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『破天荒、奇跡の成功ニトリビジネス⑳ 新入社員を36人も採用す』

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今日の画像は、モスクワ郊外のシェレメチェボ空港で『アエロフロート・ロシア航空機が緊急着陸の際に炎上』し乗客乗員41人が死亡した事故、そして麗しの『スイセン』、再登場『クロッカス』です。元気いっぱいの小池知事ですが、都政改革の進捗・成果を公表してほしいですねえ。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


■■中学、高校、大学で、勉学の結果が思わしくなくいわゆる『劣等生意識』を持っているキミ、心配するな、あなた以上の劣等生が世の中に出れば大成功した例もあるのだ。その筆頭に『ニトリの創業者似鳥昭雄さん(76)』がいるのだ。本当、似鳥さんは劣等生で高校大学と卒業さえ危ぶまれた人物。が、今や年間1兆円の売上を目指す大家具チェーンの親分になっている。そのニトリをここまで成長させた『破天荒な似鳥昭雄』の実像を追う。


★★★今でこそ、年間500人近くの大卒を採用する当社だが、創業期は本当に苦しんだ。1975年昭50、に第1期生として7人採用した。『甘やかすと、経営が安定しない』と思い、厳しいスパルタ教育を施した。週に1回の休みも工場見学、しかも過重労働に低賃金。当たり前だが7人全員辞めてしまった。このため75年入社組は『幻の1期生』と呼んでいる。

お陰で今で言う『ブラック企業』のようなレッテルを貼られてしまった。さすがに週1回は休みにして、100時間あった残業時間を半分くらいにした。実質的な1期生は76年入社組だ。その前年に母校の北海学園大学に募集の張り紙を出し、見に行ったところ誰も見ていない。そこで学生の集まる場所へ行き、『どんぶり2杯を食わせるから、話を聞いてくれないか』と声を掛けて回った。食べている15~20分間に会社の説明をし、入社を促す。

丁度米国視察して間もない頃であり、米国の流通事情も説明した。関心を示した学生は『では今何店舗ですか』と聞いてくるが、この時はまだ4店で売上高も4億円程度だ。それでも『いずれ100店舗を作り、売上高を100億円にする』と大風呂敷を広げ、ロマンとビジョンを熱く語った。すると触発された学生が12人入社した。

ニトリを大きく変えるきっかけとなったのは79年組だ。現在の事業会社ニトリの白井俊之社長や池田則紀専務などグループの中核をなし、社内では『花の4期生』とも呼ばれている。採用を始めた78年は景気低迷により、大手企業は軒並み採用を抑制。出身地での就職を希望するUターン現象が注目された。『人材確保のチャンスだ』。自ら東京へ乗り込み、採用活動を始めた。


都内のホテルで面接し、内定はその場で出した。内定を出した学生は私や役員らが銀座のおでん屋『お多幸』へ連れて行く。宿を確保していない学生には役員がダブルベッドの横に寝かせていた。

現ニトリ社長の白井は、札幌南高校卒業後、宇都宮大学工学部で化学を学んでいた。家具とは無縁だったが、就職雑誌に載せたニトリの紹介コーナーの『完成されたものほど、つまらないものはない』という一文に引かれたそうだ。地元で流していたゴリラを起用したテレビCMも奇抜で、印象に残っていたとか。但し将来への保証もなく、親からは反対され、化学専攻だけに友人から『ニトロカガクという会社へ行くのか』と言われたらしい。

結局、男性30人、女性6人が79年に入社することになった。大きな宴会場のある札幌市内の居酒屋を予約し、全社員参加の入社の歓迎会を開いた。そこで司会者が『新入社員の皆さん、前に出てください』と舞台に上がるよう指示したら、座敷はがら空きとなってしまった。実は新入社員を採用しすぎて、全社員の1/3の規模に膨らんだからだ。

結局、新入社員を大量に採用した結果、その年の利益を大きく落としてしまう。人事担当者からいさめられ、数年は新人の採用を抑制する羽目になった。

相変わらず行き当たりばったりの経営だが、4期生のエネルギーは想定以上に旺盛で、とても勉強熱心。彼らがニトリを大きく成長させる原動力になった。(参考:似鳥昭雄筆『私の履歴書』)


