今日の画像は、副知事側近人事で話題をまく『小池百合子東京都知事』。そして可愛い花達、『ヒマラヤユキノシタ』『ハナニラ』『ミモザ=フサアカシア』です。このヒマラヤユキノシタは、普通のユキノシタとは似てもにつかない花模様です。どうしてユキノシタの名前がついたのでしょうかねえ。調べると、属が同じ『ユキノシタ科』だそうです。似てないですねえ。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
■■中学、高校、大学で、勉学の結果が思わしくなくいわゆる『劣等生意識』を持っているキミ、心配するな、あなた以上の劣等生が世の中に出れば大成功した例もあるのだ。その筆頭に『ニトリの創業者似鳥昭雄さん(76)』がいるのだ。本当、似鳥さんは劣等生で高校大学と卒業さえ危ぶまれた人物。が、今や年間1兆円の売上を目指す大家具チェーンの親分になっている。そのニトリをここまで成長させた『破天荒な似鳥昭雄』の実像を追う。
★★★1978年昭53、に渥美俊一先生が主宰するペガサスクラブに入会して2年後のこと。渥美先生が講演に北海道へ来ると言うので『一度店をみていただきたい』とお願いし、了解を得た。私が運転し、後部座席で常務が対応していた。だが常務は渥美先生の質問に答えられないことも多く、運転席から私が代わりに回答した。
渥美先生は勘違いし、横にいる常務に『君、社長なんだろう。なぜ質問に答えられないんだ』と言う。そこで運転席から『社長は私です』と言うと先生は激怒した。『何で社長が運転してるんだ。移動中からもう問答は始まっているんだ。ふざけた会社だ。俺は帰る』。私はまずいと思いながらもこのまま帰す訳にもいかない。『貴様、止めろ』とドアを開けようとするが、そうはさせないように無理やり車を走らせた。
ようやく目的地の厚別店に到着。入店してからも渥美先生はすこぶる機嫌が悪い。店舗を歩きながら『何だ、この緑色のカーペットは。商品が目立たなくなるだろう』と厳しく指導される。視察中は『あれもなっていない』『これもなっていない』と言われ続け、こちらも頭は真っ白。先生の質問には何一つ答えられなかった。
怒り疲れた先生は『休む』と言って、コーヒーを注文した。社長が罵倒されて、静まりかえる店内。女性販売員が緊張で震え、運んできたコーヒーはトレーの上で揺れながら『ガチャガチャ』と大きな音を立てていた。その光景は今も鮮明に記憶している。先生は『とにかくどうしよもない。教える価値がない』と言い放ち、帰ってしまった。
私は先生が怖くなり、ペガサスクラブから2年ほど足が遠のいてしまった。改めて米国にも行ったり、海外の専門書を輸入したり、自力で経営プランを作ろうと模索した。別のコンサルタントにも師事した。だがしっくりいかない。新たなコンサルタントは渥美先生のように怒ることはなく、やたらと褒めてくれるし、肝心の質問にもクリアに答えてくれない。やはり『渥美先生しかいない』と思い、再び門を叩いた。後日、ありのままに伝えると普段物静かな先生が大笑いした。
再び入門してからは毎月通った。相変わらず遅刻したら教室には入れてもらえないし、詫び状も書かされる。講義中、無駄口を話していたらチョークが飛んできて『出て行け』と言われる。ダイエーなど50億円を超えるAクラスの経営者は自分に厳しい。Bクラスは逆に甘い人が多かった。
怖くても渥美先生の教えにはやる気を起こさせる『ロマンとビジョン』があった。豊かさを育む経済民主主義の実現というロマンチシズムがあってこそ、経営ビジョンが生きる。そんな先生の言葉は今も通用する至言だ。
『成功体験など現状を永久に否定して再構築せよ。守ろうと思ったら、衰退が始まる』『上座に座るような宴席には行くな。常に下座で自らついで回り、先人から学べ』『乗り物は他社より先に運転できるようにしろ。自転車、バイク、自動車、飛行機、ロケット。同じ事をやったら先行者には勝てない』。そんなことを365日24時間考えろと口を酸っぱくして語っていた。先生に心酔した私だが『ゴルフはするな、趣味は持つな』は守れていない。(参考:似鳥昭雄筆『私の履歴書』)
