は2016年の『育将』発刊当時のもの。
★★★『育将・今西和男院 峭箸鮴砲靴泙此⊃頼関係を築いてきた人」』
風間八宏『骨身を惜しまず、信頼関係を築いてきた人』
門徒たちが語る師の教え 川崎フロンターレ監督 風間八宏(2)
1989年、昇格を逃し、2シーズン続けて2部リーグでの戦いを余儀なくされたマツダの実質的な総監督今西は、半ば風間八宏(ブラウンシュヴァイク)の獲得をあきらめていた。『ヨーロッパでプロとしてバリバリプレーしている人間をうちのような日本リーグの2部でやらしちゃいけんじゃろ』という現役選手に対する配慮もそこにはあった。 当然ながら風間のもとには、1部に所属する強豪チームや海外のチームからのオファーが殺到していた。高校は静岡の清水で、大学が筑波の男にとっては、帰国したとしても縁遠い広島に行くこと自体、リアリティがないと思われた。しかし、10代の頃から日の丸を背負ってきた屈指のMFが選んだのはマツダであった。
『今西さんのところだけが本気だというのが分かったんです。ドイツでやっている5年間、ずっと見に来てくれていた。もちろん、最初は自分にとって面白くも何ともない話ばかりでしたよ。サラリーもやりがいも観客数も全然、ドイツの方があった。でも、マツダのチームビジョンというのがしっかりと伝わってきたわけです。「リーダーとしてお前が欲しい」「真っ白のチームだから、本当のプロのマインドをチームで示して欲しい」と、自分の役回りも明確に言ってくれた。そして、契約書から何から提示の額まで、しっかりと持ってきてくれたのが今西さんだけだったんです』。
単なる口頭による勧誘ではない、最もプロフェッショナルなオファーを示したのが2部リーグ、マツダの総監督である今西だった。順位、環境、年俸以上にプロとして向き合おうとした、その姿勢が風間を突き動かした。この風間の帰還は注目を浴び、当時サッカーの記事など、ほとんど掲載されなかった朝日ジャーナルが2週にわたって、武田薫氏による特集記事『渇えし者たちの夢 (風間八宏)』を載せている。それは鶴見俊輔と久野収という哲学者同士の対談の次のページに組まれた。同記事の中で、今西は風間をスカウトした理由を『ブラジルの外国人選手を入れて派手にやることもできるでしょう。ただ、私はチームのきちっとした骨組みを作りたいし、それがマツダのやり方だとも思っているんです』と語り、呼応するように風間は『プロってお金じゃなく、仕事なんです。責任のことです。お金は責任への報酬なんですね』と応えている。まさにプロとして、自らの責任を果たそうとして広島のチームに参入した。
しかし、いざマツダの練習に参加してみると、そのギャップは想像以上だった。『こんなにも遅いのかよ、 というのが正直な感想でしたね。プレーも判断も、ドイツに比べると本当に遅かった。今西さんは真っ白なチームと言っていたけど、これでは確かに色も何も付いてないよなと』。今西は即座にキャプテンに指名しようとしたが、風間は『いや、マッさん(松田浩)にお願いしましょう』と一歩引いた立場で、初年度はチームの様子を見ようとした。『チームメイトがどういう人たちか見なきゃいけないし、リーダーは他の人がいいと思ったんです』。
それでも、いざシーズンが開幕すれば遠慮はなかった。試合に負けたにもかかわらず、シャワー室で『まあ、次があるよ』と談笑している先輩には「『てめえら、一生、そう言ってろ!」』とシャンプーを投げつけた。ピッチ上での要求も遠慮会釈がなかった。試合中、走り込むスペースに出してくれれば1点という場面で、ある先輩のパスが手前で滞った。『そこじゃない、ここだ!』『ごめん、ごめん』。しばらくして同じ局面が整った。再び裏へ抜けようとすると、またも同じミスパスが来た。次の瞬間、風間は試合中にもかかわらず、いきなり先輩の胸ぐらを掴んでいた。 『はっきりしろ! 謝らなくていい。できねえならできねえと言え! そうしたら俺が引くから。出来るならちゃんと出せ!』。
