今日の画像は、車両事故で運転を停止した横浜市内を結ぶ新交通システム『シーサイドライン』。そして『ムスカリ』『ツルニチソウ』『コブシ(だと思う)』です。本当にかわいい花、ムスカリですが、花期は本当に短いです。まさに『花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき』ですねえ。
『シーサイドライン』、逆走の原因不明。よって今日も運行停止が続きます。利用者は代行運転のバスの利用。1日6万人弱の利用者はとても不便でしょうねえ。それにしても、未だ原因不明、特定出来ないとは摩訶不思議なことではあります。
★★★強力なブランドは、いかにして今の地位を得ることが出来たのか。プレミアムブランドの中でも、時計界ではロレックス、自動車界ではメルセデス・ベンツが特に抜きんでた存在であることに異論のある人はいないだろう。
メルセデス・ベンツは自他ともに認める『自動車を発明した会社』である。1886年にカール・ベンツが初めて原動機付き三輪車を完成させたと言われ、自動車の特許を取得している。メルセデス・ベンツには自動車を発明した会社としての矜持がある。1926年、ベンツ社はダイムラー社と合併して、社名はダイムラー・ベンツに、商品名はダイムラーが使っていたメルセデス(ダイムラー社のディーラーを営んでいた富豪の娘の名前)を組み合わせて『メルセデス・ベンツ』としたのである。
この当時、世界各国で数多くの自動車会社が生まれていた。戦前には多くの超高級車メーカーが存在しており、小型車や商用車・トラックも作る総合自動車メーカーブランドだったメルセデス・ベンツは、と飛び抜けて高級をいうイメージのブランドではなかった。
このメルセデス・ベンツの名声を高めたのが、モータスポーツであった。フェルディナンド・ポルシェ博士が設計したSシリーズが世界各地のグランプリレース(現在のF1)で大活躍したのである。レースでの勝利は、製品の優秀性を幅広く知らしめるには絶好のものであった。
その評価を更に高めるきっかけとなったのが、ナチス政権の誕生であった。ナチス政権はメルセデス・ベンツ770など高級・高性能車を愛用した。これはヒトラーが貴族的な高級感よりも絶対的な性能の高さを好んだからだと言われている。
ナチスはメルセデス・ベンツの他に、同様に高い技術を誇ったアウトウニオン社も支援した。アウトウニオン社は4つの自動車会社、ホルヒ、アウディ、ヴァンダラー、DKM、が合併して出来た会社で、結果、そのマークは4社を表す4つの円を連ねたものである。このマークは現在では4つの円の一つであったアウディに引き継がれている。
戦後、ドイツは東西に分割され、アウトウニオン社の本社は東側にあったため、アウトウニオン社はソ連によって解体されてしまう。その後西側で復活するものの、戦前からの高度な技術を継承するメーカーはダイムラー・ベンツ1社となった。戦後9年が過ぎた1954年、メルセデス・ベンツは満を持してモータースポーツの世界に復帰する。そしてF1で世界を席巻したが、この活躍は1955年のル・マンで300SLRが観客席に飛び込み多数の死傷者を出す事故を起こしたことで終焉を迎える。その後、メルセデス・ベンツは長らくモータースポーツの世界かた遠ざかるが、圧倒的な強さは神話として語り継がれた。
モータースポーツの世界からは撤退したものの、その完璧主義ともいえる開発姿勢は安全性の向上に向けられた。1960年代から様々なクラッシュテストなどに取り組み、独自の安全性設計哲学を育んでいった。そしてメルセデス・ベンツの車は見るからに頑丈で、ドアを開閉しただけでその剛性感を感じることが出来るようになった。その安全思想は、広告をはじめとしたコミュニケーションによって広く訴求された。1980年代まで、モーターショーのブースでは、クラッシュテストでつぶされた車が展示されていたものだ。
1980年代以降はモータースポーツにも復帰した。1989年にはル・マン24時間レースに優勝。シルバー一色で塗られたマシンは、往年のシルバーアローを思わせるものだった。2010年からは『メルセデスAMG』としてF1に本格的に復帰し、ここ数年は圧倒的な強さで他チームを寄せ付けず、2014年から4年連続のチャンピオンとなっている。