■■日本代表監督『森保一』、U-17日本代表監督『森山佳郎』、J1名古屋監督『風間八宏』、J1大分監督『片野坂知宏』、J2大宮監督『高木琢』、昇格請負人J3北九州監督『小林伸二』、FC今治監督『小野剛』、福岡などの監督をした『松田浩』・・・・・。この人達は全員サンフレッチェの出身である。前身のマツダサッカークラブの時代からの人達もいる。この人材を見出した人こそマツダサッカークラブ総監督、サンフレチェGMを務めた『今西和男さん(77)』。
集英社が、今西さんの足跡、育成した人材を追った『育将』を2016年に発刊している。ただ、今西さんは最後の時期に『FC岐阜』の社長に就任された。まさに泥にまみれた時代だった。なぜこんなクラブを引き受けたのか、詳細はつまびらかになっていない。心配は過去からの累損を個人で引き受けた総額3億円の負債。この処理がどうなったか、不明である。その『育将』の実像の証言を綴る。いずれも肩書は2016年の『育将』発刊当時のもの。
★★★『育将・今西和男魁‐湘長2』
松田浩『ディフェンスが、こんなにもおもしろいとは』
門徒たちが語る師の教え ナショナルトレセンコーチ 松田 浩(2)
松田浩は膝の故障が長引いたことから、1991年のシーズンを最後に現役を退いた。31歳のときである。コーチに就任することが決まり、翌92年になると母校の筑波大学へフィジカルコーチの勉強に行くことになった。1月から3ヶ月の予定で筑波に滞在する予定であったが、2月を過ぎた頃に今西から電話が入った。『マツダの次の監督が来週成田に着くから、お前は研修を切り上げて迎えに行って、そのまま広島に連れてきてくれ』。
今西がスウェーデン遠征の際、実際にマッチアップし、そのユニークな練習を見て、高い評価を下したハルムスタッズBKの指揮官スチュアート・バクスターがビル・フォルケスの後釜に決まっていた。入社以来、松田が配属されていた海外営業部は新入社員に対して、朝6時45分からの英会話講座の受講を義務付けていた。教師はセレステという名前の女性で、当時三菱自動車がランサー・セレステという車を販売していたために、彼女はよく『私はセレステですが、マツダ自動車に教えに来ました』という挨拶で受けを掴んでいた。ユーモアのセンスも併せ持った美女が教えてくれるということで学習のモチベーションも上がり、松田は英会話をみるみるうちに習得していった。コーチ兼通訳ということでバクスターに付くことになった。
バクスターにとっては、成田空港に迎えに来た最初の広島側の人間が松田ということもあり、コミュニケーションは出会いから良好だった。当時は外国人監督も社宅住まいである。バクスターは4号棟の401号に入居が決まった。松田は301号であったから、ちょうど部屋は真下になり、以来ピッチ上での通訳のみならず、私生活も含めたほぼ24時間を一緒に過ごすようになった。これが非常に勉強になった。北欧のエコロジー観点からか、練習場に行くときも『同じ建物から同じ練習場に行くのに、2台の車で行くことはない。月・水・金は俺が車を出すから、火・木・土はお前が出せ』と互いに便乗して通うことを提案してくれたので、松田はいつでも往復する車内でサッカーについて聞きたいことが聞けた。