縦社会である日本のスポーツシーンでは考えられないような行動であったが、先輩たちもそのふるまいをチームのためとして認めてくれていた。そして、それは有効に機能していった。 韓国遠征では今西が期待していた通りの動きがあった。ソウルのクラブチームとの練習試合の中で、何でもないシュートをGKの前川和也がトンネルしてしまった。こんなとき選手たちは『ドンマイ』と声をかけて切り替えを促すのが主であった。しかし、風間は『てめえ、そんなボールも取れねえのか』と怒鳴りつけると、さらにベンチに向かって『他にキーパーはいねえのか』と叫んだ。『これだ』と今西は膝を叩いた。『肝っ玉小僧がやってくれた』。ミスはミスとしてはっきりさせて傷を舐め合わない。前川にとっても、この糾弾は効いた。『俺はあのときの言葉は一生忘れない。あれから絶対 にヤヒさん(風間)には練習でも1本も入れられないようにしようとした。それで俺は上手くなった』 と周囲に語っている。
2年目からは満を持すかたちでキャプテンに就くと、ますますコーチングは激しくなった。『でも、どれだけひどいことを言っても先輩も後輩もついてきてくれた。やっぱり本気で勝ちたいチームに俺は来たんだなと思えた。実際にどんどん皆、強くなっていったんですよ』。そのリーダーシップは誰もが認めた。香港のキャンプでサウナに入っていると、監督のビル・フォルケスが入ってきた。“ミュンヘンの悲劇”を乗り越えたマンチェスター・ユナイテッドの元キャプテンに選手たちは気を遣って、三々五々抜けていくが、少し遅れて入ったこともあって風間はずっと残っていた。するとビルが話しかけてきた。『お前を初めて見たときはびっくりした。イギリスにもお前みたいな奴はいない。もっと厳しくやっていいぞ』。
しかし、マツダがサンフレッチェ広島になった頃、風間はぴたりと厳しい言動を止める。『最初はサイドバックとウイングの違いに悩んでいた奴がいて、「そんなの高さだけで変わらないよ。何 かまずかったら、監督が注意してくれるから好きにやればいいんだよ」と伝えるところから始めなければならなかった。でも、そのうちに意識が変わったと思えたんで、俺はきつくふるまうのをやめたんです。「最近、優しすぎないですか」と言われたんで、「それはお前らが下手だったからで、今はそうじゃねえよ」と返 してやりました』。やがて1994年のJリーグ1stステージの優勝を勝ち取る。このときも風間は満足せず、チェコスロバキア代表のキャプテンを務めたハシェックとともに監督のバクスターに何度も『これだけでは物足りない』と具申している。
『優勝しても、僕自身は面白くないと思うところが多々あって、いろいろ意見をしたんです。バクスター監督は「お前の言うことは分かるが、今は他のメンバーにも、このサッカーをやり続けさせる勇気を与えてやってくれ」と言うので「分かった」と。チームが変わっていくのは、すごくよく分かった。やはり今思えば、あのタイミングでバクスター監督を起用した今西さんは、チームの発展段階をしっかりと見据えていたんだと思います』。疑問があれば、優勝戦線を走っていても遠慮なくぶつけ合う。バクスターと風間と今西は互いに決して馴れ合わない緊張感の中にいた。
オフトは、日本代表監督に就任したときに風間を代表に呼びたがったが、風間はこれを拒否。サンフレッチェからはすでに高木、森保、前川と3人が招集されており、自分が抜けることを由としなかったのである。このときは今西が強化委員の立場でありながら、協会に断りの連絡を入れてくれている。『大丈夫ですか?』『大丈夫じゃ。わしも中途半端にお前を出したない』。