■■日本代表監督『森保一』、U-17日本代表監督『森山佳郎』、J1名古屋監督『風間八宏』、J1大分監督『片野坂知宏』、J2大宮監督『高木琢』、昇格請負人J3北九州監督『小林伸二』、FC今治監督『小野剛』、福岡などの監督をした『松田浩』・・・・・。この人達は全員サンフレッチェの出身である。前身のマツダサッカークラブの時代からの人達もいる。この人材を見出した人こそマツダサッカークラブ総監督、サンフレチェGMを務めた『今西和男さん(77)』。

集英社が、今西さんの足跡、育成した人材を追った『育将』を2016年に発刊している。ただ、今西さんは最後の時期に『FC岐阜』の社長に就任された。まさに泥にまみれた時代だった。なぜこんなクラブを引き受けたのか、詳細はつまびらかになっていない。心配は過去からの累損を個人で引き受けた総額3億円の負債。この処理がどうなったか、不明である。その『育将』の実像の証言を綴る。いずれも肩書は2016年の『育将』発刊当時のもの。


★★★『育将・今西和男粥‐湘長3』 
松田浩「今西さんは、本当はサッカーより、海が好きな人」
門徒たちが語る師の教え ナショナルトレセンコーチ 松田 浩(3)

サンフレッチェ広島のコーチではなくプレーヤーとしてJリーグ開幕を迎えた松田浩は、2年目になると大きな手応えを感じていた。バクスター監督のサッカーは前線、中盤のプレスが効果的に連動していて、フィルターで濾過するように相手の攻撃を封じ込めるので、最後のDFはボールを奪い取るだけだった。『守備は安定している。ここに高木(琢也)のパートナーとなる点取り屋がいれば、必ず勝てる』と考えていた。

そこにイワン・ハシェックという大物外国人の加入が決まり、最後のピースが埋まった感覚があったのだ。1989年のチェコスロバキアの非暴力民主化運動『ビロード革命』の際、100万人で埋まったヴァーツラフ広場で『この革命を我々サッカー代表チームも支持する』とスピーチしたチェコ代表キャプテンは、リーグ戦32試合で19ゴールを挙げて、期待に違わぬ活躍を見せた。

筑波大で1年後輩にあたる風間八宏の変貌にも目を見張る思いだった。『あいつのリーダーシップも大きかったです。大学時代の八宏はテクニックがすごくて、もう狂ったように上手かったから、3人くらいに囲まれてもゴリゴリ突破していった。それがドイツで揉まれて帰ってきたら、ほとんどドリブルをせずに1タッチか、2タッチではたくプレーになっていた。バクスターがやろうとしているチームに必要なものを率先して注入してくれた。学生時代の生活とは比べものにならないくらいに、すごくストイックになっていた』。

手応えどおりにサンフレッチェは1994年の1stステージで優勝を飾る。松田にとって、バクスターは戦術のみならず、メンタルマネージメントでも大きな影響を与えてくれた。1993年に一時不調に陥り、9節から5連敗が続いたことがあった。次の試合で負ければ『バクスターは更迭』というような新聞辞令が踊った。『「こんないい監督を俺らのせいで辞めさせるわけには絶対にいかない』と松田たち選手はナーバスになっていた。


しかし、当のバクスターはそれを見透かすように試合前に『お前らがどれだけよい試合をやったって負けるときもある。逆に酷い内容でも勝つときはある。勝敗は、選手がコントロールできないところで決まることがある。だから、結果に対してお前らがプレッシャーを感じることはない。そこは俺が取るべき責任で、お前らはディシプリン(規律)を持って、ハードワークすることだけに集中しろ』としれっと言い放った。これで一気に肩の力が抜けた。雨中であったが、松田はラインコントロールを完璧に指揮して、名古屋グランパスに2対0で勝利した。このときのバクスターの振る舞いは、後に松田がアビスパやヴィッセルで監督となり、昇格などをかけた一戦を前に、選手に対して声をかける際の大きな原点となった。『今西さんには自分のサッカー人生において、本当にいい監督につかせてもらったという思いがありますが、もうひとつすごく大きく感謝していることがあります』。