練習が始まると、松田は通訳兼フィジカルコーチ兼アシスタントコーチとして、ピッチ上で奔走した。初めて聞くゾーンディフェンスのメソッドは新鮮で、聞いた英語を自分の言葉で翻訳して、選手に説明していくうちに自然と戦術も理解していった。筑波のスポーツ医学の教授に作ってもらったリハビリメニューをこなしながら、選手の足らない紅白戦などに出場していくうちに、回復をあきらめていた膝がどんどん回復していった。そうなると最も戦術理解をしているのは当然、松田ということになり、バクスターは自分がやって欲しいプレーを忠実にこなしてくれるプレーヤーとして、現役復帰を求めてきた。同じポジションには国見から高卒で入団した路木龍次がいたが、レギュラーにはまだ時間がかかりそうであった。
しかし、松田には躊躇があった。一度身を引いた人間が、またJリーグ開幕直前の晴れ舞台に出てくるのはどうにも気が引けたのである。『では、1ヶ月間選手と一緒に練習してみて、それで使い物になるようでしたら復帰します』と、日本的で曖昧な提案をした。『うるせえ』と即座にバクスターは却下した。『俺が戻れと言ったら、戻りゃあ、いいんだよ。今西には俺から言っておく』。ドライな外国人監督でなければ、この後サンフレッチェで3年、ヴィッセル神戸で2年と続いた松田のプロサッカー選手としての人生は、ここで終わっていたとも言えよう。
Jリーグ開幕の前年に行なわれたナビスコカップで復帰を果たした。復帰した7節のガンバ戦で、初めてバクスター直伝のゾーンディフェンスをかぶせたときの快感を、今でも松田は忘れられないでいる。3-1で勝ち、続く横浜フリューゲルス戦も5-1で勝利した。続く鹿島との1戦には敗れて、決勝トーナメントには進めなかったが、これまで1度も経験したことのない斬新なサッカーに酔った。『ディフェンスって、こんなにもクリエイティブでおもしろいのか! 夢のような世界だ。ボールが動けば、流動的になるから100%マンツーマンも100%ゾーンも実質存在しないが、この戦術がベースにあれば、何にでも対応できるぞ』。
実際にバクスターの持ち込んだゾーンプレスは、Jリーグ開幕と同時に日本のメディアがもてはやした加茂周(当時、横浜フリューゲルス監督)のゾーンプレスよりも数倍洗練されたレベルのものであった。加茂のゾーンプレスが、ボールの動きを無視してエリアも時間も関係なく、やみくもにプレスに行くのに対して、バクスターのそれはクォータープレス(1/4プレス)の別称を持ち、特定のエリアに入ってきたときに一気にプレスをかけてボールを狩る。相手が引いているときは行かず、穴を見つけてから一気に襲い掛かるのだ。前から行くのもリトリートも、どちらが正解ということではなく、大切なのはいつプレスに行くのが効果的なのかを見極めるということだった。
プレッシャーゾーンに入ると佐藤康之、柳本啓成のCBがラインを一気に押し上げ、森保一、風間八宏のボランチが挟み込み、サイドからは、盧廷潤やパベル・チェルニーがフォローしてセカンドボールを拾いまくる。加茂のそれとどちらが合理的かは明確で『フリューゲルスのプレスが来たときは、両サイドに張っているヤツにまず蹴って渡せ』が当時の決まりごとになっていた。そうすると外は必ずフリーだった。中途半端にドリブルで突っかかると網にはまるが、シンプルに外に出せば、おもしろいように試合を支配出来る。同じゾーンで守っているからこそ、相手の粗が手に取るように分かった。
サンフレッチェはフリューゲルスに絶対的な自信を持ち、1993年から94年にかけて、広島はこのカードで6勝2敗という勝率を誇っている。それでも当時のサッカージャーナリズムの取材は関東中心で、加茂とバクスターのこの力関係を分析するメディアは最後まで現れなかった。後に日本サッカー協会の強化委員になった今西が、早々に加茂代表監督の更迭を進言したのも、すでにその実力をフリューゲルス指揮官の時代から見切っていたからとも言えよう。(参考: 集英社刊『育将』)
★★<スカパー録画『警察署長 ジェッシー・ストーン』を観る>スカパーで2年前の5月連休に録画した米CBS制作ドラマ『警察署長 ジェッシー・ストーン』全9巻を一挙に再鑑賞。2年も経つと、ほとんどストーリーを忘れており、ドラマインプレッションの新しい感慨に浸った。