現在指揮を執る川崎フロンターレのクラブハウスで、風間は今西のチームマネージメントをこう振り返った。『ただの強化部長と違って、親会社からサッカー協会に至るまで、あらゆることに精通してすべてを網羅していましたね。後に僕が協会に行ったりして、チームと両方やることの大変さが改めて分かったりしました。どこに対しても骨身を惜しまず、信頼関係をしっかりと作ってこられた。今西さんのすごさはそれに尽きると思いますよ』。今西の母堂が亡くなったとき、風間の母親は風間と一緒に葬儀に参列している。女手ひとつで男兄弟を育てあげてくれた母親は『あなたをここまでちゃんとさせてくれたのは、今西さんだから』と風間に語ったという。 (参考: 集英社刊『育将』)
★★<回転寿司『1皿100円でも儲かる』カラクリ>日夜テクノロジーが進化する中で、ビジネスの手法、言いかえれば『儲けるための仕組み』も、どんどん変わってきている。あるサービスや企業に対して、『格安なのに、なぜやっていける?』『利用料が要らないのに、どうやって稼いでいる?』など、疑問を抱いたことのある人もいるだろう。こうした『儲けの仕組み』について、『うまくいっている会社の「儲け」の仕組み』著者の下玉利尚明が解説する。
テーマは、『回転寿司』について。回転寿司の発祥の地は、実は東大阪。元禄寿司が約60年も前の1958年、『廻る元禄寿司 1号店』を開店したのが始まりだ。売上高日本一を誇るスシローが1号店を大阪に開店したのはそれから30年近く後の1984年。
現在、全国展開をしている回転寿司店だけでも、『スシロー』『無添くら寿司』『はま寿司』『かっぱ寿司』『すし銚子丸』『がってん寿司』『元気寿司』などがあり、これらの店のほとんどは1皿100円のメニューを売りにしている。街の寿司店なら、ちょっとつまんで飲んで1人最低5000円が当たり前のところ、1皿100円の回転寿司がどうして儲かっているのか、不思議に思う人は多いはずだ。
◇回転寿司の『儲けの仕組み』
飲食店なので、儲けを考えるときの基本的な計算方法がある。『客単価×座席数×回転数』で店舗の売り上げを計算し、そこから原材料費や人件費、店舗の家賃、経費などを差し引けばわかる。
回転寿司にあてはめてみると、『客単価は低めだが、座席数は多く、回転数も多い』ことはわかるだろう。それぞれの回転寿司チェーンでは、客単価を高くする試みや回転数をさらに高める仕掛けなどもしているだろうが、どれも『安いのに儲かる』回転寿司の秘密とは言い切れない。
それでは、原価はどうなのだろうか。メニューごとの原価では、ウニやマグロなどが高く75〜85円程度とされている。基本的に1皿100円とすると、80%前後が原価ということになる。回転寿司店は原価率が高いのが特徴で、一般的な飲食店では約30%程度の原価率を、10ポイント以上、上回ることが珍しくないという。ウニやマグロの原価率がこれだけ高いことを考えると、原価率の低いメニューが必要になる。
その代表格は、ツナマヨ、コーン、かっぱ巻き、タマゴなどで、いずれも原価率20%以下だ。みそ汁などは10%程度、コーヒーに至っては2%程度だという。店側としては原価率の低いメニューをなるべくたくさん食べてもらえれば、ウニやマグロなどを食べる客がいても儲かる。そのためにはどうしたらいいか。実は原価率の高いメニューと低いメニューを比べると、ある特徴があることがわかる。原価率の低いメニューは子どもが好きそうなものが多く、逆に高いメニューは子どもが敬遠しそうなものが多い。
それこそが、回転寿司が儲かる仕組みで、要するに、子どもの客を増やせばいいのだ。子どもが原価率の低いネタをたくさん頼めば、ウニやマグロの注文で高くなりつつある原価率を下げられる。ただし、子どもは1人では来られないので、ファミリー層を狙う。回転寿司店が郊外や新開発の住宅地などに立地することが多いのは、そこに若いファミリー層が多く住んでいることが多いからだ。広い駐車スペースを併設するのも、そうした若い親子連れや3世代連れの利便を考えてのことで、家族もろとも子どもを呼び込む作戦といえるだろう。