1989年、プロになる前のマツダサッカー部の頃に香港遠征をしたときのことだ。練習試合を順調に消化し、いよいよ明日帰国という日の晩であった。ホテルで打ち上げが行なわれ、ひととおりの宴が終わり、松田が一『どうしたんですか』『落ち着いて聞けよ』と今西は神妙な顔つきで言った。『弟さんが亡くなった』打ち上げ直後の予想もしない発言に『変な冗談よしてくださいよ』と思わず口から抗議の言葉が出た。『こんなこと冗談で言えるか!』伝える今西も悲しかったからこそ、怒気を孕んで叱ってしまった。あまりに突然の出来事だった。11歳年下の弟の剛は受験期で、ちょうどセンター試験の1日目が終わり、自宅で翌日に備えて勉強をしていた。就寝した後に出火し、1階から逃げようとすれば逃げられたのであるが、責任感が強く119番をしようと電話に向かったところで、一酸化炭素中毒になって亡くなってしまったという。


松田にとって剛は年も離れていたこともあり、親子に近い情のようなものもあった。小学1年生の授業参観のときに家業の酒屋の配達が忙しくて、母親が出席できなかった。『嫌だ嫌だ』と駄々をこねる剛を見て、『じゃあ俺が行ってやるよ』と高校3年生の松田が代わりを買って出たこともあった。そんな思い出が詰まった、まだ18歳の弟の突然の死を異国の地で受け入れるのはあまりに酷である。同じ住居に住んでいた両親も気道をやけどして、ICUに入ったままだという。今すぐにでも飛んで行きたいが、それも叶わない。明日の便までどういう精神状態で過ごせというのか。今西は『お弔いをわしで良かったら、付き合うけえ』と言って、ウイスキーを持って来てくれた。『やっぱりいろいろと思い出はあるんじゃろ』無骨な言葉であるが、朝近くまでずっと話を聞いてくれた。

『帰国して妻と一緒にすぐに長崎に行って、弟の葬式を行ないました。そのときに弟の友人たちから寄せられた追悼の文章を読むにつれて「ああ、こいつはこんないい男になっていたんだ。俺はこいつのことを何も知らなかったんだな」と思い至ったんです。僕よりも妻に心を開いていたようで「そうだよ。剛くんはそういう子だったんだよ」と妻も言ってくれました。辛かったですが、香港のあの夜の今西さんの恩は忘れられないですね。やっぱり大きな恩師ですね。

そして、よく釣りやキャンプなど、アウトドアでも遊んでもらいました。すごくいい顔して、遊ばれるんですよ。僕は、今西さんは本当はサッカーの世界に戻りたくなかったんじゃないかと思うんです。仕事して、素潜りして魚を突いたり、サザエを獲ったり。でも、自分を犠牲にして日本サッカーのために尽力された。そのおかげで、個人的にも広島で数多くの優秀な外国人コーチから学ぶ機会を得られた。本当にありがたかったです』。(参考: 集英社刊『育将』)


★★<空き家846万戸、住宅の1割>倒壊の恐れや衛生上の問題がある空き家を自治体が撤去出来る法律が施行されて4年。実績は100件未満に留まっている。全国の空き家は総住宅数の1割強、850万戸近くあり、周囲に影響を及ぼすケースも出ているが、自治体の人手やノウハウ不足に加え、私有財産の強制的な取り壊しは容易でない実情がある。

総務省は2018年の調査で、全国の空き家がアパートなどの空き室も含めて846万戸あり、総住宅数の13.6%を占めると発表した。いずれも過去最高で、少子高齢化に伴い、空き家は急増している。

自治体が強制撤去する際に根拠となる『空き家対策特別措置法』は15年2~5月、順次施行された。倒壊の恐れが高い、衛生上著しく有害―といった空き家を『特定空き家』に認定。撤去や修繕の助言・指導、勧告、命令が出来、従わなければ強制的に撤去出来る。放置すると、衛生面や防犯、景観上の問題が生じる可能性があるほか、災害時に損壊して周囲に危険を及ぼす恐れがあるからだ。