ジェッシィ・ストーンは、当初ロバート・パーカーにより書かれた推理小説のメインキャラクターである。美しい妻に捨てられ、離婚後に始まった飲酒問題のため、ロサンゼルス市警強盗殺人課から辞職勧告を受けた。遠く東海岸マサチューセッツ州の小さな町パラダイス(現実のマサチューセッツ州スワンプスコットにおおよそ基づいた架空の町)の警察署長の職の面接に、酔った状態で現れたが、汚職にまみれた町の評議会代表が、彼ならば簡単に操れるだろうと考え、雇われることになった。
彼はすぐに、この町がメジャーリーグ級の犯罪、暴動、白人優越主義者、ふしだらな妻たち、三重殺人で充満していることに気付く。ストーンは予想していたよりもこの仕事が難しいことを知る。しかしストーンは有能であることを証明し、町の評議会代表の汚職をあばき、彼を逮捕する。シリーズは、パラダイス警察署長としてのストーンの事件を記録するとともに、彼のアルコールとの闘いと元妻との複雑な関係も描く。彼は町の警察署の警察官たちから尊敬され、好かれている。彼は州警察殺人課ヒーリー警部と、よい仕事上の関係と友情を育んでいる。
ジェッシィ・ストーンのキャラクターはひどく困った男であり、著者の投影である。パーカーはストーンを、自らの最初のシリーズのよく知られている主人公スペンサーと比較し、『ジェッシィは(スペンサーよりも)傷ついた人間であり自分自身を受け入れている』と語っている。
とにかくドラマの中での会話が軽妙で、テンポがいい。回りくどくなく、ストレート。そしてストーンは業師であり、犯人を追い込むのに寝技を使うとこなど、とても面白い。再度の鑑賞であったが、見飽きなかった。まだ保存し、また3年くらい経ったら再鑑賞してみよう。
★★<古臭い慣習守り続ける、NPB>ふと、昨日のプロ野球の試合予定をネットで調べた。と、カープ-中日、阪神-ヤクルト戦はあるが、巨人-横浜戦の記載がない。ということは試合がないのだな。途中3連戦が2連戦で終わることはよくある。地方球場での開催故、移動時間を取るというもんだ。
一体どこへ移動するのだろうか。ちょっと興味があったので、調べた。なんと、6日は横浜で試合、7日は休み=移動日、8日は新潟で試合だそうだ。新潟、以前は地方球場で、とても移動時間がかかったのだろうねえ。が、今や上越新幹線の時代。どれほど時間がかかるのか調べた。なんと、1時間37分もかかるのだ。だから1日休んで、移動日に当てなければいけないんだねえ。
カープは、4月30、5月1、2日甲子園で阪神と3連戦の後、3~5日は広島で巨人戦、6~8日は名古屋で中日戦だ。大阪~広島の新幹線所要時間、1時間30分だ。広島~名古屋は2時間11分だ。カープは東京で試合をし、翌日広島で試合をすることもある。この場合、東京~広島の所要時間は、3時間50分だ。新潟の3倍時間がかかる。新潟に新幹線が通っていなかった時代、それは移動日が必要だろう。が現在はたった1時間チョイに移動するのに移動時間を取っているのは変だなあ。
熊本や鹿児島などの試合には確かに移動時間が必要だろうなあ。そしてパ・リーグのソフトとハムが札幌で試合した後、博多で試合するスケジュールにも移動日は必要だろう。が、何故横浜から新潟に移動するのに『移動日』が必要なのか。責任者出てきて、説明してくれ、しゃんせ、だなあ。NPBも政府の官庁と一緒で、前例主義、昨日の続きが今日、今日の続きが明日、の勤務ぶりだなあ。困ったもんだ、NPBが役人根性に陥っているとは。
★★<『主婦の年金半減』の真偽 SNSで議論沸騰>『働く女性の声を受け、専業主婦の年金が半額に?』――。そんな情報がネット上を駆け巡り、ツイッターでは『#働く女性の声』というハッシュタグも登場して年金行政への批判の声が殺到した。事実とすればショッキングな話だが、そもそも本当に専業主婦の年金半額案は検討されているのか。確かめてみた。