家族連れなどの客が入店した後も、回転寿司では、儲けを出すためのさまざまな工夫がなされている。回転寿司店のファミレス化などということが近ごろ言われているが、まさにそのとおりで、回転寿司が出現したばかりの頃に比べるとメニューは格段に多様化している。それも、子どもに向けた多様化で、ポテトフライや唐揚げ、ラーメン、デザート類が豊富にラインアップされている。しかも、ラーメンやハンバーグ、デザートなどは、子どもに人気だが、それらの値段を寿司よりは少し高めに設定して、少しでも儲ける仕組みを徹底している。
◇回転寿司業界の『次の狙い』
さて、例えばある回転寿司店の原価構成が、材料費=40%、人件費=30%、諸経費=25%で合計95%とする。そうなると利益はわずかに5%。もう少し利益率を上げたいが、材料費は下げられない。そこで、次はその人件費をなんとか抑えようとする工夫が必要になってくる。その1つが、寿司店でありながら寿司職人を置かないこと。ほとんどの店でシャリをにぎるのはロボットで、それに加工済みのネタをのせるだけというシステムをとっている。注文取りも今ではタッチパネルで行うのが当たり前だ。これは人件費の抑制と同時に廃棄ロスを少なくして、コストを節約するという効果もある。
ここまで示したように、回転寿司が儲かる理由は1つではない。郊外に駐車場完備で立地し、子どもと家族連れを呼び込む。寿司職人の代わりにロボットでにぎる、タッチパネルで客に『食べたいネタを注文させる』など、その工夫はさまざまだ。こうした工夫を組み合わせた『総合力』こそ、回転寿司の『儲ける力』になっているのだ。
ナルホド・ザ・ワールドだねえ。いつまでも回転寿司の店が閉店しないのを不思議に思っていたが、ポイントはお子様客なんだねえ。面白い。
★★<外国人患者が増加の医療 現場が対応に苦慮>訪日外国人の増加を背景に、日本の医療機関で外国人患者が在留期間を延ばそうと無理な書類作成を依頼したり、診療費を支払わなかったりするトラブルが相次ぎ、現場が対応に苦慮している。外国人労働者の受け入れ拡大を狙う改正入管法の4月施行でさらに外国人患者の増加が予想される中、NPOによる医療事務の人材育成の試みも始まった。
今年2月、福岡市博多区の原三信病院の一室で、医師や医療事務職員らが打ち合わせに臨んでいた。日本語と英語を併記した検査同意書の文面に目を落としながら、どうすれば分かりやすいかと知恵を出し合う。同病院事務部の加藤宗一郎さんは『医療側も患者側も安心できる環境にしたい』と話す。
同病院では、クルーズ船が寄港する博多港近くという立地もあってこれまで20カ国・地域を超える外国人患者を受け入れてきた。外国人観光客の増加もあって、2013年は3人だった訪日外国人の入院患者も、16年には19人と急増している。
そんな中、トラブルもあった。昨春、親族訪問で来日中だった外国人男性が受診に訪れ『「1日でも検査入院が必要」と書いてほしい』と、在留資格の延長時に入管に提出する書類の作成を求めてきた。親族ともっと一緒にいたいのが理由だと推察されたが入院の必要性はなく、病院が断ると、男性はしつこく食い下がったという。
改正入管法で外国人労働者が増えれば、母国の親族が来日して同様の申し出をしてくる可能性は考えられる。加藤さんは『在留資格などの制度や諸外国の文化を頭に入れてしっかりと対応する必要がある』と痛感した。