国の調査によると、助言・指導に至ったのは15年度以降、計1万3,084件。代執行に踏み切った事例は計118件だった。ただ、代執行は所有者の理解や金銭的負担のほか、そもそも所有権が複雑だったり交渉相手が見付からなかったり、簡単には進まないのが現状だ。

国交省は代執行に至るまでの対策も重視し、17年10月には空き家の利活用を促進するため、『空き家・空き地バンク』を開設。現在600自治体が参加し、延べ9千件の情報を掲載している。自治体も撤去費用の補助といった施策を設け、所有者の自発的な対応を促している。


老朽化した家屋は傾き、散乱したごみが敷地外にまではみ出していた―。古い空き家など危険な建物が160件ほどある東京都板橋区。区は2年前、成増地区の住宅街にあった築60年ほどの木造住宅を代執行で撤去した。

『道路までごみの山。特に夏場は鼻をつくような臭いがひどく、窓を開けられなかった』。近くの女性は、今は更地となった現場を見ながらそう振り返る。ひどい状況だったが、所有者の独身男性には『けんかになるのが嫌で何も言えなかった』と話す。区によると20年以上前から相談があり、以来、数十回にわたり男性に改善を求めてきたが、『ごみは自分のもの』と応じないまま15年になくなった。

その後、男性の身内は相続を放棄。傾いた建物を、敷地内で積み上がったごみが支える状態が続いた。撤去費用2千万円は敷地の売却代などが充てられ、一部で税金が使われる可能性も残っているが、区は『建物倒壊の危険もあり、早急に解決する必要があった』と説明する。

まあ、この板橋の件はテレビでも大々的に報道されたから、みんなよく知っていると思う。近所迷惑な話だが、近隣の人達は大迷惑だからねえ。しっかし、撤去費用が2千万円とはまた高いなあ。どんな豪邸だったのか。拙者が広島で親の家屋を撤去した時は100万円もかからなかったが。まあ10年以上も前だから、相場も相当高騰しているのだろうねえ、人手不足で。この種の仕事は大変な作業だ。私は撤去作業を見守ったが、ホコリ、ゴミがひどく、難作業だったのを記憶している。


★★<小池百合子都知事が『都庁の重鎮OB』を特別秘書に起用>東京五輪を来年に控えた今に至っても、都政が芳しい状況にあるとは言い難い。都議会自民党は小池百合子都知事への反発を強めている。さすがにこのままではまずいと感じたのであろう。小池氏が動いた。

小池百合子都知事は、自身の最側近となる『政務担当秘書』に大物の元東京都副知事をあてる『令和最初の人事』を5月中旬に発令する。『忖度だらけの古い議会を新しく』とぶちあげ都議選に圧勝して2年。足元の都政停滞を打開するため、都議会自民党のドンとも関係の深い都庁官僚を重用するという策に出た。

◇自民党との障害を取り除く
かつて小池知事は都議会自民党や旧来の都庁の組織を『ブラックボックス』と批判しまくって都民の期待を一身に浴びたが、最近は対立の芽を取り除くのに躍起だ。

昨年春には都政運営の要に据えて批判の的だった外部有識者のための特別顧問ポストを廃止。今年3月には自民党との対決型選挙の指揮をとってきた政務特別秘書の退任人事を発表した。空いた政務特別秘書ポストに今月からおさまるのが、元副知事の村山寛司氏(68)。4月26日の会見で小池氏は『非常に経験の深い方』『職員からの信頼も厚く政策面での活躍を期待している』と述べた。

村山氏は東北大卒業後、1974年に入庁。政策部長や行政部長など知事官房のメーンストリートを歩んだ後、財務局長を経て2010年から2年間にわたって副知事を務めた。官僚人生を終えた後も日本自動車ターミナル社長、東京地下鉄副社長、東京信用保証協会理事長(全国信用保証協会連合会会長を兼務)と都庁官僚の再就職先の王道を歩き、今月にも東京都住宅供給公社理事長ポストへの転身も噂されていた。