発端は5日に小学館の運営するウェブサイト『マネーポストWEB』が『働く女性の声を受け「無職の専業主婦」の年金半額案も検討される』との見出しで配信した記事だ。ヤフーニュースにも転載され、一気に拡散した。
記事は『共稼ぎの妻や働く独身女性などから「保険料を負担せずに年金受給は不公平」という不満が根強くあり、政府は男女共同参画基本計画で<第3号被保険者を縮小していく>と閣議決定し、国策として妻たちからなんとかして保険料を徴収する作戦を進めている』と記した上で、『第3号を廃止して妻に国民年金保険料を払ってもらう案、妻には基礎年金を半額だけ支給する案、夫の厚生年金保険料に妻の保険料を加算して徴収する案などがあがっている』という『厚労省関係者』の発言を紹介している。そして記事の結びは『令和の改革でいよいよ「3号廃止」へと議論が進む可能性が高い』となっている。
『第3号』とは第3号被保険者のことだ。会社員や公務員など給与所得者(第2号被保険者)の配偶者で年収130万円未満と定義されていて、専業主婦はこれに当たる。
◇『働く女性』からも怒りの声
ツイッターでは議論が沸騰した。最初に目立ったのは『無職の専業主婦』という表現への反発だ。<夫の世話と家事、育児、介護してきたのは誰だと思ってるんだ。主婦は重労働だ><専業主婦は『無給』で『無休』という過酷な条件で働いている>
『働く女性』の立場からも次のような怒りの声が上がった。<働く女性として全く望んでいないし、聞いたことがない。卑怯(ひきょう)な言い方><年金制度失策を、ありもしない女性同士の対立にすり替えるの、無責任だと思う>
◇厚労省『唐突だな、としか……』
だが、そもそも前提として『年金半減』は検討されているのか。厚生労働省年金局事業管理課に問い合わせると『唐突だな、としか……。なぜ今こんな記事が出るのか分かりませんね』と、電話口の男性職員は困惑した口調で話した。
ただ、第3号被保険者についての議論が記録された資料はあるという。厚労省の社会保障審議会年金部会の2015年1月21日の議事録だ。ここで『3号縮小』の方針が決まり、15年12月に閣議決定された第4次男女共同参画基本計画には『第3号被保険者を縮小していく方向で検討を進める』と書き込まれた。
◇『働く女性の声を根拠に議論はしていない』
部会の議事録をよく読むと、ポストの記事に重なる表現や内容が見られる。委員による第3号被保険者制度が『不公平』だとの指摘や、『最後に純粋な無就業の専業主婦(夫)が3号として残る』『ここに対しては、夫婦年金分割の考え方を進めるべきだという意見、配偶者の所得によって保険料負担を求める意見、3号は免除者と同じ扱いとして半額の給付を保障し…』などの意見が記されているのだ。ただ、あくまでも委員の意見であって部会の結論ではない。しかも、共稼ぎの妻や働く独身女性などから不満が出ているとの記述もない。
前述の厚労省の担当者は『働く女性の声を調査したことは、少なくともこの10年ほどはなく、その層の声を根拠に議論してきたという理解はしていない。むしろ女性の就労抑制につながる制度ではないか、との指摘が従来からあった』と話す。しかも近年は年金部会で3号被保険者の扱いは主要なテーマにはなっておらず、『年金半額』の意見については『合意が取れている段階では全くなく、課題は大きいと思っている』という。
◇『「無職の専業主婦」という言葉への反感大きかった』
ポストの記事とネット上の反応をどう見るか。ジャーナリストの治部れんげさんは『「無職の専業主婦」という言葉への反感大きかったと思う。「働く女性VS主婦」の対立をあおるような書き方は問題ではないか』と話す。