そんな医療現場の不安に応えようと、外国人の生活支援に取り組む福岡市のNPO法人グローバルライフサポートセンターが、医療機関の事務職を対象に『国際医療事務養成講座』を昨秋から始めている。医療機関でのトラブルを防ぐキーマンとして、事務職員を育成するのが狙いだ。昨年秋開いた1回目の講座には、福岡市内の病院の事務職員ら約20人が参加。在留資格の種類や日本と海外の医療制度の違いなどを学んだ他、訪日外国人が知人の在留外国人の保険証を悪用する『なりすまし』受診を防ぐため、写真付きの在留カードを確認するなど受付窓口での対応策にも耳を傾けた。
原三信病院でも事務職員3人と医師の計4人が講座を受講。受付窓口での在留カードの確認も導入した。同センターの山下ゆかり理事長は『人命を尊重した医療を提供すると共に、外国人を取り巻く制度を理解して適切に対応できるかどうか。それが病院の経営や信用を守る上で重要だ』と話している。
◇診療費の未収金が発生 対策も急務
厚生労働省が3月末にまとめた調査結果によると、昨年10月の1カ月間に外国人患者の受け入れ実績があった全国1965病院のうち、19%の372病院で診療費の未収金が発生していた。1病院あたりの未収金件数は平均8.5件で、総額は平均42万円に上り、100万円を超える病院もあった。
留学や仕事で長期在留する外国人は日本の公的医療保険の加入が義務づけられている。一方、観光や親族訪問を目的とした訪日外国人は全額が自己負担で、在留外国人の未収金が平均2万2917円だったのに対し、訪日外国人は平均4万9709円と倍増していた。国は、キャッシュレス決済や前払いの普及などを未収金防止策として示している。
厚労省研究班で医療機関向けの外国人患者受け入れマニュアルの作成に携わった国際医療福祉大大学院の岡村世里奈准教授は『日本の医療制度や医療現場は、さまざまなタイプの外国人患者を想定したものになっておらず、人材育成も含めた国際対応が迫られている』と話す。
まあ、外国人旅行者が診療費、治療費の不払いは問題にはなってるねえ。一説には、病気を無料で直すためわざわざ日本の病院を訪れるために来日する外国人もいるそうだ。あれこれと、外国人観光客が増えればトラブルは増えるねえ。政府の施策は追っつかないなあ、ただただ来日客を増やすのに一生懸命だけに見えるなあ。京都の市バス市民が使用できなくなっている問題の解決にも政府は無関心、無視だしなあ。困った阿倍政権ではある。
★★<トランプ大統領、対中関税25%に上げ表明 最終盤で威嚇か>トランプ米大統領は現地時間5日、中国の知的財産権侵害などを理由に2000億ドル分の同国製品に課す関税を、10日から現在の10%から25%に引き上げると表明した。米中は2018年12月から貿易協議を開いて打開策を探ってきたが『交渉が遅すぎる』として制裁強化に転じる構えだ。最終協議を前にした威嚇との見方もあるが、米中の貿易戦争が一段と激化する懸念がある。
トランプはツイッターで『中国は2000億ドル分の製品に10%の関税を支払っているが、金曜日(10日)に25%に上がる。中国の協議は遅すぎる!』と表明した。関税を課していない3250億ドル分の中国製品にも『速やかに25%の関税を課す』と主張した。
米中は18年12月以降、閣僚級協議を開いて関税引き下げなどの条件を交渉しており、8日から中国の劉鶴副首相がワシントン入りして再会談する予定になっている。トランプが制裁強化を突如表明したのは、中国に一段の譲歩を求める『脅し』との見方がある。クドロー国家経済会議(NEC)委員長は5日のテレビ番組で、トランプの表明を受けて『大統領は警告を発している』と述べた。ただ、中国が態度を硬化させて早期打開が遠のく可能性がある。
トランプはこれまで『対中交渉は順調に進展しており、素晴らしい合意ができる』」と繰り返し主張してきた。そのため金融市場はダウ工業株30種平均が史上最高値に近づくなど、米中の貿易戦争が早期に打開に向かうとの期待を強めていた。トランプ氏の対中関税の引き上げ表明は、金融資本市場の世界的な失望を招く可能性がある。