メルセデス・ベンツは今や、安全性の徹底的追及とモータースポーツでの比類なき強さと2つの軸で、自動車界の最も優れたブランドの地位を揺るぎなきものにした。だからこそ、長年にわたって世界中で富と成功の絶対的シンボルとして君臨し続けているのである。(参考: 山崎明著『マツダがBMWを超える日』)
■■昔、昔、その昔、『ロッテ歌のアルバムの司会者』として一世を風靡し、日本歌謡界の発展に尽くした『司会者・玉置宏』。その玉置さんが、遺作として自分の辿った歌謡界を綴っている。昭和の昔が懐かしい。川崎市生まれ、1934年1月5日 - 2010年2月11日、享年75歳。
★★★『玉置宏の「昔の話で、ございます」 旭・ひばり―アツアツの頃』小林旭さんがギターを抱えて日本中を流浪う、『渡り鳥シリーズ』の第1作は『ギターを持った渡り鳥』(昭和34年)だが、旭さんのステージでも、ほとんどがこの曲で開幕する。そして『人生は旅である』と語りかけながら、『北へ』『北帰行』『さすらい』と歌い継いでから、『アキラのダンチョネ節』『アキラのズンドコ節』『アキラの・・・』とつく作品をメドレーにして歌いまくる。
映画に歌に絶頂だったこの旭さんとの思い出で忘れられないのが、昭和37年(1962)の正月第2週の浅草国際劇場。『美空ひばり・三橋美智也 夢の共演』という豪華な舞台に、私は司会として立っていた。丁度旭さんとひばりさんがアツアツの頂点の頃で、当時はまだテレビのワイドショーもなければ写真週刊誌もない、スターにとってはのどかな時代。撮影に入っていた旭さんが撮りを終えて、まだ国際劇場が開幕している時間であれば、必ず駆けつけてくれた。
客席の一番後ろにガラス張りの監事室があって、毎回舞台を見続けているひばりさんのお母さんの隣に座るのだが、来ると監事室からライターがカチッと擦られる合図がある。
三橋さんの出番の時だと、ひばりさんが合図を見つけるが、ひばりさんの出番だと私が見つけ、ひばりさんとのやりとりの中でマイクを持つ時小指を立てたりして、客に分からないように旭さんが来たことを知らせた。するとひばりさんは、歌いながらステージから大きなゼスチャーで旭さんに向かって応える。勿論客席は自分たちに贈られたジェスチャーだと思ってさらにステージが盛り上がるという具合だった。
ひばりさんも毎日心待ちにしている訳だから、いつ来るかと私の合図を食い入るように見つめる。私も、司会もしながら、いつ来るか分からない旭さんの合図にも神経を使う訳だから、毎日がもうヘトヘトだった。(参考: 玉置宏著『昔の話で、ございます』)
★★<広島出身の女流棋士(囲碁)『大森らんさん(17)』4月にプロ入り後、初の公式戦デビューを白星で飾った。4月22日に行われた第29期竜星戦予選。最年少でプロ棋士になり世間の注目を集めた10歳の『仲邑菫初段』との対局を中押し勝ちで制した。『勝てる相手とは思っていなかったので嬉しかった。少しは自信になったかな』と素直な心情を吐露した。
碁を始めたのは、小学1年生の時。囲碁の盛んな江田島市で、子供囲碁教室に通い手ほどきを受けた。負けると周囲もはばからず、号泣するほどの『負けず嫌いな性格』を武器にめきめきと力を付けていった。6年の時、全国少年少女囲碁大会広島県予選で2年連続優勝を飾り、プロへの思いを抱くようになった。
転機は中学2年生の時。プロ棋士になるための研鑽を積む日本棋院関西総本部の院生になった。週末は大阪の本部に通い、プロを目指す同世代の院生と対局を重ねながら腕を磨いた。棋士採用試験で優遇措置があるなどプロ棋士への近道となる院生は17歳までしか在籍出来ないという年齢制限がある中で、『院生の間にプロになりたい』と高校進学を断念。中学校卒業後は、院生一本に人生の選択を絞り、大阪で一人暮らしをしながら、毎日12時間囲碁と向き合った。