年金に詳しい経済評論家の荻原博子さんは『今や世帯年収が減る一方で社会保険料は値上がりし、主婦も働きに出ざるを得ない流れになっている。3号被保険者は減っているのが現実』と指摘する。『一方で政府は、社会保障制度が立ちゆかなくなったために低所得のパート労働者からも年金保険料を取るよう制度を変えてきている。「女性活躍」の推進と言うが、実際には女性を労働力としてしか見ていないのではないか。そちらのほうが本質的な問題だと思う』。
この議論、拙者は不思議に思うなあ。この『3号被保険者』が誕生した経緯、歴史的事実を厚労省がきちっと語れば世間は納得するはずなのに。『3号被保険者』が誕生したのは、拙者の記憶では、オイルショックの後、1970年初頭のことだったと思う。会社員が入る厚生年金保険料がほぼ倍に値上げされた。拙者は驚いて、保険担当に事情を聞くと、値上げの代わりに、妻の国民保健料を廃止すると。これが『3号被保険者』誕生のきっかけである。それまでは会社員の無職の妻は、無年金か国民年金に単独で入らなければならなかった。
だから、会社員の無職の主婦の保険料は、旦那の保険料分に入っていると理解するのが妥当なのだ。それなのに、ああそれなのに、この『3号被保険者』誕生のいきさつを厚労省は何故か封印してしまっている。
事実、私の妻は毎月当時のお金で月4千円弱国民保険料を納入していた。これが取り消しとなり、旦那の保険料が大幅値上分に組み込まれたのだ。この事実をメディアも厚労省も語らない。なぜなのか知らないが。
ついでに書くと、当時厚生年金に加入していた会社員が退職、脱退すると、それまでかけていた掛け金が戻る制度があった。もしくは、払い戻しを受けず、事後の国民年金受給の基礎にすると。拙者の妻は銀行員だったが、8年務めて辞めた。その保険料は払い戻しを受けず、そのまま国庫に預けた。結果、現在妻は10万円弱の国民年金を受け取っている。我が家の財政はこの妻の国民年金で支えられている。もっと、歴史的事実をメディアは報道すべきだ。
あの、日本国憲法問題でも、メディアは歴史的事実の報道をスキップしている。それは、一つには日本国憲法はGHQにより一字一句検問を受けたこと、さらには、憲法発布から2年以内に国際進駐軍管理のもとで、国民投票を行うこととなっていたこと。もう一つ言えば、帝国議会で『大日本帝国憲法の改正』という姑息な手段で、日本国憲法は誕生したのだ。
これは全メディアが当時堂々と報道している。が、朝鮮情勢が緊迫し、GHQはこの国民投票をサボったのだ。即ち、現在の憲法は手続きに欠陥があった憲法なのだ。朝日新聞だって、堂々とこのことを当時報道している。なぜメディアはこの事実を報道しないのか、また自民党は改憲論議になぜこのことを言わないのか。アメリカに忖度しているのだろうなあ。忖度ばやりの政治屋諸君ではある。困ったもんだなあ。
★★<大手行も70歳まで再雇用 りそなは10月から導入>定年後の社員らを再雇用する際の上限となる年齢を70歳に引き上げる銀行が相次いでいる。先行していた地方銀行に続き、りそなHDが10月に大手行で初めて導入する。銀行業界は不良債権の処理に追われた2000年前後の採用抑制で人員構成がいびつになっている。新卒採用を抑制しているほかの大手行で同様な取り組みが広がる可能性もある。
りそなは06年、60歳の定年後に従業員が就労を希望すれば原則、65歳まで再雇用する『マスター社員制度』を導入した。10月からは、この制度の上限年齢を5歳延長する。支店の事務や本部業務など幅広い対象を想定している。定年前の雇用形態が社員や契約社員、パート、嘱託のいずれでも、再雇用後は基本的に同じ賃金体系にする。りそなHDや傘下のりそな銀行、埼玉りそな銀行、一部のグループ会社が対象となる。対象企業の従業員は約2万3千人で、そのうち60歳以上は約1800人いる。