米中は18年12月の首脳会談で貿易協議の開始を決定し、19年3月1日を期限に打開策を探った。トランプ氏は2月末に「合意に近づいた」として関税引き上げの先延ばしを表明。両国は再び4月中の最終決着を目指して詰めの協議を続けてきた。中国は液化天然ガス(LNG)など米国製品の輸入拡大策をトランプ政権に示し、3月の全国人民代表大会(全人代)では外資の技術移転強要を禁じる『外商取引法』も成立させた。中国の産業政策の抜本転換を求めてきた米国も『大きな進展があった』と評価してきた。
ただ、トランプは3月下旬に「関税をかなりの期間、据え置く」と述べ、計2500億ドル分の中国製品に課す制裁関税の全面解除を否定した。『中国は産業補助金の撤廃策を小出しにし始めた』(米経済団体幹部)ほか、中国が合意に違反したと判断すれば制裁関税を再発動する『罰則条項』などでも対立が残り、交渉は当初の期限から2カ月も延びていた。
両国はトランプ氏と習近平国家主席との首脳会談を開いて最終決着を目指すとしてきた。早期打開のメドが立たなくなれば、国際的なサプライチェーン(供給網)や金融資本市場の混乱が強まり、世界景気の大きな下押し要因になる。
まあ、中国に正面攻撃が出来る人物はトランプ以外にいないだろうから、まあここは静観だねえ。
★★<カープ4連勝、3試合連続の延長戦制す>広島は9回2死から代打・松山の適時打で同点に追いつき、延長10回に西川の適時三塁打で勝ち越し。3試合連続の延長戦を制して連勝を4に伸ばし、勝率5割復帰を果たした。殊勲は西川とホームランの阿部だが、9回2死からセンターにはじき返した松山もヒーロー。9回裏2死満塁を凌いだ菊池保もヒーローだ。
先発のアドゥワが6回2失点(自責点1)と試合をつくったが、打線が中日先発の福谷に苦しみ1点ビハインドのまま9回へ。それでも先頭の安部が二塁打で出塁すると、2死三塁から代打・松山が中前適時打。土壇場で同点に追いつき、3試合連続の延長戦に突入した。
延長10回に先頭の野間が出塁すると、そこから1死満塁の絶好機。ここで西川が走者一掃の左越え適時三塁打を放ち、3点を勝ち越し。続く安部にも2ランが飛び出し、この回一挙5得点で試合を決めた。
この場面、同点の延長10回1死一、三塁で、4番・鈴木に申告敬遠が告げられた。一塁が埋まっている状況での屈辱の敬遠策を見届けて、西川は打席へと向かった。『誠也が決めると思っていた。まさか敬遠されるとは……』。
直後の初球だった。5番手・谷元が投じた外角高めのフォークを振り抜くと、打球はライナーで左中間を抜ける走者一掃の適時三塁打となり、三塁ベース上で両手を握って喜んだ。『火がついたではないですけど、ここで決めるしかないと思って打席に立った。最低でも外野に飛ばせば、何とかなると思った。最近あまりきれいな安打を打てていなかったし、チャンスで打てていませんでしたけどね』。まさにその通り。最近打てなかった西川、渾身の3塁打だった。
これで、チームは引き分けを挟んでの4連勝となり、勝率は5割に復帰した。緒方監督は『今日も厳しい戦いになったね』と胸をなで下ろした激戦。4日巨人戦から3試合連続での延長戦全てに負けがついていないところに、『逆転のコイ』の本領が透けて見える。
相性の悪いナゴド。チャンスに打てない田中。ピンチにエラーの安部。スタメンになると打てない西川。その西川と安部が10回に燃えた試合だった。西川はやや真ん中の球を逆らわず、左中間深々と破り、3走者を迎え入れた。そして安部が続いてホームランで、計この回5点。名古屋でのこれまでの鬱憤を晴らした。今日の先発は野村に対し大野。ここのところ調子を上げている大野をどう打ち崩すか。勝てば今季初の5割越えになるが、なあ。頑張ってほしい。