その努力が彼女に運を呼び込んだ。昨年、日本棋院が女流棋士を拡充する女流特別採用推薦棋士制度を制定。これまで彼女がプロ棋士になるには、男女含め5人の一般枠か1人の女流特別棋士採用の試験を勝ち抜かなければならなかったが、新制度で採用枠が緩和された。昨年10月の時点での院生リーグでの成績が認められ、院生3年目で夢をかなえ、広島県で初めての女流棋士になった。
『プロとしての自覚はまだです』とはにかみながら、『10代の今が一番伸びる時なので、もっともっと勉強を積み重ねたい』と目を輝かせる。
目標としている女流棋士は1歳年上の『上野愛咲美棋士』。タイトルを獲得した棋士だけに『私もタイトルを取れるような棋士に』と願う。また『囲碁をやっている人の多くは高齢の方。小中学生の間で人気の出る競技にしたい』と抱負を語る。
輝ける17歳だねえ。仲邑菫さんに勝った試合は、テレビニュースで流れたねえ。頑張って、らんさん、広島の誉れだ。
★★<モルテン、3人制バスケ後押し>競技用ボールなどで世界展開をしている、広島市の『モルテン』は、『3人制バスケ』の普及に取り組む。このほどトラック1台で運べ組み立ても簡便な簡易コートの貸し出しを始めた。3人制バスケは2020年の東京五輪で正式採用されたことで、国内でも人気が広がりつつある。モルテンでは競技人口の裾野を広げ、事業基盤の強化にも繋げたい考えだ。
3人制バスケ『3X3 スリーバイスリー』用の簡易コートは、縦11mX横15mの広さで、ポリプロピレン製の床面パネル4千枚とゴールなどで構成する。4トントラック1台で運搬出来、屋内外を問わず2時間程度で設置出来る。
これまでもプロチームが開くファンとの交流イベントや自治体行事で集客の目玉として使われることがあった。貸出料金は2日間で18万円。別途運送費がかかり、雨天中止などでも返金はしない。月4件程度の利用を見込んでいる。
16年にプロバスケットボール『Bリーグ』が開幕。今夏の男子W杯に続き、東京五輪でも男女で日本代表の出場が決まるなど国内のバスケへの注目はかつてなく高まっている。これに『3X3』の普及が重なれば、新規プレーヤーの獲得に加え、かつてプレーしていた人の掘り起こしが見込める。
モルテンの民秋社長は『サッカーも「Jリーグ」創設とW杯の出場をきっかけに、手軽なフットサルを通じて広く普及した経緯がある。バスケにも同じ流れが期待出来る』と話す。
モルテンは、ゴム素材を使用した自動車部品メーカーでもある。同時にサッカーボールやバスケのボールも製造販売している、ユニークな企業。事業のバランスを取りながら、うまく『スリーバイスリー』を広めてほしいねえ。拙者も一度広島市内で、米人男性によるデモプレーを見たことがあるが、とてもシンプルで、面白いと思うねえ。見るより自らプレーする競技だと感じた。
★★<アシアナ航空、売却>韓国の中堅財閥、錦湖アシアナグループが中核の『アシアナ航空』を売却する。グループの経営危機を何度も救ってきた政府系金融機関、『産業銀行』が今回は一転して創業者一族に引導を渡した。背景には文政権の登場がある。
『関心はある。我々に相応しいのか、様子を見ているところだ』。アシアナ航空の身売り決定からひと月余り経って、買収に意欲を見せる企業がやっと現れた。LCCの『済州航空』を傘下に持つ『敬愛グループ』だ。小が大を飲む買収に市場は懐疑的だが、ひとまず産業銀行が絵を描いたアシアナ航空再建が動き出す可能性が出て来た。
錦湖アシアナが虎の子を手放さざるを得なくなったきっかけは3月。不適正会計が発覚し、アシアナ航空が提出した監査報告書が監査法人から『適性』意見を得られなくなったからだ。信用不安が広がると、錦湖アシアナグループ総師の朴三求会長は3月28日に引責辞任。4月10日には資金支援を求める再建計画を産業銀行に提出した。
だが、産業銀行は『創業家の責任の取り方が不十分』と一蹴した。グループの錦湖産業が持つ33%のアシアナ航空の全株売却と引き換えに金融支援する案を朴会長に飲ませた。アシアナ航空と創業家の切り離しだ。『生かさなければならないのは大株主ではない。会社だ』。産業銀行の李会長はこう言い切った。
産業銀行と錦湖アシアナは蜜月関係で知られた。リーマン・ショックのあおりでグループが経営危機に陥った2010年には、傘下の大宇建設と錦湖生命を産業銀行が買収し経営を支えた。