都政の万端に精通した戦略家で知られ、『先を見通す思慮深さは歴代副知事経験者でもピカイチ』(都庁人事に通じたジャーナリスト)との評価も高い。ただ慎重さが持ち味の重鎮が、『都庁の人事の秩序に不協和音が出るような就任要請をなぜ受けたのか』(部長クラス)と驚きの声も同時に上がっている。


◇「過去に聞いたことがない」人事
村山氏は、現在3人いる都庁の副知事のうち入庁年次の古い多羅尾光睦氏よりもさらに6年先輩。筆頭副知事の長谷川明氏が主計部長時代の上司にあたる。『現在の副知事にとってはやりづらいはず』(副知事経験者)とも映る。

特別秘書の個室は、知事の執務室がある都庁7階にある。6階から上がる副知事と違い、秘書の裏扉を通じて誰に悟られずにトップと会える。本来は知事と局長や都議の間をとりつぐ役目だから、歴代知事は、外部から連れてきた『身内』を充てるのが通例だ。確かに1997年には青島幸男都知事(当時)が定年退職したばかりの都庁の前衛生局長を特別秘書に据えた例はあるが、『役人人生で最上位の副知事まで上り詰めた人がその後あえて“側用人”である特別秘書に就任する例は過去に聞いたことがない』(同前)。

ちなみ現在の特別秘書の報酬は年額約1400万円で局長級(7段階で最下級の1号級)と同程度だが、過去には副知事(同2400万円)と同程度の待遇だった特別秘書もいる。『小池流』がどのような待遇を用意して村山氏を迎えることに成功したのかはいまだ明らかにされていないが、能力の高い副知事経験者の中でも村山氏に白羽の矢が立ったのには、それなりの理由がある。

◇公明党の存在
村山氏は財務局長の在任中に『都議会のドン』こと内田茂元都議や高島直樹・自民党都連幹事長との間に太いパイプを築いた。とりわけ2010年3月の予算議会では、市場移転をめぐって『強引な移転にNO』を掲げて躍進した都議会第1党の民主党と、移転を進める自民党・公明党との間の調整に汗をかいた。計30時間にも及んだ交渉の最前線にいて、築地再整備を検討する組織を立ち上げる譲歩を差し出して民主の顔を立てる一方、豊洲の移転先の用地取得費を含んだ予算案を認めさせた(予算案は半年間、執行停止したのち「再整備は非現実的」として再開した)。

そうした功績もあって副知事に起用されたが、わずか2年後の12年にはその職を退くことになる。石原氏が国政野党の自民党に見切りをつけて新党たちあげに傾斜していた時期に重なり、当時は既成政党とのパイプの太さが村山氏の早期退任に影響したと分析する見立ても出た。それから7年を経て、都議会自民党との関係修復を求める小池知事にとって、村山氏はうってつけの調整役に違いない。


2月から3月にかけて開かれた予算議会で小池知事は過去最大15兆円の都予算案を上程したが、議場では『与党都議に議場で押されて転倒した』(自民)とか、『委員長の議事運営ファイルを盗まれた』(都民ファ)とかいった政策とは無関係の批判の応酬が目立った。小池予算に賛成の立場であり、また自民党ともかつて連携していた公明党も、これを取り持つ役割を果たしえたようには見えない。

このため『自民党との関係を改善しなければと危機感を強めた公明党周辺から提案があったのではないか』(前出のジャーナリスト)と見る観測もある。実際村山氏には、公明党の参議院議員として総務庁長官も務めた都庁の先輩、続訓弘氏(88)が副知事だった当時の直属の部下だった経歴もある。こうしたつてを頼りに小池知事に対して人事のアドバイスがあったのではないか、というのである。


小池知事にとっては、五輪までの1年間に打ち出す政策が、知事選の再選戦略に直結する。五輪後の東京を巡っては、銀座から臨海部に抜ける新地下鉄計画も報じられ、その途中停車駅にあたる築地市場跡地や豊洲エリアなどで再開発をめぐる国や地元区や企業などの思惑も膨らみつつある。大プロジェクトを含めた都の長期計画をつくるにあたって都市の基盤整備にも明るい村山氏が、議論の要路に立って、“交通整理”の役割を担う可能性もある。