上限の引き上げは労使協議は不要だが、人事などのシステム改修が必要となる。制度の変更前に65歳になる一部の従業員はすでに個別に契約を延長している。再雇用年齢の引き上げは地銀の間ですでに広がっている。地方の人口減で以前に比べて新規採用が難しくなっており、シニアの再雇用で人員を確保する狙いもある。
京都銀行と東邦銀行(福島県)、北都銀行(秋田県)は14年に70歳まで働ける制度を導入した。愛媛銀行は15年に、健康状態などの条件を満たせば年齢制限なく勤務できる生涯雇用制度を開始。18年には鹿児島銀行と京葉銀行(千葉県)も再雇用の上限を70歳に引き上げた。
政府は06年施行の改正高年齢者雇用安定法で、企業に定年の引き上げか廃止、または定年後に社員を再雇用する制度で原則として65歳まで働けるようにすることを義務づけた。13年からは労使協定で対象となる社員を限定できる規定を廃止し、希望者全員が対象になった。更に政府は企業が継続して雇用する年齢を65歳以上に引き上げることを目指しており、各行はこうした動きを先取りしている面もある。従業員側も『現役』へのニーズが高まっている。寿命の延びに伴う老後資金の増加や、年金受給の開始年齢引き上げに対応するためだ。りそなが60歳以上の従業員にアンケートしたところ、4割以上が『65歳以上も働き続けたい』と希望したという。
銀行業界に特有の事情も大きい。銀行はバブル経済の崩壊による不良債権の処理を迫られた90年代後半から00年代にかけて採用を抑制し、退職も相次いだ。りそな銀は03年に公的資金の注入を受けて実質国有化された。05年度入社の新卒採用を停止するなど、その前後の人員が手薄になっている。リクルートワークス研究所によると、金融業の大卒求人倍率は98年春入社では0.87倍だったが、翌年は0.52倍に落ち込んだ。他行でも同時期の採用抑制で40歳前後の人材が相対的に少なく、経験豊富なシニアの活用が急務になっている。
証券業界では大和証券が17年に営業職を対象に定年制度を撤廃した。13年から営業職を70歳まで継続雇用するよう変更したが、さらに年齢の上限をなくした。現在の最高齢の営業員は神戸支店に勤務する69歳の男性だ。今年7月に70歳を迎え、70歳以上で働き続ける最初の社員となる。定年廃止の狙いの一つが営業体制の拡充だ。顧客の中心であるシニア世代からの資産運用や相続に関する相談が増えており、同世代の社員が継続して担当することで信頼感が高まるとみる。
野村証券は15年から、営業員の一部の職種で最長70歳まで働けるようにしている。これに基づき、65歳以上の社員が現在約30人在籍している。今後は『戦力』としてシニアをどう活用するかが金融各社の競争力を左右しそうだ。
『人手不足ならぬ、国民不足』の時代、全ての産業、企業に制度改正が進むだろうねえ。そうしないと、まさに人手不足で倒産しかねないからなあ。地銀は収益激減と雇用延長で、経営の舵取りが難しいねえ。海外事業が伸ばせない産業、企業はこれからの時代生き残れないな。残念だが、淘汰が進むよね。学生諸君は、企業の今を見るのではなく、10年、20年後を想定して就職先を選ぶべし、だな。
★★<大瀬良完投で3勝目。 サンフレはGリーグトップで決勝Tへ>昨夜のカープの中日戦。大瀬良が完投し、3-2で勝利、3勝目を挙げた。113球の力投、中5日では昨季から4試合連続の完投勝利へ伸ばした。チームは、この12連戦を6勝5敗1分けで終え、首位とのゲーム差4に留まる。勝ち数にして8試合。これまでの勢いからすると決して無理な数字ではない。鍵は、やっぱり田中だな。昨夜もチャンスが何回か回ってきたが、全てに凡打。バットの芯にボールが当たっていない。困ったもんだ。
サンフレは、ACL6戦目、中国・広州恒大と対戦し、1-0で勝利。リーグ戦トップでの決勝トーナメントへの切符を手にした。5年ぶりの進出。堅守が光り、最少得点での勝利が光る。これで得点力が加われば、Jリーグでも優勝が狙える力が出るのだが。渡のブレークを期待するばかりだ。