今回産業銀行がしがらみを断ち切ったのは李会長の存在が大きい。革新系の経済学者で、金大中政権で大統領府入り。廬政権では金融監督委員会の副委員長を務めた。17年の大統領選では文陣営の経済ブレーンになり、政権発足後に産業銀行会長に就いた。
文政権は『財閥改革』を掲げ、創業家による不透明な企業支配に批判的だ。アシアナ航空への否定的な世論も後押しした。昨年7月に機内食を提供出来ないトラブルが起き、下請けに無理強いしていた疑いが浮上した。女性乗務員が朴会長を賛美する歌や踊りの練習に動員される映像も流出。創業家一族によるパワハラと非難を浴びた。
アシアナ航空を失えばグループの資産規模は5兆ウォンを下回り、韓国政府が指定する『財閥』ではなくなる。産業銀行などの信頼を裏切る不適切会計の代償は余りにも大きかったと言える。
まあ、韓国の財閥は『漢江の奇跡』という経済成長の恩恵と利益を人一倍奪取したのだから、ここへきての逆風はまあ当然の成り行きだろうなあ。古い体質を引きずる韓国ではあるな。
★★<韓国、保守と革新が『非難合戦』 ネット請願で弾劾要求も>インターネットの掲示板で国民からの請願を受け付ける韓国大統領府の制度を利用し、保守層と革新層が『非難合戦』を繰り広げている。革新系の文在寅大統領の弾劾や与党『共に民主党』の解散を求める請願に約25万~33万人が賛同する一方、保守系最大野党『自由韓国党』の解散要請には約183万人が同意した。
来年4月の総選挙を見据えて与野党の対立が激化していることが背景にあるが『「双方の支持者が自尊心を満たしているだけ』(韓国メディア)との冷めた見方も多い。制度は文政権が国民の意見を直接政策に反映させようと導入した。
まあ、韓国ってこんな国なんだよね。信用したり、あてにしたりするととんでもない大失敗に繋がる。困ったもんだねえ。北朝鮮問題さえなければ、日本は韓国と手をつなぐ必要なんかちっともないんだけどねえ。
★★<那覇―上海に新航路 沖縄の観光客の増加、建設ラッシュに対応>沖縄国際海運(上勢頭保社長)は、貿易・物流事業を行う上海錦江運航(中国上海)と契約を結び、上海―那覇の定期貨物航路を開設した。那覇から上海まで直行で28時間で到着し、従来の航路と比べ定期・定時運航が評価されている。上海を経由して香港やベトナム、タイへの輸送も行い、中国だけでなく東南アジアの市場への拡大も期待される。
外航貨物船『マイルドジャズ』(9994トン)が5月31日に那覇港に初入港し、船内で入港式が行われた。那覇港には毎週金曜日に到着する予定。上海から那覇には大阪と神戸を経由する。
就航は沖縄を訪れる観光客数の増加や、ホテルやマンションの建設ラッシュが背景にある。マイルドジャズは1098台のコンテナを積むことが可能で、貨物の多くは上海から運ばれる建設資材や家具が多いという。
那覇港管理組合の田原常勤副管理者は『生活用品や建設資材が増え、沖縄に入ってくる貨物量が増えている。輸出の貨物も増やしていきたい』と話した。錦江シッピングジャパンの張勇社長は「貨物の量を増やし、沖縄の経済発展に協力したい」と述べた。
沖縄には、内地と違ったウエーブが押し寄せているようだな。いいことだ。
★★<林真理子のネパール旅>今回、ネパールに行った。『えっ、トレッキングするんだ?』。勿論山登りなぞする気はさらさらない。ただカトマンズという街に行きたかっただけである。
で、今回初めて知ったことであるが、ネパールの人達は、驚くほど言語能力が高い。小学校から英語を習っていて、たいての人は普通に会話出来る。その上にもう一つ、日本語を習おうと、最近すごい日本語ブームだとう言う。大学付属の語学学校に見学に行ったところ、上級コースは丁度趣味の話をするという授業だった。
『私は相撲を見るのが好きです。幕内力士の技は素晴らしい』、などとテキストを読み上げ、次に幕内力士の説明となった。黒板にはヒエラルキーの三角形が描かれ、上から横綱、大関、関脇、小結、前頭、とある。『この前頭から上が幕内となります』。先生の言葉にせっせとメモする学生さん達。しかし、こんなことを知っている日本人が一体何人いるんだろうか・・・。