筆者は連休明けの7日、火中の栗を拾うに至った動機について問おうと村山氏を自宅前で直撃取材を試みたが、『まだ私は現職(東京信用保証協会)の仕事がありますから、お話しできることはありません』と言葉少なく車に乗り込んだ。都議会で迎える自民党の高島都連幹事長にも質問を送ったが、『人事権は知事の裁量権の範囲です』とひとまず静観の構えだ。大物官僚OBの登場によって、小池都政と都議会自民党が健全な緊張関係を紡ぎ出せるか。6月の都議会定例会の動きに注目が集まることになりそうだ。(参考: 都政に詳しいジャーナリスト・広野真嗣氏のレポート)

なにかと話題になりやすい小池都知事。これからが正念場になるだろうなあ。まあ、旧来の悪癖を正そうとすれば、それは地震が起き、敵味方入り乱れての乱戦になるわなあ。が、頑張ってほしい小池知事ではある。石原慎太郎や舛添要一のように尊大でないところがいい。


★★<『ポツンと一軒家』は番組最高17.7%裏番組に4.2ポイント差勝利>5日放送のテレビ朝日系『ポツンと一軒家』の平均視聴率が関東地区で17.7%だったことが、分かった。4月21日の前回放送17.2%から0.5ポイントアップ。4月7日放送で記録した関東地区での番組最高17.6%を0.1ポイント上回り、最高視聴率を更新した。また、裏番組のライバル・日テレ系『世界の果てまでイッテQ!』の13.5%に4.2ポイントもの大差で“勝利”した。

前回は関西地区で19.6%の番組最高をマーク。今回は2.9ポイントダウンしたものの16.7%で高視聴率を維持した。なお、関東・関西地区ともに23放送回連続の2ケタ視聴率となった。

タレントの所ジョージ(64)が司会、予備校講師でタレントの林修(53)がパネリストを務め、日本各地の人里はなれた場所にポツンと存在する一軒家を紹介する番組。『世界の果てまでイッテQ!』など人気番組がそろう日曜夜の激戦区に昨年10月から参戦した。

昨年10月以前は不定期番組だった。私はかみさんがこの番組のファンで、録画を一緒に見るようになった。山中の一軒家にどんな人が住んでいるか、は興味の対象だ。一般的には、一軒家は昔集落を形成しちたが、今は衰退し一軒家になっているケースが多い。それも生まれた家で祖先に申し訳ないから田畑・山林を守っている、というスタイルが多い。確かにあんな山中を切り開き、棚田を作った祖先の努力は想像を絶するものがある。それを大事に守って行こうという真摯なお年寄り達の姿勢、言動の視聴者は感動する。

それだけではなく、確か岩手県だったが、数百年前の古民家を5年かけ、自分で改修し、そこで絵を描くなど、自由な生活をしている元建築設計者もおられた。なんとなく、ほのぼのとさせる番組であり、そこに所の短く、適切なコメントが入るだけという、至って単純な番組だが、その画面には古き日本への郷愁を抱かせるサムシングがあるのだろうなあ。お見事だ。


★★<サムスン、折りたたみ式端末の予約をキャンセル 発売中止か>サムスンが今秋発売するGalaxy Note 10は7インチ近い大画面の5G対応端末で、次世代のテクノロジーを待ち望む世界のガジェット好きを喜ばせそうだ。しかし、同社の折りたたみ式端末は大失敗に終わる可能性が高まった。

5月7日、サムスンは革命的デバイスとして宣伝された折りたたみ式端末、Galaxy Foldの事前注文の『自動キャンセル』を始めると宣言した。Galaxy Foldに関してはレビュー機をテストした記者から『ディスプレイが破損した』などの不具合を指摘する声が相次いでいた。

サムスンは今、世界初の折りたたみ式端末を市場から引き上げようとしており、販売再開の期日も示していない。これは重大な失態といえる。同社はレビュー機の不具合の発生を受けて端末を回収し、事態の沈静化に務めてきた。ガジェットサイトのiFixitがGalaxy Foldの分解レポートを公開したところ、サムスンはこの記事を削除させた。そして今、Galaxy Foldの出荷は無期限の停止状態になったのだ。

現在もなおGalaxy Foldを受け取れる可能性があるのは、既にこの2000ドルのデバイスを予約注文済みで、サムスンに対し『製品を受け取りたい』と明確に伝えた人に限られる。サムスンは今週、予約注文を行った顧客全員に対し『顧客から特に連絡がなく、当社が5月31日までに出荷を行っていない場合、その注文は自動的にキャンセルされる』とのEメールを送信した。

サムスンの競合メーカーや、サムスンに敵意を抱く人たちは同社の失態を喜んでいるのかもしれないが、これはスマホ業界全体にとって深刻な打撃だ。Galaxy Foldには画期的なディスプレイ以外にも、多くの先端的テクノロジーが詰め込まれていた。仮にサムスンが折りたたみ式スマホという新たなカテゴリで成功を収めていたなら、全ての競合メーカーにプレッシャーを与え、業界全体のイノベーションの進化につながったはずだ。

しかし、Galaxy Foldの失敗により折りたたみ式端末のイメージが損なわれ、競合らがこのジャンルに向かう意欲も低下してしまった。今後は折りたたみ式端末分野への参入を見送るメーカーも出てくるだろう。今年最もエキサイティングな端末だったはずのGalaxy Foldが、幻に終わろうとしている。スマートフォン市場全体からまた一つ、面白さが失われようとしている。


★★<サンフレACL決勝T進出>ACL、F組首位のサンフレッチェは、本拠地で中国の広州恒大を1-0で下した。4勝1敗で勝ち点12となり、1試合を残してこの組の1位が確定。2014年以来となる決勝トーナメント進出を決めた。

試合開始から、サンフレのゴールへの意識は全開だった。サイドから最前線へのFWパトリックへパスを通そうと試みるなど、敵陣で攻撃を続ける中得た前半15分の左CK。MF森島のクロスに混戦の中にいたDF佐々木が押し込んだ。

『我々のプラン通りに動いた』と、城福監督は振り返る。サンフレは今季、先行された6試合のうち逆転勝ちしたのはわずか1度。先にゴールを割られるとめっぽう弱く、直近2試合は前半の失点に追いつくことが出来なかった。だからこそ、ゴールを決めた佐々木は『いい入りをして、先制点を取って優位に進める戦いにしたい』と前日会見で語っていた。

狙い通りに先制出来れば、後は自慢の守備で守り抜くだけ。ブラジル代表のMFパウリーニョらを擁する広州恒大はしぶとい。攻撃能力の高い相手に、後半になっても圧力を緩めることなくつぶしにいった。サンフレのシュート数5に対して広州恒大は9と上回ったが、一つもゴールを割らせなかった。


最後の砦となったGK大迫を筆頭に、今季はリーグ戦、ACL共に若手を起用しながらの戦いが続いている。開幕からMF青山やGK林らを故障で欠く中、この日も3日のリーグ戦から6人を入れ替え挑んだ。

なんとかやり繰りしながら1次リーグを首位突破。チームのスローガン通り、一丸になって自力で扉をこじあけた。(参考: 朝日新聞・藤田絢子筆)

サンフレの記事に関しては、地元紙が大きな紙面をさき、大量の記事を掲載するが、全国紙、日経や朝日の記事には、小さい記事だがペーソスの利いたとても美しい記事が掲載される。サッカーで言えば、日経の吉田誠一記者など、他紙は足元にも及ばないと感じる。この藤田記者も、朝日新聞に入ったからには、政治部や社会部の記者を希望したに違いない。社内では回り道的な運動部へ配属された時の落胆の気持は想像にかたくない。が、その壁を乗り越えて、美しい文章を作る力を磨いている姿にとても感動を覚える。

今、サンフレはメンバーの若返り執行中である。よって、まだチームとしての成熟感は今一歩。しかし若さと情熱で、魅せるプレーを展開している。もう少し経つと、一時の黄金時代のサンフレが再現できるのではないか、と期待している。特にサンフレユース出身の大迫、荒木、野津田、東、松本など俊英がそろっている。関東、関西のお金持ちクラブとはひと味ちがうチームカラーを打ち立て、Wクラブ杯を刈り取るくらいの気迫を魅せてほしいなあ。頑張れよ!サンフレ!

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