確かにテキストは古いが、学生さんのひたむきさに、次第にみんなの目頭が熱くなってきた。最後に同行の中国人実業家のR夫人がきっぱり言った。『みなさんを、日本で私が引き受けましょう。うちの会社で雇ってあげます』。おお、とどよめきが起こる。実はみんな日本での就職先に苦慮していたのだ。
R夫人はホテルのエステの女性もスカウトしていた。『あなたぐらいマッサージのうまい人はいないわ。私が住居を提供するから日本に来なさい。給料も日本人と同じだけ出します』。彼女が大喜びをしたのは言うまでもない。先の大地震で家を失い、友人の所で間借りしていたそうだ。
旅の最後はシアターレストラン。お客は私達ともう一組だけ。ネパールのダンスが始まる。『うまいんだかヘタなんだか、まるでわからないゆるい踊りです』、西郷大使はおっしゃった。やがてフィナーレが始まり、ダンサーが誘う。真っ先にステージに立ったのはR夫人。次に西郷大使。そして私達もみんな踊りだした。
勝手な振りで、ネパールいいとこ、一度はおいで。こりゃこりゃ・・・。そして気付いたら私は『ネパール親善大使』を引き受けていた。(参考: 林真理子筆『夜ふけのなわとび』)
まあ、林さんらしいと言えば、林さんらしい行動ではありますねえ。そのバイタリティーがあのような沢山の作品を生み出しているのだなあ。お見事。
★★<緒方監督『最終形じゃない』中崎、アドゥワは配置転換><広島5-7阪神>◇2日◇マツダスタジアム
まだまだ、進化するけえ! 首位広島が阪神戦で0-7から5-7まで追い上げ『敗れて強し』を印象づけた。
貯金13の首位で4日からの『日本生命セ・パ交流戦』に突入するが、緒方孝市監督(50)は『これが最終形ではない』とチームにメスを入れると宣言。守護神中崎を抑えに固定せず、2回7失点のアドゥワを中継ぎに配置転換する。リーグ4連覇&悲願の日本一へ、ベストチームをつくる作業を貪欲に続ける。
チームの勢いを象徴するような猛反撃だった。7点を追う6回1死。西川の左前打から打線がつながる。磯村右前打、小窪四球で満塁となり、田中広が2点左前打。さらに2死二、三塁から野間の内野安打に2つの悪送球がからみ、2点を加えた。バティスタの左前適時打も飛び出し、この回一挙5点。相手の守備の乱れもあり、どちらが負けているかわからない迫力で追い上げた。
2点及ばずに敗れたが、ベンチ裏に暗いムードはない。一時は首位と8ゲーム差の最下位に沈みながら、猛烈に巻き返してきた自負がある。8連勝、4連勝、11連勝、そして5連勝。断続的な大型連勝で、首位に立った後も快進撃を続ける。この日敗れても貯金13、2位阪神に4ゲーム差。他球団がうらやむチーム状況であるのは間違いない。
それでも緒方監督は『これが最終形じゃない』とチームにメスを入れる。安定感を欠く中崎を不動の守護神の座から下ろし、アドゥワを中継ぎへ配置転換する。初めて2点ビハインドの展開で起用した中崎について『彼とは話をしている。ポジション的なものは流動的になる』と説明。先発で7試合起用したアドゥワについても『中に入って火曜日から投げてもらいます』と話した。
初回こそ相手の拙攻で『0』を刻んだが、2回の先頭・梅野のソロ被弾からつるべ打ちだ。1イニングだけで長短8安打を浴び、四球も絡んで大炎上。『2試合連続で立ち上がりが悪い。最低限の役割を果たさないといけないのに…』と猛省した。5月26日の巨人戦でも初回、岡本に3ランを被弾。5回4失点にまとめたが、チームの連勝は11で止まった。
3連覇チームから昨オフ、丸、新井、エルドレッドが抜けた。その時点で緒方監督は、一からのチームづくりを覚悟した。『丸の穴』を埋めるのではない。現有戦力を駒として、チームを土台からつくり直す作業。苦しみ、のたうち回りながら1カ月をかけて上位打線を固め、投手陣も整備。そして、もっと強いチームをつくるため、さらなる改造に乗り出す。
4日から交流戦に突入する。指揮官は『しっかり切り替えてやっていきたい』と言い切った。カープはもっと強くなる。バティの調子がいいのは朗報だが、鈴木が阪神2戦目から不振感を漂わせている。小さい波であればいいがなあ。